いにしえララバイのブログ

日本史(古代史)好きな人はこの指に止まれ!ゲストブックに足跡を残しましょう。

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 鳳凰は、日本を代表する架空の鳥と思われておられる方もいらっしゃいますが、実は中国や朝鮮にも鳳凰の話があります。日本では、京都の宇治の平等院鳳凰堂でも見られますし、一万円札にも描かれています。鳳凰は、日本に仏教が伝わった時からと思われる方もおられるかも知れません。日本の鳳凰は、前部が、後部が鹿、頸は蛇、背は亀、頷(あご)は燕、は鶏、尾は魚であるとされ、五色絢爛な色彩で、羽には孔雀に似て五色の紋があり、声は五音を発するとされています。古代太古の時代は、神々を呼び出す鳥とされたのですね。
 中国では、殷の時代から鳳凰は風を呼ぶ鳥とされ、集落の門の上に2本の柱を建て、その柱の上に鳥(鶏のような)を、昇り龍を表わすため、縄を巻き付けていたようです。そして、集落に悪霊が来ないようにしていたのです。その形を鳥居といっていた。それが変形して、神社の鳥居となっていくのです。この風習は、現在の雲南省ビルマとの国境地帯に住むアカ族の「パトォー・ピー(精霊の門)」という村の入口の門にも伝わっていますし、上に木彫りらしき鳥が置かれることや、鳥を模した造形物を飾る風習も。日本の神社でよく見られる「鳥居」の原型は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代(百越人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もあります。アカ族の村の門にはの木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡纒向遺跡でも見つかっていて、また他にも多くの遺蹟でも発見されています。鳳凰も鳥居も水田式稲作の技術と共に中国の江蘇省浙江省から日本に渡って来たのでしょう。
 現在の神社の鳥居は、コンクリート製のもありますが、基本は木材で朱塗りと決まっています。この形を作ったのが秦氏と言われ、始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また応神天皇の御代に、加羅にいた弓月君の民を葛城襲津彦の助けで、百済から帰化させた。その民が秦氏で、その当時、日本にやって来た渡来人の3分の1を占めていた。その秦氏は、日本の習慣に従い、日本の神々を祀る神社の建立に着手していった。鳥居を朱に染めるのは、秦氏イスラエルの失われた10支族の一族だという方もおられますが、この朱の原料は鉄鉱石に含まれている顔料で、魔除けのためですね。鉄鉱石が新羅の南東部から搾取できるので、ヤマト朝廷は新羅と戦っていたのです。そして、その鉄の製造技術を持った秦氏や加茂氏の渡来人を優遇したのです。
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