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『中山世鑑』は、ニライカナイやアマミキヨの神話的な琉球開闢説話から、源為朝が琉球へ逃れ、その子が実在しない伝説上の王統の舜天になったという説話まで載っています。この為朝琉球渡来説が発端になって、京都の五山僧侶、臨済宗の月舟寿桂等によって唱えられた日琉同祖論。日琉間の禅宗僧侶の交流を通じて琉球へもたらされ、呉象賢(羽地朝秀)は、『中山世鑑』を編纂する前に日琉同祖論の影響を受けたようです。また、この『中山世鑑』を編纂する前、薩摩藩に留学して、日本の書物をかなり読破したようで、1666年に尚質王の摂政になって、薩摩藩による琉球侵攻以来、疲弊していた国を立て直すのに成功。そして、摂政を退任する1673年に令達及び意見
たつやは、コーヒーを飲みながら羽地朝秀のことを良祐と陽介に説明した。
「羽地朝秀の話は、お爺さんから聞いたことがあります。でも、それ以前の本土と琉球の関係は知りません。」
「琉球神話がどのようにして出来たか。知りたいなぁ。」
「まずは、陽介君の疑問から。江戸時代初期に浄土宗の僧侶、袋中がおられました。その僧侶は、かねてより明に渡って未だ見ぬ仏法を学びたいと望
「へぇ、エイサーにそんな歴史があるのですか。」
「袋中の浄土宗では、西方浄土という考え方があり、浄土宗の信者はこの世の西方、十万億の仏土を隔てたところに極楽浄土があると信じていた。浄土信仰は平安時代末期の浄土教に端を発し、神仏習合の考え方が平安時代頃からあり、古事記に出てくる他界観を表わす『常世の国』が海のはるか彼方の理想郷にあるという考え方と合致して、南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るという捨身行が行われるようになった。補陀
「凄い修行ですね。全く死に行くみたい。それで、その渡海船が沖縄に漂流するわけ。」
「そうですね。沖縄に仏教が伝わったのは、そんな渡海船に乗った僧侶が沖縄に漂着したから。『中山世鑑』の後に編纂された『琉球国由来記』では、鎌倉時代の蒙古襲来の頃に、禅鑑という渡海船に乗った禅宗の僧侶が小那覇港に流れ着き、仏教を沖縄に伝えたとあります。この僧が日本人であるか、その当時の中国、南宋の僧侶であったかは、はっきりと明記されていま
良祐はたつやの長い話を聞いて、早く琉球神話と日本神話の関係を知りたくてやきもきして、落ち着かないそぶりをしていた。
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たつやの古代旅日記
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