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うちの爺さんが95で死んで一年が経った。 爺さんは、最後はすい臓ガンだったんだそうだが、がん細胞も寄る年波に勝てず繁殖も出来なかったみたいで「老衰」が主な死因だったと思う。 亡くなる1週間くらい前までは、ご飯もよく食べたそうで、面倒を見ていた叔母さんや親父に言わせるとご飯を食べなくなって「あぁ、亡くなるかも」と思ったそうだ。 上記の理由でガンによる痛みも少なかったため、爺さんの願いも受け入れられ、爺さんは婆さんと70年住んだ家で呼び寄せられた親戚一同に看取られて死んでいった。 爺さんは死ぬ間際まで目も耳も達者だったようで、うちの当時2歳の娘の「きょとん」とした顔を見て微かながらニコニコと笑っていたのを思い出す。 婆さんの話が出たが、実は婆さんはまだ存命だったりする。今年の正月で94になるんだが元気だ。爺さんと70年一緒に居たそうだ。 結婚75周年でプラチナ婚式と言うのがあるそうだ。爺さん、婆さんたちはわずかに足りないがそれでもすごいと思う。70年で生涯も閉じる人が居る中、70年間同じ人と同じ屋根の下過ごしてきたことはすごいの一言に尽きると思う。 まぁ、本人たちはそんな気も無く、お互い「居て当たり前」「空気みたいなもの」だったんだろうと思う・・・が、違ったようだ。 爺さんが亡くなった時、爺さんの医療面をバックアップしていてくれた村の診療所の先生と看護師が居てくれた(看護士は徹夜で付いてくれていた。足を向けて寝れないな)爺さんは、朝方亡くなったので婆さんは寝ていた。看護師と家族が婆さんを起こし「爺さん、亡くなったよ」と教えたとたん、オイオイ泣き出したそうだ。婆さん、爺さんのこと好きだったんだろうなぁ 婆さんは、男の兄弟が居たそうだが、戦死したので家を継いだのは婆さんだった。70年前は女が家を継ぐなんて無かっただろうから、爺さんは隣村から婿養子として迎えられた。しかし、やはり婆さんが「俺がやらねば誰がやる」みたいな感じで頑張ったそうだ。でも、爺さんを頼りにしてたんだろうなぁ 婆さんは今でも山奥に篭ってる。自分の家だし、自分が継いだ家だし、なんと言っても爺さんと70年過ごした家だ。婆さんも最近は体が弱ってきて、叔母さんや親父の助けがないと生活できない(寝たきりでは無い)ので、うちの親父が「俺の家に来い」と言っても頑として家を出る気は無いみたい。 婆さんも死ぬまで自分の家に居るんだろうな。まぁ、山奥の田舎だから診療所の先生も診に来てくれるしなぁ 爺さんも、婆さんも幸せなんだろうな ※ちなみに「オチ」も「主張」も無いです。読んだ人ゴメンネ
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大変心あたたまる話でした。ありがとうございました。70年も一緒にいれば「いて当たり前」になってしまいそうですが、そんなに仲良く暮らせたということは本当に良く生きれたんでしょうね。
2007/10/25(木) 午後 2:34
おじいさん働き者だったのでしょうね。だから痛みもなく旅立たれたのだと思います。今度はおばあさんが心配ですね。でもご親戚や地域の方が助けてくださるのでしょう。おばあさんお大事に。
2007/10/26(金) 午後 1:44
私が子供の頃、夏休みに親父の兄弟や私の従兄弟なんかが集まって大騒ぎしていた頃を思い出します。今では正月に集まるかなぁ?位ですね。従兄弟たちも成人し、仕事を持ち、家庭を持っているのでなかなか自分の婆さんの家に行くなんていう事も難しいんでしょう。
横山ダムや徳山ダムのおかげで道は良くなり、私が子供の頃に比べると信じられないような時間で婆さんの所にいけますし、仕事で婆さんの家のすぐ近くまで行きますが、なかなか家のほうには足は向かないですね。私の中でも婆さんは居て当たり前。なのかも知れません。
2007/10/26(金) 午後 11:52
>垣さん
仲良くというか一身同体だったんでしょうね。自分の片腕、片足が捥がれた気持ちだったのかも知れませんね
>sumakoさん(で良いのかな?)
爺さんも婆さんも働き者でしたねぇ 爺さんは大工だったんですが、家の隣の作業小屋でなんやら毎日「トンテンカン」とやったあとに晩酌をしながらご飯を食べていたのを思い出します。
婆さんも、山奥のさらに山奥の田圃の面倒を毎日毎日していましたね。婆さんに連れられて、田圃や畑に行ったのを思い出します
婆さんは、大丈夫でしょう。お迎えが来るときは来るものです(笑)
朝起きたら、婆さんポックリ逝っていた。なんて言うのが良いですね。病気で亡くなるのは可愛そうです
2007/10/26(金) 午後 11:52