うたかたの思い

人生最後の坂道を歩んでいます

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台地に広がる古代の役所跡


久米官衙(かんが)遺跡群と古代寺跡がセットになって国史跡に指定されています。
松山市の久米地区にある来住廃寺とその付近に広がる久米官衙(かんが)遺跡で、今後もさらに調査を続ければ
古い時代、地方にあった役所の役割などが、わかることになろうかと注目されているのです。

松山平野で、この地区の南を流れる小野川と、北を流れる堀越川との間にある来住台地には
古代の役所と、関連遺跡と古代寺院跡があります。だが、現在は住宅地域の中にあるので拡大する住宅地、
商業地が、はみだしてこないかと、心配する向きも多いのですが。

久米官衙遺跡の政庁と正倉院


官衙とは、役所のことです。政庁が中心で,当時の税である米を蓄えるための倉庫群が整然と並んだ「正倉院」
などの施設がまとまっています。は7世紀中頃に造られた正倉遺構は8世紀前半に拡張され、外堀りが作られたこと
内部に総柱建物跡などがあることなどもわかりました。
政庁は一番北にあったとされ、近くに倉庫群の正倉院が並んでいたようですし、
さらに回廊状遺構が計画的に造営されていたのは明らかです、この遺構は来住廃寺より先にできた施設で、
一辺約100メートル。南辺中央に八脚門がありました。

来住廃寺は 白鳳期の寺か


来住廃寺跡の約12000平方メートルは、白鳳期(7世紀中頃〜8世紀初頭、約1300年前)での古代地方寺院の成立を
解明する上で重要であるとして、昭和54年4月21日に国史跡に指定されました。

その後の発掘調査で、台地上には7世紀前半から平安時代に至る官衙関連遺跡が広範囲に点在しているることが明らかになり、平成15年に久米官衙遺跡群として追加指定されたのです。

つまり、お寺の発掘調査をするなかで、古代役所と関連施設が見つかったのです。

久米評(ごおり)と刻まれた須恵器も


その上、7世紀前期の建物、中期には「久米評」(くめごおり)に関連する政庁施設が8世紀の建物群も見つかりました。
「評」とは大化の改新(645)ころから大宝律令の施行(701)まで用いられた行政単位で現在でいう市町村にあたります 

だから「律令体制の成立前後から確立期にいたる地方官衙の在り方を示す貴重な遺跡群である」と
評価されているのです。

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英さん、こんばんは!正倉院、何年かにいっぺん展示しますよね^^
見に行ってみたいなー!元気にされているようで、安心です。。

2007/9/20(木) 午後 10:03 wis**ria*077

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おはようございます。元気ですが、このところの熱気には参っています。

2007/9/21(金) 午前 6:42 hsh*2*21

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おはよう御座います。
関連記事がヒットしました。
古代の生活は不思議ですね。ポチ

2016/5/12(木) 午前 7:30 あるく

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