うたかたの思い

人生最後の坂道を歩んでいます

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天台宗 小野山 正観寺

 ?H3>ひなびた村にある 壮大な寺院 (1)
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以前から不思議に思っていたことがあります。

松山市の旧小野村にある天台宗小野山正観寺というお寺の
位置です。

松山の自衛隊駐屯地付近から、北に進むと小野谷を経て
連山の頂上にあるゴルフ場小野CCに着くのですが、

寺は山裾から道後平野へ広がる田園地帯に建っているのです。
なかなかの建築であり、ひなびた村にはふさわしくないと思えます。

道路の終点に近い所に、なぜ立派なお寺があるのかという疑問でした。

?H3>葉佐池古墳を調べていたら

11月の末に、文化審議会が、国指定にするよう文部科学省に
答申したのを機会に、一帯のことを調べていて気づきました。

付近を歩き回って話を聞くと、「視野が狭くなって大事なことを
見逃しがち。広い視野が持てるよう、一歩下がって・・・」。

5万分の一の地図松山北部をじっくり眺めると。
道後平野側からみれば屏風のように立ちふさがっている
山並みの向こうは、山また山ながらその隙間を縫うように
走る旧街道が見えたのです。

近くにある金比羅街道。そこが大往還であると同時に
一山越え、水ケ峠を経て玉川に抜け今治に至る陸と海の街道を
無視してはいけません。

旧小野村史によると
「開基は文武天皇の慶雲三年(706)の夏。行基菩薩が南海道を
行化の際の6月17日、永尾谷の麓に霊奇を見て霊場と覚え、
新羅伝来の壱寸八分の仏像を安置、薬師堂を建立した」とありました。
さらに慶長十三年(1608)戌申の春、加藤嘉明が寺の修復を命じたが、
宝永年間の雷火により焼亡。
天和元年(1681)現在の場所に造立、藩主松平氏の信仰を受けた。とも。

旅にあけくれた行基菩薩は何度もの難路を越えてこの地に着き、
彼方に広がる田畑を眺め霊気を感じ、村の五穀豊穣を祈って
建立したと考えて不思議はありません。


 ?H3>今の寺院は (3)
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広々とした田園地帯にで山門を入ると正面に本堂右に鐘楼があり側には小祠が並びます。

住職の古い墓石が並ぶ一画は歴史を感じる場所です。
大阿闍梨権僧正の銘がある墓石もありました。
阿闍梨という位がどのようなものだったのかよくわかりませんが、
サンスクリットなので僧の指導に当たる職種だったのでは。

天台宗の伝教大師(最澄)千百十年の記念塔もあります。

古来伊予七薬師の一として南予の山田薬師と並び尊崇されてきました。
現在は伊予十二薬師第五番霊場として多くの参詣者があります。

また小野の小町が病になったとき住吉の明神のお告げを受けて
来遊。祈願すること年余にして全快。和歌を献じて
薬師の首中に蔵して去ったという伝説もあります。

山門に、花紋のなかに正と読める刻印がありました。

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立派なお寺ですね。。^−^

2010/12/11(土) 午前 10:45 wis**ria*077 返信する

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小野の小町が病気のためご祈祷した話は聞いた事があります。
確か「ばいげん寺」で前に池があったとか、もっと山の奥にあって今の正観寺になったそうです。
歴史を紐解くと面白いですね。

2010/12/12(日) 午前 7:06 [ coffee_mocha ] 返信する

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正観寺からもう少し奥に梅元寺という寺はあります。池は今、ありませんが北池という古文書はあります。
残念ですが、平成22年7月1日の夕刻、集中豪雨で裏山が崩れてしまいました。寺院は無事でした。

2010/12/12(日) 午後 6:00 hsh*2*21 返信する

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