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(2) バスで出かけると半日仕事なので、休日だったの娘の車に 便乗して出かけました。 東温市の川内から桜三里の古いトンネルを越えると 右手に墓地公園があるのですが、そのまま下り、落出隧道手前で 右折。滑川を右下に見ながら進みます。 昔の小学校跡を越え、山道に入ります。細い道で 対向車が多いので気を付けてください。 7キロ進み県営の発電所横にまで登ると海上(かいしょ)という 集落に着きます。バスはここまで。 駐車場から渓谷比入ると、橋が目につきます。 水が多ければ、橋を渡るようになっているのですが、 どうやら水量は少ないようです。 (4) 石鎚山の側にある青滝山から流れ出る水を 一手に集めているので豊かな水量を期待したのですが。 今年は四国の屋根まで水不足なんですね。 乾いた感じがしました。 駐車場から600メートルで置くの滝に着くのですが、普段は10メートルも ある大滝の水が少ないのならばと簑渕、熊の爪の看板から 引き返しました。 ネムの木が橋の上に伸びて、花を付けていました。 こんな看板もありました。森林浴88カ所の内、ここは
55番に指定されていました。 昔は水音と涼を楽しむ渓谷でした。森林浴を楽しむ所に 指定されることになったのは、 自然と健康への関心が一際高くなったからでしょうか。 |
水辺に憩う
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(2) 川内町の旧金比羅街道を進むと吹上池という大池に出会います。 水を使った川内公園として親しまれているのです。 水を求める農民の苦労が忍ばれる大池です。 寛文10年7(1670)のころに規模は小さいもののため池築造の願いがあり 出来たものだろうということです。 後になって北野田村、南野田村、牛渕村、旧高井村の4ケ村と共同で利用する計画がまとまり、 万延元年(1860)に規模を大きくして、配水を始めたという記録があります。なにぶんにも、 水路が長いので漏水が多く、手直しを何度も強いられたようです。 直線距離で7キロはあるでしょう、現代の水路工事でも大変なのに当時の技術では 漏水は避けきれないことだったでしょう。 結局、近くの水田を生かし、遠方は切り捨てることになり 明治に入り、地元の南方村に譲られたという記録されています。 (5) 堤の高さが12メートル、堤の長さ326メートルの大池です。 ゴルフ場横、金光教教会の下から坂道を登ります。 アジサイの株立ちも水不足でしょうか元気がありません。 駐車場に出ました。朱塗りの欄干で彩った橋を渡り 1週出来るようになっています。 歩いてみると通路は先が見えません。 途中、ベンチが置いてあるので、人々の動きは多いのだと感じました。 はるか向こうに堤防が横一文字に見えます。 松の枝越しに眺めると堤防は横一文字に見えます。 座っていると西よりの風が、ほほに触れ、涼を感じます。 単行本の1冊は読めそうです。 公園をさらに整備するためには莫大な経費がかかりそうです。 池の奥に数件の民家があります。ここまで来るには苦労しました。 取水口がこのあたりにあるのでしょう登り下りの階段が続くのです。 右の山には老人施設が見えてきました。 松の緑と山の土、湖水の青さに慣れた目に飛び込んで来たのは 赤と白のカンナの花でした。 水辺は涼しいので、楽だと思っていたのですが、現場に行くまでが 苦労、苦労の連続でした。 滑川渓谷や楽しい水場をもっと紹介したかったのですが 車が無い者にとって遠出は禁物です。少々くたびれました。 どうすべえか考えて、少し早い夏休みをとることにしました。 足を確保してから出直し、ご案内します。
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(2) 二つの名前がありますが同じ泉です。 近くに住む人、泉の恩恵を受ける人で違う呼び方をする例は 少なくないそうです。 伊予鉄道の牛渕団地前駅から2キロと少々。松山自動車道をくぐったところに あります。徒歩なら30分かかりましょうか。 時々、出かけます。用事もないのですが、考え事をするのに最適の 場所だと思います。 4月からの降水不足で、この泉も底をつきました。 ブログを探して見つけたのが、6月11日に写した寂しい写真でした。 水飢饉も本物と頭を抱えていたところ、6月22日夜、 恵みの雨が降りまして、地下水位が上昇、時間断水も解除となったのです。 この泉もちろん、今は、淡々と水をたたえています。 (3) 高速道路の側ですが静かなこと、水が青みを帯びた清水であることの 2点につきようかと思います。 看板にもありますが、昆虫、水生動物の仲間がいることも大切なことです。 一度干上がったので、場所を移動したのか、周囲にはいませんでしたが、 程なく戻ってくるでしょう。 鳥類は、カワセミ、ホオジロ。チョウはアカタテハ、ゴマダラチョウ。 トンボはアキアカネなどなどです。 (4) 開発した年はは不明です。ただし重信川の洪水により、 文化13年(1816)と 大正元年(1912)の二度埋没した記録はあります。 再掘、改修されていますので、開発は1816年以前。南野田土地改良区によって若宮の新田10ヘクタールの灌漑用水として作られたといえます。 (5) 2004年3月、改修工事も終わりました。うっとうしかった雑木林も間伐され 北側土手にはクヌギの苗が植えられています。水路も整備されました。 公園から水路へ降りる階段も設置されました。 改修後、泉の南側の土手には龍沢泉の案内看板が立てられています。
=== 考える場所に最適 ===
3年前にゴミが取り除かれ、雑木の間伐が行われて日当たりが良くなりました。周囲にロープが張られて「ゴミ捨て厳禁」の看板が立てられて以来、こまめに除草されているのか、ゴミの投棄もなくなりました。 週に1回は、自転車で出かけ、2、30分の時を過ごしています。 |
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(2) 松山市から久万に抜ける33号。重信大橋を渡ると、すぐ右手、重信川に 沿ってこの公園があります。 詳しく説明します。重信大橋を渡ると、拾町交差点で右折。 新道を伊予市方面に進みます。右手に明朗社のビルが見えたら 注意して進みましょう。右の電柱に案内板があります。 入れば駐車場です。 正しくは伊予郡砥部町重光重信川の堤防沿いにある赤坂泉といいます。 重信川の伏流水をサイホン方式で取り込んだ湧き水が500メートル近いプール状の 水路に蓄えられています。必要な時に伊予郡松前町や伊予市の水田に導かれ、 灌漑用水として利用されています。親水施設整備の桜並木整備を同時に行った 公園整備です。 堤防にはソメイヨシノと少し色が濃いい陽光を160本植えています。 桜づつみと呼ばれるゆえんです。 子供たちは水につかり、親たちは堤防のサクラの下で涼をとりながら 食事を楽しむ。このパターンが多いですね。 (5) 泉の水はきれいです。水遊びの親子連れで賑わいます。 重信川を巡るサイクリング専用道路の説明板もあります。 説明によると出会い大橋から、東温市の横河原大橋まで 25キロに渡る専用道路が作られているのです。、使ってみては。 悠久の流れ、時の過ぎゆくままに、耳を傾けることが出来るのは
贅沢です。セカセカしないで目をつぶってみましょう。 あほらしいことの多い現世の出来事への怒りも忘れてしまうから不思議です。 |
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地下水が異常に少なくなった昨今。道後平野一帯にピンチであることに 違いはありません。夏一杯、一喜一憂が続くでしょう。 だが、東温市の山沿いに、満水状態のダムがあります。 暑くなれば水辺に集うのが人情だとすれば。泉あり、ダムありの 東温市民は出かけるべきだと思ったのです。 近場で憩える水場を紹介します。 東温市の拝志小学校から皿ケ峰山系へ少し登ると重力式コンクリートダムの 堰堤が見えてきます。 道後平野の東部の灌漑用水を引き受けるダムです。平成13年に完成しました。 堤の高さ31メートル、堤長210メートル、有効貯水量は100万立方メートルですから 灌漑専用の小さなダム。というより用水池同じくらいの規模なのです。 150年前からこの地にあった佐古谷池に手を加えて、近代化したと説明する方が 正解でしょう。つい先日まで続いたピンチになっても、飲み水としては使え ないのですが、 夏場に水の近くで時を過ごすことのありがたさを痛感しました。 イライラが吹っ飛んだのです。 加戸知事の揮毫で石碑が完成しています。 このダムばかりでなく。道後平野にある池から水が流れる水路には 田畑の用水確保が実現した喜びから、著名人の筆で石碑が建立されています。 あちこちで見かけるのは、水に苦しんだ農民がそれだけ多く、 土地にしがみつき守り抜いた人々が多かったという記録なのです。 中国四国農政局が管理していますが、周辺の環境整備を考え、 地元が中心になってダムの周囲に桜の苗木を植樹しました。 平成19年3月のことです。 サクラノ苗木はまだ成長していませんが、数年もすると 花を付けて。人々が大勢訪れる親水公園になることでしょう。 また、東温市ボート愛好者待望の静水面ボート練習コースも完成しました。 (5) ダムの堤高さ31メートル、松山城の天守閣は15メートル。図にするとこんな
になります。 |

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