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いたたた・・タイ
2016・12/16−100万アクセス突破”皆さま感謝★★★★★★★★★☆

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■いやあ前回の「ブードゥー教とゾンビの国✚ベナン」豪華2本立て劇場は想定外の不入りであった。

更新記事アクセス数を見ると通常2日目には100を超えるのだが、今回は最高60と激減、100を切ったのはいつだっけと調べてみると828日の「京都盆地の『巨椋池』の消滅」以来だが、あの時は84だから60とはおそらく今年の最低記録ではなかろうか。

てな訳でいささかやる気を削がれ、一日サボった3日目は総アクセス数も300を割り込むなどと・自業自得。



こんな日はいつものアササン・・最初の写真は本日の朝焼けだが・イマイチパッとしませんな。

イメージ 2■ンで本日はパッとしない地味な話題を・・

これは先日一週間くらい前だったか、ピン川用水路のドブさらいがあったが、

 浚ったヘドロ状のドブを道路わきの空き地に捨てたため・・アササン時もプ〜ンと臭ってクサイクサイ・・市役所の工事だが・ろくでなしの役人共奴と憤慨したが・・

翌日すぐさま囲いが出来て「ここにゴミを捨ててはいけません」の手書きポスター(上写真)が貼られた。

日本でもそうだが「ごみ捨て禁止」の看板出現とともに格好の新設ゴミ捨て場に変身するもので!!

ましてここは公衆道徳ゼロのポイ捨て王国怠惰(タイだ)!・・♪ああ~やんなっちゃうなアああ~驚いた‥と、
・・・故牧伸二を思い出してしまった。




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■ところがあれから一週間否十日経ち‥雨でゴミ捨て禁止のポスターも剥がれ落ちて消滅したが、ご覧のようにゴミ捨て場にはならず、ドブ捨て跡地には青草が繁茂して元に戻っているではありませんか!!!

理由は簡単新しい看板!!!坊さんの顔と地元のお寺ワットサンパリアンの名前である。

・おそらく檀家の地主がお寺に頼んで名前を拝借したのだと思われるが、なんせタイは仏様イコール神様の国ゆえ効果はテキ面、みんな地獄堕ちを怖がって「ゴミなんかゼッテー捨てるもんか!!」と心に誓うタイ人たちでありましたw。


                 ✚


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■ドブさらいでもう一つ心配だったのはピン川用水を跨ぐように繁茂しているマ―ンバリ(ツタのカーテン)で、

ドブさらいで根こそぎ伐採されたら・私のお気に入り景観は台無しになってしまうと恐れたのである。





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■しかし、河岸の大木に寄生したマーンバリは少々の伐採なんぞ屁の河童のようで、ドブざらい後は逆に長い気根がアップして景観美を一層高めた様子である。

なお、マーンバリのある川沿いの家は以前紹介した飲み屋「一休さんである。






























ちゃんちゃん

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■前回「最貧国ハイチと泥のクッキー」で上記のような8年前に更新した「ハイチ5連作」を列挙、クリックすれば閲覧可として紹介した。・・ンで、読者がクリックしたのは最初の❶「フランス一豊かな植民地」が多く,❷以下の記事クリックは少なかった。

しかし、この中で一番面白いのは❹の「ブードゥー教とゾンビの国」でまさに“好奇地理博物誌”にピッタリの記事であるが、ぜひ皆様に再読して頂こうと「ブードゥーとゾンビの国ハイチ✚ベナン」として再興したのでどうぞ宜しく。

なお、「✚ベナン」とあるのは,本日「ハイチの故国ベナン訪問記」の豪華2本立てとしたためである。

これは「ハイチ5連作」を書いた2010年8月、ハイチの若者3人が故国であるアフリカのベナンを訪問したテレビを観て書いた記事で、大坂なおみのお父さんの故国ベナンも知っといたがイイかなと思ってプラスしたお節介記事である。


「ブードゥーとゾンビの国ハイチ」

ハイチの宗教人口構成(2000年)を見るとキリスト教徒が93と圧倒的多数を占め、うちカトリックが71%、プロテスタント17%その他5%の順であり、数字から見るとハイチはカトリック系キリスト教国ということが出来る。
 
しかし、ハイチのカトリック教は西アフリカ土着の精霊信仰であるブードゥ教と一体化し、その実態はキリスト教を隠れ蓑にした精霊信仰であり、本来のカトリック信仰とは大きく異なっている。
 
イメージ 4■ブードゥ(VooDooの呼称は英語名で、現地では精霊を意味するボドゥン(Vodunと呼ばれ、

ハイチ黒人の故郷である西アフリカの旧ダオメー王国(現ベナン)の中心民族フォン族の土着伝承・精霊信仰がルーツとなっている。左はブードゥ教の旗である。
 
すなわち1718世紀のフランス植民地時代フォン族を中心とするアフリカ黒人奴隷が大量にハイチに強制移住され今日のハイチ人が形成されたが、同時に精霊信仰すなわちブードゥ教も大西洋を渡ってやってきたのである。
 
しかし、カトリック教国である宗主国フランスはブードゥ教は「奴隷の邪教」として徹底弾圧し、黒人全員をカトリックに改宗することを強制したのである。
 
そのためブードゥ教は弾圧を逃れるためにキリスト教との習合を図り、聖母マリアなどの聖人信仰をブードゥ教に取り入れた土着キリスト教として変容して今日まで存続してきたのである。
 
 
イメージ 6■すなわちブードゥ教の愛の精霊エジリはキリスト教の聖母マリアと同一で、
 
村人が樹上で輝くマリアを発見したというソ・ドゥ−滝ポルトープランス北東100km)では毎年7月盛大な聖母エジリ巡礼祭(写真)が開催され、母国ベナン・トーゴなど世界各地から大勢の巡礼客が集まる。


しかし、ブードゥ信仰の本質はアフリカ時代とほとんど同じで、特別な教義や聖典はなく、教団も皆無で布教活動もしないため宗教と言うよりも部族伝承といったほうが現実的である。

 
 
ちなみにブードゥ教の儀式は太鼓を使ったダンスや歌謡、動物の生贄(いけにえ)、神が乗り移る「神懸かり」などが知られるが、もっとも有名なのはブードゥの司祭ボコにより行われる「生ける屍ゾンビ」を作る呪術(黒魔術)であろう。 
 
ボコは死体が腐り始める前に墓から掘り出して幾度も死体の名前を呼び続けると、やがて死体が墓から起き上がったところを両手を縛り、魂は壷の中に封じ込めたあとゾンビを作る作業に入る。 
 
ゾンビを作るにはゾンビ・パウダーというフグの毒成分であるテトロドトキシンが使用され、この毒素を傷口より浸透させる事により仮死状態が作り出される。
 
仮死状態になると酸欠により脳にダメージが残って自発的意思のない人間つまりゾンビが作りだされ、以後ゾンビは未来永劫、奴隷として働き続ける。
 
死人の家族は死人をゾンビにさせまいと、埋葬後36時間見張っていることもあれば、死体に毒薬を施したり、死体を切り裂いてしまうこともある。
 
死体に刃物を握らせ、死体が起き出したらボコを一刺しできるようにする場合もあるという。 
 
          ×    ×    × 
 
以上がゾンビを作る話だが、まさに大昔のフランス人ならずとも「奴隷の邪教」といいたくなるような信憑性に乏しい奇怪な話で、以来ブードゥ教はハイチ独立後も一貫して非合法化されてきた。

 
イメージ 7そのブードゥ教が公認されたのは、1957年に黒人文化を擁護して長期独裁政権を築いたデュバリエ大統領(左写真)で

自らをブードゥ教の神の化身「墓場の主人」と自称、ブードゥ呪術の秘密警察トントン・マクートを使って恐怖支配を行ったことで知られ、それを継承した息子べべドクとともに30年間にわたる 長期独裁政権を維持してきた。
 
ちなみにトントン・マクートとはブードゥ伝承上の「子供の誘拐魔」で、Xマスには良い子の家にはトントン・ノエル=Xマス小父さん(サンタクロース)が来るが、悪い子の家にはトントン・マクート(麻袋小父さん)が来て、子供やお父さんを麻袋に入れてさらっていくとされたのである。
 
一方、独立後のハイチを占領したアメリカは、ゾンビ伝説を元にしたブードゥ教のイメージダウンを行ってきたが、ハイチのゾンビ像を決定づけたのは1978年のJ・A・ロメロのホラー映画「ゾンビ」で、以来死者が蘇って腐ったままで歩き回り生者を襲って食らうというゾンビパターンが世界中に定着したのである。
 
 
蘇ったゾンビがダンスチームを作って踊りだす企画CDが大ヒット、15000万枚を売り上げるギネスのアルバム売り上げ世界記録として認定されている。 
 
左写真はゾンビに変身したマイケル・ジャクソン(右-当時25歳)であるが・・・、

やはりマイケルは白人に変貌する前の「ゾンビ時代」だった頃が一番カッコイカッタよね〜
 
最後に最高傑作だったPV「スリラー」(←clickをどうぞご覧ください。



ちゃんちゃん




●「ハイチの故国ベナン訪問記」


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■これは2010年8月放送のNHKテレビ<世界遺産への招待状 ベナン声なき人々の帰還〜アボメー王宮〜」を観たオッサンの感想記事である。
 
最初にベナンだが場所は上図のように、アフリカ大陸の中西部大西洋のギニア湾に面する国で、面積は日本の3分の1弱、人口は1000万人ほどと兄弟国ハイチとほぼ同じの小国である。

サッカーが強いわけでなく珍しい動物も特産物も無い日本人の大半が知らないアフリカの黒人国家であるが、今話題の大坂なおみちゃんのお父さんつまりハイチ人のルーツ、アフリカの故郷ということで取り上げてみた。


イメージ 6サハラ砂漠以南のこの地は年中高温多湿の不快な熱帯湿潤気候が卓越しているが、

特に問題なのは人には睡眠病かつ家畜を致死させるという吸血性のツェツェバエ(右写真)の棲息地として知られてきた。


高温多湿の気候に加えて家畜を飼えないとあらば、肉食のヨーロッパ人の居住には適せず、19世紀に殺虫剤が開発されるまでは「白人の墓場」とされてきたのである。

したがってヨーロッパからは近いにもかかわらず、サハラ以南の熱帯アフリカがアジアや中南米に比べて植民地化が大きく遅れた所以はこの「ツェツェバエの存在」があったのである。


だが、白人が住めない熱帯アフリカでヨーロッパ人が着目したのは熱帯労働に適する黒人労働力で、1618世紀には白人の住める新大陸アメリカ開発の移民労働力として2000万人を超すアフリカ黒人奴隷が最大の輸出商品として送られてきたのである。

その中心が大西洋を挟んでアメリカ大陸の対岸に位置するギニア湾岸一帯で、中でも上図のナイジェリアからベナン・トーゴ・ガーナに至る海岸線は悪名高い「奴隷海岸」と呼ばれる黒人奴隷最大の供給地となってきたのである。


+


イメージ 3そんな中番組はかつて100万人以上の人々が奴隷船に積み込まれた「奴隷海岸」の都市ウィダの岸辺に立つ「帰らずの門」(写真)を訪ねてきたハイチからの留学生3人の登場で始まる。

 

カリブ海の島国ハイチ20081月未曾有の大地震に見舞われたあの国だが、5回にわたって特集記事で書いたようにかつてはカリブ海最大かつ最も富裕なフランス植民地で、そのハイチ人の出身地がベナンであった
 
したがって彼らはみんなかつての黒人奴隷の子孫であるが、彼らの目に映った故郷ベナンは暗黒の奴隷時代を髣髴させる光景ばかりであった


奴隷積出港ウィダの奴隷商人館はかつてスーサと呼ぶフランス人が経営していたようだが、商人館は現在でも町一番の豪邸として営業、その子孫たちも健在でなんと3人を案内してくれたガイド嬢もスーサ一族の末裔だったのである。
 

イメージ 2

■奴隷時代のベナンの地はウィダから100キロ内陸のアボメーを首都とするダオメー王国が隆盛、現存するアボメー王宮(写真)が世界遺産に指定されている。
 
 ダオメー王国は海岸に来たフランス人から鉄砲・火薬を購入して近隣諸国を征服、その過程で得た敵国の捕虜や敵対する同族捕虜をフランス人に奴隷として売却し繁栄して来た「奴隷王国」だったのである。

で世界遺産アボメー王宮であるが、ご覧のように泥と日干し煉瓦の稚拙な建物で特に見るべきものは無く、奴隷の血を塗りこんだ壁や斬首した頭のレリーフ(浮彫)など説明が無いと只の塗り壁と壁飾りに過ぎない代物であった。




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 ■しかし、100万人の奴隷をハイチに送り込んだ奴隷王の子孫が現存(写真)、大勢の夫人を従えて登場したのには吃驚、ハイチ人留学生も複雑な気持ちで当初は王との接見を拒んでいた。  

王の謝罪の言葉で過去は水に流す結果となったが、奴隷商人も奴隷王も現存し今なお庶民とは異なる豪勢な暮らしをしている姿を目の当りにして、郷里ベナンにも及ばない世界最貧国ハイチの彼らにとって衝撃は大きかっただろう。



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 ■だが最後にギニア湾岸のラグーン(潟湖)ノコウェ湖の水上集落ガンビエを訪ねた3人を待っていたのは、夢に見たアフリカの魂であった。

ここは逃亡奴隷が逃げ込んで作ったといわれるが、村人はブードゥー教の原型をなす民族舞踏ボドゥンを踊って大歓迎、
 
漸くアフリカのルーツに辿り着いた3人はここで初めて心を開き、魂を揺らすボドゥン音楽と舞踏に一体化したように見えた。


ちなみにボドゥン(ブードゥー教)が国教となったのは、ハイチでは1957年であるが、ベナンは1992年である。































ちゃんちゃん



















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■先日デジカメの調子が悪く、電源を入れる度に「電源を入れなおしてください」のエラー表示が出るとして「昨今の日本製品の劣化は目に余るものがある」と糾弾したところ、読者somtamさんより貴重なアドバイスを頂いた。

★「そのエラー表示は8割くらいの確率で原因はズーム・レンズの微細なゴミだと思います。
なるべく細かい歯ブラシか、タイの例の先の尖りに尖ったツマ楊枝を用意して、電源を入れます。続いてカメラを下向きにして(取れたホコリがまた内部に入らぬように)、伸ばしたレンズの間や、筐体との隙間を丁寧に掃除して細かいホコリを搔き出してみてください。
。もし電気掃除機があれば、吸引の先端部をボール紙などで覆って細口にして吸ってみるのも良いと思います。ズームや電源のオン・オフを繰り返しながら、この掃除を最低数回は繰り返してみてください。
必ず・・・・とは言いませんが、やってみる価値はありますよ!」

こりゃあいいことを聞いたわいと早速指示通りにズームや電源のオン・オフを繰り返してみるとアラアラ不思議23日のうちにほぼ元通り!・somtamさんコップンカー――ップ!!!であった。

そんな折昨夜10チャンを見ると「世界が称賛する日本製品」をやっていたが、何と私が「日本製品の劣化は目に余る」と例に挙げたデジカメがスーパートイレを抜いて第2位(1位は車)にランクしていたのに吃驚仰天!!!・恐れ入りました。

             +

てな訳で巻頭の朝焼けは早速直ったカメラで撮ったモノ、心なしかいつもよりはっきり撮れてるような気がしますナア。





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■朝焼けばかりじゃナンなので久しぶり田んぼの中へ入ってみました。

稲刈りが終わって二期作目の田植えも済んで一月ほどの田んぼですが、あちこちに水溜まりや空き地があって・・整然とした日本の田んぼとはドエライ違いですなあ。




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■そうそう風景写真は簡単だが・・問題はちょろちょろと動く
動物写真・・カニを発見しました。




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■逃げんじゃねえ!コンニャロメ!!とオッサンゲット!!!

ケッコーデカいでしょう。






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■おおそうじゃ・・鶏に上げようかと鶏たちの群れに放り込んだが・・カニさんひっくり返ってアワワワワ!!!

それを見た鶏さん好奇心ゼロ!・無視だった・・「脳ミソ小さいからなア・猫と違って遊ぶ余裕なんて無いんだろうナ」・・と。







イメージ 6

■帰宅してふと壁を見ると・・・

ジャングルアパートの主トッケイちゃんのお目目と遭遇!!!

       ン?!少し大きくなったような?!




                 +




イメージ 7■最後はつい先ほど撮ったYさんのスナップ写真。

昨日Yさん再びCLプールに来訪・・?

何事かと聞けばセルビアの英雄ジョコビッチがラコステの大看板に出てるのを発見したので、私と一緒の写真を撮ってくださいとのこと。


実は本日より4日間CLプールは休みゆえお望みなら本日と・・なったのであるが・・

そういえば日本では・・

引退した安室奈美恵のビッグポスターをバックにツーショット写真撮る女性が多いとテレビに出ていたが、「ジョコビッチとお爺さん」のツーショット・・マ似たようなもんかナw





イメージ 8


       ■オマケにアップを一枚サービス・・

     いずれも先ほどEメールでYさんに送りました。
        






























             ちゃんちゃん

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イメージ 1本日プールにYさんが来訪、ご飯食べに来ましたとのことだが、SPプールの一人泳ぎは退屈らしく・話し相手に飢えてた様子であった。

早速テニスの話、全米オープンで勝った自国のジョコビッチそして大坂なおみ・・「大坂、新聞―日本のことばかりでお父さんハイチ人でしょ!ハイチのこと何も出ていません」とYさん.

「お母さん日本人です・それにハイチはビンボーですから子供は日本を選択するのが当然、Yさんが日本人と結婚したら娘はセルビアじゃなく日本国籍を選ぶのと同じです」に反論無し。

てな訳で日本はいま「大阪ナオミ」フィーバーであるが、濃い肌色からお父さんがハイチ人と知った人は多いようで、ハイチってどんな国なの?との関心も多少あるようで、その恩恵かおこぼれか?私が8年前に書いた好奇地理博物誌「ハイチ5連作」へのアクセスも漸増している。

もう忘れた人もいるだろうが、20101月死者2030万人とされる人類史上未曽有のハイチ大地震を機に書いた記事であるが、
20165月には以下の再考記事を更新している。


上記5連作はいずれも表題をクリックすれば閲覧可であるが、うち最もアクセス数の多かった❸独立後の大借金と「泥のクッキー」は、今回は“世界最貧国ハイチと「泥のクッキー」”と改称して再掲することにした。



■世界最貧国ハイチと「泥のクッキー」

イメージ 2フランス・ナポレオン軍との長期にわたる独立革命戦争(1791〜1804年)を経て独立したハイチは、輝かしい世界最初の黒人独立国となったのである。

しかし、戦争で人口は55万から30万人(45%減)と激減した労働力不足とフランス人経営者の帰国もあって、経済の支柱であったプランテーション農業は壊滅状態に陥ったのである、

加えて黒人国家ハイチ独立を承認する国は皆無で、コーヒー・砂糖・カカオなどの特産物輸出市場を喪失する窮地に直面した。
 
ちなみに今日コーヒーといえばブラジル、砂糖といえばキューバ、カカオといえばガーナの名前が直ぐに思い浮かぶが、いずれもサンドマング(現ハイチ)のプランテーション衰退後代って登場した新しい特産地なのである。
 
そのためハイチは旧宗主国のフランスに独立承認を要請したが、フランスはその代償としてフランス人から接収した農園や奴隷などに対する賠償金として15000万フラン(約6000万ドル)を請求したのである。
 

 
イメージ 3

■この金額がいかに ベラボーかというと、ほぼ同時期の1803年にフランスは北米のミシシッピ川以西からロッキー山脈に至る広大な平原地帯ルイジアナ植民地(面積約210万km2=日本の約6=上図)をアメリカに売却したが、その金額はハイチ賠償金の4分の11500万ドルだったのである。
 
ちなみにルイジアナとは当時のフランス国王ルイ14世の土地の意で、現在は世界最大の小麦・肉牛生産地帯および石油資源シェールガス埋蔵地帯としてアメリカのドル箱となっているが、当時は西部劇に出てくるような広大な荒れた大草原と湿地帯ばかりで、先住民インディアンとの土地争奪戦を繰り返していた。
 
したがって仏領ルイジアナはフランスにとっては収益性の低い赤字植民地として持て余していたが、独立したばかりのアメリカにとっては不可欠のフロンティア(未開地)であり、破格の安値で国土を一挙に倍増させた当時のジェファーソン大統領は「アメリカ史上最大のお買い得品」を買った人物として讃えられている。
 
なお、アメリカにルイジアナを売ったのはかのナポレオン1世皇帝で、ルイジアナの将来性の大きさを見通す眼力が無かったと言うより、彼にとってはハイチの目先の砂糖やコーヒー・カカオの方がはるかに魅力的だったというとこなんだろうナ’。
 
           ×   ×   ×
 
しかし、1825年ハイチは独立承認と引き換えに払えるわけも無い莫大な賠償金支払いを呑み、初年度から支払いのため国の将来を担保にフランスの銀行からの借入を余儀なくされた。
 
以来ハイチの莫大な賠償金と利払いによる「大借金生活」は100年以上にわたって経済を圧迫かつて「フランスの楽園」と呼ばれた富裕な植民地サンドマングは独立と引き換えに世界最貧国へと転落したのである。
 
 
そのため政情も不安定で相次ぐ政権交代や軍事クーデター頻発するなど無政府状態もたびたびであったが、第一次大戦中の1916ドイツの干渉を理由に突如アメリカ海兵隊が侵攻、以来ハイチは
1934年までアメリカ軍の施政下に置かれた。
 
アメリカは合衆国モデルの憲法制定や産業・権力の首都集中を推進したが、地方の衰退をもたらしたほかは成果なく、世界恐慌に見舞われる中でハイチからの撤兵を余儀なくされたのである。
 
イメージ 4■こうした中で第二次大戦後の1957年黒人優遇策を唱えるデュバリエ独裁政権が発足、71年には息子が継承、父子230年間に及ぶ長期独裁政権が続いた。
切手写真は息子ベベ・ドク、父親はパパ・ドクと呼ばれた。
 
デュバリエはキリスト教から外人司祭を追放して黒人の信仰するブードゥ教を優遇、秘密警察トントンマクートを使って恐怖政治を演出するなど反対派への徹底弾圧を行ったが、1978年以降反政府暴動激化の中で米・仏に説得され、86年フランスに亡命した。
 
ハイチはアメリカ占領下で対仏賠償金を完済、それに続くデュバリエ時代を通じてアメリカ経済の支配下に置かれ、首都を中心として輸出向け軽工業も発展してきた。
 
しかしプランテーション解体後の主産業となった米・トウモロコシ・イモ類を中心とする自給農業は、安いアメリカ産穀物輸入に押されて衰退の一途をたどってきた
 
その結果、人口の3分の2が農業に従事しながら食料の過半を輸入に依存する極貧国に転落、国民の80%が12ドル(180円)以下で暮らす現状に置かれている。
 
 
 
イメージ 5
 
■上写真は首都ポルトープランスのスラム街シテソレイユで、小麦などに塩分を含んだ泥を混ぜた「泥のクッキー」を売っている女性。
 
泥の割合は3〜4割程度というが、ヘドロの異臭が鼻をつき、無機質な泥の味がするという。
 
元々は妊婦らが迷信的に食べるブードゥーの伝統食だったが、トウモロコシやキャッサバなどのイモ類さえ高根の花になってしまった貧困層が飢えをしのぐ非常食になっている。
 
ところがこの1枚が約7円の泥クッキーですら、過去3カ月で値段が2倍超に跳ね上がったという。
 
1日の食費はこの半年で倍増し、1万5000円前後の月収はほぼ消える。コメを食べられるのは週1回だという。
 
 
☆ソース→blog.new-agriculture.net/blog/2008/09/000654.html-大震災前の2008年の記事である。




【追記】なお、大坂選手のお父さんのレオナルド・マキシム・フランソワは首都ポルトープランスから南東170kmのカリブ海の港町ジャクメルの出身です。彼がハイチをいつ出て渡米したかは不明ですが、おそらく中卒か高卒後故国ハイチでは職が無く、アメリカの親族(知人?)を頼って出稼ぎに出てそのまま移住したものと思われます。





























ちゃんちゃん

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■日本最高齢ブロガー紫蘭さん(94歳)のブログについては以前「人肉響食とカーニバル」「酒は飲むべし百薬の長・・」2回にわたって引用記事を書いたことがあるが、今回の「朝顔とどぜう鍋云々・・」は3回目になる。



イメージ 1

つまり紫蘭さんの近作「秋の七草②」の中で,桔梗を万葉集では「朝貌(あさがほ)の花」と呼んで秋の七草の一つに数えられていたとの記事を見たのであるが・・。

ふーん昔は桔梗を「朝顔」と言ったのかと思いつつ・・待てよ!!!・と以前書いた「雨紫色のタイの朝顔トォーイチン」を思い出した。

それが上の写真であるが、「タイの朝顔」として紹介したトォーイチンはよく見ると色も形も小ぶりの花で、大ぶりの朝顔より桔梗の方がずっとよく似ているではないかと思ったのである。

雨季に咲く草花ゆえ雨紫色としたが、「雨紫色のタイ桔梗トォーイチン」と改称した方がイイかなと思ったが・・、

これだけで終わっちゃあちょっと短過ぎるナ・・。

                 ✚

イメージ 2■ン桔梗といえば、昔両国の ドジョウ鍋「桔梗屋」によく行ったがとググってみると即ヒットした。

「両国どぜう」の看板があって小さな店だったが、ネットには店の画像もずい分沢山あって今は結構有名店なんだナと思った。



イメージ 3

■これが桔梗屋の店内だが、ドジョウ鍋用の座卓が4つしかない狭い店ですぐに満杯となるが、開店時の5時ころ行けばOKだった。メニューは丸ごとの丸鍋と開いた抜き鍋があったが、私らはいつも丸鍋を註文した。

丸鍋は生きたドジョウを酒に入れて蓋をする地獄蒸しの後、薄い小さな鉄鍋にのびたドジョウを並べ割下を入れて炭火で煮るが、その際ネギと牛蒡のざく切りを大量に入れ、それがドジョウの生臭さを消し美味さを引き出すコツのようであった。

なんて・・書いてるとなんだかヨダレが出てきそうであるが、もう
10年以上か・食べてないなア。

ところで私は現役時代本業とは別に相応の原稿収入があり、ドジョウの外シャモ・猪・雉・鴨・桜(馬肉)などの料理屋にも通ったことがあるが、年金難民の今じゃあお金も胃袋ももうコケッコー!・すべて昔話になりましたナ。
 
                 +


●ところで先ほどプールで見た昨日のバンコクポストだが、下記のような面白い記事があったので紹介しましょう。


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■スポーツ欄の大見出しにOsaka’s manners Charm Japanese「大阪はマナーも日本人を魅了!!!」 とあって、全米オープンの優勝トロフィを抱いた笑顔の大坂なおみ選手を紹介していたが、その左下には変な漫画が!!!



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■そのアップがコレ!!!なんと決勝で対戦したセリーナ・ウィリアムスらしき怒り狂ったオバハンがラケットをコートに叩きつけて破壊!大口開けて飛び上がって抗議する醜悪な場面が描かれ・・

右側には審判が対戦相手の大坂なおみらしき女性にcan you just   let her win?と言っている。

つまり激高するセリーナに手を焼いた審判が「なんとか彼女に勝たせてやってくれない?」とお願いしているのである。

この漫画はオーストラリアのヘラルドサン紙に掲載されたもので、現在セリーナに対する人種差別漫画だとの批判があるが、

バンコクポストが「大阪はマナーも日本人を魅了」と持ち上げた記事に続いて、マナー違反の醜悪なセリーナ漫画を併載して対比させたのは意図的な悪意が感じられてならない。


























ちゃんちゃん

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