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いたたた・・タイ
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●本日は♪シトシトピッチャンシトピッチャンの終日雨・・アササンは菅笠歩行で可であったが、プールは現地まで出かけて無理と引き返すことを余儀なくされた。

昼飯はいつものラーメン屋休業で合羽を着て豚飯屋に行ったが、ずっと雨続き・・特にやることも無いので例によって昔のブログ再考・・ここんとこアクセスも停滞、たまには連続更新でもして見っかと思い立った。

元ネタは10年前20085月の「世界最古の天地創造紀元」、前日の「国が違えば暦も変わる」と合わせて「世界最古の紀元暦」と改題して再考してみるかとなったのである。


 
先日「国が違えば暦も変わる」でタイは仏暦で今年は2561年だが、日本は天皇暦だと皇紀2678年で117年も古いが、檀君暦を採用している北朝鮮はナナント檀紀4351年と日本より1673年も古いと紹介した。

その折パリ在住の読者より<ユダヤの暦になると創世記から始まるので既に5700年を超えているし....友だちがユダヤ人から結婚の招待状を頂いたときも「ユダヤ暦57..年」と書いてあったそうです>とのコメントを頂いたが、世界最古の歴史を持つ紀元暦はどこなんだろうと調べてみた。

 
イメージ 3

■ 先ず件のユダヤ暦であるが、旧約聖書の「創世記」にある天地創造年を逆算して計算した紀元前(B.C)3761年を紀元としており、ユダヤ人国家イスラエルは公式の暦として採用している。

したがって今年は5779年(3761+2018)になり、前回紹介した北朝鮮の檀君紀元4351年)より1428年も古く、公式暦としては現在世界最古の紀元暦ということが出来る。
 
しかし、世界にはこのユダヤ暦よりさらに1747年も古い紀元をもつ暦が存在してきたのである。

すなわちB. 5508年を紀元とするビザンチン(東ローマ)帝国で採用されたビザンチン暦で、同国滅亡(西暦1453年)後もロシア帝国に継承され、ロシアは同1700年に西暦に移行したが公式暦としては累計7208年(5508+1700)という世界最古の紀元暦使用記録保有国なのである。
 

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■ちなみにビザンチン暦はローマ帝国の東西分裂後、東ローマのギリシャ正教会がユダヤ暦同様に旧約聖書の天地創造年を逆算したものであるが、
計算方法がユダヤ暦と異なるためビザンチン暦の紀元が古くなったもので、

現在もギリシャ正教の聖地アトス山(上写真)など一部のギリシャ正教会では継承され、今年2018年は実に正暦7526年ということになる。
 
 要すればユダヤ暦もビザンチン暦も旧約聖書の天地創造紀元すなわち宇宙を含む現世界(地球)がいつ始まったかの定義によるものだが、

即ちユダヤ教やキリスト教では神が創造した世界の始まりは57007500年前というが、地球誕生が46億年前、人類誕生でも700万年前とされる自然科学史から見れば極めて短期間の出来事ということになるが・・・。



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ちなみに旧約聖書の天地創造はたったの6日間で、1日目神は光を作り昼と夜が出来た、2日目神は空を作った、3日目神は大地を作り海が生まれた、4日目神は太陽と月と星を作った、5日目神は魚と鳥を作った、6日目神は獣と家畜と神の姿に似せた人を作った、7日目神は休んだ(日曜日)…とある。

 
すなわち神の作った最初の人間がアダム(男)で、一人では良くないとして彼の肋骨を一本取ってイヴ(女)を作ったのがこの世の始まりなのである。ふ〜んそうだったの・・☆彡。

 画像はバチカン=システィナ礼拝堂の天井画ミケランジェロ作「アダムの創造」であるが、アダムは筋肉質の立派な身体の割には性器は小児並みに小さい。これは「禁断の果実」を食べる前で、性欲が未だ無かったことを表しているんだそうナ。


✿なお、アトス山は初登場なので近く<好奇地理博物誌>で紹介の予定です。
























 
ちゃんちゃん

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本日の予定は先日ネットでタイの干支に兎の代わりに猫があるのを発見、ソレを基にPの輪廻転生願望について書こうと思ったが、本日来訪のタイ語のセンセ&大家さんが異口同音に猫干支を否定され中止を余儀なくされた次第。

でアササンネタならいくらでもあるが、アササン大好きのU女が例の誕生日の性事記事を契機に当ブログから退散した今アササンばかりもなんだナと躊躇、先日アクセス解析で登場した当ブログ最大のヒット記事「Nスぺjapanアジアの一等国を見て」を再掲しようと思った。

で最大のヒットとは如何にであるが、アクセス数ではなく反応の大きさ即ちコメント数でその大半がネトウヨ諸氏を中心とする批判コメであるが、今回コメントを含めて一挙公開するのも一考だと思った次第である。


               ―200946

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昨夜、NHKスペシャルJAPAN「アジアの一等国」を見たが、いち早く
ラメさんブログで感想記事を発見

<日本人という民族は決して過去の歴史を振り返って見ない民族である、多くの歴史的な評価があるにも関らず見ない知らない、聞かないで平気である。

今日のNHKはその歴史に鋭く迫って恥ずべき歴史に遠慮なくメスを入れていた、日本が世界中で評価されないのには一つの事実が存在する、口下手で宣伝が苦手というのも事実であるが脳内構造が完全に「お花畑」で世界が見えないのである。>

相変わらず手厳しいラメさんであるが、最初の<日本人という民族は決して過去の歴史を振り返って見ない民族である>と<脳内構造が完全に「お花畑」で世界が見えない>の指摘は鋭いと思った。

過去を振り返ってみないは反省しないことで、脳内構造が「お花畑」ということはきれいごとだけしか見ず、臭いものにはフタでは世界が見えないのは当然である。

                  +

で番組は1895年に獲得した日本最初の植民地である台湾をヨーロッパ列強注視の中で日本がいかに統治したかであるが、よく言われる台湾の親日感情の裏側に迫った見ごたえある内容であった。

日本の台湾支配は当初は失敗、特に世界の7割を占めていた台湾の最大商品であった樟脳生産は激減した。クスノキから採る樟脳は衣服の防虫・防腐剤としか知らなかったが、当時はセルロイドや無煙火薬製造に不可欠のモノで、台湾の生産中止は欧州市場に大きな打撃を与えたという。

しかし、最初の台湾民政長官後藤新平は台湾人の臣民化政策とともに特別法を施行して従わない匪徒に対しては徹底的に弾圧、この硬軟両面の政策が奏功して19世紀初頭には樟脳生産も回復した。

台湾経営の成功は日露戦争での勝利とともに日本が欧州列強と同等の一等国に伍する力のあることを示したとされ、1910年にロンドンで開催された日英博覧会では野蛮人の矯正見本として台湾の山岳民族バイワン族が人間動物園に展示されていた。

第一次大戦後は世界的な民族自決の潮流が台湾にも波及したが、日本は逆に台湾の同化政策を推進、先に同化された琉球(沖縄人)を導入して同化教育を強化、台湾では一等国民日本人、二等国民沖縄人、そして三等国民が台湾人と揶揄された。

そして1937年に日中戦争に突入後は台湾人の皇民化政策を強化、日常会話での台湾語・中国語の使用は禁じられ日本語の全面使用が義務化、道教寺院は破壊され代って各地に神社が建設された。

なお、韓国のような創氏改名は強制されなかったが、台湾人の多くが日本式改姓名を行った。

皇民化推進とともに戦争は拡大激化する中で兵力不足が深刻化して台湾人志願兵を募集、1945年には徴兵制も施行、台湾人約21万人が戦地に送られ、うち約3万人が戦死した。

しかし、同年8月に戦争に敗北した日本は皇民化した台湾人を見捨てて帰国、台湾人は軍人年金も遺族年金も支給されないまま放置されたのである。

日本が去った後代って入ってきたのは、毛沢東に敗れ中国本土から逃亡してきた国民党の蒋介石である。

当初台湾人は光復(祖国復帰)として歓迎したが、腐敗した国民党政府に失望、“犬(日本人)は去りて豚(国民党)来る”(犬は小うるさいが番犬として役にも立つ、豚はただ貪り食って寝るだけ)と罵った。

しかし、蒋介石は日本人化した台湾人を毛嫌いして徹底的に弾圧、特に19472月に勃発した228暴動はその象徴で台湾全土に拡大、数十万に上る犠牲者を輩出したとされている。



★コメント☆彡

▲日本人には “水に流す”という 生き方がある 反省しない民族といわれればそうかもしれないじゃあ聞くが どこにそんな立派な国 民族がいるの 見本にするから教えてくださいナ 私は褒めらてのびるタイプなのでナ 過去=歴史と捉えるなら 歴史は勝者がつくるもので敗者ができるのは 過去に捉われず<温故知新でなく> 新しい発想で 再挑戦することだとおもうがナ -2009/4/6() 午後 6:31ー [ hiro ]

hiroさんどうも。
「水に流す」とは「過去のことをとやかく言わず、すべてをなかったことにする」と言う日本独特の和の精神でしょうが、強者相食むグローバル世界では通用しないのじゃないかな〜。
麻生さんがイスラエルとパレスチナに「まあまあここは水に流して無かったことにしましょう」で和解させられたら大したもんです。しかし、実際は「やられたらやり返す」とソマリアくんだりまで自衛官を派遣、水に流すどころか水をぶっ掛けるようなことをやってます。

09/4/6() 午後 7:09迷えるオッサン

▲歴史を鑑みて反省しろ、と言われても、時代も違えば、状況も同じではない。人間だって、あの携帯がこの世に現れてからというもの、まるでそれまでとは別人のような感覚の人類に変身してしまったではないですか。
歴史を振り返る、といったら、どの時代の歴史まで振り返るのですか。嘗て、昔々2000年ぐらい前には、中国、朝鮮半島辺りから、大勢の人々が日本にやって来て、日本のそれまでの文化をひっくり返してしまっているんですよ。そういうのはどうするんですか。
 

2009/4/6() 午後 8:43ーafuro_tomato

afuro_tomatoさんどうも。なんかちょっと噛み合ってない様な…。
私は<歴史を鑑みて反省しろ>と言っていますか?
テレビを見て日本最初の植民地台湾統治の中身について、私自身も不知なところが多々あると紹介したのが内容の大半です。そして知らなかったことは反省不足ではなかったろうか?と反省した次第ですが。

09/4/6() 午後 10:25迷えるオッサン

▲歴史をどう評価するかは人によって意見がいろいろとあるでしょうが、まずはどのような事実があったか、過去を振り返って見る必要がありますね。
1915
年の日英博覧会のことは初めて知りました。
第5回内国勧業博覧会の人類館事件(1903年)の後なのに、まだこんなことがあったとは… 2009/4/7() 午後 6:06安田陽介


●安田さんどうも。
歴史の評価はまず事実確認ですが、1915年の日英博?第一次大戦中なのに???と調べてみると正解は1910年、展示されたのはハイワン族ではなくバイワン族でした(早速本文訂正)、ありがとうございました。20
09/4/7() 午後 10:01迷えるオッサン


▲わたしも「大戦中に?」と不審に思いました。
が、不審に思うだけで放置しておくところが、きちんと調べられるオッサンにかなわないところです。 

2009/4/7() 午後 10:56-安田陽介

●歴史家の安田センセゆえ、遠まわしに事実確認せよと言われたようで慌てて調べただけです。思いやりの後記ありがとうございます。 
2009/4/7() 午後 11:30迷えるオッサン

▲悪意に満ちた偏向番組でした。
まず、台湾人≒漢民族(支那人)ではありません。台湾では、漢民族は少数です。
それと、「人間動物園」。そもそも、様々な建物や風習や服装や踊りや演奏や演技などの文化や何かの実演を披露するのが博覧会です。
この「日英博覧会」には数十人の京都相撲の力士団もロンドンに渡って土俵を作り、まわし姿て半年間相撲を披露しています。
また、農村風景を描いて、そこで日本人農民が米俵製作の実演を披露していました。
NHK
は、同じ日英博覧会で、相撲を披露した京都相撲一団や、米俵製作の実演を披露した日本人農民たちも「人間動物園」で展示されたと言うのでしょうか?
2009/4/8(
) 午前 2:25-coffee


( ´ー`)y─┛チァーパーボェー
この番組の記事書きましたからTBさせていただきました。
2009/4/8(
) 午前 3:33チアーパーポエー
 


offeeさんどうも、コメントそしてTBありがとうございました。
さて<悪意に満ちた偏向番組でした>と言いますが、私には珍しくまともな番組に見えました。
台湾人≒漢民族(支那人)ではありませんと言いますが、漢民族とは何でしょう?漢字を使っている民族とすれば台湾語(日本語も)は漢民族でしょう。まして台湾語は対岸福建省のミン南語が母語とする支那語の方言ですから、完璧な漢民族でしょう。もしかして外省人=漢族で本省人=台湾人と決め付けているのではありませんか。


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タイ経済を支配している潮州華僑の故国は中国広東省東部の韓江デルタに位置する港湾都市スワトウ・チエヤン・潮州一帯で、人口は約1500万人と同省では広州・香港のある珠江デルタに次ぐ人口稠密地帯となっている。

ちなみに対立する客家は上図のように福建省にまたがる山間部を根城としている。

 
潮州人華僑のタイ流入はタイ史の項で既述したようにアユタヤ朝時代の17世紀頃で、日本人町形成とほぼ同時期であるが1630年日本人町焼き討ち全滅以降は中国との朝貢貿易を独占してきた。

そしてアユタヤ朝滅亡の混乱に乗じて1757年潮州人軍賊タークシンが国王となって華人王朝(トンブリ朝)を開設、死後現チャクリ 朝に継承されて今日に至っている。

しかし、中国()18世紀半ばから海禁令を発令、以来1世紀にわたって華僑の往来が断絶したため、在タイ華僑の帰化(華人化)が進行した。ちなみに華僑は中国籍のある在外シナ人を指し、外国籍(帰化シナ人)を華人と呼称している。

しかしイギリスの起こしたアヘン戦争(184042年)に敗れた清は香港割譲とともに対外開港を余儀なくされ、さらに1860年の北京条約では中国人の海外移住の自由化が公認されたのである。

これはアヘン戦争前の奴隷解放によりイギリス植民地開発の労働力不足が深刻化、アフリカ黒人奴隷に代わる労働力として豊富で安価なインド人および中国人労働者への転換を意図したものであった。

イメージ 5その結果中国人労働者の海外移住も急増したが、実態は苦力(クーリー)または猪仔(イーズー=「子ブタ」の意)などと呼ばれる中国人奴隷(写真)そのもので、

マレー半島のスズ鉱開発など東南アジア植民地開発の不可欠の労働力として大量に強制移住させられてきたのである。

その最大の供給基地が平地に乏しく過剰人口を抱える華南の広東省・福建省一帯であるが、特に人口稠密な韓江デルタの潮州人は多く、同胞を頼ってバンコクにも大量に流入、今日に続く潮州華僑(華人)強大化の原動力となってきた。

+

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■苦力(クーリー)の子孫は植民地独立後も残留、多くが商人となって経済的成功を収め、事実上東南アジア経済の実権を支配する存在となってきた。

しかし故国中国が共産化する中、東南アジア華僑とは疎遠となってきたが、1970年代の文革を経て客家の小平が実権を握ると一変、改革解放のスタートが切られたのである。

そして1978年には経済特区という例外的外資優遇特区を新設、共産国の枠内で資本主義特区を公認する先富政策が打ち出され、香港に隣接する深圳(シェンチェン)同マカオの珠海、同台湾の廈門(アモイ)とともに汕頭(スワトウ)が4大経済特区に指定された。なお、80年に海南島も特区指定され5大経済特区と言われるが海南島は南シナ海のサンゴ群島開発基地で除外。

深圳珠海廈門は外資導入先が明確だが、汕頭はフー(何故)?だが、これは潮州資本の本拠地バンコクを想定したもので、いわば小平の国家戦略特区と言うことなんだろう。

本日の記事苦心散々延長するもイマイチでやんした。


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■追記)最後に「韓江デルタ=潮州圏」の地図を作っていたので、没にするのはもったいないと貼り付けました。

イメージ 4明・清時代は韓江中流の潮州市が中心都市で「潮州」の名前がつけられましたが、

アヘン戦争後の1860年に韓江河口の汕頭(スワトウ)に新港が開港して以来汕頭が苦力=クーリー(中国人奴隷)貿易の中心港として発展、地域最大都市(人口約250万)に成長しました。

なお、汕頭は優美・繊細な刺繍で知られるスワトウ・ハンカチ(左写真)の産地としても有名で、手編み製品は1枚十数万円という世界最高級ハンカチとして知られています。





















ちゃんちゃん。

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●本日も旧稿再掲であるが、これは7年前のテレビ放送<NHKプロジェクトJAPAN『韓国併合への道』>の感想記事であるが、コメント数は70を超える“炎上”的反響のあったブレーク記事で、現在の読者にも知っていただこうかと思った次第である。



NHKプロジェクトジャパンは昨年のほぼ同時期(20094月)日本最初の植民地台湾を扱った「アジアの一等国」を放送、私もその感想を書いたが多大な反響があり、コメント数78は私の最多ブログ更新記録でもあった。
 
拙ブログですらこの状態ゆえ本家NHKには所謂ネトウヨの抗議が殺到したようで、NHK20096177222度にわたってこの番組の釈明(説明)と追加説明を行っているが、その後の本番組は長い間中断を余儀なくされたようだ。
 
で今回(2010年)は満を持しての再登場で、今年は韓国併合から100周年に合わせて日韓併合の歴史を追うってんだから大したもんだ、まさにネトウヨ連中が虎視眈々と喰いつきそうな美味しい内容で面白そう・・。
 
ところで私も高校社会科教師の末席を汚した身だが、日本の歴史教科書ではせいぜい幕末維新でお仕舞いで、近代日本が海外を侵略植民して最後は大戦争を起こして大敗、アメリカの植民地になったことは一切教えないのが実状である、
 
したがって日本が植民した台湾・朝鮮半島そして中国についてどのように侵略したかについては、大半の国民は少なくとも具体的にはほとんど知らないのである。
 
知らないから勝手な推測や憶測で中国・朝鮮を見下げてバカにし、侵略戦争すら肯定する小林よしのりや田母神俊雄のようなアホが出現、それを妄信するネトウヨどもがのさばる現世となった訳である。
 
×    ×    ×
 
イメージ 1■今回のプロジェクトジャパン企画は、「伊藤博文とアンジュングン(安重根)」という全く対照的な日韓双方の英雄をモデルにして、日本の韓国併合への経緯を扱っていた。
 
朝鮮半島の宗主権をめぐる日清戦争(189495年)での日本の勝利で清朝(中国)の保護下にあった朝鮮王国(李氏朝鮮)は清から独立したが、朝鮮政府はロシア・フランス・ドイツの三国干渉を受けた日本を弱体と見て、ロシアとの接近を図りこれが後の日露戦争の要因となったのである。
 
1895年の皇后ミンピ(閔妃)暗殺事件は親日クーデターで、これを恐れた国王フジュン〈高宗〉は96年ロシア大使館へと逃亡するなど権威は失墜の一途をたどる中、1897年国号をそれまでの李氏朝鮮から大韓帝国〈韓国〉へと改称した。
 
しかし、1904年に開戦した日露戦争は思いがけぬ日本の大勝利となり、欧州列強の脅威に晒されてきたアジア諸国に大きな自信を与えたが、これは韓国の英雄アンジュングンにも大きな希望を与えていたことを今回初めて知った。
 
×    ×    ×
 
しかし、日露戦後1905年の日韓協約で韓国は外交権・財政権を日本に委譲する保護国となり、翌1906年には韓国総監府が置かれ、伊藤博文が初代総監に就任した。〈※なお瑣末なことだが、竹島が正式に日本領土に編入されたのは日露戦争中の19051月である〉
 
伊藤は韓国に国債を投入して日本の明治維新をモデルとした近代国家の建設を目指したが、これが韓国の民族主義を刺激、国債報償運動による民族教育の普及や反日義兵運動の拡大に火をつける結果となったようである。
 
この部分、私は韓国が遅れた前近代国家だという司馬遼太郎的先入見があったので少し吃驚、民族的自覚は日本と大差があったわけじゃないのかと見直した。
 
こうした反日運動の拡大を経て、1909年伊藤博文は韓国統監を辞任後、同年10月ハルビン駅で韓国独立を叫ぶアンジュングンによって暗殺されたのである。
 
そして翌1910年日本は韓国を併合して大陸国家となり、中国・アジア侵略の橋頭堡が確立されたのである。
 
 
●しかし、この<NHKプロジェクトJAPAN「韓国併合への道」>にも放送直後から抗議が殺到、今回はネトウヨのみならずバックボーンの自民党も批判、それが後(2014年)の極右籾井勝人NHK会長就任の遠因とされている。






































 
ちゃんちゃん

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昨日暇つぶしに表題の「世界一短い戦争と長い戦争」で検索すると、短い戦争は37長い戦争は335とギネスに登録されていることを知った。
 
イメージ 1先ず短い戦争だが19世紀後半の植民地獲得競争時代にイギリスがやった侵略戦争で、東アフリカはインド洋岸に浮かぶ沖縄県ほどの群島ザンジバルで起った。

当時大陸側は地図のようにイギリス(現ケニア)とドイツ(現タンザニア)に分割されているが、沖合いのザンジバル島はアラビア半島のオマーンから来たイスラム・スルタン(首長)が占領、東アフリカに進出して奴隷と象牙取引の根拠地となっていた。

ちなみに現在東アフリカ各国の公用語となっているスワヒリ語はザンジバルのアラビア語とアフリカ方言の混成語である

対岸のタンザニアはドイツ領であったが、ザンジバル島のスルタンはイギリスに保護を求め英保護国になったが、1861年宮廷クーデターが勃発してスルタンが交代,反英行動をとったためイギリス軍がスルタン宮殿を砲撃、37分後に新スルタンは逃亡して以来ザンジバルは正式にイギリスの植民地となったのである。

当時イギリスはアヘン戦争で大中国を倒して以来20年目、前近代的アラブースルタン国家を蹴散らすのは屁のカッパ、圧倒的な力の差から生じた世界一短い戦争であった。

+

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■さて世界一長い戦争の舞台もイギリス、時代は17世紀半ば世界史教科書でおなじみのクロムウェル(写真)といえばピューリタン(清教徒)革命の時代でこちらの方がより親しみやすい感じですが、その中で起きた超マイナーな戦争なんです。

当時のイギリスは保守王党派とクロムウェル率いる超過激な議会派ピューリタンの対立で内戦に突入、劣勢な王党派はみるみる最南端のコーンウォール半島に追い詰められ、一部は軍船でその沖合いにある神津島ほどの小さなシリー諸島へと逃亡したのです。

そこへ16514月、議会派政府と同盟関係にあったオランダ軍が王党派のシリー諸島に対して宣戦を布告したが、同年6月王党派は戦うことなくすぐさま降伏,これにて一件落着となるはずであった。

しかし、オランダ軍はそのまま退却する中、1660年イギリスは名誉革命で王政復古してシリー島戦争事件は忘却の彼方へ忘れ去られてしまったのである。

イメージ 4ところがそれから335年目の1986年シリー諸島議会がロンドンのオランダ大使館に「シリー諸島は平和条約未調印で未だ戦争中であるとの『神話』を説明」、この結果オランダ大使がシリー諸島(左写真)に出向き戦争終結が正式調印されたというわけである。

要すれば3シリ−諸島は335年間戦争状態であったわけではなく、戦死者も戦傷者もゼロの戦争神話に終止符を打つという単なる書類手続き上の出来事だったのである。


イメージ 5ところで実際に戦争状態にある長期戦争といえば、お遊び読本のギネスブックは認めないがキリスト教徒対イスラム教徒の「十字軍戦争」が思い浮かぶ。

1096年の第1回十字軍遠征から920年が経過したが、原キリスト教徒ユダヤ人の聖地エルサレム占領(イスラエル建国)を含めて今日のIS(イスラム国)テロ戦争など両教徒の戦争状態は依然継続している。

この分では『千年戦争』になるのはほぼ確実だが、それとも『未来永劫戦争』として人類滅亡まで続くのか・・・

おそらく神ですら答えはNOであろう



























ちゃんちゃん

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