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いたたた・・タイ
2016・12/16−100万アクセス突破”皆さま感謝★★★★★★★★★☆

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イメージ 1■モンラー2日目の夕食は市内の中華料理店で食った、店の一角には蛇や蜥蜴・猿・センザンコウ・ハクビシンなどの食用珍獣を入れた籠があった。
 
食事中小猿を売りに来たのを見て食通の金満家N氏、広州で生きた小猿の脳ミソを食った話←動画クリックに花が咲いていたとき、モー氏の発言があった。
 
「明日の車チャーターは出来なかったので、朝バス停で探してみる」と・・おいおい冗談じゃないぞバス停に車が居なかったらどうすんだ。
 
帰れないってことかと激怒するオヤジ3匹、ココへ着て2日間何やってたんだ。
 
さすがのモー氏オヤジ3匹の罵声と軽蔑の視線に耐えられなくなったのか、食事途中で退出、リス旦那に聞くとイミグレに行って見るとのこと・・夜中にイミグレなんぞ開いてるのかと思ったが、それっきり帰らず翌朝となった。
 
翌朝6時に起きた私はモー氏のドアをノックするも不在、7時にリス旦那・N氏ともロビーへ集まるがモー氏はやって来ない・???。
 
心配になって彼の部屋を開けて見ると彼のリュックを発見、どうやら彼は朝一で車の手配に行ったのだろうと判断。
 
そこへモー氏、タクシーバンとともに出現、オヤジ3匹異口同音「なんだやれば出来るじゃん!!!
 
モー氏の初仕事(?)にこれで帰れると皆安堵、とまれ良くやったと握手攻めにモー氏はポカ〜ン。
 
ところで今まで文句ばかり言ってきたが、所謂たくさんの関所(検問)やイミグレ(入管)では全面的に彼に一任、何の問題も生じなかったことは彼の存在があったればこそではないかと最後は少し見直す雰囲気も・・あった。
考えてみれば全く役に立たない人間は居ないわけで、人間万事塞翁が馬、最後まで見定めなさいということを再認識した次第であった。
てな訳でオヤジ3匹反省を込め、タチレクでの別れ際寸志を集めて渡したが、モー氏はナンで???とビックリ仰天!日本人ワカラナイナ。

 ×   ×   ×


イメージ 2


■モンラーのイミグレ(入管)は町外れにあって、そこには歓楽特区とは対照的なワ族の昔ながらの高床式村落があった。

イミグレオープンまでは時間が少しあり付近を散策したが、女性はこのように天秤棒に荷物を担いで山道を行き来していた.

しかし、家屋にはソーラーパネル(太陽熱温水器)があり、生活もかなり近代化しているようだとは読者のイッペーさんの発見。




イメージ 3

■お寺では若いお坊さんが小僧(?)を相手に説教、旧き日本の寺子屋風景を髣髴させた。

子供の服装がみな同じ格子柄模様であるが、これはロンジーと呼ぶミャンマー式巻スカートで、格子柄はお寺の柱にも見えワ族の独自の民族模様か?。



イメージ 4
 
こちらの黒い民家の屋根は瓦ではなくチークの板瓦が特徴の伝統的家屋であるが

屋外には衛星受信アンテナのある家も・・ソーラーパネル同様この村にも近代化の兆し・・。

 
×   ×   ×


 
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8時にモンラーを出発、途中1年前に移転したという新観光カジノ村を望見した。

市街から1314km離れた村里の中に隔離された刑務所のような・まるで北朝鮮の接待所?のような建物群が遠望された。

調べるとこれが中国人の遊ぶカジノ棟で20軒ほどあるようだ。
 
それまでのカジノはモンラー市街に併設されていたようだが、中国国境から近すぎるとして現在のように隔離されたものである。





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■近すぎるとは中国からの日帰り客の来店防止のようで、現在でも隣接する中国の打洛(ダーロウ)からは抜け道を通ってモンラーに至る中国人は多いらしい。

そのためモンラー市内にはこのように廃墟と化したカジノ跡がいくつも見られたが、カジノばかりでなくロシア人のストリップ劇場やタイのオカマショー劇場も廃止されたと聞いている。

いずれこのモンラー自体も廃墟となる日が来るような予感もするが・・ワ族の村落は残るだろうナ。
 
 
×   ×   ×


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10時半にチェントンに到着、11時半発の「名阪近鉄バス」(写真)に乗り換えて国境の町タチレクに着いたのが16時半。

この「名阪近鉄バス」じーぞうさんブログにも登場・・いまなお現役のようである。
 
国境のタチレクで預けていたパスポートを貰って出入国手続きを済ませタイに帰還したのが17時半だった。
 
速攻チェンマイ帰還というオヤジ両氏を説得、その日はチェンライで一泊した。




イメージ 8
 
■凸凹の全く無い素晴らしいタイの4車線ハイウェイと完全冷房のVIPバス、ミャンマーと対比するタイは豊かな先進国だと実感がひとしおだった。
 
何度か訪れたチェンライはチェンマイに比べると田舎町だが、ミャンマーから見ればはるかにあか抜けた大都会であった。
 
翌日20850分のバスに乗り、11時半チェンマイアーケードへ到着した。

 
いろいろあったが終わりよければすべて良し、私もオヤジ両氏もそしてモー氏もそれなりに結構楽しい旅行ではなかっただろうか・・(爆)。

 
最後に56日の今回の旅行費用であるが総計1万バーツ(約3万円)で、その3分の1強(3675バーツ=11万円)がモー氏ガイド料および手数料であった。


ご愛読ありがとうございました。






























 
ちゃんちゃん

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イメージ 1■モンラー2日目、私は当然カジノ見物(写真)だと思っていたが、同行のオヤジ両氏はカジノは町から1315km離れて遠いので中止したとのこと。

カジノまでは無料送迎車があるはずで、せっかく来たのにモンラー最大の見所を外すなんてもったいないと思ったが・・カジノはマネーゲームセンター。

両氏以上に金銭的余裕の無いボンビーオッサンの私ゆえここは我慢して彼らに同調、代わりに中国国境を見物することにした。
 
宿の前でタクシーを止めると国境まで20元(300円)というので私が直ぐ傍なのに高すぎるというと乗車拒否、オヤジ両氏ににらまれたが次のタクシーを10元で乗車した。

どうも私はわずかの金をケチるみみっちいところがPにも嫌われる所以のようだが、これじゃあカジノ何ぞ行く資格はおまへんナもし。

 
イメージ 2

■ところが乗って200mも行かないミャンマーの国境検問でストップ、同行のモー氏にこんなに近いのに何故歩いていこうと言わなかったのかの文句は当然後の祭りであった。

写真は国境の中国側検問所、ミャンマー側のモンラーと対する中国雲南省の町「打洛(ダーロウ)」の文字が記してあるが、後で山の上から見ると国境から町はかなり離れているようだ。





イメージ 3

これだけで帰るのはしゃあないなと丘を見上げるとモンラーのシンボルをなす黄金寺ドーイナガラ、地図を見ると丘の麓にDrug Free Museum(麻薬博物館)の文字があり見学することにした。
 
×   ×   ×


 
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麻薬博物館というとこのモンラーは、ミャンマー・タイ・ラオスそして中国の4ヶ国にまたがる「黄金の三角地帯」と呼ばれるケシ栽培地域の中心に位置し、かつては世界最大のアヘン(ヘロイン)供給地帯として悪名を馳せてきたのがこの地である。
 
アヘンの原料となりえるケシは、花が散った部分がぷっくりと膨らんで「ケシ坊主」(上写真)が出来るが、ケシ坊主をナイフで傷つけると乳白色の液体が採取できるので、その液体を乾燥・濃縮させていけばアヘンが完成し、さらに精製するとヘロインになる。

なお、ケシはアヘンにならないものの多く、♪丘のうえヒナゲシの花が〜のアグネス・チャンの歌で知られるポピーは無害である。

ちなみにこの地のケシ栽培は19世紀、ビルマに植民したイギリス人が中国貿易赤字解消の切札として奨励したもので、それがアヘン戦争184047年)の原因となり、戦後今日のホンコンが成立したことは周知のことである。
 
しかし、この地のアヘン生産はアヘン戦争後も継続され、中国内戦では国民党政府軍(現台湾)、ミャンマー独立後はシャン族やカレン族など反政府軍の資金源となってきたこともよく知られている。
 
イメージ 5この地の麻薬王としてはシャン族分離独立運動を担ったモン・タイ軍の首領クン・サーが有名で、写真は1993年にシャン州が「シャン邦共和国」として独立、クン・サーの大統領就任時の宣誓場面である。

しかし、独立直後からシャン族内紛で離反、1996年クン・サーはモン・タイ軍を解散、自らはミャンマー軍事政府に投降、シャン邦共和国は3年で消滅した。

ところで中国の租借地である現在の「歓楽賭博特区モンラー」であるが、クン・サー投降の3年後1999年に創設されたもので、麻薬博物館や黄金寺院ドーイナガラも同時にシンボルとして中国がプレゼントしたものである。
 
つまりモンラー特区は麻薬撲滅・ケシ栽培に代わる外貨獲得の最大の切り札として導入されたミャンマー軍政の「国家戦略特区」だったのである。
 

イメージ 6

これは麻薬博物館に展示されているアヘン・ヘロイン製造の「毒品加工用具」で、外には1996年にクンサーが現軍事政権に投降後はケシ栽培に代ってゴムや茶・ソバなどの代替作物が栽培されているとの成果を示すパノラマ壁画が宣伝されていた。

しかし、代替作物栽培は換金性に乏しいため発展せず、ワ族を中心とする山岳民族は現在もケシ栽培を継続、生産はかつての3倍増との情報もあり、今日でもアフガニスタンに次ぐ世界第2のヘロイン供給地となっているようである。
 
なお、モン・タイ軍のタイはタイヤイ(シャム族)などのタイ系語族、モンはワ族などのモン=クメール系語族を示し、モンラーは「モンの地」を意味するワ族の中心地区である。 
 
×   ×   ×

イメージ 7

さて「能書き」はこれくらいにしてモンラー名所黄金寺見物に出かけましょう。

なお、リス旦那と金満社長N氏および監視人モー氏の3人は山に登るのは嫌だと博物館のみで退散、麓の茶店で一杯やって待ってるとのことで、以下オッサンの単独行動となった。



イメージ 8

さてこれは黄金寺から見たモンラー市街、彼ら3人が待っているのは手前左のわき道にある小屋らしい。




イメージ 9

これは反対の中国側を見たもの、中国国境の検問オフィスの右手遠方に打洛の町が見える。



イメージ 10

■山を降りて彼らと合流したが、途中チェンマイでは見かけないワ族の三輪自転車に遭遇、右後方は麻薬博物館。


本日は地歴のお勉強が中心で、大して見るべきものは無い一日だったナ。































ちゃんちゃん

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イメージ 12■てな訳で一度は断念したモンラー行きが決まったが・・、


そこはミャンマー国内なれど・・

事実上の中国の租借地のため入域料(36元)が必要であり、

ミャンマー通貨チャット(K)は流通せず、中国元(ユアン)オンリーで、国際通貨ドルもクレジットカードも使えないのである。

したがって手持ちのタイバーツ(B)を中国元(ユアン)に両替する必要があり、私は4000バーツ(約12000円)を812元、1元≒4.926Bと通常の5Bよりややいいレートだった。
 
モンラーへの車はタクシー仕様のポンコツのバンで、運転手の隣にN氏、後ろにリス旦那と私その間にモー氏の5人が乗った。
 


イメージ 1


■当時のミャンマーは軍事独裁政権下で道路交通の検問が厳しく、町に入る度にイミグレーション(入国管理所)への立ち寄りが義務付けられ、道路には何ヶ所も関所(写真)があって軍人や警察犬が監視していた。

なお、ミャンマーは201511月の総選挙でスーチー民主政権が成立したが民主化は地方までは浸透していないようで、今年4月モンラー行きを計画したじーぞうさんは陸路移動は不可とされ中止を余儀なくされたようだ。
 


イメージ 2

関所では下車して歩行チェックを受け、中には写真のような江戸時代を髣髴する竹矢来(竹槍壁)を施したおぞましい関所もあった。
 
チェントンからモンラーまではわずか83kmだが、険しい山道と凸凹の悪路に加えて関所通過のため2時間半を要し、われわれはモンラー手前のイミグレで車のパンクもあって3時間以上も掛かって到着した





イメージ 3
 
さてこれがモンラー到着後車中から撮った写真だが、

これまでのタチレク・チェントンなどの土田舎町と比べると、街路樹や街灯もあってあか抜けた近代的な町で、

正面には町のシンボルである金ぴかのドーイ・ナガラ寺院が鎮座していた。



イメージ 4
 

イメージ 5


■上下の写真は翌朝散歩の際、橋の上からモンラー市街を撮ったものであるが、

ミャンマーとも中国とも異なるどこかヨーロッパの町並みを髣髴させる異国景観であった。




イメージ 6

しかしそのように見えるのは朝方降った雨とピンボケ写真の魔術がなせる技で、

現実は実生活から遊離した人工チャイナタウンであった。
 
写真はモー氏が予約したいかにも中国人好みのキャバホテルだが中国人客で満杯、結局泊まったのはもう一ランク下の花園酒店であった。

文字でわかる様に町は中国一色、通貨は元、言葉は中国語、観光客はもちろん従業員も中国人=即ち中国の植民都市であった。
 
したがってホテルの時計も上が北京時間、下がミャンマー、フロントの女性は英語も出来ない中国人、ホットもアイスもマッサージ・クリーニングさえ通じない、つまり中国人以外のお客は来ないことが前提なんだろう。
 
町へ出ると、ミャンマーではついぞ見かけなかった携帯ショップにゲーセン、コンビニスーパー・クリーニング店等々現代中国を象徴するようになんでもある。
 


イメージ 7

■驚いたのはマーケット(中央市場)で400m四方はあるだろうか広い区域を4分して野菜食品・衣料品・食堂街および女郎屋街(紅灯区)が並んでいた。

つまり市場では大根やラーメン・下着・薬品と一緒に女まで売っている訳である。
 

イメージ 8
 
■さらにはマッサージにキャバクラ、女郎屋にカジノ、まさにココは中国の「歓楽賭博特区」否「歓楽植民地」というべき特殊なチャイナタウンが形成されていたのである。

写真は中央市場の紅灯区のの一隅を撮ったものだが、よく見れば遊技場(ゲーセン)のようだ。



イメージ 9

■こちらは昼間撮った一角でムードは無いが内容は十分わかる。

皆漢字でミャンマー文字は一切無い。


 
 

イメージ 10参考のために値段を聞いてみたところ、女郎屋では2時間150元(約2250円)、橋や街角にたむろしている街娼が50元(約750円)とリーズナブルな価格であった。

ちなみに客が中国人なら女もすべて中国系で、それも雲南省を中心とする山岳民族がほとんどを占めているようである。


見ればいずれも10〜20代が中心の可愛い子ばかりで、30代以降は全くいないようだ。☆写真は部屋に呼んだアイニ族のマッサージ嬢。



イメージ 11■モンラーを紹介したあるブログに「玉石混交の中から女を選び、珍獣を食らい、ゼニを賭け、シャキで電球を撃ち落とす・・・ 噂通りのスゴイところでした」とあったが、

珍獣とはアルマジロやセンザンコウ・オオサンショウウオ・ハクビシンなどの中国国内では禁止の希少動物をその場で料理してくれる店もあった。


すなわちモンラーは「飲む・打つ・買う」すべてOK の「中国大人の桃源郷」とでも呼ぶべきバーチャルチャイナタウンであった。


こんなとんでもない町がかのスーチー女史政権成立後も未だあるんだろうかとチェックしてみたら・・昨年の2016年8月に行ったカジノタウンの記事を見つけた・・つまり未だ営業中のようですな。


















ちゃんちゃん

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イメージ 1■チェントン2泊後オヤジ3匹、中国国境の歓楽市モンラーへ行こうとなったが、出発直前になって大変な問題が起こった。

張本人はいわずと知れた軍政府派遣監視人ガイドのモー氏である。

ところで日本語もタイ語も駄目なモー氏との交渉係は、彼が片言の英語をしゃべる関係で、オヤジ3匹では有名商社勤務で海外経験の豊富な「リス旦那」が担当してきたが・・・、


3日目の朝
「リス旦那」が血相変えて緊急事態の発生を告げた。

 
それによるとモー氏の話ではモンラーに入るにはミャンマー入国料(500B)とは別に入域料1人36元(175B)が必要な外、ホテル代2日分160元(800B)車のチャーター代金が1人80$(2800B)、往復だと倍の160$(5600B)も掛かることになったが、さて諸兄どうするかと相成ったのである。


 
「リス旦那」の試算による今後の費用一覧
 
①【往路チェントン〜モンラー==計3780B(11340円)
入域料        36元(36×5)――――――180B
ホテル2泊     160元(160×5)――――― 800B
車チャーター代   80ドル(80×35)―――――2800B 
 
②【復路】モンラーチェントンタチレク計3270B(9810円)
車チャーター代   80ドル(80×35)―――――2800B
バス代(+モー氏分を3分)350B+120B―――――  470B 
 
モー氏ガイド料+手数料====== 計1225B(3675 )
ガイド3地域75ドル÷325×35)―――――――ーー 875B
Mo氏手数料30ドル÷310×35)―――――――ーー350B
 
総計+②+③============8275B(24825 )


数字ばかりが並ぶと苦手な人もあろうが、つまりモンラーに行くとなるとこれから食事+遊興費抜きで8275バーツ(約25万円)もかかるというわけである。
 
ちなみに私は今回の旅行費用として1万バーツ(約3万)を用意したが、これ以上続けるとなるとATMの無いミャンマーでは金満社長N氏に借りるほかに手はない。
 
しかし、8275バーツ中モンラー費用が約8割の6580バーツを占めている。

・・でオヤジ3匹思案の結果、断腸の思いでモンラー行きの中止を決断モー氏にその旨を告げたのである。
 
×    ×    ×
 
特に高いのは全体の3分の2強を占める往復160ドル(5600バーツ)という車チャーター料、モンラーまでは83km、バスで来たタチレクまでの163km(バス代350バーツ)の半分しかないのに、3人総計で480ドル(16800バーツ=約5万円)とはベラボーであり、いくらなんでも高すぎる・・・???
 
と今バーツ換算に整理(上表作成)してみると車チャーター料の異常突出がよく分かるが、当日は中国元・米ドル・タイバーツの3ヶ国通貨の羅列のためこの異常数値に気づかなかったことも事実である。

ところが私たちのやり取りを黙ってを聞いていた金満社長のN氏、
たまたま横に居たタクシーの運ちゃんにモンラーまでいくらと問うと、何と一台2040バーツだというではないか!

 
往復で4080バーツ(一人1360バーツ)となればモー氏の言う値段の4分の1以下である。
 
これは一体どういうことなんだとモー氏に詰め寄るも、謝るわけで無し知らぬ顔の半べえで沈黙・・・。
 
ざけんじゃねえ!!!モー氏への不信感が決定した瞬間であった。

+

イメージ 2■しかし、結果的には一度はあきらめたモンラーへの道はN氏の偶然の機転で開かれたわけだが、以来モー氏への不信は増幅するばかり、顔も見たくないのが正直な気持ちであった。

★右写真はパオ族村で撮った黒豚・・モー氏の顔のイメージはこちらの方が近いかナと挿入!

といって別行動をとろうにも出来ず、即ち彼はタチレクのイミグレでパスポートと交換したオヤジ3入国許可証を人質代わりに所持して渡さないのであった。

したがって当然モンラーにも着いて来たのである。
 
結局入国許可証は最初にチラッと見ただけで、最後の最後までオヤジ3の手に触れることは一度も無かったのである。
 
ところがモー氏騒動・・これだけでは終わらなかったのである。
(以下モンラーへと続く)
 
























ちゃんちゃん

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チェントン2日目は監視ガイドモー氏とは離れ、オヤジ3匹で行動した。
 
昼間のチェントンは観るべきものは何も無く、ここいらに多いワ族・アカ族・エーン族・パオ族などの山岳民族と温泉観光がこの地の定番コースのようで、今年行かれたじーぞうさんも同一コースのようだった。


イメージ 1

■チェントンから郊外に行く交通手段はバイクの後ろに客車をに繋いだバイクサムロー(三輪車)が中心のようで、
 
10時から午後4時まで6時間800バーツ(約2400円)だが、後ろの狭い席に3人がけするのはなんとも窮屈であった。
 
なお、上写真は砂利道というかもっと大きな岩石道で、バイクサムローがエンコした場面である。





イメージ 2

■チェントンの北門から市外に出たが、昔ながらの田舎道をたどって進んだ。

澄んだ空気の下に広がる田園風景はのんびりとして爽快であった。






イメージ 3

■途中で川があったが橋は無く、河原をそのまま直進して渡った。

これぞまさにバイクサムロートレッキングならばこその初体験であった。
 





イメージ 4

■何処へ行くのであろうか、裸足のネーン(少年僧)の一団に出会った。

町中と違って人家はまばら・・托鉢タンブンもかなり歩かないとありつかないだろう・・大変だなあ・ゴクローサン。



イメージ 5
 
1時間も経っただろうか・・運ちゃんに案内された村がパオ族の集落だった。

住居は皆んな高床式で、その2階から子どもがオヤジ3匹の来訪を眺めていた。



イメージ 6

■促がされて高床の2階へ上がると・・もう一人弟だろうか。


一休さんのような可愛いお坊ちゃまと、

猫の家族が日向ぼっこをしていた。




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■だが写真を撮ったら先ほどのお兄ちゃんがやってきて兄弟喧嘩が勃発したが・・

弟の一休さんが逆転してブチュ!メデタシメデタシ!!!




イメージ 8

■この家には96歳(?)の鉄漿(おはぐろ)をしたお爺さんが居て、最初に琵琶のような楽器を弾いて見せ、買わないかと言って来たが・・
 
興味無しと見るやキセルを持ち出し、刻みタバコを勧められた。

4年ぶりにタバコを吸うオッサン・神妙な顔つきであるが煙りだけで旨いもんじゃなく、喫煙再開には至らなかった。
 
そうこうしていると爺さんの子どもの婆さんやその子どもの太った嫁さんその子どもの2人兄弟(一休さん)たちも集まって来た。
 
さて座敷にへ並べられたのが売り物の色鮮やかなマフラーや肩下げバッグの類で、皆手製の民族衣装と称するものの、どう見ても市場で買ってきた中国製の安ものばかりの感・・・
 
なれどN氏がマフラー私が肩下げバッグをチップ代わりに購入。

100バーツだったか?もう忘れたが、バッグは8年後の今も使っている。
 
とそこへ運ちゃん登場!どうやらこの一家は運ちゃんの家族らしく、つまり自宅にお客を連れ込んだわけである。
 
さらに聞くと運ちゃんはアカ族だが、4年前にパオ族の奥さんと結婚したそうで,結婚当時の写真を見ると今の半分以下(体重)のやせた美人の奥さんがあった。
 
×    ×    ×
 

イメージ 9■正午近く腹も減ったので温泉で一杯やっかと出かけた。

風呂より先ずビールで乾杯後、良いウィスキーを見つけた。


GRAND ROYAL(写真)というミャンマー産ウィスキー、チェンマイの「100人の軍楽隊」をはるかにしのぐマイルドな味わいで、しかも格安(100B)なのでミャンマーに行ったら絶対お勧めである。

オヤジ3
の屁理屈によればミャンマーはイギリスの植民地だったので良いウイスキーが出来るんだろう。

なお、ウィスキーの下敷きになっている紫紺の布は私が購入した肩掛けバッグである。




イメージ 10


■湯煙の源泉のある左手に温浴施設があり、お湯はチェンマイ同様の硫黄泉のようだが、入浴する人はだれも居ない。

オヤジ2も入らず結局私一人で入浴したが、コインロッカーのような個室浴槽のみで情緒も屁ったくれも無い、日本の露天風呂の恋しさが募るばかりであった。





イメージ 11

■これが源泉で、上の湯溜りで日本同様に温泉卵を茹でているが、ココはアヒルにウズラその他いろんな卵があって楽しい。
 
しかし、なんと言っても黄金色に輝くミャンマー地鶏の卵は天下一品で、酒のつまみに再度所望す。

 
×    ×    ×
 
イメージ 12■さて腹も膨れたら、再び山岳民族トレッキングの予定だが、運ちゃんに私は次はワ族(右写真はネットより拝借)を所望した。

ちなみにワ族はチェンマイ(北タイ)の先住民モンクメール族の子孫で、タイ族のランナー王朝創設以前にチェンマイの南隣ランプーンにハリプンチャイ王朝を建立した由緒ある民族である。

しかしワ族はランナー朝タイ人に征服されて以来北タイから離散、現在はチェントンを中心とするシャン高原に散在するのみ、是非今の暮らしぶりが見たかったのである。
 
ところが私が入浴中、オヤジ2と運ちゃんの間でカラオケ探訪話が出来ていたらしく、運ちゃんはソコを目指して一目散。
 
ところでカラオケとは日本式のようなカラオケボックスではなく、チェンマイで言うところのカラオケ(女郎屋?)で、ソコへ連れて行けば運ちゃんにもバックマージンが入る算段である。



イメージ 13

■しかし着いたところはこんなトコ、掘立小屋にションベン臭い娘と怖い顔のポン引きオバハンがジロリ!・・・、

・・オヤジ3匹一瞬で縮み上がって退散した次第。
 
だが運ちゃんはしつこく・もう一軒と連れて行こうとするが、一度縮んだ男のモノは元には戻らず、見もしないで退散!退場!
・・ラブイズオーバーであった。
 
そればかりかオヤジ3匹は好奇心すら完全消滅、残り2時間あったもののワ族も何もぶっ飛んでホテルへ帰って寝るかと相成った。


すなわちこれが日本のオヤジ族の典型的団体行動なのである。





















ちゃんちゃん

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