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いたたた・・タイ
2016・12/16−100万アクセス突破”皆さま感謝★★★★★★★★★☆

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●奥様&孫との連絡途絶で疑心暗鬼になった昨日だったが映像電話スカイプが通じて一気に氷解した。ちなみに孫Kに高級リゾート感を聞くと山の中で店も無く食事は高くて不味いと意外な不評をきいて変に安堵したオッサンであった。

さてお約束のピン川遊覧クルーズであるが、チェンマイでは前のマンション前のワットチャイモンコン河岸が中心であるが、料金は子供も含めて一人550バーツで、3人なら1650B(約5000円)とややお高いのが難点である。

そういえばブロ友のむっちゃんがナワラット橋対岸のWAWEEコーヒー河岸から安い船が出てると言ってたのを思い出し行ってみるとココは350Bと前者より200Bも安く、子供は300Bでいいと3人で1000B(3000円)と2000円もお得であった。 


イメージ 1■ピン川クルーズのコースを紹介すると左図のように

ボート乗船場()から上流約7kmを遡行して黄色い▲の自然民俗園(レストラン)へ至る往復2時間強、

タイ最長の大河チャオプラヤー川(ピン川はその最上流)を遊覧するゆったりクルージングで、

途中ナコンピン橋・ラーマ9世橋・Sハイウェー橋の3つの橋を通過する。

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■雨季のピン川は黄色い濁流が満々と溢れ、森影の濃い河岸にはリゾートレストランが散在、川面にはホテイアオイの緑の群落が繁茂している。

船首に上った孫Kを見て「Kちゃん危ないよ落ちたらどうすんの!?」と奥様の声の姦しいこと・・落ちても先ず大丈夫だろうナとオッサン(ひとり言)。





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■スーパーハイウェーブリッジより上流は人家が極度に少なくなり、沿岸はジャングルと化しています。

途中で出会ったクルーズボートのお客はファランでいっぱい、たぶんワットチャイモンコン河岸からの550バーツのボートだろうナ。





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■ピン川クルーズの終点、ジャングル河岸に沿う自然民俗園(ナチュラルファーム)・・密林の中の古民家!・なんとなくイイ感じでしょう。




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■つる草に覆われた下船ターナム(桟橋)にはトゲトゲの赤い果物らしきモノがぶら下がっていた。

名前を聞くとฟักบ้าวファッカーオ).帰って検索すると和名はナンバンカラスウリ、本場はベトナムで栄養価が高く、もち米と一緒に結婚式や正月料理として供されるらしい。





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■ターナムから民家への小道に面白い植物があった。

一見すると只の 野草であるが、手を差し出すと葉っぱが閉じ、さらには全体がお辞儀をするように垂れ下がる動く植物である。

名前を聞くとトン・マイヤラープไมยราบ帰って検索すると『オジギソウ』・・へエーこれが「オジギ草」かぁ・聞いたことあるなあ・・こんな発見はゾクゾクする。





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■古民家の入口には2頭のカラバーオ(水牛)の像があり、孫Kが早速よじ登るとボートの運ちゃんも跨ってピースだが、孫はなんとも胡散臭そう。





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■原因は占拠していた水牛の背を邪魔されたためで、

Kはすぐさま隣の白いコブ牛の背に移動。




イメージ 9■自然民俗園内には昔の民具や農具を展示したレストランがメーンのようだが、ピン川で獲れた魚や動 植物などさまざまなモノが飼育・展示される自然博物館的楽しい施設となっている。

魚では川魚の女王と呼ばれる高級魚パーブーの外、私の目を惹いたのは水槽にべったりと張り付い動かないこの魚(右写真)。

名前パードゥーで調べると通称名はプレコと呼ぶアマゾン原産の外来魚で、口の下の強力な吸盤で岩に貼りつき鎧のような頑丈な体が特徴で、汚染河川や水槽の掃除魚として重宝されているらしい。




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■野豚というかイノシシというか、口から牙のはみ出た巨大な野生の黒豚が二頭飼育されていた。

触るとブヒッブヒッグォーー!と声を立てるが寝たまんまで,二頭は夫婦なのかそれともオス同士なのかは知らないが、余ほど相性がいいようでくっつけた顔を離さない。





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イメージ 12■園内には農園もあって、上写真はカオニャオ(もち米)の水田だが、他にはコーヒー・シナモン(肉桂)・カカオや各種ハーブ類も栽培されていた。

その他タイ原産の軍鶏や烏骨鶏などのニワトリ類や様々な食用カエル(左写真)、ペット用ひよどりノックフワックなどの家禽など多々撮影したが少し多すぎるので本日はパス。






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■最後にデザートとして出されたスイカとパイナップルにジンジャー(生姜)ジュース+ペットボトル。

これは料金350Bに含まれフリーだが,歩き回って疲れたせいか・美味しかったですよ。

本日これにて・・





















ちゃんちゃん

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イヤー前号の記事「ランナースタイル絵画」は不入りだった。

もっともヤフーブログ本体の不具合からブログ表示がプッツンだったこともあるが、アクセスは2日続けて300を割り、コメント数もリコメを加えてわずか14であった。

あまり不入りだとヤル気をそがれるが、気を取り直してヤルっきゃない今日この頃である。


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■ところで最近の私のブログは極めて狭小な近辺のアササンでヒントを得た記事に特化している気がするなあ・・と地図に記入してみた結果が上図である。

特に集中しているのがどぶ川沿線で、北から順に見ていくと前号のランナー絵画レストランから給水塔〔オオナマズ〕自宅〔新居住み心地ヨシなど3篇〕次いでどぶ川のビンロウ椰子(檳榔西施)・ワットサンパリアン〔ポーイルアンとコヨーテ嬢〕・飲み屋一休さん・唐木タガヤサン・朝焼けビューポイント〔泰林佛院〕と合計11篇にも達している。

そして本日の「卒塔婆群れ立つ底無し沼の怪」12編目の記事で、高速3029線と接するどぶ川街道終点にある火葬場からの探検記録である。



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■火葬場裏手には広大な空き地〔荒蕪地〕が展開しており、

先日外から見るとこのような沼地があちこちに点在、

地図を見ると奥にはさらに大きな沼があるようなので、

昨日朝7時にいざ探検へと出かけてみた。



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■これが火葬場の隣から荒蕪地に入る泥道で、

行くにしたがって細くなり仕舞いには泥道は消滅、

草ぼうぼうの踏み分け道となった。





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■それを辿っていくと草丈はさらに高く深まり、

ご覧のような草のトンネル道に出遭った。






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■トンネルを抜けると草原の切れ目から大きな池が出現した。


やはり地図の沼は存在したんだと確認する。







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■この日の最低気温は12℃とチェンマイは未だ寒く、

水面には朝霧が立ち込めていたが、

湖面には棒状の白い紙切れのようなものが無数に散在していた。

いったいこれはナンだ見たこともないがとこの写真を大家さんに見せると「火葬場の裏手の池でしょう、これはジェディー(เจดีย์=卒塔婆),天国に行くために書いたお札です」と言う。




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■卒塔婆は墓地なら分かるけど何で沼に立てるんだろう、墓地の無いタイでは火葬後の遺骨をこの沼にポイするのだろうか??

川や海に流すとは聴いたことがあるが、滞留している池や沼に散骨するとは聴いたことも無い・・底無し沼に眠る無数の人骨を想像するとなんだか気味が悪くなってきた。





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■どうも納得できないままお札らしき部分をアップすると、白いものも含めて紙では無くどうもペットボトルのようだ・・。

翌日それを大家さんに話すと「池の魚を鳥が食べないようにした案山子のようなものだ」と意見は一転、

タイ人て本当にイイ加減だわねー!びっくりポン!!!
















ちゃんちゃん
 

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●昨日新しい情報を入れた新居周辺の地図を作成〔下図)していたところ、近いところにチェンマイの一大歴史観光地ウィアンクムカーム遺跡があることを思い出した。

検索すると6年前の201012月埋もれた古都ウィアンクムカームの更新があり、それに加筆、一部写真を張り替えて再更新することを思い立った。なお、6年前のこの記事はわが奥様が来訪時チャリンコで案内した時のものである。
 
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クリック拡大可

■昨日は奥様の希望により、チェンマイ南郊6〜7キロにあるウィアンクムカームの遺跡に自転車で行った(上地図参照)。
 
この地は来チェン以来何度も訪問、5年位前にも奥様をバイクならぬママチャリの後ろに乗せて案内したと聞いて吃驚、自転車時代の私はマイトガイなぬタフガイだったのだなーと感慨(笑)。
 
しかし、何度も訪問していながらブログでは一度も紹介していないことに気づき、で一つ書いて見ようかとなったが夕食も迫り、時間的に本日中は無理かなあと・・何とか間に合った。
 
×    ×    ×
 
ウィアンクムカームは1294年北タイに興ったランナータイ(チェンマイ)王朝最初の首都だった地であるが、ピン川に沿う低湿地のためしばしば洪水に見舞われた為、2年後の1296年に首都は北方6キロの内陸地チェンマイ〔現旧市街〕に遷都された。

しかし、ウィアンクムカームはその後もピン川水運のチェンマイ外港として繁栄、多くの寺院が建立された宗教的中心地だったとも推定されている。
 
しかし、1558年隣国ビルマの侵入でランナータイ王国は滅亡、以来チェンマイは216年にわたってビルマの属領となって衰退の一途を辿ったが、ウィアンクムカームはさらに酷く、ピン川の度重なる氾濫で埋没し廃墟と化していったのである。
 
その後チェンマイ王朝は19世紀初頭現チャクリ朝(タイ王国)の保護下で再興するが、ウィアンクムカームは最近に至るまで見捨てられ、その存在すら不明とされてきた。

×    ×    ×
 
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■この遺跡が脚光を浴びたのは2002年にチェンマイ出身のタクシン元首相が掲げたチェンマイ大開発の号令で、以来ナイトサファリと並ぶチェンマイ観光の目玉として発掘整備が行われてきた。
 
私が最初にこの地を訪れたのはタクシン氏が追放された20069月の軍事クーデター後だったが、遺跡観光の中心WT(ワットチャーンカム)には土産物屋や食堂・マッサージ店が並び、門前には観光馬車やオープンバスの順番を待つ観光客で賑わっていた。
 
奥様はこの時の印象で土産物屋で買いたいものがあると所望したのであるが、観光シーズンの日曜にもかかわらずお客はまばらで、土産物屋や食堂はほとんどが閉店していた(写真は201012月のWT門前の様子)。
 
タクシン追放で補助金が廃止されたことやその後のバンコク騒動を嫌った外国人観光客の激減の影響であろうと推測する(・・で一昨日行ったのだが、夕刻だったせいかWT門前には人影も無く一層寂れていたようだった)。
 
×    ×    ×
 
ちなみにウィアンクムカーム遺跡の規模は南北約6キロ、東西約8キロの範囲に、旧城壁と堀割に囲まれた計27ヶ所の寺院跡(地図の印)が確認されているが、以下主な遺跡を紹介する。


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これがウィアンクムカームのシンボルをなすワット・チェディリアム写真は一昨日)で高さは307mに達する。

この仏塔はタイ建国以前チェンマイ南方30kmランプーンに栄えたモン族の王国ハリプンチャイの仏塔がモデルで、ウィアンクムカームを取り囲む濠を作るために掘ったラテライト粘土でレンガを作り、仕上げに石灰で固めて建立したものである。



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■したがって建立は1294年とウィアンクムカーム最古の寺院だが、廃墟後も仏塔のみは同遺跡の象徴として存続し、1908年には付属する本堂や僧院、金ぴかの仏像も再建され現在は完全に復興した現役寺院となっている。

5段からなる仏塔の側面には上写真のように合計64体の仏像が安置されているが、この仏像群も再建された1908年に作られたものである




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写真は一昨日訪問の際撮ったものだが、祭日か縁日だったのか沢山の露店市が並びご覧のような観光馬車や観光バスも連なる賑わいぶりで、現在は以前の中心WT門前に代わるウィアンクムカーム観光の中心になっているようだった




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■ワット・プーピア、いかにも遺跡らしい遺跡だが、建立は前の仏塔よりずっと後の16世紀と推定される。
 
ウィアンクムカーム遺跡の大半はこのタイプで、いずれも洪水によって仏塔より下の部分が土砂に埋まって発掘された建物である。
 
名前は後から付けたもので、この土地を所有するプーピア(ピア叔父さん)の意である。






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■ワット・タクカーオ、遺跡は右側にあるが、ココはなんといっても頭に3つの冠を立て赤い布を着た大仏さんが人気である。
 
外人観光客もちらほら、さすがにチェンマイだけあって先月回った世界遺産カンペーンペッやシーサッチャーナーライよりははるかに観光客は多い。




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■帰途近くにある現役のお寺には人がいっぱい、よく見ると全て赤シャツ(タクシン派)で、どうやら今年(2010年)夏のバンコク暴動で殺された赤シャツ系兵士の追悼集会の模様である。


平穏で能天気な人間ばかりに見えるタイ人も、20069月のクーデター以来南北間・貧富間の対立がタイ社会に大きな影を落としているように思える。



イメージ 8■★赤シャツ(改革派)対黄シャツ(王党派)のタイ南北対立・階層対立は。
昨年6月の再クーデターによってタクシンの妹インラック政権が崩壊後王党派軍が復活、現在赤シャツ(タクシン派)は完全に封じ込まれている。

しかし、今年のタクシン派カレンダー〔写真〕に見るようにタクシン兄妹は依然大多数国民の根強い人気があり、バンコク王党派が目指す王政復古にはほど遠い現状にある。
 
 
 


















 
 ちゃんちゃん

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日語紙ちゃ〜おを見ていたらチェンマイ随一の高級リゾートHタラデヴィ・チェンマイの近くにイカ丸ごと一杯ラーメン(トムヤム)の紹介があったので行ってみることにした。

上写真がソレで大きなイカが丸ごと一杯、右上にあるハサミで切って食べる仕組みで、他にゆで卵と黄色い揚げモノにレタス・大根などの野菜と即席緬マーマが入った酸辛いトムヤムスープ仕立てである。



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■味は取り立てて美味いというほどじゃないが、メーンのイカ丸は食べ応え十分でこれで50バーツ(185円)ならマアマア、12時をすぎる頃にはご覧のようにお客はほぼ満員であった。

ところで手前の私のテーブルにドークアンチャンのボトルとラオカオと書かれたペットボトルが見えるが、最近昼食時には必ず持参ビアの代わりにラオカオのドークアンチャン割りを飲んでいるのである。

ちなみにドークアンチャンは飲み屋にも持参、健康と金銭的には大変良いアイデアだと自賛している。

+

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■さて折角ココまで来たからにはチェンマイ随一といわれる高級リゾート・ダラデヴィチェンマイを見ていこうと立ち寄った・・・イカ丸ラーメン屋からわずか200m先であった。

入口正面にはいかにも高級そうなダラデヴィホテルのメーンハウスがドッカーンとあった。



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■なんでもランナー朝(1316世紀の古チェンマイ王朝)の王宮寺院をイメージした建物らしいが、ホテルは2005年オープンというからつい10年前に完成した建物である。


しかしこれから先は入れないので、中はどうなっているかと検索すると・・・




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73万坪(東京ドーム5個分)の広大な敷地に川が流れ、水田が広がってオーガニック野菜の畑があってその間に戸建てヴィラが点在、交通は車は不可で馬車と自転車が使われているそうです。

ちなみに一泊いくらざんしょうと見れば定価?4万バーツ(約15万円)なれど今は値引き時代、アゴダ予約では半額以下の1・8万バーツ(約65万円)となっておりました。



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■でリゾート内には入れませんが、入口右手のショッピングビレッジはフリーで買い物や軽食喫茶が出来るようなので覗き見いたしました。




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■これブティック、洋服屋さんですか、でもなんとなく高そうですなあ。




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■この店は何でしょう?どう考えてもオッサンの来るところではありませんナ。

てな訳でオッサン格差社会を実感しつつ、ナニも買わず休憩もせずスゴスゴと退散した次第、世の中上には上があるもんですなあ。














ちゃんちゃん

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スマホは当初板PC工場一泊の予定だったが7時過ぎ板さん登場設定完了万事OKとわざわざ持参してくれた。
で操作については前日同様の居酒屋GGにおいて懇切丁寧にご指導いただき何とか初歩的な操作は出来るようになった。
特に最初に使う電話では古い携帯の電話帖(連絡先一覧)をチェックしてスマホに書き込んでくれたが、この作業は中学1年の板さんの義弟(奥さんの弟)にやらせたそうで何から何までコップンカップでありました。
 
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で帰宅後現在地マップ、つまりチェンマイ市街図を見ていたら、オヤこんな町中に今まで見落としていた大きな緑地と池沼群を発見して目が点になった。
場所は現在のスタードームゴルフ場で、ゴルフをする人なら当然周知のことだが、ゴルフとは無関係のオッサンゆえ全くの不知だったのである。
町中と言ってもゴルフ場ゆえかなり広く、花祭り会場となるチェンマイ最大唯一のプワクハート市民公園の20倍はありそうである。
地図上ではピマンチップゴルフコースと書かれているが、ちょっと調べてみるとかつては空軍基地内のゴルフ場だったが、その後民間に払い下げとなって現在はスタードームが経営しているようである。
 
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で何はともあれ野次馬オッサンとりあえず見に行ってくるかと出かけてみた、地図上では中央部を道路が横断、スワンドーク寺院へと抜けられそうである。
ハイ上がソノゴルフ場内だが、周囲を市街地に囲まれた町中とは思えない自然景観で、向こう奥には雲に覆われたドイステープ山がありました。
今チェンマイは雨季なれど温和で涼しいゴルフ日和、大勢のゴルファーがノロノロと歩いていましたが、果て横断道路はと見るとあるのはゴルフのカート道のみでやむなく退散、プールへと直行しました、
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さてオマケにその後のシランちゃん.
 花が5つに増えました。
 
 
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そして本日もう一つの枝にも1個の花が咲いたのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちゃんちゃん

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