ここから本文です
いたたた・・タイ
2016・12/16−100万アクセス突破”皆さま感謝★★★★★★★★★☆

書庫好奇地理博物誌

記事検索
検索

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]



イメージ 3

■前回「最貧国ハイチと泥のクッキー」で上記のような8年前に更新した「ハイチ5連作」を列挙、クリックすれば閲覧可として紹介した。・・ンで、読者がクリックしたのは最初の❶「フランス一豊かな植民地」が多く,❷以下の記事クリックは少なかった。

しかし、この中で一番面白いのは❹の「ブードゥー教とゾンビの国」でまさに“好奇地理博物誌”にピッタリの記事であるが、ぜひ皆様に再読して頂こうと「ブードゥーとゾンビの国ハイチ✚ベナン」として再興したのでどうぞ宜しく。

なお、「✚ベナン」とあるのは,本日「ハイチの故国ベナン訪問記」の豪華2本立てとしたためである。

これは「ハイチ5連作」を書いた2010年8月、ハイチの若者3人が故国であるアフリカのベナンを訪問したテレビを観て書いた記事で、大坂なおみのお父さんの故国ベナンも知っといたがイイかなと思ってプラスしたお節介記事である。


「ブードゥーとゾンビの国ハイチ」

ハイチの宗教人口構成(2000年)を見るとキリスト教徒が93と圧倒的多数を占め、うちカトリックが71%、プロテスタント17%その他5%の順であり、数字から見るとハイチはカトリック系キリスト教国ということが出来る。
 
しかし、ハイチのカトリック教は西アフリカ土着の精霊信仰であるブードゥ教と一体化し、その実態はキリスト教を隠れ蓑にした精霊信仰であり、本来のカトリック信仰とは大きく異なっている。
 
イメージ 4■ブードゥ(VooDooの呼称は英語名で、現地では精霊を意味するボドゥン(Vodunと呼ばれ、

ハイチ黒人の故郷である西アフリカの旧ダオメー王国(現ベナン)の中心民族フォン族の土着伝承・精霊信仰がルーツとなっている。左はブードゥ教の旗である。
 
すなわち1718世紀のフランス植民地時代フォン族を中心とするアフリカ黒人奴隷が大量にハイチに強制移住され今日のハイチ人が形成されたが、同時に精霊信仰すなわちブードゥ教も大西洋を渡ってやってきたのである。
 
しかし、カトリック教国である宗主国フランスはブードゥ教は「奴隷の邪教」として徹底弾圧し、黒人全員をカトリックに改宗することを強制したのである。
 
そのためブードゥ教は弾圧を逃れるためにキリスト教との習合を図り、聖母マリアなどの聖人信仰をブードゥ教に取り入れた土着キリスト教として変容して今日まで存続してきたのである。
 
 
イメージ 6■すなわちブードゥ教の愛の精霊エジリはキリスト教の聖母マリアと同一で、
 
村人が樹上で輝くマリアを発見したというソ・ドゥ−滝ポルトープランス北東100km)では毎年7月盛大な聖母エジリ巡礼祭(写真)が開催され、母国ベナン・トーゴなど世界各地から大勢の巡礼客が集まる。


しかし、ブードゥ信仰の本質はアフリカ時代とほとんど同じで、特別な教義や聖典はなく、教団も皆無で布教活動もしないため宗教と言うよりも部族伝承といったほうが現実的である。

 
 
ちなみにブードゥ教の儀式は太鼓を使ったダンスや歌謡、動物の生贄(いけにえ)、神が乗り移る「神懸かり」などが知られるが、もっとも有名なのはブードゥの司祭ボコにより行われる「生ける屍ゾンビ」を作る呪術(黒魔術)であろう。 
 
ボコは死体が腐り始める前に墓から掘り出して幾度も死体の名前を呼び続けると、やがて死体が墓から起き上がったところを両手を縛り、魂は壷の中に封じ込めたあとゾンビを作る作業に入る。 
 
ゾンビを作るにはゾンビ・パウダーというフグの毒成分であるテトロドトキシンが使用され、この毒素を傷口より浸透させる事により仮死状態が作り出される。
 
仮死状態になると酸欠により脳にダメージが残って自発的意思のない人間つまりゾンビが作りだされ、以後ゾンビは未来永劫、奴隷として働き続ける。
 
死人の家族は死人をゾンビにさせまいと、埋葬後36時間見張っていることもあれば、死体に毒薬を施したり、死体を切り裂いてしまうこともある。
 
死体に刃物を握らせ、死体が起き出したらボコを一刺しできるようにする場合もあるという。 
 
          ×    ×    × 
 
以上がゾンビを作る話だが、まさに大昔のフランス人ならずとも「奴隷の邪教」といいたくなるような信憑性に乏しい奇怪な話で、以来ブードゥ教はハイチ独立後も一貫して非合法化されてきた。

 
イメージ 7そのブードゥ教が公認されたのは、1957年に黒人文化を擁護して長期独裁政権を築いたデュバリエ大統領(左写真)で

自らをブードゥ教の神の化身「墓場の主人」と自称、ブードゥ呪術の秘密警察トントン・マクートを使って恐怖支配を行ったことで知られ、それを継承した息子べべドクとともに30年間にわたる 長期独裁政権を維持してきた。
 
ちなみにトントン・マクートとはブードゥ伝承上の「子供の誘拐魔」で、Xマスには良い子の家にはトントン・ノエル=Xマス小父さん(サンタクロース)が来るが、悪い子の家にはトントン・マクート(麻袋小父さん)が来て、子供やお父さんを麻袋に入れてさらっていくとされたのである。
 
一方、独立後のハイチを占領したアメリカは、ゾンビ伝説を元にしたブードゥ教のイメージダウンを行ってきたが、ハイチのゾンビ像を決定づけたのは1978年のJ・A・ロメロのホラー映画「ゾンビ」で、以来死者が蘇って腐ったままで歩き回り生者を襲って食らうというゾンビパターンが世界中に定着したのである。
 
 
蘇ったゾンビがダンスチームを作って踊りだす企画CDが大ヒット、15000万枚を売り上げるギネスのアルバム売り上げ世界記録として認定されている。 
 
左写真はゾンビに変身したマイケル・ジャクソン(右-当時25歳)であるが・・・、

やはりマイケルは白人に変貌する前の「ゾンビ時代」だった頃が一番カッコイカッタよね〜
 
最後に最高傑作だったPV「スリラー」(←clickをどうぞご覧ください。



ちゃんちゃん




●「ハイチの故国ベナン訪問記」


イメージ 5


■これは2010年8月放送のNHKテレビ<世界遺産への招待状 ベナン声なき人々の帰還〜アボメー王宮〜」を観たオッサンの感想記事である。
 
最初にベナンだが場所は上図のように、アフリカ大陸の中西部大西洋のギニア湾に面する国で、面積は日本の3分の1弱、人口は1000万人ほどと兄弟国ハイチとほぼ同じの小国である。

サッカーが強いわけでなく珍しい動物も特産物も無い日本人の大半が知らないアフリカの黒人国家であるが、今話題の大坂なおみちゃんのお父さんつまりハイチ人のルーツ、アフリカの故郷ということで取り上げてみた。


イメージ 6サハラ砂漠以南のこの地は年中高温多湿の不快な熱帯湿潤気候が卓越しているが、

特に問題なのは人には睡眠病かつ家畜を致死させるという吸血性のツェツェバエ(右写真)の棲息地として知られてきた。


高温多湿の気候に加えて家畜を飼えないとあらば、肉食のヨーロッパ人の居住には適せず、19世紀に殺虫剤が開発されるまでは「白人の墓場」とされてきたのである。

したがってヨーロッパからは近いにもかかわらず、サハラ以南の熱帯アフリカがアジアや中南米に比べて植民地化が大きく遅れた所以はこの「ツェツェバエの存在」があったのである。


だが、白人が住めない熱帯アフリカでヨーロッパ人が着目したのは熱帯労働に適する黒人労働力で、1618世紀には白人の住める新大陸アメリカ開発の移民労働力として2000万人を超すアフリカ黒人奴隷が最大の輸出商品として送られてきたのである。

その中心が大西洋を挟んでアメリカ大陸の対岸に位置するギニア湾岸一帯で、中でも上図のナイジェリアからベナン・トーゴ・ガーナに至る海岸線は悪名高い「奴隷海岸」と呼ばれる黒人奴隷最大の供給地となってきたのである。


+


イメージ 3そんな中番組はかつて100万人以上の人々が奴隷船に積み込まれた「奴隷海岸」の都市ウィダの岸辺に立つ「帰らずの門」(写真)を訪ねてきたハイチからの留学生3人の登場で始まる。

 

カリブ海の島国ハイチ20081月未曾有の大地震に見舞われたあの国だが、5回にわたって特集記事で書いたようにかつてはカリブ海最大かつ最も富裕なフランス植民地で、そのハイチ人の出身地がベナンであった
 
したがって彼らはみんなかつての黒人奴隷の子孫であるが、彼らの目に映った故郷ベナンは暗黒の奴隷時代を髣髴させる光景ばかりであった


奴隷積出港ウィダの奴隷商人館はかつてスーサと呼ぶフランス人が経営していたようだが、商人館は現在でも町一番の豪邸として営業、その子孫たちも健在でなんと3人を案内してくれたガイド嬢もスーサ一族の末裔だったのである。
 

イメージ 2

■奴隷時代のベナンの地はウィダから100キロ内陸のアボメーを首都とするダオメー王国が隆盛、現存するアボメー王宮(写真)が世界遺産に指定されている。
 
 ダオメー王国は海岸に来たフランス人から鉄砲・火薬を購入して近隣諸国を征服、その過程で得た敵国の捕虜や敵対する同族捕虜をフランス人に奴隷として売却し繁栄して来た「奴隷王国」だったのである。

で世界遺産アボメー王宮であるが、ご覧のように泥と日干し煉瓦の稚拙な建物で特に見るべきものは無く、奴隷の血を塗りこんだ壁や斬首した頭のレリーフ(浮彫)など説明が無いと只の塗り壁と壁飾りに過ぎない代物であった。




イメージ 4

 ■しかし、100万人の奴隷をハイチに送り込んだ奴隷王の子孫が現存(写真)、大勢の夫人を従えて登場したのには吃驚、ハイチ人留学生も複雑な気持ちで当初は王との接見を拒んでいた。  

王の謝罪の言葉で過去は水に流す結果となったが、奴隷商人も奴隷王も現存し今なお庶民とは異なる豪勢な暮らしをしている姿を目の当りにして、郷里ベナンにも及ばない世界最貧国ハイチの彼らにとって衝撃は大きかっただろう。



イメージ 5

 ■だが最後にギニア湾岸のラグーン(潟湖)ノコウェ湖の水上集落ガンビエを訪ねた3人を待っていたのは、夢に見たアフリカの魂であった。

ここは逃亡奴隷が逃げ込んで作ったといわれるが、村人はブードゥー教の原型をなす民族舞踏ボドゥンを踊って大歓迎、
 
漸くアフリカのルーツに辿り着いた3人はここで初めて心を開き、魂を揺らすボドゥン音楽と舞踏に一体化したように見えた。


ちなみにボドゥン(ブードゥー教)が国教となったのは、ハイチでは1957年であるが、ベナンは1992年である。































ちゃんちゃん



















この記事に

開くトラックバック(1)


イメージ 1本日プールにYさんが来訪、ご飯食べに来ましたとのことだが、SPプールの一人泳ぎは退屈らしく・話し相手に飢えてた様子であった。

早速テニスの話、全米オープンで勝った自国のジョコビッチそして大坂なおみ・・「大坂、新聞―日本のことばかりでお父さんハイチ人でしょ!ハイチのこと何も出ていません」とYさん.

「お母さん日本人です・それにハイチはビンボーですから子供は日本を選択するのが当然、Yさんが日本人と結婚したら娘はセルビアじゃなく日本国籍を選ぶのと同じです」に反論無し。

てな訳で日本はいま「大阪ナオミ」フィーバーであるが、濃い肌色からお父さんがハイチ人と知った人は多いようで、ハイチってどんな国なの?との関心も多少あるようで、その恩恵かおこぼれか?私が8年前に書いた好奇地理博物誌「ハイチ5連作」へのアクセスも漸増している。

もう忘れた人もいるだろうが、20101月死者2030万人とされる人類史上未曽有のハイチ大地震を機に書いた記事であるが、
20165月には以下の再考記事を更新している。


上記5連作はいずれも表題をクリックすれば閲覧可であるが、うち最もアクセス数の多かった❸独立後の大借金と「泥のクッキー」は、今回は“世界最貧国ハイチと「泥のクッキー」”と改称して再掲することにした。



■世界最貧国ハイチと「泥のクッキー」

イメージ 2フランス・ナポレオン軍との長期にわたる独立革命戦争(1791〜1804年)を経て独立したハイチは、輝かしい世界最初の黒人独立国となったのである。

しかし、戦争で人口は55万から30万人(45%減)と激減した労働力不足とフランス人経営者の帰国もあって、経済の支柱であったプランテーション農業は壊滅状態に陥ったのである、

加えて黒人国家ハイチ独立を承認する国は皆無で、コーヒー・砂糖・カカオなどの特産物輸出市場を喪失する窮地に直面した。
 
ちなみに今日コーヒーといえばブラジル、砂糖といえばキューバ、カカオといえばガーナの名前が直ぐに思い浮かぶが、いずれもサンドマング(現ハイチ)のプランテーション衰退後代って登場した新しい特産地なのである。
 
そのためハイチは旧宗主国のフランスに独立承認を要請したが、フランスはその代償としてフランス人から接収した農園や奴隷などに対する賠償金として15000万フラン(約6000万ドル)を請求したのである。
 

 
イメージ 3

■この金額がいかに ベラボーかというと、ほぼ同時期の1803年にフランスは北米のミシシッピ川以西からロッキー山脈に至る広大な平原地帯ルイジアナ植民地(面積約210万km2=日本の約6=上図)をアメリカに売却したが、その金額はハイチ賠償金の4分の11500万ドルだったのである。
 
ちなみにルイジアナとは当時のフランス国王ルイ14世の土地の意で、現在は世界最大の小麦・肉牛生産地帯および石油資源シェールガス埋蔵地帯としてアメリカのドル箱となっているが、当時は西部劇に出てくるような広大な荒れた大草原と湿地帯ばかりで、先住民インディアンとの土地争奪戦を繰り返していた。
 
したがって仏領ルイジアナはフランスにとっては収益性の低い赤字植民地として持て余していたが、独立したばかりのアメリカにとっては不可欠のフロンティア(未開地)であり、破格の安値で国土を一挙に倍増させた当時のジェファーソン大統領は「アメリカ史上最大のお買い得品」を買った人物として讃えられている。
 
なお、アメリカにルイジアナを売ったのはかのナポレオン1世皇帝で、ルイジアナの将来性の大きさを見通す眼力が無かったと言うより、彼にとってはハイチの目先の砂糖やコーヒー・カカオの方がはるかに魅力的だったというとこなんだろうナ’。
 
           ×   ×   ×
 
しかし、1825年ハイチは独立承認と引き換えに払えるわけも無い莫大な賠償金支払いを呑み、初年度から支払いのため国の将来を担保にフランスの銀行からの借入を余儀なくされた。
 
以来ハイチの莫大な賠償金と利払いによる「大借金生活」は100年以上にわたって経済を圧迫かつて「フランスの楽園」と呼ばれた富裕な植民地サンドマングは独立と引き換えに世界最貧国へと転落したのである。
 
 
そのため政情も不安定で相次ぐ政権交代や軍事クーデター頻発するなど無政府状態もたびたびであったが、第一次大戦中の1916ドイツの干渉を理由に突如アメリカ海兵隊が侵攻、以来ハイチは
1934年までアメリカ軍の施政下に置かれた。
 
アメリカは合衆国モデルの憲法制定や産業・権力の首都集中を推進したが、地方の衰退をもたらしたほかは成果なく、世界恐慌に見舞われる中でハイチからの撤兵を余儀なくされたのである。
 
イメージ 4■こうした中で第二次大戦後の1957年黒人優遇策を唱えるデュバリエ独裁政権が発足、71年には息子が継承、父子230年間に及ぶ長期独裁政権が続いた。
切手写真は息子ベベ・ドク、父親はパパ・ドクと呼ばれた。
 
デュバリエはキリスト教から外人司祭を追放して黒人の信仰するブードゥ教を優遇、秘密警察トントンマクートを使って恐怖政治を演出するなど反対派への徹底弾圧を行ったが、1978年以降反政府暴動激化の中で米・仏に説得され、86年フランスに亡命した。
 
ハイチはアメリカ占領下で対仏賠償金を完済、それに続くデュバリエ時代を通じてアメリカ経済の支配下に置かれ、首都を中心として輸出向け軽工業も発展してきた。
 
しかしプランテーション解体後の主産業となった米・トウモロコシ・イモ類を中心とする自給農業は、安いアメリカ産穀物輸入に押されて衰退の一途をたどってきた
 
その結果、人口の3分の2が農業に従事しながら食料の過半を輸入に依存する極貧国に転落、国民の80%が12ドル(180円)以下で暮らす現状に置かれている。
 
 
 
イメージ 5
 
■上写真は首都ポルトープランスのスラム街シテソレイユで、小麦などに塩分を含んだ泥を混ぜた「泥のクッキー」を売っている女性。
 
泥の割合は3〜4割程度というが、ヘドロの異臭が鼻をつき、無機質な泥の味がするという。
 
元々は妊婦らが迷信的に食べるブードゥーの伝統食だったが、トウモロコシやキャッサバなどのイモ類さえ高根の花になってしまった貧困層が飢えをしのぐ非常食になっている。
 
ところがこの1枚が約7円の泥クッキーですら、過去3カ月で値段が2倍超に跳ね上がったという。
 
1日の食費はこの半年で倍増し、1万5000円前後の月収はほぼ消える。コメを食べられるのは週1回だという。
 
 
☆ソース→blog.new-agriculture.net/blog/2008/09/000654.html-大震災前の2008年の記事である。




【追記】なお、大坂選手のお父さんのレオナルド・マキシム・フランソワは首都ポルトープランスから南東170kmのカリブ海の港町ジャクメルの出身です。彼がハイチをいつ出て渡米したかは不明ですが、おそらく中卒か高卒後故国ハイチでは職が無く、アメリカの親族(知人?)を頼って出稼ぎに出てそのまま移住したものと思われます。





























ちゃんちゃん

この記事に

開くトラックバック(1)


先日、「竹田の子守歌のルーツ」を調べていた折、巨椋池(おぐらいけ)に遭遇、これは好奇地理物誌の格好のネタと狙い、昨日アップする予定でいたが、地理記事には地図が不可欠として作図に手間取り遅れてしまった。



イメージ 1

イメージ 6

さて古都京都市の南郊には1941年(昭和16年)に干拓されて消滅するまで巨椋池と呼ばれる大湖が存在していました。

巨椋池のの大きさは東西4km、南北3km、周囲16kmと長野県の諏訪湖に匹敵する大湖でしたが、水深はわずか90㎝と浅かったため湖とは呼ばれず、万葉集には「巨椋の入江」とされる巨大な水溜まりを形成していました。​

この巨椋池は京都盆地の最低部にあって、上図のように琵琶湖の分流をなす宇治川と丹波からの桂川(保津川)及び伊賀からの木津川の三大河が合流する大遊水池(集水池)を形成、

その排出口(淀川)をなす山崎の天王山と石清水八幡宮(男山丘陵)の狭あい部に水流が滞ってできた地形である。


ちなみに京都盆地は今から2万年前の洪積世にはほぼ全域が「山城湖」(上図赤枠)とされる巨大湖を形成していたが、巨椋池はかつての旧山城湖の名残りの湖沼ということが出来る。





イメージ 7

宇治川・木津川・桂川3河川の流入する巨椋池は古来よりたびたび氾濫洪水を繰り返し、地形はその都度変容してきたが、下流大阪など淀川流域の洪水を調節する天然のダム遊水池として重要な役割を担ってきた。


イメージ 4巨椋池の水利開発に本格的に着手したのは伏見城(写真)を建設(1592年)した豊臣秀吉で、

淀堤など大規模な堰堤を築いて宇治川・桂川を分離して大阪と伏見港を結ぶ淀川水運(運河)を開き、京都(伏見)は外航船入港の可能な内陸港として発展したのである。

しかし、1868年(明治元年)木津川の決壊による大洪水を機に3河川の大規模改修に着工、1910年淀川改修事業の完成後巨椋池は3河川から完全に分離されるに至った。



イメージ 5
イメージ 2

一方、巨椋池は平安の昔からの景勝地で、特に蓮の花が池一面に咲く夏季には伏見からの納涼船「蓮見舟」(写真)が出港、涼を求める大勢の納涼客で賑わう夏の風物詩となってきた。

しかし、3大河川の流入が止まった巨椋池は水位が大きく低下して縮小するとともに、生活排水の流入で水質汚染が進行、巨大どぶ池と化して蚊が大量発生、1927年には巨椋池周辺19ヶ村がマラリア流行指定地とされるに至った。






イメージ 3

そんな中でどぶ沼化した巨椋池を干拓して食糧基地にするという日本最初の国営干拓事業が立案されて、脚光を浴びた。

巨椋池の干拓事業は1933年(昭和8年)に着工されて9年、戦時下の1941年(昭和16年)に完了、約800ha(甲子園球場の200倍)に及ぶ広大な干拓田が造成(写真)されるに至った。

しかし、「水の京都」の象徴で気候を緩和してきた巨椋池は完全に消滅、以来夏の猛暑と底冷えの冬という寒暑格差の大きい京都らしい気候がさらに厳しさを増したのである。


























ちゃんちゃん

この記事に

開くトラックバック(1)


イメージ 1

■前号でコソボのダイビング大会の画像を紹介したが、あれを見て真っ先に思い出したのはYさんと出かけた9年前の「世界大貧民旅行」で行ったモスタルの世界遺産スタリモスト(古い橋)からのダイビング(写真)であった。

イメージ 3■モスタルは旧ユーゴスラビア中央のボスニア・ヘルツェゴビナ第2の都市で、ネレトバ川の峡谷にかかる古橋スタリモスト(右写真)は高さ24mに達している。

スタリモストはオスマントルコ時代の1557年に建設、ダイビングの歴史も建設当初から毎年開催され、今年で実に452回(約4世紀半)という世界でも稀なギネス記録ものの古い伝統を誇っている。


なお、2018年から1557年を引くと461452回より9年多くなるが、ボスニア独立に伴う内戦の最中199311月にスタリモストが爆破され、20042月に再建されるまで閉鎖(ダイビング中止)されていた9年間を差し引いた関係である。



イメージ 2■ところで橋上ダイビング伝統のあるボスニアとコソボとの共通点はどちらもムスリム(イスラム教徒)国で、

地形はともにジナルアルプス=石灰岩カルストが発達し,ネレトバ川・ドリン川ともダイビングに適した断崖が発達した深い川である。

左はスタリモストダイビング出場に備えて河岸の断崖からネレトバ川に飛び込み練習する若者たちで、9年前にモスタルで私が撮った写真である。

川遊びをしたことのある人なら飛び込みと素潜り、すなわちダイビングこそ最も楽しい川遊びのハイライトで、当時元気だった私も川に飛び込んでヒャ―冷たいと歓声を上げた記憶がある。

つまりボスニアとコソボの共通点は冷たい夏の川とイスラム教で、ボスニアはイスラム化したセルビア人、コソボはイスラム化したアルバニア人の違いはあれど、川遊びは同じムスリム(イスラム教徒)の兄弟なのである。


ところでイスラム教はアラーの神の唯一信仰と厳しい戒律で知られるが、他宗教に対しては意外と寛容で、支配地域内でのイスラム信仰への強要は無く、イスラムを拒否して生神女マリア信仰を捨てなかったギリシャのアトス山やセルビア人の東方正教信仰を公認して来た歴史が証明している。

そのためイスラム教には西ヨーロッパの魔女狩りや日本のキリシタン踏み絵のような過激な信仰弾圧は無く、今日のイスラム国やタリバンなどの過激派イスラム教団の台頭は本来のイスラム教とは全く異質の黒キリスト教団を真似た過激教団なのである。




イメージ 4

■したがってイスラムに帰依したボスニア人やアルバニア人に対してもイスラム戒律の遵守は緩やかで、従って女性が顔や肌を隠す習慣は両国とも皆無であり、ネレトバ川の水浴場ではご覧のように女性は皆ビキニ姿で、

又元来イスラムは禁酒国なれど泊ったゲストハウスの周囲は深夜飲酒で騒ぐ地元ムスリムの若者の歓声で眠れないほどであった。

これに対しネレトバ川を挟んだ対岸はカトリック教徒のクロアチア人地区であるが、飲み屋は無論夜はほとんど光も無く真っ暗闇であったーーちなみに450年続くダイビングに参加するクロアチア人は極めて少なく、内戦中スタリモストを爆破したのは敬虔なキリスト教徒クロアチア人であった。























 
ちゃんちゃん

この記事に

開くトラックバック(1)


イメージ 1

■上写真は先々週だったか・・ヤフーだったかグーグルだったかのトピック画像で拾ったモノである。

場所はバルカン半島の内陸国コソボ西部の田舎町ジャコーバで毎年開催されている橋上からの伝統的なダイビング(高飛び込み)大会での様子を撮ったモノである。

今年は722日、気温36℃の猛暑の中、高さ22mのアーチ橋の上から次々と白ドリン川に向かって羽ばたくように飛び込む勇猛果敢な選手たちの姿に、河岸に集まった観客からの大歓声が響き渡ったとあった。

コソボは20082月セルビアから独立したばかりのヨーロッパで最も新しい国だが、周囲をジナルアルプス山脈に囲まれた北海道よりやや大きいバルカン半島の山国である。

しかし、山国とはいっても写真を見てもわかるように右側の山地を除いては一面の大内陸平原で、1314 世紀にバルカン半島一帯を制覇した古セルビア王国の故郷をなす穀倉地帯ということがよく分かる画像ゆえ保管していたのである。

ところが15 世紀以降セルビアはイスラム国オスマントルコ帝国により征服されて滅亡、その後400年間にコソボにはトルコに従ってイスラム化した隣国アルバニア人が侵入、キリスト教徒セルビア人を駆逐して定着したのである。

ちなみに写真右手の山地はアルバニアとの国境山地で、白ドリン川はコソボ盆地を貫流して黒ドリン川と合流してドリン川を形成、アルバニアを横断して地中海に注いでいる。

てな訳でセルビアから見れば故郷コソボに勝手に侵入して作ったアルバニア人国家コソボは、独立なんぞ絶対に認められない泥棒国家であり、セルビアに同情してコソボを承認してない国はロシア・中国・スペイン・インド・アルゼンチン・ブラジル・イスラエルなど国連の約半分近い85ヶ国にも上っている。

日本はどうだって❔❓コソボはアメリカとEUがセルビアを空爆して作った国ゆえアメリカとは一心同体、なんせ原爆落とされても核兵器禁止条約反対の国なんですから‥怒怒怒!!!

おやおや本日は「欧州ムスリム国家の断崖ダイビング」の予定で、コソボのみならずボスニアのモスタルを含む内容を予定していましたが、政治が絡むとどうも脱線!!!ゴメンナサイ。

あ・そうそうセルビアはポン友Yさんの母国であります。

よって本題は次号に繰り越しますが、悪しからず。





























ちゃんちゃん 

この記事に

開くトラックバック(1)

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事