ここから本文です
ヒデンデンのいしあたま
わたしの興味・関心・好奇心

書庫信仰

記事検索
検索

鶏が鳴く前に

イメージ 1
今年は酉年なのだとか。酉が十二支の一つであることは知っています。ね・うし・とらまでは聞き覚えがありますし、自分が巳年であることは承知しています。しかし十二支とか干支とか、それがそもそもどういうものなのか調べたことがないので意味がわかりません。
(とり)は鳥(とり)ではなく鶏(にわとり)なのだ、なぜ酉という字を当てるのだろう、そんなことを考えていたときに、ふと目に留まったのが書棚の『聖書の動物事典』※1でした。

聖書に出てくる鶏といえば、もちろんイエスがペトロに警告するあの言葉です。最後の晩餐とゲツセマネの祈りが前後する場面です。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないというだろう。」(マタ26:34)

すべての福音書に記載がありますが、マルコだけは今日、今夜、鶏が二度鳴く前に(マコ14:30) です。いずれにせよ、ペトロがイエスのことを知らないと言うと、するとすぐ、鶏が鳴いた(マタ26:74) ということになるわけです。
以上の聖句は新共同訳の表記に置き換えたもので、『聖書の動物事典』の原文では「cock 雄鶏」となっています。

続いて『コンコルダンス』※2を当たってみたのは、これら以外に、たとえば旧約の詩編などに鶏は出てこないのかという疑問からです。残念ながらというか、やはりというべきか、聖書における鶏の登場は上記の四福音書のみでした。


ついでにもう1冊『聖書象徴事典』※3を開いてみました。すると鶏の項目はないもののここでも雄鶏(おんどり)が出てきたのです。次の箇所が引用されていました。
1a誇りかに歩く雄鶏、そして雄山羊(箴30:31)
2a誰が雄鶏に知恵を授け、誰が分別を与えたのか(ヨブ38:36)

雄鶏があったと喜んだのも束の間、しかしわたしの聖書に載っていたのは次のような句でした。
1b腰に帯した男、そして雄山羊(箴30:31)
2b誰が鴇(とき)に知恵を授け / 誰が雄鶏に分別を与えたのか(ヨブ38:36)

新共同訳聖書に基づく『コンコルダンス』に雄鶏の項目はなかったものの、実際は上記2bのように雄鶏は確かに1か所、記されてあったのでした。1a・2aは別の聖書から採られています。

またしても訳文の違いに引っかかってしまいました。わたしは新共同訳と口語訳の聖書しか知りませんし、日頃用いているのは新共同訳ですから、これ以外の訳が出てくると、いくら言葉を咀嚼して解釈しようにも混乱が増すばかりです。実際1aと1b、2aと2bではまるで違うではありませんか。
四福音書の鶏すべてを雄鶏と記している聖書があるということです。また2bの鴇という鳥は、わたしたちがイメージする佐渡のトキとは異なる種類であることは想像に難くありません。鶏も同じでしょう。

さて、雄鶏について、先の『聖書象徴事典』では冒頭、次のように記されていました。
雄鶏の多様な象徴的意味は、基本的にはその強い生殖本能、闘争心、時〔夜明け〕の告知者という三つの際立った性質にもとづいている。

最高法院の中庭でペトロは保身のために嘘をつきました。夜明け前でも真昼間でも、嘘をつくと鶏の鳴き声が必ず聞こえてくることをわたしたちは肝に銘じておかなければなりません。鶏は人の嘘を見抜く知恵を主イエスから授かっているからです。
イメージ 2


追 記
「めん鳥」については、『コンコルダンス』によれば次の3か所に出てきます。エズ・ラ1:30、マタ23:37、ルカ13:34。
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。」(マタ23:37)。イエスがエルサレムのために嘆くくだりです。めん鳥は雌鶏のことでしょう。


※1 ピーター・ミルワード(中山理訳)『聖書の動物事典』大修館書店、1992年、p.125-126。
※2『新共同訳聖書 コンコルダンス』新教出版社、1997年、p.265。
※3 マンフレート・ルルカー(池田紘一訳)『聖書象徴事典』人文書院、1997年、p.81-82。

この記事に

オルガンコンサートの日に手伝ってほしいとS.K.さんから言われたとき、それまで出欠をためらっていたわたしは即座に「はい」と返事をしました。事前にオルガンの掃除だけはどうしてもしておきたいと思ったからです。
そしてきょう10時に教会に顔を出すと、持参の毛ばたきと布で、オルガンの手鍵盤と足鍵盤の埃を払って一音ずつ拭きあげました。毎月第4土曜日が清掃奉仕当番なのですが、内陣に掃除機をかけてもなかなかオルガンまで手が回りませんから、案の定、汚れは出て、それで気が済んだわけです。

イメージ 1

午後2時に開演した「第20回 パイプオルガンコンサート」。オルガニスト酒井多賀志さんのご高名は伺っていたものの、はじめて聴衆の一人になりました。
珍しいリューベックの1曲から始まってパッヘルベル、続くバッハはオルガン小曲集から降臨節(アドベント)にふさわしい4曲が並び、前半の締めくくりはやはりバッハ、圧巻のBWV542でした。ことにパッヘルベルの「アリア・セバルディナ」は楽譜を通じて親しい曲でしたから、まるで目の前の空間に音符が連なるような臨場感でした。曲ごとに丁寧な、少々専門的な解説が付きました。

イメージ 2

1996年に完成、奉献されたわたしたちの尊いオルガンです。聖公会の聖餐式では5曲の聖歌のほかに、キリエ、グローリアなどと続くチャント、それに主の祈りもうたうことがありますし、オルガニストはじつに忙しい。
一方会衆はうたうのに精一杯ですから、それに聖餐式の前と後と陪餐時においてもめいめい祈りを捧げているため、オルガン奏楽を鑑賞するゆとりはない。
ですから、きょうは会衆席の後ろの隅で、心おきなく、聖堂に響き渡ってわたしたちを包み込んでくれるオルガンを堪能することができました。

コンサートが始まる前に、A.H.さんと、小さな献金箱でなく神社並みの巨大な賽銭箱を用意しようと冗談を言い合っていました。なぜならコンサートの入場料は自由献金だからです。
ところがわたしは用事があるのをいいことに(用事があったのでやむなく)プログラムの前半を聴き終えて帰ってしまったのでした。献金を忘れて!

この記事に

降臨節前主日に思う

降臨節前主日(特定29)
11月20日

永遠にいます全能の神よ、
あなたのみ旨は、王の王、主の主であるみ子にあって、
あらゆるものを回復されることにあります。
どうかこの世の人びとが、み恵みにより、
み子の最も慈しみ深い支配のもとで、
解放され、また、ともに集められますように、
父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる
主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日本聖公会祈祷書 特祷
(C年)


(この記事は20日付のつもりで23日に書いています)
年間最後の主日となりました。5月から続いた聖霊降臨後の節もきょうで終わり。緑の祭色は来主日に始まる降臨節(アドベント)から紫に変わって、今年はずいぶん早く教会の暦が新しくなるような気がします。

降誕日(クリスマス)を待ち望みつつ、この1年間の教会生活を振り返るとき、洗礼40年目・堅信37年目は節目として感慨深い。けれど、年々体力と気力の衰えを痛感せざるを得ず、信徒の一員として進んでおこなうべき奉仕や催しなどへの参加は依然たかが知れています。
裏を返せば、いままで果たせていなかったことに積極的に向き合うことが、そのまま今後の課題ということになるのでしょう。聖書日課や聖歌についても、帰宅してからもう一度入念に読み返すぐらいのことは当たり前にできなければいけません。もちろん常に喜びをもって!

降臨節前主日の聖餐式。ヘンデルによる聖歌319番をうたいながら、そしてH司祭の説教に耳を傾けながら、わたしはジョットのフレスコ画によるろばに乗ったイエス様の姿※1を目に浮かべていました。司祭のお話はエルサレムに迎えられるイエス様について、それに福音書による十字架刑直前の場面でした(ルカ23:35-43)。
詩編は最も親しみやすい、またよく知られている第23編。新共同訳ではなくいつも『祈祷書』中のものを用いますから、やはりこちらのほうが馴染みやすい。以下、一語一句、味わいながら書き記すことにします。

詩編 第23編
1 主はわたしの牧者わたしは乏しいことがない
2 神はわたしを緑の牧場に伏させ憩いの水辺に伴われる
3 神はわたしの魂を生き返らせみ名のゆえにわたしを正しい道に導かれる
4 たとえ死の陰の谷を歩んでも、わたしは災いを恐れないあなたがわたしとともにお               られ、あなたの鞭と杖はわたしを導く
5 あなたは敵の見ている前でわたしのために食卓を整えわたしの頭に油を注ぎ、わた   しの杯を満たされる
6 神の恵みと慈しみは、生きている限り、わたしに伴いわたしは永遠に主の家に住む
『日本聖公会祈祷書』より

イメージ 1

神様のみ旨はあらゆるものを回復されることにあるという、冒頭特祷の “回復” の意味について思い巡らしています。新しい年がもうすぐ、再び巡ってきます。


※1 過去記事(2012/11/25):ジョット・ディ・ボンドーネの「キリストのエルサレム入城」

この記事に

2016年 聖霊降臨日

    聖霊降臨日※1
5月15日
 
  神よ、
あなたはこのときに聖霊を降し、
そのみ光によってみ民の心を照らしてくださいました。
どうかわたしたちも同じ聖霊によって万事を誤りなくわきまえ、
常にそのみ助けを喜ぶことができますように、
父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる
主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
 
日本聖公会祈祷書 特祷


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3


復活節が終わって聖霊降臨日を迎えました。主日に赤い祭色を見ることができるのは復活前主日ときょうの聖霊降臨日ぐらいではなかったかと思います。祭壇を飾る真っ赤なグロリオサの花は、まさに Flame Lily の異名のとおり、じつに聖霊降臨日にふさわしく感じます。
復活日からきょうまで、心身ともに不健康だったせいで、教会から足が遠のいていました。
案の定、きょうの昼食は例年どおり幼稚園の先生方の支度によるタケノコのサンドイッチ。でもその前に、はじめてヤコブ八戸功司祭による陪餐に与って、体内がみ子イエス・キリストの尊い体と血によって満たされました。全能の神が、聖霊によってわたしを、わたしたちをこの世に遣わし、み旨を行う者とならせてくださいますように。
司祭をはじめみなさんとの会話が弾んで、少し疲れましたが、満ち足りた主日となりました。主に感謝します。

特祷以下、聖書のみ言葉は次のとおりでした。
 旧約聖書……ヨエル書 3:1-5
 詩編……詩編 104:30-35
 使徒書……使徒言行録 2:1-11
 福音書……ヨハネによる福音書 20:19-23
また聖歌は次のとおり。
 386番「聖霊 降りて」
 196番「聖霊くだりて」
 185番「あかつきの光」
 261番「神の み子なる」
 434番「深い悩みの」

教会の聖堂はいま初夏を思わせる眩しいほどの緑に包まれています。すでにツツジやモッコウバラは散り、いまはシランやラベンダーなどが見頃です。

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6


詩編 第104編
30 あなたが息を送られると、すべては生き地の面は新たになる 
31 主の栄光はとこしえに 主がそのみ業を喜ばれるように
32 神が目を注がれると、地は揺れ動き山々に触れられると煙を吐く
33 わたしは生涯、主に向かって歌い命ある限り神をたたえよう
34 わたしの思いが神に喜ばれるようにわたしは主のうちにあって喜ぶ
35 罪人が地上から姿を消し、悪人がいなくなるように主をたたえよ、わたしの神よ、
     ハレルヤ
『日本聖公会祈祷書』より


追 記(2016/5/16)
聖霊降臨日のタケノコ・サンドイッチの昼食は今回で9年目と判明しました。タケノコは毎年N.M.さんの提供により、教区の合同礼拝やバザーでも好評を得ています。


※1 過去記事(2015/5/25):聖歌196番「聖霊降りて」(Impleta gaudent viscera / VENI CREATOR)

この記事に

繰り返し報じられる地震のニュースに接しながら暗澹たる思いです。被災地の映像が目に焼きついて、昨夜はなかなか寝つけませんでした。

「熊本と大分の地震400回超に 激しい揺れに警戒」「気象庁 地震活動の範囲南西側に広がる」「南阿蘇村で11人と連絡取れず 捜索活動続く」「14日からの一連の地震 熊本で41人死亡」──。NHK NEWS WEB の画面ではいまもこうした見出しが躍っています。そのうえ19万を超える人たちが避難を余儀なくされているとのこと。

イメージ 1

考えてみれば、わたしたちはこの暴れる地球の表面にへばりつくように暮らしています。ことに日本は列島の成り立ちからして、度重なる火山の爆発や大地震、津波などを経験しているわけですから、いまもこれからも、いつそのような災害が襲いかかっても不思議ではありません。

とはいえ、被災した人たちにしてみれば、今回の地震はまさに青天の霹靂でしょう。その恐怖は察するに余りあります。わたしたちは度重なる経験に学びながら、やがて本格的な復旧に立ち上がるでしょうが、しかし失われた人命の尊さは計り知れません。行方不明者の捜索と被災者の支援が急務です。

一刻も早い地震の完全な収束を祈ります。慈しみ深い神が困難に打ちひしがれている人たちを憐れみ、彼らを支えてくださるよう、そして希望を見出せるよう、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

この記事に

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事