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先にこちらを読んで……。 ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/samberasam51/5380176.html?p=1 カースト制度において最も問題とされているのが不可触民の問題です。 法的には『指定カースト』、マハトマ・ガンディーからは『ハリジャン(神の子)』といわれた彼らはヴァルナの四姓に入ることも許されていません。 400〜500のジャーティーを持つ不可触民の数はインド全体で1億3822万人(91年国勢調査)。 総人口の16.5パーセントを占めるといわれています。 彼らは数千年のながきに渡って過酷な差別を受けてきました。 都市における人々の意識は徐々に変わりつつあるといわれますが、カーストという排他的で 閉鎖的な基盤を主とした村落の状況は数千年前とほとんど変わりはないのだそうです。 彼らは現在も苦しみ続けているのです。 カースト制度には二つの深い思想が根底に横たわっているのだといいます。 それは、『浄・不浄思想』と『業・輪廻思想』だそうです。 インド古代史やカースト制度を研究しておられる山崎元一氏はその二つの思想についてこう定義しています。 「 浄・不浄思想 いずれの宗教においても浄・不浄の思想は存在するが、ヒンドゥー教のもとでこの思想は極度の発達をみた。 …(中略)…。各カーストの職業や慣行が浄・不浄の観点から評価され、最清浄であるバラモンを最高位とし、不可触民のカーストを最下位とするランキングが定められている。各カーストがそれ自体としてもつ一定の不浄性は集団的なものであり、 カースト所属者が一様に、また生涯にわたってもたざるをえないものである。一方、いずれのカーストも、それぞれにふさわしい浄性を保つ必要がある。各カーストがその成員に強制する結婚、食事などに関する煩瑣 (はんさ) な規制も、結局は自己のカーストを穢れから守り、 カースト・ランキングを維持するためのものと言える。以上のように、ヒンドゥー教の浄・不浄思想は、インド社会をカーストに分割する原理となっていると同時に、 カーストの集合体から成る社会を秩序づける原理ともなっている。宗教的・儀礼的に定められた上下の秩序が、経済的な分業関係を支え、維持してきたのである」。 「 業・輪廻思想 ヒンドゥー教徒は、霊魂は前世になした行為 (業 (ごう) )に縛られ,さまざまな姿をとって生まれ代わる (輪廻 (りんね) )と信じてきた。この業・輪廻思想のもとでヒンドゥー教徒は、 〈人がそれぞれのカーストのなかに生まれることになったのは、前世の行為の結果であるから、彼はそのカーストの職業に専念せねばならない。そうすることによってのみ来世の幸福が得られる〉と教えられる。こうした徹底した宿命観が、カースト社会の維持のために果たした役割は大きかった」。 『世界大百科事典(平凡社)』 汚物の清掃や死体の処理、皮革の加工や洗濯、掃除など賎業視されていた仕事に従事していた者は不浄と見なされ不可触民として位置付けられました。 業と輪廻の考え方により彼らは生涯に渡ってその不浄とされる仕事を続ける以外なかったのです。 カーストはこのように宗教や思想と結びついた、インドという世界における根源的なものなのですが、その経済的な役割も忘れてはなりません。 無数のジャーティーに区分された社会では、職業がそれぞれの人々にきっちりと分担されており、 誰しもが最低限の生活だけは保障されるという利点があったのです。 つまり、極端な例では乞食は乞食ジャーティーとしてその存在を認められていたのです(貧しい人に喜捨を与えることは現世での功徳を積むことにもなる。もしかしたらそういった善行をする機会を与えてくれる存在として物乞いはその立場を認められていたのかもしれない)。 そして、そのきっちりと分業された社会は世界の安定をもたらし、インド世界が何千年にも渡って変わらずにこられたひとつの原因であるといえるのかもしれません。 世界中のどこでも都市より農村の方が、伝統的なものを多く保持し、より保守的であり、より排他的であるものです。インドの農村も例外ではありません。 カーストによる不可触民への差別は農村にこそ深く、根強く残っています。 村落におけるカーストヒンドゥーによる不可触民への差別は言語を絶するものだといいます。 支配者たちは彼らをいたぶり、物を奪い、慰み者にし、監視し、虐殺するのだそうです。 インドを題材とした作家で翻訳家の山際素男氏は、かつて不可触民の差別の現状を知るため農村に赴きました。そして、そのとき出会った不可触民活動家のラジャン氏は農村における不可触民への差別の現状についてこう語っています。 「ヤマギワさん、不可触民の九割、一億二千万人の不可触民(不可触民八千万。山間未開部族四千万。これらの人々は社会的にアンタッチャブルである)の九〇パーセントは農村に住んでいるんですよ。都会にいたんでは、不可触民の姿は決して判りません。都会でだってもちろん惨めな生活をしているのが大部分です。しかし、カースト問題、その極端な差別の実態を知るには農村にゆかねば判りません。インド人の75パーセントは今も農村に住み、不可触民の九割はそこで呻吟しているのです。 どうして、そんな状態にわれわれを置こうとするのか? ひとつは、同じように貧しいカーストヒンズーたちが、常に自分より惨めな状態の人間を作り出し、せめてもの満足をえようとするからです。更にひとつは、不可触民をいつでも暴力で押さえつけてきているからです。何百、何千年と、かれらは力ずくでわれわれを押さえつけてきています。(後略)」 『不可触民 もうひとつのインド (光文社)』 オレンジ色の夕陽が西の空にゆっくりと沈んでいきます。 土色の寺院と、遊び回る子供たちの横顔が紅く色づき、遠くの農家からは夕餉の煙がゆらゆらとたなびき始めています。 何千年もの間、変わらずに続けられた農村の一日がまた、終わろうとしていました。 私は遺跡の石段に腰掛けながら考え続けていました。 私は単なる旅行者です。研究者やジャーナリストでもない私にはカーストによる差別も、 過酷で悲惨な現状も窺い知ることは出来ません。 人々に「あなたのカーストは何ですか?」などと聞くことは憚られるし、ましてやその辛い差別の実態を聞くことなど出来やしないし、その権利もありません。 だけど、人々の従事している職業から、その人が不可触民であるのだということは何となく判断することができます。 ホテルの部屋を掃除しに来る若い兄ちゃんは不可触民に間違いないし、膨大な洗濯物に囲まれ、折り重なるようにして横になっていた街の洗濯屋の一家も典型的な不可触民でしょう。 デリーのマクドナルドでもカウンターの中で笑顔で接する仕事と、机を掃除したり残り物を片付けたりする仕事(不可触民の仕事)はきっちりと別の人間に分担されていました。制服も違っていました。 都会や観光地ではあからさまな差別を目にすることはほとんどないし、普通に観光するだけではその実態はほとんどわからない。そして、例えその現実を目の当たりにしたとしても、我々部外者がその問題に立ち入っていいものなのかどうかさえ見当もつきません。 しかし、21世紀という現代に於いて、世界の中に未だそういった差別が存在し、それによって現在も苦しんでいる人々が大勢いるということを少なくとも我々は知る必要があるのではないか。そう思いました。 夕陽は沈みました。暗い夜の帳が辺りを包み込み始めています。 「インドの心は村にある」 そう言ったのは、インド建国の父、マハトマ・ガンディーでした。 カースト・ヒンドゥーであったガンディーは、不可触民への差別を憎み、彼らを『ハリジャン(神の子)』と呼び、その地位の回復に努めました。 しかし、その一方で、インドという世界の根幹をなす物としてカーストそれ自体の必要性は認めていたのです。 大いなる矛盾。 彼の差別への憎しみは本当だったのだとは思いますが、そのどうにもならないような矛盾を感じずにはいられません。 「インドの心は村にある」 私はその美しさ、その闇を含めて本当にそうだな。と思いました。 私は遺跡の石段をぴょん、と飛び降りると、宿に向かって薄暗くなった村道をとぼとぼと歩き始めました。 空には月が、カーストヒンドゥーも不可触民も、全ての人を平等に照らし出す月が、ぽっかりと浮かんでいました。
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国とゆう大きなものを動かす上でやはり上下関係というものは出れきてしまうのは当然のように思いますが、生まれつきの差別はあってはならないと思います。人類みな平等とはよく言ったもので、誰にでもチャンスがある世の中になってもらいたいですね。現実無理に等しいでしょうけど。
2007/7/2(月) 午前 8:29 [ tooo ]
日本もエタ・ヒニンという身分で言えば最下層がいた時代は、そう遠くない過去ですけど、インドは現在進行形ですからねぇ・・・。宗教的・民族的な身分制度なので、彼らの中では生まれた時から当然なのかもしれないけど、ナンセンスですよね。
どんな人でもしょせん人間、貴賎を感じる人に本当の幸せなんてないと私は思います。
2007/7/2(月) 午前 11:16
日本の明治維新のような指導者が出てきて全てを壊さないと変わらないのでしょうね。大きな根の深い問題を抱えた国が10億を超える民を抱え、これから何処へ向かっていくのでしょうか。直ぐ隣の中国も心配ですが。
2007/7/2(月) 午前 11:46
意味が違うかもしれませんが、日本にも部落出身とか、まだ、拘ってる人がいます。直接的な事には直面はした事がありませんが、死体処理とかの仕事をもう生まれた時から、決められいたそうです。今はありませんが。内の近くには、まだそう言う事を平気で言うお年より達がいます。平等。。各自の意識の問題だと思います。偏見が有る限り無理かなと思います
2007/7/2(月) 午前 11:48 [ - ]
転載ありがとうございます。
宗教というのは人々の思想とか道徳を形作る上で重要なものですが、ヒンドゥー教では差別が肯定されてしまっていますね。
輪廻とかそういう宇宙観から見たら差別ではないのかもしれませんが、現実世界を生きる被差別者にとってはあまりにも苛酷な考え方です。
2007/7/3(火) 午前 0:42
1億何千万人ですか。レーニンや毛沢東のようなカリスマ性のある指導者が必要ですね♪インドの社会は理解するには難しすぎます。インド人は頭のいいかたが多いので、これから取って代わるのはインドではないかと思っているのですが。
2007/7/3(火) 午前 0:54
Toooさん>私も そう 願います
2007/7/3(火) 午前 2:46 [ 建築や ]
PetitApolloさん>そうですね でも 大分 薄くなってきているようですよ その意識
2007/7/3(火) 午前 2:48 [ 建築や ]
Legさん>その通りですね 中国とインド さてさて アジア
2007/7/3(火) 午前 2:55 [ 建築や ]
もすらさん>そうですね また いつか 語り合いましょうね
2007/7/3(火) 午前 3:06 [ 建築や ]
さるみみさん>でも 彼らの習慣に こびりついていますからね
2007/7/3(火) 午前 3:10 [ 建築や ]
アスタナさん>これから どうなっていくんでしょうね
2007/7/3(火) 午前 3:11 [ 建築や ]
「女盗賊プーラン」を読んで、カースト制度の具体的な悲惨さを知りました。戦争と同じで、階級制度は、これからもなくならないのだろうなぁ・・
2007/7/4(水) 午前 0:01 [ ハーモニー ]
かなり 根が深いですよね これっ
2007/7/4(水) 午前 1:36 [ 建築や ]
カースト制度という言葉は知っていましたが、現在進行形だったのですね。
日本にも部落問題がありますが、インドのそれは歴史の深さと、国民に占める割合の多さで、さらに根が深い深刻な問題ですね。
2007/7/4(水) 午前 7:25
カースト制度による差別、これが現在も生きて人々を苦しめている!
記事を読んで、本当に知らないことばかりでした。他人の国のことながら、なにか解決の道はないのだろうかと思いました。人々は輪廻思想に縛られて、反逆反発の考えを封じ込められている?
2007/7/4(水) 午前 8:31
私なりに考えて、コメしようとしたのですが、中々上手くまとめられず・・・。その1その2と転載してもいいですか?
2007/7/4(水) 午後 3:57 [ - ]
あすかさん>まったく その通りですよね
2007/7/5(木) 午前 0:35 [ 建築や ]
Chocoさん>なんかね なんというか そう思いますよ
2007/7/5(木) 午前 0:36 [ 建築や ]
Naoさん>どうぞ やっぱり こういう事 日本人も 知ってほしいですよね
2007/7/5(木) 午前 0:38 [ 建築や ]