【愛犬ベルの死】
18年間ともに暮らした愛犬ベルが死にました。最期の日は、苦しそうでした。死んでから1ヶ月が過ぎましたが、まだときおり涙がでます。
ベルは、ブログにも何度も登場しました。読み返してみたら良いことを言っています。ベルの死を追悼するため、ベルの言葉を再掲載することにしました。
====ナレーター====
今日の私は昨日に引き続き弁護士先生の飼い犬。弁護士先生の犬は少し理屈っぽくなります。あまり、良い傾向ではありません。しかし、今日は理屈をこね回したくなりました。昨日の続きを書く前に、少し、寄り道をさせてください。私の心配事を書きたくなりました。
動物の世界では強いものが生き残ります。適者生存とか言います。人間の社会にもその様な考え方がありました。社会ダーヴィニズムです。ナチズムがそうでした。彼らは言いました。“優れたドイツ民族は非才、無才の民族を引っ張って行かねばならない”と。
この考え方はドイツや日本の敗戦で否定されたはずでした。しかし、かたちを変えて、今まさにこの日本で社会ダーヴィニズムが進行しているように感じられてなりません。彼らは自らの考えを社会ダーヴィニズムとは言いません。新自由主義とも市場原理主義とも言いません。警戒されるからでしょう。
フリージャーナリスト・斉藤貴男氏が教育課程審議会の会長だった三浦朱門氏へのインタビューをしました。三浦氏のインタビューでの発言を見てください。
三浦氏曰く『できん者はできんままでけっこう。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、これからはできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼等が国を引っ張って行きます。かぎりなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。』(斉藤貴男氏著作から引用)
為政者の発言は三浦氏ほど露骨ではありません。美辞麗句をならべます。構造改革と言われれば、良いことをやってもらえるのだろうと思ってしまいます。行政の無駄遣いの問題もありますので、彼らの狙いはカモフラージュされます。
福祉や教育、医療、労働といった今まで行政が担ってきた全ての分野で、“民でできることは民で”の考え方が推し進められています。“市場原理に任せればサービスが良くなる。”“画一的なサービスを改め、多様なサービスを創出しよう。”“多様なサービスから必要なサービスを選択できるように。”と美辞麗句がならびます。
非才、無才、貧乏人は必要なサービスさえ受けられなくなるような気がします。そして、彼らはそうなったのは自己責任だと言うのでしょう。民族としての優秀性こそ言われませんが、格差社会では一部の勝ち組と多くの負け組みに色分けされ、社会ダーヴィニズムが進行していきます。
勝ち組にとって格差は必要です。彼らは差別化された良質なサービスを受ける権利があると思っています。そして、彼らは軍隊には入らないでしょう。彼らにとって、憲法が改正され、戦争ができる国になったとき、軍隊に入るしか生きてゆけない人たちがどうしても必要になります。今の政治家の子弟が戦争に行くわけではありません。
戦争に行けば戦死者がでます。放っておくわけにはいかないでしょう。手厚く葬って神にしなければなりません。不満が高まれば、次に戦争に行く人が居なくなります。靖国が必要になります。そう考えると、今の政治の動きに全部説明がついてしまいます。偶然の一致でしょうか。
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