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雇用の破壊によって、今や労働者の3割は非正規雇用である。1000万人余の労働者は年収200万円以下で生活している。貯蓄の無い世帯が22.9%、病気や離婚や失業で誰でもそんな立場になる時代である。そうした時に最後のセーフティーネットが生活保護である。 11月15日の新聞に「午前4時のSOS」という題で記事が載った。また、北九州市かと思った。読み進むうちに引き込まれ読み終わる頃には涙が出ていた。やっと認められた生活保護。今まで水風呂で我慢していた9歳の息子があったかいお風呂に入って「お−、お母さん今日はあったかい。」と言った。記事は、そこから始まる。 しんぶん赤旗はとっている人も少ないと思うので以下に転載することにした。 「おー、お母さん今日はあったかい。」北九州市小倉南区に住む中川君江さん(47)=仮名=は息子(9つ)の言葉に涙があふれました。初めて受け取った生活保護費によって久々に風呂を沸かすことができたのです。「いきててよかった」
君江さんは、6年前に離婚、息子と二人で暮らしています。情報誌の配達で生計を立ててきましたが、無理がたたり両手の感覚を失い失業。児童扶養手当と児童手当の月5万円が唯一の収入となりました。 ガスや電気代を払うことができず、ライフラインを止められ、息子に水風呂を使わせていました。「冷たい。」君江さんは、息子の言葉に胸を締めつけられました。 【手元には820円】 君江さんは、生活保護を求めて区保護課を訪ねますが、保護課はまともに話を聞こうともしませんでした。知人に紹介された公明党議員と再度、保護課を訪れ「ガスも水道も止まっている」と訴えました。それでも保護申請さえできません。 手元には820円しか残っていませんでした。「頼れるものはどこもない。」君江さんは、眠ることができず、携帯電話のサイトを開きました。「生活保護」という言葉が出てきて、そのサイトに無我夢中で書き込みます。7月22日の午前4時のことでした。 このサイトは愛知県のAさんが開いているものでした。君江さんの書き込みを読んだAさんは「誰か救済を」と発信します。それをキャッチしたのが東京で野宿者支援などに取り組む「NPO自立生活サポートセンターもやい」。 事務局長の湯浅誠さんが、君江さんから住所を聞き、「生活保護問題対策全国会議」のメーリングリストで「救済してくれる人はいませんか」と呼びかけます。それを見たのが北九州市の濱田なぎさ司法書士と高木佳世子弁護士でした。 湯浅さん、濱田司法書士、高木弁護士は法律家や社会保障推進協議会、生活と健康を守る会、市民が共同する「北九州市生活保護問題全国調査会」に参加、「全国会議」の一員です。 餓死・孤独死を相次いでだした北九州市をはじめ生活保護行政の問題点を調査、告発し、生活に困ったときは誰でも生活保護が利用できるよう申請に同行するなど権利を守る運動を続けています。この取り組みは、首都圏、九州、近畿など全国的なネットワークに発展しようとしています。 【家を出る寸前に】 君江さんがサイトに書き込んだ翌23日午後、濱田司法書士と高木弁護士は君江さんの家に駆けつけます。手には食材をいっぱいつめた手提げ袋がありました。君江さんは、行くあてなく息子と一緒に家を出る寸前でした。「うれしかった。」君江さんの目からは涙がとめどなく流れました。 「今から、保護課に行こう。」濱田司法書士と高木弁護士はためらう君江さんを促します。保護課に着いたのは区役所が閉まる15分前です。生活保護課は、人々の申請権を認めています。濱田司法書士と高木弁護士が同行すると保護課は申請を受け付けました。 君江さんはいいます。「あのまま生活保護を受けられなかったら私は今、ここにいなかったかも知れません。ネットワークが命を救ってくれました。困っている人は沢山います。そう言う人を区役所は追い返すのではなく、その人の気持ちになって応対してください。」 |
13条個人の尊重、25条生存権
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2007/11/19(月) 午後 6:36 [ - ]
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2007/11/20(火) 午前 6:25 [ haikunissi365 ]