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密約問題がマスコミで取りざたされていますが、不親切な記事ばかりで良く分かりません。風太郎の地元の9条の会では6月に密約問題をとりあげて話し合うことになりました。風太郎は話題提供ということで会の初めに30分ほど密約問題について説明することになりました。やむなく資料を集めて研究を始めたところです。もっと、深く掘り下げる必要がありますが、密約問題の中心をなす核密約について概要を書いてみました。
期待を裏切る鳩山政権
鳩山政権が、発足直後核密約の徹底究明を表明したことは大きな期待をもって迎えられました。そして、三月には広義の密約はあったとする有識者委員会の結論が報道されました。しかし、残念なことは、有識者委員会は密約があったと言い切らず、広義の密約があったとの曖昧な表現にとどめたこと、それを受けた政府の態度も最初の勢いは何処へやらで、実に歯切れが悪い結果になっていることです。
核は抑止力か
政府のあいまいな態度は核を抑止力と考えていることに起因しています。この点は普天間問題と共通です。歴史的に見てアメリカの核は抑止力ではなく侵略力であったことは見過ごせません。また、NPTで核廃絶が課題となる中、唯一の被爆国である日本は非核三原則を堅持し、核兵器全廃の先頭に立たなければならないと思います。
分かり難い密約問題
日米の密約問題がマスコミを賑せていますが、親切な報道がなされているわけではなく分かり難くなっています。 日米密約とはこういう問題ですと答えられる人は少ないのではないでしょうか。
密約問題の分かり難さは、マスコミの責任に加えて密約の種類の多さにもあります。四月九日には密約の存在を認めた外務省機密漏洩事件の東京地裁判決がありました。その他にも朝鮮有事の際の密約や日米地位協定に関する密約(米軍関係者の日本国内での犯罪に関し、余程の重大事件で無い限り起訴しないとする密約)などなど次々に報道されています。その多くはアメリカでの情報公開によって明らかになってきています。
非核三原則と核密約
一九五〇年に締結された旧安保条約では、日本に基地を持つ米軍は勝手に戦争を始めることもできたし、核戦争をすることもできました。一九六〇年、強力な安保反対運動にも関わらず安保条約は改定されました。改定安保条約では、その当時の日本国民の意思に基づいて、米軍が日本に核を持ち込む時、日本の基地から発進して戦闘行動をする時には事前協議を行う前提での条約が締結されたはずでした。
米国の核兵器使用は朝鮮戦争で検討され、仏に協力する形でインドシナ戦争での使用も検討された後であり、核戦争の不安が現実のものとなった時代です。事前協議なしに安保は改定できなかったわけです。
六〇年安保改定時の首相である佐藤栄作は、国民の意思は無視できず表向きは事前協議があるから日本に核は持ち込まれないと説明してきました。そして、その後の自民党政権も米国からの事前協議が無いのだから核は持ち込まれていないとの主張をしてきました。その後、佐藤元首相は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と非核三原則を提唱したことを理由としてノーベル平和賞を手にしています。
事前協議は、今日に至るまで一度も行われていません。米軍の航空機や原潜、艦船は自由に日本の基地に出入りしています。当然、米軍は日本に事前協議することなく、核兵器を持ち込むことができるとする密約があったのではないかと疑われるようになりました。
そして、米国の情報公開によって、一〇年程前から密約があったことが明らかになってきました。日本に核兵器は持ち込まれている可能性があるにも関わらず岡田外相をはじめとする政府の態度は、すっきりしません。政府として密約があったことをはっきりと認めるべきです。
密約は破棄すべし
核密約があったということは、五〇年間に亘って日本国民をはじめ世界中が騙されてきたということになります。
少なくとも日本への核持ち込み疑惑が払拭できないわけですから、日本は米国に対して日本への核持込に際しては事前協議をするよう要求すべきです。しかし、政府は米国への働きかけは考えていません。
自民党時代には核密約を否定して米国の言うなりでしたが、新政権は密約を認めた上で何も言わないだけの違いに
なるのでしょうか。
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Thanks to Trackback for my blog.
詳細をわかりやすく解説していただき、理解に助かりました。
今後とも、宜しくお願い致します。
2010/5/11(火) 午後 11:29 [ ART_OF_LIFE ]