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「決して対岸の火事ではない、
数百万人の生死を左右するEU−インド間FTAの行方」
ジャーナリスト 堤 未果
07年6月から続いているEU・インド間の自由貿易協定(FTA)について、EUの経済界から協定調印への圧力が高まっている。
この間、世界各国の医療従事者やNGO、国連関連機関などは、FTA内のある条項について、強い懸念を表明してきた。
閉じられたドアの内側で行われている交渉について、リーク文書が明らかにした「投資」に関連する条項だ。
ジェネリック薬品生産大国であるインドが、途上国の感染症患者数百万人に安値の医薬品を提供する一方で、それに抗議する製薬会社との軋轢は年々拡大を続けている。
今回、国境なき医師団をはじめとする団体の圧力を受けて、「薬の特許期間延長」は交渉内容から外された。
しかし問題は、投資家の利益を保護するための「投資有害条項」内にある取締り条項だ。
たとえば、製薬会社から特許権や商標権侵害が指摘された場合、インド国内で生産されたジェネリック薬品を輸出するインド政府、そして医師など薬品を提供する人々も訴訟対象になる可能性がある。
裁判はインド国内でなく世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターで非公開に行われ、上訴もできない。
企業が知的財産保護を掲げ、国際条約の相手国政府を訴えるケースは、年々増える一方だ。
11年にはスイスと二国間条約を結ぶウルグアイ政府が「公衆衛生政策は企業利益を脅かす」とし、フィリップモリス社に損害賠償と政策廃止を申し立てられている。
こうした取締り条項の除外を求める、国連途上国医薬品支援計画(UNITAID)のドストブラジ事務局長はこう語る。
「医薬品は治療や延命に使われるものであり、車や機械などの工業製品と同等に扱われるのは問題があります。
私たちは国家間の貿易における利益追求が、公衆衛生を阻害することのないよう、適切な政策的線引きを求めます」
医薬品以外の分野でも反対の声が上がっている。
EU酪農製品のインド参入についてだ。
すでに十分な自給率を持つインドの酪農市場に安価な乳製品が関税なしで入ってくれば、低所得層の女性を中心とする9000万人の生活を支える国内産業は確実に打撃を受ける。
バーラティ農民組合のヤドビル・シン氏は
「FTAは国内産業をつぶし、一握りの外国企業だけを利する不平等条約だ」と批判する。
「政府はこのFTAによってインドは大きく経済成長し、恩恵がもたらされるといいますが、どうしてもメリットが見当たりません。
いったい、経済成長の恩恵を受けるのは、どこの誰なのでしょう?」
小売り業の分野では、世界第2位の巨大スーパーマーケットチェーンであるフランスのカルフール社などを初め、大手の参入による業界の寡占化や、小規模生産者が廃業に追い込まれる可能性が危ぶまれている。
EU側の要請に含まれている土地や水資源、金融や保険部門の市場開放も、インド国内の反対にとっては、国の主権に関わる不安材料だという。
ニューデリー在住のジャーナリスト、コリン・トッドハンターも、FTA交渉に関するインド政府の姿勢について懐疑的見方をする一人だ。
「インド政府は国内の反対勢力に対し、『酪農や小売りなどは聖域として絶対に守る』と約束していますが、多くの国民は不信感を持っています。インド政府は近年、規制緩和と民営化に舵を切っている。今回のFTAにも、国内市場を開放し、外国企業の投資をとりこみたい政府の思惑が見え隠れするのです」
人口10億人の大国インドの未来に加え、途上国の患者数百万人の生死を左右するこのFTAの行方を、今世界中が様々な思惑で注視している。
日本では、ほとんど報道されないこの条約。
今の私達にとって、果たして海の向こうの出来事だと言えるだろうか。
(週刊現代5月6日号:「ジャーナリストの目」連載記事)
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生活と文化にかかわる政治
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