近・現代史講座で勉強したこと
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●本記事の最初から読むには→http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/51225813.html 引き続き、わが町の9条の会での石山氏の講演の内容を報告することにします。 【日米両政府の思惑の犠牲になった沖縄】 太平洋戦争の最後の段階で、当初、日本政府はアメリカが台湾を狙うものと思っていたが、実際には台湾をスキップし、55万人もの兵力を投入して沖縄攻略作戦を開始しました。アメリカにとって沖縄は、戦後のアジア戦略上最も重要な地理的な位置にあったわけです。 沖縄を中心にして500キロ1000キロ1500キロなどの円を描くと分ることですが、アジアの重要な都市がその円の中に入ります。沖縄は、アジアの中心に位置しています。アメリカが如何に沖縄を重要視していたかは、現在でも日本国内にある米軍基地の実に75%が沖縄にあることをもっても分ることです。米軍は、なんとしても沖縄を手に入れたかったということです。 一方、日本政府は、本土決戦に備えて、皇居を長野県の松代に移すため工事を進めていましたが、守備体制を構築するために時間稼ぎを必要としていました。日本政府の沖縄戦の戦略は、天皇制を守るための時間稼ぎ、持久戦だったのです。 沖縄は、そういった日米両政府の思惑の犠牲になって全県民の4分の1にあたる15万人もの犠牲者を出すことになりました。 【慶良間諸島の例】 慶良間諸島には、座間味島や渡嘉敷島がありますが、激しい戦闘が行われたところです。昭和19年9月、日本軍はここに配備されました。配備の目的は、海上特攻隊の基地をつくることでした。多くの島からなる慶良間諸島は、洞穴や小船が隠れる場所が沢山あります。住民を動員して土木工事をしたわけです。 住民は、どこに特攻隊の舟が隠してあるか知っています。軍は、住民がアメリカ軍の捕虜になることを禁止しました。投降することは勿論、間違って捕まっても罪になります。住民が捕まれば、軍隊の隠れている場所がばれてしまうと考えたからです。 3月になって、手榴弾が2発ずつ配られました。1発は敵に投げつけ、1発は自爆のためでした。 慶良間諸島では、軍の教育は徹底していました。婦女子は、強姦され殺され、男は股裂きにされると教育されました。米軍が迫り逃げられないと知ったとき、妻や子どもを愛する人の手で殺したほうが良いと思わされていました。自決と言っても、子どもは自分では死ねません。 【石山氏が聴いた体験談】 石山氏は、9月の沖縄県民大会実行委員のN氏の話を聞く機会があったそうです。N氏は、沖縄自民党の要職にある方です。N氏は、自分の体験を次のように語ったそうです。 N氏は、当時8才ぐらいの子どもでした。家族でやんばるの壕に隠れていたそうです。N氏には、弟がいました。弟は、0才のあかちゃんです。当然泣きます。軍が来て、泣くと米軍に分ってしまうからと、毒入りのおにぎりを渡され殺すように言われました。 家族で話し合った結果、死ぬときは皆一緒に死のうということになり、壕を出て家族で、さまよったそうです。しかし、弟が1才になった誕生日に栄養失調で死んでしまったということでした。 【自分の家族を殺したと言えますか】 こう言う体験が、沖縄のいたるところで起きました。自分の妻を子どもを殺したと言う体験は、語れるものではありません。多くの人は、戦後、自分を責め続け、ただ黙っていました。これは、語れるものではありません。それを良いことにして、右翼的潮流の人たちは、集団自決を天皇陛下のために自ら命を絶った美談として記録してきました。 【隊長が直接命令してないから軍の命令ではない?】 2005年、大江健三郎・岩波書店を被告とするいわゆる集団自決裁判が提訴されました。ここで、原告の1人である梅沢(当時、座間味島の日本軍指揮官)さんという人が、「命令は発してない」と証言したことから、集団自決について文科省の検定意見がつくことになりました。 この裁判自体、原告側支援団体の顧問には、藤岡信勝、上杉千年など「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが名を連ねているし、また協力団体には、自由主義史観研究会、昭和史研究所、靖国応援団、関西自由主義史観研究会、新しい歴史教科書をつくる会大阪などが名を連ねているなど、胡散臭いものを感じます。 いずれにしても、訴訟の片方の主張を取り上げて検定意見を付けるなど不当といわざるを得ません。石山氏は、多分、隊長が住民に直接命令することはないでしょうと説明されました。通常は、役場をとおして命令されたはずです。隊長が、直接住民に命令したかどうかという問題は本質的な問題ではありません。 【沖縄はアメリカの直接統治に】 話は、戦後になりますが、戦争に負けた後、沖縄の住民は1人残らず鉄条網に囲まれた収容所に入れられました。米軍は、住民の居なくなった沖縄に好き放題の基地を造った分けです。そして、1945年の10月になって、住民は自宅に帰ることを許されましたが、自宅は基地の中になっていて、帰る場所が無い住民も多数居ました。 そして、日本本土は、日本の政府がそのまま残りましたので米軍の間接統治でしたが、沖縄は米軍の直接統治でした。 【天皇メッセージによる米軍支配の長期化】 1947年いわゆる天皇メッセージがアメリカへ送られました。そてには、「今後、25年または50年、沖縄はアメリカ軍が直接統治して欲しい」と書かれていました。これによって、天皇は、自分の立場を守ることができたといえます。そして、アメリカは、その直接統治の長期化を正当化できました。天皇が、このメッセージを送った理由について、天皇は日本の共産化を恐れていたからと言われています。 1947年には、新憲法ができましたが、沖縄には適用されませんでした。1952年のサンフランシスコ条約で日本は独立しましたが、このときも沖縄は、国連による信託統治が決まるまでという名目でアメリカの直接統治が続くことになりました。 1972年、ちょうど天皇メッセージから25年目に沖縄は本土に復帰したわけです。 【県民ぐるみの闘い】
このように沖縄は、本土に比べ、悲惨な体験をし、余りにも悲惨であったので、それが、若い世代にも引き継がれています。そして、いざというときには、県民ぐるみで日本政府と闘ってきまいた。主なものは次の通りです。 • 72年復帰時の闘争・・・・本土並み復帰の要求。 • 82年軍の住民虐殺に検定意見がついたことへの反発・・県議会代表団が上京し、撤回させた。 • 95年の少女暴行事件・・85000人の集会 • 07年9月集団自決への検定意見に反発・・11万5千人の集会 |
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●沖縄は何故怒っているのか(その1)【文科省、検定意見を撤回せず】は→http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/51225813.html 【石山久男氏の沖縄の話し】 11万6千人も集まった沖縄の9月の超党派による抗議集会が、風太郎の住む町の9条の会で話題になりました。教科書の記載に文科省が検定意見をつけたことで、あれほどの怒りが爆発する理由を知る必要があるということになりました。 12月2日に沖縄の勉強会をすることになり、講師に検定意見を付けられた教科書の執筆者の1人でもある石山久男氏にお願いすることにしました。石山氏は、私たちの町に住み、社会科の教師をリタイアしてから歴史教育者協議会の事務局の仕事をしています。家永訴訟にもかかわり、最近は沖縄の検定の問題で大変忙しく活動をされています。今回の記事は、石山氏のお話を中心に記載することとします。 【日本の近代史を知らない日本人】 石山氏の話を聞いて、知らなかったことが沢山あったことです。お聞きして良かったと思いました。考えてみると、高校の歴史の教科書は江戸時代の途中までしかやらなかったように思います。高校の歴史教育は、大学入試と密接に繋がっていて、入試試験に出ない近・現代はネグってしまう傾向にありました。最近は、どうなんでしょうか。 話は変わりますが、先日、ベトナム戦争を体験したアメリカ人で今は平和活動家であるアレン・ネルソン氏の著書「戦場で心が壊れて」を読みましたが、その中に“日本人が戦前に中国や朝鮮で何をしてきたのか知らない人の多いのに驚いた”と書いていました。戦後生まれの多くの日本人が近・現代史を勉強しなかったことを良いことにして、歴史の事実を塗り替えようとしているように思われます。 【文科省は教科書をどのように変えたのか】 話を、石山氏の話しに戻します。石山氏が執筆した教科書のコピーが資料として配られ、それを見ながら話が始まりました。文科省に訂正される前の教科書の一部分(これを「白表紙本」というそうです。)をここに転載します。本ブログの訪問者も高校で現代歴史をネグられて、本当の沖縄の歴史を勉強してこなかった方も多いでしょうから、一度読んでみても損はないでしょう。 【歴史の窓 沖縄戦】
1945年3月下旬、戦後のアジアでの沖縄の戦略的位置を重視したアメリカ軍は、55万の兵力で沖縄攻略作戦を開始した。これに対し、日本の沖縄守備軍は9万6000の兵力だったため、一般県民を防衛隊に召集し、中学校などの男女生徒を鉄血勤皇隊や女子学徒隊などに編成した。守備軍は、本土決戦準備の時間稼ぎを目的に、徹底した持久作戦を採用したため、沖縄県民は3ヶ月におよぶ地上戦にまきこまれ、「鉄の暴風」と呼ばれる激烈な砲撃と爆撃にさらされて多くの犠牲者をだした。 この過程で、日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ、800人以上の犠牲者をだした。こうして沖縄では、県民の4分の1にあたるおよそ15万人が命を失うなか、6月末に沖縄守備軍はほぼ壊滅し、沖縄島はアメリカ軍の占領下にはいった。 これがいわゆる白表紙本(検定前の教科書)ですが、これに「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である。」との文書による検定意見が付きました。検定意見だけでは、何がいけないのか分りませんが、結果として、上の文章の後半のパラグラフ(「この過程で・・」以降)が次のように変えられました。 【検定後の教科書の表現】
この過程で、日本軍は、県民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したりした。また、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった。犠牲者は、あわせて800人以上にのぼった。こうして沖縄では、県民の4分の1にあたるおよそ15万人が命を失うなか、6月末に沖縄守備軍はほぼ壊滅し、沖縄島はアメリカ軍の占領下にはいった。 白表紙本では、「日本軍は」という主語が「県民を壕から追い出し」と「スパイ容疑で殺害し」と「集団自害と殺し合いをさせ」の全てにかかっていますが、修正後の文章は2つに分けられたため、「集団自害と殺し合い」の主語にはなっていません。しかも、「集団自害と殺し合いをさせ」が「集団自害と殺し合いがおこった」と自然発生的におこったかのような文章に変えられています。 【日本軍の住民虐殺は認めても、集団自決への軍の関与は認めないとの態度】 文科省は、日本軍が住民を壕から追い出し米軍の戦火にさらして殺したことは認めています。米軍に捕まって釈放された住民をスパイとして虐殺したことも認めています。検定意見は、集団自害と殺し合い(他の教科書では「集団自決」と表現している)に対しては軍の関与は無かったと言いたかったようです。では何故、軍の住民虐殺は認めたのか、それについては、後から説明します。 【味方であるはずの日本軍に殺された住民が多数いた】 沖縄戦での日本側の戦死者は、沖縄の一般住民9万4000人、沖縄県出身の軍人・軍属(鉄血勤皇隊や女子学徒隊を含む)2万8000人、とされていますが、この他に強制連行された朝鮮人などを含めると約15万人となります。 沖縄戦の特徴は、この犠牲者の中に味方であるはずの日本軍に殺された住民が多数いたということです。その殺され方には次の二つの類型があります。 • 日本軍による虐殺(敵に投降したり、捕まって解放された住民をスパイとして殺した。又は、壕を軍が使うとの理由から住民を壕から追い出し戦火にさらして殺した。) • 日本軍による集団自害(自決)の強要 長い間、この二つの事実に対して検定意見が付いたことは有りませんでした。今回の検定意見は、この二つの類型のうち集団自決の方でした。 【82年には、日本軍による虐殺に検定意見が付いた】 06年検定で、日本軍による虐殺には検定意見が付きませんでしたが、それには歴史があります。1982年に実はこの日本軍による虐殺という表現に対して検定意見が付いていたわけです。この時は、今回と同様に激しい抗議行動が巻き起こり、沖縄県議会が超党派で決議して代表団が上京して抗議しました。その結果、検定意見は取り下げとなり、それ以来、この表現は、教科書で使い続けられてきたわけです。 これが、今回の検定問題の経過です。それでは、沖縄戦の実相はどうだったのでしょうか。 石山氏が語る沖縄戦の実相と戦後の歴史については、次回に回します。 ●沖縄は何故怒っているのか【沖縄戦の実相と戦後史】(その3)は、→http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/51318672.html
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【文科省、検定意見を撤回せず】 12月26日、文科省は沖縄の「集団自決」で教科書会社6社からでていた訂正申請を承認しました。しかし、その内容は納得できるものとはなりませんでした。 9月の沖縄の11万6千人の超党派県民集会の結果、文科省が譲歩し、訂正申請の道が開かれました。そして、各教科書会社は「日本軍の強制によって集団自決に追い込まれた。」「日本軍に自決を強要された。」などの表現で訂正申請をしたわけです。 ところが、教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会の意見に基づいて文科省の教科書調査官は「直接的な軍の命令は確認できない」「単純化した表現では生徒が誤解する」として、各社に再申請をさせました。訂正申請の再申請です。 その結果は、「軍の強制」という表現はなくなり、「軍の関与によって集団自決に追い込まれ」などの表現にさせられたわけです。一方で、「住民は米軍への恐怖心をあおられたり、捕虜となることを許されなかったり、軍とともに戦い、軍とともに死ぬことを求められたりもした」など住民たちの様子を詳しく表現する記述が加えられました。この表現を認めるなら、それは軍の強制そのものと思うけれど、何という頑迷固ろうな人たちでしょうね。「軍の強制」という文字は、どうしても使わせたくなかったようです。 一体、図書検定調査審議会のメンバーは、どんな人たちなのか発表されていないのも不可解です。訂正申請をさせざるを得ないような検定意見を付けたこと自体、不始末と言わなければなりません。普通なら、責任をとって辞めるのが道理というものです。メンバーがどのようにして選ばれたのか、人選は適切だったのか疑わざるを得ません。メンバーを明らかにし、誰がどんな意見を言ったのか明らかにすべきです。 ●沖縄は何故怒っているのか(その2)【検定はどのように行われたか】→http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/51302583.html
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