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石垣市の概要



石垣島の風景と歴史など
 も く じ
1 石垣港

2 美崎(みさき)町の誕生

3 730交差点と730記念碑

4 サザンゲートブリッジ

5 登野城(とのしろ)漁港と八島(やしま)町

6 ナカドー道とトゥバラーマ

7 トゥバラーマの歌碑

8 平得(ひらえ)集落

9 真栄里(まえざと)集落

10 石垣空港

11 大型店舗の進出

12 三叉路のある風景

13 大浜(おおはま)集落

14 サキバルオン(崎原御嶽)

15 インカキ(海垣)

16 宮良川(みやらがわ)とヒルギ林

17 宮良橋

18 宮良川河畔・浜川のヤラブ(テリハボク)並木

19 赤馬の伝説

20 宮良(みやら)集落

21 白保(しらほ)集落

22 マジャンガー(真謝井戸)

23 石垣島の日本一・世界一その1 石垣島周辺のサンゴ礁

24 サトウキビのある風景

25 石垣島の日本一・世界一その2 イワサキクサゼミ

26 マクラム道路

27 於茂登(おもと)の峰々のある風景

28 大里(おおざと)集落

29 通路橋(とおろばし)

30 ジンギヤマ(ジンギ山)

31 星野(ほしの)集落

32 マンゲー山遺跡群

33 人魚と海の秘密(大津波)

34 石垣島の日本一・世界一その3 津波の波の高さ

35 ウラスククイツ(浦底越道)

36 伊野田(いのうだ)集落

37 金比羅坂(こんぴらざか)

38 大野(おおの)集落

39 玉取崎(たまとりざき)

40 石垣島の日本一・世界一その4 石垣牛とラップサイレージ

41 フナクヤー(舟越)

42 舟越(ふなこし)村

43 戦後開拓の船越(ふなこし)団

44 伊原間(いばるま)集落

45 伊原間の村獅子(むらじし)

46 明石(あかいし)集落

47 アイナマ石―石になった花嫁

48 久宇良(くうら)集落

49 久志真(くしま)村

50 吉野(よしの)集落

51 平久保(ひらくぼ)集落

52 戦後開拓の平久保団

53 平久保のヤエヤマシタン(八重山紫檀)

54 平野(ひらの)集落

55 平久保埼灯台

56 火番盛

57 フージバナリ(大地離)と「大鳥」

58 牧場のある風景

59 多良間田(たらまだー)跡

60 ヤッサクイツ(安良〈やすら〉越道)

61 廃村・安良(やすら)村跡

62 石垣島の日本一・世界一その5 カンムリワシ(冠鷲)

63 石垣島の日本一・世界一その6 オオゴマダラ(大胡麻斑蝶)

64 石垣島の日本一・世界一その7 オオジョロウグモ

65 沖縄県最古の地層・トムル層

66 西表石垣国立公園の誕生

67 ミヤラビクイツ(女童越道)

68 石崎

69 栄(さかえ)集落

70 兼城(かねしろ)集落

71 石垣島の日本一・世界一その8 ヨナクニサン(与那国蚕)

72 ヌスクマーペー(野底マーペー)

73 下地(しもじ)集落

74 戦後開拓の村々

75 多良間(たらま)集落

76 吹通川(ふきどうがわ)のマングローブ

77 伊土名(いとな)集落

78 大田(おおた)集落

79 独立行政法人水産総合センター西海区水産研究所石垣支所

80 独立行政法人水産総合センター西海区水産研究所八重山栽培技術開発センター

81 於茂登(おもと)トンネル

82 富野(とみの)集落

83 米原(よねはら)集落

84 米原のヤエヤマヤシ(八重山椰子)群落

85 石垣島の日本一・世界一その9 イシガキニイニイの生息地の範囲

86 石垣島の日本一・世界一その10 キシノウエトカゲ

87 荒川川(あらかわがわ)のカンヒザクラ(寒緋桜)自生地

88 荒川川河口の花崗岩

89 石垣島は石の博物館

90 オグデン道路・戦後を拓いた道

91 山原(ヤマバレー)集落

92 仲筋(なかすじ)村ネバル御嶽の亜熱帯海岸林

93 吉原(よしはら)集落

94 仲筋(なかすじ)集落

95 川平湾(かびらわん)

96 石垣島の日本一・世界一その11 黒真珠の生産

97 川平(かびら)集落

98 水産海洋研究センター石垣支所(元・沖縄県水産試験場八重山支場)

99 川平(かびら)貝塚

100 ヤドゥピキヤー(屋戸引き屋。仲間満慶山ゆかりの地)

101 石垣島の日本一・世界一その12 日本一早い夏、八重山の海開き

102 石垣島の日本一・世界一その13 マンタとの遭遇率

103 石垣島の日本一・世界一その14 ベストダイビングエリア

104 泡盛

105 大嵩(おおたけ)集落

106 ヨーンの道

107 崎枝湾(さきえだわん)のクルマエビ養殖場

108 崎枝(さきえだ)集落

109 トゥマタ松

110 御神崎(おがんざき)

111 雨の化石

112 デンシンヤー(電信屋)・「元海底電線陸揚室」

113 クリアランス船

114 石垣島の日本一・世界一その15 石垣島のパイン

115 仲間満慶山終焉之地碑(なかまみつけーましゅうえんのちひ)

116 獅子森(ししもり)地区

117 名蔵湾(なぐらわん)

118 名蔵川(なぐらがわ)

119 名蔵大橋(なぐらおおばし)

120 アンパル

121 石垣島の日本一・世界一その16 シレナシジミ(マングローブシジミ・ヒルギシジミ)

122 八重山上布(やえやまじょうふ)

123 唐人墓(とうじんばか)

124 冨崎(ふさき)

125 冨崎観音堂(ふさきかんのんどう)

126 嘉善姓(かぜんせい)一門の墓(石垣永将ゆかりの地)

127 石垣島の日本一・世界一その17 21の一等星と84の星座が見える星空

128 石垣島の日本一・世界一その18 ヤエヤマボタル(ヤエヤマヒメボタル)とオオシママドボタル

129 石垣島の日本一・世界一その19 石垣島の米

130 八重山漁協の競り市場

131 新栄(しんえい)町の誕生

132 護岸通りと市役所通り

133 石垣島の日本一・世界一その20 その他

主な参考文献

石垣市の概要
1 石垣市の位置
石垣市は、日本の最西端に位置する八重山諸島の主島・石垣島と、その周辺の小島および尖閣諸島からなっています。また、市街地にある石垣市役所は、北緯24度20分、東経124度9分に位置し、日本最南端の市となっています。
 石垣島の西の端は屋良部崎で、北緯24度26分、東経124度4分、東の端は平久保半島の伊波崎で、北緯24度35分、東経124度20分、南の端は字真栄里の海岸で、北緯24度20分、東経124度11分、北の端は平久保崎で、北緯24度36分、東経124度19分にそれぞれ位置しています。石垣島から東京までの距離は約1,957キロメートル、鹿児島までの距離は約1,019キロメートル、沖縄本島(那覇市)までの距離は約411キロメートル、宮古島市の平良までの距離は約133キロメートル、台湾(基隆)までの距離は約277キロメートルとなっています。

 

2 石垣市の面積
 石垣市は、石垣島と周辺の小島および尖閣諸島を市域としています。
 総面積は229平方キロメートルで、そのうち、石垣島の面積は223平方キロメートル、尖閣諸島の面積は5.56平方キロメートル、石垣島周辺の小島の面積は0.44平方キロメートルとなっています。(数値は平成18年〈2006〉)


3 石垣島の気候

 石垣島の気候は亜熱帯海洋性気候で、年平均気温は摂氏23.8度、月平均の最高気温は8月の摂氏28.9度、月平均の最低気温は2月の摂氏17.3度となっています。(数値は平成7年〈1995〉)
 年平均湿度は78%で、4、5月に梅雨入りし、月間降水量が最も多い月は8月で、235.9ミリメートル、最も少ない月は2月で112.9ミリメートルとなっています。また、年間では、2,065.6ミリメートルとなっています。(数値は昭和36年〈1961〉から平成2年〈1990〉の平均値)
 夏から10月頃にかけては台風シーズンで、9月頃強い台風が襲来する傾向にあります。日本の台風観測史上でも最大級とされる「台風5号」が八重山諸島を襲ったのは昭和52年(1977)7月31日のことで、その時には、最低気圧931.7ミリバール、最大風速53.0メートル、最大瞬間風速70.2メートルを記録しました。


4 石垣島の地勢

 石垣島は、北東部の平久保半島を柄とした柄杓状の形状をしています。主体部はほぼ方形で、その中央部に沖縄県下最高峰の於茂登岳(525.8メートル)をはじめ、桴海於茂登岳(477.4メートル)、野底岳(野底マーペー。282.4メートル)などによって形成される於茂登山系があります。
 また、於茂登岳の南方、市街地の北方にはバンナ岳(230.1メートル)、前勢岳(197.4メートル)があり、平久保半島にはハンナ岳(238.9メートル)、安良岳(366メートル)などがあります。
 河川としては、二大河川である宮良川(約12キロメートル)や名蔵川、それに東に轟川、北に吹通川などがあります。
 主な岬としては、市街地西方に位置する冨崎をはじめ、屋良部半島にある大崎、屋良部崎、御神崎、川平半島の突端に位置する川平石崎、平久保半島にあるトムル崎、浦崎などがあります。
 湾としては南部に宮良湾、西部に名蔵湾、崎枝湾、底地湾、北部に浦底湾、伊原間湾などがあります。


5 石垣市の人口

 石垣市の総人口は48,297人で、そのうち、男は24,086人、女は24,211人、世帯数は21,489戸となっています。(数値は平成22年〈2010〉5月末現在)


6 石垣市の歴史

 石垣市が「町」から「市」へと昇格したのは昭和22年(1947)7月10日のことで、当時の人口は17,963人でした(大浜町は6,468人)。その後、昭和39年(1964)に大浜町と合併し、石垣島全体が石垣市の市域となっています。合併直後の人口は4万1千315人でした。
 歴史を少しさかのぼってみますと、明治41年(1908)当時、八重山は全体で1つの行政区域をなし、八重山村と称していました。その後、大正3年(1914)に八重山村が4村に分村して、石垣村、大浜村、竹富村、与那国村が誕生しています。
 その当時、石垣村の範囲は石垣島の西部域を占め、登野城、大川、石垣、新川、名蔵、崎枝、川平、桴海の8か字からなり、大浜村は島の東部域を占め、真栄里、平得、大浜、宮良、白保、盛山、桃里、伊原間、野底、平久保の10か字からなっていました。そして、石垣村は大正15年(1926)に、大浜村は昭和22年(1947)に、それぞれ町制を施行し、「町」となっています。


転載元転載元: 海上保安、国土防衛、美しい日本を私たちが行動して守りましょう

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苦力貿易船の竹富島沖座礁事件

竹富町史から引用

唐人墓のロバート・バウン号事件から14年後の1866年6月17日、中国人苦力340人を乗せた船が、竹富島蔵元前の浜で台風に遭って座礁した。
溺死者114人、行方不明者62人、生存して帰還した者は166人で犠牲者は半数に達した。

溺死者114名のうち、竹富島へ流れ着いた中国人の死骸は39人、小浜へは24人、高那村へは1人、黒島村へじゃ34人,冨崎浜へは19人であったという。

イギリス人船の船主から
「海上航海用の食料と用水、その他船具などの所望品を用意してくれるように」と要望があり、それに応えた。

1866年7月1日
台湾から派遣された迎船が、崎枝村の前の沖に到着した。

冨村親雲上らの当局は、イギリス人から所望された牛1頭、帰還用の10日分の食料・野菜・肴・薪木等を提供したところ、イギリス人は謝礼として、文書1通を提出した。

2016/7/12(火) 午前 8:26 [ 沖縄県風土記の眼 ]


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