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元寇の博多上陸
日本海
[ 日本の美しい国と心と環境を護る ]
2018/7/22(日) 午前 8:44
八幡愚童訓
元軍の弓矢は鏃に毒を塗って雨の如く矢を射たため、元軍に立ち向かう術(すべ)がなかったとしている。
元軍に突撃を試みた者は、元軍の中に包み込まれ左右より取り囲まれて皆殺された。
元兵はよく奮戦した武士の遺体の腹を裂き、肝をとって食べ、また、射殺した軍馬も食べたという。
『八幡愚童訓』は、この時の元軍の様子を「鎧が軽く、馬によく乗り、力強く、豪盛勇猛」で、「大将は高い所に上がって、退く時は逃鼓を打ち、攻める時は攻鼓を打ち、それに従って振舞った」としている。
松浦党の手勢は多くが討ち取られ、原田一類も沢田に追い込まれて全滅し、青屋勢二三百騎もほとんど討ち死にしたという。
肥後の御家人・竹崎季長や天草城主・大矢野種保兄弟、至って形勢は不利となっていた。
また、肥前の御家人・白石通泰の手勢も同様に形勢は不利となっていった。
これほど形勢が不利になると思っていなかった武士たちは妻子眷属を隠しておかなかったために、妻子眷属らが数千人も元軍に捕らえられたという。
【台湾が語る】 これが本当の歴史!
南シナ海
[ 壮年老い易く学成り難き ]
2016/11/3(木) 午前 6:37
1945年10月17日、降伏した日本軍に代わって、台湾を接収するために、中華民国軍約1万2,000人と官吏200余人が米軍の艦船から上陸した。
台湾の民衆は爆竹を鳴らし、晴天白日満地紅の小旗を振り、日本軍を打ち破ったはずの「祖国」の軍隊を迎えた。しかし、しだいに民衆の歓声は消え、爆竹は鳴りやんだ。
兵士達は銃のかわりに鍋釜をさげ、薄汚れた綿入れを着込み、ほとんどが草履履きで素足のものもいる。カラ傘を背負った者もいれば、鶏の籠を天秤棒でかついだ者もいる。しかも隊列はだらしなく曲がり、話しながらだらだら歩いている。
台湾人にとっての軍隊とは、威風堂々と行進する日本軍の雄姿だった。台湾人の期待はまったくはずれたのである。そればかりではなかった。「祖国軍」の上陸とともに、婦女暴行や強盗事件が頻発した。
商店からは横暴な支配者然として代金を払わず品物を持ち去る(『台湾の歴史』p147)。
賢犬が去り、豚が来た
石垣市の概要
東シナ海
[ 沖縄県風土記の眼 ]
2016/7/12(火) 午前 8:26
苦力貿易船の竹富島沖座礁事件
竹富町史から引用
唐人墓のロバート・バウン号事件から14年後の1866年6月17日、中国人苦力340人を乗せた船が、竹富島蔵元前の浜で台風に遭って座礁した。
溺死者114人、行方不明者62人、生存して帰還した者は166人で犠牲者は半数に達した。
溺死者114名のうち、竹富島へ流れ着いた中国人の死骸は39人、小浜へは24人、高那村へは1人、黒島村へじゃ34人,冨崎浜へは19人であったという。
イギリス人船の船主から
「海上航海用の食料と用水、その他船具などの所望品を用意してくれるように」と要望があり、それに応えた。
1866年7月1日
台湾から派遣された迎船が、崎枝村の前の沖に到着した。
冨村親雲上らの当局は、イギリス人から所望された牛1頭、帰還用の10日分の食料・野菜・肴・薪木等を提供したところ、イギリス人は謝礼として、文書1通を提出した。
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