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河口湖畔嘯山公園(かわぐちこはんうそぶきやまこうえん)
「国立公園繍山入口」と木標の立てゝある、船津町の理髪店の横をまがると、幅二間ばかりの落差一尺くらいづゝの、そまつな石段がある。十数段のぼると、雑草のしげった崖へつきあたる。崖の上には石の鳥居が見える。道は屈折して左へ長く半町ゆき、また右へ折れて約二十間で、石鳥居の前へ出る。
石段からこゝまで、約二十mだが、迂回して來たから大分あるような気がするが、鳥居の下から雑草をけずり落した、幅のひろいすべり台のような坂があって、この崖をすべり降りれば、石段の所まで二三分で行かれる。土地の子供や若い衆は、平気で上下するのだが、山になれない都会の人々にはあぶない。危険だからおよしなさい。
鳥居を潜ると、高さ一丈ばかりの、立派な黒花崗(ミカゲ)石の忠魂碑がある。大山公欝閣下の筆で昭和八年建設だ。ここから四五間のぼると、四桂板ぶきの東屋がある、ここで一服して紫のけむりをはきながら、足もとを見わたすと、湖畔のバスの停留所と船着場から左りへ、登喜和・山岸・大屋ホテルの屋根が見え、村社八王子神社の鳥居が見え、その境内の裏の溶岩の上に、近頃増築された料理屋風の家が目だつ……。
その下の自動車道路に沿って、奇巖突几(トツコツ)としたどすぐらい熔岩湖畔に、数人の人がつりをしている。河ロホテルの背後から、水をへだてゝ対岸の小立部落、敷島の松あたりを見はらすと、湖は藍色に岸辺の断崖は黒褐色に裾野は消し炭色で彩色されている。右側の湖上に突き出した産屋ケ崎(ウブヤガサキ)のトンネルから、甲府通いのバスが飛び出して半円形の磯伝いに疾走して、島原岬に消えた。
大石の部落は桐に隠れてよく見えないが、雲の絶え間に御坂山脈が隠見している。藍色の湖盆は何を写すか、ところどころに鼠色をぼかし、谷風に立つ漣(サザナミ)は白い泡を散らして、定常波は湖面の色彩を、いろいろに変化させている。雨もようなので、船は一艘も出ていない。
位置をかえて東の方を見わたすと、「赤阪鐘かけ松」のあたり、剣丸尾の累々たる熔砦帯を越して、吉田の町がつらなり、浅間神社・小倉山・大臼子臼の丘陵から明見につらなる山脈が・うす墨色に一沫はいた中間を、桂川谷の田園沃野(ヨクヤ)が、パノラマのように展開して居る。しかし南面は天地を包む一大煙幕のような、白雲に遮られて、肝心要の天下の絶景富士山は今日は少しも見えない。
東屋を出て十間ばかりのぼると、草むらの中に、不規則に歪んだ石の碑がある。ここからの展望は、東屋やよりも遥かに雄大で、沖には老樹緑層の「鵜の島」がうかび、その対岸の小海、長浜の方面まで見える。小海付近には実る麦の穂であろう、黄色く区割りされた畑が点綴(テンセツ)されて、藍色の荒涼たる風景を、やゝ朗らかにしている。碑の面には
秋晴れや富士明らかに水鏡 昭和四年初 小波
と刻んである。自分も何か一つと、頭をひねくり
梅雨空や 湖畔にならぶ 貸ボート
富士写す 波をちらすな 渡し舟
と、おぼつかない、十七字の処女作を並べて見た。傍で石楠花(シャクナゲ)の花がわらつている。
付近の藪の中で、木の枝を集めていた村の子供たちに、これから上に昇れば何かあるかと聞くと、頂上には小御岳神社があると云う。
嘯き山は標高一千一百米、登るに四十分、河口湖を脚下に見おろし、遠くは籠坂峠から近くは青木ケ原にわたって、富士裾野を一望の中に収める、雄大なな眺望であると聞いてはいるが、まだ十五六町もあると云うので、今日のお天気では仕方があるまいと、断念して下山することにした。
嘯き山公園には、忠魂碑と東屋と小波の句碑との、三つしか設備がなく、誠に荒涼たるものだが、その眺望の絶佳なことは、精進のパノラマにくらべて、彼は山容の美を味わい、これは湖畔の幽邃(ユウズイ)をうつす、優劣さだめがたき天下の絶景である。五湖めぐりの旅客たちは、三十分の時間を割いて、嘯き山へ登って見た」まえ、湖畔を一周すると同じ情趣を得られ、それ以上の大自然に抱擁される、興味を感ずるであろう。
序(ツイ)でに、船津の村役場へ希望するのは、東屋の附近へ展望客のために、腰かけ台を数個、備えつけて貰いたいと思う。
石鳥居の下の崖の中に、二尺四方ぐらいの小祠が二つある。天神様と誌してある。文化の神を祭るならば祠は一つでよいわけだが、祠が二つあるのは疑義を生ずる訳で、京郡から筑紫まで伝説を遺した菅公が、文化の神として日本全国に祭られているけれど、単に文化の神として祭るならば、祠は一つでよい訳である。祠が二つあるのは、天沸宮以外に、古來より土地の人が尊崇した神様を、合祀したのではあるまいか。菅公以前に古来より伝承された神様があって、そこへ天満天神を合祀したという解釈である。山を崇拝して農業を奨励した天神七代の中の、二柱の神を奉祉して居たのを、後に天満宮を合祀して天紳様といふ称号を継承したものとも考えられる。
嘯き山は付近の溶岩地層とは異なり、地質上から見ても第三期層の、古代より伝わったもので、この山が古代の先住民族要塞地帯であつたということも、考えられているのである。
雨がぽつりぽつりと降り出したので宿へ帰る。大屋旅館の二階の奥座敷、河口湖を見晴らした一番眺めのよい座敷だが、雨が土砂降りとなったので、窓をしめきって退屈していると、番頭の中村君が来て話し相手になってくれた。中村君は主人の弟土地の者だからいろいろ面白い郷土の話をしてくれた。大船津・小船津は二つにわかれていて、二つの部落のものは昔から気が合わない。大船津は八王字の氏子で、小船津は筒口神社氏子となっていて、氏神様まで違っている。その祭りがまた、たいしたもので、若い衆は甲冑を纏い両刀を手挟んで、御神輿を守護して練り歩く、近郷近在から見物に来る素晴らしいお祭りだ。
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