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魂に恥じない行為をする、
それが喜びになります。
私は青年会時代、100万運動の中、原宿・渋谷などで優性保護法改正の署名活動にも没頭していたことを昨日のように覚えています。
当時、講演活動や神誌配布など仕事を休んでまでも青年会活動に追われていました。
ところが、そんな中にも何とも寂しいような、虚しいような複雑な気持ちがあったのも正直なところでした。
それはキリスト教である自分にとって、具体的な愛行を行っていなかったからでありました。
そんなことも反省となって、
宇治に来てからは、マザーテレサの話をよくさせていただきました。
「マザーは行動の人でした。沈黙と祈りの人でした。その彼女によって残された貴重な言葉は今も輝き続けています。
コルカタ(カルカッタ)での、ある晩のことです。マザーたちは路上で病人を見つけました。
その中の一人の女性が特に重症だったのですが、彼女の体は、虫や蛆に覆われていたのです。
私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。
そしてベッドに寝かせてあげた時、彼女は私の手を取り、美しく微笑んだのです。
こんなに美しい笑顔を、私はそれまでに見たことがありませんでした。
『ありがとうございました』
彼女はそうひとこと言って、静かに息を引き取ったのです。
そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。
『私が彼女だったら、どうだろう?』
私は正直に答えを出してみました。
『人の気をひこうとして、‟痛い”とか‟お腹が空いた”とか‟死にそうだ”とか言ってしまうかもしれない』
彼女は私に愛をくれました。彼女は、私が彼女にしてあげた何倍ものものを、与えてくれたのです。
私たちのところにいるのは、こういう人々なのです。
この貧しくも美しい人々は、何も私の所にだけいるのではありません。誰の側にも必ずいるはずです。
孤独な人はどこにでもいます。あなたはそのことに気づいているでしょうか?」
マザー・テレサの「愛」という仕事 より
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