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「富士五湖めぐり」窪田空穂
<二、裾野と人>
朝の日光は、精進湖を中心に、それをめぐっている連山に明るく光っていた。天も地も一と色の輝く緑となって見えた。昨日の疲労はすっかりぬけてしまって、眠りの足りたあとの心は軽かった。旅だと思う緊張した気分は静かに、胸に一ぱいになって来た。
谷君と私とは、精進湖に沿った一筋路を、一里だと聞いた本栖に向って歩いて行った。
「宿の人たちも、あの画家も、みんな好い人たちだったね」谷君は歩きながらそういった。再び見ることもなかろうと思われる人々の面影を、私は胸に浮かべた。年をした上さんも、嫁と見える鉄漿(かね)をくろぐろとつけていた人も、親切な気持のよい人であった。
隣室に泊り合せていた画家は、とりわけ印象の深い人であった。その人は三、四日前沼津を立って、富士川の上流に写生旅行をして、昨日の午後精進へ着いたが、無聊に苦しんでいるところへ隣室で話し声があるので、襖越しに話相手になってくれるようにと申込んだのであった。
旅中の話を聞いているうちに、その人は沼津中学の教員で、美術学校出で、谷君とは共通の知合いを大勢持っていることがわかり、そしてその前田という姓は、谷君の記憶の中にあったということが、しだいにわかって来た。朝、別れを言いにゆくと、前田君は湖辺まで送って来てくれた。山間の部落で見出だしたよい風景を伝えようとして、目を輝かし、手真似をして話す、健康そうな、日に焼けた昨夜の顔が、いま一度はっきりと浮かんで来た。湖辺の路は二筋にわかれて、一筋は山のほうへ向っていた.山中の路のいい加減に見当のつけられないものであることを知っている私は、立ちどまってしまった。やや離れて、湖水を前に、水をうしろにして、杣(そま)が一人、白木を扱っているのが見えた。私たちはその側まで行った。
「わしは余所村から来ているで、知りましねえ」と、気の毒そうにして、私たちを見上げた。すたすたと、私たちの前を通り過ぎる人があった。洋服に脚絆で、大きな雑嚢を背負い、手に玄能に似た杖を持っていた。聞いて見ようと思った時には、その人はもう遠ざかって、山の出鼻を曲りかけていた。
しばらくすると私たちは、湖辺を此方へ向っていそいでくる、年寄らしい女の姿を見かけた。大声でその人を呼びかけて聞くと、やはり大声で教えてくれた。湖上を渡って来る声は、あざやかに聞えた。私たちは、湖辺に沿った大路のほうを歩き出した。かなり来てふり返って見ると、精進の部落は青く輝く水をへだてて、はっきりと、しかも小さくなって見えた。昨夜歩き悩んだ路はどのへんだろうと、目でもとめた。湖と部落とをおし包んで、遠くかたたにひろがっている森林は、あまりにも広く、取りとめがなくて、まるきり見当もつけさせない。三里の樹海と聞いたが、それくらいではなかった。明るい光のもとに見ても、かなりに遠いものに思われる。
(樹海)
湖水の中に突き出た島に、一軒の西洋館がある。粗末な門の前に鶏が遊んでいる。ペンキ塗の家はドアが締まって、人の影が見えない。「これが昨夜のホテルだよ」霧ににじんだ灯影が、茫漠とした中にただ一つ見えて、暗い心になつかしくも、もどかしくも、眺められた、あの灯のあった家か。
路は高くなって、湖水はずっと足の下へ落ちて行った。「樹海!」と谷君は驚喜を声にした。あこがれて来て、昨夜はその中をくぐりながら、ついにそれらしい気もしなかった樹海、それは今、その全貌を私たちの眼にあらわしている。精進湖の対岸から、遠く、はるかに、白雲の垂れさがっているあたりまで、真っ平に展べられている緑と青。熔岩の上に密生している雑木は、おのずからにその丈に限度があって、鋏をもって刈りこんだがように真っ平に、明るく暗く光線に輝き渡っているさまは、海の漣(さざなみ)そのままである。大森林ではあるが、常磐木のそれの持つ暗さも起状もなく、雑木林ではあるが、その浅さも乱雑もない。樹海、まさに樹海で、そのほかの何物でもない。「展望したところがいいんだね」
谷君は動かない。そういわれると、昨夜、あの中の真暗なところを潜りつつ感じた陰欝さは、悪夢のような感がする。けたたましい鳥の声がして、静かな山から山へ響いた。「何だろう?」「懸巣だよ。こんな所へ別荘がほしいね」路は森林にはいった。それが下りになると、珍らしく広くなって来た。日光のさす所には畑があって、粟が小さい穂を出していた。部落が見えて来た。「本栖だよ」と谷君は言った。
(本栖湖)
朝の光線は、あらわに過ぎるほどにその部落を照らしていた。路をはさんで、三十軒ばかりの草屋が立っている。どの家の前にも菰(こも)を敷いて、蚕糞が干してある。青白い、疲れた顔をした男や女が、穀物をよく臼に当てようとする時のように、その蚕糞の中に四つ這いになって、手で掻きまわしている。その蚕糞は、肥料としての効力の疑われるまでに、白く黴(かび)てしまっているものであった。
日に乾く蚕糞から、家の周囲の芥から、蚕具に埋まった家の内から、悪臭は湧きあがって来て、よどんで漂っていた。路に立っている子供や、家の内にいる大人は、じろじろと私たちを眺めている。私たちはここから馬に乗る予定であった。一度その経験を持っている谷君は、ぼくぼくと馬で裾野を行くことを、この旅行の一つの趣として、それを私に教えてくれようとしていたのである。
乗馬のある家は、戸があけ放しになっていたが、人はいなかった。隣の家へ寄って相談すると、たちまち土地の男の五、六人が、私たちのまわりに集まって来た。馬の賃銭はきまったが、馬と馬子とをさがし出すには、かなりの時間がかかるらしかった。その時間に私たちは、五湖の一つの本栖湖を見て来ることとした。湖水は部落を出はずれた所にある。小高い所へ登ると、湖水はその全面を見せた。見わたすと、何という暗さだと思った。周囲の連山が水ぎわまで迫って切っ立って、そして岸には出入がなく、そして水は、青いというよりも黒ずんで沈んでいる。かなりの大きさを持った湖ではあるが、受ける感じは、奇怪な穴をのぞきこむようである。
立っていると、圧えつけられるようた気がして来た。ひとり帰って来ると、馬はそろったが馬子が一人足りないので、それをさがしに行っている所であった。「此方でお休みなさんし」と、馬を出す家の主人は勧めたが、蚕具で一ぱいになった薄暗い家へは入る気になれないので、私たちはその家の軒下の石に腰を下して、二人の人の馬に鞍をつけるところを見ていた。
不意に、耳をつらぬくような怒罵の声が、路の一方から聞えて来た。声のするほうを見ると、今まで見えなかった六十あまりの老婆か、背中に赤児を負い、後に六つ上ぐらいの、涙で汚れた顔をした女の子を連れて、部落全体の者をおびえさせようとするかのように怒罵しつつ、こちら此方へと動いてくるのであった。
老婆のいっていることは、不思議にも、ほとんど全部わからないので、私たちはただその顔と様子を見つめさせられるだけであった。黄色い、皺だらけの顔には、小さい眼が怒りにすわって、光って、そして罵声を投げ出す口は、投げ出すと急にすぼんで寂しくなった。短いま単物は裾がはだけて、痩せてしなびた足には藁草履を穿いていた。青い空からそそいで来る日光は、老婆の姿をかっきりと照らし出して、」老婆の動いてくるままに、その影法師を汚い路の上へ印している。老婆の怒罵はしつこくも繰り返されている。聞いている中に、どうやらその意味が感じられて来た。それは、後に控えている女の子が、不当に、部落の子供に打たれたということであるらしい。老婆はいかに繰り返しても、部落の誰も相手にはならない。のみならず耳もかしてはいないらしい。現に一人の上(かみ)さんが、貧乏徳利をさげてあちらから来て、老婆の側を通ったが、目もくれようとはしなかった。
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