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馬子がそろったので、私たちは馬に乗った。谷君は若者の曳く馬に、私は四十恰好の、鼻下に髭をたくわえている男の曳く馬に乗った。馬は都落の中ほどから左へと、山のあるほうへと折れた。老婆の怒罵は、なおうしろに聞えていた。路は畑の中に紛いた白畑には、痩せた穂を持った粟ばかりであった。それが尽きると、ゆるやかな傾斜を持った萱山にかかった。見渡すとそこには、同じよう底円い萱山が、飛び飛びにいくつもあって、私たちの越そうと、しているのは、その一つなのであった。
遠く向うのほうに、この小山の群を越して高い山があるが、それはこちらよりは緑が濃いだけ、すべては一つの大きな、ゆるやかな調和の中に溶けこんでいる。真青な萱の中には、女郎花が黄色くまじって、おびただしく咲いている。ちらほら紫の桔梗がある。何とかいう紫の花は、所によるとむらがりをしている。木苺の実が真紅に、ちょうど食べ加減に熟していた。
山も空も真青な中に、日光は隈もなく照らしていた。それは、山の上でだけ見られるきわめて明るく、涼しく、そして物の距離を失わせるところのものであった。実際、光線は萱の一本一本の根もとまでもさしこんでいる。
虫の声が、単調な蟋蟀(こうろぎ)の声だけが、どこからともなく寂しく、しかし一面にしている。先へ行く谷君の旅姿が、絶えず目についていた。白の詰襟の洋服を着て、長い襟脚を見せて、ややかがみ加減になって、ゆらりゆらりと揺られながらに行く。馬はおりおり頸を曲げては、路ばたの草を噛む。すると馬の跡からついてゆく、巻脚絆をつけた若い馬子は、歩きながら木苺を摘んでは食べ食べしているのをやめて、馬を罵った。
空が目に入り、山が目に入り、あたりが目に入ってくる。そこには見飽かせない見ものがある。いや、見飽かせないというよりも、見ても見てもとらえることのできないものがある。そしてその何であるかも私にはわからない。
みんな生きている。生きているものは不思議に美しい。すがた生きているもので、誘惑に値するだけの美しい相を持っていないものは一つもない。私はそう思った。そして、おりからあらたに目を惹いた一つの萱山を見やった。その山の山肌に沿って曲線を描いている真青な萱原が、しらしらと光った。光は一方に向って、線をなして走ってゆく。するとあらたな光が生まれて、跡を追って走ってゆく。そよ風が渡っているのだと思いつつ、その柔らかな、幽かな繰り返しを、見送り見送りした。
人は私たちよりほかには、どちらにも一人も見えない。それが寂しいとは思わせず、きわめて自然だと思わせた。
ここには人がいないほうがいい。私たちは今、美しく輝いている生命の海の上へ、黒い影を落しているようなものだと思った。ふと私の胸に、本栖で見た老婆の姿が浮かんで来た。黄色い、皺にたるんだ額と、ぽっちりと光っている目と、怒罵の声とは、目の前に見ていた時よりもかえって鮮やかに見えて来た。しっこい怒り方をしたものだ、あの婆さん、まだ我鳴っているかもしれない、と思った。見るだけでも厭わしい婆さんの姿は、私の胸にこびりついて、いつまでも消えてゆかなかった。心づくと私は、その婆さんに隣れみに似た心を寄せていたのであった。それは何の連絡もなく、飛躍して来た心であった。憐みは形を取って来た。孫が可愛さに、いじめた者を怒るのであるが、誰も相手にもならない。怒りが怒鳴りとなって来たのは、むしろ当然である。
谷君の後姿が、珍らしいもののように、しみじみと見かえされて来た。私はこの友達の現在の心を感じている。我慢しているその処世上の疲労が、隠して吐いているその溜息が聞える。
私白身は、混迷そのものである。どこかへ行きたい、どこかへ仔かなければならない、それでいてその所のどこであるかがわからない。私の心は、自身のせまい世界のまわりを絶えず羽ばたいている、焦りは脈膞に食い入っている。時にはこうした甲斐ない足掻はやめようと思って、しばらく制していると、空虚の感は、前よりも堪えがたいものと狂ってくる。さみしい気分か、東京にいても滅多には経験しないようなさみしい気分が、今しみじみと私の胸に湧きあがって来た。
萱に蔽われた円山は、その数を加えて来た。起伏して続いて、尽きるところがないらしい。太陽は今は頭の真上となって、まぶしい明るさと圧えつけるよう狂静寂さを一つにして降りそそいでくる。女郎花、桔梗など、静かにその一つ一つの美しさを日光にもたげて、鳴く虫の声をそれにもつれさせている。
私は何だか話を、せめては人の声でも聞きたくなった。谷君の馬とは、一二町も離れてしまった。私の馬子はうしろについていた。私は、髭のあるその顔を思い浮かべて声をかけた。「本栖って、古い村らしいね?」
「そうらしいんです。もっとも、証拠になる古い書き物は、不幸にも無くなってしまいましたが」馬子はぎごちなさはあるが東京弁で、そして多くの漢語をまじえて語り続けた。
本栖よりも富士へ寄った村へ、他から養子に来た者があった。その者の発意で、その村をもっと利方(りかた)な土地へ移そうということになり、本栖村へ合同を申込んだ。庄屋は幸いにもことわったが、不幸にも本栖村に関しての古文書は持って行かれてしまって、残っていない。そのことは、今八十歳になる老人が幼少の頃、祖父の代の事だといって聞かされたことである。いま一度、それに類したことがあった。
本栖村に五助という者があって、悪いことをして「詑証文」を庄屋に入れた。夜になって五助は、書いたものは自分一代だけではなく後まで残る、どうかして取返したいと思い、庄屋の家の書類の入っている箪笥の抽斗(ひきだし)ごと盗み出し、字の読めないところから、この中にあるわけだときめてみんな焼いてしまった。村の者は五助のその所術を深く憎んで、本栖湖でする一年一度め祭の時、みんなして五助を酔わせた上、潮水で溺れさせてしまった。村の者の建ててやった五助の墓というが、今も湖水のそばに残っている。
その故郷に対して、いかに強い自尊心を持っているかが感じられて、私も高声で応答をした。馬子は話し続けた。
本栖は昔は、箱根に次いでの大事な関所で、二本差しの関守がいた。この関守が土地の者と結托して、富士道者が大勢来ると、時が早いにもかかわらず関所の門をしめてしまって、どうでも本栖に泊らなければならないようにしていた。この関守が町人をいじめてやろうと思い大宮の大きな呉服屋へ行き、よその店で買って受取を書かせてある足袋を、わざわざとその店を盗んだように見せかけ、難題の種にした。そして、関守は、呉服屋をおどしつけようと、自分は本栖の関守だと名のった。呉服産はおどされなかった。本当に関守なら、日本中の関所の名を知っているはずだ。それを言って見ろといった。その関守は、これには返事ができなかったのである。
これを話して、馬子は無邪気な、しかし侮りをふくめた高笑いをした。そして、「昔の役人って、馬鹿な者だったと見えますよ。私も村の名誉職をしていますがね」と付け加えていうのであった。
名誉職の馬子の話は、村の産業のことから隣県との境界争いのことに移っていった。しかし路は一つめ坂を下りて上ると、にわかに森の中へ入っていった。今まで真上からさしていた光線は、青白いこまかい砕けとなって、溶岩の真黒な上にこぼれて来た。谷君の白い服がはっきりと見えて、こつこつという蹄の音が静かに聞えて来た。木立の奥のほうから、松蝉の声が陰気に漏れてくる。
森は尽きて、また以前の萱原になったが、しかしその路は、松山の裾をめぐるものとなって来て、地勢の変って来たことを思わせた。
馬子は空の一方を指さした。「昨日はあの山の向うを歩いていらしたんだ」そちらには遠く、青く光っている山があった。暑い光と涼しい風とは、萱と女郎花を光らせ、ゆすって、その山のほうへ続いている。そう教えられても、私の頭にはまるきり見当がつけられなかった。森の中にぽっつりと家が一軒見えた。本栖を離れてどれほどの道を来たか、それが初めて目に入った家であった。それは製板所だといった。
(鳴沢)
峻しい崖に、高く石段を築いてあって、上に赤い鳥居のあるのが仰がれた。奥には立派な社があるように思われた。桑畑があらわれ、胡麻畑がまじり、草屋がぽつぽつと見えて来た。一本の往還か白く乾いて真直に走っていた。その両側に、四五十軒の家がむらがっていた。路傍に大きな井戸があった。井戸に添って曲りこんだ路の奥に、ガラス戸の光っている大きな小学校があって、休みと見えてひっそりしている。私たちは鳴沢へ、このへんでの第一の古い村だという鳴沢へ来たのである。
馬子は馬を一軒の家の前へつないだ。それは旅人に飯を食わせる家であった。時計は十二時を少し回っていた。
ここで案内者を得られれば、私たちは途中での思い立ちとして、富士へ登ろうとしているのであった。(昭、8、11)
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