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河口湖情話(その2)

<嫁は親が決める>

幸右衛門もわるい遊びをしないうち、にと縁談がもち上がりその暮れの吉日をえらんで式を挙げることにまとまってしまった。嫁は伜がもらうのではなく、親がもらい与える時代で、親同志さえよければ、結婚の柏手の意志などどうでもよかったのである。

「幸右衛門、おらは言わんともわかっとる。おまえの嫁御が決まったんやな」

どうするてだてもない動揺を、これでもかこれでもかと幸右衛門にいどみ、いたぶることで、いっときでも忘れようとするみよは、精魂つきて眠りかける幸右衛門のからだをゆさぶっては肉迫した。ようやく東の空が白みはじめるころ、やっと平静をとりもどしたみよは、目頃のはげしさに似合わず肩をゆすって泣いたりもしてみせた。

「今日こそ両親に打明けてゆるしを乞うてみる」

幸右衛門は暁の空にのこる星盾をみつめて心に固く言いきかせるようにつぶやいた。

「おらはおまえに捨てられたら死んでやる」

みよははげしい嵐の吹き去ったあと、ヒソヤリする静寂の大気に、まだべっとりとひたいから首すじに汗で吸いついている乱れ髪をかきあげながら、一途のこころをそのままの口調にうつした。

「どうしても駄目ならドラをブツ」

「それでは義理がたくいまもつけとどけをしてくださるお前さんのご両親の顔をつぶしてしまう」

「ともかくおらが説得してみる。明日の晩はきっといいはなしをもってくる」

幸右衛門は、この一年間両親の目を盗んで、毎夜のようにみよと不純の逢引をかさねていることが、うしろめたく容易に打明けられなかったが、今夜の決心が崩れたいうちに打明けようと、急に、笹舟の方へ突っ走った。「

あまりご両親にさからうでねえど」

<タライ舟>

あくる日、ありのままのことを打明けた幸右衛門は、思いがけない両親のいかりにふれて、沈黙させられてしまった。助けられた恩は恩として返しているが、二つも歳上でしかも馬方稼業の娘とは、世間体を考えてもゆるせない、というきわめて常識的の反対であったのだ。説得のつぎは反抗、おどしと、あらゆる手段で両親のゆるしを得ようとした幸右衛門もついには万策つきてしまった。そればかりではない。こんやからは、両親の寝室近くに寝かされて、夜間の外出は一歩もまかりたらぬということになってしまった。

「あんなうまいことを言って、幸右衛門もとうとうこなくなってしもうた」

みよは、孤影しょう然と、魚見岩の上に立って待ちつづけた。かたや幸右衛門はとりつく島のない両親の見張る寝室でこれ又、眠れぬ夜夜を悶々とすごすうち、病人のようにげっそりと類の肉をおどし、三度の食事すら一度もはしをとらなくなってしまった。みよは、五目、六日と魚見岩で夜更けまで火を焚きつづげて、逢引の合図を絶やさずに待ちりづけた。達者のみよの方もそのふくよかな頬がひどくやつれてしまった。幸右衛門が来そうもないという予感がつよくなると、これまで幸右衛門を慕っていた恋情は、じぶんを見捨てた恨みにかわっていった。

みよはついに心を決すると幸右衛門の家へこちらから忍んでいき、もう一度幸右衛門のほんとうの心をしりたかった。あとはもうどうなれその先のことまでは心のうちにはなかった。みよがタライ舟にうちのり、勝山村へ漕ぎ渡ろうとした晩は、妙に宵の口から湖水が不気味に静まりかえっていた。

みよは、タライ舟にのると、目印に、松ヤニの油をともし火に、一本杓子のかいを便ってこぎ出した。この頃のようにすべりのよいボートなら、魚見岩から勝山の沖までは十二、三分だが、うごきのにぶいタライ舟では十七、八分もかかったろう。恋に身を焼くみよが、タライ舟をこぎ出すころになると、一天にわかにかきくもり、湖上が急に波立ってきたが、みよはそんな天侯変異にまったく気づかたかった。そろそろ九月初旬ともなると、突風、つむじ風、台風のおそう季節だ。特に富士山麓の天侯は猫の目のようにはげしくかわる。

「こんやはまたやげに風がつよくて波がさわぐのう。おみよのやつまた惚れた男と逢引か、やれやれわしに似てこん(根気)のいいことよ」 

馬方稼業のみよの父っさんは、昼問のつかれと酒の勢いで雷のようないびきをかいて土間で寝こんでいたが、雨戸を吹き倒し「ザー」と吹っこんできた、雨のいきおいで目をさましたが、起きて戸をたてたおすと、ワラウジの床へはいこんで、すぐ又いびきをかきはじめた。それから五日、みよは家にはもどらなかったが、みよの両親はさして気にもかけなかった。馬方人足の方が、こどもの自由とセックスに対してはもの分かりがよい。かりにみよの姿が三日や四日みえなくても、きりょうよしのみよにむらがる若い衆と、惚れたはれたのイザコザはあってもけっこうそれで青春をたのしんでいるだろうぐらいに考えていたのだ。年頃がきても、貧しくて目下のところは嫁にもやれたい、みよが、男の欲しい女盛りをもてあまして夜毎なにをしていようと、両親は口をつぐんでいなげれば、気性のはげしいみよにやりこめられることもある。

「父さん、たった一目だけだとおそかった幸右衛門いうから、番頭にそれとなく見張らせておくあいだ、幸右衛門を、みよに会わせてやっておくんなさいました。さもないことにはあの子は狂い死にしてしまいますよ」

七日も八日もめし一粒たべず、ほとんど眠る問とても

「みよちゃん、みよちゃん〜」

とうわごとのようによびつづける幸右衛門の恋情にまけて、母は夫の庄兵衛を口説くことになった。

「そうか、音から恋の病いで狂い死にしたもの、首くくりといずれも恋の病いはろくなけっかを生まぬ。一週間ものまず食わずでは死んでしまう。ゆるしたくないことだが、もう一度逢った上で思いきってくるというならゆるさぬでもない。まず先に番頭を見張に岩かげにかくしておきなされ」

厳格の庄兵衛も、伜の恋の病いがこうじてとんだことになってはと、ついに条件つきで逢引をゆるしてやった。

「さあ、一度だけという条件でゆるしがでましたよ」

母からみよとの逢引をゆるされたときくや、幸右衛門は、ふとんをけってはねおき、さっそく空きっ腹へ飯をかっこんだ。夕ぐれを待ちかねて笹舟をこぎ出した幸右衛門は、いつも火をともして魚見岩の位置をしらせてくれる、みよのともし火が、こんやにかぎってみえない不安にかられながら浜へ舟をのりつけた。岩かげでは番頭が先まわりして成行きを見守っている。

「みよちゃん、みよちゃんや〜」

と叫んだが、恋しい、みよの返事はなく、むなしい秋風が波さわぐだげであった。翌晩もまた翌晩も、魚見岩へ通った幸右衛門は、ついに、みよをふたたび見ることはできたかった。

現在いうところの「留守か岩」は、通いつめた大石の魚見岩に、いとしいみよの姿がなかったことから「いつも留守」といった意味合いから名づけられたものである。

「甲斐国志」には、富士山の大噴火で大石がゴロゴ回していたので「大石村」と名づけられたとある。留守か岩はその代表的の一つである。みよがなたくなって八日目、いくらのん死体浮く気の家風でも、みよの両親は心配になってきた。

「おらがのみよをみかげねえかよ」

村々の若い衆をたずねまわる両親の耳に、このときとんだ不吉のニュースがつたわった。

「てえへんだ。おめえのとこの、焼判りおしてあるタレー(タライ)が、鵜の島の浜へ流れついているということだぞ。もしやみよちゃんはタライ舟にのって、あの大嵐の夜流されて溺れ死んだんじゃねえけ」

近所の漁夫のしらせをうけたみよの両親は、さすがに血相かえてみよの姿をさがしもとめていると、

「お〜い、みよちゃんの死体が浮いているとよ〜」

夫婦で笹舟をこいで湖上を探しまわっている耳に、魚を釣っていた漁夫たちの叫びがきこえてきた。けっきょく、みよはわずか十五分かそこいらで着くはずの勝山村の浜の間で、急に崩れ出した台風も、宵の空から吹きつける豪雨と突風にあおられて、まず「ともしび」を消された。ついで対岸の見当を失い、鵜の島の方向へつよい風で流されていくうちに、大波をくらってタライ舟がひっくりかえって湖上へ投げ出されてしまったのだ。

みよの死をきいて幸右衛門があとを追ったのは、まもなくのことだ。口伝では、みよが人魚となって、幸右衛門と逢引きしていたのが「留守か岩」とも言う。


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