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「富士五湖めぐり」窪田空穂
一、 乗合馬車
私たち二人は、甲斐の大月駅で汽車を下りた。初めて見る町は、朝の九時ごろの光線を浴びて光っていた。通りをさしはさんで立っている旅館は、どの家の軒も、ちょうど軍艦の満艦飾のように、富士講社の手拭をかけ連ねていた。それを透かして、行きあたりに停車場のような家があって、その前に、二台の馬車が曳きすえてあるのが見えた。私たちは馬車を見るとすぐに、それをめあてにいそいだ。上吉田までの切符を買って、私たちは後の馬車に乗った。「いい馬車だね」と谷君は、馬車を見回していた目を私にうつして、心持よさそうに微笑した。

全くそれは気持のいい馬車であった。車体は細長くて、ちょうど電車のボギー車を小さくしたようであった。車輸が小さいので、腰掛は地の上から計っても二尺ぐらいの高さで、低いがために落ちついた感じを与えた。窓は広くあけて、展望の自由に十分にできるようにしてあった。御者も車掌も、しゃれた洋服を着ていて、東京の電車の人たちよりも気取っていた。地方にありがちな乗合馬車を想像して来た目には、格段なちがいであった。合理的に物をする国だと見える、と感じた。前の馬車にも、私たちの馬車にも、汽車で見かけた顔がいくつも見えた。東京の下町の商人と見える年寄りで、二人の娘を連れた人もそのうちにいて、私たちと一緒であった。
これがみな富士へ行くのかしらと思った。すると、汽車のなかで谷君から聞いた、私たちの知合いで、その健康をあやぶんでいた長さんという顔の青い娘が、つい近ごろ父親に連れられて富士登山をしたという話を思い浮かべた。
富士をちとおっくうに考え過ぎていたらしい。ついでに登って見ようかしら1と、ふと私は思った。
馬が曳き出きれてきた。珍らしくも、その馬は笠をかぶっていた。それは東京の近在の農夫のかぶるような、脚倒で編んだものであった。長い大岩な顔の上へ、小さな笠をちょこんとかぶって、そして両方の耳は、笠から生えたように抜け出している、その恰好の奇妙なのに私はくすくす笑い出した。車中の人々の目も、やはりその笠の上に笑っていた。が、馬は真面目な顔をしていた。
馬車は走り出した。白く乾いた路の側の方に省せて敷いてある古いレールは、馬の走ると共に伸びていった。路の両側は青田でしらじらと穂を出した田、出穂に近い田がまじっていた。田を越して、近く松山が続いていて、そこからは蝉の声が繁く聞こえてきた。路をさしはさんで小川があらわれると、その小川を前にして家かあらわれて、一軒並びに続いていた。そこには、一心に坐繰糸をとっている女、機を織っている女が多かった。
大ていの家の前には狭いところへ器用に植えこんだ朝顔、おいらん草、カンナなどの花が咲いていた。ある家の前には、子供の玩具よりも一やや大きいくらいの水車がしかけられていた。その水車には柄杓が付いていて、めぐるたびに川の水をすくいあげて、桶のなかにあけていた。
飲料のための漉水(こしみず)をしているのであろう。立場は間近くあって、馬はもう二、三べんも取り替えられた。新しく取り替えられた馬は、御者がいかにすかしても、誘っても、動こうとしない。乗客の目は、みな心配そうにその馬に集まっていた。一番注意深く見つめていたのは、さっき飛乗りをして、私たちのそばへ割りこむようにして腰をかけた男であった。それは濃い八字髭をはやして、五分刈の頭をして、かなりはげしそうな目をしていた。白飛白(かすり)を肌ぬぎにして、足は脚絆でかためていた。どっしりと落ちついた、どこか威張ったところのある、地方へ行って、その土地に生え抜いた者にだけ見られる様子をしていた。
「畜生!いやな目つきをしていやがるな!」馬が横へそれて横顔を見せると、その男は子細らしく呟いた。その男と顔を見合せると、谷君は、東京者の明るく軽い心持で話しはじめた、「馬って、それぞれ性分がちがうと見えますね?」
男は強くうなずいて、「馬は調習、って言いましてね、性分を調べる事が第一です。性分を調べて性分にしたがって馴らしてゆくんです。性分にさからっちゃ駄目です」いい事を言っていると思って、私は聞いていた。「さっきの馬はあなたんですか?」と話題を転じた。そう聞けばさっき、五、六匹の馬を一繋ぎにして曳いているのを見かけた。この男は博労だな、と心づいた。男はうなずいた。

その時はもう走り出していた。出しぶった馬は、走りかがとたてがみ出すとさかんに走った。踵を鳴らし、鬣(たてがみ)を振って、爪ざきあがりの路を一散に走り続けた。乗客の心は、馬と、一瞬一瞬に移ってゆく景色に奪われてしまった。みな黙って目ばかり躍らしていた。青田と松山とせまい青空と、どこまでいっても同じような単調な景色ではあるが、すみやかに移ってゆくがために、心を奪われるにあまりあるものとなっていた。博労はいつか消えてしまっていた。路に沿った小川は、幅を加えて、水量を加えて来た。ともすると岸を乗り越しそうにする水は、川底の石に激して真白に砕けた日光にきらめきつしながら、せわしく走り下っていた。
私たちの前には、美しい町があらわれ出した。それは谷村の町であった。立派な建物と、品物の多い店とはその町の豊かさを語りつつも続いていった。青田と松山と狭い青空とは、また始まって来て、どこまでも続いた。「まったく峡(かい)の国だね」緩くなった馬車から、両側の山脈を眺めていた谷君が呟いた。車中の沈黙は破れて来た。「ああ、乗物ですっかり疲れちまった!」投げ出すようにそう言って、つと腰掛から離れて御者のうしろのところまで行って、ふり返って車中全体に笑顔を向けたのは、羅紗の詰襟の服に鳥打帽をかぶった、いかにも健康そうに肥った男であった。「何しても北海道からここまで、できるだけ早く来ようと思って、あらゆる乗替場所で、一等時間の短い列車を選って来たんですからね。」男の目には明らかに、みなの喝采を予期した色があった。車中の者はその顔を見上げただけで、誰も何とも言うものかなかった。多分あまりに率直な調子で話しかけられたので、見当がつかなかったのであろう。「北海道は貧乏人にゃ持ってこいの場所です。単物(ひとえもの)がいりませんからね。もう朝晩は袷ですよ」
男はそう言って、暑そうに見える顔をハンケチで拭いた。そしてむこう向きになってしまった。古い台湾パナマの帽子と、よごれた白のチヨッキと、レーン・コートとの目につく、青白い、痩せた、薄髭を立てた男は、連れかと見える白木綿の富士道者の支度をした、職人かと見える男に、ぽちぽち北海道の話をしていた。
「北海道は寒い時にゃばかに寒い!暑い時にゃばかに暑いんです。それに食べものがなくて、やりきれない所です。それに風儀の悪い所でしてね」
男は風儀の悪さを、にがい顔をして、しかしくわしく説いた。それはいたるところ後家と呼ばれている売春婦がいっぱいにいるということで、そのいかにして買えるかを説くのであった。
富士道者は、他に何か思っているところがあるらしく、その澄んだ目を前面にじっとそそぎながらも、おりおり僅かにうなずいて見せていた。ぼちぼち続いていた家がにわかに多くなった。講社の手拭で包まれたようになった大きな描茶屋があって、それと対して一と目に馬車の会社と見える建物があった。馬車はその前で止まった。そこが吉田であった。
みな下りる客と一緒に、私たちも下りた。路はすぐにかなりな橋になって、橋の彼方は、立派な町並みになっていた。旅館の看板が第一に目を引いた。
「一時遇ぎた、ここで弁当つかってゆこうね。」
谷君はそう言って橋を渡ったところに省る旅館の裏庭のほうへはいっていった。(大正14年)

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馬子がそろったので、私たちは馬に乗った。谷君は若者の曳く馬に、私は四十恰好の、鼻下に髭をたくわえている男の曳く馬に乗った。馬は都落の中ほどから左へと、山のあるほうへと折れた。老婆の怒罵は、なおうしろに聞えていた。路は畑の中に紛いた白畑には、痩せた穂を持った粟ばかりであった。それが尽きると、ゆるやかな傾斜を持った萱山にかかった。見渡すとそこには、同じよう底円い萱山が、飛び飛びにいくつもあって、私たちの越そうと、しているのは、その一つなのであった。
遠く向うのほうに、この小山の群を越して高い山があるが、それはこちらよりは緑が濃いだけ、すべては一つの大きな、ゆるやかな調和の中に溶けこんでいる。真青な萱の中には、女郎花が黄色くまじって、おびただしく咲いている。ちらほら紫の桔梗がある。何とかいう紫の花は、所によるとむらがりをしている。木苺の実が真紅に、ちょうど食べ加減に熟していた。
山も空も真青な中に、日光は隈もなく照らしていた。それは、山の上でだけ見られるきわめて明るく、涼しく、そして物の距離を失わせるところのものであった。実際、光線は萱の一本一本の根もとまでもさしこんでいる。
虫の声が、単調な蟋蟀(こうろぎ)の声だけが、どこからともなく寂しく、しかし一面にしている。先へ行く谷君の旅姿が、絶えず目についていた。白の詰襟の洋服を着て、長い襟脚を見せて、ややかがみ加減になって、ゆらりゆらりと揺られながらに行く。馬はおりおり頸を曲げては、路ばたの草を噛む。すると馬の跡からついてゆく、巻脚絆をつけた若い馬子は、歩きながら木苺を摘んでは食べ食べしているのをやめて、馬を罵った。
空が目に入り、山が目に入り、あたりが目に入ってくる。そこには見飽かせない見ものがある。いや、見飽かせないというよりも、見ても見てもとらえることのできないものがある。そしてその何であるかも私にはわからない。
みんな生きている。生きているものは不思議に美しい。すがた生きているもので、誘惑に値するだけの美しい相を持っていないものは一つもない。私はそう思った。そして、おりからあらたに目を惹いた一つの萱山を見やった。その山の山肌に沿って曲線を描いている真青な萱原が、しらしらと光った。光は一方に向って、線をなして走ってゆく。するとあらたな光が生まれて、跡を追って走ってゆく。そよ風が渡っているのだと思いつつ、その柔らかな、幽かな繰り返しを、見送り見送りした。
人は私たちよりほかには、どちらにも一人も見えない。それが寂しいとは思わせず、きわめて自然だと思わせた。
ここには人がいないほうがいい。私たちは今、美しく輝いている生命の海の上へ、黒い影を落しているようなものだと思った。ふと私の胸に、本栖で見た老婆の姿が浮かんで来た。黄色い、皺にたるんだ額と、ぽっちりと光っている目と、怒罵の声とは、目の前に見ていた時よりもかえって鮮やかに見えて来た。しっこい怒り方をしたものだ、あの婆さん、まだ我鳴っているかもしれない、と思った。見るだけでも厭わしい婆さんの姿は、私の胸にこびりついて、いつまでも消えてゆかなかった。心づくと私は、その婆さんに隣れみに似た心を寄せていたのであった。それは何の連絡もなく、飛躍して来た心であった。憐みは形を取って来た。孫が可愛さに、いじめた者を怒るのであるが、誰も相手にもならない。怒りが怒鳴りとなって来たのは、むしろ当然である。
谷君の後姿が、珍らしいもののように、しみじみと見かえされて来た。私はこの友達の現在の心を感じている。我慢しているその処世上の疲労が、隠して吐いているその溜息が聞える。
私白身は、混迷そのものである。どこかへ行きたい、どこかへ仔かなければならない、それでいてその所のどこであるかがわからない。私の心は、自身のせまい世界のまわりを絶えず羽ばたいている、焦りは脈膞に食い入っている。時にはこうした甲斐ない足掻はやめようと思って、しばらく制していると、空虚の感は、前よりも堪えがたいものと狂ってくる。さみしい気分か、東京にいても滅多には経験しないようなさみしい気分が、今しみじみと私の胸に湧きあがって来た。
萱に蔽われた円山は、その数を加えて来た。起伏して続いて、尽きるところがないらしい。太陽は今は頭の真上となって、まぶしい明るさと圧えつけるよう狂静寂さを一つにして降りそそいでくる。女郎花、桔梗など、静かにその一つ一つの美しさを日光にもたげて、鳴く虫の声をそれにもつれさせている。
私は何だか話を、せめては人の声でも聞きたくなった。谷君の馬とは、一二町も離れてしまった。私の馬子はうしろについていた。私は、髭のあるその顔を思い浮かべて声をかけた。「本栖って、古い村らしいね?」
「そうらしいんです。もっとも、証拠になる古い書き物は、不幸にも無くなってしまいましたが」馬子はぎごちなさはあるが東京弁で、そして多くの漢語をまじえて語り続けた。
本栖よりも富士へ寄った村へ、他から養子に来た者があった。その者の発意で、その村をもっと利方(りかた)な土地へ移そうということになり、本栖村へ合同を申込んだ。庄屋は幸いにもことわったが、不幸にも本栖村に関しての古文書は持って行かれてしまって、残っていない。そのことは、今八十歳になる老人が幼少の頃、祖父の代の事だといって聞かされたことである。いま一度、それに類したことがあった。
本栖村に五助という者があって、悪いことをして「詑証文」を庄屋に入れた。夜になって五助は、書いたものは自分一代だけではなく後まで残る、どうかして取返したいと思い、庄屋の家の書類の入っている箪笥の抽斗(ひきだし)ごと盗み出し、字の読めないところから、この中にあるわけだときめてみんな焼いてしまった。村の者は五助のその所術を深く憎んで、本栖湖でする一年一度め祭の時、みんなして五助を酔わせた上、潮水で溺れさせてしまった。村の者の建ててやった五助の墓というが、今も湖水のそばに残っている。
その故郷に対して、いかに強い自尊心を持っているかが感じられて、私も高声で応答をした。馬子は話し続けた。
本栖は昔は、箱根に次いでの大事な関所で、二本差しの関守がいた。この関守が土地の者と結托して、富士道者が大勢来ると、時が早いにもかかわらず関所の門をしめてしまって、どうでも本栖に泊らなければならないようにしていた。この関守が町人をいじめてやろうと思い大宮の大きな呉服屋へ行き、よその店で買って受取を書かせてある足袋を、わざわざとその店を盗んだように見せかけ、難題の種にした。そして、関守は、呉服屋をおどしつけようと、自分は本栖の関守だと名のった。呉服産はおどされなかった。本当に関守なら、日本中の関所の名を知っているはずだ。それを言って見ろといった。その関守は、これには返事ができなかったのである。
これを話して、馬子は無邪気な、しかし侮りをふくめた高笑いをした。そして、「昔の役人って、馬鹿な者だったと見えますよ。私も村の名誉職をしていますがね」と付け加えていうのであった。
名誉職の馬子の話は、村の産業のことから隣県との境界争いのことに移っていった。しかし路は一つめ坂を下りて上ると、にわかに森の中へ入っていった。今まで真上からさしていた光線は、青白いこまかい砕けとなって、溶岩の真黒な上にこぼれて来た。谷君の白い服がはっきりと見えて、こつこつという蹄の音が静かに聞えて来た。木立の奥のほうから、松蝉の声が陰気に漏れてくる。
森は尽きて、また以前の萱原になったが、しかしその路は、松山の裾をめぐるものとなって来て、地勢の変って来たことを思わせた。
馬子は空の一方を指さした。「昨日はあの山の向うを歩いていらしたんだ」そちらには遠く、青く光っている山があった。暑い光と涼しい風とは、萱と女郎花を光らせ、ゆすって、その山のほうへ続いている。そう教えられても、私の頭にはまるきり見当がつけられなかった。森の中にぽっつりと家が一軒見えた。本栖を離れてどれほどの道を来たか、それが初めて目に入った家であった。それは製板所だといった。
(鳴沢)
峻しい崖に、高く石段を築いてあって、上に赤い鳥居のあるのが仰がれた。奥には立派な社があるように思われた。桑畑があらわれ、胡麻畑がまじり、草屋がぽつぽつと見えて来た。一本の往還か白く乾いて真直に走っていた。その両側に、四五十軒の家がむらがっていた。路傍に大きな井戸があった。井戸に添って曲りこんだ路の奥に、ガラス戸の光っている大きな小学校があって、休みと見えてひっそりしている。私たちは鳴沢へ、このへんでの第一の古い村だという鳴沢へ来たのである。
馬子は馬を一軒の家の前へつないだ。それは旅人に飯を食わせる家であった。時計は十二時を少し回っていた。
ここで案内者を得られれば、私たちは途中での思い立ちとして、富士へ登ろうとしているのであった。(昭、8、11)

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「富士五湖めぐり」窪田空穂
<二、裾野と人>
朝の日光は、精進湖を中心に、それをめぐっている連山に明るく光っていた。天も地も一と色の輝く緑となって見えた。昨日の疲労はすっかりぬけてしまって、眠りの足りたあとの心は軽かった。旅だと思う緊張した気分は静かに、胸に一ぱいになって来た。
谷君と私とは、精進湖に沿った一筋路を、一里だと聞いた本栖に向って歩いて行った。
「宿の人たちも、あの画家も、みんな好い人たちだったね」谷君は歩きながらそういった。再び見ることもなかろうと思われる人々の面影を、私は胸に浮かべた。年をした上さんも、嫁と見える鉄漿(かね)をくろぐろとつけていた人も、親切な気持のよい人であった。
隣室に泊り合せていた画家は、とりわけ印象の深い人であった。その人は三、四日前沼津を立って、富士川の上流に写生旅行をして、昨日の午後精進へ着いたが、無聊に苦しんでいるところへ隣室で話し声があるので、襖越しに話相手になってくれるようにと申込んだのであった。

旅中の話を聞いているうちに、その人は沼津中学の教員で、美術学校出で、谷君とは共通の知合いを大勢持っていることがわかり、そしてその前田という姓は、谷君の記憶の中にあったということが、しだいにわかって来た。朝、別れを言いにゆくと、前田君は湖辺まで送って来てくれた。山間の部落で見出だしたよい風景を伝えようとして、目を輝かし、手真似をして話す、健康そうな、日に焼けた昨夜の顔が、いま一度はっきりと浮かんで来た。湖辺の路は二筋にわかれて、一筋は山のほうへ向っていた.山中の路のいい加減に見当のつけられないものであることを知っている私は、立ちどまってしまった。やや離れて、湖水を前に、水をうしろにして、杣(そま)が一人、白木を扱っているのが見えた。私たちはその側まで行った。

「わしは余所村から来ているで、知りましねえ」と、気の毒そうにして、私たちを見上げた。すたすたと、私たちの前を通り過ぎる人があった。洋服に脚絆で、大きな雑嚢を背負い、手に玄能に似た杖を持っていた。聞いて見ようと思った時には、その人はもう遠ざかって、山の出鼻を曲りかけていた。
しばらくすると私たちは、湖辺を此方へ向っていそいでくる、年寄らしい女の姿を見かけた。大声でその人を呼びかけて聞くと、やはり大声で教えてくれた。湖上を渡って来る声は、あざやかに聞えた。私たちは、湖辺に沿った大路のほうを歩き出した。かなり来てふり返って見ると、精進の部落は青く輝く水をへだてて、はっきりと、しかも小さくなって見えた。昨夜歩き悩んだ路はどのへんだろうと、目でもとめた。湖と部落とをおし包んで、遠くかたたにひろがっている森林は、あまりにも広く、取りとめがなくて、まるきり見当もつけさせない。三里の樹海と聞いたが、それくらいではなかった。明るい光のもとに見ても、かなりに遠いものに思われる。
(樹海)
湖水の中に突き出た島に、一軒の西洋館がある。粗末な門の前に鶏が遊んでいる。ペンキ塗の家はドアが締まって、人の影が見えない。「これが昨夜のホテルだよ」霧ににじんだ灯影が、茫漠とした中にただ一つ見えて、暗い心になつかしくも、もどかしくも、眺められた、あの灯のあった家か。
路は高くなって、湖水はずっと足の下へ落ちて行った。「樹海!」と谷君は驚喜を声にした。あこがれて来て、昨夜はその中をくぐりながら、ついにそれらしい気もしなかった樹海、それは今、その全貌を私たちの眼にあらわしている。精進湖の対岸から、遠く、はるかに、白雲の垂れさがっているあたりまで、真っ平に展べられている緑と青。熔岩の上に密生している雑木は、おのずからにその丈に限度があって、鋏をもって刈りこんだがように真っ平に、明るく暗く光線に輝き渡っているさまは、海の漣(さざなみ)そのままである。大森林ではあるが、常磐木のそれの持つ暗さも起状もなく、雑木林ではあるが、その浅さも乱雑もない。樹海、まさに樹海で、そのほかの何物でもない。「展望したところがいいんだね」
谷君は動かない。そういわれると、昨夜、あの中の真暗なところを潜りつつ感じた陰欝さは、悪夢のような感がする。けたたましい鳥の声がして、静かな山から山へ響いた。「何だろう?」「懸巣だよ。こんな所へ別荘がほしいね」路は森林にはいった。それが下りになると、珍らしく広くなって来た。日光のさす所には畑があって、粟が小さい穂を出していた。部落が見えて来た。「本栖だよ」と谷君は言った。
(本栖湖)
朝の光線は、あらわに過ぎるほどにその部落を照らしていた。路をはさんで、三十軒ばかりの草屋が立っている。どの家の前にも菰(こも)を敷いて、蚕糞が干してある。青白い、疲れた顔をした男や女が、穀物をよく臼に当てようとする時のように、その蚕糞の中に四つ這いになって、手で掻きまわしている。その蚕糞は、肥料としての効力の疑われるまでに、白く黴(かび)てしまっているものであった。
日に乾く蚕糞から、家の周囲の芥から、蚕具に埋まった家の内から、悪臭は湧きあがって来て、よどんで漂っていた。路に立っている子供や、家の内にいる大人は、じろじろと私たちを眺めている。私たちはここから馬に乗る予定であった。一度その経験を持っている谷君は、ぼくぼくと馬で裾野を行くことを、この旅行の一つの趣として、それを私に教えてくれようとしていたのである。
乗馬のある家は、戸があけ放しになっていたが、人はいなかった。隣の家へ寄って相談すると、たちまち土地の男の五、六人が、私たちのまわりに集まって来た。馬の賃銭はきまったが、馬と馬子とをさがし出すには、かなりの時間がかかるらしかった。その時間に私たちは、五湖の一つの本栖湖を見て来ることとした。湖水は部落を出はずれた所にある。小高い所へ登ると、湖水はその全面を見せた。見わたすと、何という暗さだと思った。周囲の連山が水ぎわまで迫って切っ立って、そして岸には出入がなく、そして水は、青いというよりも黒ずんで沈んでいる。かなりの大きさを持った湖ではあるが、受ける感じは、奇怪な穴をのぞきこむようである。
立っていると、圧えつけられるようた気がして来た。ひとり帰って来ると、馬はそろったが馬子が一人足りないので、それをさがしに行っている所であった。「此方でお休みなさんし」と、馬を出す家の主人は勧めたが、蚕具で一ぱいになった薄暗い家へは入る気になれないので、私たちはその家の軒下の石に腰を下して、二人の人の馬に鞍をつけるところを見ていた。
不意に、耳をつらぬくような怒罵の声が、路の一方から聞えて来た。声のするほうを見ると、今まで見えなかった六十あまりの老婆か、背中に赤児を負い、後に六つ上ぐらいの、涙で汚れた顔をした女の子を連れて、部落全体の者をおびえさせようとするかのように怒罵しつつ、こちら此方へと動いてくるのであった。
老婆のいっていることは、不思議にも、ほとんど全部わからないので、私たちはただその顔と様子を見つめさせられるだけであった。黄色い、皺だらけの顔には、小さい眼が怒りにすわって、光って、そして罵声を投げ出す口は、投げ出すと急にすぼんで寂しくなった。短いま単物は裾がはだけて、痩せてしなびた足には藁草履を穿いていた。青い空からそそいで来る日光は、老婆の姿をかっきりと照らし出して、」老婆の動いてくるままに、その影法師を汚い路の上へ印している。老婆の怒罵はしつこくも繰り返されている。聞いている中に、どうやらその意味が感じられて来た。それは、後に控えている女の子が、不当に、部落の子供に打たれたということであるらしい。老婆はいかに繰り返しても、部落の誰も相手にはならない。のみならず耳もかしてはいないらしい。現に一人の上(かみ)さんが、貧乏徳利をさげてあちらから来て、老婆の側を通ったが、目もくれようとはしなかった。

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「高山へも登ったことがあるが、人の通る路で、こんな路って、あるはずがない」
私は日の頃を見た。松の梢の一ところにさしている日光は、赤く乱れて、まさしく夕日になっていた。ひるがえして反対のほうを見ると、赤松の幹の立ち並んでいる薄暗いところを通して、やや遠く、谷としては想像にもあまるような谷を越したあなたに、目と水平をなして富士の頂上近い一部が見えて、一つの赤い岩となって夕日に光っていた。
私は始めて、今いる所と時とを知ることができた。張りつめた心から私たちは、長い時のたったのも心づかずにいた。そしてこの路を行けば、間もなくあの山へ出られるものと思っていた。何というばかばかしいことだと思った。とにかく引返すよりほかはないと思って、谷君を呼ぼうとした。先へ立って登って行った谷君は、見上げるような急な山腹の薄暗い松の下を、白い洋服を着た細い姿をほとんど四つ這いにして、一心に攀じ登っている所であった。その後姿が、その時には不思議なたものに感じられた。谷君よりも先へ立った山案内の姿は、どこへ行ってしまったのか、見えなかった。
私は谷君を呼びもどした。路をまちがえているらしい、引返そうというと、谷君は時計を見てすぐ応じた。時間は六時になっていた。山案内の見えなくなっているのに、谷君は始めて気がついた。ことわって下りようと高声で呼んだが、その声は凝り固まったような静寂のなかへ吸いこまれていって、返事は聞えなかった。手を拍くと、その音は奇怪な音になって高く響いた。下りに向って、その山のいかに峻しいものであるかに、今さらのように驚いた。足をかける足場のない所があった。体を横にしてすべり下りる所があった。駈け下りて倒れようとして、青萱に取りすがって、手を切った所があった。ようやく松林の下を抜けて、小楢と青萱の赤土山へ出た。
ひょっくりと山案内が現われた。青黒い顔は今は青くなって、冷淡であった目はとり逆上(のぼ)せたような表情をもっていた。額からは、汗がたらたらと流れていた。
「路をすっかり間違えてしまいました。あの上へ行くと、なくなってしまっていました。これを真っすぐに下ると船津へ出られます。お供をするといいんですが、そうすると私が帰れなくなりますで」
谷君は銭入から、いくらかの銀貨をつまみ出してやった。「有難うございます」山案内は、掌の上の銀貨を気の毒そうに眺めていたが、お辞儀を続けざまにすると、路を横に切れて、高く繁った青萱を掻きわけて姿を隠してしまった。
案内を怒る心も、愚痴をいう心も起らなかった。小御門で一ぱいになっていた私たちの心は今、船津で一ぱいにされて来た。あの船津まで、一度通った河口湖のそばの町まで、どれほどの道のりがあることだろう。どれだけ遠くても、今はどうでもそこへ行くよりほかは仕方がない。
赤土山を出離れると、私たちの前へは、新しい光最が展けて来た。それは、ふり返ると富士の頂きを左に見あげる山腹であった。萩、萱などのなかにまれに小松をまじえている草原は、きわめてゆるやかな傾斜をもってひろがっていた。遠く、円を描いて続いている山脈が見えて、それが眼下になっているところから推すと、この傾斜はただちにその山脈に接しているものに思われた。仰いで見ては、それほどには思わなかった富士の裾は、いま高い所から見下すと、そのいかに広いものであるかに驚かずにはいられなかった。この傾斜を下りつくしたところに船津はある。が、ここに立ってその町を思うと、ちょうど大海が中の小島のような気がする。ちょっと方角を取り違えても、飛んだ所へ、どんな人里遠い所へ行ってしまうかも知れない。目の前の細路が、私たちには尊いものに見えた。草原のなかに、ようやく認められるほどについている路は、目の前だけはそれとわかるが、少し離れた所は、なびき合う草に隠れて見えなくなっていた。
私たちはおし黙って、ひたいそぎに路をいそいだ。進むに従って少しずつ現われて来る細路を見詰めて歩いているだけで、何も見ようともしなかった。細路の両側の青草の上に、夕日炉金色にかがやいて、こまかく砕けるのが見えた。たちまちそれが消えて、草は青みを失って黒ずんできた。細路は、両側がおぼろになって来ると共に、一層細くなって来た。煙のようなものが目の前をかすめた。それかあとからあとからと続いた。私は歩きながらも眼を挙げて、あたりを見回した。空は輝きを失って高く広くなっていた。歩いている山腹の傾斜は、今は薄闇につつまれて、低く落ち入って来ていた。ふり返って見ると、富士の頂きは今は青黒く変って、そしていちじるしく近くなって来て、頭の上へ迫って来ているように見えた。それは昼の光で見た沈静と繊細を失って、測りがたい力を蔵した怪異なものに見えた。その肩には、いつの間にか白雲が湧いて、ほの白く長くなびいていた。おりおり目の前をかすめた煙のようなものは雲で、それは暗い空のもとを目に見えるほどの速力をもって、麓のほうから頂きへ向って走っているのだったと知った。私たちは、あらんかぎりの速度で歩き続けた。すこしの変化も現われない草原と、前方の山脈とは。同じところに動いているだけのような感を起させた。「どちらだろう?」と、先べ立って歩いていた谷君は、突然にそう唆いて立ちどまった。今はきわめておぼろになった路が、二つにわかれていた。そのどちらに行くべきかもわからないほどに似た路である。問違えば飛んだことになるというおそれは、黙っている二人の胸を圧した。
「こちらのほうが広そうじゃないか」
「そうらしいね」
私たちは、一方の路へ入った。いくらも進まない時であった。谷君は立ちどまってしまった。路の両側の草がにわかに高くなって来て、路は見えなくなってしまったのである。
「問違ったようだ、引返そう」
私たちは、もと来た路を引返そうとした。するとその路は、今が今まで歩いていたその路は、ちょうど消したようになくなってしまって、私たちの目には闇の底につめたく乱れあっている一面の高草が見えるばかりであった。
「マッチ貸したまえ」
私は谷君に、煙草のためのマツチを渡した。谷君のすり出す火は、小さく燃えてすぐに消えた。すりすりしつつ、しだいに遠ざかってゆく洋服の白い色は闇に溶け、おぼろになった。両方で動いては駄目だ。そう思いながらも、私はもどかしい気がして、今消えてなくなろうとする谷君の姿を、闇を透かして見まもっていた。大事な場合だと思った。そう思うと共に、こういう場合には、落ちつくよりほかは仕方がないということが本能的に思われて来た。
「おうい」
と私は谷君を呼んで、
「一と休みしよう」
といって、草の上へ坐りこんでしまった。当てなくこの山の中を歩きまわるくらいなら、野宿をしたほうが安全だ。路がわからなかったら野宿ときめよう。そう思って私は空を見上げた。空にはいつの問にか黒雲が一ぱいにはびこって来ていた。今にも雨になりそうに見えた。しいている草は、もう夜露に濡れていて、湿気が肌にとおって来た。何という虫か、羽のあるらしい虫がいて、顔にさわり手にさわりした。谷君は引返して来た。
「どうにもわからない。わからないはずはないと思うんだがねえ」
「いっそ一晩ここで明かすのはどうだろう」
「駄目さ、凍えてしまう。正午から飲まず食わずだろう。第一着ているものは汗でぐっしょりだ。」
そういわれると、野宿をしようと思った時の気の張りはにわかにぬけてしまって、じっとしてはいられない場所に見えてきた。
「沢を伝って下りてみよう、きっと路へ出られるから」
ほとんど本能的にそういうことが胸に浮かんだ。浮かぶままを私は口にした。私の心は、その言葉を追っかけていった。
「山路ってものは非常に合理的についていて、一歩だって損のないようになっている。だから、雨水の流れる沢を下って行きゃ、きっと路といっしょになる」
心持ちの言わせるままを言っているうちに、私はそのことに対して確信が持てて来た。黙って聞いていた谷君は、どういうわけか賛成した。足で草を分け分け、進んでゆくと、雨水のたまって流れた跡と見える浅い窪みが草の下にあった。それを見失わないようにと、私たちはその窪みへ入って伝っており始めた。窪みは不意に落ち入って、腰ほどの深さになった。野茨(のいばら)にさえぎられ、進めなくなった。
ただ離れまいとする一心から、私たちは、無理にもそこを伝って下った。
「路がある!」
二人は一しょに言った。沢は尽きて、低い草原の上に、ほのかに路が見えて来た直それは、岐れない前の路の続きだということが、疑いなく信じられた。私たちはその路を急いだ。炉は小さな丘の裾に出た。前のほうにも丘が見えた。
「あ、荷車の音がする」
谷君は立ちどまって、驚いたように言った。その調子は、消えてゆく音を追っている心を伝えていた。谷君に聞えたというその音は、私には聞えなかった。こんな所を、今頃誰が荷車などひいていよう。ひいていたにしても何で遠くまで聞えるような音が立とう。
「幻覚だよ」
「そうかしら」
私たちはまた、おし黙って歩きつづけた。丘を越そうとして、その頂きへ登った時であった。二人の目はいっしょに一つの灯かげを認めた。それは、前方に真っ黒く横たわっている山脈の中腹にあたってであった。
「灯!」
そう言って二人は、そこに立ちどまった。言いようもないまでに懐かしい灯は、美しく、まばたきをしていた。丘を下りると、灯は見えなくなった。が、目にはその灯が染みついて、そして二つにふえ、三つにふえて見えていた。
「今夜のことを思うと、これからどんな苦労にでも堪えられるね」
谷君は、歩みをゆるみながら初めてものを言い出した。
「こういう経験もいいにするんだね。あ、虫が鳴いている」
路に沿った草むらの中に、奥のほうに、虫は澄んだ寂しい音を立てていた。今までも鳴いていたらしいが、私の耳は初めてそれを聞いたのであった。私は渇きを感じてきた。感じるといっしょに、それは堪えがたいまでのものとなって来たか、そのへんに水のないのは地勢からもわかっていた}目をさえぎって立っている闇を、押しわけるようにして歩きながら、私の心はただ咽喉の渇きだけになっていた。にわかに水の音が聞えた。それは路ばたの闇の底からで、清らかな水が小石に触れて立てる時の涼しい音であった。
「水があった」
私は不思議がりながら、音のするほうへ寄って行ってかかんだ。そこには乾いた大きな石が転がっているのみであった。手でさぐると、太陽の熱のほとぼりの残った石が続いているばかりであった。そして水音はなくなっていた。
諦めて、こらえて、しばらく歩いた後であった。私の耳にはまた水の音が聞えた。幻覚ではないかと疑いながらも、ともすると本当の水があるのかも知れないと思った。音のするほうへ寄ってゆくと、その音は消えてしまっていた。
ふと、歩いている目の前の闇に、空に見る銀河の一片のようなものが現われた。見ていると、それはこまかく揺れて、滝の水になってきた。私は自身で生む幻覚に翻弄されているのを思った。渇きは、しいて諦めようとすると、今度はその代りに深い疲れが起ってきて、ちょうど背後から強い力で抱きすくめられるように感じた。私は路ばたの草の上へ腰を下してしまった。
「お腹でも痛い?」谷君は小戻りして来て、心配そうに訊いた。
「疲れて動けない」
「いそがないと宿が取れなくなるよ」
私は起ち上って動き出した。心は目の前の暗いように暗かった。私は重い、一かたまりの物となっていた。
「しっかりし給え、船津が見える!」
谷君はうれしいように、私を励ますように言った。いかにも、たくさんの灯影が、真夜中の空の下にむらがって美しくともっていた。一心に思いつめて来た船津であるが、幸いにもこられた船津ではあるが、私の渇きと疲れとは、間近に見えるその灯影を眺めるばかりで、その時はもうその事を喜ぶだけの力もなかった。(大正6年)


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