富士山チャンネル

安易な世界遺産登録は富士山の崩壊を早める

富士山の懐かしい写真

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

馬子がそろったので、私たちは馬に乗った。谷君は若者の曳く馬に、私は四十恰好の、鼻下に髭をたくわえている男の曳く馬に乗った。馬は都落の中ほどから左へと、山のあるほうへと折れた。老婆の怒罵は、なおうしろに聞えていた。路は畑の中に紛いた白畑には、痩せた穂を持った粟ばかりであった。それが尽きると、ゆるやかな傾斜を持った萱山にかかった。見渡すとそこには、同じよう底円い萱山が、飛び飛びにいくつもあって、私たちの越そうと、しているのは、その一つなのであった。
遠く向うのほうに、この小山の群を越して高い山があるが、それはこちらよりは緑が濃いだけ、すべては一つの大きな、ゆるやかな調和の中に溶けこんでいる。真青な萱の中には、女郎花が黄色くまじって、おびただしく咲いている。ちらほら紫の桔梗がある。何とかいう紫の花は、所によるとむらがりをしている。木苺の実が真紅に、ちょうど食べ加減に熟していた。
山も空も真青な中に、日光は隈もなく照らしていた。それは、山の上でだけ見られるきわめて明るく、涼しく、そして物の距離を失わせるところのものであった。実際、光線は萱の一本一本の根もとまでもさしこんでいる。
虫の声が、単調な蟋蟀(こうろぎ)の声だけが、どこからともなく寂しく、しかし一面にしている。先へ行く谷君の旅姿が、絶えず目についていた。白の詰襟の洋服を着て、長い襟脚を見せて、ややかがみ加減になって、ゆらりゆらりと揺られながらに行く。馬はおりおり頸を曲げては、路ばたの草を噛む。すると馬の跡からついてゆく、巻脚絆をつけた若い馬子は、歩きながら木苺を摘んでは食べ食べしているのをやめて、馬を罵った。
空が目に入り、山が目に入り、あたりが目に入ってくる。そこには見飽かせない見ものがある。いや、見飽かせないというよりも、見ても見てもとらえることのできないものがある。そしてその何であるかも私にはわからない。
みんな生きている。生きているものは不思議に美しい。すがた生きているもので、誘惑に値するだけの美しい相を持っていないものは一つもない。私はそう思った。そして、おりからあらたに目を惹いた一つの萱山を見やった。その山の山肌に沿って曲線を描いている真青な萱原が、しらしらと光った。光は一方に向って、線をなして走ってゆく。するとあらたな光が生まれて、跡を追って走ってゆく。そよ風が渡っているのだと思いつつ、その柔らかな、幽かな繰り返しを、見送り見送りした。
人は私たちよりほかには、どちらにも一人も見えない。それが寂しいとは思わせず、きわめて自然だと思わせた。
ここには人がいないほうがいい。私たちは今、美しく輝いている生命の海の上へ、黒い影を落しているようなものだと思った。ふと私の胸に、本栖で見た老婆の姿が浮かんで来た。黄色い、皺にたるんだ額と、ぽっちりと光っている目と、怒罵の声とは、目の前に見ていた時よりもかえって鮮やかに見えて来た。しっこい怒り方をしたものだ、あの婆さん、まだ我鳴っているかもしれない、と思った。見るだけでも厭わしい婆さんの姿は、私の胸にこびりついて、いつまでも消えてゆかなかった。心づくと私は、その婆さんに隣れみに似た心を寄せていたのであった。それは何の連絡もなく、飛躍して来た心であった。憐みは形を取って来た。孫が可愛さに、いじめた者を怒るのであるが、誰も相手にもならない。怒りが怒鳴りとなって来たのは、むしろ当然である。
谷君の後姿が、珍らしいもののように、しみじみと見かえされて来た。私はこの友達の現在の心を感じている。我慢しているその処世上の疲労が、隠して吐いているその溜息が聞える。
私白身は、混迷そのものである。どこかへ行きたい、どこかへ仔かなければならない、それでいてその所のどこであるかがわからない。私の心は、自身のせまい世界のまわりを絶えず羽ばたいている、焦りは脈膞に食い入っている。時にはこうした甲斐ない足掻はやめようと思って、しばらく制していると、空虚の感は、前よりも堪えがたいものと狂ってくる。さみしい気分か、東京にいても滅多には経験しないようなさみしい気分が、今しみじみと私の胸に湧きあがって来た。
萱に蔽われた円山は、その数を加えて来た。起伏して続いて、尽きるところがないらしい。太陽は今は頭の真上となって、まぶしい明るさと圧えつけるよう狂静寂さを一つにして降りそそいでくる。女郎花、桔梗など、静かにその一つ一つの美しさを日光にもたげて、鳴く虫の声をそれにもつれさせている。
私は何だか話を、せめては人の声でも聞きたくなった。谷君の馬とは、一二町も離れてしまった。私の馬子はうしろについていた。私は、髭のあるその顔を思い浮かべて声をかけた。「本栖って、古い村らしいね?」
「そうらしいんです。もっとも、証拠になる古い書き物は、不幸にも無くなってしまいましたが」馬子はぎごちなさはあるが東京弁で、そして多くの漢語をまじえて語り続けた。
本栖よりも富士へ寄った村へ、他から養子に来た者があった。その者の発意で、その村をもっと利方(りかた)な土地へ移そうということになり、本栖村へ合同を申込んだ。庄屋は幸いにもことわったが、不幸にも本栖村に関しての古文書は持って行かれてしまって、残っていない。そのことは、今八十歳になる老人が幼少の頃、祖父の代の事だといって聞かされたことである。いま一度、それに類したことがあった。
本栖村に五助という者があって、悪いことをして「詑証文」を庄屋に入れた。夜になって五助は、書いたものは自分一代だけではなく後まで残る、どうかして取返したいと思い、庄屋の家の書類の入っている箪笥の抽斗(ひきだし)ごと盗み出し、字の読めないところから、この中にあるわけだときめてみんな焼いてしまった。村の者は五助のその所術を深く憎んで、本栖湖でする一年一度め祭の時、みんなして五助を酔わせた上、潮水で溺れさせてしまった。村の者の建ててやった五助の墓というが、今も湖水のそばに残っている。
その故郷に対して、いかに強い自尊心を持っているかが感じられて、私も高声で応答をした。馬子は話し続けた。
本栖は昔は、箱根に次いでの大事な関所で、二本差しの関守がいた。この関守が土地の者と結托して、富士道者が大勢来ると、時が早いにもかかわらず関所の門をしめてしまって、どうでも本栖に泊らなければならないようにしていた。この関守が町人をいじめてやろうと思い大宮の大きな呉服屋へ行き、よその店で買って受取を書かせてある足袋を、わざわざとその店を盗んだように見せかけ、難題の種にした。そして、関守は、呉服屋をおどしつけようと、自分は本栖の関守だと名のった。呉服産はおどされなかった。本当に関守なら、日本中の関所の名を知っているはずだ。それを言って見ろといった。その関守は、これには返事ができなかったのである。
これを話して、馬子は無邪気な、しかし侮りをふくめた高笑いをした。そして、「昔の役人って、馬鹿な者だったと見えますよ。私も村の名誉職をしていますがね」と付け加えていうのであった。
名誉職の馬子の話は、村の産業のことから隣県との境界争いのことに移っていった。しかし路は一つめ坂を下りて上ると、にわかに森の中へ入っていった。今まで真上からさしていた光線は、青白いこまかい砕けとなって、溶岩の真黒な上にこぼれて来た。谷君の白い服がはっきりと見えて、こつこつという蹄の音が静かに聞えて来た。木立の奥のほうから、松蝉の声が陰気に漏れてくる。
森は尽きて、また以前の萱原になったが、しかしその路は、松山の裾をめぐるものとなって来て、地勢の変って来たことを思わせた。
馬子は空の一方を指さした。「昨日はあの山の向うを歩いていらしたんだ」そちらには遠く、青く光っている山があった。暑い光と涼しい風とは、萱と女郎花を光らせ、ゆすって、その山のほうへ続いている。そう教えられても、私の頭にはまるきり見当がつけられなかった。森の中にぽっつりと家が一軒見えた。本栖を離れてどれほどの道を来たか、それが初めて目に入った家であった。それは製板所だといった。
(鳴沢)
峻しい崖に、高く石段を築いてあって、上に赤い鳥居のあるのが仰がれた。奥には立派な社があるように思われた。桑畑があらわれ、胡麻畑がまじり、草屋がぽつぽつと見えて来た。一本の往還か白く乾いて真直に走っていた。その両側に、四五十軒の家がむらがっていた。路傍に大きな井戸があった。井戸に添って曲りこんだ路の奥に、ガラス戸の光っている大きな小学校があって、休みと見えてひっそりしている。私たちは鳴沢へ、このへんでの第一の古い村だという鳴沢へ来たのである。
馬子は馬を一軒の家の前へつないだ。それは旅人に飯を食わせる家であった。時計は十二時を少し回っていた。
ここで案内者を得られれば、私たちは途中での思い立ちとして、富士へ登ろうとしているのであった。(昭、8、11)

イメージ 1

「富士五湖めぐり」窪田空穂
<二、裾野と人>
朝の日光は、精進湖を中心に、それをめぐっている連山に明るく光っていた。天も地も一と色の輝く緑となって見えた。昨日の疲労はすっかりぬけてしまって、眠りの足りたあとの心は軽かった。旅だと思う緊張した気分は静かに、胸に一ぱいになって来た。
谷君と私とは、精進湖に沿った一筋路を、一里だと聞いた本栖に向って歩いて行った。
「宿の人たちも、あの画家も、みんな好い人たちだったね」谷君は歩きながらそういった。再び見ることもなかろうと思われる人々の面影を、私は胸に浮かべた。年をした上さんも、嫁と見える鉄漿(かね)をくろぐろとつけていた人も、親切な気持のよい人であった。
隣室に泊り合せていた画家は、とりわけ印象の深い人であった。その人は三、四日前沼津を立って、富士川の上流に写生旅行をして、昨日の午後精進へ着いたが、無聊に苦しんでいるところへ隣室で話し声があるので、襖越しに話相手になってくれるようにと申込んだのであった。

旅中の話を聞いているうちに、その人は沼津中学の教員で、美術学校出で、谷君とは共通の知合いを大勢持っていることがわかり、そしてその前田という姓は、谷君の記憶の中にあったということが、しだいにわかって来た。朝、別れを言いにゆくと、前田君は湖辺まで送って来てくれた。山間の部落で見出だしたよい風景を伝えようとして、目を輝かし、手真似をして話す、健康そうな、日に焼けた昨夜の顔が、いま一度はっきりと浮かんで来た。湖辺の路は二筋にわかれて、一筋は山のほうへ向っていた.山中の路のいい加減に見当のつけられないものであることを知っている私は、立ちどまってしまった。やや離れて、湖水を前に、水をうしろにして、杣(そま)が一人、白木を扱っているのが見えた。私たちはその側まで行った。

「わしは余所村から来ているで、知りましねえ」と、気の毒そうにして、私たちを見上げた。すたすたと、私たちの前を通り過ぎる人があった。洋服に脚絆で、大きな雑嚢を背負い、手に玄能に似た杖を持っていた。聞いて見ようと思った時には、その人はもう遠ざかって、山の出鼻を曲りかけていた。
しばらくすると私たちは、湖辺を此方へ向っていそいでくる、年寄らしい女の姿を見かけた。大声でその人を呼びかけて聞くと、やはり大声で教えてくれた。湖上を渡って来る声は、あざやかに聞えた。私たちは、湖辺に沿った大路のほうを歩き出した。かなり来てふり返って見ると、精進の部落は青く輝く水をへだてて、はっきりと、しかも小さくなって見えた。昨夜歩き悩んだ路はどのへんだろうと、目でもとめた。湖と部落とをおし包んで、遠くかたたにひろがっている森林は、あまりにも広く、取りとめがなくて、まるきり見当もつけさせない。三里の樹海と聞いたが、それくらいではなかった。明るい光のもとに見ても、かなりに遠いものに思われる。
(樹海)
湖水の中に突き出た島に、一軒の西洋館がある。粗末な門の前に鶏が遊んでいる。ペンキ塗の家はドアが締まって、人の影が見えない。「これが昨夜のホテルだよ」霧ににじんだ灯影が、茫漠とした中にただ一つ見えて、暗い心になつかしくも、もどかしくも、眺められた、あの灯のあった家か。
路は高くなって、湖水はずっと足の下へ落ちて行った。「樹海!」と谷君は驚喜を声にした。あこがれて来て、昨夜はその中をくぐりながら、ついにそれらしい気もしなかった樹海、それは今、その全貌を私たちの眼にあらわしている。精進湖の対岸から、遠く、はるかに、白雲の垂れさがっているあたりまで、真っ平に展べられている緑と青。熔岩の上に密生している雑木は、おのずからにその丈に限度があって、鋏をもって刈りこんだがように真っ平に、明るく暗く光線に輝き渡っているさまは、海の漣(さざなみ)そのままである。大森林ではあるが、常磐木のそれの持つ暗さも起状もなく、雑木林ではあるが、その浅さも乱雑もない。樹海、まさに樹海で、そのほかの何物でもない。「展望したところがいいんだね」
谷君は動かない。そういわれると、昨夜、あの中の真暗なところを潜りつつ感じた陰欝さは、悪夢のような感がする。けたたましい鳥の声がして、静かな山から山へ響いた。「何だろう?」「懸巣だよ。こんな所へ別荘がほしいね」路は森林にはいった。それが下りになると、珍らしく広くなって来た。日光のさす所には畑があって、粟が小さい穂を出していた。部落が見えて来た。「本栖だよ」と谷君は言った。
(本栖湖)
朝の光線は、あらわに過ぎるほどにその部落を照らしていた。路をはさんで、三十軒ばかりの草屋が立っている。どの家の前にも菰(こも)を敷いて、蚕糞が干してある。青白い、疲れた顔をした男や女が、穀物をよく臼に当てようとする時のように、その蚕糞の中に四つ這いになって、手で掻きまわしている。その蚕糞は、肥料としての効力の疑われるまでに、白く黴(かび)てしまっているものであった。
日に乾く蚕糞から、家の周囲の芥から、蚕具に埋まった家の内から、悪臭は湧きあがって来て、よどんで漂っていた。路に立っている子供や、家の内にいる大人は、じろじろと私たちを眺めている。私たちはここから馬に乗る予定であった。一度その経験を持っている谷君は、ぼくぼくと馬で裾野を行くことを、この旅行の一つの趣として、それを私に教えてくれようとしていたのである。
乗馬のある家は、戸があけ放しになっていたが、人はいなかった。隣の家へ寄って相談すると、たちまち土地の男の五、六人が、私たちのまわりに集まって来た。馬の賃銭はきまったが、馬と馬子とをさがし出すには、かなりの時間がかかるらしかった。その時間に私たちは、五湖の一つの本栖湖を見て来ることとした。湖水は部落を出はずれた所にある。小高い所へ登ると、湖水はその全面を見せた。見わたすと、何という暗さだと思った。周囲の連山が水ぎわまで迫って切っ立って、そして岸には出入がなく、そして水は、青いというよりも黒ずんで沈んでいる。かなりの大きさを持った湖ではあるが、受ける感じは、奇怪な穴をのぞきこむようである。
立っていると、圧えつけられるようた気がして来た。ひとり帰って来ると、馬はそろったが馬子が一人足りないので、それをさがしに行っている所であった。「此方でお休みなさんし」と、馬を出す家の主人は勧めたが、蚕具で一ぱいになった薄暗い家へは入る気になれないので、私たちはその家の軒下の石に腰を下して、二人の人の馬に鞍をつけるところを見ていた。
不意に、耳をつらぬくような怒罵の声が、路の一方から聞えて来た。声のするほうを見ると、今まで見えなかった六十あまりの老婆か、背中に赤児を負い、後に六つ上ぐらいの、涙で汚れた顔をした女の子を連れて、部落全体の者をおびえさせようとするかのように怒罵しつつ、こちら此方へと動いてくるのであった。
老婆のいっていることは、不思議にも、ほとんど全部わからないので、私たちはただその顔と様子を見つめさせられるだけであった。黄色い、皺だらけの顔には、小さい眼が怒りにすわって、光って、そして罵声を投げ出す口は、投げ出すと急にすぼんで寂しくなった。短いま単物は裾がはだけて、痩せてしなびた足には藁草履を穿いていた。青い空からそそいで来る日光は、老婆の姿をかっきりと照らし出して、」老婆の動いてくるままに、その影法師を汚い路の上へ印している。老婆の怒罵はしつこくも繰り返されている。聞いている中に、どうやらその意味が感じられて来た。それは、後に控えている女の子が、不当に、部落の子供に打たれたということであるらしい。老婆はいかに繰り返しても、部落の誰も相手にはならない。のみならず耳もかしてはいないらしい。現に一人の上(かみ)さんが、貧乏徳利をさげてあちらから来て、老婆の側を通ったが、目もくれようとはしなかった。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.

過去の記事一覧

富士山文化と世界遺産
富士山文化と世界遺産
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事