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ハワイアンバンドは順調だった。
曲目は個人個人で好き嫌いがあっても演奏する楽しさが勝り練習にのめりこんだ。
一郎の家から俊夫の家の離れまで歩いていくと30分以上かかる。
車が来るまでは歩いて通ったがクラウンが一郎の家の前にあるときは一郎が練習を兼ねて運転した。
もちろん無免許である。昼間でさえ交通量が少ないのに日が暮れるとほとんど無人になる。
外灯などなく真っ暗な中、田川を載せて恐る恐る運転した。
乗っている田川は一郎より恐ろしい思いをしたにちがいない。
俊夫の家のすぐ近くにある小さな公園が駐車場だ。
今時のノークラでなくブレーキとアクセルにクラッチが付いている。
一度も車を運転したことのない一郎にとっては車を発進させるのでさえ、難しいのである。
何度発進させようとしてもクラッチがガリガリと不快な音をたてながら車はノッキングして
エンジンが切れてしまう。
だが、吉野の指導を受けているうちにようやく発進することが出来るようになった。
クラウンは後に演奏があるとき楽器の運搬に使われ便利であったが、運転手は一郎である。
一郎は車の運転を熱心に練習した。昼間一郎の家と俊夫の家の近くにある遊園地の間を往復した。
とにかく交通量の少ないのが幸いして、事故など一度も犯さなかった。
運転していて驚いたことはウインカーが短剣の格好をしていることで、
本来灯りが点くはずなのに点いたり点かなかったりという代物だった。
ウインカーを出す時パタパタと音を立てるし、スムーズに出たためしがない。
もっとも、運転手が無免許なので曲がり角に行ってもウインカーを出し忘れたことにもよる。
事故は起こさなかったが練習中、身の危険を感じたことが何度かあった。
バンドの練習がある日、一郎は吉野の家の前に駐車してあるクラウンを単独で受け取りに行った。
吉野の家まで徒歩30分の距離である。
その日は朝から曇り空で今にも降り出しそうな雲行きだった。
吉野の家の近くまで行った時ぽつぽつと雨が降って来た、と思ったらあたりが急に暗くなり、
今度はざーっと音を立てて降り出した。
一郎は預かっていた予備の鍵でドアーを開け運転席に転がり込むと大きく息を吐いた。
どうせ通り雨だからすぐ止むだろうと、しばらく様子を見ることにしてピースに火を点けた。
ところが雨脚は衰えるどころかますますひどくなり、おまけに稲光とともに雷まで鳴り出した。
「うわっ、そりゃないぜ。この雨の中運転して帰るのかよ」
思わず独り言、一郎はまだ雨の降る日に運転したことがない。
とりあえずエンジンを回し、ワイパーのレバーを押した。
助手席側のワイパーは正常に動いた、が肝心な運転席側のワイパーの動きがおかしい。
やっと動いているようで、まことに頼りない限りだ。
雨脚はますます激しく、ボンネットと言わず天井や窓ガラスをたたき、水しぶきを上げている。
一郎はそれを見て怯んだ。
もはや歩いて家には帰れないからこの厳しい条件の中、車を運転して帰ることしか方法が無い。
一郎は意を決してアクセルを踏んだ。
ワイパーの動きは頼りなかったが、まだなんとか前を見ることが出来た。
海岸道路に出る交差点で右のウインカーを出した。
カシャッと音がして赤い短剣のような形をした物がしぶしぶ出てきた。
こんなもので後ろの車は認識できるのだろうか、と一瞬思った。
幸い前後に車の陰は無くハンドルを右に切り、さらに10m先の三叉路を右に切った。
広い坂道を真っ直ぐに進み135号線とぶつかる三叉路でいったん停止した。
前に2台ほど止まっている。
そのとき雷とともに頭からバケツの水を掛けられたような激しい雨になった。
おんぼろ車のワイパーでは前が良く見えない上に、
なんとワイパーは真ん中で止まってしまったのである。
前の2台の車は機を見て135号線に出て行ったが、クラウンは道路上で立ち往生したままである。
一郎は思案の末まだ動いている助手席のワイパーを頼り、体を助手席に倒しながら運転することにした。
だが雨脚が激しすぎて通常の動きをしたワイパーでも前方はぼやけ、
はっきりと物を確認することも出来ない。
それでも一郎はハンドルを左に切り135号線に出て車を逗子方面に進めた。
そのとき混乱する頭の中で左のウインカーを出さなかったことに気がついた。
それでなくてもパニックになっている頭の中はその一事でさらに攪拌され心臓がバクバク鳴り始めた。
その時の血圧は170〜200に達していただろう。
若かったから気にも留めなかったが心臓は危険水域に差し掛かっていたのだ。
激しい雨のため左手に在る田中屋がぼやけて見えた。
田中屋は小学生の頃に強風の中を、義父の焼酎を買いに行かされた酒屋である。
ここまで来れば後は注意しながら運転していけばいい。
一郎はそう思うと、依然として見えない前方に目を凝らし、ハンドルを握る手に力を入れた。
そのとき闇をつんざくように稲妻が走り、雷がどこかに落ちたと思わせるような音がした。
一郎は思わず頭を縮めハンドルの上にかがみ込み自然の恐ろしさに震えた。
幸い対向車も無く、後続の車も無く命拾いをしたと思った。
ようやく長柄橋を渡りハンドルを右に切って家の前で車を停め、
エンジンを切ると冷や汗がどっと出てきた。
というのも車の運転を覚えて初めての長い距離に加えて最低の気象条件だったからである。
とりあえず気持ちを静めるためか無意識のうちにピースを咥え火をつけていた。
一郎は思い切り煙を吸いこんだ。すると何故かタバコを吸い始めた時に感じた、
頭がくらくらして気持ちが悪くなるのと同じ現象に見舞われた。それほど緊張していたのだ。
なんにしろ無免許で事故は最悪である。雨のせいもあるが交通量が少なかったのが幸いだった。
だが一郎は車を運転することをやめなかった。
またこんなこともあった。夏休みの盛り、7月末の日曜日は海水浴客が最も多くやって来る日である。
当時は自家用車を持つ人は少なかったからほとんどの人は電車でやって来る。
横須賀線逗子駅や京浜急行逗子駅、逗子海岸駅を降りて逗子海岸や葉山の海岸に繰り出すのだ。
逗子海岸へは徒歩である。逗子駅を降りて銀座通りを抜け、郵便局手前を右に折れ、
真っ直ぐ5分ほど歩くと逗子海岸中央口につく。京浜逗子駅からも一直線にこの道に通じている。
またこの道は私立開成高校への通学路でもある。
この日は逗子じゅうが海水客で混雑する。
逗子銀座通りは言うに及ばずなぎさ通りも池田通りも大混雑,ごったがえすのである。
銀座通りは通りの両側に歩道があるのだが、歩道だけでは捌き切れず、
混雑すると車道にまで出て歩く者がいる。銀座通りは現在一方通行であるが当時は両面通行であった。
いくら車の量が少ないとは言えバス通りでもあるし、
逗子のメイン通りでもあるからかなりの量の車が行き来する。
そんな一番混雑する日にもかかわらず、一郎は無謀にもクラウンに吉野、田川、山完を乗せ
混雑する逗子通りへ繰り出したのである。 (つづく)
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今晩は。
大雨のしかも暗い中、今でも怖いでしょうね。
本当に無事でよかったです。
もし隣に乗っていたら・・・雨の中降りていたかも・・・?
車の交通量の少ない、その上観光客の多い逗子の道。
なにかがあったのかしら。
続きを待ちますね。
2009/10/29(木) 午前 0:42
ああ、私も免許を取ってからまもなく茅ヶ崎の親戚の家に向かいました。そうしたら途中で大雨。ワイパーを一番速く動かしても、まったく前が見えず往生した記憶があります。
今ならきっと、いよいよ危険ならば路側に車を止めてしまうのでしょうけれどね。
車を運転し始めた頃は、そういうリスク回避の機転も利かなかったんですよね。
2009/10/29(木) 午前 8:31
minさん、おはよう(?)ございます。
もう必死でしたよ。心のどこかに無免許と言う気持ちがありましたから。
あの頃の逗子の町が日曜日ともなるとその混雑は大変なもので、今考えると「良くぞ出かけた」と思います。
2009/10/29(木) 午前 10:21 [ 遊人A ]
もろぼしさん、おはようございます。
ぎっくり腰はどうですか?あれは癖になりますからね。
そうそう、車を停めようなんて考えもし無かったですね。
ただ家に帰ろうと思うばかりで必死になってハンドルをつかんでいましたよ。なにせ無免許ですから。
事故を起こしたら大変だと、そればかりでしたよ。
2009/10/29(木) 午前 10:29 [ 遊人A ]
読ませていただきながらスリルを味わいました(笑)
今のくる車社会では考えられない絵ですね。
ご無事でなによりでした。
2009/11/2(月) 午前 10:05
ゆめおいさん、おはようございます。
あほな、ノー天気の大学生の馬鹿らしいお話がしばらく続きます。
でも時代が進むにつれ車はどんどん増えて、日曜日の夕方から8時頃まで数珠繋ぎでした。
2009/11/2(月) 午後 1:36 [ 遊人A ]
こんにちわ。
涼しいと言うよりも「寒い」と言った方が明らかに似合うようになってきましたね。
暑くて暑くてしかたなかったのはついこの間のように思えるのに。
季節が移り変わり、また新しい歳がもうじきやってきますね。
ご自愛くださいませ。
2009/11/12(木) 午後 2:33
もろぼしさん、こんにちは。
腰の下限はどうですか?これからお仕事が忙しくなるそうで大変ですね。
今日はまた寒い北風が吹いて、身に病を持つ私にはとてもこたえます。
年度末まで体をいとい頑張ってください。
私も続きをがんばります。
2009/11/13(金) 午後 1:39 [ 遊人A ]