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二学期になって、一色地区に建設中だった新校舎へ移動することになった。まだ一棟しか出来上がって
いなかったから、移動するのは二年生だけである。滝の坂を下りきった所にあった畑を埋め、小高い丘は
削られて校庭が作られていた。校庭の外れに木造二階建ての校舎が一棟ぽつんと建ち、付属設備として便
所と小遣いさん夫婦の家が並んで建っている。そしてもう一棟の校舎が平行する形で建設中だった。
当時横須賀に抜けるバイパス道路を建設中で、校舎はちょうどその横に造られた格好になった。
おかげで一郎の通学距離は長くなってしまった。旧校舎からは徒歩15分ほどの距離である。はち店前の
坂を登ってから降り切ると新校舎に到着する。だから先生方は旧校舎と新校舎を往ったり来たりしなけれ
ばならず、大変苦労されたようだ。今なら車で移動すればたいした距離ではないのだが、その頃は自家用
車など持っている先生はいなかった。徒歩で移動するか自転車を使うしかなかったのである。
校庭は荒造成しただけの、まだよく踏み固められていない状態で、雨でも降ろうものならぐじゃぐじゃ
になった。小さな丘を切り取った跡はむき出しのままに、関東ローム層の赤茶けた肌が見えている。その
すそ周りには土を掘っただけの簡易下水溝が掘られていて、その水路には、一部に水田があった様で、
泥鰌やアメリカザリガニが生息していた。いたずら好きの連中がその泥鰌やざりがにを捕まえてきて
教室で飼っていた。
佐島でリフレッシュしたはずの一郎であったけれど、家に帰ってくるとまた元に戻ってしまい、
思い悩む日が続いていた。義父は相変わらず勤めにも行かず寝たり起きたりの生活である。些細な所が
目に付くのか普段気にしない僅かなミスを指摘して、しつこく何回も繰り返し文句を言っていた。しか
も、いつも結果論しか言わず、そんな指摘なら誰でも出来ると思った。家中の者が萎縮し家庭の温もり
は感じられなかった。そんなとき一郎は素早く自分の部屋に逃げ込むようにした。部屋にこもればもう、
別世界である。しかし勉強は相変わらず集中することが出来ずに、とりとめの無いことを考えていた。
学校が行う期末テストや中間テストの結果が廊下に張り出された。学年全体の順位表である。一組
50人いたとすると、6組だから300人はいる計算になる。いつも上位20人くらいが張り出されるこ
とになる。一郎は大抵20人の中に入ってはいたが、ベスト5に入ることは稀であった。一郎は恥ずかし
かったし、悔しかった。そんなに恥ずかしく悔しいなら、何故もっと勉強しないのだろうと思うのだが
何故か勉強が手につかない。いつも夢のような話ばかり思い浮かべて考えは堂々巡りになる。つい目の
前に迫った受験のことさえ遠い世界の出来事のような気がして、確実な実像を結ぶことの無いレンズを
透して見ている様である。何が原因なのか一郎にはまだ分からず、自分自身に対する歯がゆさをもてあま
していた。学校では相変わらずハンメや悦治、信也、スズカンといった連中と悪ふざけをして、担任の
下田先生に罰として廊下に正座させられたりした。ほかの組の生徒が面白がって冷やかしに来たが、別に
恥ずかしさは無く、むしろ座らされていることに得意になっていて反省する気持ちは起きなかった。
ある日、2時間目終了の休み時間にいつものメンバーと学校を抜け出し、はち店に菓子パンを買いに行
った。許可なく学校の敷地から出ることは禁止されている。見つからない限り、3時間目が始まる前に
教室に戻れば問題は無かったのであるが、間に合わなかった。教科は日本史、担当は鈴木先生だった。
5人もいないので大騒ぎになっていた。
「遅れて、すみませんでした」恐る恐る後ろのドアーを開けて入って行った。
「お前らどこに行っていたんだ。授業はとっくに始まっているぞ。何?腹が減ったから、はち店で何を買
って食ったんだ、アンパンだ?ええ、ジャムパンだと?、さぞ美味かったろうな。いいことか悪いことか
言って見ろ。そう悪いに決まっている。東谷、お前は委員長だろう、お前が先頭きって校則を破ったん
じゃ示しがつかないじゃないか。罰として後ろで立っていろ、お前等もだ」5人は3時間目が終わるまで
立たされていた。授業はちょうど戦国時代を経て安土桃山時代に差し掛かっていた。面白かったので立た
されたまま聞き入っていた。一郎はそれでもヒーロー気取りで鈴木先生が帰るとすぐ何事も無かったよう
に弁当を食べた。悪いことをしたとは思わなかった。
その日のホームルームが終わると、下田先生が「一郎に話があるから残るように」と言った。
「そら来たぞ」一郎は来るべきものが来たなと思った。写生大会のこともあったし、木の上の家作り騒動
もあったので前から覚悟をしていた。信也と悦治がそばによってきて
「悪いな、俺等は呼ばれずに、いっちゃん一人で」と言った。
「気にすることは無いさ、これだけじゃないから」教室の掃除が済んでみんな帰った後、一郎は窓際にも
たれかかるようにしてぼんやり外を見ていた。入り口のドアーが開いて小柄な下田先生が入ってきた。
「東谷、お前なんで残れといわれたか分かっているな」下田先生は自分の机の前に椅子をもってこさせ、
一郎に座るように言い、おもむろに切り出した。
「はい、分かっているつもりです」
「鈴木先生がかんかんになって怒っていたぞ。お前この頃どうかしているな。わざと怒られようとしてい
るみたいだ。美術の栢山先生もあきれていらした。なんか不満でもあるのか、それとも何が原因なのだ」
「・・・・・」
「それにこの頃のお前の成績、大分悪いぞ」一郎に覗かれないように隠しながらノートを開きため息をつ
いた。一郎は先生に言われるまでも無く、痛いほど分かっていた。
「来年は高校の入学試験があるのは承知しているな。お前の今年のアチーブメントテストの成績では、
県立高校は難しいかもしれないぞ」
前にも話したが当時の横須賀三浦学区には県立の普通高校は2校しかなかった。そのうち三崎高校は
通学距離がありすぎて無理であることのほかに、学力が低い。さらに大学まで進もうとするなら、学区内
の中学で、成績上位の生徒がこぞって進学することになる横須賀高校に限定される。一郎は漠然とでは
あったが、自分は学区の中で一番の高校に行くのだと、当然のように思っていた。その時一郎はまだどん
な高校があるのか知らなかった。のんきな話である。6年のときの失敗もまだ覚めやらぬくせに、なんの
苦労も無くエスカレーターのようにことが運ぶものだと安易に考えていた。
「横高(横須賀高校の愛称)に行くには少なくとも15番以内にいなければ無理だぞ。今のお前の成績で
はぎりぎりだ。横高以外でいいなら今のままで十分だが、お前大学まで行きたいんだろう。大学まで
行きたいなら横高に行くしかないんだ」一郎は具体的に目標とする高校の名前が目の前に現れたのを
実感した。ああ、俺は横須賀高校に行かなければならないのだ、初めて自分の目指す目標が定まったと
思った。目の前に霧のようにかかっていたもやもやが突然開けた感じがした。
「お前の家の事情は先生もうすうす知っているが、そんなことに負けるなよ。同じような境遇の子は
ほかにもいる。みんな必死に生きているんだ。お前なら間違いはしないだろう。先生はお前を信用
しているからな」下田先生は諭すように懇々と話した。
「ここに一冊のノートがある。これからしばらくは日記を付けなさい。そして毎週土曜日に先生に提出す
るようにして、月曜日にはコメントをつけてお前に渡そう。今お前が不満に思っていること、将来のこと
でもなんでもいいから書いてみろ。書く事によって今自分が何を思っているか、何がしたいのか見えて
くるだろう」一郎は神妙に聞いていた。なるほど、そうかもしれない、やってみようと思った。
それからの一郎はありとあらゆる不満や将来の夢をノートにぶつけるように書き綴った。下田先生は赤
ペンで丁寧に日々の記事にコメントを付けてくれた。考え違いや、身勝手な話には厳しく、良い行いや
考え方について褒めてくれた。一郎は自分の心が変わっていくのを不思議な思いで見つめていた。
(説教おわり)
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