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結局その場所で、一郎は何も採れなかった。カネたち三人は鮑3枚、トコブシ10枚、サザエ6個、
ウニを5個採っていた。
「一郎が苦戦している見てえだから少し浅い所に移動するべえ」カネは船を移動させ、入り江になっている
波の静かな場所に碇を下ろした。そこは先ほどのところより少しだけ浅いようだった。
「一郎、もぐってみれば分かるけど、海底に大きな石が転がっているべ、それをひっくり返してみろ。
うしろっ側にトコブシがついているぞ」見かねたカネが教えてくれた。一郎は先ほど練習したとおり海底
までもぐっていって、大きな石に手を掛けて裏返しにした。水の中では浮力がついて、陸上では持ち上げ
られそうも無い大きさの石も、簡単に裏返しに出来た。トコブシが3個ばらばらとはがれて落ちるのが見
えた。あわててそれらを拾い、足で海底を蹴って浮上した。初めての獲物だった。水面に顔をつけて
見守っていたカネが満足そうに声をかけてきた。
「やったじゃねえか。言ったとおりだべ。その調子だ」一郎は楽しかった。
少し疲れたのでもぐるのは中断し、カネたちの様子を見ることにした。一郎は水面に顔をつけて彼らが
探すのを見ていると、彼らは岩棚や大きな石の下を探っているようだった。一郎はうっかり手を差し込む
と何か毒をもった魚が潜んでいそうで、どうしても挿しむことが出来なかった。岩の上に乗っているのは
サザエかシッタカぐらいだそうで、鮑やトコブシは隠れた所にいるから、下から覗くか、手で探らないと
取れないのだと言った。結局一郎は鮑を見つけることが出来なかったが、ほかにサザエを5個、ウニを
2個採った。4人はそこで鮑1枚、トコブシ12枚、サザエ10個、ウニ5個を追加することが出来た。
帰りにまた一郎が櫓を漕ぎたいというと、カネは補助櫓もセットして二丁櫓にした。二丁櫓で漕ぐと
船足は信じられないほど速くなった。風を切るように進んでいき、午後の日差しも気にならななかった。
船を元あった場所に戻し終わると12時過ぎていた。カネは当然のような顔をして砂浜の隅に建てられ
た掘っ立て小屋に入っていき、入り口と窓を開け放った。中は海女小屋のようになっていて、真ん中に
囲炉裏が切ってあった。小屋の隅には木箱に入った木炭が置いてあり、どうやらここでとってきた獲物を
焼いて食べるようだ。忠ちゃんが火を起こしている間にカネは家にとって返し、冷えた麦茶が入った薬缶
と、お結びを作って持ってきた。
「さあ、焼き始めるぞ、網の上に鮑を乗せてみろ」といってカネは鮑やサザエ、トコブシを醤油等の調味料
は使わずとってきたまま焼き始めた。しばらくすると鮑が殻の上でもがくように踊り始め、サザエはきゅ
うっと蓋を閉めて水を出した。
「一郎、これなんていう料理か知ってるか?残酷焼きまたは地獄焼きって言うのさ」マー坊が得意になって
言った。確かに、鮑が熱で踊る姿を見ていると、地獄の釜焼きが頭に浮かんできて残酷だと思った。
と同時に、何かに似ているぞと思った。そのうちいい匂いが小屋の中に漂い始めて、急に空腹を感じた
4人は生唾を飲み込み、我慢できずに焼けた鮑やトコブシにかぶりついた。誰も口をきかなかった。
鮑は柔らかで美味しかったし、肝は磯の香りが口の中一杯に広がり絶品だった。トコブシは多少堅かった
が、鮑とはまた違った味わいがあり、一人で5枚平らげた。さざえは鮑やトコブシに比べると、うまみで
は多少落ちる。また肝を食べ比べてみると格段の差があることが分かる。ウニを焼いて食べたのは初めて
だったが、甘くて口の中でとろりと溶ける舌触りがなんともいえなかった。
余談であるが、酒蒸しにした鮑の肝をスライスして、わさび醤油でいただけば酒のおつまみとしてこれ
に勝るものは無いだろう。また鮑の刺身を醤油で溶かした肝と和えれば、これまた絶品である。ウニは
辞書を引くと本体は「海胆」と書き、海胆の卵巣またはその製品を「雲丹」と書くとある。、
その後一郎は7月一杯、カネたちと毎日海へ出て遊び暮らした。一郎がやったことの無い遊びばかりで
退屈している暇はなかった。葉山の家のことはすっかり忘れたように陽気になり、本来の明るい一郎を取
り戻すことが出来た。
8月にはいるとすぐに母親から家に帰ってくるようにとの伝言が届いた。
カネに言うと「もうかえっちゃうのか」と悲しそうな顔をした。一郎もあんな家には帰りたく無かった
が宿題もぜんぜんやれなかったし、勉強も何もしていなかったのでここらで帰ろうと思った。アチーブテ
ストも迫っていた。これからはくだらないことでグジュグジュ思い悩むのはやめて、いま自分に何が出来
るのか、なにをしなければならないのか考えて実行に移そうと思った。
さらば佐島、ありがとう、カネ、忠ちゃん、マー坊、楽しかったよ。
(おわり)
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