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「やはり一年の差は大きいから6年のほうが強いだろう」という者
「いや、今年の5年は峰岸徹がいるぞ。あいつは別格だからな。ほかの子達もうまい子ばかりで、けっし
て6年にひけをとるまい」
「峰岸の球は速いぞ、6年でも多分打てないだろう」
「6年だって金子もいるし酒井もいるぜ。なかなか負けるもんじゃない」
「とにかくやってみなければわからないな、こりゃあ、面白くなるぞ、楽しみだ」などと人々の話題に
のぼり、とうとう試合当日を迎えた。土曜日の放課後、空には掃いたような薄雲が浮かんでいて、気持ち
のいい秋晴れだった。待ちに待った絶好の野球日和となり、ふさわしい熱戦が期待された。
1塁側のベンチに5年が入り3塁側に6年が陣取った。見物客と応援団は最初にバックネット裏の
特等席から埋まり、次いで内野から外野にかけて埋まっていった。中には教室から椅子を持ち出す者
地面に直接座る者がいたが、大部分の見物客は立見席だった。ふと気がつくと5年のベンチ横の一番前の
席に田所さんと工藤さんが椅子を出してきて座っていた。二人は5年4組のアイドルである。二人がそこ
にいるだけで花が咲いたような華やかな雰囲気に包まれていた。一郎の胸はそれだけでどきどきしてくる
のだった。試合開始が近づくと父兄まで何人かやって来て、いやがうえにも緊張が高まっていった。
5年の監督は藤倉先生、6年は飯田先生が自ら陣頭指揮に当たった。6年は5年に負けてなるかと,全員
が敵愾心をみなぎらせて5年のベンチを睨み付けていた。逆に5年は気楽なもので、負けてもともとだと
思っている。5年のチームは藤倉先生を中心に5年担当の男の先生が集まって、各組から2名づつ優秀
な選手を選抜した12名だった。
藤倉先生が組んだオーダーは次の通りである。1番セカンド吉野恒夫(4組)、2番レフト安田幸平
(3組)、3番ファースト金井郁夫(5組)、4番ピッチャー峰岸徹(1組)、5番サード一郎(4組)、
6番センター田中雅夫(6組)、7番ショート上原要(2組)、8番キャッチャー松田良一(3組)、
9番ライト田中喜一(1組)、補欠山田浩二(6組)、皆川吉雄(2組)、綾部光信(5組)。
じゃんけんで6年が先攻と決まり5年は守備についた。徹がピッチャーになれたのはキャッチャー松田
がいたからだ。松田は徹の投げる早い球をうまくさばくことが出来たからだ。彼は中学にはいって野球部
でも徹とバッテリーを組むようになる。金井は左利きで上背も高くファーストが適任だった。又バッテイ
ングがうまかったので3番に起用され、一郎は長打力を買われて、徹の次の5番に抜擢された。
6年は皆背が高く、体格の上で5年を圧倒していた。この年齢の1年の差は大きく、5年と見比べて
見ると一目瞭然で、勝負は既に見えているようだった。シートバッテイングをすると更にその差は歴然と
していた。5年は時々エラーしたり送球も乱れてまとまりを欠いていたが、さすがに6年は動作もてきぱ
きと組織立った動きで見ていて気持ちがよかった。当日になって下馬評は6年有利に傾いていった。
1回の表、徹にしてはコントロールがままならず、1番2番ともに四球を出してノーアウト1,2塁
のピンチを招いてしまった。しかも次は評判の3番金子、4番酒井である。6年の応援席から黄色い声援
が起こり雰囲気は一気に盛り上がった。一郎は徹が緊張しているのを見て近寄っていって声をかけた。
「落ち着いて投げろ。ど真ん中に投げたって、お前の球は打たれやしない、深呼吸だ」
「よし分かった。任しとけ」一郎は徹を促し一緒に深呼吸をした。それから開き直ったように3番金子を
三振させた。評判の4番酒井を迎え、6年の応援席は急に騒がしくなった。徹は本来の調子に戻りツーナ
ッシングまで追い込み調子に乗って3球目を真ん中に投げ込んだ。カーンと快音を残して打球はレフト
正面にふらふらと上がった。イージーフライに見えた。レフトの安田は初めての打球に慌ててしまい、
緊張で足が一歩も出ず、手前で大きく弾んだ球が彼の頭を超えて転々としている間に二者生還し、打者
は3塁に達した。4番打者の3塁打だった。5年はいきなり2点のビハインドを余儀なくされベンチも
応援席もシュンとなってしまった。そのあと徹は5,6番を三振にとり1回裏になった。1番吉野が
ショートゴロに倒れたあと、先ほどエラーして先制点を与えるきっかけを作った安田は雪辱に燃えて打席
に入ったが敢え無く三振に倒れた。3番の金井は何とかして塁に出ようと思っていた。次の徹に回せば
何とかしてくれると、必死になって球に食らいついていき、1,2塁間を抜いてランナー1塁になった。
徹が打席に立つと5年の応援席が期待でわっと沸いた。徹は自分に集まる期待を重荷に感じたがとにかく
1点でも返そうと思った。徹は1球目に来た球に反応して大きなセンターフライを打ち上げた。ぐんぐん
のびた打球は万歳するセンターのはるか上を越え、外野の一番奥まで転がっていった。1塁ランナーは2
塁3塁を回り生還し、徹は3塁に達した。お互いの4番打者による3塁打の打ち合いとなった。5番一郎
の打順になり、応援席を見ると田所さんと工藤さんが手を叩き声を上げて応援しているのが眼に入った。
一郎は「ここで男にならなくてどうする」と心に決めて紅梅キャラメルで貰ったバットを構えた。1球目
ストライク、2球目ボールとなり、相手ピッチャーの球筋を見極めて「たいした事はない、徹のほうがず
っと早いぜ、これなら打てる」と思った。3球目真ん中高めに来た絶好球を一郎は大根切りに上から
思い切り叩いた。打球はレフと前に火の出るようなライナーとなって貴重な同点弾となった。
その後両チームのピッチャーが落ち着きを取り戻し、3,4回お互いに得点のチャンスはあったが
こう着状態になって同点のまま最終回を迎えた。このまま終われば規定により引き分けになる。最終回は
吉野から始まる好打順だった。応援席も選手もこの回が勝負だと期待していたから一郎も徹も絶対
引き分けにはするまいと心に誓っていた。吉野は懸命に粘ってツースリーからショートゴロを打った。
だめかと諦めかけたとき、ショートからの送球が暴投になり、5年の応援席に飛び込んだ。テイクワンベ
ースを得て2塁に進塁することが出来た。安田は敢え無くキャッチャーフライに倒れたが3番金井に注目
が集まった。金井は2,3回素振りをしてから左バッターボックスに立って、いかにもお前のところに
打つぞといわぬばかりにバットを相手ピッチャーに向けた。応援席がどっと沸いた。1球目は見逃しスト
ライク、2球目打球はライトにあがった。しかしライトは定位置から動く必要のないイージーフライに
なりナイスキャッチした。2塁ランナーの吉野はすかさずタッチアップして3塁に進んだ。ライトは
捕るのに夢中になり3塁送球を怠ったが、たとえ送球しても間に合わなかったであろう。野球を知ってい
る吉野だからこそ出来た走塁である。ツーアウト3塁、バッターは峰岸徹、1打さよならのチャンスを
迎えた。6年にとって絶体絶命のピンチである。すると飯田先生がタイムを宣言してバッテリーを呼び
何事かを指示した。どうやら徹を敬遠して一郎と勝負するつもりらしい。一郎は燃えた。なんかバカにさ
れた気持ちになり闘志がわいて来た。「よーし絶対打ってやる」と心に決めてバットを構えた。しかし敵に
はもう一人敬遠して満塁にし守備をし易くする作戦があったから様子を見ることにした。1球目真ん中
のストライクを見逃し、2球目はアウトコース一杯のストライクを投げてきたのを見て敬遠はないと思っ
た。3球目又真ん中に投げてきたので思い切り打ったがファール、4.5.6球とボールでツースリー
になった。相手ピッチャーの判断のしどころである。ここで初回にタイムリーを放った一郎と勝負するか
6番の田中と勝負するか,仮に一郎と勝負するならアウトコースぎりぎりに投げ込めばいい。なぜなら
ストライクとなっても一番打ちにくいコースだから討ち取る確率が高い。ボールになっても満塁になる
だけである。1点入れられたら負けの状態はランナー1,3塁であろうと満塁であろうと変わらないから
である。ピッチャーはどう判断したのか分からないが最後の1球を渾身の力を込めて、少し内角に寄った
甘い所にストレートを投げてきた。一郎は狙い済ましてバットを振った。手ごたえがあった。が打球がど
こに飛んだか分からなかった。悲鳴と歓声が入り混じって聞こえた。1塁に走りながら、3塁ランナーが
躍り上がってホームに駆け込むのを横目で見ていた。
5年は6年に勝ってしまった。学年主任の杉山先生や藤倉先生は満面の笑みをたたえていたが6年の
飯田先生は肩を落として不機嫌そうに職員室へ帰っていった。気がつくと応援席の二人は既に教室に
戻ったようで、姿は見えなかった。(おわり)
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