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「やはり一年の差は大きいから6年のほうが強いだろう」という者

「いや、今年の5年は峰岸徹がいるぞ。あいつは別格だからな。ほかの子達もうまい子ばかりで、けっし

て6年にひけをとるまい」

「峰岸の球は速いぞ、6年でも多分打てないだろう」

「6年だって金子もいるし酒井もいるぜ。なかなか負けるもんじゃない」

「とにかくやってみなければわからないな、こりゃあ、面白くなるぞ、楽しみだ」などと人々の話題に

のぼり、とうとう試合当日を迎えた。土曜日の放課後、空には掃いたような薄雲が浮かんでいて、気持ち

のいい秋晴れだった。待ちに待った絶好の野球日和となり、ふさわしい熱戦が期待された。

 1塁側のベンチに5年が入り3塁側に6年が陣取った。見物客と応援団は最初にバックネット裏の

特等席から埋まり、次いで内野から外野にかけて埋まっていった。中には教室から椅子を持ち出す者

地面に直接座る者がいたが、大部分の見物客は立見席だった。ふと気がつくと5年のベンチ横の一番前の

席に田所さんと工藤さんが椅子を出してきて座っていた。二人は5年4組のアイドルである。二人がそこ

にいるだけで花が咲いたような華やかな雰囲気に包まれていた。一郎の胸はそれだけでどきどきしてくる

のだった。試合開始が近づくと父兄まで何人かやって来て、いやがうえにも緊張が高まっていった。

5年の監督は藤倉先生、6年は飯田先生が自ら陣頭指揮に当たった。6年は5年に負けてなるかと,全員

が敵愾心をみなぎらせて5年のベンチを睨み付けていた。逆に5年は気楽なもので、負けてもともとだと

思っている。5年のチームは藤倉先生を中心に5年担当の男の先生が集まって、各組から2名づつ優秀

な選手を選抜した12名だった。

 藤倉先生が組んだオーダーは次の通りである。1番セカンド吉野恒夫(4組)、2番レフト安田幸平

(3組)、3番ファースト金井郁夫(5組)、4番ピッチャー峰岸徹(1組)、5番サード一郎(4組)、

6番センター田中雅夫(6組)、7番ショート上原要(2組)、8番キャッチャー松田良一(3組)、

9番ライト田中喜一(1組)、補欠山田浩二(6組)、皆川吉雄(2組)、綾部光信(5組)。

 じゃんけんで6年が先攻と決まり5年は守備についた。徹がピッチャーになれたのはキャッチャー松田

がいたからだ。松田は徹の投げる早い球をうまくさばくことが出来たからだ。彼は中学にはいって野球部

でも徹とバッテリーを組むようになる。金井は左利きで上背も高くファーストが適任だった。又バッテイ

ングがうまかったので3番に起用され、一郎は長打力を買われて、徹の次の5番に抜擢された。

 6年は皆背が高く、体格の上で5年を圧倒していた。この年齢の1年の差は大きく、5年と見比べて

見ると一目瞭然で、勝負は既に見えているようだった。シートバッテイングをすると更にその差は歴然と

していた。5年は時々エラーしたり送球も乱れてまとまりを欠いていたが、さすがに6年は動作もてきぱ

きと組織立った動きで見ていて気持ちがよかった。当日になって下馬評は6年有利に傾いていった。

 1回の表、徹にしてはコントロールがままならず、1番2番ともに四球を出してノーアウト1,2塁

のピンチを招いてしまった。しかも次は評判の3番金子、4番酒井である。6年の応援席から黄色い声援

が起こり雰囲気は一気に盛り上がった。一郎は徹が緊張しているのを見て近寄っていって声をかけた。

「落ち着いて投げろ。ど真ん中に投げたって、お前の球は打たれやしない、深呼吸だ」

「よし分かった。任しとけ」一郎は徹を促し一緒に深呼吸をした。それから開き直ったように3番金子を

三振させた。評判の4番酒井を迎え、6年の応援席は急に騒がしくなった。徹は本来の調子に戻りツーナ

ッシングまで追い込み調子に乗って3球目を真ん中に投げ込んだ。カーンと快音を残して打球はレフト

正面にふらふらと上がった。イージーフライに見えた。レフトの安田は初めての打球に慌ててしまい、

緊張で足が一歩も出ず、手前で大きく弾んだ球が彼の頭を超えて転々としている間に二者生還し、打者

は3塁に達した。4番打者の3塁打だった。5年はいきなり2点のビハインドを余儀なくされベンチも

応援席もシュンとなってしまった。そのあと徹は5,6番を三振にとり1回裏になった。1番吉野が

ショートゴロに倒れたあと、先ほどエラーして先制点を与えるきっかけを作った安田は雪辱に燃えて打席

に入ったが敢え無く三振に倒れた。3番の金井は何とかして塁に出ようと思っていた。次の徹に回せば

何とかしてくれると、必死になって球に食らいついていき、1,2塁間を抜いてランナー1塁になった。

徹が打席に立つと5年の応援席が期待でわっと沸いた。徹は自分に集まる期待を重荷に感じたがとにかく

1点でも返そうと思った。徹は1球目に来た球に反応して大きなセンターフライを打ち上げた。ぐんぐん

のびた打球は万歳するセンターのはるか上を越え、外野の一番奥まで転がっていった。1塁ランナーは2

塁3塁を回り生還し、徹は3塁に達した。お互いの4番打者による3塁打の打ち合いとなった。5番一郎

の打順になり、応援席を見ると田所さんと工藤さんが手を叩き声を上げて応援しているのが眼に入った。

一郎は「ここで男にならなくてどうする」と心に決めて紅梅キャラメルで貰ったバットを構えた。1球目

ストライク、2球目ボールとなり、相手ピッチャーの球筋を見極めて「たいした事はない、徹のほうがず

っと早いぜ、これなら打てる」と思った。3球目真ん中高めに来た絶好球を一郎は大根切りに上から

思い切り叩いた。打球はレフと前に火の出るようなライナーとなって貴重な同点弾となった。

 その後両チームのピッチャーが落ち着きを取り戻し、3,4回お互いに得点のチャンスはあったが

こう着状態になって同点のまま最終回を迎えた。このまま終われば規定により引き分けになる。最終回は

吉野から始まる好打順だった。応援席も選手もこの回が勝負だと期待していたから一郎も徹も絶対

引き分けにはするまいと心に誓っていた。吉野は懸命に粘ってツースリーからショートゴロを打った。

だめかと諦めかけたとき、ショートからの送球が暴投になり、5年の応援席に飛び込んだ。テイクワンベ

ースを得て2塁に進塁することが出来た。安田は敢え無くキャッチャーフライに倒れたが3番金井に注目

が集まった。金井は2,3回素振りをしてから左バッターボックスに立って、いかにもお前のところに

打つぞといわぬばかりにバットを相手ピッチャーに向けた。応援席がどっと沸いた。1球目は見逃しスト

ライク、2球目打球はライトにあがった。しかしライトは定位置から動く必要のないイージーフライに

なりナイスキャッチした。2塁ランナーの吉野はすかさずタッチアップして3塁に進んだ。ライトは

捕るのに夢中になり3塁送球を怠ったが、たとえ送球しても間に合わなかったであろう。野球を知ってい

る吉野だからこそ出来た走塁である。ツーアウト3塁、バッターは峰岸徹、1打さよならのチャンスを

迎えた。6年にとって絶体絶命のピンチである。すると飯田先生がタイムを宣言してバッテリーを呼び

何事かを指示した。どうやら徹を敬遠して一郎と勝負するつもりらしい。一郎は燃えた。なんかバカにさ

れた気持ちになり闘志がわいて来た。「よーし絶対打ってやる」と心に決めてバットを構えた。しかし敵に

はもう一人敬遠して満塁にし守備をし易くする作戦があったから様子を見ることにした。1球目真ん中

のストライクを見逃し、2球目はアウトコース一杯のストライクを投げてきたのを見て敬遠はないと思っ

た。3球目又真ん中に投げてきたので思い切り打ったがファール、4.5.6球とボールでツースリー

になった。相手ピッチャーの判断のしどころである。ここで初回にタイムリーを放った一郎と勝負するか

6番の田中と勝負するか,仮に一郎と勝負するならアウトコースぎりぎりに投げ込めばいい。なぜなら

ストライクとなっても一番打ちにくいコースだから討ち取る確率が高い。ボールになっても満塁になる

だけである。1点入れられたら負けの状態はランナー1,3塁であろうと満塁であろうと変わらないから

である。ピッチャーはどう判断したのか分からないが最後の1球を渾身の力を込めて、少し内角に寄った

甘い所にストレートを投げてきた。一郎は狙い済ましてバットを振った。手ごたえがあった。が打球がど

こに飛んだか分からなかった。悲鳴と歓声が入り混じって聞こえた。1塁に走りながら、3塁ランナーが

躍り上がってホームに駆け込むのを横目で見ていた。

 5年は6年に勝ってしまった。学年主任の杉山先生や藤倉先生は満面の笑みをたたえていたが6年の

飯田先生は肩を落として不機嫌そうに職員室へ帰っていった。気がつくと応援席の二人は既に教室に

戻ったようで、姿は見えなかった。(おわり)








 

BASE BALL その4

 二学期が始まった。ひと夏を過ごしたどの顔も日に焼けて真っ黒だ。特に海岸近くに住む漁師の子弟は

とりわけ黒く、大体そいつらは宿題も満足にしていない奴らで、夏休みの間家業の手伝いをするか一日中

海で遊び暮らしていたのに違いない。

 久しぶりで学校へ行くと、毎年のことであるが校庭一面に、いろいろな雑草が生い茂り、たった一月半

の間に信じられないくらい大きくなっていた。その副産物として大小のバッタやイナゴが住み着いて飛び

歩いているのを見かける。低学年の子達は虫取りに夢中になっていた。まず最初の仕事は生い茂った雑草

を引き抜いて整地しなければならず、全校の生徒が総出でその作業に当たった。

 現在では考えられないことだが、当時の小学校の校庭は夏休みの間誰も利用する人がいなかったのであ

る。今の校庭は子供会のソフトボールやドッジボール、サッカーと言った団体の練習場となっているほ

か、ママさんソフトボールのチームが練習にやって来て、朝から夕方まで使用しているから草の生える余

地はない。

 清掃が終わると全校生徒が整列し朝礼が始まり、校長先生の訓示があった。校長先生の話は退屈極まり

なく、誰も聞いている者はいなかったが延々と続き、夏の名残を残す強い日の光に耐え切れず、何人かが

倒れ始めた。栄養不足がたたり貧血を起こす子がいたのである。すると担任があわてて駆けてきて倒れた

子を医務室に連れて行った。朝礼は騒然となり、あちこちで私語が交わされても校長の話は続き、あわて

て教頭が「静かに」とジェスチャーをまじえて生徒を静めようとした。ちょうどその時スピーカーからキン

コンカンとチャイムが流れ出し一時限目の始まりを告げた。校長はまだ話したりないような顔をしていた

が、しぶしぶ話をまとめ、ようやく朝礼が終了した。

 5年4組では秋に催される野球大会の話題で持ちきりになった。一郎は夏休みの間良雄達との特訓で

野球技術は一学期より上達しているし、何よりも徳治のチームとの実戦経験が自信になっていた。ほかの

連中が夏休みの間にどれだけ練習したのか興味があったのだが、話を聞いてみると、吉野恒夫以外誰も

グローブもバットさえ触れたことがないという。理由を聞いたら暑くて野球どころではないと言った。

 余談であるが、頼まれて子供達のソフトボールの練習を見ていたことがある。4年、5年の子達は

キャッチボールも満足に出来ない子が多いが、ひと夏の特訓でずいぶん上達する。又5年のときまるで駄

目だった子が6年になると格段にうまくなるのに驚くとともに、野球のルールも当初知識のない子がいつ

の間にか身に着けているのを見るにつけ、このくらいの年齢の子の成長の速さは驚異的でさえある。

 にもかかわらず、5年4組の連中はこの大切な時間を無駄に使ってしまったのだ。少なくとも家で

キャッチボールぐらいしていて欲しかったと一郎は思ったが、何はともあれ早速練習だといって特訓が

始まった。ところが案外跳ねる軟式ボールに翻弄されるばかりで練習にならなかった。このチームの

構成員に必要なのは野球の基礎を習得することだった。5年に軟式野球の試合をさせるには無理があるか

ら、一年間野球の基礎を積んで、6年になってから初めて試合をすればよかったのである。

 各組とも同じような状態のまま大会に突入したが、予想通り徹の大活躍により1組が優勝した。どの

試合もエラー続出、戦略も戦術もない凡戦ばかりだったし、4組は一回戦で負けたので試合経過の記述は

控えることにした。

 秋季大会が終了して翌週、ホームルームで藤倉先生がこんなことを言った。

「来週の土曜日放課後、5年の選抜チームを作って6年の選抜チームと対戦することになり、4組から

一郎と恒夫が選ばれた。これは名誉なことだ、二人で頑張ってきなさい」

「毎年5年と6年の選抜による対戦なんてやっているのですか」と一郎は質問した。すると藤倉先生は頭

を掻きながら照れくさそうにいきさつを話し出した。

「実はな、職員室で今年の5年生の野球が強いと言う話になって、5年の学年主任の杉山先生と6年の

学年主任の飯田先生がお互いに自慢したものだから、それならそれぞれ選抜チームを作ってどちらが

勝つか黒白をつけようということになったんだ。君達には迷惑かも知れないが、面白いじゃないか、

どうだ?」どうやら先生方同士の大人気ない意地の張り合いで、特別措置として行われるらしかった

が、企画としては興味があった。藤倉先生は随分入れ込んでいて一郎と吉野に絶対勝って来いと言った。

その企画はすぐ、先生方を始め生徒や父兄まで巻き込んで学校中の噂になった。(つづく)

 真夏の太陽は既に中天にあり、体感温度は40度を超えていた。拭っても拭っても汗は容赦なく目と

いわず鼻の中に、口に流れ入ってきた。あらゆる蝉達が境内に集まって来たかのような蝉時雨がいやがう

えにも神経を苛立たせていた。救いは時折吹く風がひと時の涼をもたらせてくれるだけで、水を飲むこと

も出来ない。ただ境内の中央にある大きな銀杏の下の木陰は涼しく、その恩恵に浴すのはライトを守る

味噌っかすのマサだけだ。

 徳治のチームはよく訓練されていてなかなか手強かった。一郎のチームのようにマサのところにボール

がいくとお手上げになるようなお荷物はいない代わりに、飛びぬけてうまい子はいなかった。徳治にして

も、良雄に毛の生えた程度であったが、全員がコツコツあてに来るバッテイングで、とにかく内外野に

打ち分け相手チームのエラーを誘う作戦であった。これはうまい作戦と言える。なぜならマサは論外で

あるうえ、作坊にしても透や栄助にしても満足に守れないから、彼らの所に飛ぶと、ゴロであろうとフラ

イであろうと真正面以外はまず抜かれてしまうのである。だから一郎のピッチングに頼るしかなかった。

 試合は一進一退を繰り返し1点ビハインドのまま最終回を迎えた。「これ以上離されると追いつくのは

難しくなるな」と思い、マサに替えてハルコをライトに入れることにした。ボールを捕るだけならマサよ

りハルコのほうがうまかったからだ。

「マサ、ハルコと交代しろ」と言うとマサは泣きべそをかいて戻ってくるとしゃがみこんで泣き出してしま

った。交代させられたことが悔しく、情けなかったのである。

「マサ、泣くな、大事なとこだからしょうがねえだろ」良雄は弟に向かって声をかけた。ハルコは喜んで

一郎のグローブを持ちライトの守備位置についた。

「へーイバッター、持って来い、ここまで打ってみろ」と叫びながらグローブをポンポンと叩いた。相手

チームが一斉に笑い、口々に野次を飛ばしたがハルコは少しも動ずることなく「悔しきゃ打って見やがれ」

と言い返した。一郎はこれ以上打たれないように全力で投球することにした。キャッチャーの良雄を呼ん

で速い球に混ぜてカーブを投げるからしっかり捕るように言った。今まで直球だけでカーブを投げなかっ

たのはコントロールに自信がなかったからだ。いわゆる、親指と一指しの間に挟んで投げるカーブで、子

供達の間で「しょんべんカーブ」呼ばれる大きく円を描くように曲がって落ちるボールである。

 先頭の打者は直球だけで三振にとったが次打者には、レフと前に合わされて、ランナーを出してしまっ

た。次のバッターは徳治の一の子分、忠志だったので良雄にカーブを投げるぞとサインを送った。一球目

うまい具合に指にかかりボールは忠志の顔面から大きく曲がって落ち良雄のミットに納まった。

「ストライク」審判をしていた徳治が宣告するのを聞くや、忠志は始めてみるカーブに驚いて目を丸くさせ

良雄のミットを見つめていた。調子に乗った一郎は2球目もカーブを投げてストライクを取り、3球目は

ど真ん中に直球を投げ込み三振にとってツーアウトまでこぎつける事が出来た。

「すげー、カーブを投げたぞ、俺始めてみた」相手チームはすっかり動揺してカーブを投げた一郎に畏敬の

目を向けるようになった。そんなとき徳治が最後のバッターとして打席に立った。

「一郎、カーブなんか投げないで直球で勝負しろ」と徳治は一郎を牽制したが、一郎は無視して一球目から

ドロンと割れて落ちる「しょんべんカーブ」を投げた。徳治は見事に空振りをして、勢い余り尻餅をつい

てしまった。悔しそうな顔をして立ち上がり、今握っていた竹バットを軟式のバットに持ちかえ短く

持った。2球目は直球を投げた。徳治が投げ出すように出したバットに当たったボールはふらふらとフラ

イになってライトにあがった。思わず「しまった」と口に出しライトを見るとハルコがバックしながら

おぼつかない格好でグローブを差し出しているのが見えた。ランナーは二塁を蹴りホームに向かい、打っ

た徳治もファーストを回ろうとしていた。誰もが1点取られたと思ったとき、奇跡的にボールはグローブ

の中に吸い込まれたように見えた。ところがその瞬間、ハルコは何かに躓いて倒れた。一郎にはハルコが

映画のスローモーションを見るようにゆっくり倒れて行くのが見えた。敵味方ともにハルコに注視して

ボールの行方を追った。ゆっくり起き上がったハルコはグローブを高々と上げ「いっちゃn、捕ったよ」

と叫んだ。期せずして両チームから拍手と歓声が起こり、ハルコはニコニコ笑いながら戻ってきた。

一郎はマサをハルコに替えて置いてよかったと、ほっと胸をなでおろした。しかしまだ1点負けていたか

ら最終回の攻撃を前にして円陣を組んだ。一郎は最悪でも同点にするつもりだった。

「あと2点、どうしても取りに行くから、誰でもいい、俺の前に一人出てくれ。誰からだ?良雄か、よー

し、お前なんとしても塁に出ろ、あとは俺が何とかする」

「わかった。俺フォアボールを選んででも出る。後は頼む、なっ」悲壮な顔をして誓った良雄は言ったとお

り、臭いボールをファールにしつつフォアボールを得て一塁に出た。次は一郎の打席だった。徳治は

1球目ボールを投げ、2球目は明らかにボールと分かる投球をしてきた。

「何だ、敬遠するのか?堂々と勝負できないのか、弱虫め」一郎は内心この手があったかとあせったが、

徳治を睨み付けて言った。良雄達が声をそろえて非難した。が徳治はにやりと笑って3球目もはるか

遠くに投げてきた。徳治は一郎さえ敬遠してしまえばこのまま逃げ切ることが出来ると知っていたのだ。

4球目これを打たなければ絶体絶命の淵に立たされる。一郎はどんな球が来ても打つ積りになって打席で

構えなおした。運命の4球目、手元が狂ったのかアウトコースを少し外れていたが打ちごろの高さに

なった。一郎はこの時しかないと心に決め、思い切り踏み込んでバットを振った。ボールは高く打ち

出されてぐんぐん伸びたと思うと神殿に吸い込まれていった。逆転さよならツーランホームラン,嘘の

ような本当の話である。味噌っかすのマサは悔し泣きから歓喜の涙に代わり、ハルコと手を繋ぎあって

飛び跳ねていた。良雄や栄助も作坊も透も感極まってうっすらと涙を浮かべていた。徳治は持っていた

グローブを地面に叩きつけ「ちくしょう」を繰り返し、悔しがっていた。

 帰り道は騒がしいほど興奮し勝った喜びに溢れていた。それもそのはず、彼らは生まれて初めて団体

による対外試合に勝つ楽しさを知ってしまったからだ。

「今日の殊勲者は誰だと思う?」一郎が問いかけると、みんなが一郎だと言った。

「俺じゃないよ。最高殊勲者はハルコさ。あれが抜けていたら負けていたに違いない。みんなでハルコに

感謝しようぜ。それと良雄がよく選んで塁に出てくれた。こいつが出なければ、やはり負けていただろ

う。良雄も殊勲者だ。考えてみろ、良雄が出なければおれがホームラン打っても1点しか入らないから

負けてしまうのさ」一郎が分かるように話すとみんな納得して、ハルコと良雄に改めて感謝した。

「団体戦とはこうした味方の犠牲によって成り立つもので、俺が俺がといっているうちはまず勝てないだ

ろう。自ら犠牲になる、フォアザチームの精神が絶対不可欠なのだ」一郎は心に刻んだのである。

 徳治のチームとは再戦を約束し、お祭りが始まる一週間前までに4回対戦して2勝1敗1引き分け

に終わった。

余談であるが、このチームが将来一郎を中心にして作った野球チームの母体となるのである。(つづく)

base ball その2

 休み時間は野球一色で、5年といわず、6年も寸暇を惜しんで練習した。バックネットは国道側で

校舎に近い所にあり、昼休みも放課後もバックネットのある場所の争奪戦は厳しいものがあった。

一郎の4組は地理的条件も悪くまずとれなかったが、グランドは大きかったので練習する場所は十分に

あった。藤倉先生は放課後も時々一緒になって練習に参加してくれた。みんなまだ下手糞でだった

から満足に守れる選手を9人揃える事は出来なかった。一郎はピッチャーで4番だった。外に野球好きの

吉野恒夫がうまかったので、二人でチームを引っ張って行くことにした。吉野は後に小林塾に来る

ようになる。彼は日大藤沢高校に進み明治大学法学部に入学した。大学時代には一郎たちと一緒に

小林塾の講師をしただけでなく社会人になってからも交友が続いた。

 とにかくメンバーを選定してチームの体裁を整えなければならなかったので、吉野と二人で

何人かピックアップしたがまともにキャッチボールも出来ない、バットの振り方も分からずまず

球に当たらない、一番困ったことはルールを知らないことである。ご承知のように野球のルールは

複雑なため一郎や吉野にしても遊びの中で覚えただけで、ただ漠然と認識しているに過ぎない。

他のクラスも同じようなもので、チームの中に2〜3のうまい子がいるほかは箸にも棒にもかからない

子が多かったのである。

 下馬評では峰岸徹のいる1組が強いであろうと、もっぱらの噂であった。事実徹を中心によく纏ま

っているように見えた。徹の投げる球は速く、彼に投げられたら小学生レベルではまず打てなかった

であろう。ただうまくしたもので徹の速い球をまともに受けられるキャッチャーがいなかったから、

徹はサードなどを守りピッチャーをすることはなかったのだ。先生たちも気合が入って、放課後には

自ら自チームの練習に参加して、コーチしている姿を見かけた。勝負は夏休みの間に個人がどれだけ

練習したかにかかっていた。しかし現在のような子ども会組織もなく団体でスポーツをすることも

なかったし、何より野球をする広場がなかった。だから子供達は少しでも野球の出来そうな場所を

見つけては熱中した。田んぼや畑は春から夏にかけて野菜が植わっているので、秋から冬にかけての

収穫後が絶好の遊び場になった。

 一郎は夏休みの間、4年生になった良男や作坊、3年生の透、栄助、あとは味噌っかすのマサなどを

従え、家の前の道路や畑の中の休耕地をさがして野球の練習に没頭した。

 7月の末になったある日良男が血相を変えて一郎の下にやってきた。

「いっちゃん、大変だ。徳治が忠志を通じて俺に明日の10時、勘左の林にいっちゃんをつれて来い

って言ってきたぞ。なんかやったのかい」

「ええっ、何にもやってないぞ、第一徳治なんぞと口を利いたこともねえ」

徳治は一郎より一歳年上の、御霊様近辺でガキ大将をしている子だった。勘左の林とは木登り鬼ごっこ

をした欅林のことである。一郎は心当たりがなかった。良男が興奮した顔で言った。

「やばいぞ、どうする?あいつら何を言ってくるのかなあ。ゴロ巻く気かも知れねえぞ。俺も一緒に

ついていこうか、なっ」

「何が気に入らないのか、分からないけど、行かなきゃしょうがねえべ」

「仲間を集めてこようか、みんなで行こうぜ」良男は喧嘩と決めて意気込んでいた。

「集めることはない、俺ひとりで行ってくる。あっちだって一人だべえ」一郎はそういったが内心

どきどきしていた。こういう形で呼び出しを受けたのは初めてだったのである。

 翌日10時に林に出かけて行った。林までの道は夏場で草が腰の高さまで茂っていて、蛇でも出

そうな様子だった。一郎は一人敵地に乗り込む心細さと、いざとなったら喧嘩になってもいいかと

悲壮な気持ちのまま林に着いた。徳治は忠志を従え既に来ていた。林の中は日が射さないため草は

伸びていず、決闘するには十分なスペースが出来ていた。

「一郎、一人で来るとはいい度胸じゃねえか、さすがだな」徳治は皮肉な顔をしてにやりと笑った。

「お前一人じゃないのかよ、きたねえぞ。こんな所に呼び出していったい何の用だ」なめられないように

一郎は思い切り肩を怒らせて相手を睨み付けた。二人が相手とは参ったなあと思ってひるみかけた。が

「まあ、そんなに突っ張るな、呼び出して悪かった」徳治は意外に低姿勢だった。

「実はな、お前ら野球チーム作っただろ、学校の行き返りに見て知ってんだ。俺達もチームを作って

目下練習中さ。そこでお前らと試合をしてみようということになったんだ。どうだ是非受けてくれ」

「なんだ、そんなことか、俺はお前とゴロを巻くのかと思ったぜ。面白いじゃねえか、受けてやらあ。

いつ、どこでやるのだ」内心ほっとして体の力が抜けていくような気がした。

「はっはっは、そんなことじゃないさ。8月2日10時、御霊様の境内だ。三角ベースで庭球の

ゴムボール、1チーム6人でどうだ」

「分かった、9時までに行く」話しがついて家に戻ってくると良男や作坊、透、栄助といった面々が

手にバットや竹の棒を持って待ち構えていた。味噌っかすのマサまで目を三角にして青い顔をして

いた。一郎が冷静な顔をして事情を説明すると、一同はなあんだといって胸をなでおろしていた。

弱いくせに、向こう気ばかり強い良男が「生意気だ」と言った。

「いっちゃん、試合しようぜ。なあにあいつらあ、たいしたこたあないから、やっつけてやんべえ」

 試合の日まで僅かしかなかったが、その日から猛特訓が始まったのである。一郎のほかはどいつも

下手糞だった。正直試合などやれる状態になかったのであるが、すっかり気分が高揚して自分達が

強いチームだと錯覚している節があった。しかし、味噌っかすのマサなどはボールを捕ることも投げ

ることも満足に出来ない上にルールなどまるで知らない有様で、単なる員数あわせに過ぎなかった。

8月2日朝8時半、炎天下、一郎のチームは勇んで御霊様を目指した。ゴムボールだからグローブは

必要なかったが、あるだけもって行くことにした。少しでもいいから相手にプレッシャーを掛けるつ

もりなのだが、まともなバットは紅梅キャラメルで貰った一郎のバットだけであとは木を削って作った

手製のバットと孟宗竹を適当な長さに切った竹バットしかなかった。出掛けの頃はみんな威勢がよく

陽気だったが、御霊様が近づくにつれて無口になっていった。

 球場はお祭りのとき舞台のあったところがホームで一段目の広場が内野、二段目の桟敷を組んだ広場

が外野である。外野のおくにある神殿は4mほどの高さに組まれた石垣の上にある。急な石段の

前に鳥居があり、何故かその近くにある石塔の上には大砲の弾が鎮座ましましている。鳥居の横には

胴の部分に洞がある大きな銀杏の木がある。おそらく鎌倉時代からそこにいて村の一部始終を見て来たに

に違いない。一段目と二段目の段差は1mである。野球場としては変形だがやってやれないことはない。

ルールは神殿に直接打ち込んだらホームラン、後は捕りきりときまった。

 一郎は鼻息が荒く戦闘的な良男をキャッチャーに、陽気で誰とでもすぐ友達になれる作坊はファースト

いつも静かな透はセカンド、レフトに栄助、ライトは味噌っかすのマサ、ピッチャーは一郎を配した。

男勝りのハルコがどうしても連れて行けといってついて来たので、場合によってはマサの代わりに

ハルコを使ってもいいかなと一郎は思っていた。みんな初めての対外試合というので緊張してあがって

いた。形だからといって両チームホームベースをはさんで並び、試合開始の挨拶を交わした。ジャン

ケンで徳治のチームが先攻と決まった。一郎は緊張で震える足を踏ん張って、良男の構えるミット

めがけ、振りかぶって第一球を投じた。(つづく)

base ball その1

 五年になってから担任は藤倉先生に代わったほかに、山中完治と山田蓉子という転校生が新たに

4組に加わった。山中完治は横須賀市に住所があり学区は大楠小学校である。五年になるとき、母親が

彼の将来を思って転校させたのだろう。大楠小学校は佐島の漁師の子やその地区の農業や漁業の子達が

多く、学力という点で葉山小学校に劣っていたのである。通称山完は生涯の友達になる。山田蓉子は東京

から来たらしい、はっきりした事は分からない。辻本も大人しくなったし授業は順調に行われた。

 軟式庭球のゴムボールを使って野球に興じていたときとは異なり5年、6年になるといよいよ軟球で

プレイする許可が下りる。秋になるとクラス対抗の野球大会が催されることになっていた。今度は

軟式ボールを使用するのでグローブと軟式用のバットが必要になる。学校が用意する物はベースと軟式ボ

ールとキャッチャーのお面ぐらいで、審判は先生が行った。グローブもバットも各自が買わなければなら

なかったが、まだそれらを欲しいからといってすぐ買ってもらえる時代ではなかった。日本経済は朝鮮特

需などで潤い、持ち直してきてはいたが、高価な遊び道具を子供に買い与える余裕などなかったのであ

る。しかし親達はあのころ男の子が夢中になって遊べる唯一の野球に寛大であり、理解者だったから、大

部分の子が高価なグローブをもてるようになった。最初は金井郁夫のようなお金持ちの子弟しか持てなか

ったのであるが、徐々に買い与えられる子が増えたため、親達も子にせがまれるとやむを得ず食費を削っ

てでも買い与えようとした。当時プロ野球がいち早く復興してたくさんのスタープレイヤーを生み出し、

外に楽しむものは相撲か映画ぐらいしかないころ、人々の関心を一気に引き付けたのは野球だった。親も

子供と一緒になって夢を見たかったのであろう。

 一郎はグローブが欲しくて仕方が無かった。母親に買ってくれる様に頼んだが、そんな金は無いと

はねつけられた。クラスの中でグローブを買ってもらえる奴が増えてくると肩身が狭かった。ぐずぐず

泣きべそをかいていると

「そんなに欲しいのならお父さんに頼んだら、お酒を飲んでいるときがいいよ」母親は冗談めかして、ある

解決策を示唆した。一郎はなるほど、と納得した。しかし義父に頼むことは出来なかった。やはり遠慮が

先に立って、お酒を飲んでご機嫌の義父を横目に何時までももじもじして、言い出せなかったのである。

 余談であるが、あのころ「紅梅キャラメル」という赤い箱のキャラメルが一箱10円で売られていたのを

覚えているだろうか。一緒に店頭に並んでいた森永製菓の黄色の箱のキャラメルも10円であり、美味しさ

を比較すると明らかに森永のほうが美味しかったのだが、一郎たちはこぞって紅梅キャラメルを買った。

なぜなら紅梅キャラメルの箱の中にはプロ野球選手のプロマイドが付録として入っていたからだ。しかも

人気球団ジャイアンツのメンバーであった。そのプロマイドを守備別にそろえて紅梅本社に送るとバット

やグローブが貰えたのである。ピッチャー藤本、別所、大友、松田、キャッチャー広田、藤尾、ファース

トは打撃の神様川上、セカンド千葉、サード宇野、ショート平井、レフト神主打法の南村、センター

ハワイから与那嶺、ライト浪商の暴れん坊坂崎、監督は水原であるが、記憶は曖昧のため多少前後がある

かもしれない。一チーム揃えるのは大変だった。一日一回お小遣いとして10円を貰うことは無理なのであ

る。外に紙芝居が来たり、アイスキャンデー屋が来たりするから足りないのだ。そこで子供達はお互い

不足しているカードを補充しあった。あるとき苦労して揃えたカードを紅梅本社に送った所、本当に

軟式用バットが送られてきた。天にも登るくらい嬉しかった。翌日意気揚々としてバットを学校に持って

行き、クラスメイトに自慢したのは想像するに難くはなかろう。そのバットはクラスの戦力として貴重

な存在となった。もっともそのバットは大人用とは違う子供用のものであり、材質もいい加減で、すぐに

折れてしまいそうな代物だった。

 一郎は明けても暮れてもグローブのことが頭を離れずすっかり元気をなくしてしまった。ところが

ある日の夕方帰宅した義父が紙包みを一郎の前において言った。

「一郎にお土産だ、開けて見なさい」 恐る恐る紙包みを開くと紫色をしたグローブが出てきた。少し

小ぶりだが皮製で、まだ硬かったが指を入れるとぴったりだった。一郎はグローブを手につけたまま、

義父に心からお礼を言って部屋中を駆け回り喜びを表現した。義父は一郎の喜ぶ姿を見て満足そうに

笑い、美味しそうにビールを飲んだ。そして言わずもがなの言葉を口にした。

「野球に夢中になるのもいいけれど、勉強もしっかりやること、家の手伝いをすること、約束だ。守れ

なかったら取り上げるからな」

 そんなことは当たり前のことだと、嬉しさ一杯の頭で思った。その晩一郎の枕元にはオイルをたっぷ

り塗ったグローブが大事そうに置かれてあった。多分意気消沈している一郎を見るに見かねた母親が

義父に頼んでくれたのだろう。けっして安い買い物ではなく、当時のグローブの値段は3千円以上した

はずである。まだラーメンが25円の頃であった。(つづく)

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