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その晩一郎は昼間の疲れが出て早く寝てしまった。母親も兼高の家に泊めてもらうことになった。
夜10時過ぎてから義父が酔って兼高の家にやってきた。例のとおり既にぐでんぐでんに酔っていて
まともな話も出来ない状態であった。それでも彼にとって義姉にあたる家であったから乱暴な口は
聞かなかったが、一しきり大きな声で話していたかと思うとまた、どこへ行くとも言わずふらふらと
出て行った。母親はじめ伯母さんも伯父さんも一緒に泊まっていた叔母さんもしきりに止めたが
振り切って行ってしまった。母親達は久しぶりに姉妹が顔をあわせたものだから話が弾んで12時過ぎ
まで話し込んでいた。そこへ高齢にもかかわらず東谷の姑自らが青い顔をして訪ねてきた。
「おらがの作治は来なかったか?」慌てている様子だった。
「さっき見えて、またどっかへいってまったけど、どうしただ。」伯母さんが答えると
「あんだ、そんだら止めておいてけえれば良かっただによ」姑はなじるように言った。
「どこにもいねえだよ。幸恵の家にも行ってねえし、おらがでアンちゃんと二人で飲んでいただが
言い争いになってプイト出て行ったきりもどってこねえだよ」
「そりゃ心配なこって。どこへ行っただかねえ、梅子(母親の名)、おめえ心当たりはねえのけ」
伯母さんが母親のほうへ声をかけたが、母親はかぶりを振って否定した。
前にも話したが電話が地区に一軒あるかないかという時代なので連絡を取るのが大変であった。
今日ならば電話で簡単に捜すことが出来るが、いちいち人が確かめに行かなければならなかった。
あとで聞いた話であるが案の定二人は最初和やかに酒を飲んでいたが、突然口論になりお互いに大声を
出してなじり始めたのだそうだ。兄の捨蔵さんは眠くなったと見えてさっさと寝室に入り寝てしまった。
一人残された義父は憤懣やるかたなく、家人に悪態をさんざんついた挙句、帰るといって家を飛び出して
行ったということだった。姑も必死に止めたらしいが訳のわからぬことを言って、何故か身支度
を整えると、「もう来るもんか」と捨て台詞を残して出て行ったらしい。東谷家の人達もなにがなんだ
かわからずさぞ困惑したにちがいない。
「戻ってきたら幸恵の家に行くようにってせってけえな。梅、おめえがつれてけ、たのむな」
姑はただおろおろとそれだけ言うと帰えろうとしたので母親は送って行くことにした。田舎の道だから
街灯もなく、月が出ていなければ真っ暗で年寄りにとってはきついかもしれなかった。幸い月は十三夜
ぐらいで足元はしっかり見えた。その夜はそれ以上探しようもなく、みんなに心配をかけたまま更け
ていった。
翌日日曜日であったので一日ゆっくりと過ごすつもりであったが、義父のことが気になったので、
母親は嫌がる一郎をなだめすかして早めに家に帰ることにした。結局佐島のどこにも義父の影は見え
なかったので、母親は或いは義父が自宅に帰ったのではないかと、ふとそんな気がしたのである。
自宅に戻って居間に入ったとたん座布団が乱雑に敷かれ、テーブルの上に水を飲んだあとが残っていた。
明らかに夕べ自宅に戻ってきて座布団を敷いて寝た形跡があった。そして朝早くおきて仕事に行った
みたいだった。それならそうと一言言っておけばいいものを人騒がせな男である。それにしても
どうやって帰ってきたのであろうか、バスはとっくに終わっていたし、歩いて帰るには遠すぎるし、
タクシーなどは走っていなかったから謎である。どう考えても歩いて帰ったとしか思えなかった。
本人も照れくさいと見えてあえて謎解きはしなかったし一郎も聞いてみようとはしなかった。
歩けば2時間以上かかるから、家で寝たのは4時間以内であろう。酔っ払い一本橋を渡ると言われる
ように帰巣本能が働いたのかもしれない。義父には人を困らせて喜ぶ習性があるとみえる。
この後ずっと同様の騒ぎを定期的に起こし続け肝臓を傷めるまで止むことはなかった。
楽しかった佐島の思い出は思わぬ結果で終わったが一郎の心に深く刻まれた。これをきっかけに
一郎は夏休み、冬休みのたびに佐島を訪れて長期滞在をするようになったのである。一郎がもう少し
大きくなってから経験した話は又の機会に詳述する。(今回は書きっぱなしで申し訳ない。お許しを)
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