小学生時代

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

義父と酒

昭和二十七年一郎が小学四年生の頃の出来事をもう少しお話しておかなければならない。

その年の四月に弟が生まれた。妹も同じであったがお産婆さんによって自宅でお産している。

母親の妹が手伝いに来ていて一郎や妹の面倒を見てくれていた。お産当夜一郎は以前節子さんに貸した

北向きの部屋に閉じ込められてしまった。もっともお産が始まったのは明け方の四時ぐらいだったから、

ぐっすり眠っていて気が付かなかった。翌朝男の子が生まれたと聞かされたときに何の感慨も浮かばな

かった。むしろ、子守の対象が増えると思ってうんざりしたのを覚えている。

案の定、まだ一歳半だった妹の子守は一郎の役目になってしまった。

 その頃義父の勤務は仕事柄不規則で朝帰ってきたり、昼ごろでかけて夜遅く帰ってきたり、明けと称し

て平日でも家にいることがあった。小学一年の頃、義父は酒を飲み始めるとしばらくはご機嫌で、

一郎と相撲をとってくれた。

「いやあ、酔っ払っていると勝てないなあ」と言いつつわざと負けてくれた。一郎はすっかりその気に

なって酔っ払った時の義父は本当に弱いと、かなり大きくなるまで信じていた。

義父はまだ若かったから酒も強かったし又、よく飲んだ。当時の国鉄の給料は安く、十分飲ませることは

出来なかったが母親はその費用を捻出するのに苦労した。と言うのは義父が母親に生活費として食べてい

くのに精一杯の金額しか渡してくれないので生活は苦しかったのだ。

たまたま酒を切らしていたり、飲み足りないときは機嫌が悪くなり、母親を怒鳴り散らした。そうなると

雨が降ろうが雪が降っていようが、酒を買って来いといって聞かなくなった。酒屋は近所にはなく

一軒は軍用道路はるか奥にあるヤマビコ、もう一軒は通学路の途中にある田中屋だった。田中屋は

風早と呼ばれている地区にあり、その名が示すとおり風が大変強いところである。冬場に西風が吹こう

ものなら小型台風並みになり国道上をものすごい勢いで風が通り抜けていく。

ある日昼ごろ帰ってきた義父は酒を飲み始めたがたまたま残り少なく、すぐになくなってしまった。

「何やってんだ、親父が酒飲みなのをわかっていて切らすとは、酒かって来い」と言い出した。

「一郎ちゃん、あんた田中屋へ行ってきてくれない?」割烹着で手を拭きながら母親が言った。

外は十一月特有の西風が吹きまくっていた。ガラス戸に当たる風の音がひゅうっと悲鳴を上げていた。

庭の珊瑚樹の葉は吹きちぎられそうだった。一郎は知っていた。国道上の風がどんなに強いか、歩き

にくいかを、だから行くのを嫌がった。

「頼むから言ってきて」母親は泣きそうな顔をして、手をあわせ一郎の目を見ながら何度も首を立てに

振った。仕方が無いので一郎は空の四合ビンを抱えてしぶしぶ出かけた。一升ビンや四合ビンをまるごと

買うほどの余裕は無いから量り売りで二合買い求めるのだ。

国道に出たとたん前から強い風がうなりをあげて吹き付けてきた。体を前かがみにして四合ビンを抱え込

み歩こうとしたが思うように歩けない。それで時々風の力が弱くなるのを見計らって早足で数歩進み

風が強くなると一歩づつ踏みしめるように進むことにした。道路が直線になったところに出たとたん

風はさらに強くなり一郎の足では前に進むのが困難に思われた。田中屋は100mさきに見えていたが、

体はすっかり冷え切ってしまい気力が萎えて止まってしまおうかと思った。

「何でこんな目に遭わなければならないんだ」一郎は怒りがこみ上げてきた、と同時に悲しくなって

涙が出てきた。一番不思議に思ったことは自分は酒を飲んでいるくせに、幼い子供をこんな風のひどいと

ころに追いやって何の痛痒も感じないその神経である。義父のせいだと思うとばかばかしくなって抱えて

いた四合ビンをアスファルトの上に叩きつけようとしたが、泣きそうな母親の顔が浮かんできて

どうしても出来なかった。一郎は気を取り直し再び風に逆らって歩き始めた。

「いらっしゃい。焼酎二合ね。坊やどこから来たの?えっ、長柄橋からかい。この風の中大変だった

ろう。寒かったなあ、火のそばにおいで」田中屋の親父が赤々と燃えているストーブのそばに一郎を連れ

て行ってくれた。生き返る思いだった。親父は幾つも積んである酒樽の下に行き,樽の下についている

栓を器用に緩め、一合枡で焼酎を二杯、もっていった四合ビンに入れてくれた。一郎は思った。

「こんなに苦労して酒を買いに来ても、どうせさらに酔いがひどくなりくだを巻くにきまっている。そし

てお母さんを苛めるのだ。俺は一体どうすればいいんだ」持って帰るのをやめようとしたが、結果は

もっと酷くなりそうで、それもならず、仕方なく帰ることにした。

 義父は世間で言う酒乱であった。酒が適度に入っているときは機嫌がよく物分りのいい親父であるが

ある線を越えたとたんに豹変する。目は三角形、蛇が獲物を狙うように気味悪く怪しく光る。いわゆる

目が据わった状態になってしまう。そして母親をいびりはじめるのだった。執拗で容赦のない言葉が

浴びせられ、、普段自分が気に入らない所を数えたて、一言でも反論すると、狂がいみたいに興奮し、

言葉遣いも兵隊口調で「貴さまあ、何を言うかァ」と怒鳴りだすのだ。それからいじめは延々と続き

閉口した母親は室外に逃れてしまった。すると義父は家中の鍵をかけて締め出した。母親は義父が

寝てしまうまで家の周りを回っていなければならなかった。夏は蚊に刺され、冬の寒さに震えひたすら耐

えるしかなかったのだ。一郎はいつも布団の中で小さくなり恐ろしさに震えていた。

やがて怒りつかれた義父が寝静まるのを待って一郎が鍵を開け、母親を招じ入れるのだった。義父の

行為を分類すればいじめであり、SMのサドに違いなく、その行動は子供じみた滑稽なものでしかない。

しかし義父はいくら正体をなくし、暴れても子供達には絶対に手を出さなかったのである。

担任の更迭事件

四年になってあの三年の忌まわしい古ぼけた校舎を出て、三棟並んだうちの真ん中の校舎に移動した。

今度は二階である。幅の広い木製の階段には途中に踊り場が設けられていて、大きなガラス窓が

ついていた。廊下も全面ガラス戸で採光がよく全体的に明るい雰囲気で気持ちのいい校舎だった。

新しく担任になったのは今年学校を出たばかりの新井秀子と言う女の先生だった。

背が高く大柄なとても美しい人であったから、新しくクラスメートになったみんなが喜びもし

期待もした。一郎は嫌いな中村先生から美人で優しそうな新井先生に代わったことが、何か、

これからの学校生活に新しい変化をもたらしてくれそうな予感がしてわくわくした。

ちなみに、中村先生は四月から木古庭地区にある分校へ転任して行った。

 組替えに当たって気が付いたことがある。一年次には個々の生徒の実力が把握できていなかった

関係で生徒の配分がいい加減であった。学校は四年の組替で調整を図った。三年次の各組の

総代クラスを振り分けてから、次に成績の順にバランスを考えてうまく配分してあった。

一郎は四年四組であった。四組の一番手は前二組の総代だった稲盛がいて、女子は工藤さんと

田所さんがいた。二人の女子は頭がよくて可愛いと評判だった子である。工藤さんの父親は大学の

教授で、田所さんの母親は医者だそうだ。金井は多分一番手として五組に割り振られていた。

一学期の学級委員選挙では当然のごとく稲盛が級長に、一郎は三年次副級長をしていたからと

副級長に選ばれ、女子は工藤さんが選ばれた。

余談であるが、この年代の大学進学率は10パーセントにも満たないにもかかわらず、四組に所属してい

た生徒が後に大学に進学した数値は36パーセント、男子に限れば46パーセントにのぼる。

こんな田舎町でこれほどの数値は外には見当たらない。しかも東京六大学が揃っているのもすごい。

東京大学に入ったのは稲盛である。何故四組に集中したか分析すると稲盛と一郎を除いたほかの優秀な

生徒は比較的晩生が揃っていて小学校時代は実力を発揮できなかったのである。それと、逗子、葉山は

昔から別荘が多く比較的裕福な家庭の子女がいたことで教育熱が高く、又東京への通勤通学が可能という

地理的条件も重なってこのような数値になったとも思われる。

 授業は順調に進み一郎は学校へ行くのが楽しかった。四年になってから勉強に対する姿勢が変わって

きた。意欲が出てきたことで砂漠が水を吸い込むように知識を吸収していった。

一番興味を引いたのは四年から始まったローマ字の授業だった。ローマ字の授業だけ一組担当である

学年主任の松山先生が受け持つことになった。一郎は入学前に平仮名を習ったときのように覚えることに

集中してすぐに読み書きが出来るようになり、ついでにアルファベットも覚えることが出来た。

ローマ字の表記方法はヘボン式であった。

三年次に覚えなければならない九九も完璧に習得していたので加減乗除の計算は桁が多くても楽に

出来るようになっていた。一、二年次のちゃらんぽらんな一郎とは違う優等生に変身したのである。

惜しむらくはその時期が早すぎた。目覚めるのがあと三年くらい遅ければ又違っていたかもしれない。

一郎を取り巻く大人たちに過度の期待を抱かせてしまったことが問題となるのである。

 一郎は新井先生が好きになった。中村先生の場合とは逆に新井先生を慕い、離れようとはしなかった。

学級委員ということもあって先生も一郎を助手のように使った。ガリ版印刷を居残りで手伝ったり

連絡事項の印刷物を配る責任者として扱った。用もないのに教室に残って先生と取り留めのない

話をして放課後を過ごしたりした。一郎は嬉々として雑用に取り組んだ。先生の手伝いを出来ることが

無上の喜びであり、先生を独占しているのだという思いで優越感を味わっていた。

しかしこのような状態を快く思わないクラスメートが親に告げ口をしたため、大変な事態を生み出すこと

になってしまった。

 三学期の半ばを過ぎる頃父兄が騒ぎ始めた。はじめ、一郎は彼らが何を騒いでいるのか解らなかった。

現在でもそうであるが、父兄会は時として理不尽なことを言い出し、学校側を困らせることがある。

噂を集めて解ったことはどうやら新井先生を担任からはずせと言っているらしかった。いわく新井先生

が新人の先生だから経験が浅く技量もないので高学年の担任は無理があること、特定の生徒を贔屓する

ことがけしからんと言うことだった。通常四年次の担任は六年まで三年間担任になることになっていた。

父兄会は新人の先生に三年間は任せられないと言っているのだ。一郎には寝耳に水の話であった。

新井先生の授業には何の問題もなかったし、代わらねばならない理由も見当たらなかった。

先頭に立って騒いだのは佐藤正の母親だった。佐藤の父親は中学校の先生で温厚な人だったが母親は

何かと言うとしゃしゃり出てくる教育ママであった。そのほか工藤さんや田所さん、稲盛の母親達

それに、長谷川のでしゃばりなお婆さんが新井先生を吊るし上げにやってきた。

不幸にも新井先生は半月ほど前にお父上を亡くされたばかりであった。箱根早雲山の地すべり事故に

巻き込まれ、多数の死者を出した事故の犠牲者のうちの一人だったのである。

まだ悲しみが抜けないうちに次の災難が遅いかかって来た。学校を出たばかりの23歳、お嬢さん

育ちであった先生のストレスは計り知れないものがあったろう。最近の新聞記事で読んだニュース

に新人の女の先生がストレスに耐えかねて自殺をしたとあった。双方痛ましい話である。

この事件は学年主任、校長、副校長,教頭を巻き込み大騒動になった。無慈悲にも四組の父兄代表が

入れ替わり立ち代わり学校側を攻め続け、結局根負けした学校側が折れて新井先生を更迭することに

決定した。一郎はこの更迭劇に納得がいかなかった。しかし自分が騒動の原因の一つだとは思っても

みなかったのである。

三組の崩壊

学級委員の選挙が終わってしばららくすると一郎たちの三年三組に異変が起こった。

中村先生が学校へ来なくなったのである。実は三年になってから中村先生は体調が優れないと見えて

時々学校を休むようになっていた。三年生は掛け算が始まり、九九を覚えなければならない大事な学年で

ある。にもかかわらず二学期、三学期は担任不在のままであった。教員の数は目いっぱいだったから

欠員を埋めることが出来なかったのである。結局、三年担当の先生方が交代で三組の授業を見ることにな

った。毎日入れ替わり立ち代りいろいろな先生が来てくれたが教科もばらばらに担当したので

一貫性がなく、いわゆる自習時間が多くなった。応援に来てくれる先生は自分のクラスの生徒を見る

のが手一杯で、よそのクラスまで面倒は見られないのだろう、どうしてもおざなりの授業になった。

多分三組の学力は卒業時、他の五クラスと比べると相対的に劣っていたであろう。

どう見ても三年のカリキュラムを終了したとは考えられない。学校側の責任ともいえるが、当時の

教育体制では無理からぬことであった。

 ほかの組の先生方の姿は見かけていても授業を受けるのは初めてであったから、最初は緊張して

聞いていたが慣れるにしたがって真面目に勉強しようとする姿勢がなくなっていった。

自習時間はほとんど収拾がつかない状態だった。席を立つ者、おしゃべりをする者、果ては喧嘩までする

始末であった。一郎は副級長としてこの状態を修復しなければならないと思った。後になって考えてみ

て、あの時何故そんな気持ちになったのか、副級長という責任感が言わせたのかそれとも一郎の心に

驕りがあったからなのか、未だにわからない。

「俺が言えばみんな聞いてくれる」と思っていたのは事実だ。甘く見ていたのである。

それまではクラスのことことなどまるで関心がなく醒めた目で見ていた一郎だった。

「おーい、みんな席について勉強をしようぜ、先生が来るぞ」一郎は思わず叫んでいた。

「何言ってやがんだ。威張るな、先生なんか来るもんか」と安田はふてくされて言った。

安田は彼の傀儡と一緒にふざけるのをやめなかった。女の子達も勝手におしゃべりをしながら

「何よ、偉そうに」と言わぬばかりにそっぽを向いていた。金井と目が合ったが

「何を粋がっているのだ」と言う顔をして横を向いてしまった。金井は級長でありながら

何も行動を起こそうとしなかったのである。みんなが一郎を無視した。

「頼むから静かにしよう」一郎はあきらめずにもう一度言った。

「静かにしろだとよ。うるせえや、何様のつもりだ。一人だけいいかっこするんじゃねえ」

また安田がさもバカにしたように叫んだ。

一郎は何か間違ったことをしたような気になってきた。誰も言うことを聞こうとしなかった。

「俺は一人ぼっちになってしまったんだ」と思うと情けなく、悲しくなって涙が出てきた。

と同時にあんなことを言わなければよかったと悔やまれてならなかった。

安田は今までバカばかりやっていたから一郎は一段下に見て侮っていたが、彼が意外に

成長していたのを見逃していたのだ。それに小柄な一郎に比べて安田はいつの間にかクラスで

一番背が高くなっていたから、気後れしたのである。安田の反撃は思いもかけないものだった。

 そんなことがあってから、安田はことごとく一郎に反発するようになった。一緒に遊んでいても

わざとぶつかってきたり、意地悪を仕掛けてきたりした。時には何を言っても無視して返事も

しなくなった。今で言ういじめである。一郎は楽しかった学校へいくのが嫌になってしまった。

以後、安田は一郎にとって天敵となり、三年終了時まで悩みの種となったのである。四年になると

組替えが行われ、金井も、安田も沼田らもばらばらになり,それぞれ違うクラスに配分された。

一郎は正直、ほっと胸をなでおろした。安田とまた一緒になったらどうしようと思ったからだ。

金井の陰謀

妹が生まれてから一郎(ボクチン)の生活は一変した。母親も義父も関心はいもうとに集中して、今まで

自分に注がれていた愛情が失われていくのを感じた。初めての疎外感に一郎は戸惑っていた。

情けないことに学校から帰ってくると、母親はこれ幸いとばかりに妹の子守を押し付けてきた。

妹をおぶい紐で背中に括り付けられ、上にねんねこを被せた。妹は感性が強く、鳴き始めるとなかなか泣

き止まず一緒に泣きたくなった。その上肩に食い込む妹の重さが余計やりきれなくさせた。

一郎はついこの前まで自由気ままに遊んでいたのに、遊べなくなったのは妹が生まれたせいだと思うと、

妹が憎らしかった。また軽い嫉妬が加わり愛情を感じなかったのである。

 一郎は三年に進級した。クラス替えは三年間行われず、中村先生もそのまま三年三組の担任である。

三年の教室は学校の敷地の一番外れにあって、狭い校庭をはさんで中学校の校舎があった。

なんでもこの三年生が入る校舎は戦前兵舎として使用していたものを、改良して教室にしたのだそうだ。

ガラス窓はがたがたで、冬には耐えられないような隙間風が吹き込んできたし、暖房器具はダルマ

ストーブが一台あるだけだった。この校舎は生徒の間で代々語り継がれている最悪の離れ小島であった。

三年になる直前に噂が伝えられ、金井達と様子を見に行った。噂が噂を呼び三年の校舎にお化けが出る

らしいという話になったので、恐る恐る出かけた。行って見て驚いた事は、コンクリート製の廊下に

すのこが敷いてあり、下屋だけで外部との間仕切りはなかった。教室の入り口は前と後ろにあり、二段

の階段がついていた。教室の壁は黒く変色した杉板張りで正面の黒板は異常に高かった。

「うわっ、こんな所で一年間勉強するのか」一郎の第一印象だった。

 一、二年を経過してクラスの勢力地図が固まってきた。金井を中心に纏まった一団と漁師町の

子弟が安田を頭にして纏まった一団に分かれた。沼田と一郎はいずれのグループにも属さず一匹狼を

きめこんでいた。

 金井は一年の一学期からずっと級長を務めていた。彼は単にお金持ちのお坊ちゃまというだけでなく

勉強もよく出来たし、腕力も強く度胸も据わっていた。一郎は彼のリーダーシップが優れていることを認

めざるを得なかった。

級長の選挙は学期ごとに行われて、級長と副級長二名の計三名を選出しなければならない。男が級長に選

ばれると副級長は男と女一名ずつが選ばれる。一郎は学級委員になることに無頓着であった。

ところが三年二学期の選挙で副級長に選ばれてしまった。選ばれたのではなく金井の陰謀にかかったの

である。選挙前に自分のグループに因果を含め、安田に話をつけ、女の子達にも一郎に投票するように触

れ回った。しかしあくまでも金井自身は級長であることが前提であって、徐々に教室内で頭角を現し始め

た一郎を牽制するための布石であった。また金井の目的は一郎を自陣営に引き込み、安田との勢力争いを

有利に進めようと思っていたのである。逆に言えば一郎の存在を認めざるを得なくなったのであろう。

 九月の半ばになって金井は一郎の家の近くに引っ越してきた。一郎は金井に誘われて彼の家に遊びに行

った。金井の部屋に入ったとたん目に付いたものは六畳間ぐらいの大きさの洋間の端のほうにシングル

ベッドがあり、玩具箱の中には一郎達にとって垂涎のグローブやバット、バスケットボールなどが

無造作に入れてあった。グローブは当時ではめったにお目にかかれない左利き用である。金井は左利きだ

った。本箱の中にはいろいろな本が並んでいた。一郎は驚いたと同時にこれはとてもかなわないと思っ

た。普段見なれた貧乏人の世界とは雲泥の差があるのを思い知らされたのである。そして情けない話

だが反発するより畏敬の念とともに金井の手の内に落ちてしまった。それは必然的に教室内での

金井・一郎ラインが出来上がっていったことを意味する。

金井の母親は横浜で開業医を開いていた。彼女は皮膚科と泌尿器科の医師だった。金井の家に遊びに

行くとお手伝いさんが庭で、洗濯したガーゼや包帯を干しているのを見かけた。今では考えられないが

物資不足のため医療品は繰り返し使われたのである。金井の父親はハンチングを頭に載せスケッチブック

を抱えて、始終ぶらぶらと近隣を歩くだけで、何の仕事をしているのか不明だった。時々バリッとした

スーツ姿でソフト帽を粋に被り、ステッキを持って外出した。

金井が近くに引っ越してきてから三年ほどたったある日金井の父親が頼みがあるとやってきた。

「実は友人に頼まれて預かっているものですが、何も言わず一週間ぐらい預かっていただけないでしょう

か。ご近所でお願いできるのはお宅しかないのです。けっしてご迷惑おかけしません」といった。

義父は大変迷ったらしいが、あまりに真剣で困っている様子だったので一郎の友達の父親と言うこともあ

り、黙って預かることにした。それはずっしりと重い大型のトランクだった。

もちろん中身は不明である。義父の推理によると闇物資で、警察ややくざに追及されるのを恐れて

匿ってもらいに来たのではないか、どうも普段の行動から見てまともな商売をしているとは思えない。

トランクは八畳間の押入れ深くに隠された。一週間後金井の父親は菓子折りを持参して幾度も礼を言い

重いトランクを抱えて帰っていった。真相は不明のままでなのはもちろんのこと、そんなものを知って

関りを持つことは避けなければならないことであった。               

母親の決断2

 一月も末になって母親と義父の結婚式がひっそりと行われ、お互いの身内だけを呼んで簡単な固めの

杯を交わした。母親側は親代わりの姉と一番下の妹が代表で,義父側からは姑と家を継いでいる兄が

出席した。式はボクチンの家で行われた。六畳間と八畳間の境にある唐紙を取り外して二間続きの十四畳

にした。寒いから火鉢を四箇所に置き、お膳を二つ並べて、お刺身の盛り合わせを二つ乗せ、後は手作り

の料理とお吸い物で祝い膳とした。それは質素なものであったが二人の門出を祝うのに相応しかった。

しかし、姑は式が執り行われている間終始不機嫌だった。母親は自分が主役であるのにもかかわらず

絶えず気を使っている様子だった。「格式が違うじゃないか」姑にしてみればこぶ付きの後家など何で

貰わなければならないのか、しかもよりによって、貧乏人の万兵(マンベ)の娘と結婚だと思うと腹が

立ってならなかった。仮にも名門東谷家の次男坊の嫁にするなら、もっと家柄が高く釣り合いの取れる

娘が相応しいし、いくらでも嫁の来てがあるだろうにと、憤懣やるかた無かったのであった。

母親は多分そうなるであろうと予想していた。東谷家は気位が高く格式を重んじる家系であった。

しかしボクチンの将来や自分自身の気持ちを絡めて考えた末に結婚を決意したのである。この姑や義父の

意識が後々母親を苦しめることになる。

 その時母親はまだ三十歳の女盛りであり、六年間も孤閨を保ってきた。義父から熱心に口説かれて

その気になってもけっして攻められはしないだろう。それに義父がどこの馬の骨とも知れないわけで

なく、身元がはっきりしていたので将来を託すに足ると判断したのだった。

 その年の十月に妹が生まれ、続いて翌々年の四月に弟が生まれた。妹とは八つ違い、弟とは十歳の

差があった。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
遊人A
遊人A
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事