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葉山中学の生徒を乗せてバス6台を連ね中禅寺湖を目指した。朝から雨もよいである。国道120号線
を登っていくと道路はくねくねと右に曲がり左に曲がりながら急な登り道に差し掛かった。有名な
いろは坂(前兆6.3km)である。国道120号線は日光市から中禅寺湖へつながる道路で昭和29年に旧道を
改修して、日本で2番目に出来た有料道路になった。現在は無料である。昭和40年いろは坂の混雑解消
のため第二いろは坂(全長8.5km)が出来て、旧道は第一いろは坂になりくだり専用、第二は登り専用
になっている。一郎が通ったときは昭和32年であるから、まだ第二いろは坂は出来ておらず対面通行だっ
た。幸い上りは朝早い時間だったので比較的道路はすいていた。途中華厳の滝に立ち寄る。華厳の滝は
那智の滝、袋田の滝と共に三大名瀑に数えられる。断崖から97mを一気に滝壺まで轟音を轟かせながら
流れ落ちる様は豪快にして美しい。だがこの日は霧でかすかに見えるだけだった。おまけにじっと立って
いるだけでうっすら濡れてきて寒かった。早々にバスに引き上げ中禅寺湖畔に至る。中禅寺湖は周囲
25km、最大水深63mで2万年もの昔に男体山の噴火によって渓谷が塞き止められた。発見は天応2年
(782年)勝道上人が男体山に登頂したときに発見された。また中禅寺湖には固有種のホンマスはもと
よりサケ、マスの見本市と言われるような魚種が棲息している。ニジマス、ヒメマス、ブラウントラウト
岩魚、山女などである。中禅寺湖を横目に見ながらバスは走り竜頭の滝に着いた。駐車場に入ると、
見たことのある観光バスが何台も止まっていた。バスの横腹には大きな字で福島観光と書かれていた
ので、一郎は厭な予感に襲われた。忠志達もいち早く見つけてこそこそ話し合っていた。よからぬ相談を
しているに違いないのだ。一郎は彼らから目を離さないように何食わぬ顔をしてついていくことにした。
滝壺付近に降りていくと見物し終わって戻ってくる福島の中学生達とすれ違いになった。忠志は三郎に
夕べ風呂に来た連中を見つけるように言った。するとしばらくして
「いたっ、いたぞ、あいつらだ。ほら、下から上がってくる帽子を阿弥陀に被ってる奴とその後ろにいる
学制服のボタンをはずしてる奴、その後ろにいる金魚のウンコどもだ。ゆんべのやつらに違いねえ」
目ざとく見つけた三郎が忠志に囁いた。相手はまだ気づいている様子はなく、談笑しながら登ってきた。
お互いが接近し、睨みつけている忠志達を認めて一瞬ひるんだ顔をしたが、表情を変えて睨み合いになり
あわや乱闘かという不穏な空気に包まれた。だが、階段の途中であることと狭かった上、下からも上から
も途切れることなく人が行き来するので立ち止まることが出来ず、睨みあっただけですれ違い、事なきを
得たと思えて、一郎は胸をなでおろした。ところが忠志は手を挙げて追いかけろと指示を出した。すると
忠志を先頭にして幸一、三郎、篠田、お富、ショッパンの6人が福島の中学生を追いかけて階段を登り
はじめたのである。一郎も遅れないように彼らの後に続いた。大事になるとまずいと思った。階段を
登りきって道路に出ると、先頭を切っていた忠志が前を行く福島勢に声をかけた。
「おい、待てよ。お前らちょっと顔貸せや!」相手は5人だった。
「なんだ、何の用だ」ボスらしい阿弥陀帽が振り返って凄みを利かせてきた。
「ここじゃまずいから、端に止まっているバスの裏まで来いや」と忠志が有無を言わさず歩き出した。
双方合わせて11人が肩を怒らせてぞろぞろ続いていく。周りにいた観光客は何が始まるのかと怪訝な顔を
して見ていたが誰も止めようとはしなかった。どうせ馬鹿どもが粋がっているなと思っていたのだろう。
「おう、おまえらゆんべ、風呂場でこいつの服が入った籠を足蹴にしたそうじゃねえか。どうゆうつもり
なんだ、ことと次第によっちゃあ、こっちにも考えがあるぞ」と忠志が相手のボスに言った。
「知らねえなあ、面しれえどんな考えか聞かしてもらおうじゃねえか」阿弥陀帽がうそぶいた。
「こいつに謝れよ」といって忠志が三郎の腕を取って前に引き出した。三郎は一瞬ひるんだように後ず
さりしたが、気を取り直して肩を怒らせ「そうだ、そうだ」と言った。
「謝る理由がねえ、そんな野郎見たこともねえや、なあみんな、俺なんかやったか、なあ」と言って
阿弥陀帽は仲間に同意を求めるように後ろを振り返った。馬鹿にされたと思ったのだろう忠志の顔つきが
険しくなってきた。一郎は潮時だと思い中に入ることにした。
「もうその辺にしたらどうだ。こんな所で乱闘になったらお互いただじゃすまないぞ。忠志もやめろや。
あんた達も自分達のバスに帰ったほうがいいぜ」その言葉で双方がひるんだ。ところが
「なんだお前は、余計なこといわずすっこんでいろ」相手はすっかり戦闘モードにはいった。
「やろう、やるか」「かかってこいや」その時、誰かが知らせたのだろう下田先生が2,3の生徒と一緒に
駆けつけてきた。
「お前ら、こんな所で何やってんだ。馬鹿なことはやめろ。東谷お前がいてなんて事してるんだ。時と
場所を考えろ。解散だ、解散」先生は怖い顔をして戻れというように手を振った。双方気まずそうに、
そのくせ半ばほっとした顔をして別れて行った。そのあと一郎は下田先生に説明を求められたので、
概略を述べ了解してもらった。危うい所で納まったが、忠志も乱闘までは考えていなかったのだろう。
葉山中学を代表して、相手の謝罪を要求したにすぎない。仲間の手前、リーダーとして、ただ力を誇示し
たかっだけだ。そうしたい年頃であった。おかげで竜頭の滝は見損なってしまったが、あとで聞いた話に
よれば、竜頭の滝は湯の湖から中禅寺湖に流れる湯川が造る滝で、滝つぼの近くで二つに分かれる流れが
竜の頭のように見えるのだそうだ。全長200mを階段状に滑り落ちる様子は迫力満点だったらしい。
何事もなかったようにバスは竜頭の滝を出て戦場ヶ原に向かった。男体山の西麓に広がる戦場ヶ原は
、男体山の噴火によって湯川が塞き止められて出来た湖に、長い歳月をかけて土砂が蓄積して高原湿原
へと変化したものである。水楢の林を隔てて西隣にある小田代が原もかつては湖だったが乾燥化が進み
徐々に草原へと移り変わってきた。この湿原にはアキノキリンソウ、エゾリンドウ、ニッコウキスゲ、
ノハラアザミ、ホザイキモツケ、レンゲツツジ、ワタスゲ、ヒメシャクナゲなどの高山植物を目にする
ことが出来るのだそうだ。小田代が原には草原の真ん中に白樺の木が一本だけ生えていて「小田代が原
の貴婦人」と呼ばれていて、思わずシャッターを押したくなるほどだと言われる。ところで戦場ヶ原の
名前の由来だが、一郎はてっきり戦国武将が戦った史跡だと思っていた。或いは平将門辺りまで遡る
のかなと興味があったが、真相は二荒山の神様と赤木山の神様が領地争いで、中禅寺湖を巡る戦いに
なったと言われている。二荒山の神は大蛇に、赤木山の神はムカデに化身し、死闘の末二荒山の神が
勝利したという。勝負が決まったのは「菖蒲が浜」、戦勝祝いをしたのが「歌が浜」と言われている。
湿原は霧に包まれて幻想的だったが、やがて雨になった。
下りのいろは坂は混雑してひどい渋滞だった。現在のように下り専用なら恐ろしい思いをしないで済ん
だだろうが、その頃は対面交通である。大型のバスがすれ違うときははらはらどきどきで、車輪が路肩
から脱輪してしまうのではないかと思った。さすがプロの運転手である、上手いハンドル裁きだった。
ふと外を見るとそぼ降る雨に打たれて濡れそぼった多数のサルが寒そうに道路の脇や木にしがみついて
バスが通り過ぎるのを見つめていた。晴れていれば観光客に食べ物をせがんだであろうがあいにくの雨で
恨めしそうだった。
日光市内まで降りてくると既に雨が上がっていて、暗かった空が明るくなって、日が挿し始めた。
今回の修学旅行は日光東照宮の威容に心打たれたこと、予期せぬトラブルがあってどきどきしたが、それ
なりに意義のある旅行だと思った。さあ、これから本格的な受験準備が始まるのだ。
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