高校受験

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 一郎の勉強のはかどり具合とは関係なく夏休みはあっという間に残り少なくなっていた。宿題だけは

何とか仕上げたものの肝心の受験勉強は疎かになってしまった。小学校の失敗は避けようとアチーブメン

トテストの問題と解答を購入し一応は取り組んでみた。テスト科目は全科目である。すなわち国語、数

学、英語、理科、社会の主要5科目各50点のほかに音楽、保健体育、美術、職業家庭各30点、合計420点満

点である。しかし過去の問題を解いてみると、数学も英語もたいして難しい問題はなかった。教科書をし

っかり読んでいれば出来る基本的な問題ばかりだった。

 ア・テストは二学期の中ごろに行う予定になっている。泣いても笑ってもこのテストの出来如何によっ

て志望校が決まってしまう大事なテストなのだ。ア・テストは前にも話したが、このテストの成績が入試

に占める割合は40%くらいあり、内申書が30%、高校が行う独自テストは20%その他の条件が10%ぐらい

であるから如何にア・テストが重要か分かるであろう。受験生はア・テストに全力を挙げるのはあたりま

えで、先生方も三者面談の重要な基準になるから一生懸命になった。一郎はここでもミスを犯した。問題

集を一通りやってみて感じたことは、それほど必死になって特別な勉強をしなくても大丈夫、十分解答

出来ると高を括ってしまったことである。一応3年前から去年までのア・テストの問題を解く練習は

したが、その他の勉強はあまり熱を入れて勉強することはなかった。そのくせ内心は不安でいつもいらい

らして落ち着きがない。本当にこれでいいのだろうか、もっとほかにやらなければならないものがある

のではないのかと、考えはいつも同じ所で堂々巡りをしているだけだった。なお悪いことに突然康子さん

のあられもない寝姿が浮かんできて、「ああ、俺は何を考えているのだ」と慌てて打ち消し、一人で赤く

なったりして胸のときめきにうろたえるのであった。

 時間はそんな一郎の悩みや怠惰な心とは関係なく冷酷に過ぎてゆき、、10月に入るとすぐに県下一斉の

ア・テストが始まった。一郎は手馴れた試験問題を解くようにほとんど支障なく解答して行った。どの

科目もすらすらと書き上げ、好く見直しもせず時間前に提出して教室を出た。どの科目も時間前に提出す

る一郎をクラスメイトは羨望の目で見つめた。快感だった。一郎の自己満足を満たしてくれた。多少手こ

ずったのは苦手な職業家庭と保健体育ぐらいで後はほとんど完璧に仕上げたと思って得意になっていた。

しかし翌日新聞に載った問題と解答を見ながら、自信満々で答え合わせをしているうちに少しづつではあ

るが勘違いやうっかりミスや誤認識で間違った解答をしていたことが分かってきて、一郎は焦りを覚え

た。主要5科目は平均45〜47点ぐらいしか取れていなかった。その他の4科目は出来不出来のばらつきはあ

ったが平均して27点ぐらいであることが分かった。自分ではほぼ完璧に解答したつもりだったが案に相違

してかなりのミスを犯していたのである。こんなことになるならテストのとき格好ばかりつけて試験場

から早く出たりしないでじっくり見直せばよかったと思ったが、後の祭りである。そうこうしているうち

に個人面談があり、初めて自分が合計で333点しかとっていないことが判明した。下田先生に示された

点数はある程度予測されたことではあったが、一郎は目の前に突きつけられた現実に愕然としたのであ

る。下田先生の話では設問の一部に誤りがあって総合点は410点に下がったそうだ。風の噂で秀才稲盛は

合計点が400点を上回ったという話だった。県下でも有数の得点であったらしい。

「333点なら横高は何とか合格点だな、まあよかった。後は当日の試験だけだから気を抜かず頑張ること

だ」下田先生は渋い顔をしながら言った。下田先生の本音は一郎にもっと高い点数を期待していたのに

平凡な点数に終わったことが不満そうだった。一郎は期待に反したことを申し訳なく思ってますます

落ち込んでしまった。自分で370〜380点いっただろうと安易に考えていたことが恥ずかしくなった。

 稲盛と生徒会長の田辺と6年のとき一緒のクラスだった矢田の三人は県立の湘南高校を受けるらしい。

三人とも東大を目指していた。本来学区が違うから受験できないのだが生徒がその学区内に寄留すること

によって、湘南高校では他の学区から優秀な生徒を受け入れていたのである。湘南高校は県下の公立高校

の中で群を抜いて東大進学率が高かったから、優秀な生徒が集まってきたのである。神奈川県では私立の

栄光学園と湘南高校が双璧でいつも東大合格者数を争っていた。この二校は全国的にも常に上位である。

一郎は湘南高校へ行ってまで大学を目指そうととは思っていなかったので、彼らについては別に羨む気持

ちは起きなかった。むしろ面倒な手続きをして電車を幾つも乗り換えていくのは大変だろうなと反って

同情したくらいだ。しかし田辺も矢田も湘南を受けようとするくらいだからア・テストの成績は良かった

のであろう。

 やがて分かってきたことは横須賀高校を受験できる点数は270点が最低基準であるらしいということで

ある。下田先生は一郎の点数がぎりぎりだといったのは一郎に変な自信をつけさせないための親心であっ

た。一郎はその情報を聞いてすっかり安心してしまい、「まだ余裕があるじゃないか」と思った。

 秋の運動会が催され、一郎は運営委員選ばれた。今年の運動会をどのようにするか何回か会合が持たれ

、一郎は受験を忘れて没頭した。毎年の運動会において、一郎は常に花形だった。足は相変わらず健在だ

ったし、もうその頃では背丈も学年の中で大きいほうになっていた。棒倒しも騎馬戦も、200m競争や

400mリレーでも大活躍して運動会は終了した。そのほか合唱コンクールや文化祭には進んで参加し、中

学三年の有意義な時期を満喫することが出来た。

 そしてとうとう目指す高校での選抜試験が始まった。一郎は不遜にも既に横須賀高校に受かるものだと

思い込んでいたのである。ア・テストはそこそこ採っていたから何も恐れることはなかった。葉山中学

から横高を受験するのは畑中雅子さんと大西聖子さんの女子二名を含む全15人である。一郎は大峰浩二

や山中完治(山完)、田川勝人などと一緒に逗子駅から横須賀線に乗り衣笠駅で下車した。後は徒歩で

10分ほどのところの横高の裏門から構内に入った。裏門は閂がかけられるようになっていて、随分古ぼけ

て今にも壊れそうな木造の門である。校舎自体が古色蒼然とした趣で、長い木造二階建てが三棟並んでい

る。校門を入るとあまり大きくない校庭がありその横に体育館とプールが設置されていた。高校生にして

は小さな庭だと思った。よく見ると校庭の外れに木造の掘っ立て小屋が長屋の形式でいかにも汚らしく

建っていた。試験場は教室である。各教室に二名の先生が付いた。横須賀高校は定員400名で競争率は

1.08倍ぐらいと低かった。なぜなら受験生はア・テストの成績により中学で篩いにかけられ、ほぼ確実に

受かると思われる生徒ばかりであったからだ。それゆえア・テストが250〜260点ぐらいのボーダーライン

にいる生徒は私立高校を掛け持ち受験をしなければならないため必死だった。一郎は私立を受けなかっ

た。下田先生が受ける必要無しといったからだ。

「発表の当日一郎は二台遅れの電車で衣笠駅についた。歩いている途中で発表を先に見てきた連中と出く

わした。大峰浩二がニヤニヤ笑いながら近寄ってきた。

「お前、随分のんきだな、自信満々か?お前の名前も出ていたぞ。行って自分の目で確かめてこいよ」

その言葉を聞いて一郎は緊張していた心が緩んでいくのを感じた。校舎の前に張り出された合格者名簿に

目を透し自分の名前が確実に載っているのを確認して改めてほっと胸をなでおろした。

 一郎は中学にとって返し、まず下田先生に合格したことを告げてから教室に入っていくと、横高を受験

した大峰浩二と須田進、県立大津女子高校を受けた田辺千草さん、その他の公立を受けたクラスの全員が

合格していたのだ。期せずして一斉におめでとうと言い合った。あの粋がっていた忠志は県立横須賀工業

高校に受かっていたし、幸一と三郎は私立高校に受かり、お富とショッパンは就職が決まっていた。篠田

は中学卒業前に転校して行った。これからみんな一人一人それぞれの道を歩いていくのだろうと思うと、

健闘を祈らずに入られなかった。こうして顔をあわせるのもこれが最後のような気がした。(おわり)

 また夏休みがめぐって来た。カッと照りつける太陽、蝉時雨、もくもくと湧き上がる入道雲を見ると

今年も佐島に行って海にもぐったり釣りをしたりして遊びたくなったが、さすがに今年の夏は行くのを

やめて勉強しなければと思った。兼高たちは今も焼玉エンジン付きの和船で海に出て遊んでいるだろうな

と思うと進学に関係のない彼が羨ましかった。考えてみれば兼高は来年から漁師として船に乗ってしまう

ので子供のころのように一緒に遊べないことに気がついた。兼高と遊べるのは今年が最後の年だったの

だ。「そうか、もう俺とは違う世界に行ってしまうのか」そう思うと無性に佐島に行きたくなった。

しかしそれも自分自身で描いた道を歩んでいこうとするなら、とても出来ない相談であり、全ての誘惑を

断ち切って、脇目も振らず勉学に励むべきだと思った。羨んでいる暇はなかったのである。六年のときの

失敗は二度としたくなかった。一郎は頭で分かっていたのだが、机に向かうと暑さのために精神集中

が出来ないと自分で理由をつけて、ただぼうっとしていることが多かった。それでなくてもやる気のない

一郎にさらにやる気をなくさせる事件が発生したのである。

 夏やすみっ入って暫らくすると、隣のツネちゃんのところへ若い女の人が転がり込んできて一緒に

住み始めた。ツネちゃんは昔ガキ大将を勤め、長じて親父さんの後を継ぐようにして郵便局員になった

あのツネちゃんである。そして近所の誰より早くテレビを入れた人物である。ツネちゃんの家は六畳が

二間に板の間の台所が付いているだけなのに祖母と父親、それに男の子三人とハルコの六人で暮らし

ていた。男の子と書いたが中学を卒業して働きに出ていたから大人である。そこに若い女の人が加わって

どのように寝ているのか分からなかった。テレビの置いてある部屋には二竿のタンスが置いてあり、そこ

が二人の愛の棲家となった。さすがに住みにくいと見えて、暫らくすると次男と三男は住み込みで働くと

いって出て行った。ツネちゃんと女の人は正式に結婚したのではなく、いわゆる同棲である。それまで

家の炊事洗濯その他の家事は祖母が一手に引き受けていたが、以後その女の人が取って代わることになっ

た。女の人の名前は康子さんと言った。康子さんは目が細くて小柄な色の白い人で、どこか訛りの混じる

言葉付きである。一生懸命標準語を使おうと意識しているようだったがどこか違う気がした。またその声

がハスキーな上、おっとりした口の聞き方が好感の持てる物静かな女性だった。よほどの事情で故郷を

出てきたのだろう、自分がどこの出身で、今まで何をしていたのかなどを聞いても笑ってはぐらかし、

けっして話そうとはしなかった。口ではいえぬ辛酸をなめてきたのだろうと言う気がした。言葉も

誰かに散々笑われたのだろう一語一語考えながらしゃべっていた。

 当時は各家庭に風呂の設備はあったが、燃料や水道代の都合で毎晩風呂を沸かすことはなかった。では

どうしたかと言うと、狭い部落のため銭湯はないから仕方ないので持ち回りで風呂を沸かし、貰い湯をし

た。もちろんごく親しい向こう三軒両隣の良雄の家と太平堂と一郎の家の範囲である。一郎の家には比較

的大きな風呂場にコンクリート製の風呂桶が備え付けられていた。釜は銅製の外付きである。コンクリー

トで作られた四角い穴の中に釜はあり火口部分を外し三方をトタン板で囲ってあった。燃料は山から取っ

て来る薪である。のこぎりで適当な大きさに切り分け鉈を使って割ったものを縁の下にためておいて

風呂や竈の燃料とした。釜の中は木材を燃やしているうちはそう汚れることもなく掃除は簡単であった。

ところが石炭を燃やすようになると煤のたまる度合いも違うし、燃えカスの処置に困ってしまった。冬場

に掃除するのは冷たくてとても辛かった。

 毎日風呂を沸かすのは永野材木店だけである。永野材木店にはたくさんの通いの山師が一風呂浴びて帰

るのが常だったし、泊り込みの山師も何人かいた。三軒の間でどこも沸かさない日は永野材木店のお風呂

を貰いに行くことがあった。一郎は永野材木店のお風呂は苦手だった。出来れば入りたくなかった。

理由は大勢の山師が入った後のお湯は垢が浮いているし、お湯は何かどろっとしているのに加え、なによ

り臭かったからである。良雄の家と太平堂の風呂桶は檜で出来ている小判型の家庭用のものである。つね

ちゃんの家にも風呂桶があったが井戸水を利用していたから、水汲みに手間がかかるので一郎の家で風呂

を沸かすと決まって入りに来た。一郎の家の風呂桶は檜のお風呂より広く子供が三人〜四人が同時に

入れるし、コンクリートの表面にサンダーをかけてあったので入っていて気持ちがよかったこともある。

ツネちゃんと康子さんとハルコが常連だった。

 うら若い女性、それも新婚のなまめかしい女性は康子さんのほか近所にいなかったので、一郎ははじめ

康子さんを見るのがまぶしかった。洗面道具を抱えてツネちゃんの後から遠慮がちにお風呂を貰いに来る

康子さんは魅力的に映ったし、何故か胸がときめいたのである。肉体的にも精神的にも中途半端に発達し

ていた一郎はツネちゃんが羨ましかった。そのうち康子さんは一郎の家の家族とも慣れるに従い、一人で

来るようになった。ツネちゃんは早めに風呂を出ると自分の部屋にテレビを見に来る近所の人と一緒に

野球を見ているかプロレスのある日は力道山めあてに、とりわけ客が多かったので得意満面で解説したり

していた。「ララミー牧場」やスチーブ.マックイーン主演の「拳銃無宿」「ライフルマン」などの西部

劇がある日は母親も義父もテレビを見に行き取り残された一郎と康子さんが二人きりになることがあっ

た。風呂上りお茶を飲んで、とりとめのない話をしているうちに、昼の疲れから「少し横にならせてね」

と、男として半人前ではあるが多感な少年である一郎がいるのにもかまわず無視するように転寝を始める

のである。一郎の心は千千に乱れ始める。スカートの裾から出ている真っ白な足を見るとどきどきして胸

が苦しくなり、思わず触りたい、抱きしめたい、襲ってしまおうか、いやいやそんなことは出来ない、な

どと頭の中で葛藤が始まるのだった。その時間は一郎にとって何物にも変えがたい時間に思えた。そっと

足を延ばして触れようものなら硬直したようになり慌てて引っ込めたりして、家族が帰ってくるまで康子

さんのあられもない寝姿を盗み見ながら悶々として座り続けていた。家族が帰ってくるとほっとして

我に返るのだが、反面家族が帰ってこなければ二人の至福な時間が永遠に続くのにと思ってがっかりし

たものである。机に向かってもそのときの状況や自分が考えたみだらな妄想にとらわれて勉強が手に付か

なかった。一郎の思春期の始まりである。(つづく)

 葉山中学の生徒を乗せてバス6台を連ね中禅寺湖を目指した。朝から雨もよいである。国道120号線

を登っていくと道路はくねくねと右に曲がり左に曲がりながら急な登り道に差し掛かった。有名な

いろは坂(前兆6.3km)である。国道120号線は日光市から中禅寺湖へつながる道路で昭和29年に旧道を

改修して、日本で2番目に出来た有料道路になった。現在は無料である。昭和40年いろは坂の混雑解消

のため第二いろは坂(全長8.5km)が出来て、旧道は第一いろは坂になりくだり専用、第二は登り専用

になっている。一郎が通ったときは昭和32年であるから、まだ第二いろは坂は出来ておらず対面通行だっ

た。幸い上りは朝早い時間だったので比較的道路はすいていた。途中華厳の滝に立ち寄る。華厳の滝は

那智の滝、袋田の滝と共に三大名瀑に数えられる。断崖から97mを一気に滝壺まで轟音を轟かせながら

流れ落ちる様は豪快にして美しい。だがこの日は霧でかすかに見えるだけだった。おまけにじっと立って

いるだけでうっすら濡れてきて寒かった。早々にバスに引き上げ中禅寺湖畔に至る。中禅寺湖は周囲

25km、最大水深63mで2万年もの昔に男体山の噴火によって渓谷が塞き止められた。発見は天応2年

(782年)勝道上人が男体山に登頂したときに発見された。また中禅寺湖には固有種のホンマスはもと

よりサケ、マスの見本市と言われるような魚種が棲息している。ニジマス、ヒメマス、ブラウントラウト

岩魚、山女などである。中禅寺湖を横目に見ながらバスは走り竜頭の滝に着いた。駐車場に入ると、

見たことのある観光バスが何台も止まっていた。バスの横腹には大きな字で福島観光と書かれていた

ので、一郎は厭な予感に襲われた。忠志達もいち早く見つけてこそこそ話し合っていた。よからぬ相談を

しているに違いないのだ。一郎は彼らから目を離さないように何食わぬ顔をしてついていくことにした。

滝壺付近に降りていくと見物し終わって戻ってくる福島の中学生達とすれ違いになった。忠志は三郎に

夕べ風呂に来た連中を見つけるように言った。するとしばらくして

「いたっ、いたぞ、あいつらだ。ほら、下から上がってくる帽子を阿弥陀に被ってる奴とその後ろにいる

学制服のボタンをはずしてる奴、その後ろにいる金魚のウンコどもだ。ゆんべのやつらに違いねえ」

目ざとく見つけた三郎が忠志に囁いた。相手はまだ気づいている様子はなく、談笑しながら登ってきた。

お互いが接近し、睨みつけている忠志達を認めて一瞬ひるんだ顔をしたが、表情を変えて睨み合いになり

あわや乱闘かという不穏な空気に包まれた。だが、階段の途中であることと狭かった上、下からも上から

も途切れることなく人が行き来するので立ち止まることが出来ず、睨みあっただけですれ違い、事なきを

得たと思えて、一郎は胸をなでおろした。ところが忠志は手を挙げて追いかけろと指示を出した。すると

忠志を先頭にして幸一、三郎、篠田、お富、ショッパンの6人が福島の中学生を追いかけて階段を登り

はじめたのである。一郎も遅れないように彼らの後に続いた。大事になるとまずいと思った。階段を

登りきって道路に出ると、先頭を切っていた忠志が前を行く福島勢に声をかけた。

「おい、待てよ。お前らちょっと顔貸せや!」相手は5人だった。

「なんだ、何の用だ」ボスらしい阿弥陀帽が振り返って凄みを利かせてきた。

「ここじゃまずいから、端に止まっているバスの裏まで来いや」と忠志が有無を言わさず歩き出した。

双方合わせて11人が肩を怒らせてぞろぞろ続いていく。周りにいた観光客は何が始まるのかと怪訝な顔を

して見ていたが誰も止めようとはしなかった。どうせ馬鹿どもが粋がっているなと思っていたのだろう。

「おう、おまえらゆんべ、風呂場でこいつの服が入った籠を足蹴にしたそうじゃねえか。どうゆうつもり

なんだ、ことと次第によっちゃあ、こっちにも考えがあるぞ」と忠志が相手のボスに言った。

「知らねえなあ、面しれえどんな考えか聞かしてもらおうじゃねえか」阿弥陀帽がうそぶいた。

「こいつに謝れよ」といって忠志が三郎の腕を取って前に引き出した。三郎は一瞬ひるんだように後ず

さりしたが、気を取り直して肩を怒らせ「そうだ、そうだ」と言った。

「謝る理由がねえ、そんな野郎見たこともねえや、なあみんな、俺なんかやったか、なあ」と言って

阿弥陀帽は仲間に同意を求めるように後ろを振り返った。馬鹿にされたと思ったのだろう忠志の顔つきが

険しくなってきた。一郎は潮時だと思い中に入ることにした。

「もうその辺にしたらどうだ。こんな所で乱闘になったらお互いただじゃすまないぞ。忠志もやめろや。

あんた達も自分達のバスに帰ったほうがいいぜ」その言葉で双方がひるんだ。ところが

「なんだお前は、余計なこといわずすっこんでいろ」相手はすっかり戦闘モードにはいった。

「やろう、やるか」「かかってこいや」その時、誰かが知らせたのだろう下田先生が2,3の生徒と一緒に

駆けつけてきた。

「お前ら、こんな所で何やってんだ。馬鹿なことはやめろ。東谷お前がいてなんて事してるんだ。時と

場所を考えろ。解散だ、解散」先生は怖い顔をして戻れというように手を振った。双方気まずそうに、

そのくせ半ばほっとした顔をして別れて行った。そのあと一郎は下田先生に説明を求められたので、

概略を述べ了解してもらった。危うい所で納まったが、忠志も乱闘までは考えていなかったのだろう。

葉山中学を代表して、相手の謝罪を要求したにすぎない。仲間の手前、リーダーとして、ただ力を誇示し

たかっだけだ。そうしたい年頃であった。おかげで竜頭の滝は見損なってしまったが、あとで聞いた話に

よれば、竜頭の滝は湯の湖から中禅寺湖に流れる湯川が造る滝で、滝つぼの近くで二つに分かれる流れが

竜の頭のように見えるのだそうだ。全長200mを階段状に滑り落ちる様子は迫力満点だったらしい。

 何事もなかったようにバスは竜頭の滝を出て戦場ヶ原に向かった。男体山の西麓に広がる戦場ヶ原は

、男体山の噴火によって湯川が塞き止められて出来た湖に、長い歳月をかけて土砂が蓄積して高原湿原

へと変化したものである。水楢の林を隔てて西隣にある小田代が原もかつては湖だったが乾燥化が進み

徐々に草原へと移り変わってきた。この湿原にはアキノキリンソウ、エゾリンドウ、ニッコウキスゲ、

ノハラアザミ、ホザイキモツケ、レンゲツツジ、ワタスゲ、ヒメシャクナゲなどの高山植物を目にする

ことが出来るのだそうだ。小田代が原には草原の真ん中に白樺の木が一本だけ生えていて「小田代が原

の貴婦人」と呼ばれていて、思わずシャッターを押したくなるほどだと言われる。ところで戦場ヶ原の

名前の由来だが、一郎はてっきり戦国武将が戦った史跡だと思っていた。或いは平将門辺りまで遡る

のかなと興味があったが、真相は二荒山の神様と赤木山の神様が領地争いで、中禅寺湖を巡る戦いに

なったと言われている。二荒山の神は大蛇に、赤木山の神はムカデに化身し、死闘の末二荒山の神が

勝利したという。勝負が決まったのは「菖蒲が浜」、戦勝祝いをしたのが「歌が浜」と言われている。

湿原は霧に包まれて幻想的だったが、やがて雨になった。

 下りのいろは坂は混雑してひどい渋滞だった。現在のように下り専用なら恐ろしい思いをしないで済ん

だだろうが、その頃は対面交通である。大型のバスがすれ違うときははらはらどきどきで、車輪が路肩

から脱輪してしまうのではないかと思った。さすがプロの運転手である、上手いハンドル裁きだった。

ふと外を見るとそぼ降る雨に打たれて濡れそぼった多数のサルが寒そうに道路の脇や木にしがみついて

バスが通り過ぎるのを見つめていた。晴れていれば観光客に食べ物をせがんだであろうがあいにくの雨で

恨めしそうだった。

 日光市内まで降りてくると既に雨が上がっていて、暗かった空が明るくなって、日が挿し始めた。

今回の修学旅行は日光東照宮の威容に心打たれたこと、予期せぬトラブルがあってどきどきしたが、それ

なりに意義のある旅行だと思った。さあ、これから本格的な受験準備が始まるのだ。

 6月の雨のシーズン前に楽しみにしていた二泊三日の修学旅行が行われた。当時、小学生の修学旅行が

箱根山で、中学生は日光見学ときまっていて、三浦半島の小中学生は共通であった。逗子市の逗子中学、

久木中学それに葉山中学の三校は共同で特別団体列車をしたて、国鉄逗子駅から日光までノンストップ

で行くことになっていた。三校はそれぞれ宿泊先が異なっていたし、旅行の内容も独自に組んである。

三校は二日後の帰りの時間に合わせるように日光駅に集合して、また団体列車で帰ってくるのだ。この

三校の生徒総数は概ね千人以上である。葉山中学300人、逗子中学はもっと多かったので400人以上

久木中学も300人以上はいただろう。長い団体列車になった。

 5月24日は快晴で夏の訪れを告げるかのごとく朝から暑かった。9時に逗子駅前に集合して、それぞ

れのクラスの責任者が点呼を取り、人数を確認してから葉山中学に続いて逗子中学、久木中学の順で

乗車し終わった。列車は横須賀線の逗子駅を出発、東京駅を通過してから東北線を走り続け宇都宮に到着

した。その間約4時間である。現在、湘南ラインは逗子駅を出て、横須賀線上を走り、大崎から埼京線

を利用して大宮へ、大宮から東北線にはいり宇都宮まで直通、所要時間は約3時間である。通常宇都宮

へ行くには横須賀線で東京駅に出て新幹線に乗り換えるのだが、東京まで1時間、新幹線は宇都宮まで

1時間、単純に計算すると2時間、乗り換えの時間を加えても2時間半である。修学旅行の時は団体列車

のためゆっくり運行したとしても随分時間がかかったものだ。

 宇都宮から日光線に入り日光駅で下車後、各中学は分かれてそれぞれ予約した旅館に投宿した。葉山

中学が予約した旅館は日光市内にある修学旅行生用専門の丸山旅館である。その旅館は増築に継ぐ増築で

鰻の寝床のように奥行きの広い木造の建物だった。葉山中学のほかに千葉県と福島県の中学が宿泊して

いた。

 翌日は曇り空でこの時期の陽気としては薄ら寒く感じた。朝食を済ませ旅館の前につけていたバスに

乗り込み一路日光東照宮を目指した。表参道前で下車してからは案内人がつき、まず日光山輪王寺の

三仏堂に入った。日光山輪王寺は比叡山、東叡山と共に天台宗の三本山の一つに数えられている名刹で、

1200年以上の歴史を持つ霊山である。開祖は勝道上人といわれている。三仏堂は日光の三山をご

神体と見て、左から馬頭観音像(太郎山)、阿弥陀如来像(女峰山)、千住観音像(男体山)の三仏を

祀っている。五重塔を横目に見て、一の鳥居、表門をくぐり、神厩舎の見ざる、言わざる、聞かざるの

三猿を見て、有名な鳴き竜の下で拍子木を打ち陽明門に至る。表門は左右の柵内に「阿」「吽」の形相

をした仁王像が二体安置されていて、別名仁王門とも呼ばれている。陽明門は二階建て高さ11mの

楼門である。12本の柱で作られている。竜など500以上の動植物の彫刻や地紋と呼ばれる文様彫刻

などの装飾は見事である。天井に天女の奏楽の図が有名な神與舎を見学して唐門を通り抜け本殿にてお賽

銭をあげる。東回路にある名工左甚五郎の作と伝えられる国宝眠り猫に見入る。眠り猫を左斜め前から眺

めると起きているように見えるのは奥社にネズミ一匹通さ無いぞという威嚇を表しているといわれ、江戸

で大名が反乱を起こさないように目を光らせているという意味もあるのだそうだ。奥社は徳川家康の墓が

ある。そもそも日光東照宮は二代将軍秀忠が家康の遺言に従い1617年に建立した家康の霊廟であり、

後に1635年三代将軍家光が大改修して今の姿にしたものである。総工費は現代の金額にすると

400億円、江戸時代の建築、美術、工芸の粋を見ることが出来る。

 表参道に戻って上新道を通り二荒山神社に詣でてから三途の川を渡り輪王寺大猷院を見学する。二荒山

(男体山)神社は東照宮の出来る前までは日光山信仰の中心を担ってきた古社であり、主祭神は大己貴命

通称大黒様で福の神、縁結びの神様として知られている。また日光の由来は二荒の音読みと言われる。

輪王寺大猷院は家光廟大猷院とも呼ばれ家光の廟所であり、朱と金と黒を配した趣のある建物である。

門の両脇に朱塗りの仁王像が安置されている仁王門を抜け二天門に至る。二天門は八脚楼門入母屋造りで

表側左に「持国天」右に天邪鬼を踏みつけた「広目天」が、裏側には赤い「雷神」青い「風神」が安置

されている。切妻造りの門に厄除け、幸運の夜叉門(別名牡丹門)は北を向いている上、木が無く空が

見えるため門の先は明るく、極楽浄土へ導かれる様子を表現しているのだそうだ。本殿には家光公の

木造を祀り、唐戸には金彩を施した唐獅子の彫刻などがずらりと並んでいる。一番奥に大猷院廟奥院が

ある。東照宮は全体的に豪華絢爛、極彩色で飾られた見ごたえのある建物ばかりであった。ただその頃は

薄汚れていてくすみ、時代を思わせるたたずまいであったが、その後全面改修し現在は建立当時の輝きを

取り戻している。一郎は皮肉な見方であるが徳川幕府による全国の外様大名に向けて、財力と武力を

誇示するこけおどしだ、もう少し違ったお金の使い道があるだろうに、もったいないと思った。

 東照宮の見学を終わってその日は旅館に戻り日光市内で自由時間となった。みんなは時間が早かった

ので思い思いに街中に出かけて行った。夕方風呂に入り夕食まで少し時間があったので部屋で寛いで

いると、三郎が血相を変えて部屋に戻って来て忠志がいる部屋に駆け込んで行った。暫らくすると

武を先頭にして幸一、三郎、篠田、お富、ショッパンが飛び出して行った。三年生ぐらいになると

腕力の強い、リーダーシップのある子を中心に徒党を組み悪ぶっていきがり始めるのだ。一郎は彼らの

ただならぬ様子を見て不安になり後をつけて行った。彼らが行った先は大風呂だった。

「なんだ、誰もいねえじゃんか。逃げたのかな、三郎、ほんとにいたのかよ」忠志が言った。

「あいつら、俺が浴衣を脱いで入れたかごを引っ張り出して放っぽりだしたんだぜ」

後で話を聞くと三郎が二、三人で風呂に入っているとどこかの中学生が6人でやってきたのだと言った。

風呂の中を覗いて人数を確かめ、相手が少ないと認めると邪魔だと言ってかごを足蹴にしたらしい。

「どんな連中だったんだ?」忠志が三郎に聞いた。

「そうだな、変な田舎っ臭いずうずうべんみたいだったぜ」と三郎。

「多分、そいつらは福島の芋野郎に違いねえ。こんどあったらただじゃおかねえ」忠志が唇をかんだ。

 夕食が終わって部屋に戻ってくるとショッパンが得意そうに白木の玩具の刀を見せびらかしていた。

ショッパンは頭が異常に大きく、前頭部後頭部共に出っ張っていてその形が食パンに似ていたので

綽名がついた。

「福島のなんだか中学の前を通ったらめしに行ってると見えて誰もいなかったのでよう、忍び込んでいっ

てこの刀かっぱらってきたんだ。ざまあみろだべえ」すると忠志達がそうだそうだいいきみだなどといっ

てはやし立てた。修学旅行という中で高揚した気持ちになり、他校に対して戦闘的になっていたのだ。

すかさず一郎は声をかけた。

「ショッパン、そりゃやばいぞ、お前あいつらが帰ってくる前に返してこい」

「なんでだよう」不満そうに頬を膨らませて一郎を見た。忠志達も何を言うかという目つきだった。

「あとでお前が盗った事が分かると学校同士の喧嘩になるぞ。そうなって中学生同士の乱闘なんて

新聞に書かれてみろ、停学になってしまう。今なら間に合うから早く返してこい」ショッパンはしぶしぶ

その刀を返しに行った。東照宮見学の時も睨み合いがあり、風呂でも接触があったからお互いの中学の

はねっ帰りの連中の間で不穏な雰囲気だったのだ。一郎はいざぶつかったら中に入って争いを阻止するつ

もりだった。そんなことがあってから一郎が彼らのそばに行くとこそこそ隠すようになり、次第に一郎を

敬遠するようになった。

 翌朝観光バスが迎えに来ていたので乗ろうとすると、福島の中学も同時に出発すると見えて表に出てき

てにらみ合いになった。忠志たちはバスに乗っていたにもかかわらず降りようとしてきたので一郎はやめ

ろと言って中に押し返した。バスはそのまま出発し危機を乗り越えた。

 

 校庭の整地が終わり中学校らしくなってきた。校庭の外れにバックネットが設けられ野球部も本格的な

練習を始めた。既に近隣の高校には葉山中学に峰岸徹ありとの評判が立ち、時々各高校のコーチや監督が

見学に来ていた。一郎は逗子中学のグランドで逗子中との対校試合があると聞いて応援に行った事が

ある。その球場はレフトの後方が校舎で運動場との仕切りとして低い土手があり、ホームから土手まで

推定距離85m、その後ろに道路があってその向こうが山を削っただけの崖になっていた。徹はその試合

で2本のホームランを打った。しかも土手を越えて崖の中断に突き刺さった大きな当たりで、推定飛距離

100mを超えていたのではないかと思われた。大学のとき一郎がその球場でレフトに打ったホームラン

は土手をぎりぎり越えた程度であり、それに比べてみても中学生の徹の飛距離は桁違いである。前にも

書いたが惜しむらくは背丈が170cmそこそこだったことである。学校での徹は人気者だった。

 生徒会の改選が行われることになった。立候補者は二年のときから生徒会活動をしていた田辺幸雄が

秀才稲盛を副会長にして名乗りを上げた。ルールは会長候補だけ選挙で決まり、副会長は事前に候補者を

指名しておく仕組みになっている。噂で立候補者は田辺一人だけなので、選挙は行われず無投票になるら

しいと言うことだった。そんなことはたとえ中学の生徒会長選挙といえど許されるべきではないと思って

一郎は徹に相談を持ちかけた。徹とは小林塾から一緒で、中学に入ってからは部活のない日はいつも待ち

合わせをして一緒に帰った。あの頃三波春夫がデビューしたてであり、「チャンチキおけさ」がはやって

いた。それまでの演歌とは少し毛色が違う曲に感じられたのであろうバカ売れ状態で、その歌を二人で口

ずさみながら帰っていた。

「今度の選挙は田辺だけでほかに誰も立候補しないって言うじゃないか。どう思う?」

「みんなだらしない、最初から敵わないと諦めているんだべ」徹は憤慨していた。

「このままじゃ無投票になるぞ。それでもいいのか?そりゃあ、田辺は二年のときから生徒会に携わって

いて、誰もが次の会長は田辺だと思っているし、実績も申し分ないし、奴の実力も文句なしだ。それに

副会長は稲盛だぞ。強烈な組み合わせだ。中学最強と言っていい。誰が出ても負けるだろうな」

「だからといって、無投票は絶対阻止しなければなるまい」と徹は言った。

「じゃあ、俺達二人で組んで立候補しようじゃないか。俺会長に立候補するからお前副会長になってくれ

るか?幾ら敵わないとはいえ、お前と組めば恥ずかしくない程度の票が取れるかもしれないぞ」

「わかった、やろうじゃないか。そうなったら5組の票は俺に任せとけ。お前も3組の票を纏めて

おけよ」徹は二つ返事で乗ってきた。

「よーし、こうなったら玉砕覚悟だ、暴れるだけ暴れて散ろうじゃないか」

正直な所一郎は勝ち目が無いことを承知していた。せっかくの生徒会長選挙が無投票になることに耐えら

れなかったのだ。あわてたのは田辺・稲盛組である。せっかく無投票だと思って安心していたのに、より

によって東谷・峰岸組が立候補するとは、寝耳に水の話だった。東谷は「いっちゃん」と呼ばれて人気が

あったし、峰岸は学校中の希望の星だった。やがて生徒総会が行われ、会長候補の一郎と田辺が選挙演説

をすることになった。一郎は前の晩したためた原稿を読むのが精一杯で演説とは言いがたかったのに比べ

て、田辺は原稿は読まずに真正面を向いて堂々と演説した。一郎は早くも後悔をしていた。気が小さくて

物怖じするくせに、ただ義憤に駆られた格好で軽挙妄動に走った自分を呪った。

 開票が始まった。一郎はいたたまれずに野球部の連中の手伝いをしていた。田辺と稲盛は開票の行方

を見守っていて落ち着きが無かった。一郎が水を飲みにいくと田辺が出てきて声をかけてきた。

「いっちゃん、気にならないのかい?平気な顔で野球なんかして、俺は気になってじっとしていられない

んだ。いいなあ、気楽で」田辺は羨ましそうだった。

「しょうがない、まな板の上に置いた鯉だ、どうとでもなれって所かな。」一郎はまた野球部の練習に

戻った。俺だって気にならない訳がないだろうとうそぶきながら。

 開票の結果は予想通り田辺・稲盛組が接戦を制した。本当に惜しい差だと選管の佐藤正が言った。また

「最初三年のの票から開票したらほとんど差が無く同数といっていい。次に二年の票を開けると、驚いた

ことに東谷組のほうが明らかに多かった。いったんはお前がリードしたんだ。その時思ったぜ、スワッ、

番狂わせかってな。こりゃ面白くなってきたぞとどきどきしたんだ。ところが最後に一年の票が開くと

あっという間に逆転しちまった。お前一年坊主どもに人気がないんだな」期待したのに損したという顔を

して「残念だったなあ」と言った。

 一年にアピールが足りなかったのが敗因だった。無理も無かった、一年生が一郎を見るのは初めてだっ

たから、よく知らなかったこと、それに引き換え田辺は二年のときからの実績があり、一年生に顔が浸透

していたのだろう。最初から負けると決めていたからそれほど熱を入れて選挙運動をしなかったのだ。

いまさら反省しても益ないことだが、演説ももっとしっかりやるべきだったな、もっと一年生にアピール

するべきだったなと思わずにはいられなかった。徹には自分のふがいなさを詫びた。徹はこう言った。

「ドンマイ、ドンマイ、予想どうりじゃないか。気にすることは無い。それよかよくやったぜ。無投票を

阻止した上に、聞いたら、接戦だって言うじゃないか。これ以上望むものはないべ」

「そうだな、ありがとう。負けると分かっていたのに俺と組んでくれて」徹は分かっているよといって

一郎の肩を二度、ポンポンと叩いた。

 二年の票はハルコの情報で、ある程度競るなということは分かっていたが、予想外の嬉しい得票数

だった。善戦だったと思った。一郎はほっとすると同時に肩の力が抜けていくのを実感した。知らない

間に心身が緊張していたのだ。

 選挙が終わると待望の修学旅行が待っていた。秋から始まる入試戦線に対処すべく一学期に全ての行事

を終了させておいて、夏休みに集中して勉強できるようにするつもりらしい。(つづく)

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