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善太郎さんは休日になると一郎のキャッチボールの相手をしたり、映画を見に連れて行ってくれた。
映画館で一番近いのは京浜急行の逗子海岸駅の横にある東映映画館である。主に時代劇が多かった。
美空ひばりや中村錦之助、東千代乃助、片岡知恵蔵、市川歌右衛門、悪役の山形勲、お姫様役の花園
ひろみ、これらの俳優が勧善懲悪の時代劇のスクリーンで活躍する。日曜日などは立ち見が出るくら
いの盛況だった。なぎさ通りにある日活の映画館は石原裕次郎や小林旭、北原みえ、浅岡るり子の映画
が上映された。映画を見るくらいしか娯楽がなかった時代どこの映画館も人であふれかえっていた。
しかし、映画が斜陽になるとパチンコ屋に代わるか、取り壊されて駐車場になってしまった。
師走三日、空は薄い雲に覆われ時々日差しはあるものの冬がもうそこまで来ているような木枯らしが
吹いていた。庭の三本ある柿の葉が枯れ落ち、家の周りに敷き詰めたように積みかさなっていて、歩く
たびにかさこそと音を立てる。今年珍しく紅葉した満天星(どうだんつつじ)は葉を落とし、来年の新芽が
付いた枝がみんな上を向き針の山のようにつんつんと尖って密生している。来年の春には釣鐘の形をした
白くてかわいい花をつけるだろう。去年の冬に刈り込んだままの柘植の木やモチの木が葉を目いっぱい
茂らせているのでまた刈り込まなければならないと思った。放って置くと庭に日が当たらなくなるのだ。
一郎がその役目である。刈り込むまでは面白いのだが、膨大な量の枝の後始末が億劫で嫌だった。義父と
庭掃除をかねて庭で燃やすことにしていた。火が広がらないように三方向にトタン板を立てかけ、ごみと
一緒に燃やすのである。今ではダイオキシンが出るからと言って焚き火は禁じられている。モチの木は
火が付きにくいのだがいったん燃え出すとすごい勢いで燃え盛る。中でも葉は空気を多く含んでいてしゅ
うしゅうと音を立てながら空気を噴き出し、その圧力で一瞬火を吹き消すのだ。焚き火は真っ白な煙を
上げるので火事と間違えられることがある。一郎は冬休みになってから切ろうと思った。
その日の夕方善太郎さんは少し興奮した顔をして帰宅して来た。
「急に新潟へ転勤になってしまったよ。三日後に行かなければならないんだ」
「ずいぶん急な話じゃないか、それで善太郎は何て言ったんだ?」たまたま居合わせた義父が驚いたよう
な顔をして言った。
「少し考えさせて下さいっていったら、是非行ってくれ。お前を見込んで決めたんだ。もう決まったこと
だって言った。嫌も応もないので仕方なく返事をしてしまったよ」
「ずいぶん強引な話だなあ」
「俺だって相談したい人もいれば後始末しなきゃならないことがあるんだって言ったら、どうせお前は独
身で身軽だから三日もあれば支度はできるだろうって言いやがんの。」
「あははは、それもそうだな。うまいこと言うじゃないか」義父は楽しげに相槌を打つ。
善太郎さんは転勤に不満があったが新しい環境に乗り込んでいく期待と不安で興奮していた。
何でも新潟に新工場ができたのでそこへ転勤するのだそうだ。若い子ばかりの新工場には善太郎さん
くらいの年齢のまとめ役が必要になったのである。善太郎さんは一郎の家に来たときと同じようにボス
トンバッグ一つ持ってひょいと出て行った。半年の短い期間ではあったが兄のように思っていた善太郎
さんが去った部屋はがらんとして広くなったように見える。以前の生活に戻るだけなのになぜかもうこれ
で会えないかもしれないと、寂しい気持ちがした。
三年後、善太郎さんは突然帰ってきた。24歳になり、しかもお嫁さんを連れていた。何でも、善太郎
さんが下宿をしていたところのお嬢さんだそうだ。遠く離れた北国での慣れない生活をしている中で、
人恋しさに傍にいる人に親切にされると、つい恋心を抱くことがある。多分善太郎さんもその陥穽に落
ちたのだろうと、いらぬ推測をする。世間ではよくある話だ。でもお嫁さんは多少太めだが、雪国の女
の人が持つ色白で清楚な美人である。ところが善太郎さんは勘当の身であったから結婚するつもりで帰っ
てきたのに実家へ挨拶にいけない。困った善太郎さんは義父のところに相談に来た。
「叔父さん、結婚の挨拶に実家へ行きたいんだけれど、ご承知のとおりお父っちゃんは頑固だから許し
てくれないと思うんだ」善太郎さんはお嫁さんになる人と連れ立って義父の前で神妙にかしこまり話し始
めた。
「そこで叔父さんにお願いがあるんだ、お父っちゃんに結婚を許して貰いたいので、ご足労をかけますが
間に立ってもらえませんか。伯父さんが言えばお父っちゃんも嫌とはいわないと思うんだ」
「そうだな、善太郎も許しがなければ結婚出来やしないなあ。いくら成人だから自由に結婚出来るとは言
え、親の許しがなくては完全に実家とは切れてしまうもんな」
「今でも勘当同然の身なんだから、これ以上勝手なことはできないと思っている」
「本当にこの人と結婚したいんだな」善太郎さんはお嫁さんをちらりと見た。
「もちろん、一緒になりたい。どうしても許してくれなけりゃ仕方がない、二人で生きていくしかない」
ぐっと唇をかんで決意を示した。
「よし、分かった。早速佐島にいって話をしてこよう。なーにお父っちゃんも本心はもうとっくに許して
いるさ。頑固だから一度言い出したら後に引けないのさ。分かる気がするよ」同じ大正生まれの男の生き
様に共感するところがあるのだろう、しばし考えてから、義父は胸を張って説得を引き受けた。
翌日、義父は善太郎さんの実家へ行き伯父さんと伯母さんを説得した。はじめ伯父さんは頑なに拒ん
でいた。しかし伯父さんは長男の善太郎さんを追い出したことを後悔していたのだ。だから本当は渡りに
船と、二つ返事で許してやりたかった。義父は半日粘って、ついに敷居を跨ぐことを許すと言わせること
が出来た。善太郎さんが家を出てから4年の月日が経っていた。翌日二人は義父に伴われて伯父さんの前
で無事結婚の許しを得た。伯父さんは苦虫を噛み潰したような顔をして、あまり口は利かなかったがどこ
かほっとしている様子だったと、後に義父が言っていた。一番喜んだのは伯母さんに違いない。
さし当たって二人の住む家がないので、善太郎さんは金沢八景に家を借りることにした。そこから本社
に通っていたがしばらくすると会社を辞めた。誰か有力な伝があったのだろう、南足柄にある神奈川県
青年の家の管理人として二人とも住み込みで就職することができた。純然たる公務員である。その地で
女の子が、次いで男の子が生まれた。善太郎さんは定年まで勤め上げ、小田原市の梅林の近く、下曽我に
新居を構えた。今はそこで悠々自適の生活をしている。善太郎さんの偉いところは短い間ではあったが
一番苦しいときに下宿させてくれた上、伯父さんとの間に立ってくれた義父に恩義を感じて、毎年盆暮れ
には必ず本人が訪れて贈り物を欠かしたことはない。 (おわり)
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