大学時代

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 容赦の無い夏の陽を浴びたクラウンの中はまさしく炎熱地獄だ。

窓を目一杯開けてあるが入ってくる外部の風は熱い。

さほど広くない道路は海水浴客が占領していて、車を通す余地など無い。

しかも塩の匂いが彼等を誘い、興奮させ、誰もが陽気で、早く海辺に行きたくて

周りを注意する者はいない。そんな中をさしたる用も無いのにクラウンを乗り入れた。

初め、4人は一郎の家の前を出発して桜山トンネルをくぐり田越橋を左に入る。

田越川に沿って下り、富士見橋を渡りなぎさホテルの前を海岸中央入り口まで進む。

裏道なのだが結構込んでいる。この道の周りは別荘や大きな会社の寮が並んでいて壮観である。

一郎は右にハンドルを切った。予想していたがものすごい混雑である。

この道は京浜急行逗子駅と逗子海岸中央入り口を直線でつなぎ、途中国道134号線と交差している。

また国鉄逗子駅から海岸に行く最短距離でもある。

四人は出来もしないのに「海辺に行って女の子を引っ掛けよう」とか

「4人も乗っているんだ、たとえひっ掛ったとしても乗れねえぞ。どうするんだ」

「じゃあ、田川は降りるんだな」

「おい、何を言うか、絶対にいやだ」などと言い交わし、4人のテンションはいやでも盛り上がる。

「ぼろ車だけど俺たちの車だ。みんな見てみろ。すごいだろう」

一郎の心の中も他の3人の心の中も特権階級にでもなったというような驕りがあったことは否めない。

だが世間はどう見ただろうか。

「不良大学生風情が何を言うか、親の脛かじっているくせにいい気になって遊んでいるんじゃない、

勉強をしっかりやれ」と言っているのに違いない。

だが4人にはそんな世間の風評に耳を傾ける余裕が無いばかりでなく、反発することに快感を感じる。

「大丈夫か?俺が運転変わろうか」

吉野が見かねて一郎に声を掛けた。吉野は乗っていて気が気でなかったのだ。

「なあに、どうってこたねえさ。まかせとけ」

高揚感にとらわれた一郎は強がりを言ったがその実かなりあせっていた。

クラクションを鳴らすと一時的に前が開くのだが、その先はすぐ埋まってしまう。

子供づれが多いので危なくてスピードが出せない。

「海水浴客たちは「この車は何でこんなところにいるんだ?」

とばかりに威勢の良いお兄さんがにらみつける。

一郎は運転に気を取られてただ黙々とアクセルとブレーキを踏み変えハンドルを握っているだけだ。

一郎には前しか見えずサイドミラーもバックミラーも無用のようだ。

心臓が飛び出すかと思うほど脈を打っている。

緊張の極に達し、全身に汗をかき、額の汗が目に入ってくる。

助手席の田川が「危ないですよ、道を空けてください」などと怒鳴っているが効き目は無い。

一郎は吉野に代わってもらうかと弱気になった。

「その車、何でこんなに込み合う道を走っているんだ?」

海水浴客の中の誰かが怒鳴っている。

中にはボンネットを叩いていくやつもいるし、タイヤを蹴飛ばす輩もいる。

「すみません、なるたけ早く抜けますから道を空けてください」

などと後ろの席に座っている吉野と山完が交互に怒鳴っている。

「冗談じゃない、お前らが道を塞いでいるんじゃないか」と一郎は思った。

そう思うと怒りがふつふつと湧いてくる。

思わずクラクションを鳴らしてエンジンを空ぶかしし海水客を脅した。

すると少し空間が出来たのですばやく前に進む。ようやく郵便局横の交差点まで行く。

一郎は左にハンドルを切った。

「おいおいどこへ行くんだ?」

吉野はようやく危機を脱して安堵したのに、一郎がよりによって逗子の繁華街の

方向に向かうのを見てあわてて大きな声を出した。ハンドルを右に切ると葉山方面に行くことになる。

なのに左に切った一郎はその時完全に冷静さを欠いていた。134号線も混雑している。

池田通りと銀座通りに別れる三叉路を右に切り銀座通りに入いる。

ここも両側の歩道は海水浴客で混雑していて車道にまであふれている。まるで歩行者天国のようだ。

一郎はクラクションを鳴らしながら慎重に車を運転した。

「駅前に交番があるぞ、停められて無免許が分かるとやばいから俺と交代しよう」

吉野が真剣になって運転を交代するよう一郎の肩をゆする。

一郎はそのときになって運転しているのが怖くなった。

あわてなくても良いのに急いでクラッチとブレーキを交互に踏んだものだから

車はノッキングして止まった。一郎はギーッと音がするドアーを開けて外に出た。

汗がどっと出てきて着ていたポロシャツがびしょびしょに濡れ、背中に張り付いた。

パンツも濡れて肌に張り付いているようで気持ちが悪い。

だが同時に一郎はその時溜まっていたストレスから開放されていく自分を感じていた。

すかさず吉野が後部座席から降りて運転を一郎と変わった。

運転免許を持っているからといって、吉野はベテランではない。

この混雑する中を無事に抜けるのは自信が無かったと後になって打ち明けている。

 一郎がとった一連の行動は道交法違反である。

もし何らかの事故にあった場合どう責任を取るのだろうか。後になって思い出すとぞっとする。

若さとは危険と冒険心が背中合わせでせめぎあい、些細な事件あるいは重大事件を引き起こし、

あたら若者の前途に汚点を残すことになる。

一郎は大学生であるから常識や事の良し悪しは十分承知している。

だが、あえて法を曲げるような行動をとりたがるのも若さのなせるわざであり、

後に後悔の念に取り付かれるか心の中で快哉を叫ぶかどちらかであろう。

 このクラウンにまつわる話はこればかりでない。まだ一郎たちに苦難を与えるようだ。

                         (つづく)

 ハワイアンバンドは順調だった。

曲目は個人個人で好き嫌いがあっても演奏する楽しさが勝り練習にのめりこんだ。

一郎の家から俊夫の家の離れまで歩いていくと30分以上かかる。

車が来るまでは歩いて通ったがクラウンが一郎の家の前にあるときは一郎が練習を兼ねて運転した。

もちろん無免許である。昼間でさえ交通量が少ないのに日が暮れるとほとんど無人になる。

外灯などなく真っ暗な中、田川を載せて恐る恐る運転した。

乗っている田川は一郎より恐ろしい思いをしたにちがいない。

俊夫の家のすぐ近くにある小さな公園が駐車場だ。

今時のノークラでなくブレーキとアクセルにクラッチが付いている。

一度も車を運転したことのない一郎にとっては車を発進させるのでさえ、難しいのである。

何度発進させようとしてもクラッチがガリガリと不快な音をたてながら車はノッキングして

エンジンが切れてしまう。

だが、吉野の指導を受けているうちにようやく発進することが出来るようになった。

クラウンは後に演奏があるとき楽器の運搬に使われ便利であったが、運転手は一郎である。

 一郎は車の運転を熱心に練習した。昼間一郎の家と俊夫の家の近くにある遊園地の間を往復した。

とにかく交通量の少ないのが幸いして、事故など一度も犯さなかった。

運転していて驚いたことはウインカーが短剣の格好をしていることで、

本来灯りが点くはずなのに点いたり点かなかったりという代物だった。

ウインカーを出す時パタパタと音を立てるし、スムーズに出たためしがない。

もっとも、運転手が無免許なので曲がり角に行ってもウインカーを出し忘れたことにもよる。

事故は起こさなかったが練習中、身の危険を感じたことが何度かあった。

 バンドの練習がある日、一郎は吉野の家の前に駐車してあるクラウンを単独で受け取りに行った。

吉野の家まで徒歩30分の距離である。

その日は朝から曇り空で今にも降り出しそうな雲行きだった。

吉野の家の近くまで行った時ぽつぽつと雨が降って来た、と思ったらあたりが急に暗くなり、

今度はざーっと音を立てて降り出した。

一郎は預かっていた予備の鍵でドアーを開け運転席に転がり込むと大きく息を吐いた。

どうせ通り雨だからすぐ止むだろうと、しばらく様子を見ることにしてピースに火を点けた。

ところが雨脚は衰えるどころかますますひどくなり、おまけに稲光とともに雷まで鳴り出した。

「うわっ、そりゃないぜ。この雨の中運転して帰るのかよ」

思わず独り言、一郎はまだ雨の降る日に運転したことがない。

とりあえずエンジンを回し、ワイパーのレバーを押した。

助手席側のワイパーは正常に動いた、が肝心な運転席側のワイパーの動きがおかしい。

やっと動いているようで、まことに頼りない限りだ。

雨脚はますます激しく、ボンネットと言わず天井や窓ガラスをたたき、水しぶきを上げている。

一郎はそれを見て怯んだ。

もはや歩いて家には帰れないからこの厳しい条件の中、車を運転して帰ることしか方法が無い。

一郎は意を決してアクセルを踏んだ。

ワイパーの動きは頼りなかったが、まだなんとか前を見ることが出来た。

海岸道路に出る交差点で右のウインカーを出した。

カシャッと音がして赤い短剣のような形をした物がしぶしぶ出てきた。

こんなもので後ろの車は認識できるのだろうか、と一瞬思った。

幸い前後に車の陰は無くハンドルを右に切り、さらに10m先の三叉路を右に切った。

広い坂道を真っ直ぐに進み135号線とぶつかる三叉路でいったん停止した。

前に2台ほど止まっている。

そのとき雷とともに頭からバケツの水を掛けられたような激しい雨になった。

おんぼろ車のワイパーでは前が良く見えない上に、

なんとワイパーは真ん中で止まってしまったのである。

前の2台の車は機を見て135号線に出て行ったが、クラウンは道路上で立ち往生したままである。

一郎は思案の末まだ動いている助手席のワイパーを頼り、体を助手席に倒しながら運転することにした。

だが雨脚が激しすぎて通常の動きをしたワイパーでも前方はぼやけ、

はっきりと物を確認することも出来ない。

それでも一郎はハンドルを左に切り135号線に出て車を逗子方面に進めた。

そのとき混乱する頭の中で左のウインカーを出さなかったことに気がついた。

それでなくてもパニックになっている頭の中はその一事でさらに攪拌され心臓がバクバク鳴り始めた。

その時の血圧は170〜200に達していただろう。

若かったから気にも留めなかったが心臓は危険水域に差し掛かっていたのだ。

 激しい雨のため左手に在る田中屋がぼやけて見えた。

田中屋は小学生の頃に強風の中を、義父の焼酎を買いに行かされた酒屋である。

ここまで来れば後は注意しながら運転していけばいい。

一郎はそう思うと、依然として見えない前方に目を凝らし、ハンドルを握る手に力を入れた。

そのとき闇をつんざくように稲妻が走り、雷がどこかに落ちたと思わせるような音がした。

一郎は思わず頭を縮めハンドルの上にかがみ込み自然の恐ろしさに震えた。

幸い対向車も無く、後続の車も無く命拾いをしたと思った。

ようやく長柄橋を渡りハンドルを右に切って家の前で車を停め、

エンジンを切ると冷や汗がどっと出てきた。

というのも車の運転を覚えて初めての長い距離に加えて最低の気象条件だったからである。

とりあえず気持ちを静めるためか無意識のうちにピースを咥え火をつけていた。

一郎は思い切り煙を吸いこんだ。すると何故かタバコを吸い始めた時に感じた、

頭がくらくらして気持ちが悪くなるのと同じ現象に見舞われた。それほど緊張していたのだ。

なんにしろ無免許で事故は最悪である。雨のせいもあるが交通量が少なかったのが幸いだった。

だが一郎は車を運転することをやめなかった。

 またこんなこともあった。夏休みの盛り、7月末の日曜日は海水浴客が最も多くやって来る日である。

当時は自家用車を持つ人は少なかったからほとんどの人は電車でやって来る。

横須賀線逗子駅や京浜急行逗子駅、逗子海岸駅を降りて逗子海岸や葉山の海岸に繰り出すのだ。

逗子海岸へは徒歩である。逗子駅を降りて銀座通りを抜け、郵便局手前を右に折れ、

真っ直ぐ5分ほど歩くと逗子海岸中央口につく。京浜逗子駅からも一直線にこの道に通じている。

またこの道は私立開成高校への通学路でもある。

この日は逗子じゅうが海水客で混雑する。

逗子銀座通りは言うに及ばずなぎさ通りも池田通りも大混雑,ごったがえすのである。

銀座通りは通りの両側に歩道があるのだが、歩道だけでは捌き切れず、

混雑すると車道にまで出て歩く者がいる。銀座通りは現在一方通行であるが当時は両面通行であった。

いくら車の量が少ないとは言えバス通りでもあるし、

逗子のメイン通りでもあるからかなりの量の車が行き来する。

 そんな一番混雑する日にもかかわらず、一郎は無謀にもクラウンに吉野、田川、山完を乗せ

混雑する逗子通りへ繰り出したのである。  (つづく)

 日は西に傾きかけている。冬の日は足が速い、あっという間に暗くなる。

車の中には4人乗っているため人いきれで暖かいはずなのに隙間風でまことに寒い。

車を運転していた吉野が頓狂な声を上げた。

「おかしいなあ、さっきガソリンを入れたばっかりなのに、この燃料ゲージは空になっているぞ。

まだ20Lは入っている筈だ」

「この車、ガソリンを余分に食うんじゃないのか」

「いや、まだ10kも走ってないぜ。

ひげとらちゃんはリッター5k走ると言っていたからそんなことはない。

いくらガソリンを食うと言ってもアメ車じゃないんだ。

こりゃきっと壊れているに違いない、ほかのゲージも怪しいかもしれないな」

吉野は呆れたように首をかしげた。

「あっ、距離計は3回り目だぞ。さすがタコあがりだ」

「ほかのはどうなんだ?」

「圧力計がだいぶ上がっているぞ。これも壊れているのか?」

「いや、そうじゃない。壊れてはいない。ラジエーターの水が漏っているとは聞いている」

「一度止まって点検してみたら」

一郎が言ったので吉野は車を道端に止めた。

車の後ろを見ると僅かではあるが水が漏れた跡が路上に認められる。

ボンネットを開けてラジエーターの蓋を回すと熱湯が噴出してきた。

危うく吉野が被るところだったが、事前に知識のある吉野は予想していたと見えて、

すばやく離れて事なきを得た。うっかり近づいて熱湯を被っていたら大変なことになったところだ。

この当時エンジンは水冷式だったのである。

「やばいなあ、このあたりに水はあるかな。探さなくっちゃ」

「さっきここへ来るとき、少し手前にガソリンスタンドがあったじゃないか」

目ざとい田川が甲高い声を上げた。その声で気が付いたように山完があっと声を上げた。

「そうそう、あそこにあったのを思い出した。すぐそこだよ」

吉野はすぐさま引き返しガソリンスタンドでラジエーターに水を入れさせてもらった。

ラジエーターの水漏れはどうやらたいしたことはなさそうだが、

吉野は車の下にもぐって簡単な修理をすることにした。

「小さな穴があいていて、そこから水が漏っていたんだ。

とりあえずハンカチを千切って詰めておいた。水漏れは当分の間止まっているだろう」

吉野はそういうとボンネットを開けてエンジンから針金のようなものを引き抜いた。

「あーあ、真っ黒だ。入れ替えなきゃだめだな」

「そりゃなんだい?」

「エンジンを保護する潤滑油だけど、もう何年も取り替えていないようだ」

「それにしても大変な車を買ったもんだぜ。ひげとらちゃんにうまくやられたな」

「初日からこれでは思いやられるぜ」

一郎はがっかりしてテンションが下がっていくのが分かった。

田川も複雑な顔をしているし吉野は責任を一人で背負ったかのように浮かぬ顔をしている。

「ま、しょうがないよ。当分の間は騙し騙し乗るほかない。

車は動かないんじゃない、動くんだから良しとするべ」

一郎は二人に声をかけた。

 すっかり意気消沈した4人は城ヶ島へ行く気をなくして引き返すことにした。

途中にある山完の家の前でとまった。すると山完が「上がって酒でも飲もう」と言いだしたので

玄関下の階段の横にある僅かな空き地に車止めた。

まん前が八店と言う雑貨屋で、そこは何でも売っている。今のコンビニを小さくしたようなものだ。

そこでビールとウイスキーのホワイト、それにおつまみを仕入れ、酒盛りを始めた。

山完の家は高校の卒業式前日に一郎と田川と大嶺と山完の4人が勝手に自分たちの

卒業記念飲み会をした所でもあるし、

山完の恋人さっちんと彼女の友達を呼んでクリスマスパーティーをした所でもある。

そう言えば山完とさっちんの恋はどうしたのだろうか、一郎はその後の成り行きを聞いていない。

 今でこそ酒気帯び運転は免許剥奪の憂き目に会うがその頃は比較的うるさくなかった。

吉野はあまり酒が強いほうではなく、またすぐ赤くなるたちなのでビールをほんの少し、

コップに一杯だけ飲んだ。話題はお決まりの車とひげとらちゃんの悪口だ。

一郎はビールとウイスキーを飲んですっかり酔ってしまった。

「ところであの車を普段どこに置いておく?」

吉野が言いだした。考えてみると一郎たちは車を購入することばかりに頭をとられ、

その後に起こる諸問題について何も考えていなかったのである。

ガソリンの負担、駐車場の件、修理代、税金等々をどうするのか。

一郎と田川は無免許であるため詳しい知識はない。

「俺のうちの玄関前に車を停めるくらいのスペースがあるから、普段はそこへ停めて置くとして、

一郎や田川が使うときはどうするんだい?もっとも免許がないから運転は出来ないか」

「お前が車を使わないとき、俺らは運転の練習をするから俺の家の前の道路に停めておく。

最近警察がうるさいけど交番がすぐそばにあり、その一家とは付き合いがある。

そのため大目に見てくれるのさ」

現在は一方通行だがその頃は両方向に通行できた。

もっとも、交通量が少なかったから目の色を変えると言った取り締まり方ではなかった。

そのほか、ガソリンは乗ったものが入れておく、修理代、税金等は割り勘にしようということになった。

 その日10時頃、山完の家を出た後吉野は一郎と田川を家まで送り、そのまま帰っていった。


 しかしその後、クラウンはまだ現していない本性をむき出しにして、一郎たちを苦しめるのである。

                                  (つづく)

 一郎たちが演奏するのはスチールギターの教則本に乗っている曲ばかりだ。

サイドギターやウクレレは俊夫が弾くスチールギターに合わせるだけで何の疑問も持たず、

しばらくの間演奏していたが、音楽にはイントロがありエンディングがあることに思いが及ばなかった。

どの教則本にもイントロもエンディングものっていない。各バンドが工夫してつけるのが普通だ。

ただ、俊夫が引くスチールギターは大学のクラブで教えてもらっているらしく、

だんだん上手くなっていくようだった。

「一ちゃん、このスチールギターが8弦なのはクラブの先輩に薦められて買ったんだ。

この調弦だけど、ちょっと変わった感じがしないか?」

「うん、変わった調弦だとは気が付いていたさ。だからお前に聞こうと思っていたんだ」

「なんでもA13とか言うコードなんだそうだ」

「通常プロの調弦はAMかAM7だと聞いているぜ。たとえばバッキー(バッキー白方)はAM、

おっぱち(大橋節夫)はAM7だそうだ。二人とも6弦だ」

「このギターはいわゆる世間で一般に言われている「ハープギター」の仲間だそうだ。

だから見てみ、手に持つバーのでかいこと、かなり重いんだぜ」

「なるほどでかいな。こりゃあ重いわ」

「練習し始めた頃は、長い間弾いていると指がつってくるんだ」

一郎が借りて手に取ってみるとずっしりと重かった。

これを人差し指と中指の間に挟み親指を添えるのだが、慣れるまで大変だろう。

それに引き換えウクレレは小さいし4弦しかない。コードを決められたリズムで引くだけだ。

「俺は簡単だ。気楽でいいや」と一郎は思った。

バンドは練習を重ねていくに従ってらしさが整えられていくようだった。


 3月になるとヒゲトラちゃんが中古の車に飽きて新しい車を買い換えると言い出した。

「ついては、相談だがこの車買わないか」と言われた吉野恒夫が一郎に相談に来た。

吉野は大学生ながらいち早く免許をとっていた。

「クラウンの32〜33年型だそうだが、タコ上がりだ」

「タコ上がりって何だ?」

「ああ、元はタクシーだったってことさ。だから相当痛んではいるけど乗れないことはない。

俺は実際に乗せてもらって運転したけど支障はないようだ」

吉野はもう買う気になっている。だが一人じゃ払えないから一郎を誘っているのだ。

「わかった。ひげとらちゃんはいったいいくらで買えと言っているんだ?」

「7万円でいいって言うんだけど俺一人じゃ払えないから、共同で買わないか」

そら、来たぞと思った。

「無理だよ。よしんば買うとしても二人で7万円なんて、とても払えないぜ」

「月賦でもいいって言っているんだけど」

「月賦って言ったって、ひと月に払うのはいくらになるんだ?」

「そうだな、俺たちが塾から貰うひと月分の報酬、2000円が限界だろうな」

「と言うことは、塾のバイトは当分の間ただ働きみたいなものか」

「別に二人じゃなくて三人でも4人でもいいんだけど。そうだ、田川も誘ってみないか」

吉野は初めから田川も計算していたようだ。

「あいつならすぐ乗ってくるだろう。だけど俺も田川も運転免許を持ってないぜ」

吉野は真剣だった。免許取立てで運転したくてたまらないのが口ぶりから察せられた。

「そうかあ、それは問題だよな。だけど、いずれはお前達も免許を取るんだろう?練習できるじゃないか」

「そうだなあ、それもあるし車があれば行動半径も広くなる」

一郎はだんだんその気になってきた。共同とは言え自家用車が持てると思うと、

自分がその車に乗っている姿を想像して、わくわくしてくる。

「よし、田川には俺が話してみる。あいつなんて言うかなあ」

「頼むよ。俺もひげとらちゃんと交渉して、もう少し安くしてもらうつもりだ。

正直あの車で7万円は高い。下取りも無く、おそらく廃車になるのだろう。それほどの車だ」

翌日、田川を捕まえて吉野の提案を話すと1も2も無く乗ってきた。

「すげえじゃんか。俺たち自家用車持ちになるんだぜ、たとえおんぼろだろうとクラウンはクラウンだ」

田川はもうその時が来たように目を輝かせた。

一郎は二人とも免許を持っていないくせになにが車だ、と思うとおかしかった。

 結局三人で買うことにした。

ひげとらちゃんも教え子に7万円ではちと阿漕かなと反省して5万円に負けた。

諸々の手続きは吉野が責任を持ってやることに決まり、

結局、毎月一人2000円を8ヶ月に渡り払うことになった。

一郎は計算してみて「こりゃ大変なことになったぞ」と思った。

これからの8ヶ月を思うと憂鬱になるが車を持つ楽しさが勝り、あえて考えないようにした。

そのときは分からなかったけれど一郎たちはひげとらちゃんにうまく丸め込まれたのだ。

それは自分たちが運転して初めて分かったことだが、そもそもこの車は廃車になる筈だったらしい。

ひげとらちゃんは廃車費用を免れたばかりか5万円が入ってくることになった。

はっきり言えば一郎達はだまされたのである。

吉野はそれをある程度分かっていたが車が欲しいばかりに、

あえて目を瞑り一郎と田川をうまく載せたのだ。免許を持っているのは吉野一人だから、

とうぜん吉野が中心で使うことになる。では一郎と田川は車をどう使えば元が取れると言うのだろう。

免許を持たないことは致命傷だ。車の免許を取るための練習に使えばいい、

と言うのも今一説得力にかける。車があれば何処へでも行けるのだ、

こうなれば吉野を中心にして車を乗り回せばいいじゃないか、と納得することにした。

 桜のつぼみがまだ固い3月15日快晴、吉野が車を運転して一郎の家にやってきた。

田川にも見せてやろうと一郎も同乗して田川の家の玄関先に乗り付けた。

3人が所有する車になって初めて見たクラウンの雄姿は輝いて見えた。そう見えたのだ。

「おっ、来たか、かっこいいじゃん。俺たちの車だぜ!」

田川が目を輝かせて言った。

自分たちは自家用車持ちになったんだと思うと何とも言えない高揚感が3人を包んだ。

直ちに田川も乗り込み三人で初めてのドライブとしゃれ込んだ。

国道145号線を三崎方面に向かい、御用邸前から長者が崎を越え、

子産石で山完を拾ってから立石の県営駐車場に到着した。擁壁の前は海、後は何もない。

相模湾は春霞がたなびき、遥か沖に大島が浮かんでいる、目を凝らすと噴煙が見える。

風はまだ冷たかったが興奮している彼らは寒さを感じなかった。

「これから城ヶ島まで行こうぜ」

田川が言い出した。テンションが高くなった彼らは一路城ヶ島を目指して疾駆した。

ところが、彼らはドライブして騒いでいるうちに気が付いたのだ。

「何か変だぞ」(つづく)

  夏休み後半に戻る。一郎は忙しかった。忙しいと言っても遊びで忙しかったのである。

 昼間は海へ行ったり、夜の塾講師、日曜日は野球、覚えたてのマージャンの付き合い等があり、

 なかなか体が空かない。このような状態で勉強など出来るわけが無かったし、

 また勉強しようなんて考えはさらさら無かった。ある意味一郎は大学2年を満喫していた事になる。

 だが何とかして夏休み中に小説を一本書き上げたかった。構想は練ってある。

 だが筆は少しも動かない。暑い部屋で悶々としていると、ひかなくても良い夏風邪をひいてしまった。

 一郎の意識の中に「取り残さるのでは無いか、俺はこんなもんじゃないはずだ」と

 常に誰かに背中を押されているような気がして落ち着かなかった。


  うだるような残暑が町中を炎熱地獄にしていた。せみの声もどこか元気が無い。

 道路舗装のアスファルトも軟らかくなっているような、ある昼下がり、

 一級下の青木俊夫がまた忙しそうな話を持ってきた。色白の顔が汗でぬれている。

 青木俊夫は一郎がかき集めた野球チームのキャッチャーを務めていた。

「一ちゃん、今度ハワイアンバンドを作ろうと思っているんだけれど参加してくれないか」

「メンバーは?」

「島田書店の勝次と海辺旅館の敦也を知っているかい、俺の同級生。

 それと一ちゃんと同級の卓さん、それに2級下で俺んちのすぐそばの青木博、役場に勤めているべ?」

「顔は見たことがあるやつばかりだな。ところで楽器はあるのか?」

「勝次と敦也はサイドギター、勝次はギブソンのギターをもっている」

「スチールギターは?」

「俺が弾く予定だ。8弦張りのスチールギターを買ったんだ。博はベースをやるって」

 それを聞いて一郎は訝しく思った。青木俊夫にそんな趣味が合ったことが不思議な気がする。

 彼はどう見てもそんなことをするとは想像もつかなかったからだ。背が高く動作もそれほど敏捷

 とはい えない。どこかボーっとしたところがあり、

 スチールギターなど弾くとは思いも及ばなかった。
 
 しかも8弦だとは!

「お前いつからそんなことを始めたんだ?」

「俺はもともとハワイアンが好きだった。聞いているうちに演奏がしたくなり、どうせやるならスチール

 ギターだと決めたんだ。だから大学のハワイアンクラブに入ったのさ」

「へーえ、人は見かけによらないものだな」

「そんなこというなよ。それと来年の5月の音楽祭に参加したいのだ。

 それでみんなと話し合って、一ちゃんにお願いしてリーダーになってもらおうってことになったんだ」

「でも、俺ウクレレを弾くには弾くよ。だけどバンドで弾くには無理があると思うけど」

 一郎は迷った。ウクレレは遊びで弾いているだけだ。

「心配要らない。ほかの連中も同じようなものさ。

 時間はたっぷりあるから練習していればそのうち格好がつくって」
 
 気楽なものだと思った。

「ところで、みんなは楽譜が読めるのか?」

「ほとんどだめだね。俺は少々読めるが後はからきしだ」

「まあ、楽曲には一小節ごとにコードが附いているから何とかなるだろう」

 一郎は話しを聞いているうちにだんだん興味がわいてきた。あまりぱっとしないメンバーだから

 一郎を入れれば少しは華にもなるし、注目度が違うと思ったのだろう。

 田川を誘ってみようと思った。

「俺の友達に田川って言うやつがいるんだ。彼はウクレレを持っているし、

 ハワイアンが好きでLPを何 枚か持っている、仲間に入れてもいいか?」

「ああ、いいとも、メンバーは多いほうがいい」

「アンプとベースはどうするんだ?」

「ああ、それかあ、個人で買わせるのは酷だからバンドで買わなければならない。

 全部で7人だから会費で払おうと思っている」

「ところで練習場所はあるのか?やたらなところではご近所からクレームが来るぞ」

「その点は心配要らない。なぜなら俺んちに使っていない離れがあるんだ。

 周囲に家は無いから最適だと思う」

 青木俊夫の家は長柄地区の一番奥まったところ、戦時中高射砲陣地のあった二子山の麓付近、

 にある。大変静かなところだから音を絞っても隣近所には聞こえるだろう。

 ましてバンドとして始めて間もないため、多分下手糞で聞くに堪えない、

 音の暴力に耐えられるだろうか心配だ。

 田川に話すと、田川も夜は暇なので否やはなく即、参加すると言った。

  

  一週間後メンバーの顔合わせがあり、その3日後それぞれの楽器持参で青木俊夫の家の離れに

 集合して音合わせをした。アンプが無いのでスチールギターをラジオに接続しアンプ

 代わりに使い「アロハオエ」や「タフワフワイ」を演奏したが、スチールギターはまだ音を

 追うだけで、その他の楽器もばらばら、演奏と言うにはおこがましいかぎりだった。

 まだベースは無い。さらに1週間がたって練習場に行くと部屋の中にはヤマハのアンプと

 大きな姿をしたベースがでんと置かれてあった。

 なんでも当時はやりだした分割支払いで買ってきたと、俊夫が鼻の穴を膨らませて言った。

 三々五々集まってきたメンバーはその威容を見て興奮した。

 いよいよ本格的に始動したのだと言う思いが高揚させたのだろう。

 話し合って練習は週2回にした。勝次と敦也と博は社会人のためそうそう無理が利かないし、

 一郎も塾のアルバイトがあるのでいつでも良いとはいかないからだ。

  メンバーは集まって熱心に練習を繰り返した。一月もすると中学生の演奏ぐらいになっていた。

 だが、メンバーは大事なことを見過ごしていたのだ。(つづく)

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