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先日、建設関係の某講習会を受講した。
そこで地震に関する内容の講習があり、興味深く聞いた。
南海、東南海地震は歴史的に百数十年に1回という割合で起こっており、今後数十年間でほとんど確実に起こるだろうということだった。
東海地震は前記の地震に連動して起こっており歴史上は単独で起こった例はない。
内陸型の地震は阪神大震災などMが比較的小規模でも直下型であるので前記の大地震に比べてその地域での被害は大きい。
現在分かっている活断層以外の場所でも地震は起こっており、内陸型の地震はどこに起こってもおかしくない。
講師の方は、政府の地震対策の委員会等にも関わっておられるということで、専門的な内容を政治家や官僚も含めて一般の人に説明することをして来られたのか、非常に分かり易かった。
講師の方が力説しておられたことで、全国を地震の起こる確率で色分けした地図について。
前記のプレートの沈み込みで起こる大地震はかなり高い確率で起こるがそれ以外の地域では一万年に何回かという頻度なので確率で表すと数%というレベルになってしまう。
しかし、中越地震であるとかそういう非常に低い確率の地域で起こっている地震は少なくない。
その地図で県によっては地震は大丈夫という錯覚を起させるので非常に問題があるので確率で表すのはやめたほうが良いと提言しているのだが、官僚は耳を貸さないというようなことだった。
私は多分、確率で表した数値自体は正しいと思う。
数%の確率の地域がたくさんあれば、その中でひとつやふたつの地域で地震が起こる確率はかなり高い。
そういうことも含めて専門家の間でも灰色のテーマというのはあるんだなと思った。
思うに地震の予測と対策というのは相場と似ている。
過去百数十年という期間の中で起こったことは今後繰り返される確率は高いといえる。
だからそれを想定して売買する。
しかし、だからといって千年に1回万年に1回というような現象が起これば、予想して準備した内容がすべて無に帰する。
そもそも日常生活の中で数十年後に(もしかしたら明日にでも)大地震が起こるかもしれないと想定して人生設計している人は少ないというより、ほとんどいないだろう。
しかし、そんなことを考えて日々その対策に心血を注ぐ生き方も変なような気がする。
河川の治水について、大体百年に1回とか二百年に1回の確率で起こる洪水を想定して堤防とか様々な施設が設計されていると記憶している。
じゃあ、千年に1回という洪水ではどうなるか?
勿論、堤防は破壊され、甚大な被害を被り、多数の死者が出る。
しかし、千年に1回を想定した対策を取るとどうなるか?
莫大な費用がかかる。
勿論、じゃあ千年に1回の対策をしても万年に1回は?と考えるときりがない。
だからどこかで線を引き、それ以上の洪水が来ればあきらめる。
しかし、人名と工事費とを天秤にかけるような考え方はいかがなものか?
でも、無制限に費用をかけるわけにも行かず、現実論からいうと、大災害が起これば人命が犠牲になっても仕方がないという考え方にならざるをえない。
その都市があらゆる災害に対してまったく心配する必要のない都市として設備を整えるのなら、多分、世界中のマネーを使っても無理であろうし、又、たとえ出来たとしてもその都市は多分人が生活できるような空間ではなくなるだろう。
相場と自然とは共通するものがあるように思う。
ニュートン力学のようにすべてが決定論的に分かるというような分野ではないのだが、しかし、この世界の本質はそういうよく分からない世界であり、そういう世界をなんとか理解するということがこれからの時代は必要なのではないかと、そんな気がする。
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