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リーマン予想

NHKスペシャルで数学のリーマン予想についてやっていた。

素数の配列に規則性があるのかどうかということなんだと理解したが・・。

この素数と原子などのミクロの世界の現象と共通性があるかもしれないというのだ。

これは面白い。

直感的には多分、ある。

この世界の成り立ちは物理がいかに新しい事実や法則を明らかにしたとしてもそれに反して分からないことがさらに多く出てくるというような状況になっている。

ビッグバン、超ひも理論、いずれにしてもアインシュタインをはじめとした数多くの科学者が試みた統一理論は遠のくばかりが現状のようだ。

この宇宙には何かとてつもない秘密というか、闇というか、いや闇ではない、裂け目というか裂け目だね、裂け目があるような感じがする。

その裂け目を覗いたならば多分、あっちの世界に行ってしまうのだと思う。

数学と物理学はちょっと違うが、数学は現実の世界を極めて抽象化した世界であり、したがって現実世界とまったく離れては成立しない。

というか、数学はこの宇宙の成り立ちの一端を担っているのであり、同様に裂け目を持っている。

ナッシュはリーマン予想を前にして統合失調症を患い、リーマン予想同様の超難問ボアンカレ予想を解いたといわれるロシアの数学者グレゴリー・ペレルマン氏はその後一切の外界との連絡を断ってしまった。

100万ドルの賞金にも一切関心を示していないという。

恋愛ごっこという虚構

私はずっと恋愛というのは妄想ではないかと思っていた。

恋に恋するというように、恋愛をするということに憧れ、恋している自分になりきって演じているという部分が大きいのではないか。

昔々、日本で結婚といえばお見合いであった。

これは古い慣習に縛られて不自由であったというよりも恋愛という虚構に昔は縛られていなかったからだと思う。

第一、人間はサルの時代から食うことが大変であった。

恋愛にうつつを抜かすなんていう余裕はよほど最近でなければなかっただろう。

それよりも結婚して子供を生んで育てるという現実を前提にした男女の関係が重要であり、恋愛ごっこというものは昔の人にはハナからなかったのではないか。

私がそう考えるのは、自分自身恋愛ごっこという虚構に対して完璧に冷めた目で見ながら人生の大半を過ごしてきたからだ。

それでも子供のころにはドラマの影響やら何やらで余計な妄想を膨らませてはドキドキもしていた。

しかし、人生の修羅場を経験してきて、あの時代何故ドキドキしていたのかまったくもって意味不明だ。

そもそもあまり話もしたこともない人がどういう人か分かりもしないで、見た目だけで好きだとか嫌いだとか「何を言ってるのか」だ。

ファミレスの隣の席で20代や30代の女性たちが男の話をしているのを聞くともう少し人生の事実を見つめろよと思ってしまう。

人間見た目では絶対に分からない。

実際に暮らしてみないと分からない。

好きだとか嫌いだとかではなく、大事な人に思えてくるのは生活を通してしか出てこない。

世の中、恋愛ごっこという虚構の中でドキドキしている人が多いのはある意味依存症的?

あたかも日本人が異常に肩こりだというのも日本人に肩たたきという習慣があるからと同じようにそんなものはないんだとすっきりと思ってしまえば幻は消えてしまうものだ。

ただ、そうは言っても世の中浮気は数多くあるし、日常生活から逸脱した男女の関係というのは珍しくも何ともない。

サルの時代から、いや、多分魚の時代からそういうことは繰り返されてきた。

しかし、それは、あくまで子孫を残すための男女の関係であり、より良い子孫を残すための具体的な男のまたは女の戦略として浮気というものが使われてきたのであって、恋愛ごっことはかなり違ったものだ。

ある意味どろどろとした世界である。

多分、男性の中で結構の確率で自分の子ではない子供を育てている人は多いと思う。

墓場まで持って行く話しである。

浮気は生物学的な生殖の戦略の一環であるが進化したサルは倫理というものを身につけた。

生物学的な利得を超えて倫理に生きる存在へとやがてさらなる進化を遂げて行くのではないか・・・。

これが一番の妄想だったりしてw。

人類は5万年前にアフリカから100名程度の集団が出アフリカをして、激しい生存競争を繰り広げながら、その地に留まる集団がある一方で、そこにはいられなくなった集団は新しい地を求めてとにかく世界中に広がって行った。

10万年前にはすでに現生人類は出現はしていたが、生活様式であるとか行動パターンは今と違っていた。

それが5万年前にはほぼ私たちと同じようなところまで進化したということらしい。

言葉もしゃべっていたと考えられている。

サルがアフリカの地殻の変動と気候の変動によって木から下りて直立歩行を始めたのが500万年くらい前。

そこからも随分長い時間が必要だった。

それではサルから人へと進化して行く過程で何が一番大きな要因となったのか。

従来、道具を作るようになったこととか、言葉を話すようになったこととか考えられていたが、一番大きな要因は複雑な人間関係と社会の仕組みがサルを人間へと進化させたという説が有力だ。

進化といえば生物学的なものであり、社会のあり方によって規定されるというのはちょっと変だと思うが、事実社会の進化と人間自体の進化は同時並行的な関係のようだ。

つまり、進化したサルが複雑な社会を作ったのではなく、複雑な社会に適応できるようにサルが人間に進化したのである。

ちょうどアリや蜂は女王蜂と働き蜂がいて、役割に応じて違う形になったりすると同じように一人一人が他と切り離されて人間ではなく社会の中にあって初めて人間になることが出来る。

サルはボスがいて明確なヒエラルキーのもとにその社会が成り立っている。

ボスは当然オスの中で一番強いオスがなる。

ボスになれば多くののメスと交尾することが可能となる。(それでも親や兄弟は避けるらしい)

その順位が下位のオスは子孫を残すチャンスは極めて小さくなる。

従って、オスの関心はいかにオス同士の戦いに勝つかであり、体も大きいほうが有利であり、従ってオスはメスに比べて随分大きい。

ところが、人間は男女の大きさはあまり変わらない。

オス同士で競って勝ったものがメスに子供を生ませるというシステムから、男女が協力して子供を育てていくというシステムに変わったことにより、オス同士の戦いは以前より重要ではなくなった。

それでも、やはり激しい生存競争の中で、自分の縄張りに侵入したサル(人間)は殺したり、場合によっては相手の縄張りに侵入して先制攻撃をしかけることもあったらしい。

同じ種同士で殺しあうのは自然界では人間だけだといわれるが、実際それはサルでもあるらしい。

しかし、もっとも排他的な進化したサルたちが徐々にお互いが協力し合うということを覚えていく。

体はどんどん華奢になり、体毛もほとんどが抜けて行く。

協力し合う人間は相手がどういう人間かということを記憶しなければならなくなる。

そして協力し合う人間の数が多ければ多いほど、複雑になる。

自分との関係ばかりでなくAはBと仲があまり良くないとか、しかし、AもBもCと仲が良いとか・・・。

そういうことを理解しより複雑な人間関係の中で生きていくためには脳が巨大化する必要があった。

実際、5万年という月日の中でどういうことが起こったんだろうか?

そんなことを想像してみる・・・。

進化といってもトカゲが鳥になったプロセスはどう考えても分からない。

木の上に登ったトカゲが何度飛び降りても羽が生えてくるということがあるんだろうか?

不思議でしょうがない。

しかし、サルが人間になったのは何となく想像できる。

人類は5万年前にアフリカから100名程度の集団が出アフリカをして、激しい生存競争を繰り広げながら、その地に留まる集団がある一方で、そこにはいられなくなった集団は新しい地を求めてとにかく世界中に広がって行った。

10万年前にはすでに現生人類は出現はしていたが、生活様式であるとか行動パターンは今と違っていた。

それが5万年前にはほぼ私たちと同じようなところまで進化したということらしい。

言葉もしゃべっていたと考えられている。

サルがアフリカの地殻の変動と気候の変動によって木から下りて直立歩行を始めたのが500万年くらい前。

そこからも随分長い時間が必要だった。

それではサルから人へと進化して行く過程で何が一番大きな要因となったのか。

従来、道具を作るようになったこととか、言葉を話すようになったこととか考えられていたが、一番大きな要因は複雑な人間関係と社会の仕組みがサルを人間へと進化させたという説が有力だ。

進化といえば生物学的なものであり、社会のあり方によって規定されるというのはちょっと変だと思うが、事実社会の進化と人間自体の進化は同時並行的な関係のようだ。

つまり、進化したサルが複雑な社会を作ったのではなく、複雑な社会に適応できるようにサルが人間に進化したのである。

ちょうどアリや蜂は女王蜂と働き蜂がいて、役割に応じて違う形になったりすると同じように一人一人が他と切り離されて人間ではなく社会の中にあって初めて人間になることが出来る。

サルはボスがいて明確なヒエラルキーのもとにその社会が成り立っている。

ボスは当然オスの中で一番強いオスがなる。

ボスになれば多くののメスと交尾することが可能となる。(それでも親や兄弟は避けるらしい)

その順位が下位のオスは子孫を残すチャンスは極めて小さくなる。

従って、オスの関心はいかにオス同士の戦いに勝つかであり、体も大きいほうが有利であり、従ってオスはメスに比べて随分大きい。

ところが、人間は男女の大きさはあまり変わらない。

オス同士で競って勝ったものがメスに子供を生ませるというシステムから、男女が協力して子供を育てていくというシステムに変わったことにより、オス同士の戦いは以前より重要ではなくなった。

それでも、やはり激しい生存競争の中で、自分の縄張りに侵入したサル(人間)は殺したり、場合によっては相手の縄張りに侵入して先制攻撃をしかけることもあったらしい。

同じ種同士で殺しあうのは自然界では人間だけだといわれるが、実際それはサルでもあるらしい。

しかし、もっとも排他的な進化したサルたちが徐々にお互いが協力し合うということを覚えていく。

体はどんどん華奢になり、体毛もほとんどが抜けて行く。

協力し合う人間は相手がどういう人間かということを記憶しなければならなくなる。

そして協力し合う人間の数が多ければ多いほど、複雑になる。

自分との関係ばかりでなくAはBと仲があまり良くないとか、しかし、AもBもCと仲が良いとか・・・。

そういうことを理解しより複雑な人間関係の中で生きていくためには脳が巨大化する必要があった。

実際、5万年という月日の中でどういうことが起こったんだろうか?

そんなことを想像してみる・・・。

進化といってもトカゲが鳥になったプロセスはどう考えても分からない。

木の上に登ったトカゲが何度飛び降りても羽が生えてくるということがあるんだろうか?

不思議でしょうがない。

しかし、サルが人間になったのは何となく想像できる。

世界の民族

テレビ東京で世界の様々な民族についての番組をやっていた。

水上で生活する部族や本当に色々だ。

出アフリカ以降の人類5万年の歴史について知識を仕入れたばかりなのでとても興味深かった。

取材の許可を取ること自体、「よそ者」としてあまり歓迎されないケースもあった。

そう、チンパンジー以来、祖先はとても闘争好きで縄張り争いに命をかけてきたのだ。

弓に毒を塗って狩をしたり、その様子を見てるとちょっと恐かった。

というのは、上記のように人類はとても喧嘩っ早く、そして食人の慣習もそれほど珍しくはなかったようで、取材しているスタッフがいつ襲われてもおかしくないと思ったからだ。

さすがに今の時代、文明化された社会との接触も多いだろうから、縄張り争いに命をかけなくともお互いに仲良く生きていけることを理解はしてきているだろうからいきなり殺されることはあまり心配はいらないのかもしれない。

彼らは厳しい自然との闘いの中で多くの時間を食べるために費やしているし、動物や植物昆虫、魚についての知識はものすごいらしい。

我々はご先祖様が持っていた生きるための豊富な知識をどこかで置き忘れてしまったようだ。

誰かが、作ったり、狩ったり、漁ったりしたものをお金で買うことが出来る。

普段買っている食糧やまたそれ以外の日用品も非常に便利な物が多いが、それがどのようにして作られ、そして目の前にまで運ばれてきたのかまったくしらないままに買い、使ったり食べたりしている。

有難いことではあるが、ある意味一人一人の生命力は非常に貧弱になってきているともいえる。

よく映画の設定であるように核戦争で人類が滅びた後残された僅かの人数で果たして生き延びることが出来るだろうか?

また無人島に流されたらどうだろう。

彼らのほうがよほど生き延びるだろう。

人間とは、字のごとく人と人との関係を抜きにすればあまりにもか弱くなっている。

でも、それがある意味で人間の本質でもあり、また人間としての価値につながるのではないだろうか。

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