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日本には人口増加の4つの波があった。
第一の波は縄文時代。この時代は天候や疫病等の自然条件が大きな要因である。ピークはBC2000年頃であり、BC1000年頃までは減少する。
第二の波は弥生時代から奈良時代にかけて増加し、平安時代には停滞、鎌倉時代には減少している。これは稲作により食料の確保が出来、生産の増加とともに人口は増加した。
第三の波は室町時代から江戸前期にかけての増加と江戸中期、後期にかけての停滞である。これは市場経済の発達によるものである。
第四の波は江戸末期からの増加である。ご存知のように2006年がピークである。ただし、これは途中の大戦による人口減少をはさんではいる。この時代は明治維新により西洋の技術を取り入れて工業化することにより経済規模の拡大がなされたものだが、実はその萌芽が日本独自に維新前の1800年代の前半に見られる。工業化がそれぞれの地域レベルで始まっており、西洋の技術を受け入れる土台が日本の中にすでに作られていることが分かる。
第三の波は室町時代から始まっているが、応仁の乱が日本史において重要な転換点であると考えられている。現在の日本の社会、日本人の生活習慣や文化のほとんどが応仁の乱以降の時代にその起源がある。つまり平安時代に国風文化と教科書では教えているが、応仁の乱の以前の日本はそれ以後にはまったく生まれ変わってしまう。
そしてこの期間には戦国時代をはさむが私達は、鎌倉、室町と続いた幕府が戦国時代で一旦断絶をするという理解をしている。戦国時代は特殊な時代であると。しかし、市場経済というものは確実に発展をしており、それによる人口増加が既成の統治機構の枠組みでは収まりきれずに大きな変動を余儀なくされたと考えれば断絶でも不連続でもない。そもそも鎌倉室町の幕府は江戸幕府のような中央集権的に全国を統治した幕府ではない。民衆のレベルでは鎌倉幕府から室町幕府に変わってもほとんど影響はない。
私達は奈良、平安、鎌倉・・・と時代区分を知っているが、実際の民衆レベルでの生活の変化はそのような区分で分けられるものではなく、別の尺度が必要であり、人口はその尺度のひとつではないかと思う。
人口が増えるときは住みよい社会であり、人口が減るのは住みにくい社会であると考えれば戦国時代は住みよく民衆は明るかったのではないか。
そう考えれば平成の今の社会はこんなに経済的に豊かにもかかわらず住みにくい暗い社会なのかもしれない。今までにはなかったまたく違う何らかのバイアスがかかっているように思う。それが何か・・・なぞである。
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