たとえ明日 私が葬られるとしても

クリスチャン葬儀士の雑感。キリスト教葬儀の話題…は案外少なく、ネコやゲーム、小ネタばっかり。
 文章を書く勘を短期間で回復できるはずもなく、まだまだリハビリ中…というか、始まったばかりなのでどうにか続けないといけません。ということで、前回の続きです。

●法務省刑事局長は何を語ったのか

1.当時の担当官の私見である、「(散骨は)葬送を目的とし、相当の節度を持って行う限り、遺骨遺棄には当たらない」とはどういう意味だったのか考えてみたい。

2.このコメントがあまりにも有名になり、その後頻繁に取り上げられるようになったため、この見解がまるで以前には無かった、画期的な内容であるかのように捉えられがちであるが、実は担当官はごく冷静に、法学的な常識に即して、刑法第190条の意義を説明したに過ぎないのではないか。

3.前回も述べたように、刑法第190条の保護法益は、「公衆の敬虔感情、死者に対する敬虔感情」とされている。もっと分かりやすい言葉として、ネット上の大辞林第三版で「死体遺棄罪」を引くと、「社会通念上、埋葬とは認められないような態様で遺体を放置する犯罪」とある。この項は死体遺棄のみを取り扱っているが、刑法第190条全般の規定にこれは援用できる。総じて言えばすなわち、「その時点での社会において、比較的多数の賛同が得られるようなやり方で、遺体や遺骨を取り扱うこと」が求められているということである。

4.このことから、土葬は死体遺棄には当たらないし、火葬は死体損壊には当たらない。これらは、現代日本社会において一般に認知された葬送の方法だからであるし、土葬、火葬という場合には当然に実行者の意図するところは死者の葬送であると理解されるからである。またエンバーミングにおいて遺体を切開することも死体損壊には当たらないとの判断がすでに下されている。

余談…ところで、日本の法律(『墓地、埋葬等に関する法律』、以下「墓埋法」)では原則として死後24時間以内の埋葬(土葬)及び火葬は認められていない。これは、死者の蘇生可能性を考慮したものであり、定められた頃には意味があったのだろう。しかし、現在において多くの場合、遺体は比較的早い段階で、ドライアイスや冷凍庫で冷凍処置される。臓器や血管を凍結させるのであるから、この段階で蘇生可能性はまず無くなるはずである。これも外形的にはひとつの死体損壊であるし、墓埋法の意義にも反しているが、上の例と同様に現在では一般的な葬送の部分的な方法のひとつとして認知されているために、違法とされることはなかろう。しかし、自分が業務上取り扱った死者の中で、もしかしたら蘇生可能だった人をドライアイスによって蘇生不可能にしているケースがあるのではないか、という話は、業界内では(少なくとも私の周りでは)悩み事あるあるでよく話題に上る。閑話休題。

5.逆に、社会において一定の理解を得られない場合には、そのやり方や実行者の意思がどうであれ、刑法第190条違反とされる場合がある。わかりやすい例としては、2015年に神奈川県で、死体を墓地に埋めた容疑で男女が逮捕された事件がある。この場合、埋めた場所は墓地なのであるから、外形的にはそのやり方には一定の社会通念上の相当性がある。にもかかわらず、死体遺棄とされたのは、その目的が葬送とはとても言えないと判断されるからである。

6.こうしたことから、散骨という葬法が従来の「埋める」という外形でなく「撒く」という外形であることが合法か、ということは、あくまで墓埋法上の議論であって、遺骨遺棄とは何か、という刑法上の話とは別の事柄であることは理解しておきたい。

7.つまり、「葬送を目的として、相当の節度を持って」というのは、別段散骨に限らず、「どのような場合の遺体や遺骨等の取り扱いにおいても」、それが満たされないことが刑法第190条の罪を構成するのである、ということなのだから、その意味において、当該担当官の見解は決して目新しいものではなく、従来の法学的見解を改めて説明したものだと言えるのである。

8.また、厚生省のコメントは「散骨は墓埋法が想定していない葬法であるから、同法の規制が直ちに及ぶものではない」という主旨であったわけだが、上記を踏まえると、散骨という葬法が社会的認知を受けているかが定かではない段階において、行政から言えることは何もない、言い換えれば、そもそも墓埋法のその精神として、「埋める」という行為に対してある定めを「撒く」という行為にも援用するべきなのか、ということすら、今はまだ判断する段にない、という意味であって、法務省にしろ厚生省にしろ、立場上至極真っ当で判をついたようなコメントであったわけである。

●墓を持たない、持ちたくない

1.散骨を行いたいと希望する人たちのなかで、なぜそれを行いたいかという理由を探ると、大きく二通りに分けられるのではないか。ひとつは遺骨を「特定の場所または環境に撒く」ことに重きを置いている場合であり、もうひとつは「墓を持たない」ことに重きを置いている場合である。

2.前者の場合、特定の場所ではなく環境(自然の中など)にということであれば、現在最も法に則して進歩的な取り組みは、一般に「樹木葬」などと呼ばれる、遺骨を樹木の根元や苗木の周囲などに埋蔵(墓埋法上の用語で遺骨を土中に埋めることを意味する)したり撒いたりするもののうち、墓埋法上の墓地の指定を受けた場所においてそれを行うことであろう。

3.くどいようだが、墓地の指定を受けているからと言って当該行為が直ちに合法であるというのではないが、墓地において遺骨を取り扱うということは、最も社会的理解を得やすい様態であろうし、墓地の目的自体が遺体や遺骨を埋めることであるから、散骨で問題になるような周囲の人々の反発も(墓地自体に反対している場合はともかくとして)想定されない。また墓石が無いとはいえ、それなりの費用と手続の手間をかけることを選択しているのであるから、葬送を目的としていると通常判断される可能性は非常に高い。

4.なお、墓地の指定を受けていない場所においては、遺骨を埋蔵する行為は墓埋法に違反するため、どれだけ葬送の意思があり世間が理解を示しても現行法下では違法であるが、撒くことについては先に述べたように現段階では墓埋法の規制を受けない、とされている。

5.注意を要するのは、「墓を持たない」ことに重きを置いている場合である。仮に、「墓を持つことは多額の費用がかかるため、金をかけずに散骨したい」、などと公言して散骨した場合、聞く人によっては「遺骨を棄てたい」と言っているのだと捉えることもあるだろう。その感覚が社会において多数であったならば、たとえ周囲の人々が同じように散骨をしていても、公言した者だけが遺骨遺棄の疑いをかけられる可能性は否定できないわけである。その意味からすると、散骨を請け負っている事業者は、当該行為が葬送の意思を有していると客観的に認められるのかということは、個々の依頼者から聞き取りを行い確認しなければならないだろうとも言える。

6.なお、単に「墓を持ちたくない」という要望を満たすのであれば、例えば関西など部分拾骨の習慣がある地域において火葬を行い、拾骨を行わない、という方法もある。部分拾骨の地域では、拾骨されなかった残余の骨は集められて灰にし、自治体の条例に従って共同で埋蔵するなどの処分がなされる(貴金属などを取り出すために事業者に売却されるような場合もある)が、拾骨する量は火葬した者が選択することができ、極端な場合それが「ゼロ」ということも可能である。また、こうして拾骨された骨だけを法令上の「遺骨」と見なし、残余の骨は法令上の遺骨とは見なさない、という判例は過去すでにあるため、拾骨しなかったことによって遺骨遺棄罪を構成することはない。この方法は、関東など全部拾骨が原則である地域では通常選択することができないと聞いているが、気になるなら火葬場の使用規則などを確認してみるとよいだろう。

●行政に期待すること

1.散骨について、先に述べたように、行政は現段階で身動きがとれず、司法は実際に訴えがなければ裁けないとなれば、立法の行動を待つしかないのであろうか。

2.私見であるが、司法や立法を待つまでもなく、行政が現時点において行うべきことは、各自治体において市民のための共同墓を設け、無償または安価に使用できるように整えることである。一部自治体ではすでに行われていることであるが、特に宗教法人における共同墓等の設置が早かった地域においては公営の共同墓の設置は遅れているように思える。穿って見れば、行政としては自らが負担することなく世間の需要は満たせるのであるから、願ったり叶ったりという認識であろうと思うが、日本の墓地は本来行政がインフラストラクチャーとしてその社会的需要を満たすことが原則であって、それに依りがたい場合においてのみ公益法人の墓地設置を認めるという方針であるのだから、多くの自治体はこの原則に従って速やかに社会的需要を満たすために行動するべきであろう。

3.なお、こうして全国的に無償または安価な公営共同墓が整備された場合、私は件の散骨に関する意識調査にも少なからぬ影響が生じると見ている。「安価で」「合法に」遺骨を取り扱える確たる選択肢が生じれば、特に費用などの観点から墓を持たず散骨を選択したいと考えている人たちが、積極的肯定から退くのではないかと考えられるからである。現場の実感として、散骨を希望する人たちの中でも、「散骨"が"いい」という積極的肯定は存外限られていて、「散骨"で"いい」という消極的肯定が少なくない。なお、かく言うウチの親も前々からそんなことを言う。私の立場からすれば困った話である。

4.その上で、それでも残る散骨希望者は、前述のように遺骨を「特定の場所または環境に撒く」ことに重きを置いている人たちである可能性が高い。それが顕わになって初めて、散骨についての本当の議論は始められるのではないか。多数意見を原則としつつも、少数の希望をも実現できるよう、平和的に社会の中で調整された法が定まった暁には、私も子どもにこう告げておこうと思う。


「とーちゃんは自分のことには特に希望ないから、あとはお前が良いと思うようにやんなさい」(´・ω・`)

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 気になるニュースがあったので、久しぶりに記事にしようかと思ったのですが、長らく考えること、書くことから遠ざかっていると、さてどうして書いたものか、以前はどうして書いていたのか分からなくなっていました。諦めようかとも思ったのですが、リハビリも兼ねて、せめて思いついたことを羅列してみようと思います。

●気になったニュース

▼記事概要
1.自宅の押し入れに、セメント詰めにした乳児(自分の子ども)4人の遺体を置いていた女性が自首し逮捕された事件。

2.検察は死体遺棄罪(遺棄は単に他所に棄てるということだけでなく、身近にあっても適切な取り扱いをしなかった場合にもいう)で起訴。弁護側は死体遺棄罪の公訴時効3年が経過しているとして公訴棄却を求め、検察側は過去3年以内に被告が転居した際に遺体も移動していることから、死体遺棄の行為が継続しており、時効に達していないと主張。「死者を侮辱する行為で悪質」と非難し、懲役3年を求刑。

3.被告は起訴内容(死体を遺棄したこと)を認め、被告人質問では「金銭的余裕がなかった。子どもたちと一緒に暮らしたくて遺体を置いていた」と述べたという。

4.殺人罪で起訴していない。乳児が死亡したのは1992〜97年とされているので、少なくとも最後の子については2010年の法改正により時効が無くなっているものと思われるが、司法解剖でも死因が判明しなかったようであるから、殺人罪を適用するに足る証拠は固められなかったものと思われる。


●書こうと思った内容
主題:改めて、散骨は果たして遺骨遺棄罪を構成しないと言えるか。

1.本件で、弁護側は当該行為が「死体遺棄に該当しない」というのではなく、「死体遺棄に該当するが時効が成立しているはずだ」と主張している。確かに、外形的には死体遺棄に該当する行為であるが、散骨もこの点では同じであることは以前から指摘されている。なお、刑法上は死体遺棄も遺骨遺棄も同じ第190条(死体損壊等)である。

2.例えば碑文谷創師が、「散骨はいまでは、葬送を目的として、遺骨を細かく(原形が残らないまで)砕いて、海や山に他人が困惑することのないよう配慮して、つまり相当の節度をもって行うならば違法(刑法190条遺骨遺棄罪)ではないという法解釈が定着している。」(同師ブログより)というのは確かに実際のところ。もっとも、この解釈が定着するまでの過程には問題があったが、それはまた別の話。また、散骨が刑法第190条に抵触するかを直接的に判断した判例はまだないはず。同解釈上重要な点は、「葬送を目的として」と「相当の節度を持って」であると言われている。

3.本件被告人は「子どもたちと一緒に暮らしたくて」遺体を置いていたと述べ、それに対して検察は「死者を侮辱する行為で悪質」と非難しているが、果たして被告人は「死者を侮辱」する意図があったと言えるだろうか。当該行為が現在日本において社会通念上受け容れがたい行為であることはその通りであるとしても、論理的には行為自体が死者を侮辱するわけではなく、あくまで行為者が死者を侮辱する意思が表出されて行為に達するのであるから、検察官の主張は自身の価値観(世論が支持する、しないに関わらず)による糾弾に過ぎない可能性がある。

4.本件被告人の心情についてはさておき、仮に、被告人の言い分が世論のそれなりの支持を得るほど説得力を有し、あるいは同情をそそるものであったとするならば、また保存の方法がセメント詰めではなく、大切さを感じさせる保管の方法であったとするならば、果たして弁護人は死体遺棄罪の構成自体を否定する主張を行っただろうか。それとも、やはりあくまで外形的には死体遺棄に該当する行為であるとしつつも、情状の酌量を求めるのみであったろうか。仮に後者である場合、当該行為が死体遺棄でなく散骨であった場合にはどうか。すなわち、散骨がその様態によっては直ちに遺骨遺棄罪を構成しないという解釈が社会的には広まっていたとしても、法曹界の「常識的判断」としてはどうなのであろうか。

5.刑法第190条の保護法益について、碑文谷創師は「刑法190条は「国民の死体(法律的には「生体」との関係で「死体」であり、われわれが慣用的に「遺体」と言うのは、死体を尊厳あるもの、と理解した表現)や遺骨等に対して社会的風俗としての宗教感情を守る」ことを目的とした法律である。つまり「遺体、遺骨等を大切にしようという気持ち」を保護することを目的としている。」(同師ブログより)と述べ、またWikipediaでは「本罪の保護法益は公衆の敬虔感情、死者に対する敬虔感情を保護法益とするとされている。」と述べられている。この通りであるとするならば、保護されるべきは被告人個人の宗教的感情ではなく公衆のそれであるから、至極乱暴に言えばその時点の日本において散骨に対する許容が少数であれば遺骨遺棄罪を構成し、多数であれば遺骨遺棄罪を構成しないということがあり得る。

6.上記について碑文谷創師は最近のブログ記事において、「各種の調査を見ると、「散骨をしたい」とする意見は15%程度であるが、「本人の希望であれば」等の意見を含めると約7割の人が理解を示している。「理解している」「反対していない」が約7割というのが国民感情を表しており、刑法190条遺骨遺棄罪に該当していないとする数字的根拠である。」(同師ブログより)と述べている。また散骨禁止条例を制定している自治体があることにも触れ、「長沼町の例で見れば、最初に墓地として申請した業者が、許可を得られなかったので、その地を公園とし、「散骨であれば墓地である必要はない」と勝手に理解し、公園内の木々の根元に遺骨を細かく粉砕することもなく撒いた…(略)…つまり散骨の方法が問題とされるべきで、散骨そのものの是非として論じられるべきではなかった…(略)…だから散骨禁止条例を作り上げた住民が批判されるのではなく、そこまで住民を怒らせた、配慮なく遺骨を放置して「散骨樹木葬」なるものを行った業者が批判されるべきなのだ。」(同師ブログより)と述べている。

7.だが、意識調査についてはその質問のありかたによって回答が大きく代わる可能性は、こと散骨に限らず大いにある。例えば、遺骨を「撒く」ことについての質問では理解または否定しない回答が多いとしても、自身の生活圏に「撒かれる」ことについて質問した場合はどうか。また、長沼町の例では遺骨がそれと分かる状態で撒かれたとされているが、外観的に遺骨と分からない状態にしたとして、しかし遺骨を撒くと正直に公言して撒いたとしたら、地域住民による反発は無かっただろうか。もちろん、一部のエリアの実例を取り出して実際に受け容れられている、拒否されている、ということではなく、日本国における公衆の総体としてどのような宗教的感情の傾向を持っているか、ということが問題である。

8.私自身は以前から、人が散骨を行いたいという心情については否定してない。それは、「死者を悼み悲しむ人の基本的な権利に関する宣言」において表明しているように、原則として葬送の方法を自由に選択することは、葬送を行う者の基本的な権利であると考えているからだ。しかし、現行法制化において散骨を実施することは推奨していない。なぜならば、仮に今後、裁判の実例が生じ、さらに仮に散骨の違法性が確認されてしまった場合に、その心が傷つくのはすでに散骨を行ってしまった人々であろうと推測するからである。しかもその多くは、あたかも散骨がすでに合法であると確認されているかのような誤った情報を信じた人々であろう。従って、個人がその心情に沿って散骨を行おうとすることについては非難するべくもないが、仮に私が今、散骨の実施についての相談を受けたら、こういった事情を説明し、改めて考え決断することを奨めている。

9.この意味において、散骨を行おうという個人はともかく、それを請け負い実施させることを事業としている者は、それが良心的であれ、商業主義的であれ、やはり一定の責任があるのではないかと思う。そこで、私は自身の会社においても、ご遺族に対して散骨事業者の斡旋は一切行っていない。

●なんで今、そんな話?
 実は先日、関西圏で新しく散骨事業の会社(しかもキリスト教系らしい)を立ち上げるという人から、起業式にせっかく誘って頂いたのに、「ちょっと時間が無くて…ゴニョゴニョ」とお断りしたんですが、そこはハッキリ「私は散骨事業に肯定的ではないので、場違いだと思います」と言ったほうが良かったんだろうかと気にしていたからです。あいすいません(;´Д`)

 それにしても、文章書けない病は想像以上に深刻で長引きそうな予感です。やはり何事も継続は力なり、1日休めば3日遅れる、今日できることは明日できない、という…(´・ω・`)

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花壇の現在

 事務所前は春咲きの球根類がだいたい終わって、今はツツジとモッコウバラが咲いています。戸口の前に見える黄と赤の花は、秋に蒔きすぎたキンギョソウ。鉢からあふれてブロッコリーみたいになっています(;´Д`)

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 花壇も二年目になって根が充実してきたのか、今年はツツジの花付きもよく、アジサイの葉やつぼみもたくさん出ています。去年よりは肥料をまめにやっているのが効いているのかもしれません。
 草類も去年よりは元気で、去年は葉ばかりで咲かなかったスミレも咲きましたし、冬に葉がなくなってしまったガーベラも小振りながらまた咲いています。ほんと、初めからちゃんとした園芸土を入れてやれば良かったんですが、なんとか落ち着いてきてホッとしています。

 こないだ、百均で新しいアイテムを買いました。ケーキのスポンジ台に生クリームを塗る、刃のないパン切り包丁みたいなやつ(調べてみたら「パレットナイフ」と言うらしい)です。
 これまで鉢物の植え替えの時、鉢と土がなかなかうまく離れなくてちょっと困っていたんですが、このナイフを鉢の内側に差し込んで一周ぐるっと回してやれば、根鉢が壊れずにすっと外れます。深鉢でなければ比較的大きな鉢でも大丈夫ですので、これでかなり楽になりました(v^ー゚)

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葬儀統計

 『株式会社シャロームにおける2016年度のキリスト教葬儀に関する統計』をアップしました。前回は2013年度でしたが、その後消費税アップや料金改定があったために2年分飛んでしまいました。

 せっかく再開したので、今回から料金のことだけでなく葬儀の属性(故人の年齢・性別、主宰者の続柄、式場、前夜式の持ち方)なども併せて記載しています。何かのお役に立てば幸いですが、単に読み物としてもご覧いただければと思います。

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避寒

今日明日がずいぶん寒いので、表の鉢を事務所の中へ待避中。


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 木の鉢はフリージアとヒヤシンスです。順調に成長していて、フリージアはもうつぼみが出てきています。去年は花壇に植えていたところ、2月の寒波で出ていたつぼみが全部ダメになってしまったので、今年はその教訓を生かそうと鉢植えにしました。室内もだいぶ寒いですが、なんとか保ってほしいものです。
 隣のプリンセチア(ポインセチアの亜種)は寒さにもそこそこ強いはずですが、一応中にしまっておきました。スイセンやムスカリはそとのまま。たぶん大丈夫でしょう(ホンマかな 汗

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 碑文谷創師がご自身のブログで、とうとう「散骨は合法」という誤解が世間に広がった裏事情についてお書きになられています。

 散骨は合法という根拠としてよく取り上げられるのが、25年ほど前に朝日新聞に掲載された「法務省が合法との公式見解を出した」という記事ですが、この記事は当時、散骨を推進しようとする団体にも所属していた当該記者が、法務省に見解を出すことを断られたにもかかわらず、担当官が個人的な感想として述べた事柄をさも公式見解があったかのように報じたものだというのです。

 実はこの話は、私はずいぶん前に師から教えていただいていました。それまでに自分で調べ、厚生労働省の資料や、法務省への直接の問い合わせで「公式見解はない」ということまでは確認できていたのですが、このような報道がなされた経緯については皆目わからず、ちょうど頭を抱えていたところでした。しかし、自分で調査した結果ではなし、師も公に書かれていなかったために、他所で話すわけにもいかず、これまで引っかかっていたのです。(その頃私が書いた記事はCCFIのサイトにあります)

 その間にも、当該記事を根拠にした散骨事業者やマナー本などが雨後の筍のように生じていましたが、これを機に見直しを始めるでしょうか。もちろん、法解釈や社会通念は時代によって変化していくものですし、師も仰っているように散骨を排除しないという社会的合意ができつつあるのは確かですが、やはり当面の間、散骨は法的には不安定な状態が続くというのも間違いないのですから、丁寧に取り扱っていかなければならない問題です。

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もう年末作業

 いつのまにやら、今年も残すところ1か月ちょっととなってしまいました。

 毎年、年末はいろいろなことに追われるので、今年はがんばってちょっと早めに動いています。インフルエンザの予防接種、お歳暮の発注、スタッドレスタイヤへの履き替えは終わりました。年賀状もいつも通り出来合いのシリーズを購入してきて、社名印刷は完了。これから宛名書きです。

 この業界は冬が忙しいのに、会社の年度区切りを12月末にしてるのが忙しい原因のひとつなんですが、いまさら変えるのはメンドクサイのでまあ仕方なし(;´Д`)

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生かせないものも

イメージ 1 球根でない植物たちはというと、ツツジやナンテン、アジサイなどはまあもともと強いので保っていますが、鉢に植えた2〜3年もののキンギョソウたちが食客(意味違う)たちに根を食い荒らされて枯れてしまいました。カナブンの幼虫でしょうか。君らに罪は無いけど、ついた場所が悪かったとおもって諦めてくれい(ノ´ー`)ノ⌒っ

 花が咲いたときに種を採取しておいたので、鉢の土を入れ直して蒔いたのですが、ほとんど発芽しませんでした。種が古くなっちゃったのかなぁ…と思い、残った種を種まき用の土に全部蒔いたら、今度はほとんど発芽してしまってこんな状態。全部は生かせんなぁorz...

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 どうも、鉢の方は水のやり方が悪かったんじゃないかと思っています。土をかけてはいけない種らしいので、発芽までは水は下から静かに吸わせないといけないのでしょう。

 ちなみに、ここ1年で枯れたり枯れかかったりしているもの。

サザンクロス…枯れました。原因不明、加湿かも。強いはずなのに(涙
ブラキカム…枯れかけ。寿命?植え替えの失敗かも。
ハナカンザシ…2株中1株枯れました。アブラムシなどの害虫がひどい。
コスモス…枯れました。アブラムシ。アリとタッグで収拾がつかない。
ゴーヤ…切りました。植えるのが遅かったか、種が悪くて育たなかった。
ミニシクラメン…枯れました。カビ。環境が悪かった。

 などなど。

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これも球根

 ちなみに、今うちで一番勢いのある球根植物といえばコレです。

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 え?ニンニクに見えるって?
 …そりゃ、ニンニクですもん(;´Д`)

 友人が家の中でできて、実用性が高いものを育てたい!というので、ネットで探してみると、「ニンニクは水栽培でも芽が出るから、それを食べる」というのがあったので、実験してみたのです。
 ニンニクは暑さに弱いらしいのですが、その中でも寒冷地ニンニクと温暖地ニンニクがあるそうです。近所のスーパーには青森県産と中国産が多くて、しばらく様子を見ていたところ、産直で和歌山県産だったかのがあったのでこれでいいやと購入。しかしそれは夏頃で、すぐに水におしりだけ浸けていたのですが根が出ず、こりゃ失敗かなぁ…と思いながら放っておいたところ、秋になったとたんワサワサ根が出てきました。自分の育つことのできる気温をよくわかっているようです。

 んで、この辺でもう食べないといけないんじゃないかなぁと思ったんですが、せっかくの実験なので、もうちょっと様子を見ることにしました。いくつかの球は紙コップに土を詰めて植えてみます。そのまま1年間生きてたら、分球して元のニンニクの塊になるハズなんですが…さすがにもっとちゃんとした畑を作らないとムリかなぁ(´・ω・`)
 まあ、期待せずに育ててみます。

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再植え付け

 そういえば、スケールは小さくなりますが…
 生きるか死ぬかといえば、夏前に掘り上げて貯蔵していた秋植え球根たちの植え付け時期が来たので、鉢に植え直しました。

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 ムスカリとフリージアはすぐに芽が出てきて、生きていることが判明。特にムスカリはたくさん分球していた小玉もほとんど発芽。念のため、お裾分け用に黒ポットにいくつか分けておいてよかったです。
 ムスカリと合わせたスイセンと、フリージアと合わせたヒヤシンスはまだ芽が出ていません。スイセンは球根も大きくてまた出そうでしたが、ヒヤシンスはどうなんでしょうねぇ。そういやヒヤシンスで失敗したのは、貯蔵するときに花色が2色あるのにマークしていなかったこと。鉢の中でバランスがおかしくなるんじゃないかと、A型は心配です(;´Д`)

 そのほか、小さめの鉢にスノードロップとプスキニアを植えましたが、これもまだ芽が出ていません。半分諦めたラナンキュラスは花壇の空いたところに地植え。ただ、土を作り直していないので出るかどうかはわかりません。去年と同じく、カビも心配ですし…(´・ω・`)


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