たとえ明日 私が葬られるとしても

クリスチャン葬儀士の雑感。キリスト教葬儀の話題…は案外少なく、ネコやゲーム、小ネタばっかり。

全体表示

[ リスト ]

言い訳

 3日の記事について碑文谷創先生にブログでガッツリ叱られた……(´・ω・`)チョーションボリ
 
 先生、実名で叱ってくださって結構です。常々勉強中の身ですから、いけないところはいけないとハッキリ仰っていただく中で考え直しまた向上していかなければならないと思っています。
 まあしかし、指導や意見してくださる方々がいらっしゃるのは有り難いことです。誰も注意しなくなったら終わりだぞ…と昔から脅かされてきましたから(汗
 
 さて今回は私の思索の不足だけでなく言葉足らず&言い過ぎもあったようで、どうもうまいこと伝わっていないような気もします。

 まず「グリーフ=死別の悲嘆」ではない、と言ったのは先生の表現に対する疑義ではなくて、私自身もこれまでそのように書いているために、はたしてその本質を正確に捉えられているのだろうかという再考の意味からでした。今回中心的課題にしたかったのは、「(総論として)人の中にある悲しみの感情のうち死別の悲嘆だけをあまりに特別なものとして扱ってしまうことによって、人間が自己で扱いきれないほど強大なもの、向き合うことすら困難なものという印象を与えてしまわないか」ということです。この記事は端的に「グリーフ」という用語についての思索ですから、ワークやケア、サポートについては基本的に考えていません。しかしグリーフをそのようにごく身近なもの、誰にでも起こりうるもの、そしてそれが人間の正常な精神活動であると前提することによって、例えばサポートにしても「その個別性は当然としても、人としてあなたにも私にも起こりうる、この当たり前の感情」という基本理解ができないか、ということです。

 つまり、我々が特にグリーフを「死別の」と考えるのはいいのです。もちろんその前提で話しているのですから。そうではなくて逆に、「死別を体験したあなたの中にはグリーフという日常的にあり得ない、特別な状態がある」と断ずるのは違うんじゃないか、と考えているのです。これは昨年のT大学の公開講座や近年の業界におけるグリーフ(特にケアやサポートについて)の論説を見ていても思いますが、「死別を体験した人は悲嘆を感じ、結果として精神的にも身体的にも影響が出る」という一義的な見方が増えているのは先生もご指摘の通りです。しかし心身への影響は当人と死者との関係性が深ければ必ず起こるものでも、逆に浅ければ起こらないものでもありません。関係性のみならず状況、当人の信仰や思想、グリーフそのものの処理能力などのバランスの上でその一部が出たりでなかったりするわけです。しかしその理解がなければ、極端に言えば死別を体験した人にそれらの客観的変調が見えないからといってその人が悲嘆を感じていないのではないかなどと周囲が勝手に判断してしまうことにも繋がるのではないか、というのも先生もご指摘の通りです。ですからグリーフに関する情報を特に業界が発信する時、その対象として当事者たりえる一般の人々を想定しているのであれば、その人たちから「遠いところの話」にしてはいけないのだと思うのです。
 また関連して想定しうる弊害として、一般人のみならず業界人でも「グリーフなんて小難しいことは考えたくないよ」となってしまったり、業界にも商業的に「ケアはあなたがた(当事者)では扱えないから、我々に任せておきなさい」などと言い出す輩がでてこないかということもあります。グリーフケアが「癒し」ではなく「回復を助ける、また妨げない」であることは、周囲の者だけでなく悲嘆に暮れる当事者を含めて理解を進める必要があるのだと思います。
 
 戦後的発想…というところは確かに言いすぎかもしれません。先生もよく仰っている戦後高度経済成長期における「生存至上主義」が「死別の悲嘆」のみを特別視する原因に少なからずなっているのではないか、ということでしたが、その世代が言うのと違う世代が言うのでは受け止められかたが違うのかもしれませんね。原因としての推察がその時代を直接的に批判していることではないということはお詫びと共に申し上げておきたいと思います。
 
 もう一点、私は他の人から「死とはなんですか?」と訊ねられたら常に「わかりません」と答えています。「ご遺族の悲しみがわかりますか?」と訊ねられても、同じように「わかりません」と答えています。理解しようと努力し、できる限り寄り添おうとはします。けれども究極のところではわかりません。これは事実です。
 しかしそう思っている割には、文章を書くとあまり謙虚でないのかもしれませんね。
 
 言い訳がましくなりましたが、あくまでも今回の記事はグリーフを「どうするか」ではなくて、sikiぺでぃあ のこのカテゴリ(用語再定義)は言葉として「グリーフとは「何か」という思索でしたので、記事にした言葉は平面的になってしまったかもしれません。また引き続き思索を深めていきたいと思いますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします。m(_ _)m
 
追伸:
 私も自分の肉体的死に比べれば、例えば生きていながら忘れ去られることの方が恐怖です。

閉じる コメント(9)

顔アイコン

アメリカの心理学スケールでは「近親者の死」が最高値の100と定義されていますが、医療現場や社会福祉、行政や司法の間ではいささか異なる考えがあると思います。
これは、近親者の死が「全て100ではなく50もあれば0もある」と言うことであり、死亡前の症状や状況により一概に「喪失=悲嘆」とは言えないと思います。

病院のターミナル・ケアにおいても緩和ケアの患者さんは、癌による疼痛や苦しみから開放された部分が多く、家族にとっても死別の悲しみよりも安堵感が強い場合があります。(在宅も同様)
そのために、病院死でも病棟や死亡者の疾病、年齢、状況により対応がまったく異なり、死亡前からチャプレンが対応しています。
変死した場合でも生前の行いが宜しくなかったケースでは、家族や関係者が死によって解放され、安心するケースもあります。
延命治療(DNR拒否以外)が多くなると、延命による苦痛も増加することから、以前の様な考え方は通用しなくなったのも事実です。
アメリカに比べて2倍以上の病院死である日本では、苦痛や家族の看病苦、治療費等も総合的にはcofactorとして捉える必要もあるとの考えが、医療

2011/3/6(日) 午前 4:19 [ prof ] 返信する

顔アイコン

切れたので

医療の主流と成りつつあります。
医療現場では死亡前の患者さんと家族を見れば、死亡後の状態の予測は可能です。(看病や見舞に来ない家族、死を望んでいる家族等)
親の年金を目当てに延命を懇願する家族などは、親の死よりも親の年金が貰えなくなることを悲しみます。(奇数月に多い)

近親者を亡くした家族には「死別の悲しみ」は必ずありますが、サポートが必要な人達は減少傾向にあります。
そして、これらの人達を見出すのは非常に難しいと思います。(耐えるのが美徳とされる日本人では)

2011/3/6(日) 午前 4:40 [ prof ] 返信する

顔アイコン

心理学スケールというのはSOGIのホームページの中でTさんが引用していらっしゃる「社会再適応評価尺度」(Holmes & Rahe, 1967)のことですかね。これ自体は心理学的なひとつの傾向分析として興味深いところです。
喪失と悲嘆はやはりイコールでつなぐのではなくて、「グリーフの原因として喪失がある」と表現するのが的確だと思います。
悲しまない遺族が増えていることについては、もちろん「好ましくない」とは私も思っています。その意味では理論は理論、感情は感情…いや、その割りきりが今回の失敗の原因なのかもしれませんが(汗

2011/3/6(日) 午後 1:36 はる 返信する

顔アイコン

どちらにしろ、このグリーフという大きな課題に対してはもっとたくさんの学習の機会や議論のテーブルが与えられないものかといつも期待しているのですが…
日本の心理学・精神医学者の中にも特にこの方面の研究をなさっているかたもいらっしゃるとは思うんですが、葬儀の現場までその研究成果は届いていません。
多くの現場人(宗教者含む)は暗中模索のストレスに苦しんでいるというのも現実です。

2011/3/6(日) 午後 1:44 はる 返信する

顔アイコン

Holmes T & Rahe R.1967はそのままでは日本に当てはまらずに、少々古い物ですが、参考としては充分に使える物です。(他にスケールがないのも理由)。
我々が指導している部分でも上記スケールと、近親者が死亡してから1年以内の死亡の因果関係はあるとしています。
そのために、あらゆるfactorを考えて「長期にわたるケア対象」とは位置づけをしています。

はるさんの場所は、国内で最もゲリーフに関して勉強をする環境が優れています。
国内では上智大学、聖学院大学、聖トマス大学でグリーフに力を入れていますが、この中でも聖トマス大学は研修やセミナーを頻回に行っており、参加すると良いですよ。(1年位のコースもある)
仏教系大学の教授でもグリーフに力を入れている方もいますが、キリ系大学の方が上です。(ホスピスでも仏教系のビハーラよりも、キリ系の方が良いと感じています)

さて、質問です。
奇数月初めに高齢者が病院での死亡が増加する理由は?

2011/3/6(日) 午後 5:11 [ prof ] 返信する

顔アイコン

ゴメン
奇数月 誤 ⇒ 偶数月 正 の間違い。
何故、偶数月初めには高齢者死亡が多いのか?(特に病院)

2011/3/6(日) 午後 5:45 [ prof ] 返信する

顔アイコン

記事に書いたT大学というのは聖トマスです。昨年行われた上智大学に移管されたグリーフに関する公開講座には半分ほど出席してきました。全部行きたかったのですが、どうしても仕事の合間では限界がありました(汗

問題の方は、これまでのお話からすると年金受給の関係をおっしゃっているのだとは推測できますが…ただ現実としてはあまり受けれがたいものがありますね(汗

2011/3/7(月) 午前 7:56 はる 返信する

顔アイコン

聖トマスの講習はグリーフ全般に行いますが、以前は災害被災側に重点があったのですが。
しかし、院生や研究生以外に広く公募しているところは、聖トマスしかなかったので(高等教育機関として)、私も参加したかったのですが、遠いもので参加はしませんでした。
関東の大学や日本学術会議のイベントには参加するのですが。

さて、高齢者が偶数月の初めに多く死亡するのは、「日本の年金支給システム」が生み出した終焉パターンです。
海外では見ることのない(考えられない)、日本人のモラルハザードによる(景気悪化も影響)現象です。(近年、増加傾向にある)

2011/3/8(火) 午前 2:37 [ prof ] 返信する

顔アイコン

イベントはなんでも関東のほうが多いので、いつもうらやましく予告を眺めています。関西であっても仕事の都合から言えば京都ぐらいでもダメですから、参加できるものはかなり限られて残念です。

2011/3/8(火) 午後 8:03 はる 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事