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子どもを褒めて伸ばす――なんて言葉が賑わって久しいわけですが、
私、こうした流れに疑問というか、首をひねってしまうんです。

もちろん、叱って伸ばすよりも褒めて伸ばしてもらいたいと
子どもでなくなって思うわけで、大多数の大人だって、褒めて伸ばしてもらいたいと
思うわけで、異論をはさむつもりはありません。

問題に感じているのは「褒め方」の方。

幼児が上手に何かができたとき、「○○ちゃん、上手にできたねーー」と
満面の笑みでお母さんが子どもに伝える様子は、微笑ましい光景です。

私はそんな光景をよく目にするわけですが、子どものほうはどうかというと
然程反応してないんですね。
もちろん、まったく子どもがよろこんでないわけではないのですが、
親が褒めて子どもを喜ばせたいという気持ちが、子どもにはあまり伝わってないと言いますか…

じゃあそのお母さんがほめ方が下手なのかというと、決してそうには見えません。

褒めるという行為には、どんな意味があり、
どういう効果があるのだろうと考えて見たとき、
子どもの能力を伸ばしていくことに、主眼が置かれているのではないでしょうか。
親の期待することができたとき、褒めて喜ばせて、次のステップへの足がかりとしていく。
そんな感じがしてくるのは、私だけでしょうか。

乳幼児の時期の大切さは、そんな目先のことではないことはいうまでもなく
その子の将来に渡るパーソナリティの根幹を築く時期であることは
多くの方がご存知のとおりです。

私がこどもたちを見ている限り、遊んでいる中でたくさんの信号を出してきます。
その信号は、ちゃんと見ていないと、読み取ることはできません。
他の子に迷惑かけてないかな?とか大人しく遊んでいるかなとかの視点では
見えてこないものです。
ましてや、スマホをいじって子どもをたまにチラチラ見ているお母さんでは無理なことです。

こどもたちは、遊びのなかで様々な発見をしていきます。
自分でがちゃがちゃ触りながら、いろんなことを確かめたりして発見の積み重ねをしてます。
そんななかで、あることに自らがチャレンジしていて、それが偶然にしろ上手くいことがあるんですね。
そんな時、こどもはお母さんをみたり、動作が激しくなったりその興奮が見て取れます。

そこをぜひ褒めて上げて欲しいなって思います。

こども自身が褒めて欲しいと思う時に、それを見逃さず褒めてあげる。

私は初対面の子どもと遊ぶときには、この手をよく使います。

悩んでいたら、邪魔しない程度にちょこっとアドバイスしてあげる。

そんなこどもたちともコミュニケーションは本当に楽しい〜です。



先にアップした動画案内記事の続きです。

おすすめの動画ですので、ぜひご覧いただければと思います。



動画の中で、ミカエラは多様性のある文化の中で生きてきた自分を通しながら
単一性の高い日本文化の中で生活しながら体験したことを通しつつ
自分の考えを述べていきます。

日本という国土がたまたま、単一性の高い国民性を育みやすい位置にあったこともあるでしょうが、ミカエラの視点の面白さは、ダーウィン的視点で日本文化を見ているところが面白いんですね。

ガラパゴスという外界から隔絶された島に、独特な生態系を発見したダーウィンのごとく、単一性の高い民族によって育まれてきた文化の面白さを見ている気がします。

天皇制をはじめとして、民間でも古い文化を継承していることは、
ある程度の社会的文化的安定度は必要なことでしょう。

彼女はその点についても動画で述べてますね。

「日本人は観光で来て楽しんでもらえることに関してはとても歓迎しているが
変えられることは望んでいない」みないなことを述べています。

さて…問題は…

動画の中では軽くしか触れられていない部分です。

日本生まれで、日本語しか話せないのに、見た目が外国人の人たちが
自分のアイデンティティを保つことに苦しんでいるという話です。

このことは、形を変えて日本人が生み出してしまう「差別意識」に繋がってきますよね。
ミカエラ自身が体験した、日本文化に触れれれば触れるほど、
自分がカナダ人であることを突きつけられる体験――

これは致し方ないこと――としてミカエラは「好意的」に捉えてくれています。
それによって生まれた「日本文化」を大事に思ってくれているからに他なりません。

しかし現実には自分に帰属性が持てなくて苦しんでいる方がいるのも事実で
日本人として考えていかねばならない問題であることは間違いないことでしょう。

私は児童館で働いていますが、遊びにくる子供たちの中に
外見が黒人の子供たち(女の子)がいます。

残念ながら私の中にも「不思議な感じがする子供たち」という気持ちが湧いてくるんです。おそらく彼女たちは、私の視線の中に「外国人あつかい」を感じ取っていることでしょう。こうした何気ない心の働きが、彼女たちをいつの間にか追い込んでしまっている――。

この違和感はこの動画を見る前にも感じていたことで、
あらためて理解を深めたに過ぎないことです。
やはり、こうした感性は乗り越えていくべきことなのだと…

人それぞれ、自分が帰属感をもつ「ルーツ」があるものです。

結論から言うと、はやりこの壁を乗り越えるには、多様性を受け入れていける
考え方、思想、宗教が必要になってくるのでしょう。

それは上っ面な話であってはならないことで、
言葉では上手いことを言いながら、違和感を感じたら攻撃に転ずるみたいな
「自分は正義」という価値観ではお話になりません。

残念ながら、立派な哲学をお持ちでありながら、
自分の中にある差別性に気づかない方が本当に多い…

人間主義の哲学

人間の本質に迫る哲学、宗教、考え方、人生観。

そうしたものを持って生きている方は、偉ぶらないで他者と共感できる才能をお持ちの方が多いように思われます。

私はまだまだです…

わかっていてもなかなか直せないです。

でもね、ひとつだけわかっていることがあります。

これを乗り越えるには、「対話」なんだって。

違和感は理解しあえることによって、共感に変わっていくはず。

明日は出勤!

あの女の子たちと友達になれるように、話しかけていこうと思っています。


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