横浜日記 2008

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全14ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

「横浜日記」(142) 08年12月31日 梅本浩志

<暗愚の帝王ブッシュ>

 2008年が去るにあたり、希望の21世紀だったはずの新世紀をそれは酷いものにし、全世界の民たちを悲惨な状況に追い込んで、米国大統領として最低の人気のうちに退陣せざるをえなかった米国大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュについて、ごく簡単な感想をメモ書きしておきたい。

 アメリカFRB議長のグリーンスパンも日本の総理大臣・麻生太郎も「いま世界は100年に1度の酷い状況に陥っている」と口にしてやまない。「世界恐慌」という言葉を使うのが怖いためにこうした持って回った言い方をしているのだが、ずばり言って1929年の世界恐慌が再来した、と言っているのである。その最大の責任がブッシュと彼の政権にあったことは誰の目にも明らかである。
 1929年世界大恐慌について描いたレポートやドキュメントは数多いが、その中で『オンリー・イエスタディ』と『アスピリン・エイジ』は抜きん出ている。そんな『アスピリン・エイジ』はオムニバス風に執筆・編集されているが、世界大恐慌直前まで米国大統領を務めていた当時のクーリッジ大統領について描いたアーヴィング・ストーン著『1924年 能なしのカルヴィン・クーリッジ』はとりわけ秀逸である。その冒頭の文章から。
 「カルヴィン・クーリッジの信条は、最も政治をしない政府こそ最善の政府であるというにあった。かくてかれは、アメリカ史上で最も仕事をしない大統領たらんと志し、そして見事にその志を全うしたのである。
 かれは自分の率いた政府に、ほとんど何事もさせず、むりやりにうたた寝をさせていたが、この間に世界は着々として、あの経済不況に突進し、ついに世界はいくつかのブロックに分かれて、あらゆるものごとを反動的に支配しないではやまない政治形態を生みだすにいたった。行政におけるかれのニヒリズムへのあこがれは、自由放任主義(レッセ・フェール)をさえ積極的な干渉主義と思わせる程のものだった。現在、ヨーロッパおよびアジアを風靡しつくそうとしている社会主義革命を招来したことに最も責任ある人物をあげようというならば、クーリッジこそまさにその人物である」(木下秀夫訳)
 そしてそのほぼすぐ後にこう付け加えている、
 「かれは腐敗とは絶対に縁のない人物だった。かれの罪といえば、すべてが無為の罪である。かれは、アメリカの津々浦々にまでゆきわたり信頼されている、ヤンキー的節約主義の生けるシンボルだった。1929年に先立つあの株式市場の大熱狂時代に、連邦準備局をはじめ、ワシントンのほとんどあらゆる経済学者が、大統領にたいして、目の前にせまった経済恐慌を回避するため、金融市場のひきしめを懇請したとき、クーリッジはこれに耳を貸すどころか、逆に、40億ドルにのぼる株式仲買人貸付け(ブローカーズ・ローン)は決して大きすぎるものではなく、『証券市場における自然な取引きの盛況を反映した増加』である、との声明を発表した」(同)
 この引用文で、「クーリッジ」を「ブッシュ」に、「いくつかのブロックに分かれて」を「グローバリズムの名の下に」に、「節約」を「浪費」に、「ブローカーズ・ローン」を「サブプライム・ローン」に、「1929年」を「2008年」に読み替えれば、そのまま現在に通じる文章であると言えるのではなかろうか。

 ただし、それにはかなりの補正が必要であることも言っておかなければなるまい。
 「最も政治をしない政府」とはいえ「軍事は政治の延長」であるという軍事思想の常識から言えば、ブッシュは大変な政治を仕出かした政治家だった。それも取り返しのつかない悪政と失政を軍事の領域でやってのけたのだ。ランボーの言う「田舎の旦那衆」(『パリ市民の戦いの歌』)の三文西部劇の三流役者にすぎなかった。
 とりわけアフガン、イラク両戦争のお粗末さは筆舌に尽くせない大失政だった。はじめての大統領選挙では対立候補のアルバート・ゴアに50万票もの差をつけられながらも弟ジェブ・ブッシュが知事をしていたフロリダでの投開票システムのいかがわしさに救われて大統領に当選できたという引け目を感じていた2001年9月11日に、オサマ・ビン・ラディン率いるアラブゲリラの同時都市ゲリラ攻撃で3000人に満たない人的被害(広島、長崎、東京空襲では瞬時にして10万人以上もの市民が虐殺されたのだが!)を貴貨として、「テロだ、テロだ」とことさらに大袈裟に喚き立ててアメリカ国民を煽り立て、おかげで90パーセントもの支持率を獲得するというパフォーマンス政策を徹底的に追求したブッシュだった。
 「反テロ戦争」などと喚きに喚き、アメリカ国内ではジョン・レノンの歌も放送させないほど人権を抑圧し、他国に対しても「われわれはテロリズムに安全な隠れ場所を提供する国家を追及する」と議会で演説して、同調しない国に対しては「テロ支援国家」のレッテルを張り付けた。ブッシュは三流西部劇そのままにリンチ縛り首の暴走外交に突き進んだ。宣戦布告もなしにまずアフガニスタンに報復戦争を仕掛け、いい気になって、ありもしない大量破壊兵器を保有しているなどとデマをでっち上げて、イラク侵略宗教戦争を仕掛けた。結果は惨澹たるものだった。
 その結果、アメリカの若者たちはイラク戦争だけでも08年12月20日現在で実に4、211人が命を落とした。イラクの民たちはその幾十倍、幾百倍もが無惨に殺戮されたのである。肉体的、精神的な怪我やダメージを受けて苦しめられ続け、人生を台なしにされたものたちの数はいかばかりか。
 直接的な戦費だけでも08年12月12日現在で約8500億ドルと言われ、さらに毎月々100億ドルも投入し続けなければならないというから、08年末では8600億ドル(注・08年12月の為替レート1ドル90円で換算すると77兆4000万円となるが、イラク戦争勃発後5年半を経過しており、この間の平均レートを1ドル115円とすると約99兆円となる)と、とてつもない金額に上るのだ。

 戦争にかかる経費は直接的な戦費の数倍に及ぶことは常識。データは半年前で少し古いが、朝日新聞08年5月19日付紙に掲載されたノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ米国コロンビア大学教授のインタビュー記事によると、次のような恐るべき事実が指摘されている。
 即ち、米国がイラク戦争とアフガニスタン戦争で負担した金額は合計3兆ドル(当時の為替レートで約315兆円、1ドル115円をベースにすると345兆円)に達すると同教授は試算しているという。もちろんこの数字は間接的な費用まで含まれているというのだが、同教授は、この数字には幅があって「低めに見積もれば2・2兆ドル、多めに見積もれば5兆ドル近くに達する」と言い、そうしたことを含めて3兆ドルだとはじき出したというのである。
 戦争が一切の再生産につながらない全く無駄な経済的浪費であることはもちろんで、こうした「ブッシュの戦争」が米国のみならず全世界に計りしれない悪しき結果をもたらしたと指摘し、警告している。即ち、(1)ドル安を招いた、(2)石油価格の上昇をもたらした、(3)金融危機の導火線となり、米国の国家財政を極度に悪化させた、(4)そうした結果として流動性の過剰供給つまり経済社会にカネを溢れさせて、サブプライムローン問題をはじめとする深刻な問題を発生させ、インフレと景気後退を助長し、不況対策を困難ならしめた、(5)こうしたことの総和として国際経済の状況が悪化し、人々の生活水準が低下した。
 新聞記事どおりの用語を必ずしも引用使用していないので、あるいは不正確な紹介かもしれないが、スティグリッツ教授の指摘はざっと以上のようなものだった。そしてこの5月での総括的指摘は以後的中して行き、遂にこの年の秋口以降、アメリカをはじめとする全世界は、世界大恐慌的な深刻な経済状態に追い込まれたのである。
 確かに、例えば石油価格の高騰などは戦争だけが唯一の原因ではなく、ヘッジファンドなど巨大投機資金の暴走などが大いに作用したことは事実ではあったろう。しかしそうした暴走行為をなんら規制せず、意識的、意図的に放置して、クーリッジ流の不作為を徹底してきたブッシュのキリスト教原理主義信仰(なんとブッシュは経済の世界に「神の御手」に委ねれば全てよしとする思想を持ち込んだのである)と、「ネオコン」(ネオコンサヴァティヴ=新保守主義)に凝り固まったチェイニー副大統領をはじめとする仲好しクラブ的取り巻きたちよってリードされたアメリカ帝国主義覇権の思想とが完全一体化して産軍複合化させ、軍事暴走路線を突っ走り、巨大投機資金のやりたい放題を助長し、それがイラク・アフガン戦争の大失敗と連動し、重合しつつ遂に今日の経済恐慌的現実を招来したことは紛れもない歴史的事実なのである。

 このほかにもブッシュは、「京都議定書」から脱退して世界の自然環境悪化に敵対したり、全世界的に民を「勝ち組」と「負け組」に仕分けし、「負け組」を虐げ、人間として生きていく権利さえ奪う政策を取り続けた。大豆やトウモロコシを石油に代わる燃料にする事態を招く政策をとり、発展途上国の民たちを飢餓や餓死に追い込んで苦しめた。「戦争捕虜」や一般市民を拷問する非道さはアメリカの大義を失わさせ、名誉と誇りを失わせた。パレスチナ問題では一方的にイスラエルに肩入れして、08年末にはガザ地区無差別爆撃で384名(12月30日現在)ものパレスチナ人を殺害するなどして、国家テロリズム(これが本来のテロリズムの意味である)をやらせている。とにかく全てにおいて、いや記者会見の席上イラク人記者から投げつけられた2足の靴を避けた運動神経だけは実に見事でその点だけは有能だったが、それ以外の全てにおいてブッシュは実に無能、無策で暗愚だったと断ぜざるをえない。
 哀れを留めるのは、そうしたブッシュ夫妻を前にして、プレスリーの物真似をしてまで媚びをうった、時の日本国首相・小泉純一郎である。まさに醜態で、世界中から物笑いになったことをこの裸の王様は知っているのか知らないのか。
 その小泉の「改革」によって今日、8万5000人もの働き盛りのロストジェネレーションたちが、無惨に首を切られ、住む家を追い出され、寒空と空腹で絶望の淵を彷徨(さまよ)わされているのである。小泉改革がブッシュと同じ、大資本に都合がよく、利益をもたらせる新自由主義、つまり「神の御手」の信仰を基にしていることは明白であり、その路線を後継者を自認する安倍晋三、福田康夫、麻生太郎が踏襲して、今日の社会危機と悲惨を招いていることを再確認しておかなければならない。
 新年1月20日にブッシュは大統領のポストから降り、オバマが新大統領となる。アメリカはじめ、全世界は新大統領オバマに多大な期待を寄せている。しかしブッシュの悪政が残していった負の遺産はあまりにも多く、大きく、はたしてオバマは敬愛するリンカーンのように、自ら信ずる理念と理想を実現できるかどうか。

開く トラックバック(3)

「横浜日記」(141) 08・12・09 梅本浩志

<言語感覚の鈍磨化現象=魔女狩り言葉「社会の敵」>

 歴史は繰り返すという言葉があるが、最近の世相を見ていると、1929年の世界大恐慌に端を発したいわゆる30年代状況が再現されているかのようである。そんな折しも、マスメディアが絶対に使ってはならない「何々の敵」という言葉を、こともあろうに良識を売り物にしている朝日新聞が社説で用いたのだから、なんと言ってよいのやら。

 とにかく最近の権力者や権威的存在の言葉の使い方は、その酷さにおいて、目に余るものがある。特に政治権力者たちの言語に対する感覚の粗雑さは、彼らの思想と人間性の貧困な実相を端的に表すものとして問題であり、彼らの社会や歴史に対する強い影響力からして許容しがたいものだと言わなければならない。
 言葉の重要さは、例えば、キリスト教聖書の冒頭にある言葉「はじめに言葉ありき」、日本の格言「武士に二言なし」、中国の古典の言葉「言を知らざれば、以って人を知ることなし」(「論語」)といった古来からの言い伝えでも明らかである。だから言葉を発する際の戒めの言葉は数多(あまた)あるのだ。
 ところが、世の中がおかしくなるに応じるかのように、とりわけ政治家たちの暴言、失言は酷くなる一方である。麻生現首相の失言、暴言の酷さは週替わりメニューのようだ。自分の社会的常識のなさを棚にあげて「医者には社会的常識の欠落しているものが多い」だの、「自分の健康維持に日頃から努めなくて病気になった人間の治療費を、なぜ多額の税金を払っているオレが出さなければならないのか」などといった、失言の域を越えた無知蒙昧な暴言を口にする。
 そのおかしさを問いつめられると、言葉の選択が誤っていた、とことの重要さや本質的欠陥について認識し、反省することなく、簡単に取り消してしまう。孟子曰(いわ)く、「遁辞(とんじ)は其の窮する所を知る」(言い逃れしている人間に出会うと、その人間が考えに行き詰まっているのだということが分かる、という意味)。

 そんな政治家たちの言葉に対する認識の誤り、おかしさの中でも、呆れてものが言えなかったのが、去る11月11日に井戸敏三・兵庫県知事が和歌山市で開催された近畿ブロック知事会議で発言した暴言である。問題となった当該箇所の発言は以下のとおりのようだ。朝日新聞のインターネット速報版から引用する、
 「まず、東京一極集中をどうやって打破するかという旗を掲げないといけない。物理的には、関東大震災なんかが起これば相当ダメージを受ける。これはチャンスですね。チャンスを生かす、そのための準備をしておかないといけない。機能的には、金融なんです。金融とマスコミが東京一極集中になっている。東京に行った企業をもう一度、関西に戻せというカムバック作戦を展開していく必要がある。(中略)そういう意味では、防災機能を関西から引き受けられるように、あるいは第二首都機能を関西が引き受けられるような準備をしておかなければならない」(「アサヒ・コム」)
 この発言、当初は、テレビを中心としてほとんどのマスコミが、「関東大震災が起こればチャンスだ。そのための準備をしておかなきゃいかん」という箇所だけをセンセーショナルに報じて散々な批判を受け、さらに井戸知事自身も自らの不明について全く自覚がなく、「なぜ問題発言と受け止められるのかわからない、と不満もにじませた」(神戸新聞11月11日付インターネット版)などと口にしての居直りぶりで、ようやく政治的パフォーマンスとしてまずいと気がついたのか、問題部分を取り消したのだが、それが2日後だったこともあり、社会的批判をいっそう強く受けた。
 そして問題箇所だけを取り消したのだが、取消しの部分は「不用意に『チャンス』という言葉を使ったことは不適切であったと反省している。『チャンス』という言葉は取り消させていただきたい」(産経ニュース・インターネット版)だけで、取消しの理由として同知事があげたのは「言葉遣いが適切でなかった」という言葉遣いの過ちの1点だけで、本質的な反省は全くしていないという官僚ならではのものだった。

 そこで私は、井戸知事の当日の発言をできるだけ元通りの形で知る必要があると考えて、朝日新聞のインターネット版で確認したわけだが、やはりこの内務官僚出身男(旧自治省大臣官房審議官、阪神大震災の翌96年に兵庫県副知事、2001年に知事)の当該発言は決定的に誤っていることを確認したのである。
 なによりも想像力がないという官僚独特の思考パターンが鼻につく。関東大震災が再び起きることを期待して、それをチャンスだと考えているこの官僚男は、被災するであろう関東居住民の心裡(こころうち)に全く思いを馳せることがなく、金融とマスコミという情報資本主義の経済的覇権と利権を京浜地域から奪って、関西地域の繁栄を豊臣時代の近世同様に再び謳歌したいと淡い期待に胸を焦がす浅はかさを露呈した。災害被災の苦しみより経済的利益を求める、人間性をどこかへ追いやったエコノミック・アニマルならではの口ぶりである。火事場泥棒の卑しい根性である。
 この男には、逆にいま一度、阪神大震災が起こればよい、そうなれば今度こそ一儲けできるビッグ・チャンスだ、と関西在住者以外の人間が発言すれば、阪神大震災被災者たちがどう思い、感じるのか、などといったことは想像だにできないのだ。
 私は、阪神大震災のほぼ直後に、被災現地をジャーナリストとしてもとにかく目にしておかなければと、早朝、京都から鈍行電車で神戸の行き止まりの駅まで出かけ、街全体が押しつぶされた東灘界隈を歩き回ったが、その東灘の終点駅まで乗った電車には、若者たちを中心に、多くのボランチアが背中や両手に救援物資をいっぱい持って、黙々と乗っていた姿が未だに忘れられないことをこの知事に言っておきたい。
 井戸という官僚知事には、そうした名もなき民たちが、被災地に駆け付けた姿を目にしていないのであろうか。もし目にしていたなら、関東大震災の再発を期待し、チャンスだと考える発想など生まれ出るはずがない。この大震災被災県の知事がそんな発言をして、それも経済権益獲得のためだというのだから、なにをか言わんや。

 さてそんな非常識な発言をさえはるかに越えた犯罪的な言葉を、ほかならぬ朝日新聞が社説で書いたのだから、どう論難してよいのやら。同紙08年11月20日付紙社説で「社会の敵」という、いかなる人間も口にし、書いてはならない言葉を、こともあろうに代表的ジャーナリズムを自認する全国紙が見出しで使ったのである。
 厚生労働省の元事務次官夫婦を連続襲撃し、殺傷した事件を取り上げての社説で、「元次官襲撃 社会の敵を許さない」と大見出しをつけて朝日新聞としての主張を展開したのである。
 この社説には、「問答無用の暴力は、これ以上ない卑劣な犯罪であり、私たちの社会に対する重大な挑戦だ」とか、「行政や官僚のトップを暴力でねじ伏せようとする行為は、民主主義を脅かすものだ」などといった言葉を書き連ねた上で、「社会を守るために総力をあげたい」という言葉で締めくくっているが、本文には「社会の敵」という言葉はさすがに使っていない。しかし、見出しの言葉は、本文の言葉と内容に匹敵する、いやそれ以上の効果を持つことは、ジャーナリズムに関わるものの中では常識である。そんないわばキーワードを朝日新聞は社説で用いた。許せない編集であり、同社は謙虚に自己批判して、この言葉「社会の敵」を取り消すべきである。

 歴史を繙(ひもと)けば、とりわけ20世紀の全体主義の歴史を振り返るならば、「何々の敵」という言葉がいかに危険で、非道な働きを演じ、果たしたのか、その言葉が、全体主義的な権力や集団が、特定の人間や思想の持ち主たちを、やがては一般市民を、あるいは特定の民族を抹殺する武器となったかがよく分かるはずである。
 「民族の敵」、「国家の敵」、「革命の敵」、「社会の敵」、「民衆の敵」等々といった言葉で投獄され、殺傷され、市民権を奪われ、悪罵を投げ付けられつついかに多くの良心的な存在が、社会から追い立てられ、投獄され、拷問を受け、抹殺されていったか。言葉は違っても、「国賊」、「売国奴」、「アカ」、「悪魔」、「魔女」といった言葉も同類だし、「贅沢(ぜいたく)は敵だ」などという言葉で間接的に全体主義の社会統制を助長したフレーズも同じ類である。
 ナチスがユダヤ人や思想的反対者を強制絶滅収容所に送って大量殺害したのは「ゲルマン民族の敵」というスローガンだったし、スターリンが反スターリン派のボルシェヴィキ活動家たちを追放して抹殺したのは「革命の敵」あるいは「祖国の敵」という言葉だったし、中国での文化大革命で多数の知識人たちを暴力的に社会から排除したのは「毛沢東思想の敵」あるいは「革命の敵」という経文言葉だったし、日本の大政翼賛会的なミリタリズム権力や愛国主義集団が扇動し、唆(そそのか)して、大衆に自発的に「敵」を抹殺させ、排除したのは「国賊」の烙印押しだった。
 「何々の敵」という言葉は、常に全体主義的な運動体や権力が、社会の全体主義化と自分たちの政治的目的遂行に邪魔になる個人的存在(民)をターゲットと定めて、物理的に排除し、その存在を抹殺し、自分たちの思うがままに操れる国家体制を確立するときの常套手段として発信される。発信されてしまえば、民たち個人はもうどうすることもできなくなる。異議申立も抵抗もすることができずに、沈黙を強いられるだけだ。20世紀の歴史が残した教訓の最大のものはこうした圧殺の悲劇である。

 折しも今日の世界は大きな経済的危機に直面しており、資本主義の矛盾が重く、刺々しく民を苦しめている。こうしたときに突然変異的に発生するのが全体主義である。なにかにすがりついてでも生き残り、安心したいと希(こいねが)っている弱い立場の疲れた民たち。たとえ全体主義的な扇動者たちの考えや思いが間違っていると感じても、自己の物理的生命を維持するためには、しっかりと考えて、身を処すという心の余裕はない。とにかく誰でも、いかなる組織でも、頼れることができる優越的な力が存在してくれれば、それでよい、という心理状態に追い込まれてしまう。
 その結果が、結局は自己を奴隷化し、滅ぼすことになろうとも、そこまで考えを巡らす余裕はない。こうして全体主義が民の心を捕らえてしまう。第一次世界大戦から世界大恐慌を経て第二次大戦に至った時代がそうだった。ナチスは巧みに社会主義を標榜し、労働者の味方であると宣伝に務めた。その結果、ドイツ人社会と国家を救済する頼りがいのある強力な存在として民心を鷲掴みにした。ナチスはメーデーを祝ってやり、ドイツ経済を再建し、失業をなくしたことを忘れてはならない。
 そんなナチスが叫んだささやきの言葉と悪魔的に実行した行動は、ゲルマン民族の敵を許すな、戦って民族の敵を、国家社会主義の敵を亡ぼせ、というスローガンだった。結果は、民たちが自由を奪われ、奴隷化され、社会から抹殺されたのである。

「横浜日記」(140) 08年11月27日 梅本浩志

<異議申立も抵抗もなく=30年代より深刻な、今日の社会的危機>

 最近の大不況について、アメリカのグリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)前議長たちは「ここ100年来の大不況」という言葉を使っている。さすが「世界恐慌」という言葉は使えないと見えての言い方ではあるが、「100年来」と言えば、1929年世界大恐慌以来の破綻的な経済危機を指しているぐらいのことは誰にでも分かる。
 経済状況がそのようであれば、社会状況もまた「100年来」の相似現象が生じているのではないか、と思ってみるのが、人間の自然と言うべきだろう。だから厚生省元事務次官とその家族が連続的に殺害される事件が起きると、マスコミや学者たちは、1930年代前半に連続して発生した右翼や軍部による政治テロを連想して、あるいはパターン化して、テロだ、テロだと大騒ぎすることとなったのである。

 最近の世相を見ていると、実に30年代的な状況を再現しているかのようである。経済はというと、ご存知、アメリカ発の金融秩序の大混乱がいまや世界の実体経済を蚕食していてどうにもならない。巨大銀行・証券会社はいうに及ばず、自動車業界は青息吐息で、特に米国のビッグスリーは、事実上の倒産状態である。他の業種も似たり寄ったりの状態で、日本も経済成長率はマイナスに転じた。その一方での物価高。
 こうした資本主義経済の矛盾のツケを回されているのが労働者たちと社会的弱者の群れである。資本主義体制の下では、労働者は労働力商品でしかなく、生産販売コストの1つでしかない。だから世の中が不況になってくると、最も安易なコスト削減の手段として経営者がまず最初に選択するのが、労働力コストの削減である。
 賃金(ボーナスや退職金も含む)の引き下げや人員削減つまり首切りをドライにやる。原燃料の使用量を減らすのと全く変わらない経営感覚で労働者の賃金を切り下げ、首を切る。労働者や専門技術者も人間として扱われず、原燃料や機械設備と同次元の単なる数字で表現され、記号でしかなく、機械的に処理されていくだけだ。パソコンで名前が無情、非情に消し去られ、数字が置き換えられるだけである。
 30年代がそうだった。パソコンさえなかったが、今と似たり寄ったりの非道な仕打ちを労働者たちが受けたことは、チャップリンの『街の灯』や『モダンタイムス』あるいはエリア・カザンの『怒りの葡萄』といった映画作品を見れば瞭然である。
 その一方での富めるものたちのますますの富裕化。確たる信用すべき資料を基にしていないので、確かなことは言えないが、インターネット情報によれば、今日の日本において、富裕層は過去15年間で2倍に急増し、資産1億円以上の層は147万人で、日本の金融資産保有者の上位2パーセントが、日本の総金融資産の20パーセントを占るに至っているのだという。もう江分利満氏の社会ではなくなったのである。

 さてそんな30年代はというと、2008年の今日的状況を念頭に入れて、対比しつつ、日本国内の当時の世相を年表で見てみるだけで、めぼしい事件や目立った世相を拾い出すと、同年代初頭だけでも、こんな出来事あるいは現象が起きている。
 30年9月に米価が暴落、11月に浜口首相が東京駅で狙撃されて重傷(翌31年8月死亡)。31年には年明け早々に中学校令施行規則を改正し、公民科と柔剣道を必修化。2月には幣原喜重郎首相代理がロンドン条約批准問題で「失言」して、国会が1週間、審議を停止して空転。右翼団体が結束して全日本愛国者協同闘争協議会を結成。形骸化していた議会政治の混迷に乗じて右翼の活動が活発になってきている。
 そして3月には大川周明らの軍部クーデタ計画が発覚、4月には重要産業統制法を公布して産業のカルテル化を推進して経済の集中化と軍事化が加速化している。8月には南陸相が軍司令官や師団長に満蒙問題の積極的解決を訓示して問題化、9月に入って関東軍によって「満州事変」を引き起こされ、10月に橋本欣五郎中佐らの軍部内閣樹立クーデタ計画が発覚した。
 32年には、年明け間もなく相撲協会が分裂騒動を起こし、2月に井上準之助前蔵相が血盟団に射殺され、日本の関東軍の中国侵略が加速化し、3月に満州国建国を宣言。その直後に団琢磨が血盟団に射殺された。そして5月に陸海軍将校らによって犬養首相が射殺され(「5・15事件」)、といった具合に日本は一路戦争に向かう。
 日本の民たちの生活は悪化のテンポを早め、失業は増大した。農村もまた貧窮の度合いを深めていき、豊作に伴う米価の下落と大凶作による農村の貧窮化・食糧飢饉を織りまぜていきつつ、東北地方の娘たちの身売りが顕在化。農民たちの生活は追い詰められ、労働者の6人に1人が失業となって、こうして日本社会は貧富の格差が拡大していったのである。

 こうして30年代と今日と、世相はよく似てきているのだが、大きく違う点はがある。決定的な違いが存在するのだ。30年代が労働争議が多発し、激烈化していき、資本主義体制そのものに根底的な疑問を抱き、突き付け、異議申立を行う左翼思想が浸潤し、活発な運動となっていったのだが、2008年の今日においてはそうした思想運動はもとより労働者たちの抵抗的な闘争や運動が皆目見当たらないのである。
 いま1度、30年代初頭の資本主義体制に対する異議申立の運動あるいは大きな労働争議を年表から拾い出してみよう。
 30年4月に鐘紡淀川工場で給料の4割削減反対のストライキが起こり、各工場に波及、拡大していった。5月にはメーデーの日に川崎での総同盟神奈川県連合会主催の会場において、日本労働組合全国協議会(全協)の指導の下で武装蜂起を呼び掛ける「武装デモ」事件が起こっている。その20日後に共産党シンパ事件が起こり、中野重治や三木清が検挙されている。6月に入ると全協刷新同盟が結成されて、組織分裂が進行する。そうした共産党系の全協が分裂抗争を激化させていった一方で、7月に入ると、日本大衆党、全国民衆党、無産政党、戦線統一協議会が合同して全国大衆党が結成された。9月には東洋モスリン亀戸工場で争議が発生、11月に日本教育労働組合が非合法に結成された。民たちにエネルギーが満ちていた。
 31年に入ると、年明け早々に日本農民総同盟と全日農組合同盟が合同して日本農民組合を結成。7月には社民、労農、全国大衆3党が合同して全国労農大衆党を結成するも、たちまちにして再分裂状態となり、全農左派が全農全国会議派を結成。9月に入って日本プロレタリア文化連盟(コップ)が結成された。
 32年4月に全協の指導の下に東京地下鉄のストライキが始まる。同じ月に東京日活系の活弁士たちが反トーキーを叫んでストライキ。7月に社会民衆党と全国労農大衆党が合同して社会大衆党を結成。10月には戸坂潤たちが唯物論研究会を設立した。同月末に熱海で開催された共産党大会ではあったが一斉検挙の弾圧。やがて33年2月20日の小林多喜二虐殺に至るのである。
 善かれ悪しかれは別として、活弁士たちをも含めて、ストライキを行うといった資本主義体制への異議申立を国家権力弾圧をもものともせずにやってのけたという、ざっとこのような熱い時代ではあった。

 このため30年代においては、国家権力は内務省に失業防止委員会を設置する一方で、特高警察を拡充し、治安維持法体制を強化して、猛烈な思想弾圧を行わざるをえなくなった。
 ところが今日の日本社会では、せいぜい「負け組」にされた若手労働者たちが小林多喜二の『蟹工船』を読むぐらいで、労働者たちの運動も争議も全くといってよいほど存在せず、資本主義体制に対する異議申立の思想も運動もまるで存在しない。
 せいぜい東京・品川の老舗ホテルが資本の横暴によって潰されたことに抗議して、ホテルの従業員たちが、ユニークな労組として頑張っている東京ユニオンに助けを求めて、組合を作り、精一杯の抗議と怒りをぶつけて、ストライキ闘争に入り、自主管理ならぬ「自主営業」闘争を、ほぼ孤立無援の状況下で闘っている程度である。労働者の味方であるはずの連合など、見向きもせず、政府や財界に口先だけのパフォーマンスで、お慈悲をお願いするのが精一杯で、労働者の最強にして最後の武器たるストライキなど考えてもみないといった、風情である。デモ1つやろうとさえしない。
 現代日本の世相を振り返ると、最近の事象だけでも、企業倒産、失業、就職難から始まって、君が代・日の丸強制といった良心の自由も許されない全体主義的締め付け、闇カルテルや産地偽装問題などに見られる経済界のモラルの低下、至る所で浸潤している官僚主義、自殺者の増加、残虐な事件や自暴自棄的な自己破滅型犯罪の多発、政治家たちの能力低下や資質の欠如そして政局の混迷、海上、航空両軍隊(自衛隊)のモラル・ハザードや思い上がった幹部たちの独走つまりシビリアン・コントロールの逸脱といった統治支配体制機構と人間社会の崩壊現象が目に余る。

 そうした30年代とよく似た状況に置かれているために、マスコミや学者たちは短絡的発想で今日の世相を30年代と重ね合わせて「そっくりだ」などと得意然とし、そのためとりわけ政治的動機からの犯罪性が薄い厚生省事務次官夫婦連続殺傷事件についても、よく咀嚼もせずに「テロだ」「テロだ」と叫ぶ醜態ぶりである。
 もっともこうした30年代社会状況との表面的な相似性がゆえに、個人的な動機から出た単なる非政治的な事件でも、それが主観的にはどうであれ、客観的には重大な政治社会的な事件として一人歩きするのであり、「テロ事件」だとされてしまうのである。30数年前のペット殺害の怨念を動機にした事件も、客観的にはこうして立派な政治社会的な1人1殺の大テロ事件となってしまうのである。
 こうして確かに今日の社会状況は表面的には30年代に相似しているのだが、資本主義体制に異議申立を行う労働争議はもちろんのこと、資本主義とその体制に対する根底的な疑念を抱き、突き付ける思想的営為や運動は、少なくとも今日の日本においては全く存在していないという点で、完全に違うのである。
 それはまた日本人のとりわけ日本の民たちの間に、もう社会的矛盾や非条理に対して異議申立をしたり、抑圧や悪政に抵抗するエネルギーが奪い去られてしまっているという点において、状況は30年代よりも悪化していると言えるのではなかろうか。
 30年代には、例えば鈴木安蔵たちが非道な圧制に抵抗しつつ、資本主義社会の矛盾について勉強し、異議申立を行い、抵抗し続けた。その暗い時代を闘い抜いたエネルギーで、敗戦と同時に、新しい日本はどうあるべきか、民たちの幸せをどう守るべきか、自らの苦しかった体験をバネとして、活かして新しい憲法を作った。悪しき体制への抵抗が生きていたからこその、希望の誕生だった。だが今日、30年代とは違ってそうした体験もエネルギーも存在しない。状況はまさに危機的である。30年代恐慌は新憲法を生み出した。2008年大不況は何を生み出すのであろうか。

「横浜日記」(139)その5 08・11・3 梅本浩志

<なぜゲバラは、ボリビアを主戦場に選んだのか>

 さて、では、たとえゲバラが米国の権力機関とナチスのとりわけクラウス・バルビーとの癒着したとまで言える密接な関係について、全く知らなかったし、知らないで、標高約600メートルから2280メートルのボリビア山中を動き回りながら神出鬼没のゲリラ戦を開始し、遂に殺されたのかというと、必ずしもそうとは言えないと思うのだ。
 というのも、ゲリラ戦で最も重要なことは、民衆の支持、不死身で強力な精神力を持つ戦う主体の存在、地政学的な有利さ、政治経済社会情勢の的確な分析と戦略の確立、状況に応じて変幻自在に行動する柔軟で機動的な戦術といった諸条件に加えて、正確な情報を常に入手できて自在に対応できる能力を有していることを挙げることができるからだ。ゲバラはそうしたゲリラ戦の条件を熟知していた革命家である。

    ゲバラは本当に知らなかったのか

 ではゲバラはそうした情報入手能力に弱かったのであろうか。まずバルビーたちナチスから弾圧の仕方を伝授され、取り入れて、ベトナムや中南米諸国における反体制勢力に対する非道な弾圧の手段として活かしていた米国権力機関の実体について、そしてそういうナチス的手法でゲバラやアジェンデを葬り去ろうとしてきている米国の軍や情報機関、そして傀儡政権軍の実態について、ゲバラは全く知らないで、ボリビアに主戦場を求めたのであろうか。
 どうしてもそうは思えない。ゲバラはキューバ革命政権でカストロと並ぶ指導者であり、重要閣僚のポストにもあり、世界のあらゆる重要な情報を入手できるポストにあって、当然バルビーやボルマンあるいはアイヒマンたち中南米で活動していたナチ戦犯たちの動きも知っていたことは確実だと思えるのである。
 アイヒマンの場合、ゲバラがボリビアで戦いを開始したほぼ6年以上も前の1960年にイスラエル秘密警察の手によってアルゼンチンで逮捕、拉致されて、裁判にかけられ、アウシュヴィッツ強制絶滅収容所のガス室の前で絞首刑に処されたニュースは当時全世界に大きく流されていたのに、ゲバラが知らなかったということはありえないことだ。
 またペルー、チリ、アルゼンチンなどにおける反体制活動家への残虐な弾圧の実例についても十分知らされていたはずだ。だからゲバラも米国の軍や情報機関の指南し傀儡政権に行わせている残虐な行為についても指摘している。しかしどうしてかそうした残虐行為がナチスから直伝されたものであることについてゲバラは、私が目を通した文献には全く書いていない。
 たとえそうした情報を全く知らなかったとしても、ボリビアでの山岳ゲリラ戦の過程で、今回、ケヴィン・マクドナルドが『敵こそ、我が友』で描いた情報をゲバラが知らされていたし、知らないではすまされなかったことは確かであろう。
 つまり1951年にバルビーがボリビアに脱出して米国の軍と情報機関に手厚く保護されていたこと、1960年にはアイヒマンがアルゼンチンで逮捕されてアウシュヴィッツ強制絶滅収容所で処刑されたこと、またこの映画で記録されているように、バルビーが実名を明かしはしなかったものの、ドイツ人「クラウス・アルトマン」の名前によって、「第四帝国」をボリビアに創建するためにかなり派手に活動していたこと、そうしたことをゲバラが全く知らなかったとは考えられないのである。敵の実体を知らないで戦うゲリラ戦など存在しないのだから。

    ゲバラに用いた「夜と霧」の暗殺

 実際、ゲバラ掃討作戦にはバルビーが策を授け、フランスのマキ(注)を壊滅させる作戦を実行した手法を応用した作戦で、遂にゲバラを負傷させ、動けなくなったゲバラを捕らえて監禁し、数日後にその場で暗殺しているのだが、そのやり口はかつてヒトラーがナチ運動当初からの最大の同志の1人だったが政敵となったと判断したナチ幹部のレームを暗夜急襲して捕らえて暗殺させた手口と同様であって、裁判にかけることもなく、とにかく物理的に最大の敵を極秘裡に抹殺し去ったナチス親衛隊の「夜と霧」作戦をゲバラに適用したことは、歴史的事実である。

 (注)第二次大戦中に山岳を主たる舞台に対独レジスタンス戦を戦ったゲリラ部隊。バルビーはそのレフランス・レジスタンス弾圧の総指揮をとっていたナチ親衛隊幹部だった。

 ゲバラに対してボリビア政府が当初、捕らえて裁判にかけて、その上で処刑する方針だったことはまず間違いないところだ。というのもゲバラが書いていた『ボリビアでのチェの日記』(注・チェはゲバラのこと)の中に、「全国に非常事態を宣言して」(76年7月19日)、「オンガニア(アルゼンチン大統領)は国境を閉鎖し、ペルーは警戒態勢をとっている」(7月末月間分析)といった態勢をアルゼンチンやペルーの政府が整えておいて、「生きていようと死んでいようとゲバラを捕らえるのに役立つ材料を提供してくれれば、5万ドル(4200米ドル=当時の日本円にして151万2000円)の賞金を出すと(夜のラジオ・ニュースでは)言っている」(9月11日)とゲバラの身柄確保を第一として、逮捕したゲバラを首都などに送らせて、その上で裁判にかけるなどして政治的に最も効果的な処理を行おうとしていたことはまず間違いないところからでも推測できる。
 さらに、いよいよゲリラ隊を追い詰めたと確信したボリビア軍は「このあたりにいることは確実視」(9月30日)していることをラジオが放送していて、そのことを知ったゲバラたちは、その時点でも「わたし(ゲバラ)が第4師団に捕らえられたらカミリで、第8師団に捕らえられたらサンタ・クルスで裁判に付されるという(ラジオ・ニュースでの)解説もついていた」(10月4日)ということも知るところとなり、ゲバラは殺さずに生きたまま裁判にかけるのが、当時のボリビアの政府と軍の方針だったことはほぼ間違いないところだからだ。
 ところが実際には、ゲバラは重傷を負って逃げられないにもかかわらず、捕らえられたその場で、裁判にかけられることなく、殺害されてしまったという暗殺の事実が存在するのである。つまり、ボリビアの政府と軍とは、ゲバラを捕縛の現場では殺害などせずに裁判にかけることを既定の方針としていたにもかかわらず、ボリビア政府を超越的に支配していた存在、つまり米国の軍や中央情報機関といったなんらかの外力や強制的指導によって、当初の方針を急きょ変更して、ナチが「夜と霧」作戦で用いた不可視な場所と時間帯において、逮捕即暗殺という抹殺の手をゲバラに対して用いたことはまず間違いないところだ。明らかにナチ親衛隊幹部だったバルビーから伝授された手をゲバラに対して用いたことは間違いない。
 ゲバラのゲリラ部隊が戦闘で敵を捕虜にしたときには、「われわれはELN(民族解放軍)の規範に従い、われわれの乏しい医療手段によって負傷者を治療し、前もってわれわれの革命闘争の目的を説明してから、すべての捕虜を釈放した」(「67年4月10日付『ボリビア民族解放軍声明第2号・ボリビアの人民へ』)といった人道的な捕虜解放の処置をとり、そのことをボリビアの政府と軍はよく知っていたにもかわからず、負傷したゲバラに対してボリビア軍は「夜と霧」作戦で、ゲバラを暗殺したのだ。
 ゲバラが、米国の軍と情報機関がバルビーたちから、ゲリラ戦対策としてナチス親衛隊の手法を取り入れていたことを知っていたことを裏付ける記述は、私が目にした文献の中には見出せなかったが、しかしボリビアの傀儡政権の裏に北米帝国主義があり、直接的な介入を計りつつあることを知っていたことは、例えば次の日記の記述からも明らかだ、「北アメリカ人たちがここへ強く介入してくることは確かなように思われる。もうヘリコプターを派遣しており、まだここでは見かけないが、グリーン・ベレー(筆者梅本注・米軍の特殊部隊。ゲリラ対策として各国に送り込まれ、現地軍を指導したり、実戦にも参加している)も送り込んでいるらしい。政府軍(少なくとも1ないし2個大隊)は、装備を改善した。タペリリャスではわれわれに奇襲をかけたし、宿屋では士気を落とさなかった」(1976年4月末日の「月間総括」)

    米頭ナチ肉との戦い

 このことを逆にいえば、ゲバラは、米国の軍と情報機関に寄生し、保護されつつ、生き永らえ、再興を着々と進めてきたナチと真っ向から戦いを挑んだし挑んでいたということになる。ゲバラが知っていたかいないか、あるいは意識していたかいないかは別として、米軍の形、姿をしたナチスに対してゲバラは戦いを挑んでいたことになるのだ。羊頭狗肉ならぬ、「米頭ナチ肉」の真正ナチスと真っ向から戦っていたことになるのである。その主戦場を「ナチ第四帝国」建設予定地のボリビアに求めたということができるのではなかろうか。そしてまさにそのことを、映画作家ケヴィン・マクドナルドは指摘したかったのではなかろうか。
 暗殺され、テーブルの上に横たえられ、目を閉じてもらうことも許されずに、ひたすらに天を凝視する死せるゲバラを、そしてそのゲバラの遺体の周囲を、まるで聖跡の周りを歩き回る信者たちのように、周回する傀儡ボリビア軍や米国の軍事顧問団兵士たちを丹念に撮影した記録フィルムの映像。このフィルムは、米国情報機関が、その戦果を記録するために特別に派遣された腕利きのカメラマンによって撮影されたことは、その鮮明な映像とカメラ・アイそして必要にして十分な構図と画面構成によって容易に推察される。
 撮影に不馴れな素人ではここまで確かな腕で撮影することはほとんど不可能で、プロのカメラマンの手で、田舎の明るくもない屋内であるにもかかわらず、光量も十分で照明も明るく、手ぶれすることなく、しっかりとカメラを据え付けて撮影されたことは疑いえない。
 こうした記録保全のやり口は、アウシュヴィッツなど絶滅強制収容所にいまなお残されている膨大な記録、つまり被虐殺者たちの毛髪、鞄、眼鏡、靴、殺害されたものたちの皮膚で作った電気スタンド、使用済みのチクロンガスの空き缶の山、生体実験サンプル、処刑者たちの顔写真等々と同じである。ゲバラ逮捕の至急連絡を受けたボリビア傀儡政権が直ちに米国の情報機関に連絡し、米国の軍情報部が選り抜きのカメラマンをヘリコプターで急送して、撮影させたものと、私には思えた。 (了)

「横浜日記」(139)その4 08・11・3 梅本浩志

<なぜゲバラは、ボリビアを主戦場に選んだのか>


 そう考えたゲバラはアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ三大陸こそ北米帝国主義からの解放闘争の舞台になると考えて、「第2、第3のベトナム(戦争)を」と叫び、当初は「ペルーでの戦闘再開は、ボリビアから撃って出るよりほかになかった」のが、「にわかに彼(ゲバラ)の政治軍事両面での仕掛けの中軸へと変貌した」のである。
 そんな「ゲバラにとって緊急の目標は権力奪取ではなく、自立的で機動性に富んだ軍事力という、みずからの行動手段に具体化された人民権力をあらかじめ構築することであった。彼の構想にあっては、ボリビアでの権力奪取は時間的にも重要度においても二義的であり、これに対して人民権力こそがまず第一だったのだ」(以上安倍住雄訳、『ゲバラ最後の闘い』、原題『チェの戦い』)。

    北米帝国主義の野蛮を告発

 こうしてボリビアを主戦場に選んだゲバラは、その新しい戦いの場で活動を開始するほぼ直前と言える1965年4月1日にカストロへの「別れの手紙」を書いて旅立っていったのだが、その直後の65年4月16日に、ハバナで開催された「三大陸人民連帯機構会議」にメッセージを寄せて、ボリビア・ゲリラ戦争に臨む基本的な考えを表明した。
 そのメッセージには、当然のことながら、北米帝国主義に対する戦いの必要性と分析を行い、中南米傀儡政権を含む帝国主義支配権力の非道な残虐性を幾度か指摘して、「われわれのすべての行動は、帝国主義に対する戦いの雄叫びであり、人類の大敵北アメリカ合衆国に対する各国人民の団結の叫びである」と訴えて、「誰かが進み出て、機関銃の連続音や戦争と勝利の新たな叫び声で葬送歌に唱和してくれるなら、それでよいのだ」との自らの死を予感しての、覚悟を秘めた言葉でメッセージを閉じている。
 さてそのメッセージの中で、ゲバラは北アメリカ帝国主義の野蛮な弾圧を指摘し、告発している。その幾つかを以下に書き並べておこう。
 「ベトナム人民の孤独を分析するとき、われわれは人類のこの不合理な時代の苦悩にさいなまれる。北アメリカ帝国主義は侵略の罪を犯している。その犯罪は、はなはだ重く、全世界を股にかけたものである」
 「アメリカ(筆写注・中南米を指していて、北米は含まれない)は、大体において同質の国のグループで構成されており、この大陸のほとんど全域では北アメリカ独占資本が絶対的な支配権を保持している。傀儡政権やいちばんましな場合でも、弱体で臆病な政府は、ヤンキーの主人の命令に逆らうことができない。北アメリカ人は、政治的、経済的支配では、ほとんど行き着くところまで来ており、もうこれ以上前進できないだろう。この状態からの変化は、支配権の後退となるだろう。その政策は、かち取ったものを維持するということである。現在の行動の方針は、どんなタイプの解放運動をも残忍な力の行使で阻止するのに限られている」
 「既存秩序の変革によって自己の利益が脅かされそうな場合、ヤンキー軍隊がアメリカ(注・中南米諸国)のどんな所へでも介入する用意がある」
 「アメリカ(注・同)の各国の軍隊は、自国民を粉砕する準備を整えている。犯罪と反逆の国際組織が事実上組織されている」
 「ヤンキーの抑圧の手先どもも増えていくであろう。現在、武装闘争が続いているすべての国に軍事顧問(筆者梅本注・米軍軍事顧問団メンバーで実質的な米国軍の将校や兵士)がいる」
 「小さな武装隊の制圧ぐらいには役立っていた旧式兵器が少しずつ近代装備に、また北アメリカの軍事顧問団が北アメリカの兵士になっていくだろう。そして一定の時期には、ゲリラの攻撃にあって崩壊を続けるその国の傀儡軍隊に代わって、その政府の相対的安定を確保するため、大量の正規軍を派遣することを余儀なくされる。これがベトナムのたどった道である。各国の人民がたどるべき道である。アメリカがたどるべき道である」
 「相手をみくびってはいけない。北アメリカの兵士は、技術的能力に優れ、驚くほど威力のある多量の武器で装備されている」
 「この戦闘は長期かつ残酷なものとなるだろう」
 「われわれの使命は、まず生き残ることである。その後、ゲリラの不断の模範にならって、ベトナムのような意味での武装宣伝、つまり敵に対して、勝っても負けてもとにかく戦っているという弾丸による宣伝を遂行することとなろう。ゲリラの無敵さという偉大な教訓は、収奪された大衆の中に定着するであろう。民族意識の高揚、より困難な任務、より激しい弾圧に抵抗する準備、これが教訓である。闘争の一要素としての憎しみ、敵に対する仮借ない憎しみ、それはわれわれに、人間の通常の限界を越えさせ、われわれを事実上、激しい、より抜きの、非情な殺人機械に変えてしまう。われわれの兵士はこうならなければならない。憎しみを持てない人民は、残酷な敵に打ち勝つことができないのだ」(以上『ゲバラ選集』、訳者名不祥)

    自らの死をも予見した抜群の先見性

 ゲバラのこのメッセージが、非常に優れた分析と透視眼を持っていることは、例えば次の言葉からもうかがわれる。
 まず今日激化していて、アメリカ・ブッシュ政権を追い詰め、国力の疲弊と反戦気分を高めている中東でのゲリラ戦争をかなり正確に見通していることである。こう予測しているのだ、
 「中東は、地理的にはアジア大陸の一部であるが、固有の矛盾をかかえており、さかんに沸き立っている。帝国主義者に後押しされたイスラエルとこの地域の進歩的な諸国との間の冷戦が、どこまでいきつくか予言することは不可能である。これまた世界の噴火寸前の火山の一つである」(同)
 「第2、第3のベトナムを!」と叫んで開始し、展開する全世界的な反帝国主義武装闘争がアメリカ合衆国内でのベトナム反戦運動を誘発し、それの高揚によって、ベトナム独立革命が勝利し、中南米諸国の反アメリカ帝国主義闘争の展望が切り拓いていけ、今日われわれが知っている中南米諸国における左翼運動の優勢と反米国ムードの高まりも、次のゲバラのメッセージに読み取ることができるだろう、
 「そこで、帝国主義軍の兵士たちは、ご自慢の北アメリカの生活水準に慣れた身にとっては我慢のできぬ不便、どこへ移っても敵地にいることを意識させられる不安感、防備陣地から一歩外に出れば見舞う死の危険、全住民の不断の敵意に直面しているのである。こういう状況が合衆国で国内的な反響を呼びおこし、帝国主義の全面的な繁栄によって弱められていた一要因、すなわち国内での階級闘争を引き起こすことになる」(同)
 このゲバラの洞察がいかに的を射ていたかは、それから間もなく高揚していったアメリカ国内のベトナム反戦運動、公民権運動、カリフォルニア性革命、「いちご白書」革命のうねりのような大きな運動やアメリカ人の意識の変化に現れていたし、それはさらに、ゲバラが殺害された翌年の1968年に大潮のうねりのように全世界に押し寄せた若者たちの総叛乱、即ちベトナム反戦を軸としつつ展開したフランス五月革命、チェコ「プラハの春」運動、ユーゴスラヴィア第二革命(自主管理革命)、日本全共闘運動等々として爆発、開花したことでも明かである。
 そしてそうした全世界の、運動の、闘争の、現場には、至る所で、抑圧からの解放と自由の象徴として、自分たち民こそが社会の主人公であると声高らかに主張して、あの鬚面の、バスクベレーを被ったゲバラの肖像画が高く掲げられるのであった。
 ここまでゲバラは見事に分析して、先を見通していたのである。だから人民権力の樹立を目的としながらも、必ずしも武装ゲリラ戦争いっぺんどうの、頑な方針と戦略を押しつけていたわけではなく、「生き残ること」の大切さを説き、次ぎのような平和的な闘争の可能性も説いていたのである、
 「無用な犠牲をいっさい避けるのはまったく正しい。したがって従属したアメリカ(注・中南米諸国)が平和的手段で自らを解放することの現実的可能性を慎重に研究することは必要である。われわれにとって、この問題の回答は明白だ。現在は闘争を開始するのに適当な時期であるかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、戦わずして自由が獲得できるという幻想を抱くことはできないし、そうする権利もない」(同)
 こうしてゲバラはボリビアに向かい、27名のゲリラを率いて、持病の喘息に苦しみながら山岳ゲリラ戦を開始するのであるが、その戦いで自らの生命を落とすことを予感していたことは、両親あてに書いた手紙の中で「死の公算は大きいと思います。そういう事態になったら、最後の抱擁をおくります」と書いていることでも明らかである。 

    ゲバラ最大の謎

 世界情勢を的確に分析して、かなり先まで見通し、死にいくであろう自分の運命まで予感、予測して、戦友フィデル・カストロと両親に別れの手紙を書いたほどのゲバラが、どうしたことか、米国の軍や情報機関とナチスとの関係について、そしてそのナチスから手ほどきを受けていた米国陸軍と中央情報機関が中南米諸国の反米・反体制勢力に対する弾圧の手法とノウハウを伝授し、非道な弾圧をやらせていた傀儡諸政権との情報伝達や手口の実技訓練の関係について全く知らなかったとはとうてい思えないのだが、しかし私がこれまでに目を通した文献においては、ゲバラはこのことについて全く言及していない。
 もちろん私は、ゲバラ関係の文献をあまり読んでいないから、ゲバラがなにかの文書にそうした米国権力機関とナチスとの関係について、書いているのかもしれないが、手許にあるゲバラ選集全4巻やレジス・ドブレの『ゲバラ最後の闘い=ボリビア革命の日々』などでは目にすることができなかった。だから米国とナチスとの関係について、ゲバラが全く言及していない、とは必ずしも断言できず、今後、さらに勉強して、もし分かれば、改めて報告してみたいとは思う。 (つづく)

全14ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事