横浜日記 2009

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「横浜日記」(162)その6 09・12・24 梅本浩志

<民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功>

 法的な面では勉強していないために断言はできないが、私が公団住宅に住んでいた体験からすると、集合住宅においては各戸の前の廊下は道路と同じであり、せいぜい私道といってよい、と考える。そこはよほどの事情や事由がない限り、誰でも通行し、訪問することは自由である。
 各戸のドアについているポストには新聞、手紙、第三種郵便の類、広告チラシ、政党等の宣伝ビラなどを誰が投げ入れたり、差し込もうと完全に自由である。そもそも各戸に毎朝夕配達されている新聞には、商業用の宣伝広告ビラ・チラシが多数折り込まれているではないか。であれば、新聞配達人は毎朝夕、警察に逮捕されて23日間留置所に勾留されて、5万円ずつ罰金を支払わなければならないことになるが、そんな話は聞いたことがない。
 私が強く批判して許せないとさえ思っている代々木共産党のビラも入っていた。しかしそうした気に喰わないビラは、屑篭に投げ入れればそれでよいのであって、それを禁止して刑事事件化して、配付人を23日間も勾留して罰金刑を化すなどして、自由であるべき言論表現活動を弾圧、抑圧してよいなどとは、東京・葛飾の団地住まい当時の私は思いもしなかったし、そうしたことを近隣の住民は誰も口にしなかった。
 代々木共産党について私は、その偽善性、欺瞞性、全体主義的官僚主義体質から、あるいはまたその権力主義的で権威主義的な体質や支配欲望本能の強さにおいて、強く批判し嫌うものだが、しかし現在のスターリン主義化しつつある小沢民主党にも見られるように既成全政党についても程度の差こそあれ同様のことが言えよう。
 あえて言うならば、代々木共産党のビラは、別に目くじら立てて問題にするほどの文言は書き並べてはおらず、自党のカラーを出している普通の政党ビラと取り立てて違いはないのである。多くの人間が日常的に感じ、思っていることも書き並べている。それはそれで結構なことである。
 だからそんな代々木共産党の主張や訴えあるいはレポートを盛り込んだビラを、管理組合の決定という形で、いかなる場合においても読ませないことや、戸別訪問する人間を全て排除するのは、住民の知る権利を奪い、侵害する重大な基本的人権侵害行為である。
 こうした不当なことが許されるのであれば、それぞれ思想が違い、好き嫌いがあるメンバーの誰かが、気に喰わない政党や団体、人間について、一切の出入りを禁止するといった提案をし、それが集合住宅の管理組合・自治会や町内会の決議となって実行されれば、あらゆる言論活動や政治活動が不可能となってしまうことは歴然としている。少なくとも選挙時にも戸別訪問を許されているアメリカのような政党活動は、民主国のはずの日本では実現不能となる。そうしたことが十分予見されるにもかかわらず裁判長・今井功はビラ入れ弾圧を正当化し、言論表現活動を抑圧することを正当化する判決を下したのである。

    時代閉塞最大の責任者

 東京地裁民事19部総括判事時代における「救済命令等の取消訴訟の処理に関する研究」での労働組合不当労働行為告発裁判闘争に対する抑圧の方針、そして「バカンス裁判」敗訴判決、さらに「横浜事件」免訴不当判決、その上での東京・葛飾区僧侶のビラ入れ有罪確定判決といった今井功の航跡をたどると、そこに見えるのは労働者運動、市民運動、左翼政治運動に対する確信犯的な反人権、反憲法の思想と営為である。
 われわれは義務教育時代、最高裁は憲法を守る番人であると教えられてきたし、そのことは今もなお間違いないと考える。日本国憲法第98条(憲法の最高法規性、条約及び国際法規の遵守)には「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と明記してあるではないか。日本国憲法では人権保障はその根本理念において、象徴天皇制と戦争の放棄と並ぶ憲法の3本柱の1つである。だとしたら今井功は明らかに最高裁どころか地裁の裁判官としても不適格そのものだった。
 その失格裁判官・今井功がいま無傷で最高裁を去る。各省事務次官や先に実質的に罷免された航空幕僚長の最近のボーナス支給額や退職金から推量すれば、おそらく1億円近い退職金を手にしながらバイバイしていくのであろう。なんともやりきれないとしみじみ思う。
 年の瀬も押し詰まった12月23日の朝、太宰治生誕100年に際して、娘の太田治子がラジオでインタビューを受けていたが、その中で太田は「太宰は選ばれし者の意識が強かったのですが、みんなちがってみんないい、と詠った金子みすずが好きだったとおもいます」と語っていた。太宰治はエリート(選ばれし者)意識が強かったが、同時に苦しんだ。金子みすずは大漁に沸く浜辺の漁師たちとは対照的に多くの犠牲を出したイワシたちの悲しみと苦しみを詠った。目に見えない水面下のイワシたちの苦しみと悲しみ。

    所詮は悪奉行

 そんな詩の作者である金子みすずを太宰は好きだったのではないかと娘の治子は言い、父の太宰は自己矛盾を自覚していたエリートが故の苦悩の果てに自ら生命を絶った。それに比しての今井功の悪臭ふんぷんたる思い上がったエリート意識。この男にはイワシとしての日本の民たちの苦しみや悲しみは遂に分かることなく、神の座の堅固な要塞のビルを去っていくのだ。
 今井功の悪質性は、こうした反人権、反憲法の不当、不適格な職業人生の軌跡だけに留まらない。「バカンス裁判」敗訴判決によって日本の外需依存経済構造の固定化と留まることのない円高、そして調整インフレ政策導入に伴う資産インフレの激化とその結果としての経済のバブル化と破綻、その反動としての日本経済の工業製品価格の下落とデフレ化、天文学的に肥大した公債発行と財政の破綻、そうした諸々の経済的原因から招来した格差社会の出現、「勝ち組」と「負け組」との階級分裂と固定化、寒空に放り出された幾十万もの派遣切り労働者や契約社員たち、ハローワークに溢れかえった失業者の群れ、貧困層と社会的弱者の急速な増大、労働組合などの人間性擁護のための運動や組織の衰退と衰滅、失業者やホームレス・ピープルの群生、精神疾患に苦しむ多数の老若男女たち、1日100人もの自殺者たち、家庭の崩壊、残虐犯罪の激増等々の社会・・・。閉息した現代日本。
 こうした状況をもたらした原因の最大のものは、需要と供給のインバランス(不均衡)と資本主義が本来的に内包している物神崇拝性とマックスウェーバーも指摘している資本主義経済の自己疎外性にあることは明白である。それが日本にバカンスが許されなかったことが大いなる原因の一つになっていることはいまや明らかである。
 そうした資本主義固有の欠陥を是正して、人権規約や憲法を守って、豊かで人間的な社会を造り上げていくことこそが、裁判官の存在意味であり、存在価値であり、役割だったはずではなかったか。
 それを今井功は、反動的な思想に凝り固まり、出世願望の虜となって、民を踏みにじり、国を滅ぼしかねまじきまでに、桃太郎侍の台詞ではないが「悪行の数々」を行い続けてきたのではないか。許せない。  (了)

「横浜日記」(162)その5 09・12・24 梅本浩志

<民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功>

 こうなるのはバカンス裁判判決の1987年当時においても十分予想できたし、われわれは政府の資料などを証拠資料として提出して、主張もした。先進諸国の中でもほぼ最低の労働分配率の相対的低賃金で巨額の利益を上げてきた日本企業は、バカンス制度もなく、民たちは有給休暇を取得することがまるで悪いことのように思わされ、ワーカホリックで正気を失って、稼いだカネもろくに消費生活に回せず、ひたすらに預貯金へと回し、そのため生産した商品はその多くを輸出に回して外貨を稼ぎに稼いだ。
 賃金が安い発展途上国への投資を激増させていった。やがて民たちの預貯金が巨大なマンモスとなって、日本の経済社会を荒れ狂わせるようになった。巨大企業や金融・証券機関は投機にうつつを抜かすようになった。日本経済はバブル化した。国内産業は生命力を磨耗させ、活力を急速に失うようになった。

    経世済民を知らぬ今井功たち

 おかげで企業と金融機関は大金持ちになった。消費には回らない民たちが稼いだそうしたカネは、バカンスがないために、人生と生活を豊かにするための消費には使う時間的、心理的な余裕はなく、預貯金としてプールせざるをえないわけで、溜め込まれた巨額の預貯金は土地や株といった資産投機に回らざるをえなかった。
 海外投資も盛んになった。こうして貿易黒字は増える一方で円高となった。国内では調整インフレ政策をとった政府が資産インフレを助長し、土地やマンションが高騰した。反面、労働者たちの消費は伸びず、幸せとはほど遠い生活を余儀なくされていた。過熱した生産活動に対して冷え込んだ消費生活。これでは経済が順調に発展するはずがないことは人類が古くから経験的に知ってきたことである。
 「経済」が「経世済民」の略語であることがその証明である。商品やカネが「世」を順調に回り、社会を「経」り巡り、それで「民」を「済」(すく)うのが「経済」なのである。その商品やカネを民たちが使う時間的余裕がないために使えず、社会がカネあまりになれば商品やカネの循環システムが異常をきたして、それが投機を誘い、インフレを誘導し、円高という貨幣価値の見かけの上での高騰を招くことぐらい、少しでも考えてみればよく分かることである。
 言い換えれば、血液の循環によく例えられるカネと商品の流れ、つまり経済の順調な活動は、どこかにそうした流れを阻害するものがあって、流れに異常をきたせば、循環システムがうまく機能しなくなって、身体全体が病魔に冒されるのである。いま生産・供給活動を動脈に、消費活動を静脈に例えれば、バカンス不在から生じる構造的欠陥は、いわば静脈に瘤ができたり、静脈血管が収縮したり狭窄状態となって心臓に送り返す血液が当然、少なくなる。それは病気なのだが、こうした状態が日本では永く続いた。そしてそれが遂にどうにもできないまでに悪化した。それが今日の日本経済社会の重い病気である。
 こうしたことは下村「逆さマルクス理論」を取り入れた池田内閣の高度経済成長政策採用当時から分かり、やがて土光臨調に至るのだが、それでも日本の為政者たちは理解しようとしなかった。ごく一部の行政権力高級官僚たちは薄々理解していたが、三権の一角を閉める「司法権力」つまり裁判所の裁判官僚たちは視野が狭いくせに傲慢な驕りにうつつとなって、生産と消費とのインバランスな矛盾から生じる日本経済の陥りつつあった深刻な状況を理解するどころか知ろうとさえしなかった。
 その典型的官僚が、せっかくの60年安保闘争当時に運動や時代思潮からなにも学ぶことがなく、馬車馬のごとく司法試験合格にばかり心を奪われていた今井功だったのである。おかげで日本はいまや袋小路に追い込まれて悲劇累積の日常である。

    裁判を牛耳る法皇として

 今井功はその後、出世街道をひた走り、21世紀を目前した1998年に最高裁首席調査官に就任した。最高裁調査官のポストは、最高裁裁判官の判決をも左右する影響力を持っていると言われていて、日本の全裁判所・裁判官を統制統括していると言っても決して過言でないことは毎日新聞社会部『検証・最高裁判所』での冒頭の1章29ページを割いての詳述「葬られた調査官報告書」でも明らかである。
 「調査官裁判」と批判されている現在の日本の裁判統制のもたらす結果としての実害については、同書の1章20ページを割いての記述「丸写し判決が出る背景」や同じく1章23ページを割いてのレポート「風通しの悪い裁判官の世界」における、全裁判官たちの「肩身の狭さ」の叙述においてもこのことが裏付けられている。既にそうした土壌を巧みに利用して、東京地裁部総括判事時代にそうした裁判統制の教典書を書いた今井功の罪は深い。
 日本国憲法によれば、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(第76条「裁判官の独立」)と裁判官は完全に独立していることが保障され、それを担保して「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行うことはできない」(第78条「裁判官の身分保障」)と規定されているにもかかわらず、それを公然と事実上無視して全裁判官とその裁判行為を管理し、統制する違憲的存在の最高裁事務総局と首席調査官というポスト。
 その頂上部に今井功は登り詰めて、日本司法を反憲法的、反人権的なものへと押しやっていったのだと言われても返す言葉もないであろう今井功判事の「教典書」作りと以後の事務総局の課長、局長、首席調査官時代の裁判と裁判官に対する統制を強める官僚主義的なシステムと土壌造り、そして実務面における過去の訴訟指揮と判決文である。
 こうしたことを否定するどころかより鮮明に裏付ける今井功が実例が、裁判長を務めた「横浜事件」の最高裁判決において見られる。半世紀にも及ぶ同事件の再審裁判に際しての、一審の横浜地裁も、二審の東京高裁も、そして自ら裁判長として関わり判決を下した最高裁判決においても、まるで判で押したかコピーをとったかのようなやり口と判決文で、申し合わせたように無罪とせず、卑怯卑劣な免訴という形で逃げた判決である。冤罪であることが証明されているにもかかわらず無罪判決を下さなかったのだ。

    「横浜事件」最高裁判決の破廉恥性

 「裁判所が裁かれているのだ」と弾劾されていた「横浜事件」に対する破廉恥極まる今井功裁判長の免訴判決。
 戦時下言論弾圧最大の冤罪事件であり、その取調べの残虐性において、取り調べ特高警察官が有罪判決を受けたほどの非道な拷問殺人を行い、4名もの学者、ジャーナリストを虐殺したこの反人道犯罪に対して、被疑者全員が、治安維持法を一応明治憲法で合憲と認めて合法だとされ、適用されてもなお無罪だったことが、再審裁判等で明白になったにもかかわらず、最高裁第二小法廷裁判長・今井功は無罪判決を下すことなく、免訴判決というわけの分からない、卑怯卑劣な手段を講じて裁判所の有罪性を逃れたのである。まるでカフカの世界のように、アンジェイ・ワイダ監督作品『大理石の男』のように。
 この「横浜事件」再審裁判については、このブログ「時代状況 横浜日記」においても、第119号『「横浜事件」最高裁判決批判=正義感覚なき金太郎飴の裁判官たち』を中心に11回にわたって報じ(注)、論評しており、どうかいま1度、それら記事を読み返していただきたいのだが、要するに敗戦に伴う占領軍進駐を前に横浜事件を中心とする治安維持法関係の判決文など裁判所にとって不利となる多数の重要資料を、違法にもほかならぬ裁判所自らが焼却するなど破廉恥な証拠隠滅などを行い、冤罪だとして再審裁判を開いてなんとか無罪判決を出してほしいと希った冤罪被疑者たちの切実な願いに聴く耳を持たずに、この冤罪事件を裁いた裁判所と裁判官の罪つまり犯罪の責任を一切不問とした破廉恥さはどうコメントすべきであろうか。

 (注)(19号)2005年10月18日『「横浜事件」裁判傍聴取材失敗の記』、(21号)同年10月27日『されど注記の凄さよ』、(27号)同年12月13日『言論弾圧・拷問虐殺「横浜事件」再審裁判傍聴の記』、(34号)同年1月31日『「横浜事件」拷問・木村亨の場合』、(35号)06年2月2日『「横浜事件」拷問・川田定子の場合』、(37号)同年2月10日『「横浜事件」判決公判傍聴の記=速報』、(78号)同年12月9日『日本の裁判所は有罪である=「横浜事件」再審控訴裁判』、(81号)同年1月20日『裁判所堕落の先には=「横浜事件」再審控訴審高裁判決』、(120号)同年5月19日『「横浜事件」虐殺・浅石晴世の場合』、(121号)同年5月30日『天職を生きてきた弁護士=「浅石晴世虐殺事件」追補』

 再審裁判が本格的に開始されるまで実に半世紀に及んだという司法権力の犯罪事件である「横浜事件」裁判とその判決。つまり見事に「免訴」で地裁から最高裁に至るまで統一して裁判所の犯罪をないことにした巨大権力機構としての日本司法権力。それが「横浜事件」だったのであり、今井功が総仕上げしたのである。
 無実、無罪だと判断し、取り調べた当時の特高警察官を有罪としながら(注・不思議なことに有罪判決を受けた特高警察官たちは全員、下獄することがなかった)、最終審の最高裁において今井功裁判長率いる第二小法廷は、無罪判決を下さなかったのである。驚くべきことに「カネをくれてやるのだから、いいじゃないか」といった趣旨のなんとも侮辱侮蔑的な補足意見なるものまでつけてだ。

    そして言論表現の自由を弾圧

 そして定年を前にしての今回のビラ配付に対する有罪判決である。集合住宅管理者の単なる貼り出しビラの文章を、最高法規たる憲法で保障されている言論表現の自由という基本的人権条項よりも優先するという最高裁にあるまじき判決を行い、確定判決とした今井功裁判長率いる最高裁第二小法廷の全裁判官たち。(つづく)

「横浜日記」(162)その4 09・12・24 梅本浩志

<民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功>

 外需中心で円高必然の日本経済はこうして、日本国民が長期有給休暇を取得しないために、できないために、需要が生産・供給に見合うほどに伸びずに、国内経済の需給バランスを崩していたために、そしてそれが遂に今日に至ってしまったために、いまや日本の経済も社会も政治も財政も滅茶苦茶の状態と成り果て、社会全体が閉塞状態に陥ってしまっていることは瞭然としている。
 どうしてもバカンス(長期有給休暇)を基本的人権として認め、制度として、慣習として確立しなければならないことは明かであるし、既に「バカンス裁判」を開始した1980年代には、そのことは十分予想し得ていたのである。
 だから1980年代当初において山口記者をはじめとする時事通信労働者委員会のメンバー3人がバカンス取得に積極的に取り組んだのである。1ヵ月間の長期有給休暇を取得して、バカンスをとり、海外取材を行い、基本的人権としてのバカンスを全日本的に定着させようとしたのだ。
 しかし報道機関としてそうしたことを十分理解し、知るべき立場にあった時事通信社が、バカンス闘争にチャレンジした少数派組合を潰すべく不当労働行為を犯してまで弾圧してきたために、山口記者たちは裁判に訴えて、なんとか欧米並のバカンスを日本にも定着させ、人間的な社会を構築させ、日本経済の異常性を正すべく、裁判闘争に取り組んだのである。
 同社本社編集局の経済部で記者活動をしていた時事通信労働者委員会所属のわれわれにはこうしたことをよく理解し、見通し得ていたのだ。このままでは日本は異常な状態に突入せざるをえず、経済社会は歪なものとなり、日本は危機的状態に追い込まれ、日本人の生活は崩壊に向かわざるを得なくなるだろう、と分析し、見通していたのである。だから山口記者をはじめ同労組メンバーたちはバカンス取得を率先実行したのである。

    なぜバカンスが重要なのか

 このバカンス裁判は私自身も実質的な原告の1人として積極的に関わった。その裁判は実に6年3ヵ月という長期に及んだが、その中でわれわれが訴えたのは、基本的人権としての長期有給休暇は憲法をはじめ国際人権規約でも保障されていて、先進諸国においては法的にも慣習としても定着していて、日本国においても公然と認められて当然であり、そのことが日本人をワーカホリックから解放して人間性を取り戻させるということだった。
 さらにバカンスを日本社会にも定着させることによって、日本経済の外需偏重に起因する経済矛盾を改善させ、内需も増大させて、需給間のインバランス(不均衡)を少しでも改善させて、調和の取れた人間的な経済社会を形成させることの必要性を主張した。
 このことは日本政府も気が付いており、また土光臨調(注・当時の土光敏夫経団連会長が率いた、1981年発足の第二次臨時行政調査会)等の提言などでも裏付けられていることを訴えた。こうした政府部内の一種の危機感を背景とする動きは、土光臨調の提言をさらに発展させて、「バカンス裁判」判決からほぼ4年後の1991年に当時の経済企画庁(現内閣府)の諮問機関たる「国民生活審議会」の基本政策委員会が中間答申を出して、「自由時間充実のための政策」を強く訴え、「個人生活優先社会をめざして」今後、日本は急速に変貌しなければならないことを強調していたのである。

    突如現れた今井功裁判長

 延々と続いていた東京地裁の裁判だったが、6年近く経ってほぼ最終ラウンドに入った頃、奇異な現象をわれわれは目にすることとなった。
 それまで裁判官はただ1人で審理し、真面目な裁判官の場合には証人に対して積極的に自ら尋問し、証人の言葉のあやふさを衝いたり、質したり、特異なジャーナリズム企業社会の実情を知ろうとしたり、あるいは証人の表情を読み取ろうと務めたりして、誠実にこの事件の事実を見極め、真実を探り、歴史的な審判に耐えうる裁判へと導こうとしたものさえわれわれは目にすることができた。
 だからそうした誠実さが少しでも裁判所の側にあるのであれば、判決も悲観的なものになると必ずしも思わなくてもすみそうだ、と思えるまでになっていた。
 実際、後に、控訴審の東京高裁での原告側逆転勝訴判決ではそうしたわれわれのフィーリングが決して間違ってはいなかったことが証明されたのである。
 ところが東京地裁での裁判が結審の直前になって様相ががらりと変わった。ある日突然、法服を着た裁判官が3人も入ってきて、木で鼻をくくったとはこういうことをいうのであろうかといったふうにその3裁判官の真ん中に坐った裁判長がはなはだ事務的に指揮し始めた。
 今井功だった。人相がどうもよくない、雰囲気も悪い、要注意人物だ、というのが永年新聞記者をしていた私の第一印象だった。それにまるで神の高みからお前らを裁いてやっているのだぞ、といった風で、あっという間に結審を宣告した。
 およそ人権の何であるのか、日本の経済や社会がそして日本の労働者たちがどのような非人間的な労働環境に置かれていてこれから先どうなっていくのか、あるいは国際的視野からこの「バカンス権」の問題をどのように取扱うべきか、などといった高次元な問題を取扱う裁判とはほど遠い今井功裁判長の指揮ぶりだった。
 雰囲気は一変していた。まだ今井功のなにものか、全く知らなかったわれわれだったが、ジャーナリスト経験からしてももはや一切の楽観的予想は許されない、と覚悟を決めざるを得なかった。そしてその結果は、まさに予期したとおりだった。

    露なる裁判官失格

 「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との主文を無機質な顔をした今井功が読み上げた。会社側の主張をそのままなぞった判決理由で、原告がもっとも力を入れて主張した人権問題性、違憲性、長期有給休暇不在が故の日本人の非人間的生活と日本経済の需給バランスの崩壊、そうしたことが招来しつつある日本経済への破滅的打撃といった見通しと予測などについて、今井功裁判長が下した判決はこうしたバカンスの本質的重要性を完全に無視して、およそ深い見識も日本経済の近未来についての洞察あるいは想像力が完全に欠落した官僚の作文でしかないものだった。およそ見識がない無教養な駄文、というのが、日頃文章を書いている私と友人たちの感想であり、印象だった。
 そこでは、有給休暇も「少なくとも2週間の連続休暇を取得できたのだから年次有給休暇制度の趣旨にも反しない」と切り捨てた。
 フランス、ドイツを中心にヨーロッパ各地を転々と取材して回る海外取材旅行で、休暇期間2週間ではほとんど仕事ができないことは、少しでも考えてみれば分かることだったはずだ。観光バスツアーではないのである。往復の日数、現地の移動等で要する時間などを差し引けば、相手の都合に従うしかないルポ取材では実質1週間の時間を取材に当てるだけで精一杯である。1カ国2日ぐらいしか取材できない。
 つまり2週間の休暇では深く突っ込んだ取材をすることなど到底、不可能なのである。だからそのことをよく知っていた時事通信社は、組合活動家でもある山口記者の全額自弁の取材活動を妨害しようとして2週間しか認めないと、これといった正当な理由もないのに有給休暇取得を妨害してきたのである。それを今井功は2週間取れたのだから、十分だと言ったのである。

    バカンス権不在で人間性を破壊

 この「バカンス裁判」については、改めていずれ総括的に書いてみたいと思っているが、ここで強調したいのは、今井功が日本国憲法や国際人権規約を無視して、われわれ原告側が懸命に主張した日本経済への破滅的結果の予測の主張や、長時間労働がもたらす日本人労働者の非人間的な生活の実態や、バカンスのない日本の現状をこのまま改善しなければいずれ日本は経済破綻を招来することになりかねないとの主張を今井功が完全に無視して、今日の日本の時代閉塞をもたらした犯罪的行為についてである。(注・「バカンス裁判」については、拙著『バカンス裁判』および『わが心の「時事通信」闘争史』で中間報告的に書いておいた)
 ワーカホリックに冒されて、ただただひたすらに生産や供給の活動に励み、貿易によって巨額の外貨を稼いで、経済大国なるものとなった日本では、当然外需中心の歪な国家となり、内需が弱いところから消費活動も生産活動に比して弱いものとならざるをえず、このため民たちが稼いだカネを自分たちの生活を豊かにし、ゆとりある消費生活を営むことに充てることを不可能にせざるをえなくなることは自明と言うべきで、現実にそうなったし、その状況は今日に至るまでなんら改善されないばかりか、一層酷くなっている日本である。
 長時間労働とバカンス不在によって「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたった憲法第25条で保障されたような、心身共に健康で幸せを実感する生活を日本国民が味わうことを不可能ならしめていた当時の、そして今日の日本。
 新婚旅行でさえろくすっぽ取れず、1週間以上取れるようになったのは、われわれのバカンス裁判が大きく報道され、諸外国から「兎小屋に住んでいる働き蜂の日本人たち」と揶揄され、日本政府も一種の危機感を抱き、少しでも有給休暇を消化させるように努力した結果である。
 だがそれででも今日でさえ日本においては長期にわたっての有給休暇を取得できる状況にはない。それどころかサービス残業とやらを強制して、事実上の賃下げを行い、消費の低迷から企業会計のバランスをとるために労働者を大量に解雇し、こうして日本の民たちは追い詰められ、自殺者はいまや年間3万2000人、つまり1日100人にもなっているのである。 (つづく)

「横浜日記」(162)その3 09・12・24 梅本浩志

<民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功>


 60年春頃になると、それまで学生運動には無関心だった、いやむしろ強いアレルギーを持ち、反感さえ強かった工学部の学生たちも、岸信介のだるま神輿を担いで「安保反対、岸を倒せ」と叫んで、都大路を練り歩いたものだ。安保闘争が最も盛り上がった5月から6月に入ると、京都大学だけで常時1万人以上もの学生が集会やデモに参加するようになった。特に樺美智子さんが殺害された「6・15闘争」を前後する時期には最高潮に達して、各集会・デモには空前の規模の参加者で溢れかえっていた。

    安保闘争に背を向けるという知的頽廃

 当然のことながら、そして極めて自然なことながら、当時の大学社会はそんな安保闘争に無関心であることは知的な面でも許される状況にはなく、反動的思想に対しては誰しも強いアレルギー反応を見せるのが一般的で、羞恥心を持つものにとってはホラが峠を決め込むことは軽蔑の対象になるほどの状況だった。
 60年安保闘争は単なる日米軍事同盟に対する反対闘争ではなかった。58年の教職員勤評反対闘争、59年の警職法反対運動といった教育反動化に対する異議申立や戦前の治安維持法弾圧体制復活阻止といった、民たちの抵抗運動の総和でもあった、総括的で歴史的な運動でもあり、総資本と総労働との対決といわれた三井三池炭坑闘争とも連動していたレジスタンス運動でもあった。
 政治の世界ではスターリン主義批判を契機として、日本でも共産党内部で激しい対立が顕在化して、トロツキーの思想が公然と評価されるなどした。ユーロコミュニズムの運動も活発になっていた。学生たちがそうした運動の先頭にたって闘った。同時に60年安保闘争は戦後世界がうなりを上げて変わりつつあった時代の、画期的で象徴的な社会革命の運動でもあり、アンリ・ルフェーブルたちの手で自己疎外論が華やかに論じられてマルクスの初期文献が評価され、吉本隆明や谷川雁たちが詩作品や評論活動を通して、新鮮な感覚と思想を世に問うて挑戦し始めた時代でもあった。映画の世界ではフランスや日本でヌヴェル・ヴァーグ作品が次々と作られ、東欧においてもアンジェイ・ワイダたちのポーランド映画が全世界の若者たちの心を鷲掴みにした。
 時代は急速に変わりつつあり、日本の大学アカデミズムは到底追いつけず、新鮮な知性を求める若者たちを満足させられなかった。
 だから当時の学生たちは、自分たちでそうした新しい知的世界に入り込み、語らい、勉強した。そうした知的営為は実践活動と一体的であった。詩を読み映画を見、世界の動向や哲学や映画を語り合い、論じあった。作品を作った。傷つきながらも、涙を流し、耐えて、学び、自分を変えていった。60年安保闘争とはそうした総括的な社会革命の運動でもあったのである。それだけに学生たちがアカデミズム以外の世界から得た知的財産は大変なものだった。
 そうした自分自身を変えていく最大の場であり機会であったこの未曾有の大衆運動に参加しないことはそれだけで自分自身にとって大変な知的損失となったことは、当時の時代に身を置いた人間なら誰しもが感じ、思ったはずなのだ。
 そんな状況の中にあっても今井功はどうやら、羞恥心など自分には無関係だとばかり、ひたすら司法エリートの道を歩むべく、広く深く社会や歴史を見ることを避けて、ひたすらに司法試験合格への道を歩んだことがまず間違いないことは確実で、当時、京都大学に在籍して、勉強し、法学部のほうにも行ったり集会がしばしば開かれた法経大教室にも行ったりしていた私には、そんな今井功の姿を推量できるのである。
 言い換えれば今井功は60年安保闘争の状況総体が産み落とした鬼子だったのである。第二次世界大戦が勃発した1939年に生まれた今井功の育った環境についてはまったく知らないが、とにかく依怙地とも言える頑な時代錯誤の思想に凝り固まって世の中のことや哲学や文学など出世には無関係な物事には見向きもせずに、保守反動の国家権力のエリートとなるべく、まずは司法試験合格を目指してひたすらに勉強したことは確かなようである。
 樺美智子さんが殺されようが、大多数の若者たちが警察機動隊や暴力団の襲撃で傷つき倒れ、囚われようが全く意に介さずに、三猿主義の世界に閉じ篭って、こうして司法試験に合格した今井功は、卒業と同時に念願の国家権力の中枢たる世界に入り、出世の階段を着実に、そして急速に昇り始めたのである。
 司法修習生を終えた今井功は、裁判官僚としての出世の王道である最短コースたる最高裁事務総局での調査官畑で判事としての司法人生を歩み始め、1982年に東京地裁判事に任命されてからというものは、エリート裁判官僚の道を加速をつけて出世していったのである。
 今井功という男は運がよいというのか、着眼点がよかったというのか、それとも出世本能に長けていたというのか、日本司法を牛耳る最高裁事務総局を地盤として力をつけていったのである。1990年には最高裁民事局長兼行政局長となり、98年には最高裁判事をもリードする最高裁首席調査官となった。「事実上の影響力の強さから『調査官裁判』」(毎日新聞社会部『検証・最高裁判所』17ページ)とまで言われるほどの調査官のトップに出世した今井功である。そして2002年には東京高裁長官に就任、それから間もない2004年に最高裁判事となった今井功。

    労働者側を不利にせよと教典書

 そうした姿勢で裁判官人生をおくり始めた今井功は、裁判の世界に民たちを虐げる思想も露な反動的立ち居振る舞いを持ち込み、それを武器にひたすら出世街道を歩むようになったことは、彼が東京地裁でエリート裁判官として、労働関係の裁判を強く反労働者的なものにねじ曲げる路線を布いたことで、裏付けられるだろう。
 このことは、毎日新聞社会部著『検証・最高裁判所』でも指摘されている。同書164ページから165ページにかけて、今井功の実名を挙げて、やがて最高裁判事に出世するこの男について、鋭く批判している。そしてそれは地方・中央の労働委員会を形骸化して、国労潰しの強力な使用者側の武器として自民党政府とJR当局が最大限に利用するところとなり、真面目な国鉄労働者を苦しめ抜きつつ現在に至っていることはよく知られているところである。同書当該ページには次のように書かれている、
 「『救済命令等の取消訴訟の処理に関する研究』と題する文書がある。司法研修所の編集で87年3月に発行された。『禁転載』の注が付いた表紙に『昭和59(84)年度司法研究員』として今井功判事ら4人の執筆者の名前が並ぶ。今井判事は84年4月から87年9月まで東京地裁民事19部の部総括判事を務め、労働部の中心的存在として知られてきた。『研究』は、裁判所が労働委員会をどうみているかを詳細に写し出す内容になっていた」
 毎日新聞社会部記者たちはこの今井功たちの文書を読み進めていき、次のような決定的とも言える反労働者思想も露に偏向した文章を発掘した、「(労働委員会の判断に対して)裁判所は事実上は尊重すべきであるが、原告が積極的に争っている事実については厳格な態度をとらざるを得ない」。
 同書では「全体として『研究』は、労働委員会の事実認定を懐疑的にとらえる裁判所のスタンスを浮き上がらせている」と指摘しているが、こうした今井功たち日本の裁判官たちは、労働関係の裁判に際しては、予め「厳格な態度」、つまり労働者側敗訴の方向性を持たせて、臨み、判決を下すべきだ、との恐るべき枠をはめているのである。
 今井功の立場といい、「司法研修所」という司法の中枢機構としての位置付けといい、今井功たち4人が書き上げたこの『研究』が以後の労働関係裁判の教典としての位置づけと性格を持ち、機能したことは明らかであろう。
 裁判官は独立した存在たることを明記した日本国憲法に明白に違反した今井功たち日本の反動的裁判官であり、裁判所である。このような今井功が、言論・表現の自由を侵害する判決を恥じらうことなく下したのは至極自然なことであろう。

    バカンスの不在が日本に黒い影

 今井功が東京地裁民事19部総括判事から次のステップへと出世するまさに直前、彼自身が書き上げた『救済命令等の取消訴訟の処理に関する研究』の思想を露骨に実践し、司法反動化を率先して実行した判決が今井功自身の手で下されたことがある。日本国憲法と国際人権規約に違反し、日本を今日の時代閉塞の状況に追いやる大いなる1因となった「バカンス裁判」の判決だった。
 この出世亡者裁判官僚が東京地裁部総括判事から次のステップへと出世する約1ヵ月前といってよい1987年7月27日に今井功裁判長は、バカンスを世界主要諸国並みに基本的人権として認めるべきだと主張して、雇用者の時事通信社を相手に争ってきた同社記者で時事通信労働者委員会代表幹事の山口俊明原告に対して、全面敗訴の判決を下したのである。
 山口記者は1980年にヨーロッパの原発事情と反原発運動を取材し、ライフワークを書き上げるべく1ヵ月間の長期有給休暇を取った。これを時事通信社が不当労働行為意思も露に弾圧して懲戒処分攻撃をかけた。
 しかし、モスクワ特派員も務めたこともある山口記者は欧米諸国や先進諸国における労働者や市民のバカンス事情について熟知していて、それら諸国においては1ヵ月間の長期有給休暇を取得するのは基本的人権として認められており、永年にわたって実行され、定着しており、いまや世界第2位となった日本がそうしたバカンス(長期有給休暇)を認めないのは異常であり、日本国憲法に違反し、国際人権規約にも違反するものだと主張して、全面的に争うに至ったのである。
 当時の日本は、労働者のみならずテクノクラートや職制までもがワーカホリック(注・一般に「仕事中毒」と訳されているが、正確には坂倉芳明・元三越社長がいみじくも指摘したとおり「職場中毒」が正しい訳である)の虜となり、日本人のほとんどが有給休暇をとらず、たとえ取得しても連休期間の折とかお盆や正月時にせいぜい5日間ぐらいの休みしか取らず、人間らしい生活を営むことは不可能だった。
 それどころか時間外労働は当然とされて、退社後も取引先の人間とつき合って夜遅くまでネオン街をはしご酒したり、職場の同僚と赤提灯にいって仕事や職場のことなどを語り合って、人間関係の維持と仕事の円滑化のためにゴマを摺ったり根回しするのに懸命で、従業員は「社畜」などとも呼ばれていた。エネルギーを職場に吸い取られてしまった従業員たちはもはやエロスに費やす力も失い、セックスレス夫婦が増大して、子どもを生めなくなり、少子化現象が始まりかけていた。労働時間の短縮と長期有給休暇の必要性が叫ばれ始めていた。

    バカンス裁判への挑戦

 人間的な生活を犠牲にし、家庭生活を空疎なものとし、全てのエネルギーを生産供給活動(営業、流通、販売活動等をも含む)に投入し、そうして作った製品を海外に輸出して外貨を稼ぎまくるというシステムが日本経済を異常なものとすることは、誰が考えても分かることである。誰よりも日本政府がそのことに気付き、長期有給休暇取得を奨励し、それでもなかなか従業員たちが休みを取らない、あるいは取れないために祝祭日を増やしたり、飛び石連休を連続させるなどの法的措置を講じたりするなど苦心していた。 (つづく)

「横浜日記」(162)その2 09・12・24 梅本浩志

<民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功>

 08年9月、厚生労働省職員が警視庁職員官舎の集合ポストに共産党機関紙を配付した行為に対して、国家公務員法違反だとして刑事弾圧した事件で、東京地裁が罰金10万円の有罪判決。」

 こうしたここ数年間の事例を見るだけで、とりわけ左翼的な団体や良心的な市民の言論表現活動に対する刑事弾圧が加速化しつつあり、裁判官たちも最高裁事務総局による統制圧力に抵抗する意欲も力も失って、長いものに巻かれろ主義の裁判官僚と成り果てて、人権感覚が麻痺しつつある最近の状況が見て取れるのである。
 朝日新聞も11月30日付紙において、社会面トップ4段抜きで「ビラ配付有罪、『言論弾圧』に怒り」との大見出しをつけて報道し、解説記事で「市民萎縮刑事罰に疑問」との3段見出しで判決を批判的に報道し、翌日の社説でも「ビラ配り有罪、合点いかぬ最高裁判決」との見出しをつけて批判している。

    絶対的な言論表現の自由

 今回の共産党関係のビラ配付事件に対する刑事弾圧と違憲判決が、国家権力(注)の極めて政治的な判断と動機から出ていることは、これまでの裁判所のビヘイヴィアやわれわれ民の日常生活からもうかがわれるところである。私自身も公団の団地にかなりの期間住んでいたことがあるが、ドアのポストにありとあらゆるビラが差し込まれていたことは常であったし、そのことが問題になったことはなく、まして警察によって刑事事件化されたことなど1度としてなかった。

 (注)司法は立法、行政とあわせて国家権力の三権の1つであり、とりわけ裁判はそうした司法の中枢的な国家権力である。ただし司法は他の二権とは違い、社会正義と人権擁護を至上として対応する権威を必要とするが、残念ながら日本の司法にはこの権威がなく、行政に媚びへつらい、判断が困難な事件に対しては義務と責任を立法に追い被せることが一般的だと言ってよい

 もしあるとすれば、警察のほうから自治会へなんらかの働きかけがあって、団地自治会として議論し、民主的に決めたあとで、そうなるのが常識だったであろうが、たとえ警察からそのような働きかけがあって、意見集約をするような機会があっても、言論・表現の自由を犯すような意見集約など不可能だったであろうことは確信をもって言えることである。
 確かに、とりわけ政治や宗教関係で、ビラ入れなども含めて見知らぬ人間たちに自宅周辺でうろつかれたり、ビラを投げ込まれたり、まして宣伝活動のための訪問を受けたりすることは、不愉快であり、腹立たしいことでもある。私など、代々木共産党や創価学会の連中からのビラ入れなどの働きかけがあれば、過去の様々な体験や情報から、この偽善者どもめ、綺麗なことを言っているが、お前たちがこれまでにやってきたことややっていることを考えてみれば、到底許せない、と彼らのビラなどを見る度に思う。
 だが、だからといって、彼らが主張し、言論活動を展開することを、刑事弾圧したり、ましてそれを是認する有罪判決を下すことは、絶対にあってはならないのである。それは日本国憲法の大前提なのだからだ。
 日本人はこのことを戦前の治安維持法による弾圧や、その結果として高い代償を支払わされた戦争による被害という原体験から学び取ったのであり、とりわけ言論表現の自由は無条件に尊重され、保障されるべきことは、少なくともベトナム戦争の頃までは常識だったのである。

    されどビラ配付

 それを今井功が裁判長を務めた最高裁第二小法廷の裁判官たちが、集合住宅で貼り出されていたというビラ紙での文言のほうが、最高法規たる憲法より優先するとの奇妙きてれつな屁理屈で有罪とし、ビラ入れしただけで23日間もブタ箱に入れて、挙げ句の果てに罰金5万円を科して、今後この種のビラ入れ活動などを行えば、行ったものに対して刑事弾圧してもよいとのお墨付きを与えた。
 警察はこの確定判決に勇気づけられて、今後各団地管理組合や地域の町内会などの自治会に働きかけ、行政指導して、とりわけ左翼関係の宣伝活動を抑圧するように仕向け、それにもかかわらずビラ入れをしたり、宣伝活動を行うものには、住民から通報、密告させ、有無を言わさず23日間も、代用監獄だとして批判の強い各警察署留置所に放り込み、起訴して有罪判決を出させて、反戦組織や左翼関係の活動を徹底的に弾圧、抑圧するようになっていくだろう。戦前の治安維持法が猛威を振るった暗い時代の再来となる恐れが強い。
 今回の東京・葛飾ビラ入れ弾圧事件裁判判決には日本のマスコミもかなり驚いたようで、テレビ各局もへっぴり腰ながら批判的に報道していた。また日本の国家権力による言論表現の自由を抑圧する最近の傾向に対して、昨年10月に国連自由権規約委員会は「ビラを郵便受けに配付した行為について、住居侵入罪などで政治活動家らが逮捕され、起訴されたという報告に懸念を有する」という日本政府への勧告書を出しているほどだ(朝日新聞09年11月30日付紙)。
 たかがビラ入れだがされどビラ入れであることは、ビラ入れがいかに歴史の発展に寄与し、人間的な社会を実現するのに重大な役割を果し、とりわけ崇高な自己犠牲も伴って、全体主義体制に自らの生命を賭して、抵抗運動の最後の手段、武器として市民や若者たちが用いたことは歴史的事実である。
 後世、そうした抵抗者たちのビラ入れ活動がいかに人々から感動をもって語られ、尊敬されてきたかは、例えば日本の反戦運動に従事し、「京大ケルン」を結成して大学構内でビラ撒きをして刑務所で獄死していった若者たちを描いた野間宏の『暗い絵』や、先年封切られたドイツ映画『白バラの祈り』などで感動的に描かれていることでも明らかである。 

    60年安保闘争と京大法学部

 どう見ても言論弾圧を是認したばかりか、今後警察等が大いに利用して、刑事弾圧を助長する判決だとしか言えない今回の今井功裁判長率いる最高裁第二小法廷でのビラ入れ有罪判決だが、その判決を下した今井功最高裁判事の反憲法的、反人権的司法行為を、彼の裁判官人生を明らかにすることによって指摘し、弾劾しておきたい。
 今井功は、最高裁長官にこそ成りえなかったが、その裁判官人生は司法エリートそのものあるいは裁判官僚として突出したものであったといって過言ではないだろう。今井功は1962年に裁判官人生をスタートする際に最高裁事務総局の中心たる総務局で働き、やがて調査官となり、同総局の民事局の3つの課長ポストに出世して、「司法行政と調査官で最高裁生活が長い」(日本民主法律協会ホームページ)と言わしめる裁判官僚の道をひたすらに歩んだ。その上で東京地裁での判事から最高裁へと急速に登り詰めていった。いわば典型的な裁判官僚そのもののキャリアを歩んだ男である。
 このことは同時に狭い視野でしか物事を見ることができない司法官僚として育ったことを意味し、裏付け、労働者や市民に対して反動的な偏見に凝り固まった、反人権的で反憲法的な物事の考え方をし、立ち居振る舞いをするようになったことと表裏一体なものであることをこの際指摘しておかなければなるまい。
 それはまた神の高みから民たちを見下し、裁いてやろうという思い上がった姿勢から滲み出た、権力主義的、権威主義的な保守的国家主義思想をためらうことなく表出した感覚と発想と思考と営為を今井功という人格を通して現わすものでもあった。
 ちょうど50年前の60年安保闘争が最高潮に達した時代に、当時反動的法律学者の巣窟と言えた京都大学法学部に入学した今井功は、やがて裁判官になってひたすら出世街道を歩むようになった。
 彼が同大学を卒業したのは1962年だとインターネットのウィキペディアに出ている。そうであれば大学2回生から3回生にかけての時代に60年安保闘争に遭遇しているはずである。まさに60年安保闘争真只中の中で彼は学生生活をおくっていたはずだ。

    なんのための「法学」部

 62年卒業といえば61年卒業の私の1年後輩にあたるから、ほぼ同時代に京都大学で学生生活をおくっていたはずだ。だから当時の京都大学の状況は私がよく知っているところであり、今井功もまたほぼ同じ環境の中にいたはずだ。
 当時の京都大学は、60年安保闘争を先頭切って戦った全学連主流派の指導者・北小路敏を委員長代行に送りだしていたほどの、そして今日、当時のニュース・フィルムの映像で明らかなように、その北小路全学連委員長代行が3万名のデモ隊を率いて最前線で先導して国会議事堂正門を突破して反安保運動を一挙に盛り上げたほどに、学生運動が活発だった。
 私が入学した1957年当時には大学当局から弾圧されて解散させられていた全学自治会の「同学会」は再建されていて活動は活発を極め、60年安保闘争前後には常時5000人以上の学生が集会にデモにと参加していたものだ。
 補足しておくと1958年当時、つまり今井功が入学した年の夏休み直前の時期に、大学当局の弾圧に抗議して「同学会」の再建を認めよと要求して運動した北小路敏たち学生9名に対して大学当局は無期停学処分を行い、これに抗議して学生たちは文字どおりの無期限ハンガーストライキに突入して、自らの生命をかけて学生自治の権利を闘い取ろうとする闘争を展開したものだ。
 その時、心配した良心的な教授たちはそんなハンガーストだけは中止して、生命を大事にせよと懸命に説得する姿が印象的だった。身近なそうした権利のための闘争に対して、正義や人権を勉強するために法学部に入学したはずの今井功はどのようにしていたのだろうか。残念ながら私は当時、自治会活動に少しは参加していたのだが、今井功なる学生の名前を耳にしたことはないのである。 (つづく)

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