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「横浜日記」(162)その6 09・12・24 梅本浩志
<民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功>
法的な面では勉強していないために断言はできないが、私が公団住宅に住んでいた体験からすると、集合住宅においては各戸の前の廊下は道路と同じであり、せいぜい私道といってよい、と考える。そこはよほどの事情や事由がない限り、誰でも通行し、訪問することは自由である。
各戸のドアについているポストには新聞、手紙、第三種郵便の類、広告チラシ、政党等の宣伝ビラなどを誰が投げ入れたり、差し込もうと完全に自由である。そもそも各戸に毎朝夕配達されている新聞には、商業用の宣伝広告ビラ・チラシが多数折り込まれているではないか。であれば、新聞配達人は毎朝夕、警察に逮捕されて23日間留置所に勾留されて、5万円ずつ罰金を支払わなければならないことになるが、そんな話は聞いたことがない。
私が強く批判して許せないとさえ思っている代々木共産党のビラも入っていた。しかしそうした気に喰わないビラは、屑篭に投げ入れればそれでよいのであって、それを禁止して刑事事件化して、配付人を23日間も勾留して罰金刑を化すなどして、自由であるべき言論表現活動を弾圧、抑圧してよいなどとは、東京・葛飾の団地住まい当時の私は思いもしなかったし、そうしたことを近隣の住民は誰も口にしなかった。
代々木共産党について私は、その偽善性、欺瞞性、全体主義的官僚主義体質から、あるいはまたその権力主義的で権威主義的な体質や支配欲望本能の強さにおいて、強く批判し嫌うものだが、しかし現在のスターリン主義化しつつある小沢民主党にも見られるように既成全政党についても程度の差こそあれ同様のことが言えよう。
あえて言うならば、代々木共産党のビラは、別に目くじら立てて問題にするほどの文言は書き並べてはおらず、自党のカラーを出している普通の政党ビラと取り立てて違いはないのである。多くの人間が日常的に感じ、思っていることも書き並べている。それはそれで結構なことである。
だからそんな代々木共産党の主張や訴えあるいはレポートを盛り込んだビラを、管理組合の決定という形で、いかなる場合においても読ませないことや、戸別訪問する人間を全て排除するのは、住民の知る権利を奪い、侵害する重大な基本的人権侵害行為である。
こうした不当なことが許されるのであれば、それぞれ思想が違い、好き嫌いがあるメンバーの誰かが、気に喰わない政党や団体、人間について、一切の出入りを禁止するといった提案をし、それが集合住宅の管理組合・自治会や町内会の決議となって実行されれば、あらゆる言論活動や政治活動が不可能となってしまうことは歴然としている。少なくとも選挙時にも戸別訪問を許されているアメリカのような政党活動は、民主国のはずの日本では実現不能となる。そうしたことが十分予見されるにもかかわらず裁判長・今井功はビラ入れ弾圧を正当化し、言論表現活動を抑圧することを正当化する判決を下したのである。
時代閉塞最大の責任者
東京地裁民事19部総括判事時代における「救済命令等の取消訴訟の処理に関する研究」での労働組合不当労働行為告発裁判闘争に対する抑圧の方針、そして「バカンス裁判」敗訴判決、さらに「横浜事件」免訴不当判決、その上での東京・葛飾区僧侶のビラ入れ有罪確定判決といった今井功の航跡をたどると、そこに見えるのは労働者運動、市民運動、左翼政治運動に対する確信犯的な反人権、反憲法の思想と営為である。
われわれは義務教育時代、最高裁は憲法を守る番人であると教えられてきたし、そのことは今もなお間違いないと考える。日本国憲法第98条(憲法の最高法規性、条約及び国際法規の遵守)には「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と明記してあるではないか。日本国憲法では人権保障はその根本理念において、象徴天皇制と戦争の放棄と並ぶ憲法の3本柱の1つである。だとしたら今井功は明らかに最高裁どころか地裁の裁判官としても不適格そのものだった。
その失格裁判官・今井功がいま無傷で最高裁を去る。各省事務次官や先に実質的に罷免された航空幕僚長の最近のボーナス支給額や退職金から推量すれば、おそらく1億円近い退職金を手にしながらバイバイしていくのであろう。なんともやりきれないとしみじみ思う。
年の瀬も押し詰まった12月23日の朝、太宰治生誕100年に際して、娘の太田治子がラジオでインタビューを受けていたが、その中で太田は「太宰は選ばれし者の意識が強かったのですが、みんなちがってみんないい、と詠った金子みすずが好きだったとおもいます」と語っていた。太宰治はエリート(選ばれし者)意識が強かったが、同時に苦しんだ。金子みすずは大漁に沸く浜辺の漁師たちとは対照的に多くの犠牲を出したイワシたちの悲しみと苦しみを詠った。目に見えない水面下のイワシたちの苦しみと悲しみ。
所詮は悪奉行
そんな詩の作者である金子みすずを太宰は好きだったのではないかと娘の治子は言い、父の太宰は自己矛盾を自覚していたエリートが故の苦悩の果てに自ら生命を絶った。それに比しての今井功の悪臭ふんぷんたる思い上がったエリート意識。この男にはイワシとしての日本の民たちの苦しみや悲しみは遂に分かることなく、神の座の堅固な要塞のビルを去っていくのだ。
今井功の悪質性は、こうした反人権、反憲法の不当、不適格な職業人生の軌跡だけに留まらない。「バカンス裁判」敗訴判決によって日本の外需依存経済構造の固定化と留まることのない円高、そして調整インフレ政策導入に伴う資産インフレの激化とその結果としての経済のバブル化と破綻、その反動としての日本経済の工業製品価格の下落とデフレ化、天文学的に肥大した公債発行と財政の破綻、そうした諸々の経済的原因から招来した格差社会の出現、「勝ち組」と「負け組」との階級分裂と固定化、寒空に放り出された幾十万もの派遣切り労働者や契約社員たち、ハローワークに溢れかえった失業者の群れ、貧困層と社会的弱者の急速な増大、労働組合などの人間性擁護のための運動や組織の衰退と衰滅、失業者やホームレス・ピープルの群生、精神疾患に苦しむ多数の老若男女たち、1日100人もの自殺者たち、家庭の崩壊、残虐犯罪の激増等々の社会・・・。閉息した現代日本。
こうした状況をもたらした原因の最大のものは、需要と供給のインバランス(不均衡)と資本主義が本来的に内包している物神崇拝性とマックスウェーバーも指摘している資本主義経済の自己疎外性にあることは明白である。それが日本にバカンスが許されなかったことが大いなる原因の一つになっていることはいまや明らかである。
そうした資本主義固有の欠陥を是正して、人権規約や憲法を守って、豊かで人間的な社会を造り上げていくことこそが、裁判官の存在意味であり、存在価値であり、役割だったはずではなかったか。
それを今井功は、反動的な思想に凝り固まり、出世願望の虜となって、民を踏みにじり、国を滅ぼしかねまじきまでに、桃太郎侍の台詞ではないが「悪行の数々」を行い続けてきたのではないか。許せない。 (了)
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