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「横浜日記」(178)その2 10・11・18 梅本浩志
<「裁かれたのは最高裁だ!」=山口俊明君逝く>
日本の民たちの消費支出が見合わないまま生産力だけが一方的に、急速に拡大していた日本経済の高度成長時代に、山口君がライフワークの原発問題の海外取材を行おうとして、1ヶ月間の長期有給休暇であるバカンスを基本的人権だと主張して夏休みを取った1980年はおろか、2010年の今なお長期休暇を日本人が取れないという状況は、全く変わってきておりません。
物を作り過ぎ、サービスを過剰に提供し、情報を氾濫させるばかりで、それに見合う消費がついていっておりません。その結果、日本は輸出して金儲けしなければ成り立たない国になってしまいました。外需中心の経済体質が根付いてしまった。根深い体質だから、どうにも治らない。過剰生産の体質となり、それがどうにもならなくなっていま日本は明らかに過剰生産恐慌に陥ってしまって、抜け出すことができずに、日本人も日本の支配層も『失われた20年間』を悔やんで嘆くばかりです。
バカンス不在の血の債務
反面、働く者はといえば、その大多数は、夏休みどころか、数日間の年次有給休暇さえとれていない。せいぜい病気のときとか、会社が連休などの折に、あるいは生産調整などしなければならないときなど、使用者側のご都合で従業員が休みを取ることを公認する場合などの折だけに、有給休暇を取得することが『許される』のが実態です。
日本の労働者・テクノクラートの有給休暇取得率の低さは世界的に定評あるところで、バカンス制度を確立している先進諸国の100パーセントとは比べものになりません。
働くものたちは夏休みどころかわずか数日間の休みもとれていない。それも労働者自身が職場中毒になっていて、休みを自由に取れないのが普通だと思うようになってしまっている、というのが現実でしょう。自分自身の本来人間としてあるべき姿を見失っているのです。そんな働く者たちが消費生活を楽しむなどという余裕がないことは自然なことです。それどころか今、働く者たちはいつ首を切られるか、戦々恐々の状態にあり、職があってもワーキング・プアなどと呼ばれて低賃金で弱い立場に置かれて苦しんでいます。若者たちに就職口がないのが今の社会です。残酷な社会となりました。
こうした日本社会の崩壊状態が内需、つまり国内需要の弱さに起因している、言い換えれば経済の低迷の原因が日本人の消費能力の低さにあることはいまや明らかです。その消費能力の弱さの最大の原因が、欧米諸国並みのバカンスがこの日本には未だに認められていない、存在しないことに求められるのは当然のことでしょう。
つまり長期有給休暇が基本的人権として認められないため、働く者がフランスやドイツ並みの夏1ヶ月、冬2週間といった長期連続有給休暇を取ることが許されないため、認められないため、働く者とその家族はゆっくりと解放された休みを楽しめず、自分の自由にやりたいことを時間をかけてやれず、文化的に貧困な生き方を余儀なくされているのだ、と言っても決して間違いではないだろうと思えます。このことを経済の面から見てみますと、消費が、過剰となった生産と供給にバランスがとれずに、経済の体質と構造がいびつなものとなってしまった、と言うことができましょう。
ブルムの道か、ヒトラーの失敗か
私の記憶が間違っていないとすると、日本人がバカンスを取るようになると、年間15兆円もの内需を喚起することができると言います。政府試算による分析の数字です。このことは日本の経済社会は、バカンスが存在しないために年間15兆円もの消費支出を、つまりバカンスが根付いてさえいれば本来生み出されている消費を失っていることでもあります。その結果が円高であり、社会の崩壊であり、人間の崩壊となり、悲惨な結果を招いているのです。
つまり年間15兆円もの消費が生み出されているとすると最高裁判決のあった1990年からこの20年間で300兆円もの内需を生み出していたこととなります。それがバカンス不在によって生み出されていないわけですから、その分日本経済がいびつなものとなって、循環すべきカネも円滑に巡り回らず、遂に今日の事態を招いたと言えるわけです。
日本経済の破綻は日本国内の経済や社会の崩壊を招いただけではありません。外需依存の結果、海外経済の情勢や動向に他国以上に影響を受け、常に海外の動向に敏感にならざるをえず、それが日本の外交や軍事政策にも甚大な影響を与える結果となってしまっています。沖縄の基地問題でも必要以上に米国に気兼ねしなければならなくなってしまっているどころか、『日米同盟の深化』などという言葉が勢いを持って日本の政治・外交をいびつなものとしてしまっている。領土問題でも中国やロシアに言うべきことを言えないでいる。
外需依存でなく、国内生産と国内需要とがバランスをとれていさえすれば、経済的に自立できてきたことは当然で、外国にことさらに遠慮せずに、堂々と胸を張って、言うべきことを主張もできる。あまりにも他国依存の日本経済の有り様であれば当今のような惨めな国際関係に陥らなくてすむことぐらい子供でも分かることなのです。ひとえに日本にバカンスがなく、そのマイナス面があらゆる面ににじみ出て、日本をその悲惨で自尊心を失わせる状況から抜け出させないでいるのです。
日本経済はいまこそ、先進諸国並みのバカンスを基本的人権として認めて、経済の本義たる経世済民に立ち戻らせなければならないことは言うまでもありません。
バカンスが世界大恐慌からの脱出つまり経済復興を図って、フランスがレオン・ブルム人民戦線内閣時代に案出されたこと、それに対してドイツがヒトラーによって高速道路アウトバーン造りと軍需産業への資金投入によって経済的難関を克服しようとしたこと、その結果、レオン・ブルムはナチス・ドイツによってミュンヘン郊外のダハウ強制収容所に放り込まれて殺されかかったが戦後フランスを復興させたこと、一方のヒトラーは愛人と心中し、ドイツを破滅させたことを、いま日本人は思い起こすべきだろう、山口俊明君逝去のこの今こそ、と思えるのです。
最高裁敗訴判決から始まった「失われた20年」
まさに『最高裁が裁かれた』のです。歴史的に。その判決によって日本はダメになってしまったのです。『失われた20年間』と言われています。その『20年間』とは1990年から今年2010年の期間です。つまり山口敗訴判決を最高裁がを下した1990年から今日の日本の不幸が始まったのです。
1980年から10年もかけて、その間、東京高裁で逆転勝訴判決を勝ち取りながらも、最高裁で実質敗訴とされた判決によって日本がダメになったことはいまや明らかです。10年間、山口俊明原告が『日本にも欧米先進諸国並みのバカンスを認めよ。それは日本国憲法および国連人権規約で保証された基本的人権である』と主張し続けた叫びが実に正しかったことはいまや明白です。
最高裁よ、頭を垂れよ!山口君を不当にも報復懲戒解雇した時事通信社よ、恥じよ!九州男児・山口俊明よ、さらば!」 (了)
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