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「横浜日記」(224) 2013年12月30日 梅本浩志
<奢れる人も久しからず=安倍自民党政権の大失策>(下)
日本語も堪能で、ヨーロッパの平均的な理知的若者だと私が見ている21歳の春香クリスティーンさんが、安倍首相が靖国神社に電撃参拝した12月26日に、読売系日本テレビのアフタヌーン・ショー「情報ライブ ミヤネ屋」にゲスト出演していた。
そのゲスト席で司会者の宮根誠司から安倍首相の靖国参拝について感想を尋ねられたのだが、彼女は「海外でよくこの問題と比べられるのが『もしもドイツの首相がヒトラーのお墓に墓参りした場合、他の国はどう思うのか?』という論点で議論されるわけですけれど、まあ難しい問題ですよね」と答えたと伝えられている(J-CASTニュース)。
私も時々このニュース・ショーを見て、彼女の人となりを知っているが、26日の彼女の発言は自然で、当然のことを指摘したものであることは明らかである。ヨーロッパ人の目から見て、自分の意見ではなく、ヨーロッパにおける一般的な反応や議論を紹介したものであって、自分の個人的感想を口にしたものでないことは明白である。永年ヨーロッパ取材をしてきた私にはそのことがよく分かる。
ところが、この彼女の一般論的な指摘あるいは紹介を、彼女自身の意見であり、見解であるかのように意図的に曲解して、彼女のブログやツイッターに非難攻撃を浴びせる「コメント」が殺到し、「炎上」してしまったという。日本人の恥というべきか知的レベルの低さを表して、全世界に大恥をさらすクリスティーン攻撃だった。安倍首相の恥の上にさらに日本国民の恥を積み重ねたようなお粗末さだった。
ヒトラーと同盟した親戚・松岡洋右
世界の多くの人間は、安倍晋三首相の親戚には、第二次世界大戦のA級戦犯が2人もいることをよく知っているのである。1人は祖父の岸信介、いま1人はかの松岡洋右である。ヒトラーと同盟した男である。
安倍晋三の母方の祖父がかの岸信介。その岸の母・茂世の弟・佐藤松介・藤枝夫婦の子ども・寛子は岸信介の実弟・佐藤栄作(つまり安倍晋三の叔父)と夫婦になっているのだが、その寛子の母・藤枝と松岡洋右とは実の兄弟なのである。
そんな松岡洋右だから、彼もまた長州(山口県)出身であり、1930年には山口2区から立候補して当選し、政治家になっている。そして満州国建国に力を尽くし、満州国問題をめぐって日本が国際的に孤立するや、国際連盟からの脱退の急先鋒となり、さらにドイツに行ってヒトラーに直接会見して、日独伊三国軍事同盟を締結するという大失態をやってのけたのである。
だからヨーロッパ人から見れば、松岡洋右はヒトラーと手を結んだ超犯罪人なのであり、その松岡と安倍とが親戚の関係にあり、長州・山口県出身の政治家であること、そして祖父・岸信介も当の安倍晋三も長州の出身者であることを、全世界はよく知っているのである。
なぜ通じないのか靖国参拝
思い込み、思い上がり、自己陶酔に陥っていた安倍晋三は、その国の最高権力者が靖国神社に参拝することの意味とおかしさについて全く理解していなかった。それどころか『恒久平和の談話』なるタイトルを付けて靖国神社電撃参拝強行を正当化する『談話』を発表した。
裸の王様になっている安倍には、そんな子ども騙しの談話程度で、安倍の行動が被害諸国民を含む全世界の人間に理解してもらえるものと信じていたのだから、恐れ入る。
安倍首相の靖国神社参拝の談話や日頃の強弁についてはいずれ別稿で書いてみたいと思うが、ここに靖国神社がどういう性格の「宗教法人」なのか、なぜ諸外国から批判されるのか、日本国内からも批判されるのか、問題点だけを指摘しておく。
靖国神社は、日本のために生命を捧げた人たちの霊を慰めるために設立され、存続している単独の宗教法人であり、それら愛国者たちの霊を慰めるために政治家はもとより、首相も参拝してどこがおかしい、どこの国でも国家のために殉じた兵士たちを祀っている施設に政治家が参拝するのは当たり前ではないか、というのが靖国参拝政治家たちの常日頃の言い分である。果たしてそうなのか。
靖国神社はもともと明治維新の志士たちを祀っていた京都・霊山護国神社を基にして発展し、東京に移されて「招魂社」として発展的に設立された神社で、1879年に「靖国神社」と命名されて、内務省、陸軍省、海軍省の3省が共同管理していた国家宗教機構だった。それが敗戦で、憲法で宗教の自由が保障されて、単独宗教法人と形を変えて、生き延びてきた特殊な神社である。
西郷はダメ、東条は神様
こうした歴史から、明治維新期の戊辰戦争で一方的に賊軍とされた反薩長・幕府軍の兵士たちは「賊」であるが故に、祀られていない。西南戦争でもしかり。明治維新最大の功労者の西郷隆盛も西南戦争で、実質長州軍の「薩長軍」に抵抗した「賊」だからとして、靖国神社には祀られていない。
戊辰戦争で薩長軍に抵抗した偉大な人物たちも当然、祀られていない。会津藩以北の東北列藩同盟に参加して戦ったものたちも、祀られていない。故郷を愛し、武士道に忠実で、自らの行為は日本のためだと信じて戦った反薩長の人間は「愛国者」でないとして祀られていない。
日本近代化に大変な功労があった山本覚馬、小栗上野介忠順たちも祀られていないはずである。山本覚馬が西郷隆盛から高く評価され、小栗忠順の菩提寺には日本海海戦で勝利した東郷平八郎がお参りしているのだが。
小栗は横浜に税関を設置して(注・その名残が現在の横浜の中心地「関内」の地名に残っている)日本の植民地化を防ぎ、横須賀に近代的造船所を造って、艦船の建造や修理を行わせ、日本海海戦の勝利に貢献した幕閣で、三井の大番頭・三野村理左衛門をして絶賛せしめた人物なのだ。
戊辰戦争で無理矢理反逆者とされて薩長軍と戦わざるを得なくなった河井継之介もまた祀られていないはずである。河合継之助の副官・山本帯刀(やまもとたてわき)は山本五十六の養父でありながら、戊辰戦争で薩長軍に抵抗して戦死したために、靖国神社には祀られていないはずである。
日本国民としてみてもこうした靖国神社の扱い方は異常というしかない不合理な、「宗教」を看板とする差別的な「神社」である。そしてやがて思想弾圧の特高警察を先兵とした内務省が直轄管理し、そこへ陸軍賞と海軍省とが国家管理の形で共同管理、支配することとなった。
つまり日本軍兵士は、死者となっても国家に魂を管理される仕組みとなったわけで、諸外国から見れば、靖国神社が軍国主義全盛時代の大日本帝国の侵略戦争の国家装置であると見なされてもおかしくはない、そんな神社となってしまったのであり、坂本龍馬あたりがあの世で大いに不満を述べて、異議申立てを行っていてもおかしくはない、そんな神社なのである。
そこへ五相会議で東条英機陸軍大臣によって中国から手を引くことを拒否されたために、遂に太平洋戦争に突入せざるを得なかった、そんな東条英機までが祀られるに及んで、坂本龍馬などはあの世で激怒しているに違いないのだ。歴史の先を見通して、ただ1人でも戦うと宣言して、維新の夜明けを見ることなく死んだ高杉晋作や、高杉の師・吉田松陰もまた激怒を通り越して、大笑いしていることだろう。
日本人のわれわれから見ても、今の靖国神社そのものの存在と在りようはおかしいのである。この神社は「愛国」の神社ではなく、「愛長州」の傲慢な社(やしろ)に過ぎないと言われても致し方ないだろう。
魂の国家管理装置
そんな靖国神社であり、宗教の自由をうたった日本国憲法を拠り所として敗戦後も存続を許されている1宗教法人たる同神社が、第二次大戦での戦死者全員を、本人や遺族の意思を全く無視して一方的に合祀しているのは、どう考えてもおかしい。
キリスト教は一神教で、信仰する者は日本の神道に「神」として祀られることを峻拒するのだが、そうしたキリスト者たちも、本人はもとより遺族の思いや意思を完全に無視されて、一方的に「神」として靖国神社に祀られている。
1945年4月12日に、「神風特攻隊」として沖縄沖に展開していた米海軍機動部隊艦艇に特攻攻撃して若干23歳の若き生命を絶たれた京都大学経済学部学生・林市造君はこう遺書にしたためて突入していったのである、「私は聖書と賛美歌と(を)飛行機につんでつっこみます」(『きけわだつみのこえ』)。林君もまた靖国神社に合祀されていることは確実である。死してなお残酷な扱いを受けている林市造君を愚弄している安倍晋三たち。
そしていま1人、同じ京都大学経済学部学生だった木村久夫君の悲惨な哀れ。木村君は無実だったにもかかわらず、上官から卑劣にも捕虜虐待の冤罪を着せられて、シンガポール・チャンギー刑務所で戦犯として処刑され、28歳の生涯を断たれた若者だった。
「初め私の虚偽の陳述が日本人全体のためになるならばやむなしとして命令に従ったのであるが、結果は逆に我々被命者らに仇となった」ために「命令者たる上級将校が懲役、被命者たる私が死刑の判決を下された」、「今度の事件においても、最も態度の卑しかったのは陸軍の将校連に多かった」、「彼らが常々大言壮語していった『忠義』『犠牲的精神』はどこへやったのか」と叫び、「私はよし立派な日本軍人の亀鑑(きかん)たらずとも、高等の教育を受けた日本人の1人として何ら恥ず所のない行動をとって来たはずです」と書いて、「私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり」(同)と無念の遺書をしたためて絞首台に向かった。
その木村君が、なぜ罪をなすり付けて自分だけは助かった卑怯な上官たちと同じ神社に祀られなければならないのか、といった許し難さを、私は靖国神社と、安倍たち靖国参拝偽善政治家どもの姿と言動に見ざるを得ないのである。
宗教の自由を否定する靖国神社のやり方である。そんな靖国神社のあり方ややり方に対して諸外国から否定的に見なされ、死後の魂の自由と安らぎをも奪い去る靖国神社であってみれば、諸外国から激しく批判され、反発されるのは当然であろう。それが分からない安倍晋三をはじめとする日本の反動的政治家たちは全くどうかしていると言わなければならないのだ。
こうして安倍自民党政権は、独裁専制的政治手法の頂点において、取り返しのつかない大失策をやってのけたというべきであろう。日本ではかの「平家物語」でも言うではないか「盛者必衰の理」、「奢れる人も久しからず」と。 (了)
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横浜日記 2013
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「横浜日記」(224) 2013年12月30日 梅本浩志
<奢れる人も久しからず=安倍自民党政権の大失策>(上)
安倍政権は2悪法の「国家安全保障会議法」と「特定秘密保護法」の予定どおりのスピード成立の成功で自信を得て、事実上の独裁専制と言ってもよい唯我独尊の考えと姿勢で、やりたいようにやりだした。それも大変なスピードで。だがまさにそこに落とし穴があった。
好事魔多しという俗世の戒めを、奢れる首相・安倍晋三には、理解できていなかったようである。長州独善主義といってよい戦前の治安維持法・特高警察弾圧体制と15年戦争をよしとする、安倍一族にとっては「好事」と思われ考えられていることには、日本人のみならず圧倒的な世界の民たちにとっては「魔」でしかないことを、安倍晋三は遂に理解できていなくて、錯覚の極みとして大失敗をやらかしたのである。奢り高ぶっての靖国神社参拝という錯覚と大失敗である。そんな安倍の暴走を押し止めようともしなかった自民党と公明党の大政翼賛会的だらしのなさである。
そんな「好事」の裏には、戦前戦時中に、獄中で拷問死させられた良心的な日本人や、特攻作戦で自爆を強制させられた学徒動員兵たちや、戦火で生命や財産を失ってしまった日本の一般国民たちの怨念が粘着していること、そして15年戦争で殺害されたり不幸のどん底に突き落とされたアジアの数えきれない民たちの悲しみや恨みや悔しさが滲み溢れ出ていること、さらには日本と軍事同盟を結んだナチス・ドイツによって数百万とも数千万とも言われている無垢の人間がガス室に送られたヨーロッパの民たちの恨みともいえる「魔」が常に潜んでいることを、遂に知ることができていなかったのである。
お粗末なマスコミ報道
沖縄県民必死の願いの米軍基地の県外移転問題に対しては、予算大振る舞いという仲井真弘多・沖縄県知事への事実上の買収工作作戦や心理的圧迫によって辺野古への米軍基地移動を説得して、沖縄米軍基地問題に対して一応成功したかのような安倍自民党政権だった。
消費税増税問題もこれといった反対の声は上がらなかった。経済政策では「アベノミックス」とやらで、輸出産業を中心に売り上げが好転し、株価が上昇に転じた。マスコミは庶民の生活の苦しさに目もやらずに景気上昇を囃し立てた。大企業は業績を回復していき、自動車産業を中心に正規社員たち労働貴族たちが組合員である、御用労組化して賃上げもまともに要求できない状態の労働組合のへっぴり腰春闘を見越して、安倍首相自身が経営者たちに対して賃上げを要求するという田舎芝居を演じて、点数を稼いだ。
安倍自民党政権の失政に対しては、堕落した日本マスコミはほとんど真っ向取材せず、批判を控えた。「アベノミックス」が成功したかのように報じ、なんと流行語大賞なるものに選ぶという愚行を演じた。
安倍が大変な失政を犯していることをマスコミは真っ向から報じようとしなかった。安倍が自慢する「アベノミックス」にしても、その通貨膨張政策によって、最高値時1ドル80円だったレートが、この12月30日には105円台にまで下がり、その下げ率は31パーセント強となって、自動車を中心とする輸出産業の大企業はべらぼうな利益を手中にしてウハウハの喜びようであることをあたかも景気の好転などと囃し立てた。
幻想で思い上がりと錯覚
だがそのマイナス面が、一部大企業のウハウハ利益を帳消しにしてあまりある国民生活への圧迫となって跳ね返っていることに、日本マスコミはほとんど鋭く報じてこなかった。庶民の暮らしの苦しさを取材しているのか、生活者の目線に立っているのか、疑わしい連日の報道ぶりだった。
特に物価面への悪影響だ。原油やLNGなどの輸入価格が急上昇し、ガソリンや重油の価格が急上昇し、大変な物価急騰になって、貧しくされた国民の生活を圧迫している。
とりわけ生鮮食糧品価格への跳ね返りが凄まじい。歳末商戦だというのにスーパーの正月料理用材料の売り場面積は例年に比べて極端に狭くなっている。売れなくなっているのだ。
このほかにも福島原発汚染問題は改善されるどころか、汚染水流出など事態は悪化の一途をたどるばかりだ。福島県民の被害は悲惨を極めているのだが、安倍自民党政権は無能無策どころか、まだ原発再開幻想を持っていて、はったりと嘘でごまかしている。
中国や韓国との領土紛争に対しても、まるで子どもの喧嘩のような対応ぶりで、防衛力の増強と米軍頼みで切り抜けようとしているだけで、安倍首相の靖国神社参拝の影響もあってか、その米軍も腰が引けてきて日米共同軍事演習にも米国海軍が参加しない状態になっている。
中国のロケット・ミサイル技術は月面に資源探査車を着陸させるほど進んでいるほか、原水爆も保有している核ミサイル大国であり、米国への長距離核ミサイルの着弾精度は極めて高いと言うべきであり、そんな中国に対して、無人島の尖閣諸島問題の軍事的軋轢で、日中間に戦争が起きても、日米安保条約があるからというだけで、米国が対中全面戦争に踏み切ることなどあり得ないことは、太平洋戦争の際の米軍の行動や、現在進行中のイラン核開発問題やシリア内戦に対する消極的態度一つとっても明らかである。
なぜオバマ米国政権が切り札のキャロライン・ブーヴィエ・ケネディを駐日大使に起用したのか安倍政権は全く理解していないのではないか。ケネディ新大使がまっ先にやったことが東北被災地域への見舞いと長崎原爆被災地への派遣であったのか、その象徴的な意味を、おかしな自信で思い上がり、愚かな取り巻き連中からチヤホヤされている安倍晋三という男は全く分かっていなかったのであり、今なお分かっていないのである。
そして大失敗
そしてこの愚かな日本国首相に対して、おべっか使いの取り巻きに堕してしまい、イエスマンだけになってしまった、安倍チルドレンと言うべき取り巻き自民党員たちと、いまや野合を超えて忠実な愛犬と化してしまった公明党・創価学会のメンバーたちの中にあって、正常な感覚を喪失してしまった自民党・公明党連合政権の頂点に位置する安倍晋三首相は、裸の王様の通弊と言うべきか、大失敗を演じてしまった。12月26日に奇襲作戦で強行した靖国神社参拝である。
取り返しのつかない安倍の大失敗だった。中国や韓国だけに留まらず、「同盟国」のはずの米国からも「失望した」と異例の手厳しい批判を受けたのである。米国の批判はまず東京の米国大使館から出され、それを受けた形でオバマ政権は、米国政府の公式見解として追認するという異例の形となった。
キャロライン・ケネディ大使が安倍の靖国神社参拝にいかに強い衝撃を受け、激怒したか、同様にオバマもいかに怒ったのか、よく分かる。キャロラインの父・ジョン・F・ケネディは太平洋戦争中日本海軍に攻撃されて、乗艦が撃沈されて九死に一生を得た人物なのである。もしこの時、後の大統領ケネディが戦死していたら、キャロラインはこの世に生れ出てこなかったのである。米国を最大の敵とした太平洋戦争は、日本軍の真珠湾攻撃で始められたこと、そしてその日米開戦の通告文書に署名した東条内閣の閣僚が安倍晋三の祖父・岸信介であったことをキャロライン・ケネディが知らなかったはずはない。
安倍の靖国神社参拝は、直ちに中国、韓国、米国から非難を受けたばかりか、ロシアやEU(欧州連合)からも厳しい批判を受けた。国連も事務総長名で「北東アジア地域を苦悩させていることは非常に遺憾である、指導者は特別な責任を負っている」と異例の声明を出した。ナチの戦争犯罪を徹底追及しているイスラエルの「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」も批判したと伝えられている。諸外国のマスメディアは、私が知るかぎり、ほぼ全てが批判的に伝え、論じている。
クリスティーンの常識
この中でヨーロッパやイスラエルの批判は重要である。決して軽視できない重みを持っているのである。EUの中心国はドイツだからだ。そのドイツはヒトラー率いるナチが支配し、ユダヤ人をはじめとして、正確な被害者数も分からないほどのユダヤ人や政治犯たちを大量虐殺したのみならず、占領した国々の民たちを弾圧、抑圧支配した歴史を持つ国家である。
そのドイツは、今ではナチそのものが存在することを憲法(基本法)に明記してまで、決して許さなくなり、ナチ思想に共鳴すると主張するだけで非合法とされる国家に変わり、被害者たちに謝罪し続けている国なのである。かって当時のブラント西ドイツ首相がポーランド・ワルシャワのユダヤ人ゲットー(いわゆる「ワルシャワ・ゲットー」)の記念碑の前で、土下座して額(ぬか)ずき、ナチスの蛮行を謝罪したエピソードは有名で、ヨーロッパ人の大多数はこのことを知っているはずである。
そしてそのナチス・ドイツはかつて軍国主義日本と軍事同盟を結び、非道な戦争犯罪を行ったとして、ドイツ人自身からも非難されている全体主義国家なのである。そのドイツが中心となっているEUからさえも安倍の靖国神社電撃参拝は激しく批判された。大変な日本外交の大失敗であり、取り返しのつかない大失策だった。
ところでこの常識を当然のことと思っていた留学生でタレントとして活躍しているスイス人の女性が、ヨーロッパの人間の一般的な考え方というか常識をテレビで紹介したところ、日本人視聴者の多数が、彼女に悪罵を投げつけ、非難攻撃したというから、驚くほかない。 (つづく)
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「横浜日記」(223) 2013年12月27日 梅本浩志
<安倍チルドレンの用意ドン>
国民の大多数がよく理解できず、慎重審議を求めていたり、反対運動が起きていたにもかかわらず、強行成立させた二大悪法の「国家安全保障会議法」と「特定秘密保護法」を、安倍自民党政権は印刷インクも乾かないうちにと言うべき、わずか17日後の12月23日から早々と発動した。その手際の素早やかなことは、かのナチスの国内反対勢力に対する弾圧と近隣諸国への侵略を想起させるものがある。
安倍内閣がまず手をつけたのが「国家安全保障会議法」の発動だった。12月23日に韓国政府と国連(注・国連事務総長は韓国人)から緊急要請を受けたと称して、安倍内閣は「国家安全保障会議法」に基づいて(安倍首相自身の表現によると「NSC法によって」)アフリカ南スーダン駐留の韓国軍に対して銃弾1万発を提供した。
その素早さは間髪をいれずにと言えるもので、まるでその機会を待ち構えていたかのように、国家安全保障会議の「中核」として位置づけられている「4大臣会合」を早速開催して、直ちに実行することを決定、後は持ち回り閣議で公式決定という形をとるという、実にいい加減なやり方で、全大臣の同意を取り付けて、即座に日本政府としての正式決定として、現地に派遣されている日本自衛隊駐留部隊に命じて、実行させた。
翌24日には、「特定秘密保護法」成立までの担当大臣だと言われていたはずの森まさこ(森雅子)少子化問題担当大臣が記者会見を行い、問題のある「情報保護監視準備委員会」の初会合を翌25日に開き、同法施行後には「保全監視委員会」という仮称の名称で発足させ、内閣官房に設置される同委員会の初代準備委員長には森まさこ大臣本人が就任する、と発表した。森委員長の下には外務、防衛、経済産業各省と内閣府の各事務次官並びに内閣情報官、警察庁長官、海上保安官長官、公安調査庁長官といった言論統制を担う官僚トップが配置されることも明らかにした。
新法で思いのままに
それにしても安倍内閣のなんというお粗末な拙速ぶりであろうか。ことは日本国憲法の根幹に関わる最重要な問題である。とりわけ憲法の前文と第9条をないがしろにするばかりか、事実上改悪するほどの問題である。
集団的自衛権とか武器輸出3原則あるいはPKO法の解釈どころの問題ではない。銃弾は武器そのものである。銃だけならまだ人を殺傷できないが、銃弾があってこそ人を殺傷できるのである。しかも日本国内ではなく、海外で人を殺すために、使用する銃弾を他国に横流しするのだという。
南スーダンは非常に複雑な政治情勢下にある新興国家で、大統領派と副大統領派の敵味方に分かれて内戦に入り大混乱している国だ。そんな地球の裏側の地域に、憲法で禁じられている自衛隊の海外派遣を実行したばかりか、他国に銃弾を1万発も「貸して」やったのだという。
状況が非常に切迫していたからレアル・ポリティック(現実政治)の理屈で、4人の大臣が短時間話し合って、決定したのだという。なにもどこかの国が日本に武力攻撃してきて、時間的余裕がなかったから、とりあえず「最高司令官」たる首相が、緊急に決断しなければならなくなって、応急措置として下した決断の類では全くないのである。
しかも貸した相手の韓国の政府は「銃弾は不足していない」と記者会見して明言している。韓国国防省のスポークスマンの公式発表である。テレビではっきり映し出されていた。
このようにいかがわしく、重要な問題と決定に対して、安倍内閣の全閣僚は「持ち回り」とかで「了承」して、即断即決するという、考えられないお粗末さだ。
この道はいつか来た道
こうしたやり方こそ、戦前の五相会議の現実政治的やり方と、その結末としての15年戦争と太平洋戦争の突入及び敗戦へのプロセスではなかったか。
そのごく簡単な歴史を、『年表 昭和・平成史』などでたどってみよう。まず頭に1925年の治安維持法の公布がある。間もなく1929年の世界大恐慌で世界は大混乱し、日本では軍部の独走が始まって、同年9月18日に関東軍が満州事変を起こして、15年戦争の時代が始まる。翌年には満州国を建国させたが、国際的には認められずに日本は国際孤立の道を突き進む。「515事件」が発生し、左翼運動は潰滅させられていき、日本政治は急速に右傾化し、政治が反動化していく。
そして国際連盟を脱退せざるを得なくなる。まさにその年、1933年に五相会議が設置されて、動き出す。滝川事件をはじめとする大学の自治、学問研究の自由が奪われていく。
あとは「現実政治」にそって日本は五相会議に乗っかって軍部が政治、軍事のヘゲモニーを握って、宣戦布告なき「戦争」としての中国侵略の15年戦争を遂行し、泥沼に足を取られて、奈落へと転落していく。
1934年に入ると中国では毛沢東率いる革命軍「紅軍」が大長征を開始するが、全体主義化し国家主義の虜となった日本の政治指導者には考え、対応する能力も余裕も失ってしまって、ひたすらに日本は破滅の道へと突き進む。
1936年、五相会議は大陸と南方への進出と軍備充実を定めた「国策の基準」を決定、さらに「第二次北支処理要綱」を決定して、中国北部5省を支配下に置くことを決定。そして二二六事件、日独防共協定締結。
1937年には盧溝橋事件で日中泥沼戦争に突入、国民精神総動員実施要項を決定。五相会議は「支那側の謝罪及び保障確保」を掲げて内地3個師団の中国派兵を提案。そして蔵相だけを外して「支那事変対処要綱」を決定。南京占領と大量虐殺事件の発生。近衛首相が東亜新秩序建設を声明、さらに善隣友好、共同防共、経済提携の「近衛3原則」を声明。
積極的軍事主義の間違いでは
要するに侵略戦争とは常に平和の実現、自国民・居留民の安全確保、相手国との友好、経済協力を美名としておっぱじめられ、進められることを、日本の戦前の政府は実行していったのである。この年、国家総動員法を公布。
日本の国際的孤立はますます深まり、同様に国際的孤立を深めていた日独伊ファシズム3国で軍事同盟を締結する方向に向かい、五相会議は原則的に賛成し、加盟する方針を固める。三国同盟は1940年に公式に締結されるが、その前年に独ソ不可侵条約が結ばれたものの、その背後にポーランドの東半分とバルト3国をソ連が、ポーランドの西半分をナチス・ドイツが占領することを合意する密約が独ソ両国で締結されていたことを、外交音痴の日本政府は知る由もなかった。そして1939年、ドイツ軍がポーランドに進撃して、時の平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」と声明して総辞職する有り様だった。
その1936年に日本政府は閣議で、大東亜新秩序と国防国家の建設をうたった基本国策要綱を決定し、大政翼賛会を発会させた。同時にフランス領インドシナへの武力進出を内容とする南進政策を大本営政府連絡会議が決定し、間もなく武力進撃を開始する。そして真珠湾攻撃と敗戦。
安倍晋三のいい加減な思いつきでしかない「積極的平和主義」の具体的展開である様々な諸施策と「日米同盟」心頼みの軍事、外交政策は、戦前の日本政府の歩んだ道となんと似ていることか。いっそのこと安倍は「積極的軍事主義」、「日米二国同盟」と改称すればよいと思うのだが。
パブコメのいかがわしさ
さて12月25日に開かれた、「特定秘密保護法」施行に向けての「情報保護監視準備委員会」の初会合だが、この明白な人権侵害と国民相互不信土壌形成の憲法違反の法律を1年以内に施行するために設置された「治安維持法復活準備委員会」にふさわしく、実にいかがわしい初会合に終わったようである。
選ばれた委員長の森まさこ大臣は、同法の国会審議最中に「森担当相ぶれる答弁」、「度重なる森氏の発言のぶれ」、「森氏は再び迷走」、「先祖返りした発言」、「答弁が定まらず」、「(質問した民主党の福山氏は)『虚偽答弁した』、『その場その場で適当に答弁する』」などと毎日新聞11月30日インターネット版で報じられた大臣である。
そんな大臣にふさわしくというべきか、「特定秘密の指定・解除の運用基準や政令に国民の意見を反映させるため、パブリックコメント(意見公募)を行う」などと発言した旨のことが例えば12月26日付朝日新聞で報じられている。
人間にしろ機関・組織にしろ、なにかについて自分自身でよく理解できていないことや、都合の悪いこと、あるいは自信を持てないことを口にするとき、往々にして外国語を使ってごまかすものである。この日の森まさこ発言もそうではなかったか。
なぜ「広く国民の率直な意見を求め、その結果を実現し、施策に反映させるように務めます」と言えないのか。森大臣にはどこか、ごまかし、まやかし、やましさの気持ちがあったのではないか。それも「パブコメ」などと新聞までが使うのだから、私のような外国語に弱い人間はどぎまぎしてしまうのだ。
そう思ってさらに新聞を読んでいくと、実は「特定秘密保護法では、政府は法案提出前の9月、パブコメを15日間実施した」、「寄せられた約9万件の意見のうち77%が法案への反対意見だった。それなのに法を成立させたことで、『国民の声を軽視している』と批判が続出した」と朝日新聞には書いてあった。つまりまた猿芝居をやって、国民をなめ切って、形だけの「パブコメ」芝居を今度もまたやることは明白である。
国民をなめ切り、言論の自由を中心とした基本的人権の弾圧を徹底して遂行する先にあるのは戦争であり、猜疑心に満ちた社会であることは、戦前の日本を見れば瞭然としているではないか。
いかがわしさはまやかしの外国言葉だけに留まらない。同紙によれば、「森氏によると、会合では公文書管理、情報公開、安全保障、報道の専門家らで運用基準のあり方を話し合う『情報保全諮問会議』(仮称)を来月にも設置することを確認した。その意見を踏まえ政府が同法の運用基準と政令の原案を取りまとめ、さらにパブコメで国民の意見を募るという」。
今度は「報道の専門家」をも巻き込んで、「新治安維持法体制」に引き込み、戦前、戦時中のような大政翼賛会的な言論、報道監理統制体制を築き上げようとしているようである。日本の大手マスメディアなら、尻尾を振って「報道の専門家」に仲間入りしたがるのではないか。安倍政権はそこまで見通しているのではないか。 (了)
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「横浜日記」(222) 2013年11月30日 梅本浩志
<緊急アピール=憲法が実質的に改悪される>(その15)
当初は、学生たちが市民や労働者たちに訴えるために掲げていたプラカードだったのだが、警察機動隊が警棒を頭上高く振り上げて殴りかかったり、ジュラルミン製の楯で強打してくるのを防ぐために、持っていたプラカードで自分たちの身を守ろうとしたものだ。
ところがプラカードに使うそんなに硬くない建材用の棒などではとても守りきれず、その上にプラカードの画面版も邪魔になって、やがて自衛するために、表示画面を取り除いて棒だけにして、いわゆるゲバ棒(注・ゲバはゲバルトつまり実力行使の意味)として自衛の武器にしていったのである。
やがて警察が学生デモ弾圧のために凶器準備集合罪を利用するのが常習化していったのだが、それもベトナム反戦運動と一体化した全共闘運動がかなり進行してからで、警察機動隊がデモ弾圧のために凶器準備集合罪を適用したのは、1960年代も末期に差しかかった頃だったと記憶する。
法の拡大解釈で人権弾圧
テレビ・ニュースで見た私の記憶では、最初に凶器準備集合罪を警察が適用したのは、確か路上をゾロゾロと歩いていた数十名の法政大学の学生たちに対してだった。学生たちが廃材のような木材で、枠を作って紙を貼り、そこになにかスローガンを書いたものを手に、歩いていたところを、警官隊が凶器集合準備罪違反だと叫んで一斉逮捕した光景が画面に出ていた。おっかない暴力団のお兄さんとは全く違う学生たちに対してだった。ジャンパーを着て、タオルを首にかけていたように記憶している。
明らかに凶器集合準備罪の法制定の趣旨に反し、目的に沿わず、木材と紙だけのアピール用具を、暴力団のピストルだの手榴弾などと同一視して、凶器だと恣意的に断定して、少人数の学生たちに、号令一下、いきなり一斉に襲いかかって、殴ったり蹴ったりの暴行を働いて、怪我を負わせて、全員を逮捕したのだから、これは明らかに警察側の恣意的な法律の拡大解釈による違法行為で、到底許せるものではなかった。
こうした拡大解釈による法律の恣意的解釈と適用は、その後も改められることはなく、学生たちの被害は増える一方だった。殴ったり蹴ったり、催涙ガス弾を撃ち込んだりと警察側は好きなように弾圧した。
やがて学生たちは、このままでは身を護ることができないし、デモをすることもできなくなると考えて、ヘルメットを被って、手に角材を持ち、警官隊と渡り合うようになっていった。
やがてそうした角材による学生たちの実力行使は、鉄パイプや火炎瓶などの武器を手にして本格的な武装闘争に移らないかぎり街頭デモさえもできない、学内闘争もできないと学生たちが考えるようになり、その行き着いた先が連合赤軍事件なのである。学生たちは国家権力の謀略と武装闘争の一種の罠(わな)にはまってしまったのである。
人権侵害明白な条文記述
ことほど左様に、公安関係の取り締まりでは既存の法律が警察側の恣意で好きなように拡大解釈されて、人権弾圧の道具として使われるのが、戦前からの歴史だった。このような懸念は治安関係の法律行使においては常套的な手段と言ってよく、だから破壊活動防止法など作られる際には、そうした拡大解釈がされないように、悪用されないように、二重三重の歯止めをかける条文が入れられたのである。
例えば破壊活動防止法では、第2条において「この法律は、国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから、公共の安全の確保のために必要な最小限度においてのみ適用すべきであって、いやしくもこれを拡張して解釈するようなことがあってはならない」と厳しく枠をはめているし、第3条においても「この法律による規制及び規制のための調査は、第一条(この法律の目的)に規定する目的を達成するために必要な最小限度においてのみ行うべきであって、いやしくも権限を逸脱して、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由を、不当に制限するようなことがあってはならない」と厳格な枠をはめているのである。
ところが、今度の「国家安全保障会議法」と「特定秘密保護法」では、こうした乱用防止や憲法遵守の条項が一切、書かれていないと言ってよいだろう。
せいぜい雑則の第22条(この法律の解釈適用)において、報道や取材の自由に配慮すべきことと、取材活動は正当な業務行為だと極めて抽象的に書いているだけである。それも「報道又は取材の自由に十分配慮しなければならない」と精神訓話の域を出ていない条文に留まっているのである。
しかも「専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認めないかぎり」という条件がついていて、お上(警察)の容認する取材活動以外は原則的に違法行為だとされているのである。
ここで書かれている容認行為は、せいぜい大手マスコミや大手出版社の取材記者の活動を、お上の容認する範囲内でしか認めないことを意味していることは明らかである。欧米では一般的なフリーのジャーナリストは保護されないとみるのがあたっているだろう。
つまり私が問題としている一般国民の人権侵害と、そのことに伴う社会の窒息状態化の懸念に対しては、「この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害することがあってはならず」と極めて抽象的にしか書いていないのである。破壊活動防止法のように、法律の頭書部分において、具体的にして明確に乱用防止を明示してあるのとは大違いである。恐ろしいことである。 (了)
[後記]この原稿を執筆、連載中の12月6日、安倍自民党政権は、国会の会期を延長し、問題の「特定秘密保護法」を参議院本会議で強行可決、成立させた。国益優先の名目で、民益をないがしろにした自民党と公明党の思想と行動に私は、かっての暗かった時代を想起せざるをえない。
日米開戦の署名をし、日本人に塗炭の苦しみを味合わせたA級戦犯の孫と、治安維持法で日本人を窒息させ、多数の優れた知識人や運動家たちを殺害した特高警察責任者を親に持つ息子とが、祖父や父親のやったことを繰り返し、祖父や親のなそうとしながら、敗戦でなし得なかったことを、得意顔でなしたのである。
12月6日から7日にかけてのこの暴挙は、私に72年前の1941年12月8日を思い出させる。日本では12月8日だがアメリカでは12月7日。ちょうど72年前のまさにその朝、私はラジオで真珠湾攻撃の大本営発表の甲高い声を聞いた。
やがて私は小学校(当時は国民学校と言った)に進学したのだが、家から学校までの途中に裁判所があった。裁判所の前庭を通ると近道だったこともあり、しばしば前庭を突っ切った。そんな時、しばしば編み笠を顔にすっぽり被せられた囚人たちが縄で数珠つなぎされて、建物の中へ入らされる姿を目にしたものである。
戦後、詩人のぬやまひろしが『編み笠』という詩集を出版して、読む機会があり、そこで初めて編み笠を被せられた囚人たちの中に、治安維持法で弾圧されて投獄された思想犯が混じっていたことを知った。
編み笠を被せられ、数珠つなぎで連行させられてきた囚人たちを物珍しそうに見ていた子どもの私たちに、裁判所の守衛が近づいてきて、「あんな悪い人たちになってはダメだぞ」と脅しに近い教訓をたれた。やがて長じて私は編み笠の人たちの真の姿を知るところとなり、あのような時代にしてはならないことを学んだ。
時代は確実に曲がり角を曲がった、そう思えてならない私である。それにしても、自由だの民主だの公明だのを看板に掲げる通称「政治家」たちの何たる無様、幼さ、無邪気。勝った勝ったと唱和し大喜びする愚かさ。お前たちに自由や民主といった人権の尊さとありがたさが分かってたまるものか。どのくらい先人たちが犠牲を払って闘い、獲得した人権であることか。
自由や人権は失ってから初めてその貴重な価値が分かるものである。しかし分かったときには手遅れである。そんな時代が再びやってきたとは思いたくないのだが。
なお、とりわけ特定秘密保護法案を安倍内閣が国会に提出して審議中に、国際連合機関が日本政府に対して、幾度も言論・表現・メディアの自由及び基本的人権に関して取り決めた「ツワネ原則」(正式名称は『国家安全保障と情報への権利に関する国際原則』)に抵触あるいは違反するおそれが極めて強いことを指摘して、厳しく批判、警告していることを書き添えておかなければならない。そしてそうした国際的な意見や批判を完全に無視して、強行成立させた安倍自民党政権と与党・公明党の破廉恥な態度と行動についても。
同原則は世界70カ国以上500人を越える国際法、人権関係専門家たちが2年以上もの歳月にわたって研究、議論し、協議し続けた末に世界22団体の手で起草され、2013年6月12日に発表された、極めて重要な国際人権規約の根幹的一部を構成するものである。
起草に当たった22団体には、「表現と自由のための地域連合」(南北アメリカ)、「アムネスティ・インターナショナル」(ロンドン,全世界)、「国家安全保障研究センター」(ワシントン、南北アメリカ)、「アジア人権・開発フォーラム」(バンコク、アジア)、「英連邦人権イニシアティブ」(ニューデリー、英連邦)、中央ヨーロッパ大学(ブタペスト、ヨーロッパ)、「パレルモ大学法学部表現の自由と情報へのアクセス研究センター」(ブエノサイレス、アルゼンチン)、「安全保障研究所」(プレトリア、アフリカ)、「国際法律家委員会」(ジュネーブ、全世界)、「アメリカ国家安全保障アーカイブ」(ワシントン、全世界)、「プレトリア大学人権センター」(プレトリア、アフリカ)、「エジプト個人の権利イニシアティブ」(カイロ、エジプト)、「法とデモクラシーセンター」(ハリファックス、全世界)等、全世界規模の人権問題並びに安全保障問題専門家集団が含まれている。
この『ツワネ原則』に対する国際的評価が非常に高いことは、例えば以下の欧州評議会議員会議決議(2013年10月2日)によっても明らかである、「欧州評議会議員会議は、このグローバル原則を支持し、欧州評議会の全加盟国の当該分野の関係官庁に対して、情報へのアクセスに関する法律の制定と運用を現代化するにあたっては、本原則を考慮に入れることを求める」。
それだけに内容は広範囲にわたり、詳細を極めて、国家の安全保障に名を借りた人権侵害を防ぐための内容となっており、その内容についてはとてもここで紹介しきれず、インターネット上で日本弁護士連合会の専門家の手で訳されているから、読者の皆様方にはぜひ目を通されることをお奨めする。安倍自民党政権の手にかかる今回の超憲法的2法がいかに悪質なものであるか、世界の常識からほど遠く、物笑いなものか、理解できると思う。日本はもう北朝鮮や中国の人権侵害行為を批判したり、物笑いにすることはできなくなってしまった、と言うべきだろう。(2013年12月17日追記)
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「横浜日記」(222) 2013年11月30日 梅本浩志
<緊急アピール=憲法が実質的に改悪される>(その14)
1917年にロシア革命が勃発し、ボルシェヴィキが権力を取って革命に成功するや、日本国内でも社会主義運動が一層活発化することを恐れた、時の政権・寺内内閣は従来にも増して、治安を強める。
その先兵になったのが、平沼赳夫代議士(注・自民党政権下で運輸大臣、通産大臣、経産大臣を歴任)の養父である平沼騏一郎である。日本の治安維持関係の総元締となり数々の悲劇を生み出させ、その犠牲者の血と涙を培養基としてやがて総理大臣となるこの男・平沼騏一郎が前面に躍り出て思想弾圧と人権侵害の国家犯罪に乗り出したのが1918年4月のこと。検事総長のポストにあって、「怖(おそ)る可(べ)き危険思想」と題する訓示を行って、思想弾圧を露に行うことを宣言した。
これをきっかけとして思想弾圧はいっそう激しくなり、2年後の1920年正月早々森戸辰男事件が引き起こされ、1922年には審議未了とはなったが時の政府が「過激社会運動取締法案」を議会に提出した。
そして1923年に、関東大震災のどさくさに乗じて、おそらく日本の社会主義運動革命家としては最大の存在だったと私が思う大杉栄と伊藤野枝が憲兵に虐殺された。
その年1923年には緊急勅令の形で通称「治安維持令」(「治安維持の為にする罰則に関する件」)を制定し、遂に1925年4月に悪名高い「治安維持法」を公布して、その翌月に施行し、その半年後に「京都学連事件」が同法国内適用事件第1号として起こされ、多数の学生たちが起訴されている。現日本国憲法の原案を取りまとめた鈴木安蔵もその被告として投獄され、敗戦に至るまで思想犯として弾圧され続けたのである。
特高の暗い影が漂う自民党幹部
特高警察によって拷問で殺されたものは数知れず、小林多喜二たち犠牲者の屍累々たるものがあった。なぜ現在の日本国憲法が基本的人権に重きを置いているのか、の理由がそこにある。
それはまさに鈴木安蔵たちの苦難、苦痛の苛烈な人権弾圧の直接的体験と、そうした戦前の治安維持体制が日本全体を暗黒社会と化さしめて、軍部と右翼国家主義者に太平洋戦争へと突っ走らせ、大惨禍をもたらすこととなったからである。その先兵だったのが悪名高き特高警察だった。
特高警察についてはその後、猛威を振るって政治、社会運動を弾圧したのみならず、諜報活動の取り締まりにあたったことに注目すべきであろう。
また小林多喜二を拷問殺害した時の特高警察最高責任者である安倍源基が、安倍晋三現首相と同郷の山口県の出身者であり、戦後、山口県を選挙地盤として自民党から立候補したり、岸信介たちとつるんで「新日本協議会」なる団体を組織したり、全国警友会連合会長になったりしていること、あるいは同じく特高警察を指揮していた町村金五の次男・町村信孝が安倍晋三も属している自民党町村派の会長であり、文部大臣、外務大臣、科学技術庁長官、内閣官房長官を歴任した人物であることも頭に入れておく必要があるのではなかろうか。
安倍源基も町村金五も敗戦と同時に公職を追放されたが、岸信介たちとともに復帰し、共に自民党の政治家として活動して、町村金五など北海道開発庁長官、国家公安委員長、自治大臣など閣僚にまでなり、勲一等旭日大授章まで受けているのだから恐れ入る。
ほかにも例えば、今度の超憲法2法の成立に大活躍した高村正彦・現自民党副総裁にも肉親の暗い影がつきまとう。高村は経企庁長官、法務大臣、防衛大臣、外務大臣を歴任してきた実力者だが、その高村正彦副総裁の実父・高村坂彦もまた山口県の出身で、内務官僚で特高警察の最前線にいた人物なのである。鳥取、香川、新潟各県で特高課長を務め、最後に内務省調査局長のポストにあったし、高村正彦自身も山口県の出身で、安倍晋三を強力にサポートしてきた、自民党有力者であることも気にかかるところだ。
公安優位の警察の体質
こうした特高警察の最高のポストにあり、数多くの人間を殺害するなどした責任者の孫や息子が大きな影響力を持って、自民党を動かし、遂に超憲法的な「国家安全保障会議法」と「特別秘密保護法」を成立させ、日本を戦前の暗黒社会に戻そうとしていると考えると恐ろしくなるし、その蓋然性は大きいと言わなければならないのである。
そして現在の日本の警察はというと、公安警備の畑を歩み、出世してきた人物が支配していることは明らかである。私は警察庁や警視総監たちの人事が発令されると、どういう人物なのか新聞記事に目を通すのだが、ほぼ全ての警察トップが公安警備の畑を歩んで、そのトップに立った人物である。
警視総監が歳末などで新宿の繁華街を視察に歩く様がテレビや新聞で報じられるのが毎年の恒例行事になっているが、そんな彼らの歩く姿を画面で見るとき、こうした人物が警察庁の最高幹部になるのだなあ、と思うのである。
こうした警察の創設以来の公安警備優先の体質に加えて、警察特有の秘密体質と、民に対する抑圧的な体質が今回の超憲法的2法の運用に悪しき作用を与えるのではないか、と私は深く憂慮している。
法の拡大解釈は警察の得意技
公安関係の刑法が常に拡大解釈されて、運用されることも心配である。例えば、暴力団の抗争を防ぐことを目的に制定されたはずの凶器集合準備罪などは、1960年代末期から始まった全共闘運動の学生たちを弾圧するための法律として適用され、利用されたことなどがそうだ。 (つづく)
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