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「横浜日記」(237) 2014年12月15日 梅本浩志
<日本の近未来と日本人の運命が決まった=総選挙雑感(その6)>
それに反して、大統領になるジョン・F・ケネディが米国民から人気があり、信頼されていたのは、彼が上流階級の人間であったにもかかわらず、若いとき、海軍に志願兵として入隊し、魚雷艇に乗り込んで出撃した際のエピソードが伝説化されていたためである。
日本海軍駆逐艦「天霧」に遭遇して衝突され、海上に投げ出されたが、負傷した仲間をロープで結びつけておよそ6キロ泳ぎ、近くの島までたどり着いて、自分と仲間を共に助けたという英雄美談伝説が広くアメリカ社会に流布されたためである。卑怯な徴兵逃れをしなかった、という伝説が広く流れて、人気を博したためなのであった。
性欲と思想を抑え込むのが軍隊である
軍事力の強化は軍隊組織の拡大強化でもある。兵力と物理的に呼ばれる兵士たちは、日常的に、ごくわずかの休憩と睡眠時間を除けば、個人的な自由はまずない。連日の厳しく激しい訓練で鍛え上げられ、厳しい統制下に置かれる。
わずかに許される休暇日を除けば、外出は、無理に近い。だから家族になにがあっても、急には家に帰れず、恋人と会うこともままならない。兵営から近くであれば、休暇日を利用して外出し、人に会うことも可能ではあるが、少しでも遠距離であれば、面会日に兵営にまで来てもらって、限られた時間内で話をするのが精一杯である。恋人と肉体的な愛を交わすことなど、まず不可能である。
軍隊組織内部の統制は厳しく、それを利用して、苛めが行われたりする。近代化されているはずの現在の自衛隊においても、軍隊であるからには、基本的には昔の軍隊と変わることはない。海上自衛隊の艦内で上官から苛めを日常的に受けていた横須賀艦隊所属の若い兵士が、耐えかねて自殺して問題になったのは最近のことだ。
軍隊という組織はそのようなものであるから、国防軍と名称を変更したところで、いや改称したからには、一層兵力を増強する必要に迫られる。敗戦を契機に日本はデモクラシー国家となったはずだから、軍隊組織の体質やシステムを是正しなければならないはずなのだが、軍隊であるからには、その本質を変えることは不可能なのである。
特に軍の指導部に入る将校以上の上級兵たちは抱いている思想を厳しくチェックされる。現在の防衛大学校ですら、入学するとき、思想を中心とする身許調査が行なわれる。私の兄の親友も防衛大学校に入学したのだが、入学決定に際して、思想調査が行われ、わが家に興信所と思われる調査員がやってきて、特に思想面についていろいろ尋ねていったことが思い出される。
軍隊と性欲とは矛盾関係にある
つまり軍隊という組織はそれ自体が非人間的にできているのである。なにも戦前の日本の軍隊だけにとどまらず(だがそれにしても昔の日本の軍隊はなんという非人間的な組織であったことだろうか)、間もなく国防軍に名称変更される自衛隊も、軍隊である以上、非人間的な組織であることからは免れられないのである。
軍隊組織の非人間性は、例えば野間宏の『真空地帯』や、花菱アチャコ演じる喜劇映画『二等兵物語』、あるいは仲代達矢主演の映画『人間の条件』などで描かれているが、元共産党員でいまや読売のドンと呼ばれている、改憲論者のかのナベツネこと渡辺恒雄・読売社主でさえ、軍隊的抑圧を激しく批判し、靖国神社参拝を非難してやまない男に変えてしまっているほどである。中学生時代の軍事教育や航空機工場での勤労動員体験からの強い反発から、そうした矛盾した思想の持ち主になってしまったようである。
そうした隔離され、自由を奪われた若者たちと言っても、人間であることには変わりなく、特に安らいだ心を求める青春の特権を謳歌したい気持ちは抑えきれるものではなく、ましてまるで火山のような性欲をコントロールすることはまず不可能であり、20歳代であれば、健康な男である限り、週に2回も3回も間欠泉的に性的欲望が襲ってくるのだから、これを抑えることは戒律の厳しい修行僧の苦しみを必要とし、なんらかの処理をしなければ、どうしようもない。
子孫を残していくための天与の欲望だから、これだけは余程の聖人でない限り抑圧し切れない。聖職者でさえ性的欲望を抑え切れないことは、全世界的に問題になっているカトリック教司祭たちのセックス・スキャンダルを見ても明らかだといえよう。
特に日中、軍事訓練が激しければなおさら昂進するのが性欲なのである。軍隊という全体主義的で統制主義的な組織と性欲とは矛盾しているのであり、軍隊と性欲とは矛盾関係にあると言ってよいだろう。
まるで業(ごう)のような性欲ではあるが、人間にとっては食欲と並ぶ最も重要な本能であり、人間誰しも性欲から逃れることはできない。それどころか、性の世界は本来、素晴らしく生を満ち足りたものにする、美しいものである。エロチシズムあるいはエロチスムと呼ばれ、イタリア・ルネサンスの絵画や彫刻の作品は人間の裸体の美しさを表現することから始まっていることからでもそのことが裏付けられるのである。
エロス享受の人権を侵害する野蛮
ルネサンス芸術だけにとどまらず、ミケランジェロであれ、谷崎潤一郎であれ、葛飾北斎であれ、ローレンスであれ、エロスから始まりエロスに帰り着いたのであり、エロスを自分の芸術の原点としたことは彼らの作品を見れば瞭然としているのである。最後にたどり着いたのが性そのものであり、エロスの世界と喜びであった。
そしてなによりも性の世界は根源的に平和を必要とし、例外を除けば男女間の全人間的な宴なのであり、美であり、心を豊かにするものである。エロスこそは人間が人間として、人間的に生きることの至高の世界なのである。
だからそうしたエロスの世界を求めることは、人間にとっては最も基本的で根源的なことなのである。それは全体主義や、暴力そのものの戦争とは対局にあるものなのである。そんな最重要な人間的欲望を果たさせないのが軍隊であり、戦争なのである。
エロスは戦争や死や暴力と対局にあるのだ。内面の世界と肉体とを結びつけ、男女間相互の存在と行為を織り交ぜた状況の中で喜びと充実感を感じさせ、与える究極の本能なのである。美の世界の中で、快楽を楽しみつつ、幸福感に浸れる個と個の世界なのである。
だから戦時性暴力は、エロスの世界から最も遠くに位置する、野蛮な暴力以外のなにものでもなく、そういう世界でしか性的欲望を果たせないのは、エロスを冒涜する以外のなにものでもなく、人間から人間性を奪う野蛮以外のなにものでもない。
そうした戦時性暴力へと追い込む戦争や国家権力は最も非人間的であることは言うまでもないことで、若者たちから人間性を奪うものであり、エロスの宴を喜びの中で行うことができるという最大の人権を侵害する暴力であることを知らなければならない。
だがいま安倍自民党政権や情けない民主党の連中どもは、若者たちから人間にとっては根元そのものであるエロス愛を奪い去ってしまおうとする、国防軍創設のための改憲を行おうとしているのである。
選挙という美名の下に
平和時においてさえ軍隊という組織ははなはだ非人間的な組織なのだから、いざ戦争となり、戦地へ送られ、死の恐怖に直面する日々を過ごさなければならなくなると、性欲は一層強くなる。
人間の自己保存本能から、死に直面すればするほど、性欲は高まるのである。ここに戦地での戦時性暴力の事件が発生する。多発する。いくら理性が働こうと、押しとどめることは不可能である。こうして戦時性暴力が、倫理、道徳を超えて、発生する。
敗戦直後、中国戦線から引き揚げてきた兵士から「村を襲撃したとき、逃げ遅れた女を小屋などへ暴力的に連れ込んで、数名もの兵隊が輪姦することがありました。そこへ共産軍のゲリラが、天上裏や窓から手榴弾を投げ込むのです。被害を受けている女性もろとも殺してしまうのです。殺された日本兵は名誉の戦死者として報告されるのです。名誉の戦死などと国や人々が言うとき、どうしてもそのことを思い浮かべてしまい、なにが名誉なものか、と怒りを感じるのですが、そうした事例を幾つか私は見てきています」などと大人同士で話をするのを、まだ小学生だった私は立ち聞きし、まだ「リンカン」などという言葉を知らない私の脳裏に、意味がよく理解できないまま、刻み込まれるのであった。暴力的に犯されるものも、犯すものも、ともに人間性を奪われてしまう戦争や軍隊という絶対悪。
戦争というもの、軍隊というものは、そうしたものなのである。理性や道徳や教養などというものでは、若者の抑え込みがたい動物的性欲に抗することは不可能なのである。戦争や軍隊をなくさない限り、異常な極限状態の下にあっては、動物でしかない人間の若者たちに性衝動を抑え込むなどということは不可能なのだ。形は様々違うかもしれないが、軍隊は、特に戦闘という極限状態下にあっては、性暴力から逃れられないのである。
戦争が終わってから、あるいは実戦の極限に置かれることがない安全地帯に逃れてから、戦時性暴力についてあれこれ言うことはできるかもしれないが、それらの言葉は奇麗であればあるほど、嘘であり偽善なのである。
もしそうした非人間的な極限状態を避けたいと願うのであれば、軍隊という組織を存在させないこと、もし存在しても決して軍隊には入らないことである。いまそうした極限状態に若者たちが追い込まれつつあるのである。
安全地帯にいて、日頃は勇ましい言葉を口にし、いざ戦争となれば、エゴイスチックに自分や自分の子どもなどは危険な目に遭わないようにする自称愛国者どもたちによって、そんな日本国にいま日本国民、特に若者たちは追い込まれつつあるのだ。
議会制民主主義なる言葉で飾られた選挙によって、そうした非人間的な軍隊が合法化され、美化され、社会の中心にどっかと位置するようになるのであり、なってしまったのである。12月14日の総選挙は、まさにそうした日本に作り替えられた記念日だったのである。(了)
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横浜日記 2014
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「横浜日記」(237) 2014年12月15日 梅本浩志
<日本の近未来と日本人の運命が決まった=総選挙雑感(その5)>
だが、戦時性暴力の問題は、そうした領域を越える残忍な問題であり、今後、絶対に戦時性暴力という残酷きわまりない事態を引き起こさないためには、その根元たる戦争と軍隊の廃絶が絶対的に必要なことを私は強く指摘しておきたいのである。それはまた、日本人の人間的名誉を守るということに直結するからだ。
解放軍もまた性暴力者となる
特に地上戦になると、必ず女性が性被害を受けることと、残忍で残酷な戦時性暴力がまず避けられないことは、人類が過去の戦争で味あわされてきたことであり、戦争で自らの死に直面した兵士は、動物の本能として性衝動から逃れられず、悲劇が至る所で発生するからだ。
戦時性暴力はまた、母国で差別されたり、経済的に貧しくて若さや自由を謳歌できなかったり、社会正義の恩恵に浴せなかったりして、心理的に強いコンプレックスを抱いていて、それが戦争という特殊な環境に置かれて、とりわけ一時的にも勝利し、抵抗する存在が影を潜めたときに、社会的、心理的な束縛から解放されて、それまで潜んでいた性への黒々した欲望が解き放たれて、暴発することからも起こると考えてよいだろう。
子どもから中年すぎに至るまで、女性たちの多くは性奴隷の餌食となる。満州では数万人もの日本人女性がソ連兵の餌食となったと言われ、ドイツでは信じられないのだが、その数200万人もの女性がソ連兵によって辱められたというではないか。ベルリンだけでも13万人もの女性が被害を受けたという。
かのノルマンディー上陸作戦でも、その戦果や「解放」の意義が華々しく宣伝された裏で、連合軍兵士たち、特にアメリカ兵が上陸したヨーロッパ大陸大西洋西岸地帯においてフランス人女性たちの多くを犯したといわれていることでもそのことが言える。
インターネット情報によれば、米国ウィスコンシン大学の歴史学専攻のメアリー・ルイーズ・ロバーツ教授の著作『兵士たちは何をしたか。第二次大戦中のフランスにおける米軍兵士たちと性』において、米兵たちのフランス人女性たちに対する性犯罪行動は「ノルマンディー住民たちに見られていた」し、実際そのとおりだったという。
特にルアーブルやシェルブールでは「街の至る所が性行為の場となり、米兵によるレイプの報告が数百件も残っている」という。
こうしたことからルアーブル市長が米軍駐留部隊の司令官に改善を求めたという。ロバーツ教授は「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」だという当時の資料を紹介し、「米兵の性欲は、いったん火がつくと手が付けられなかった」と書いて、そうした性暴力の原因の大きな一因として、米国内や米軍内において日常的に黒人が差別されていて、進駐先で日頃抑圧されている黒人兵たちの性欲が爆発したのではないか、と推定しているようである。
パリ解放の裏には
私はこのインターネットの一文を読んで、日頃から疑問に思っていたこと、即ち、パリ解放に際しては、なぜフランス人レジスタンスが、自分たちフランス人レジスタンス部隊だけでパリ解放を行うとして、米軍など外国軍の、パリ占領中のナチス・ドイツ軍に対する攻撃を拒否したのか、そしてフランス人自身の手で多大の犠牲を払うことを覚悟した上で、パリ解放を勝ち取ったのか、分かる気がしたものである。
米兵たちがパリ市内に突入すれば、パリの女性たちが米兵たちの性暴力の餌食になるおそれがあり、そうした事態を避けるために、自分たちが多大の犠牲を払わなければならないことを敢えて覚悟して、外国軍の「パリ解放」共同作戦を断わったのではないか、と思ったのである。
もちろんフランス人たちの名誉心や独立意識の強さ、あるいは共産党系の対ナチ・レジスタンス「マキ」とともに、フランス解放・レジスタンス運動の主力になりレジスタンス軍総司令官だったドゴール将軍の反アングロサクソン感情も影響したではあろうが、フランス・レジスタンスは総じて、パリの女性たちにノルマンディーの女性たちの悲劇の二の舞を起こさせてはならない、と考えたのではないか、と気付いたのである。
進駐米軍兵士の使ったゴム製品
こと女性への戦時性暴力に関しては、味方であれ敵であれ、戦争そのもの、軍隊組織そのものが引き起こすのであり、悪いのである。そこには犯すものと犯されるものだけの、地獄的で野蛮な現実しかないのである。
差別社会や人間の動物的性本能からしても、侵略軍の外国兵はもとより、生命の危機や日常的束縛を強く受けている同胞兵や友軍兵士たちもまた性衝動は、特に男性兵士は絶対的に抑えられないのである。それが野蛮であろうとなかろうと、理性や軍規などでは、本能は抑えられないのである。まして死の危険にさらされている状況下では。
敗戦直後に私は、進駐軍兵士だけを相手にする青線地帯(注・戦後売春防止法が制定される以前には遊郭が密集している「赤線地帯」があったが、敗戦となって米兵が進駐してきた直後から、進駐米兵だけを相手とし、日本人は立ち入れなかった売春街「青線地帯」が作られた)を目にしているのである。
当時滋賀県大津には米軍の西南地区司令部があり、三井寺近くの、確か柴井町とか柴屋町と言ったと思う歓楽街の中に、それまでの赤線地帯を二分してそうした青線地帯が設けられ、米兵が出入りしていたのを遠くから目撃している。なお、その大津の遊郭地帯は、梶井基次郎が名作『檸檬』で描いた場所でもある。
その青線地帯からそう遠くないところに長等公園があり、その近くには晩鐘や円山応挙の絵でも有名な三井寺(園城寺)が山手にあるのだが、子どもの遊び場にもなっていたその長等公園に行くと、落ちているゴム製品を目にしたこともあり、女性たちが米兵の性的餌食になった跡をしっかり目撃したり、知っているのである。ませた子どもが「ゴム風船と間違えて、口にするなよ。汚いし、病気が移るかもしれないから」などと大人から言われていた言葉を口にして注意するのであった。
戦争と軍隊が性暴力を引き起こす
だから中国や朝鮮半島で日本軍兵士たちがどのように振る舞っていたのか、およそ想像できるのだし、そうした蛮行は、死を前にした人間の本能と本性からして絶対に避けられないし、防げないだろうと思うのである。
食べるものもなくなり、子どもたちが飢餓に苦しむことは、私自身の体験でも身にしみて知っている。洗脳された国民は、子どもに至るまで、強大に武装している米軍と竹槍で戦おうとして、おかしいとも思っていなかった。もし日本が降伏していなければ、私は無駄に幼い生命を犠牲にしたことであろう。
冷静に考えれば、そうしたことはあり得ないことだし、無益であり、無駄なことだと分かるのだが、戦争という狂気は、全ての人間を狂わせてしまうものだ。戦争の渦中に追い込まれれば、人間の理性などは絵空事にすぎないのである。戦争の非人間的な一面である。
従軍慰安婦問題についてどうのこうのと論議されているが、要するに戦争と軍隊がそうさせるのであり、戦争と軍隊そのものが悪なのであって、これをなくさないかぎり、戦時性犯罪は絶対になくならないのである。
死を前にして、国家権力によって内面まで統制され、服従が絶対的である組織の軍隊の中に入れられては、死の恐怖や締め付けが強ければ強いほど、動物たる人間の本能として、性衝動は絶対的に抑制できないからである。
だから戦争と軍隊だけは絶対に存在を許してはならないのである。現在の日本国憲法を絶対に改悪してはならない私の理由の一つだ。
地位も金もない若者たちが犠牲に
そうした状態に日本が陥ってもよいのか。まじめなものたちは、愛するものたちのために死んでいくのだが、日頃勇ましいことを口にし、愛国者ぶっている人間ほど、いざとなるとカネや社会的地位や特権を利用して、兵役を逃れたり、身を隠すことは古今東西を問わない。 岸信介の娘婿(注・岸信介の長女・洋子と結婚)の、つまり安倍晋三の父である安倍晋太郎は、学徒たちのほとんどが戦場に放り込まれ、特攻隊を志願させられて若い命を散らされていっていたとき、東京帝国大学に「推薦入学」し、せいぜい予備学生として海軍滋賀航空隊に入隊して、命を永らえたではないか。
もし安倍晋太郎が東京帝国大学に入学していなければ、特攻隊員として、あるいは戦死していたかもしれず、そうであれば安倍晋三はこの世に生を受けていなかったのであり、勇ましい言葉を口にすることもなかったのである。
滋賀県の県庁所在地の大津に住んでいた、まだ小学生だった私は戦時中、数日おきに琵琶湖上空をエンジン音を響かせて飛ぶ通称「赤トンボ」という双翼の、フロートを着けた水上練習機が湖上を飛んでいるのを目にし、なんとも物憂げなエンジンの音を響かせているのを耳にしたものだが、同年齢の学徒動員兵たちが爆弾を乗せ、片道分の燃料だけを積んで、敵艦に突っ込んでいったとき、わが安倍晋太郎東大生君は、あの物憂げな赤トンボで安全に「練習」していたのである。もっとも敗戦直前に、米軍のグラマン戦闘爆撃機が比叡山を越えて、その滋賀航空隊の施設があった滑走路目がけて急降下爆撃し、爆弾を投下したことが1度だけあったが。
同様の例をわれわれはベトナム戦争時の若きブッシュ二世が州兵の空軍に所属して、ジャングルに入らなかった例を知らされているではないか。 (つづく)
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「横浜日記」(237) 2014年12月15日 梅本浩志
<日本の近未来と日本人の運命が決まった=総選挙雑感(その4)>
こうして戦後、海外に出かけた日本の自衛隊は、兵(派遣隊員)たちが自分の身を護るためだけの軽火器は持っていっても、実際に実弾を発射して、誰1人として外国人を殺害することも、怪我を負わせることもなかった。
道路造りとか発電所建設とか医療活動とか食料や飲料水を届けるとか、現地の住民たちに役立つそんな積極的な平和活動にのみ加わり、そのため日本の自衛隊の「出兵先」においては、現地の住民たちや軍事出兵していた他国軍からも非常に感謝されていたのである。
これがもし、たとえ日本側に正当な理があっても、もし現地住民や「敵兵」を1人でも殺傷していたなら、こうした日本自衛隊に対する評価は、せっかくの尽力と貢献にもかかわらず、ゼロどころかマイナスになっていたことは断言できよう。
そんな日本自衛隊の先のイラク戦争への関与ではあったのだが、それでも日本の自衛隊の派兵隊員のうち2桁台の隊員が自殺に追い込まれた事実を決して見逃してはならないのだ。
軍事的対抗策は愚か極まる
中近東やアフリカなど遠隔地への出兵よりも、近隣の諸国への出兵のほうが深刻なことは、最近の中国の軍事動向を見ても明らかである。そうでなくても「集団的自衛権 安保法制に地理的制約なし 政府方針 ホルムズ掃海を視野」(注・この連載記事『日本の近未来と日本人の運命が決まった=総選挙雑感』の(その4)をブログに掲載した当日の「産経新聞」インターネット版2014年12月22日号に掲載された記事の大見出し)の考えで突き進んでいる安倍政権の方針だから、中近東への出兵があり得るのであれば、中国や近隣諸国との軍事的軋轢は大いにありうると考える方が自然であろう。
特に尖閣諸島問題の当事国である中国とは、国境問題をめぐって極めて不安定な状態にある今日この頃であり、また尖閣諸島に近い中国領土で軍事施設を拡充工事中だと伝えられている状況下であるから、杞憂で終わればまことに結構なことで、日中間で軍事衝突が起きなければよいのだがと願わざるを得ないのである。
いまや国家資本主義国へと完全に変貌、変質した中国が、資源と市場を求めて、中華思想も露(あらわ)に牙(きば)をむき出しにして帝国主義路線へと大きく舵を切ったことは、いやでもわれわれの耳目に入ってくる今日この頃だ。
南シナ海も東シナ海も中国領土であり領域だと一方的に言いはって、ベトナム、フィリピン、日本などと様々な摩擦を起こし、一方的に島嶼を占領して滑走路は造るわ、船をぶっつけてくるわ、他国の領海に漁船と称する船舶を100隻も200隻も出して、海を荒らして環境を破壊し、漁業資源を枯渇させて平然としている現在の中国。
帝国主義的緊張関係にある日中両国
その中国を支配している習近平独裁専制体制下の中国であってみれば、何を仕出かすかもしれないと日本人は不安になり、そこにつけ込んで一挙的に憲法を改悪して軍事強国へと日本を変えようとしている安倍自民党政権が圧倒的に力を持つ今の日本。
月に向かってロケットを打ち上げるに際しても、その名目を「資源探査のためだ」と平然と発表する中国政府。そんな中国に軍事力で対抗しようとしている日本の安倍政権。
まさに20世紀に人類を破滅寸前に追い込んだ資源確保と市場獲得を目指す帝国主義そのものの日中両国であり、こうした政治・経済・軍事の状況は、強大な軍事力を背景にしての、形振りかまわぬ、時代遅れの国際戦略の展開以外のなにものでもない。
繰り返すが、そうした中国に対して安倍政権は、軍事には軍事で対抗しようとして、日本を統制のとれた強大な軍事国家にして対抗しようとしている。そのために憲法を改悪し、ナショナリズムを煽り、国民の自由を縛り、もの言えぬ国にしようと懸命である。
第二次大戦に際しては、軍事同盟を組む相手国をとり間違えて、英米と組むところをヒットラーのドイツやムッソリーニのイタリアと組んだために、戦争に負けたのだぐらいの認識と反省しかない安倍たちだ。だから今度は、その轍を踏まないようにと、米国と組み、米国の傘の下に入っていれば、負けることはないと、「日米同盟」を盛んに吹聴し、軍備増強と国防意識の高揚に努めている。そうしておれば米国に庇護されて、戦争に負けることはない、と思い込んでいる。
頼りにならない軍事同盟
だがそんな米国はといえば、太平洋戦争中に日本軍がまだ勢いがあったときには、「ウィ・シャル・リターン」とバイバイして植民地国のフィリッピンから撤退し、最近の中近東の戦争を見ても、自国の都合を優先させて、アフガンからもイラクからも自己都合で出兵したり撤退したりして、シリヤにおいては反政府反乱軍を支援しておきながら、イスラム・ゲリラが強力であるのを目にすると、地上兵は派遣せず、煽動しておいた「味方」を事実上見殺しにする。
こうしたことを中国はよく見通している。だから安倍自民党政権の柔(やわ)な軍事的対抗路線に揺らぐことはない。米国は明治維新時のペリー来航以来の国家戦略として琉球(沖縄)だけを確保し、その橋頭堡さえ保持していれば、日本を支配でき、中国を抑え込め、アジア全域を支配できると考えている。
中国の大陸間弾道核ミサイル攻撃を食らってまで、日本を守ろうなどという思いは、今の米国にはさらさらない。中国はそのあたりのことを冷静に観察していて、硬軟取り混ぜて日本に揺さぶりをかけてきている。
この低次元な国際取引に、日本が同じ軍事的次元で対抗していては、日本と日本人は疲労だけ残して、まともに対応できないことは明白である。にもかかわらず安倍自民党政権をはじめ、公明党、民主党、その他、ほぼ全政党は、安倍のペースに巻き込まれて、憲法改悪の渦に巻き込まれてしまっている。
軍事的な攻撃や攻勢に対しては、別次元で、より高次元で対応することの方が有効であることは、ウクライナ情勢を見ても明らかであり、ナチス・ドイツとの戦いで勝利したヨーロッパ諸国の民たちの多様な知恵を働かせた戦い方を見ても明らかなのだが、愚かなる安倍自民党政権も、御用組合集団の「連合」のダラ幹たちと、財界の期待に添える政治家を養成するための松下政経塾の卒業生たちによって支えられ引っ張られている民主党の指導的政治家どもも、全く分かっていないのである。
彼らは口を揃えて、日米同盟の大切さを説き、軍事力の強化を口にし、日本の容(かたち)なるものを描き、ナショナリズムを煽り立て、憲法改悪に賛成する。安倍自民党と全く変わらないこの野党第一党。さすが大人しい日本人も、こうした民主党を見限り、見離すのも当然なのであえる。そのことを裏付けたのが今度の総選挙だった。
弱いものが犠牲になるのが戦争だ
安倍自民党政権の行き着く先はあまりにも見え透いている。中国が挑発に出てくれば、同じ次元で、軍事的に対応し、対抗してゆく。当初はそうした軍事的駆け引きは、パズルやゲームの感覚でもてあそばれていくが、やがて双方ともにカッカと来て、煽動された国民が憎悪心を掻き立てられるなどして、現実の軍事的軋轢へと変質し、一挙に火は拡大して、破局に向かって破滅していくことは、20世紀の人類が経験済みのことである。
その教訓を思い返すこともなく、どのような悲惨な目に遭うかも知らなかったかのように、敵対する両国は時の勢いにまかせて軍事力行使、つまり戦争に突入する。
こんなはずではなかった、と思っても後の祭りである。今度戦争になれば、瞬く間にミサイルが撃ち込まれて、核攻撃を受ける。戦争当事国においては、全てが前線となる。
そんな時、最前線に放り込まれるのは、若い兵士たちであり、犠牲になるのは女、子どもである。特に私は女性たちの安全を非常に心配する。戦争になると女性の性被害は避けられないからだ。
私はここで特に戦争と女性の性的被害の恐ろしさだけに絞って、書いてみたい。
戦時性暴力の問題は、いまいわゆる従軍慰安婦問題などで様々に論議され、それを中国や韓国政府は、純粋な倫理的、道義的な問題としてではなく、日本との経済摩擦や国境紛争での武器として利用している感があり、一方の日本の側はといえば、旧日本軍の性犯罪に対しては、理性的な女性を中心として、モラル的次元あるいは理性的次元から問題にし、日本人の良心を呼び起こすことに力を入れることに急である。 (つづく)
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「横浜日記」(237) 2014年12月15日 梅本浩志
<日本の近未来と日本人の運命が決まった=総選挙雑感(その3)>
さらにゼネラルエディターなるお偉い人が「これから問うべきことは未来だ」、「この国をどのような社会にしようとしているのか」などと今さらながらの指摘をし、「私たちは、特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、原発再稼働など『国のかたち』をめぐる政策も大事な論点だと指摘した」などとアリバイを強調しているのだが、読者としては、選挙日前に、どういう見出しで、どういう論調で、どのような取材姿勢で、いつ頃、何回キャンペーン報道をしたのかと尋ねてみたい。
目につくような、それがため判断や考えを変えるようになったという、読者に目だつ特集的な報道をいつしたのか、体制悪を切り裂くどのような鮮烈なスクープ報道をいつ、どの紙面でしたのかと問うてみたいのである。
そして続く2、3、4、5面においては、かつての朝日新聞の紙面が甦ったかのように、例えば「経済に争点一本化奏功=不意打ち解散戦略的中」、「原発再稼働・安保法制へ着々」、「低迷かすむ野党」などの大見出しで読者の目を引きつけ、社説では「OECDは昨年、日本の相対的貧困率が加盟34カ国中6番目に高い」事実を書いてみせ、ページが進むにつれて、憲法、安保・外交、国会議員定数、子育て・医療・介護・年金、雇用・女性、教育、アベノミクス、原発・エネルギー・(震災)復興、TPP・農業の各分野における現状の具体的な総括レポートや問題点の洗い出しを行っている。
いずれもそれなりになかなか読ませる内容になってはいる。しかし、そうはなってはいるのだが、なにを今さら,の感が強い。ことは終わってしまったのであり、まさに祭の後の宴でしかなく、後の祭りとはまさにこうした紙面を言うのである。
なぜこの選挙翌日の紙面内容を、選挙前に連日キャンペーンしなかったのか。こうした朝日新聞の報道の仕方や紙面作りはまさに犯罪的である。一般読者や一般市民は今頃こうしたことを言われてみても、今さらどうしようもないのである。私は朝日新聞の卑怯を見た。
テレビ局に圧力かけた自民党
テレビを中心とするマスメディアの選挙報道にも問題点が多々あり、はっきり言って本質的な問題を指摘する姿勢に概して欠けていたことは言っておかなければなるまい。
テレビ利用に積極的だったのは、野党でもテレビ局でもなく、安倍晋三本人であり、安倍が率いる自民党だった、と言える。選挙戦開始前においては、深夜にもかかわらず積極的に安倍自身がテレビの画面に登場する場面を見せられたものである。
そんな1場面にTBSの午後11時からのニュース・ショー「NEWS23」があった。アンカーが元毎日新聞論説委員長・岸井成格と、メイン・キャスターに筑紫哲也ニュース・ショー時代にサブキャスターを勤めていた膳場貴子が勤めている番組だが、その11月19日夜の番組で、安倍がいい気になって自己宣伝して立ち去ろうとした際に、岸井アンカーが「ちょっと待って下さい」と引き止めて、安倍政権の政策を批判する街の声の画像を挟もうとしたところ、安倍が突然機嫌を悪くしたのが、視聴者の私にもはっきり見て取れたことがあった。
この「事件」で、安倍自民党は、テレビ放送を牽制し、自分たちに有利なように選挙戦を展開できるようにテレビ各局に圧力をかけた。朝日新聞への攻撃がうまくいったことに味をしめての圧力攻撃であることは、当該の番組を見ていた私にもすぐ分かった。
信頼できるインターネット情報メディア「DAILY NOBORDER」2014年11月26日発信のニュース『安倍政権が在京キー局に報道圧力』に概要次のようなニュース記事が報じられていたことをここにテークノートしておく、
「選挙戦が始まったばかりだが、それに向けて安倍政権がメディアに対して報道圧力をかけていたことがノーボーダーの取材で明らかになった。ノーボーダーは自民党が萩生田光一筆頭副幹事長と報道局長の連名で在京テレビキー局各社に対して政権に不利な報道をしないよう要請する文書を入手した」
『選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い』と題するその文書は、各社編成局長と報道局長に宛てたものだが、具体的には以下4点について「要望」しているのだという。即ち、
「1、出演者の発言回数や時間を公平にする。
2、ゲスト出演者の選定についても中立公平を期すこと。
3、テーマについても特定の出演者への意見が集中しないよう公 正を期すこと。
4、街角インタビューなどの映像で偏った意見にならないよう公 正を期すこと。」
ノーボーダーの記事では、これら4項目のうち、2と3は番組内容への介入だとし、4については、TBSの「NEWS23」の11月19日の番組で「街角インタビューでアベノミクスを批判するような映像が流れ、安倍総理が番組中に激怒する一幕があり、これを受けての圧力であると見られる」と書いている。
さらにノーボーダーの記事では、「この文書は11月20日付けとなっており、在京キー各社はこのような政治的圧力を加えられていながら、少なくとも6日間一切報じておらず、既にテレビ報道が政権の意向に沿う形になっている現状が明らかになった」と指摘している。
こうした事実を明らかにした後で、日本通であり、『日本/権力構造の謎』の著者であるオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン記者から「変わらない日本のメディアの状況」についての、自民党に対する批判的コメントを取材している。
海外で戦争をする国へ
500年前の戦国武将たちの奇襲戦法をまねて見事に総選挙に圧勝した安倍自民党は、いまや向かう敵なしであり、これから4年間、「個人の自由を全廃し、それにかわるものとして国家の自由の確立」(ウイルヘルム・ライヒ『オルガスムの機能』)に突き進み、彼の信じる「歴史的使命」を果たすであろうことは確実である。
安倍の言うアベノミックスなる経済成長・安定政策が余程大きく失敗しないかぎり、安倍の野望は確実に達成されることだろう。とりわけ硬質なナショナリズムの高揚を図り、軍事力を強化し、そうした社会状況を形成しつつ、特に言論・表現の自由を大きく制約していくことによって、実質的で実体的な国防軍をつくりあげ、最後には憲法を根底から改悪して、形態的にも堂々たる軍隊に仕上げることは目に見えている。
その時、そうでなくても今や軍事大国になっている日本はより強大な軍事力を持ち、場合によっては核装備して、そんな軍事力を背景にして、外交交渉に臨み、日本の大資本の権益を、日本国の名において、日本国民の税金を使い、日本の若者たちを最前線に送り込み、危険に曝(さら)し、生命を投げ出させて、守ると称して海外で覇を競う危険な火遊びをすることは、15年戦争で証明済みである。
それだけではない。今度は「日米同盟」体制下にあることから、米国とともに戦い、いや米国の要請に応える形で、若者たちの血を流すことによって、日本の国際的地位を守り、米国に恩を売ることによって貸しを作り、国際的発言力を強化していくこととなるだろう。
侵略戦争が平和を守るため、自国民の生命と財産を護るためだと主張して行うものであることは、20世紀で人類は経験済みである。その二の舞をまたもや安倍自民党の日本は演じようとしているのである。今回の総選挙の結果、そうした国家に日本は変えられてしまったのである。覆水は盆に返らないのである。
もう歯止めは利かない
今回の選挙で自民党が完勝したことが判明した直後に、米国政府が次のように賞賛と期待の声明を発表したことでもそのことが大いに予想されるのだし、実際そうなることはまず間違いないところである、
「日米同盟はアジア大平洋の平和と繁栄の礎(いしづえ)だ。エボラ出血熱や『イスラム国』に対する国際的な戦いにおける、安倍首相の指導力に感謝している」
この声明でいとも明白になっているのは、米国が日本の「国防軍」(自民党憲法改正草案には自衛隊でも自衛軍でもなく、「国防軍」に名称を統一することを明記している)の、中近東諸国やアフリカへの出兵を期待していることは明らかである。
これまでの安倍自民党政権の姿勢からして、たとえ現行憲法を「改正」していなくても、「閣議決定」などの手を使って、軍事力を直接的に行使することのできる実態的日本国防軍の自衛隊部隊を争乱の地や危険な海へ、また自衛隊員を危険区域へ積極的に派遣しようとすることは確実であり、またそうした軍事的要請が米国や国連から強く要求されれば、断わるどころか積極的に受け入れることはまず間違いなく、たとえそこまでいかなくても、現行憲法を「改正」してしまえば、これまでどおりに現行の憲法第9条を楯にして断わることが無理なことは誰にでも分かることである。
それどころか安倍自民党政権であれば、日本の方からもう日本は海外派兵ができる国となったのであり、出兵先国で軍事力を行使することになんらの法的制約はないから、積極的に軍事的に貢献します、などと言いかねないのである。
そうすることによって、「天皇を国家元首とする」(自民党憲法「改正草案」)日本国の国際的な地位向上を図り、外交上の発言力を増し、海外進出の日本企業とその社員・家族を、救出するなどの名目で出兵し、あるいは紛争地帯における日本資本の権益を守護するために軍事出動するようになるのである。日本の若者たちの生命を楯にしてだ。
紛争地の平和回復に貢献するとの「大義名分」を振りかざして、日章旗を押し立てて乗り出すことは大いにあり得るのである。今度の総選挙の結果によってそんな日本に変わってしまったのである。
現行憲法が改悪されていなかったこれまでには、たとえ自衛隊が「出兵」することはあっても、日本は戦争することが憲法で禁じられているために、戦闘地域には兵を出せないと主張し、それで通せてきた。 (つづく)
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「横浜日記」(237) 2014年12月15日 梅本浩志
<日本の近未来と日本人の運命が決まった=総選挙雑感(その2)>
はたして今度の総選挙は、経済問題が最大の争点だったのか。違うだろう、貧富の格差、母子家庭の経済的困窮から始まって、全国で17万人にも上る不登校少年に象徴される教育問題、老人たちの孤独死、貧富の格差のますますの拡大、強引な円安政策の結果による石油製品や生鮮食品の大幅な値上げ、消費税の更なる引き上げ、農業の壊滅的崩壊、集団的自衛権に関する閣議決定による実質的な憲法第9条の換骨奪胎、福島第一原発事故による汚染水の流出や放射能物質中間貯蔵施設の建設等の深刻な後処理問題等々が山積していて、あまりにもワイドで深刻な課題にまずわれわれ一般の民がどうすべきかを考えて、各政党もどのように考え、具体的な方針や対策をどのように打ち出しているのか、を考えてみる選挙であったはずだ。
そしてなによりも、自民党と公明党が主導し、ほぼ全政党がまるで大政翼賛会を復活させたかのようにして、現行憲法を全面改悪して、日本の反動化を達成しつつある歴史転換という大変な時代的課題を、国民がここで一度立ち止まって総括してみて、われわれの生き様と日本という国の進路を選択する、そんな超ワイドな選挙だったはずである。
それをあたかも経済問題に焦点が絞られているかのような、NHKをはじめとするマスメディア各社のニュース報道の仕方は、国民を惑わす以外のなにものでもない大ミスリードなもので、選挙民に判断を誤らせる報じ方だった。
国民の大半は、経済政策の進め方など言われても、あの民主党の体たらくであってみれば、自民党にまかせるしかしょうがないし、ここまで酷い状態になってしまったからには、いまさら足掻いてみてもどうにもならない、と思っていたから、寒い中をわざわざ投票所まで足を運ぶこともなかろうと思っていたことは確実である。
国民から遊離した現代の体制
せいぜい景気でも回復させてくれるのであれば、もう労働組合はまともに賃上げに精を出すこともなくなった当今では、安倍に賃上げ闘争をまかせる方が、民主党と一体化した連合加盟の御用組合集団よりもまだましだ、ぐらいに思っていたことも確かだろう。
特に植物人間化した若者たちには、政治に関しては諦念に近い思いを抱いていて、そこへ民主党をはじめとするどの政党も、もう経済をどうのこうのする能力など全くないのだから、選挙で経済状態を変えることなどあり得ないと思い、無感覚となり無関心となっていたことは確実である。
しかも民主党政権時代には、とりわけ野田首相時代には、大蔵官僚にうまく丸め込まれて、消費税増税の急先鋒となり、その増税約束10パーセントへの引き上げを先延ばしした安倍自民党を3党合意の約束違反だと激しく非難している様をテレビ画面で見せられてみると、国民は苦しんでいるのになんという言いぐさだ、投票などに行っておられるか、まして民主党に投票などするものか、と思ったとしても至極当たり前だったのである。投票すべき政党も候補者もいなかったのである。
まして今年の冬は寒い。南関東を除けば降雪がひどい。悪い風邪もはやっている。そんな中を無理して結果が分かっている選挙のために、わざわざ投票所まで足を運ぶことなどバカげている。若者たちの多くはそう思っただろうと私は思う。私自身、裁判官の国民審査投票がなければ、投票所には行かなかったかもしれない。
かくして、今回の投票が期日前投票を除く投票率ベースでは、投票者数が実質過半数を割る少数の選挙民であってみれば、総選挙自体が無意味に近いほど国民から遊離していたのであり、そうした状況下で日本のこれからを決定する選挙が行われたのである。選挙というよりも暴挙というべき自民・公明両党の愚劣なクーデタが強行されたのである。
議会主義的デモクラシーはいま、大きな曲がり角に立っているといえよう。議員どもと直接、利害関係で結びついている人間を除き、そうでない名もなく金もない多くの民たちは、議会制政治という間接代議制システムの政治では、もう救われないことを、これまでの政治家どもの日常的な振る舞いを耳目にして、自分の人生体験と照らし合わせて、切実に学んできたのである。その結果が投票拒否だったのである。
そんな時、アベノミックスや経済問題が最大の争点となっているとか、関心事になっているなどと、年収1000万円以上の収入がある人間ども(注)から偉そぶって言われても、どうでもよいのである。
(注)念のため一言説明を付け加えておくと、インターネット情報によると、2014年3月22日に開かれた衆議院の総務委員会での柿沢未途議員の質問の中で明らかにされたNHK職員の給与に関する質問によると、NHKの職員の平均給与は年1185万円で、これに諸手当を加えると1780万円になるのだという予算説明を受けたのだという。これに対してNHKを含めて、どこからも間違いの指摘や反論が見られないところから、どうやら税金まがいに視聴料を取って、財源としているNHKの職員は平均で年1780万円もの巨額の収入を手にしていることになる。これでは貧困化の一途をたどって苦しんでいる一般庶民の苦しみなど分かりっこないのは当然である。NHKの全職員は、国民から遊離し、民の苦しみを理解できないと言われても致し方あるまい。
国民の多くは、政治によっては救われないことを、そしてますます貧しくなっていくこと、たとえいまは経済的にゆとりがあっても、いつクビを切られるか、賃金や労働条件を切り下げられるか、ある日突然配転や解雇を通告されるか、分からないのだし、そのような酷い状態に追い込まれても労働組合は助けてくれないし、議員と特別なコネがない人間は政治によって助けられないことを、日常的に思い知らされてきたのである。だから選挙などくそくらえとなるのである。
木鐸の使命果たせなかった朝日新聞
朝日新聞については幻滅の一語に尽きる。体制権力側の朝日新聞に対する総包囲的攻撃については、このブログ「時代状況 横浜日記」の先の号(2014年12月10日付け『言論危機の時代状況のまっ直中で=ビデ倫最高裁判決批判(1)』)で指摘しておいたとおりだが、今度の選挙にあたっては、朝日新聞は社運をかけて、自らの立ち位置と日本の民のこれからを考えて、社会の木鐸たるジャーナリズムの本来の使命を果たすべく、全従業員が痛切に自覚して、選挙報道に臨むべきであったのに、朝日新聞社員固有の自己防御本能ばかりが目だって、まことに見苦しい限りであった。
朝日新聞のそうした欠陥については、いずれ別の機会に分析して書いてみたいとは思うが、私はここ数ヶ月、まるで役所の広報誌のような、全く魅力もなく読者を惹き付ける力もない見出しと、スペースからして四角四面な文章と、紙面割りを見せつけられて、幾度か、もう父親時代から100年以上は購読してきた朝日新聞の定期購読をやめようかと思ったことか。
とにかく警鐘を打ち続けなければならないというのに、アリバイづくりとしか思えない四角四面の啓蒙記事は目にしても、読ませる記事もない。既に安倍政権によって、憲法は実質的に改悪され、既成事実化されて、歴史反動の道を歩まされているというのに。
福島原発の汚染水は大平洋に全く流れ出ていないなどとオリンピック開催地決定の国際会議で大嘘をつき、地震があろうが噴火があろうが、原発再稼働を平然と口にし、社会的弱者を切り捨て、挙げ句の果てに憲法の条文を完全に変えてしまうことを明言し続けていた安倍自民党政権だ。私はこうした記事をほとんどインターネットから仕入れた。朝日新聞は読者を裏切り、もう期待できなかった。
こうして安倍晋三自ら明言するように、祖父・岸信介の夢を実現させるべく「歴史的使命」なるものに猪突猛進しているというのに、既に選挙前から、これといった警告記事を全くといってよいほど、何も書かなかった自称クオリティ・ペーパーの朝日新聞。
ここ数ヶ月間の朝日新聞にはどこかハッとさせる大見出しや読ませるリード文の記事があっただろうか。
全ては後の祭り
さすがの朝日新聞編集部も、こうした犯罪的報道活動ではまずいと思ったのであろうか、総選挙開票翌日の12月15日付け朝日新聞は、ここ数ヶ月間見られなかった、生き生きした紙面作成を行っている。まるで朝日新聞社全体が生まれ変わったかのような紙面に変貌していて、驚かされたものである。
確かに一面トップの見出しは、横組で「自公大勝 3分の2維持」と無難なものとし、縦6段の大見出しも「安倍政権の基盤強固に=『アベノミクス』継続へ」などと無難な、しかし決して人を引きつけるようなことのない見出しで腰のふらつきを見せ、「首相、改憲議論の推進表明」とか「安倍政権の先問い続ける」などと官庁の広報誌さながらの4段見出しの記事を並べており、天声人語も選挙結果について論評してはいたが、それら記事の文中に、例えば、「とはいえ集団的自衛権や原発の再稼働、特定秘密保護法といった民意を分つ争点を、アベノミクス柄の風呂敷で巧みに包んだ感がある」などといった、いささか今の朝日新聞としてはちょっぴり勇気ある指摘をしている文書も見出せる。 (つづく)
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