横浜日記 2015

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「横浜日記」(251) 2015年10月31日 梅本浩志
<悪夢言葉「一億」甦らせの悪だくみ>(下)

 さらに前坂さんはこうも言い、そして現代への教訓として以下のように書いている、
 「言論はがんじがらめに統制され、人々は目も口も耳もふさがれ、戦争と国に徹底して従属させられた狂気の時代。非人間的な状況の中で、激烈な標語のオンパレード、恐ろしいスローガンが軍靴の響きとともに、五・七調、五・七・五調のリズムにのって鋭く迫ってくる。まるで、言葉の弾丸、爆弾であり、言葉の兵器そのものである。」 
 「敵を殺すための思想、言葉が凶器と化した国策スローガンや国民を駆り立てようとするキャッチコピーが時代の死臭を漂わせている。」

     皮肉を武器に抵抗した民衆

 こうした全体主義、国家主義のイデオロギー洗脳攻撃に対して、治安維持法で特高警察や憲兵あるいは国防婦人会などでボス然としていた密告者たちによる弾圧を恐れていた国民は沈黙を余儀なくされたが、そんな中でも次のような形で、「一億スローガン」を逆手にとって、皮肉ってせめてもの憂さ晴らしをした人間もいたという、
 「金鵄(きんし)上がって15銭、栄えある光30銭、いよいよあがるこのタバコ、紀元は二六〇〇年、ああ一億の民が泣く」(梅本注・金鵄、光はいずれも戦時中のタバコの名称)などという替え歌落首などがそんな一例だったという。「金鵄輝く日本の 栄えある光身に受けて いまこそ祝えこの朝(あした) 紀元は二千六百年」の歌い出しで始まる『奉祝国民歌 紀元二千六百年』の替え歌である。本歌は1939年に日本放送協会(現在のNHK)が制作、広めた。
 「紀元二六〇〇年」は、敗戦までの日本政府の公式な規定。日本書紀等だけに依拠して、日本の歴史は2600年である、となんらの科学的歴史的な根拠や考古学的な裏付けを持つことなく、当時の日本政府は、日本の歴史は神武天皇から始まり、以来2600年になる、と強弁し、歴史としていた。
 ちなみに三省堂「コンサイス世界年表」によれば、神武天皇は紀元前660年に即位し、同585年に死去しているから、実に75年もの永きにわたって在位していたこととなり、医学や薬学が発達していなかった当時としては考えられないことなのだが、それでも皇国史観と国粋主義に凝り固まっていた当時の大日本帝国政府は、神武天皇創世記説を当時の日本国民に押し付けたのである。ちなみに長寿といわれた昭和天皇の在位期間は63年弱で、明治天皇は45年半である。
 付言しておくと、現在の「建国記念日」はそんな神武天皇が即位したとされる紀元前660年2月11日を自民党政権の手で復活させたものであり、その延長線上に同じ自民党政権によって日の丸と君が代の押しつけ制定がなされて今日に至っているのである。
 私がまだ幼かった頃、当時の日本政府が各都道府県に命じて「紀元二千六百年祭」を全国各地で開催させ、国民は動員されて、参加させられた。この祭が行われた京都・南座に幼かった私も連れていかれた記憶が脳裏にいまだに鮮明である。舞台の真ん中に大きな幟(のぼり)が掲げられて、そこには日の丸の下に紀元二千六百年と大きく墨書されていたのを私は今なお鮮明に思い出すことができる。現在の北朝鮮の催事動員に似ている国家行事だった。
 いずれにせよそうした時代風潮と「一億スローガン」に対して、民衆は密かに皮肉ったりもしたと前坂さんは指摘しているのである。
 あるいは時の最高指導者・東条英機に対する皮肉として、「米機英機を葬れ」(注・米機は米軍機、英機は、英国空軍機に見せながら東条英機の英機を指す掛詞<かけことば>。太平洋戦争中日本空軍機は米空軍機と戦っていたが、英国空軍機と戦火を交えることはまずなかった)といったポスターを白昼堂々と銀座の街に張り出したり、あるいは口伝えで「米機逃して英機に叱られ」などとはやしたてるなどしたと前坂さんは書いている。
 時代の権力、権威を皮肉る狂歌や川柳あるいは落首は日本の民たちの歴史的な文化であり、悪政抵抗の武器なのである。それがいま、若者たちの国会前でのデモやスピーチとしてストレートに表現されているともいえよう。

     自分たちは生き延びた戦争指導者ども

 戦前、戦中の「一億スローガン」がとりわけ強く叫ばれ、社会に浸透していったのは、アツツ島をはじめ、サイパン、硫黄島などにおける自決・玉砕が新聞やラジオを通して大量に流布されてからではなかったか。
 単に兵士だけでなく、軍属やその家族たち一般民間人たちにも強く浸透し、戦後米軍の記録フィルムで知らされたサイパン島の「スイサイド・クリッフ」(投身自決断崖)における悲惨な最期を一億玉砕の模範として新聞やラジオで宣伝されて浸透していったように私は記憶する。
 女性がまず自分の赤ん坊を海に投げ込んでから、自分も海に身を投げて自決していったサイパン玉砕や、アツツ島における手榴弾を爆発させての集団自決などのニュースが、マスコミや学校教育で美化されて宣伝され浸透していき、美談として社会の隅々まで浸透していき、こうして「一億玉砕」なるスローガンが、日本各地に浸潤・浸透させられていったように記憶する。
 死ぬことを自己目的化しておかしいとも思わない社会意識がこうして形成されていったのである。それは並行して日本軍の戦略思想として定着させられていき、神風特攻隊や人間魚雷などという非道な戦略戦術を定着させて、学徒動員兵たち多数を死地に追いやり、本土防衛のための捨て石とされた沖縄では鉄血勤王隊やひめゆり部隊の悲劇を生み、沖縄の民たちは手榴弾を軍から与えられて、「自決」を強制させられた。
 「一億玉砕」だから、こうして全ての日本人が死んでいくのだから、死ぬ時期が早いか遅いかの違いだけなのだという、恐るべき意識を当時の国家権力は「少国民」といわれた子供にまで植え付け、殺していったのである。
 戦争を始めた東条英機(日米開戦時の首相)などは、「戦陣訓」などという愚劣で非道な強制指針を定めて、一般国民といえども、投降することを許さず、捕虜になる前に自決することを強要しながら、では敗戦に直面したときに彼らが自決したのかといえばさにあらず。
 一応ピストル自殺する格好だけはとったものの、「失敗」したとかで「未遂」に終わり、米占領軍に囚われてスガモプリズンに放り込まれて、「生きて虜囚の辱めを受け」たのである。大多数のA級戦犯は同様で、安倍晋三の祖父・岸信介もそんな卑怯者の1人だったのである。
 前坂さんはまた「軍人勅諭」に掲げられた「軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」をパロディ化した言い換え言葉「軍人は要領を本分とすべし」を紹介している。
 国民が飢餓に苦しんでいるとき、軍部の指導者たちが贅沢な酒食をほしいままにしている「身のこなしの要領」のよさを皮肉っているのである。あるいはまた学徒動員兵たち弱い立場の人間を特攻に志願させて死地に追いやりながら、自分たち上官は決して志願しない「要領」を皮肉っているのである。最前線に身を置くことなく戦わず、弱い立場の部下を足場にして、自己一身の安全と利益だけを巧みに図っている卑怯な士官たちの身のこなしのよさも皮肉っているのである。

     学芸会も洗脳の場だった

 私は初めての学芸会でやらされた芝居を思い出す。国民学校1年生で入学して半年も経っていなかったその年の秋に催されたその学芸会で、われわれ入学後間もない子供がやらされた芝居が、桃太郎昔話を翻案した「日本太郎鬼退治劇」だった。
 米国という赤鬼と英国という青鬼とが住んで悪いことをしている鬼が島に、猿、犬、雉(きじ)に扮した日本男児を引き連れた日本太郎が乗り込んで、見事に鬼退治し、赤鬼青鬼に扮した鬼たちを降参させて、鬼畜米英を謝らせるという芝居である。
 私が入学した国民学校は、滋賀女子師範学校附属国民学校で、文部省直轄の「モデル校」だった。だからわれわれまだ幼い子供たちが、教師からいわれるままに演じさせられた芝居は、文部省から直接指示されたとおりに脚色され演じさせられたものだったはずだ。
 つまりミッドウェイ海戦で戦況が逆転悪化して、敗色が深まりゆく時代状況下で、政府の情報局と内務省直轄の都道府県とが一体化し、新聞各社も競って協調して、「一億スローガン」を次々と紙面化して、子供をも含む国民を洗脳するキャンペーン運動を展開中に、まだ幼かった国民学校1年生たちも、「鬼畜米英」退治の芝居をやらされ、演じさせられたのである。われわれ子供たちも、日々の練習の中で、米国や英国は鬼でしかなく、やっつけて当然で、子供といえども鬼畜たちと戦うのが当然だと自然に思いこませる、そんな芝居だったのである。
 そのような洗脳の教育を受けさせられ続けていた幼い子供の私は、米兵どもが上陸して攻めてきたら、わが家にも当時あった日本刀や、もしなければ竹槍で、米軍に切り込んだりする、今でいうゲリラ戦に身を投じるのが当然だと思っていたものだ。
 「一億」の日本人たるわれわれは子供といえども、戦い、玉砕することが当然だと思わされていた。玉砕が惨めな死であることなど子供たちには分かるはずがない。悪い赤鬼青鬼どもをやっつけるのだ、とまるでヒーローにでもなったような気分でいたものである。実際の戦争では、自動小銃を手にし、火炎放射器で焼き払い、戦車や装甲車で敵が攻めてくるというのに、せいぜい日本刀を手にして切り込めば勝てるなどとなんとも無邪気な夢を思い描いていたものだ。

     見え透いた「一億」言葉復活の茶番劇

 やがて日本の敗色がますます濃くなり、連日連夜B29の無差別爆撃が行われ、沖縄が戦場となり、敗色がいっそう濃厚となるにつれ、「一億玉砕」、「一億火の玉」がますます強く叫ばれ、大人も子供も、男も女も、竹槍を手にして、本土に上陸し、攻め寄せてくる鬼畜米軍に対して戦うという、狂気の沙汰でしかない全国民洗脳が浸透していった。
 私が今もなお思い出す光景がある。私が住んでいたのは、滋賀県大津市の滋賀県庁脇で、県知事公舎のすぐ裏手の長屋住宅だった。3軒づつ2棟の6軒長屋で、わが家はそのとっかかり、つまり最初に位置していた。前は県庁が坐り、右手には知事公舎があり、周囲がよく見えた。家の前には県庁に向って伸びる道路があり、道路以外は、防空壕が掘られていて、空襲警報が鳴る度にその壕へ避難させられたものだが、それ以外は食糧難で一面畑になっていた。
 そんなわが家のすぐ前で2度、近所の大人ども2、30名が集められ、訓練を受けていたのを私は、窓のすだれ越しに見る機会があった。
 1度は防火訓練だった。主婦を中心に大人たちが縦1列に並んで、バケツリレーをして、降り掛かる焼夷弾で発生する火災を消す訓練だった。現実の米軍機爆撃では、ナパーム油で作られ消火が困難な焼夷弾が使われて、消火ホースでも火災を消し止められなかったにもかかわらず、そんな子供だましのバケツリレーで焼夷弾火災を消し止められるとでも思わされての訓練だった。
 このことは東京や大阪をはじめとする全国至る所での無差別大空襲で分かっていたにもかかわらず、行政当局が近所の主婦たちを集めて、そんな消火訓練を行うのであった。こうした実際には役に立たない訓練を行うことによって「一億聖戦」を遂行するための心準備をさせていたのである。
 いま一つ思い出すのが、竹槍訓練である。竹竿(たけざお)を半分ほどに斜め切りして槍に創って、そんな竹槍を手にして、指揮官と目される軍人が、近所の住民たちを3.4列に整列させて、かけ声をかけて、前方に竹槍を一斉に突き出す訓練を行わさせていたのである。「一億玉砕」の訓練であり、洗脳の実践だった。
 自動小銃を手にし、手榴弾を投げ、火炎放射器で焼き尽す敵を前にして、このような竹槍攻撃では敵に手傷一つ負わせることもできないというのに、当時の国家権力は、「一億玉砕」のために、このようなおよそナンセンスなことを、一般国民に強制していたのである。まるで漫画なのに、それをあえて行わせる全体主義的な国家権力の実像がこういう風に現われるのである。
 そのようなナンセンスな「一億」の「総運動」をいま、A級戦犯を祖父と親戚に2人持つ、そして特攻兵になることを巧みに逃れた父を持つ安倍晋三が、甦えらせ、「一億」を国務大臣の職名に冠して国民精神総動員を行わせようとしているのである。
 そんな安倍自民党政権の全体主義的、国家主義的やり方に対して、かつて戦前、戦時中に内閣情報局や都道府県に協力して、「一億スローガン」作りに狂奔した日本のマスメディアはいま知らんふりしているのである。 (了)
「横浜日記」(251) 2015年10月31日 梅本浩志
<悪夢言葉「一億」甦らせの悪だくみ>(中)

 こうしたキャッチコピーとあわせて以下のような短文の煽動言葉が内閣情報局筋から流し出されて、「一億スローガン」の情報宣伝土壌を堀り耕していた。即ち
 「この一戦 何が何でも やりぬくぞ、見たか戦火 知ったか底力、進め一億 火の玉だ、屠(ほうむ)れ英米 われらの敵だ、戦い抜こう 大東亜戦争、この感激を増産へ」(1941年「決戦スローガン」)
 「突け 米英の心臓を、今に見ろ 敵の本土は焼け野原、撃滅へ一億怒濤の体当たり」(1943年「敵愾心昂揚スローガン」) 

     この忌まわしい言葉

 「一億」という言葉は、全体主義、国家主義の独裁専制国家権力の切り札言葉だったのであり、ほとんどの戦争体験者が死んだ今、大多数の戦後生まれの日本人は、その呪われたような特殊、特別の意味を知らないのも無理からぬことではあるが。
 それをいいことにしてというか、安倍は、A級戦犯の祖父・岸信介たちによってかって子供に至るまで全国民を対象とする洗脳の武器として意図的に用いられたこの言葉「一億」を、いままた全国民に使わせようとしているのである。正確に言えば、使わせる前に、まずなじませようとしているのである。
 日本人を「一億」という言葉に集約して、お上の思うがままに制御すべく精神を統一して、安倍色に染めあげて、命をも進んで投げ出して働き、国家につくす機械の歯車、将棋の駒にしようとしているのである。
 国民を平準化し、一括して、まるで働き蟻のようにしてしか見ず、扱わずに、独裁的政治権力の思い描くがままに統御できる「1984年」(ジョージ・オーウェル)的な社会にすることを目指す安倍自民党政権である。
 戦前の政治権力が洗脳のために散々に使い古し、今では死語となってしまったとはいうものの、あるいはまた沖縄戦などでの玉砕戦を強要された挙げ句の結果として、「一億玉砕」の実際がいかにインチキで惨めなものであるのかを国民のほぼすべてが知ってしまった「一億」という忌まわしい言葉だ。だから敗戦となるや日本人の誰一人として「一億」などという忌まわしい言葉を使わなくなったのである。
 そんな自然と廃語となった忌まわしい言葉を、いま戦争法を手に入れた安倍晋三は、もうこの言葉の欺瞞性をほとんどの日本人が知らなくなったことをいいことにして、再び持ち出して、経済振興や社会福祉を名分に何食わぬ顔をして、甦らせようとしているのである。それも安倍の最重要政策たる「三本の矢」政策の中心理念に位置づけてだ。

     「一億」へ純化する政治状況

 こうした戦争に向けての全体主義的な国民精神総動員スローガンについて、元毎日新聞記者で後に静岡県立大学国際関係学部教授になった前坂俊之さんが『太平洋戦争プロパガンダ傑作集・戦時国際標語はこれだ』と題する一文で、その起源と由来を簡潔に解説してくれているので、この解説文に依拠しつつ、15年戦争突入展開当時の歴史状況を、まず簡単に振り返ってから、これら標語がいかにして作られ、浸透させられていったのか、書き記しておきたい。
 時代は80年以前に遡る。1936年に226軍事クーデタ事件を起こして軍部が日本政治を牛耳るようになり、同じ年に日独防共協定を締結して極右全体主義軍事同盟体制を固め、ナチス・ドイツと運命共同体路線に踏み入った日本の政治・軍事体制ではあったが、それに先立って日本は大正デモクラシーの余韻を残しつつ大正時代の最晩年を迎えていた。
 当時の日本は結構、労働運動や社会主義運動が盛り上がっていた。だが同時に、その裏側では、1917年に成功したロシア革命の共産主義思想の浸透に権力者たちや資本家たちは戦々恐々としていた、そんな時代でもあった。
 そうした時代に入る10年前にさらに遡る必要があるかもしれない。まだ大正デモクラシーの余熱が残っていた時代といってよいと思うが、そんな時代状況下で日本の政治社会は一種の暗黒因子を懐妊しつつあったのである。それは悪性腫瘍の細胞と言ってよいものだった。
 1925年に入るや、成立して間もない内務官僚上がりのタカ派政治家・清浦奎吾が率いる政権(注・清浦奎吾は1941年の重臣会議で近衛内閣退陣の際に東条英機を後継首相とする役割を果たしている)が第二次護憲運動の昂揚で倒されたまではよかったのだが、その後を受けて登場した加藤高明政権(注・加藤高明は三菱財閥と関係が深く、普通選挙法を成立させたり政党政治を信奉する鳩派的なポーズをとりながらも、同時に第一次大戦勃発に乗じて中国に日本軍を出兵させて対華21か条要求を突きつけるというあくどいこともやる火事場泥棒のような政権だった)が登場する。

     そして「死」に囚われた

 この加藤政権がくせ者で、やがて全体主義・国家主義に凝り固っていくこととなるのだが、そこに至るまでの政治社会状況の凝り固まりというかイデオロギー土壌の形成がまず存在したところから「一億」統一精神キャンペーン活動が始まっていることに注目することが肝心である。
 加藤内閣は日本最初の政党政治政権といわれ、そうした民主的ポーズをとってはいたのだが、その実体は財閥大資本の利益擁護者で、それだけに国家主義者や軍部・右翼と妥協し、押し流される体質を持っていた。
 そんな加藤政権だから、闇討ち的に取り返しのつかないことを仕出かしてしまったのである。1925年に勅令という形をとって最たる悪法の治安維持法を闇討ち的に公布・施行したのである。そしてこの悪法を武器として、社会を権力側の思いのままになる社会へと変えようとし、思想の統制を図ったのである。
 その結果として日本社会を、1936年を始点とする15年戦争遂行体制を確立するいわば地ならしというか基盤造りをやったのである。取り返しのつかない大失政だった。
 こうして日本は一挙的に全体主義へと引きずり込まれた。開戦と敗戦その結果としての日本国民の大不幸のすべてはここから始まったといってよく、程なくして大政翼賛会設立へとそのキャンペーン運動は収斂していくのである。
 その結果、日本社会は、一切の異端や反対はもちろん批判的な意見を許されることなく、社会は窒息していき、ただただ「一億国民」精神収斂へと加速化させられ、政治思想的に国家主義・全体主義へと純化させられていき、大日本帝国を大東亜の盟主とする八紘一宇の世界を構築していくこととなるのであった。
 間もなく国家主義的政治指導者と全体主義的軍部はもっぱら軍国化の道へと日本を追いやり、1937年に入ると、元マルクスボーイで河上肇の弟子だった近衛文麿を押し立てて内閣を組織させ、その直後に日中15年戦争の開始を告げる盧溝橋事件を起こしていく。
 こうして全体主義的国家主義の思想が硬直して凝り固まっていった結果として、戦争で「お国のために」進んで命を投げ出すことが当然だとする世論が形成され、国民すべての至上義務となり、死を名誉とする思潮が形成された。「一億」に収斂された日本はこうして国全体が死の本能・タナトスに囚われるのである。

     近衛文麿と安倍晋三

 当然のことながら近衛内閣が最も力を入れたのが日本国民の思想統一だった。近衛はマルクスの論文を翻訳したほどの熱心な元マルクス・ボーイだったこともあって「革命の歴史的必然性」をよく認識していたといえ、社会主義や共産主義の思想と革命を非常に恐れていたと伝えられている。そんな革命への恐怖心が近衛をして必要以上に思想の統制へと向わせたと考えられる。
 近衛は政権の座につくや直ちに思想統制に向って動いている。盧溝橋事件勃発から49日後に国民精神総動員実施要綱を決定し、その1ヶ月後の9月25日に内閣情報部を設置し、その実行機関の国民精神総動員中央連盟を結成した。安倍晋三の一億総活躍政策実施の手際のよい手順というか急速な運びによく似ている。
 同時並行的に近衛政権は社会主義的団体や労組を弾圧、解散させている。学者に対する統制を強め、国家権力に対して批判的な学者を刑事弾圧するに至る。
 そして国家総動員法を公布した。国民健康保険法や社会事業法の公布といった社会政策と抱き合わせの形をとって、ごまかす一方で、税制の改革をも伴っての同法制定やり方である。産業報国連盟が創設され、新聞用紙を制限する形で新聞社への統制を強めた。電力管理法を公布して電力の国家管理を実現した。労組団体は国家への忠誠を示して完全に御用化していった。
 近衛内閣は新東亜秩序建設を声明し、やがて「善隣友好・共同防共・経済提携」を3原則とする「近衛3原則」を声明する。近衛流3本の矢である。どうも現在の安倍政権下の時代状況に似ているではないか。
 そして国民精神作興週間なる官民一体の運動を展開し、近衛は一時、総理を辞任するものの、大平洋戦争突入前年に再度首相となり(こうした復活劇も安倍晋三の復活と似ている)、直ちに大東亜新秩序と国防国家の建設を方針化した「基本国策要綱」を決定し、戦線を中国からインドシナ(現在のベトナムやマレーシア半島)へと拡大し、同時並行的に日独伊三国同盟(その中心人物こそ安倍晋三の親戚の松岡洋右である!)を締結して、その半月後に「大政翼賛会」を発会させた。
 このような近衛政権を継承して1941年に東条内閣が成立し、その商工大臣に安倍晋三の尊敬崇拝してやまぬ祖父・岸信介が就任し、それから52日後に岸信介も署名して開始された太平洋戦争が勃発するのである。

     時代の死臭

 前坂さんの一文によると、1931年の満州事変から翌1932年の日中戦争(梅本注・1932年1月28日に日本軍が上海で中国軍と交戦)と戦時色が急速に強まっていく中で、政府機関の情報宣伝部門の統合化が進み、1936年7月に内閣情報委員会が発足し、内閣情報部、さらには1940年12月に内閣情報局へと拡大された。この情報局が中心となって世論を指導、操作するために、マスメディアへの積極的な宣伝、プロパガンダを展開していった。マスメディア側も積極的に即応した。人々の思想を統制しファシズムへと強制させる同化装置そのものであった。
 こうしたプロセスの中で、私の言う「一億スローガン」が、内閣情報局と、今や国家権力にジャーナリズムの魂まで売り渡した当時の朝日、毎日、読売、北海道新聞などの新聞各社や、内務省直轄下の各都道府県が一体となって、官民挙げての「プロパガンダ、大衆動員の詐術」(前坂俊之『太平洋戦争プロパガンダ傑作集・戦時国策標語はこれだ』)としてのカンパニア(催事運動)が展開されることとなり、その一環として1942年11月に展開された国民からのスローガン募集を行うこととなり、そうしたカンパニア運動の結果として「一億スローガン」が形成されていったものと見てよいようだ。
 ちなみにこの時の入選作には、「欲しがりません勝つまでは」をはじめ、「たった今、笑って散った友もある」、「今日も決戦、明日も決戦」、「理屈言う間に一仕事」、「足らぬ足らぬは工夫がたらぬ」等があるという。
 前坂さんはこうも言っている、「標語、スローガンの基本的な性格は簡潔性、印象性、シンボル性、キーワード性、口にしやすい、覚えやすいことなどあるが、それ故に合理的、理性的なものよりも、非合理的で情緒的なものと結びつきやすい。また、繰り返されることによって大衆動員を図ろうとする傾向がある。いわば、プロパガンダ、大衆動員の詐術としての言葉であり、標語はだまし言葉、詐語そのものといってよい」(つづく)
「横浜日記」(251) 2015年10月31日 梅本浩志
<悪夢言葉「一億」甦らせの悪だくみ>(上)

 安倍自民党政権がナチス流に日本国憲法を実質改悪して、戦争ができる国、戦争をする国へと変えてから早くも1ヶ月が経過した。今や奢り高ぶったアドルフ・アベ(「横浜日記」247号 2015年9月12日〜14日『この際「アドルフ・アベ」と呼んで下さいね』)が次に打つ手はなにかと注目していると、なんと「一億」という恐るべき言葉の復活とそのあからさまな打ち出しだった。そしてそれ以上に驚かされたことは、この安倍晋三の復活策謀言葉に対する、マスコミや学者たちのなんら疑うことなき受け入れだった。もう日本社会はボケてしまっているとしか言いようがない。

     甦らせた亡霊言葉「一億」

 安倍晋三が、9月18日にクーデタさながらのやり方で戦争法を成立させてからまだ旬日(10日)もたたない9月24日に、独裁者よろしく無投票で自民党総裁に選出された安倍晋三は、就任直後に行われた記者会見の席上、「アベノミクスは第2ステージへ移る。『1億総活躍社会を目指す』と語り、強い経済など新たな『3本の矢』を提唱」(朝日新聞デジタル2015年9月25日号)と発言したことを報道して、はじめて死語化されていたはずの「一億」という言葉を復活させようとしていることを一般の民は知らされた。
 やがてこのスローガンは首相官邸ホームページにおいて『一億総活躍社会の実現』と題する10月16日付け記事でも公式に宣言され、「政府を挙げて取り組んでいきます」と決意表明して追認した。そして10月7日の第三次安倍内閣の組閣で、元大蔵官僚の加藤勝信代議士が「一億総活躍担当特命大臣」なる新ポストに指名された。多数の政治家も初耳とあってか、特に驚くでもない有り様がテレビなどで報じられた。
 とはいえ政治家たちは、大臣ポストの名称も奇怪なら、加藤勝信という「政治家」の人柄にも信用できない何かを感じていたようでもある。インターネットの「ウィキペディア」によると、東京大学経済学部出身で大蔵官僚の経歴を持つこの男は、「2012年の自民党総裁選挙では安倍晋三の推薦人に名を連ね、総裁に選出された安倍の下で総裁特別補佐および自民党報道局長に就任」して第2次安倍政権で内閣官房副長官に起用された経歴の持ち主であることをなんとか知ったものである。
 同時にこの男が、総選挙時等において特にNHKや民放テレビに対して、政権を持つ自民党が、権力と権威にものをいわせて、不当極まる圧力をかけた当時の同党報道局長であったことに対して警戒心を抱かなければならないことを思いおこさせた。
 さらに放送作家なる男を講師役として呼んできて、沖縄タイムズや琉球新報の沖縄の二大紙を潰せと講演させて問題になった「2015年6月25日の『自民党文化芸術懇話会』の結成に顧問格として参画し、会合にも出席していた」(ウィキペディア)そんな人間が、問題の「一億総活躍担当特命大臣」に任命されたのだから、政治家も一般国民も奇異な感じを受けたのも当然だった。いかがわしい何かを感じさせられたのである。

     矢継ぎ早の「一億」攻勢

 安倍はこの「一億総活躍」を自己の最大の政治目標に設定して、スピーディに立ち上げてエネルギーを注ぎ込み、10月15日には内閣官房に「一億総活躍推進室」を設置し、週明けの19日には「一億総活躍社会づくり関係府省庁連絡会議」を開催している。
 さらに10月23日には安倍晋三を議長とする「一億総活躍国民会議」を設置した。民間メンバーは15人だが、タレントの菊池桃子や東大や慶大の教授たちに混じって、榊原定征・日本経団連会長とか三村明夫・日本商工会議所会頭たちがしっかりと居座っているのを知って、この会議の方向性や行き着く先が見えたものである。
 私は「アルバイト・マハト・フライ」(働けば自由になれる)と書かれたゲートの奥に建ち並ぶアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所が、1940年代のドイツ巨大企業のイーゲー・ファルベン社やクルップ社そしてシーメンス社と深く関わっていた事実をつい思い出してしまう。大衆受けのする労働政策と社会(福祉)政策と硬質の全体主義とは深い関係にあるのだ。フォルクス・ワーゲンもアウトバーンもナチスによって作られたものであり、ナチスに逆らわない限りドイツ人の生活は保障され、失業することもなかった20世紀前半の時代をつい思い出してしまうのだ。
 そして今、日本においても、装置としての諮問会議や諮問委員会といった組織や機構は、中枢に大資本で組織している財界や経済界の指導的人間を置いて、表面的には国民の利益を図らせる風を装いながら実質的には巨大資本ピラミッド世界の利益を図らせることを真の狙いとしていることを永年の記者体験からつい感じてしまうのである。
 御用組合全国組織の「連合」の役員などや社会福祉団体などのうるさくない人物を脇席に侍らせ、都合のよいイエスマン学者や逆らうことをしない新聞記者たちを起用し、ポピュラーな人間を適当に並べ、時には芸能界の人間を適当に起用して飾り物として、結局は政府・官僚の思うがままの結論なるものを答申させて、あたかも国民全般の意見を代表させ、国家・国民の利益を図る形を整えて、最後には時の政権の意図どおりに政策として決定、実施し、結局は大資本のための利益を図り、実現する仕組みを作って、やりたい放題のことを時の政権にやらせる。
 国家のため、国益のためというのがその大義名分である。そう考えれば、ナチス親衛隊と密接な関係を保って、強制収容所の奴隷労働を酷使して、ドイツ国の国富を増大させる形をとりながら、実はヒトラー・ナチスに協力し、その見返りとして多大の利益を上げていたドイツ巨大資本のイーゲー・ファルベンやクルップあるいはシーメンスと、東レ(注・トップの榊原定征は今やステルス炭素繊維産業の最先端を行く東レの社長を務め、日本化学会の会長を経て日本経団連の会長になった人物。原発再稼働を主張)や新日鉄住金(注・トップの三村明夫は「鉄は国家なり」をモットーにする新日鉄の社長で日本鉄鋼連盟会長を経て日本商工会議所会頭に就任。国益を重視し、原発再稼働にも賛成している)と、どう違うのか、つい考えてみたくなるのである。

     甦った悪夢の戦時スローガン

 さて「一億」だ。私にとって、いやおそらく私のような昔を知る世代にとってはまことに恐ろしく、忌まわしいこの言葉を聞いたのは、安倍晋三が内閣改造を行ないつつあったそのとき「一億総活躍担当大臣」という新たなポストが新設されるとテレビで報じられて知ったまさにその時だった。
 私は唖然とし、戦慄を覚えた。そしてこの死語となっていたはずの「一億」という言葉が今や公然と政治の表舞台に持ち出された新たな時代状況に愕然とした。ボケた政治家どもはやむをえないとしても、学者もジャーナリストも、誰も反対するものはなく、異義を唱えるものもいなかったことが私の戦慄を倍加させた。
 戦時中、私はまだ国民学校(現在の小学校)の低学年生だったが、周囲から目や耳に入ってきた言葉は「一億」という単語を織り込んだスローガンの矢玉であり洪水だった。それは国家のためには、たとえ幼い者であっても、進んで命を投げ出して当然だという洗脳用語だった。
 この安倍の持ち出した「一億」という言葉を目にし、耳にしたとき、私がまず思い出した言葉は「一億玉砕」、「一億火の玉」という、もう忘れていた、敗色濃厚となった戦争末期の標語だった。廃語になっていたはずの忌まわしい言葉だった。
 しかしそんな私の70数年前の記憶は、あるいは私が当時住んでいた滋賀県大津だけで流布されていた言葉であるかもしれず、またまだ幼年期という幼かった時代の記憶だから、あるいは今や加齢が進む私の何かの思い違いや記憶の錯誤であるかもしれないと思って、念のためにインターネットで調べてみた。

     あるはあるは「一億」洗脳スローガン

 結果は、私の記憶の正確さを裏付けるものだった。当時の日本政府(正式には大日本帝国政府)は内閣情報局を中心として、全国民を戦争に駆り立て、死地に追いやることを目的として、意図的に老若男女全国民を、国家のたために進んでわが命を投げ出させるための洗脳を行うべく、「一億」という言葉を使って、盛んにスローガンを作り、広めていたのである。例えばこんなスローガンだ、
 ▽聖戦へ 民一億の体当たり
 ▽一億が みんな興亜へ散る覚悟
 ▽一億抜刀 米英打倒
 ▽進め一億火の玉だ
 ▽一億の心に染めよ日章旗
 ▽一億一心 銃をとる心
 ▽一億国民総武装
 ▽一億玉砕
 こうした「一億スローガン」の周辺に、「万世一系 億兆一心」、「権利は捨てても義務は捨てるな」、「九千万人 一列行進」、「銃執れ 鍬執れ ハンマー執れ」、「遂げよ聖戦 興せよ東亜」、「聖戦だ己殺して国生かせ」、「贅沢は敵だ」、「挙国一致」、「尽忠報国」、「産めよ殖やせよ国のため」、「総親和」、「月月火水木金金」、「大政翼賛・臣道実戦」、「八紘一宇」、「欲しがりません勝つまでは」、「撃ちてし止まん」といった全体主義的で国家主義的で禁欲的で、自己犠牲を当たり前とするスローガンがちりばめられたのである。 (つづく)

「横浜日記」号外(3) 2015年10月13日 梅本浩志
<ジャンル別バックナンバー>(続2)

<渇えとしての音楽>
(40)2006年3月19日『桜んぼの実る季節がやってきた』
(112)2008年2月9日 『バレンボイムに拍手』
(113)2008年 2月20日『国境、この愚かなる人間の産物よ=バレンボイム補考(1)』
(114)2008年2月27日『わが心のウィーン=バレンボイム補考(2)』
(130)2008年8月15日『日本軍兵士たちが好んだ行軍歌「波蘭懐古」』
(157)2009年9月27日『八ツ場ダム騒動で思う東海林太郎の直立不動』
(159)2009年10月31日『枯れすすき考=「昭和枯れすすき」と「暗い日曜日」』
(160)2009年11月7日『続・枯れすすき考=「船頭小唄」の不思議』
(185)2011年5月27日『おお贋作よ!=「惜別の歌」と「北帰行」』

<横浜事件に見る治安維持法と言論弾圧>
(7)2005年8月10日『今日的な横浜事件』
(19)2005年10月18日『「横浜事件」裁判傍聴取材失敗の記』
(27)2005年12月13日『言論弾圧・拷問虐殺「横浜事件」再審裁判傍聴の記』

(34)2006年1月31日『「横浜事件」拷問・木村亨の場合』
(35)2006年2月2日 『「横浜事件」拷問・川田定子の場合』

(37)2006年2月10日『「横浜事件」判決公判傍聴の記=速報=』
(78)2006年12月9日 『日本の裁判所は有罪である=「横浜事件」再審控訴裁判』
(81)2007年1月20日『裁判所堕落の先には=「横浜事件」再審控訴審高裁判決』
(119)2008年5月3日『「横浜事件」最高裁判決批判=正義感覚なき金太郎飴の裁判官たち』
(120)2008年5月19日『「横浜事件」虐殺・浅石晴世の場合』
(121)2008年5月30日『天職を生きてきた弁護士=「浅石晴世虐殺事件」追補』
(243)2015年6月7日『「横浜事件と再審裁判」を読む』

<正義不在の裁判>
(50)2006年6月9日 『「正義」に時効があっていいのか』
(73)2006年10月22日『裁判では、なぜ「お上」が勝ち、「民」は負けるのか』
(126)2008年7月27日『強きを助け、弱きを挫いた最高裁=長銀勝訴vs古紙業者敗訴』
(162)2009年12月24日『民を虐げ、日本をダメにした最高裁判事・今井功』
(189)2011年10月19日『たかがポルノ裁判判決、されど司法の独善専制』
(236)2014年12月10日『言論危機の時代状況のまっ直中で=ビデ倫最高裁判決批判(1)』

<原発地獄>
(188)2011年9月2日『ジキル原発とハイド原爆』
(194)2012年2月21日『琵琶湖が危ない、日本が危ない=大飯原発再開阻止を』
(195)2012年3月27日『京阪神も直撃される=続・琵琶湖が危ない』
(196)2012年4月22日『原発地獄、深刻な使用済み核燃料の半永久保管』
(197)2012年5月19日『だまされる奴が悪い!=原発再稼働の悪企みを前にして』
(198)2012年6月8日『今こそバカンスを!=原発再稼働阻止と社会的連帯のためにも』
(200)2012年6月26日『危機一髪だった東海第二、女川両原発』
(233)2014年10月1日『木曽御嶽山噴火で鹿児島川内原発再稼働を憂う』

<追放された沖縄>
(2)2005年8月1日 『喜納昌吉の鎮魂歌』
(46)2006年5月14日『「脂肪の塊」にされた沖縄』
(117)2008年4月5日『沖縄集団自決の重み=大江裁判勝訴の輝きと文部官僚の醜い傲慢』
(161)2009年11月25日『爆音記憶史の果ての、いま一度の琉球処分』
(240)2015年2月14日『抵抗する沖縄と連帯を!』

<資本主義経済と今日的恐慌>
(138)2008年10月24日『コンドラチェフの大波がやってきた=当世の大不況』
(176)2010年8月10日『文明史転換の時代=静かに進む世界恐慌の第2段階』

<思想を散歩する>
(85)2007年2月26日『「スターリン批判」から半世紀』
(90)2007年4月16日『アナルシーの世界へ=啄木忌に寄せて』 
(95)2007年6月27日『3女優に見る抵抗への原体験』
(147)2009年3月10日『ローザ絶筆、世界恐慌の予見』

<革命と抵抗>
(118)2008年4月15日『ゲバラと中島みゆき=抑圧された者の闘いへの鮮烈な意志』
(139)2008年11月3日『なぜゲバラは、ボリビアを主戦場に選んだのか』
(152)2009年6月23日『ブランキ・ノート』
(153)2009年7月5日『地獄島モン・サン・ミッシェル=ブランキ・ノート追補』
(227)2014年1月27日『島崎こま子苦闘の地の写真』
(228)2014年2月14日『民たちの抵抗を記憶しておくことの大切さ』

<文学という土壌>
(47)2006年5月28日『「脂肪の塊」補足』
(48)2006年6月3日 『「青春残酷物語」封切りの時代』
(66)2006年9月9日 『井上靖原論=初期詩集から「氷壁」へ』
(70)2006年10月5日 『「通りすがりの女に」を想う』
(101)2007年8月23日『原爆死2007年夏=山下明生「カモメの家」から』
(192)2011年12月27日『「インターナショナル」の原詩』
(209)2013年1月10日『藤村、若き日の大津への旅=義仲寺と石山寺』

<安保という名の軍事>
(45)2006年4月26日『ウィ・シャル・リターン』
(77)2006年12月1日 『核武装は現代の「万里の長城』』
(171)2010年5月18日『日米安保条約、そのルーツとしての「日韓議定書」』

<海外取材雑感>
(6)2005年8月9日 『味覚の帝国主義』
(41)2006年3月23日『写真を自由に撮れる幸せ』
(158)2009年10月6日『2本のボールペン=ヴァウェンサと金大中』

<追想・追悼>
(16)2005年9月20日『ア・ラ・メモワール・ド・中内功』
(22)2005年10月30日『フランス大革命の末裔』
(23)2005年11月1日 『2通の遺書』
(80)2007年1月10日『軸足が決してぶれなかった男』
(89)2007年3月25日『記者生命を断たれた男=原発事故隠し残酷物語』
(107)2007年12月12日『中村克追想集「生涯一記者、堂々たる哉」刊行へ』
(178)2010年11月18日『「裁かれたのは最高裁だ!」=山口俊明君逝く』
(211)2013年2月15日『それは詩だった=感動!故・小松みどりのスピーチ』
(213)2013年5月2日『追想・大島渚=闘い続けた心優しい革命家』

<その他>
(21)2005年10月27日『されど注記の凄さよ』
(42)2006年3月25日『詩情と衝撃=新井九紀子展を見て』
(56)2006年7月22日『現代の犬公方=駐車違反取締徹底の笑えぬ喜劇』
(68)2006年9月27日『高槻市民に乾杯』
(83)2007年2月5日 『女も男も機械だあ〜』
(84)2007年2月20日『官僚主義病で重態の日本航空』
(87)2007年3月13日『恐怖心と好奇心=全日空機事故で思う』
(96)2007年6月30日『甦りのクリスチーネ=古屋誠一写真展を見る』
(102)2007年9月8日 『緑が台風禍から老朽家屋を護ってくれた』
(109)2008年1月10日『赤鬚先生弾圧事件の真相=特高警察化した大阪府警』
(110)2008年1月20日『わが認識と判断の甘さを恥じる=前号記事の誤りと訂正』
(115)2008年3月5日『鯨は食べなくてもよい、しかし』
(149)2009年4月19日『たかが空の旅ではあったけれど』
(177)2010年9月25『内田剛弘著「司法の独立と正義を求めて半世紀」を読む』
(203)2012年9月5日『就農に第三の道はないものか=信州に農を求めて』
(239)2015年1月30日『じっくりとカミュ論を完成へ=「南信州」新聞寄稿文』 (了)
「横浜日記」号外(2) 2015年10月13日 梅本浩志
<ジャンル別バックナンバー>(続)

<歴史アラカルト>
(26)2005年12月8日 『真珠湾、広島・長崎、越後長岡』
(61)2006年8月11日『高杉晋作が大笑いしているぞ』
(62)2006年8月13日『革命的ロマンチシズムの危険性=高杉晋作・補考』
(92)2007年5月27日『琵琶湖そして京都へ=海北友松とこま子を求めて』
(98)2007年7月17日『浅井の名のなきぞ悲しき』
(190)2011年12月1日『湖東三山に見た信長の地政学感覚の凄さ』
(191)2011年12月16日『現代のお吉は=伊豆の旅で思う』
(216)2013年6月28日『山本覚馬のこと=維新後京都と幕末会津藩』
(226)2014年1月24日『暗かった時代の抵抗者2人=「南信州」新聞寄稿文』

<60年安保闘争・樺美智子虐殺>
(94)2007年6月23日『今は昔「60年安保闘争」=「6・15」47回忌』
(122)2008年6月1日『幻の「全学連通信」[6・15闘争緊急特別号]を復刊する』
(123)2008年6月14日『樺美智子さん追想の2人の言葉=「6・15」48回忌』
(163)2010年1月16日『勤評、警職法闘争と一体的だった社会革命=60年安保闘争考(1)』
(179)2010年12月31日『北小路敏と、日本に桜んぼの実った時代』
(181)2011年3月9日 『追捕・北小路敏と、日本に桜んぼが実った時代』
(186)2011年6月15日『樺美智子「死」の真相=丸屋博医師が決定的証言』
(199)2012年6月18日『「6・15」断想=樺美智子さん死して52年』
(214)2013年6月2日『樺美智子学友・福田瑞江の法廷証言=「6・15」国会デモ』
(215)2013年6月10日『あわや樺さんと同じ目に=「6・15」榎本暢子の証言』
(225)2014年1月12日『樺美智子あるいは60年安保闘争の死と歌』
(232)2014年6月30日『60年安保闘争を総括してみた=その世界史的意義』
(244)2015年6月15日『樺美智子さん、虐殺されて55周年=わが体験的回想57〜60』

<ナチズムについて>
(8)2005年8月20日『ナチズム考(1)』
(59)2006年7月28日『ナチズム考(2)』
(71)2006年10月15日『ナチズム考(3)』

<戦争私記>
(11)2005年8月25日『聖地・比叡山が特攻基地だったとは!』
(52)2006年6月19日『無残「横浜大空襲」』
(53)2006年6月23日『歴史的敗戦記念日に思うこと=「神風」「大和魂」など』
(63)2006年8月16日『8月15日の怒り=「戦陣訓」について』
(64)2006年8月18日『弔う人となるぞ恥ずかし』
(74)2006年10月25日『生還学徒動員神風特攻隊員の悲劇=「振武寮」メモ』
(129)2008年8月6日『民たちが体験した戦争の真実』
(148)2009年4月13日『桜散る日に改めて考えてみる比叡山桜花特攻基地』
(220)2013年10月27日『忘れまじ日本大空襲の惨劇』
(221)2013年11月18日『戦没学徒の碑を守ることの大切さ』

<殺害された教育>
(12)2005年8月26日『人生で最も大切なこと=明徳・苫小牧高校事件で思う』
(75)2006年11月13日『子どもたちの悲劇=われわれの場合』
(79)2006年12月19日『虐殺された教育基本法』
(168)2010年4月26日『「多数必ずしも正しからず」=追想・上杉政男先生』
(201)2012年7月22日『教育が殺された=上杉理念を忘れた大津の悲劇』

<憲法の真実>
(18)2005年9月29日『日本人自身の血と涙で書いた日本国憲法』
(69)2006年9月30日『これが「自民党自主憲法」の原像だ』
(99)2007年7月23日『「生存権」に秘められたエピソード』
(169)2010年5月3日『やばいぞ、油断めさるな、憲法「改正」の動き』
(230)2014年5月3日『解釈改憲の根拠「59年最高裁判決」は憲法違反である』

<映画ノート>
(38)2006年2月24日『状況格差ということ=映画「白バラの祈り」を見て』
(82)2007年1月25日『1936年の子=「麦の穂をゆらす風」のケン・ローチ』
(93)2007年6月8日 『ドキュメンタリー作品の生命線=映画「日本の青空」で思う』
(105)2007年10月20日『映画「サルバドールの朝」に感動』
(106)2007年10月23日『ヌヴェル・ヴァーグと68年革命=「サルバドールの朝」補考』
(124)2008年6月25日『若松孝二「実録・連合赤軍」に見た鎮魂の墓銘碑』
(125)2008年7月16日『欧米における「実録・連合赤軍」の反応』
(135)2008年9月24日『米国のナチス化を暴いた映画「敵こそ、我が友」』
(165)2010年3月29日『心占領されざれば=映画『誰がため』を観る』 
(166)2010年4月12日『モーパッサンとランボーからの再出発=大島渚「愛と希望の街」』
(167)2010年4月21日『虚しく栄えた時代=大島渚「愛と希望の街」補考』
(170)2010年5月12日『新鮮さを刃として=大島渚「青春残酷物語」』
(172)2010年5月24日『どっこい民は生きてるぜ=大島渚「太陽の墓場」』
(173)2010年6月3日『大島渚にとっての旧約聖書「日本の夜と霧」』
(193)2012年1月31日『今なお新鮮な映画「いちご白書」』
(219)2013年10月10日『若松孝二12作品メモ=「実録・連合赤軍」への道程』
(234)2014年11月4日『映画「NO」が突きつけた権力支配の虚構と現実世界』

<現代社会の断面>
(97)2007年7月6日 『国家詐欺としての年金犯罪=信義社会の歴史的崩壊』
(128)2008年8月3日『この暑い夏の、しかし心寒い物価急騰の日々』
(144)2009年2月13日『君は優しすぎるんだ=「派遣労働者」の悲劇(1)』
(145)2009年2月18日『腐った既成大労組と新鮮なヴォランティアたち=「派遣労働者」の悲劇(2)』
(146)2009年2月20日『廃品化された若者たちに贈る詩=「派遣労働者」の悲劇(3)』
(180)2011年2月17日 『忍び寄る密告社会』
(183)2011年4月24日『今こそバカンスを=東日本巨大津波・大震災・原発事故考(続)』
(184)2011年5月16日『ヴォランティアたちの地下水脈』
(218)2013年8月17日『国労非道弾圧の結果だ!=北海道JR連続事故の真の原因』
(229)2014年4月8日『20年前から日本は貧富格差の先進国に』

<海外事件考>
(25)2005年11月15日『フジモリ問題』
(91)2007年5月20日『ヒヨドリになったセルパたち』
(142)2008年12月31日『暗愚の帝王ブッシュ』
(143)2009年1月19日『ガザ・ゲットーの大虐殺=私のパレスチナ白書』
(241)2015年2月18日『安倍大失策で日本人が危険に=「イスラム国」問題中間総括』
(245)2015年7月17日『遥かギリシャを想う』

<資本主義と社会>
(30)2005年12月27日『2人の1級建築士、あるいは資本の魔性』(掲載は1月)
(31)2006年1月12日『春闘以前』
(33)2006年1月26日『末世のキーワードは「偽」』
(36)2006年2月4日 『宵闇迫る日本型産官学軍複合体』
(150)2009年5月2日『豚インフルエンザの病原菌は現代資本主義である』

<スポーツで思うこと>
(49)2006年6月7日 『ユーゴ終焉告げるワールドカップ大会』
(54)2006年7月1日 『現実社会反映の日本サッカー敗退』
(58)2006年7月25日『ジダン頭突きのメッセージ』
(103)2007年9月12日『たかが相撲の話だけれど=朝青龍騒動で思う』
(131)2008年9月1日『破綻が証明された内弁慶の日本スポーツ界』
(132)2008年9月3日『雄力の衰退=北京オリンピック補考』

<かってのメッセージ>
(1)2005年7月31日 『69歳のメッセージ』
(60)2006年7月31日『70歳のメッセージ』
(100)2007年7月31日『71歳のメッセージ』
(127)2008年7月31日『72歳のメッセージ』
(154)2009年7月31日『73歳のメッセージ』
(175)2010年7月31日『74歳のメッセージ』
(187)2011年7月31日『75歳のメッセージ』
(202)2012年8月15日『76歳のメッセージ』
(217)2013年7月31日『77歳のメッセージ』(つづく)

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