横浜日記 2006

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全17ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

「横浜日記」(79)その5 06・12・19 梅本浩志

<虐殺された教育基本法>

    教育を不当支配してきたもの

 第10条(教育行政)では、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と明確、明白に書かれている。この重要な条文もまた空しくされた。
 教育はまさに「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と明記されていたのであり、決して国家権力や「システム」に対して顔色をうかがいつつ行われるべきものではなく、まして責任を問われるべきものではなかった。
 だが現実はどうか。どのようにされてしまったか。いまや教育に携わる人間たちは自民党権力や「システム」に顔を見るようにしむけられ、顔色をうかがうように強制され、強要されている。決して国民全体に対して行われてはおらず、責任を負うことは求められていない。
 教育の現場は、自民党権力と官僚及びボスたちに支配され、統制され、彼らに対してだけ「直接に責任を負って行われるべきもの」となっている。地方にあっても知事たちボスによって任命された教育委員と称する官僚どもが教科書選択から教員管理に至るまでほぼ完全に支配し、教師たちは窒息状態になっている。抵抗するに抵抗する組織としての日教組は闘うだけの力量は奪いつくされ、無力であり、もはや存在していないに等しい。

 孤立した教師たちは、自分の殻に閉じこもって、権力からの攻撃を防御するのに必死である。大多数は孤立して、孤独に。校長をはじめとする管理者たちのご機嫌を損じては大変な災厄を招くのだ。いま教師たちに精神神経障害患者たちが急増していることは、病院の精神神経科外来待合い室をのぞいてみればよく分かる。学校名を印刷した封筒を持っていたりするから、分かってしまうのだ。
 日本の教育はいまや自民党権力と「システム」による「不当な支配に服」させられているのである。このことを象徴するのが日の丸掲揚と君が代斉唱の強制である。天皇もさすがに呆れ、正義とは縁遠くなってしまった東京地裁でさえ教師側を勝訴させたほどの酷い状況がいま、日本の教育界を支配しているのである。
 特に酷いのは石原都政下の東京都の教育現場である。この第10条を守ろうとして処分攻撃と闘っている少数の良心的な遵法の教師たち。この法律規範を破壊し続けてきた自民党国家権力。

 そして同条第2項の「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」の文章は空しさをこえて皮肉である。「この自覚」が全くないばかりか、戦後教育を圧し潰すことに血眼だった国家権力が、そんな「目的を遂行する」など矛盾も甚だしいではないか。
 彼らが「整備確立」に励んだのは、ただただ土建業界に利益をあげさせ、そのことによって選挙基盤を確立し、政治資金という名のカネをポッポに入れて、相互共存、相互共栄を図ろうとしただけの話である。こうして今日、教育の世界は荒廃し、人間は崩壊し、教師たちや子どもたちが地獄の日々に耐えさせられているというのに、学校の建物と運動場だけは、実に立派なものとなっているのである。

 第11条(補則)「この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない」については、ここに検証し、論及する必要はないであろう。改悪された教育基本法ではこの補則条文が「法令の制定」と独立させられて、非常に重要な役割と機能を持つのだが、改悪されるまでの教育基本法では、第10条までが内実の全てであり、補則はあくまで10条までの目的を達成するための補則でしかなかったからである。
 その補則が、10条までの全てを自民党権力と「システム」によって虐殺されてしまった以上、いまや検証し、論及しても、無駄でしかないからである。

    止めの匕首

 教育基本法がまともに生きることができたのは、わずか10年だった。1947年に公布されてから日本の教育は、日本の民衆とりわけ日教組に結集した教職員の力によって、生命力を維持され続け、教育の現場は活況を呈した。
 だが1957年2月25日に、安倍晋三の祖父・岸信介が政権をとってから、教育基本法殺しが始まった。
 岸内閣が発足してから36日後の同年4月2日に佐賀県教祖に対する刑事弾圧が行われたのをきっかけとして、10月24日には愛媛県教委が教職員に対する勤務評定実施を通達、これに対して日教組が勤評反対闘争を全国的に展開するが、愛媛県警察は警官隊を出動させて弾圧、年末の12月20日に全国都道府県教育委員長会議が勤務評定試案を了承し、文部大臣は即座にこの教育委員長会議の決定を支持する談話を発表した。
 これを契機として岸信介を頂点とする自民党権力は教育基本法の骨抜きと破壊を本格的に開始し、教育反動化が露骨に行われ出した。翌年に入るや、58年3月に文部省が小中学校における道徳教育の実施要綱を発表、7月には小中学校長に対する管理職手当法を成立させ、ほぼ同時に小中学校学習指導要領改訂案を発表、8月に入って文部省は道徳教育義務化のための施行規則を改定した。

 こうした教育基本法殺しの自民党権力と文部官僚および地方教育委員会の統一した戦略的攻勢は、当初は警職法改悪、後半には60年安保闘争および三池闘争といった華々しい運動や闘争の陰に隠れて目立つことはほとんどなかったが、国家権力の教育反動化を目指し、目論む攻勢は執拗に、着々と押し進められたのである。やがてそれはボクシングにおけるボディ・ブローのように、民衆の抵抗運動の力を弱める効き目をあげてくるのである。
 そして教頭や副校長制度の導入といった管理体制の強化が押し進められ、教育現場への締め付けと抑圧は、苛烈なものへと強化されていき、日教組は確実に闘争力を削がれ、弱体化し、教育基本法を守る力は存在しなくなっていったのである。
 こうして教育基本法は確かに1957年までの10年間は新鮮で力強い鼓動を響かせて、生き生きとし、子どもたちは自由な空気を胸一杯吸い込み、育っていった。
 しかし、それから以降の50年間というものは、教育基本法は国家権力と「システム」によって虐待され、虐め抜かれ、足蹴にされ、強打され、手やロープで首を絞められてきた。肉体だけではなく、精神にも危害が加えられ続け、神経はずたずたにされ、心的外傷症候群に日夜苦しめられる日々が続き、死に体の状態にあった。
 だが教育基本法の生命力は予想以上に強く、頑健で、光り輝いていたから、これまで生き続けてこられたのである。しかしもう息も絶え絶えで、ぐったりと大地に横たわっているのが精一杯だった。
 そこへ岸信介の孫が、祖父が果たそうとした夢をいまこそ完全に実現するのだと、横たわった教育基本法に匕首を突き刺し、完全に殺害してしまったのである。「教育基本法改正」とはこうした半世紀かかった殺害劇の結果だったのである。その逆ではない。

    自分史との重なりあい

 私はいま、自分の過去と教育基本法の殺されていった歴史とを重ね合わせてみている。この法律が殺され始めた1957年は大学に入学したばかりだったから、それ以降の半世紀にわたる私の人生は、教育基本法殺害の歴史と重なりあっている。
 2回生の時に勤評反対闘争にわずかに関わり、その年だったか翌年だったか、3週間ばかり京都市立山科中学校で教職実習に参加したが、教師にはならなかった。人を教えるなどという大変な仕事はできないという思いからだった。当時、「でもしか先生」という言葉が流行していて、これといった能力や適性がない就職不能者は「先生に『でも』なるか、先生に『しか』なれない」という意味だったが、教職とはそんな生易しいいい加減なものではないことを痛切に感じたものだ。
 ただちょうど勤評制度が導入されつつあるときで、教育現場を経験したことは貴重な体験だった。若手の教師たちと仲良く意見交換する機会を持たせてもらったが、1年後の安保闘争の街頭デモで、ジグザグデモをしていたとき、ふと目をやると彼らが見守って盛んに拍手してくれ、声をかけてくれたことが今でも思い出される。
 就職してからは、文部省記者クラブに配属されたものの、わずか3ヵ月間で配転されて、まともな取材はできなかった。しかし、このとき日教組の槙枝書記長と知り合い、後にポーランド「連帯」と日本総評とを提携させる絆となった。「連帯」運動が高揚していた1980年には槙枝は総評議長になっていたからである。
 東京都庁と京都府庁の記者クラブに在籍したことがあったが、教育現場の取材をしなかったことは深く反省するところである。ただ66年だったか67年だったと思うが、日教組大会が滋賀県大津市の滋賀会館で開催されたとき、右翼が街頭宣伝車を数十台列ねて押し掛け、暴力的に挑発したのを取材したことがあり、一種の社会的危機を感じたものである。高校時代のおとなしかった同級生が教師になっていて、右翼に対する防衛隊となってピケの最前列で闘っていたのが印象的だった。
 やがて日教組が大会や教研集会を開催しようとすると、右翼が会場所有者の地方公共団体に「貸すな」「押し掛けるぞ」と脅迫して、おそれをなした会場所有者が、会場を貸さなかったり、いったん貸しながら取り消すなどして、問題となり、国際的に笑い者となる時代が到来した。まさに憲法違反であり、教育基本法違反だった。
 1982年、私はパリで朝日新聞ヨーロッパ総局長だった根本長兵衛氏一家に招かれて食事をしながら会話しあったが、そのとき根本氏は、日教組のような公然たる大組合が大会や集会の会場を貸してもらえなかったり、取り消されたりすることは、ヨーロッパでは考えられないことで、フランスなどで話題になっている、と話してくれたことが印象的である。
 教育基本法の忠実な守護者であり、使徒だった日教組は、既にこの頃、国家権力と「システム」から市民権をはく奪されてしまっていたのである。そして遂に教育基本法は虐殺され、安倍政権によって止めを刺されたのである。

「横浜日記」(79)その4 06・12・19 梅本浩志

<虐殺された教育基本法>


    教育の生命線

 第6条の第2項は公教育の原点というか最も大切で重要な理念と精神を規定していた。即ち、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適性が、期せられなければならない」。
 この条項は、国家権力(地方ボスまでも含む「システム」)が半世紀以上にもわたって、教育を自分たちの意志や意思に従わせようとしたくてうずうずしてきたものの、この条項があるために、なかなか思いが遂げられなかった「防波堤」の役割を果たしてきた条文である。それだけに裁判でもっとも激しく争われた条文であり、結局は最高裁が曖昧な解釈を行って、実質的に形骸化したものである。

 ここに書かれている内容は教育の生命線というべきものである。それは教師は、公権力等外部のいかなる介入、干渉を受けずに、自分が正しい、こうでなければならない、と考え、信じる理念とやり方と良心に基づいて教育にあたることが許されていることを保障し、明記している法律条項なのである。それは身分と職務の独立を保障されている裁判官と同じだと考えてよいものである。
 その場合、教師が従い守るべき唯一の判断や価値の基準は、「全体の奉仕者」であることと、「自己の使命を自覚」すること、つまり最良最善の教育理念を持ち、そのための技術を磨き挙げ、子どもたちへの愛情を降り注ぐことである。それ以外のあらゆる判断や価値の基準は邪道であり、百害あって一利なきものである。
 つまり教師は教室にあっては完全に自由であり、子どもたちとともに主人公なのである。そのことがこの第6条第2項で保障されていたのであり、身分と待遇が守られていたのである。それは単に教室だけに留まらず、子どもの生活全域、全般にまで及ぶものであり、そうした理念をドラマ化したのがテレビ番組「3年B組金八先生」であり、子どもたちは熱狂してテレビの前に坐り、武田鉄矢扮する金八先生に憧れ、その番組は民放としては異例とも言える再放送を繰り返したのである。同様のことが実在の夜間中学教師・見城慶和への高い評価と人気になったと言える。

 ところが現実の教育の世界ではどうだったか。まず教師に対する締め付けと管理が徹底され、教育の仕方や内容にまで、公権力やPTAボスどもが介入し、人事権を利用して良質な先生たちを排除し続けた。教員採用にあたっても、特に思想的な差別が酷かった。優秀で教育に情熱を持つ教員志望者も教育委員会(教育庁)に強いコネがなければ採用されない事実を私は身近に見聞した。
 教師たちは特に思想的にチェックされ、良心の自由を持つことを許されなかった。教育の場である入学式や卒業式でさえ、子どもを人質にとって君が代斉唱と起立しての日の丸掲揚を強制され、強要された。国会で時の官房長官が「強制しない」と明言していたにもかかわらず、強制され、服従しないものは処分され、甚だしい不利益を被った。こうしてこの第6条第2項は骨抜きにされた。
 その後に残されたのは、ごますりとご機嫌伺いのお調子者の骨抜き教師ののさばる姿であった。仕事を家庭にまで持ち帰って処理しなければならない、疲れ果てた教師たちだった。教育がダメになり、その世界が荒廃したのも当然である。

    誰のための社会教育だったのか

 第7条(社会教育)は、「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」と書かれていたが、これもまた空文とされた。
 サービス残業による長時間労働と資本主義経済のグローバリズム化浸潤に伴う労働条件の悪化、正規雇用の減少、ワーキングプアの増大等々により、いまや日本の社会は危機的レベルを超えていて、家庭もまた崩壊状態にあるか、そうでなくても大人たちの置かれた非人間的状況が子どもたちの世界をも圧し包み、およそ社会教育に値するものは存在していないに等しい。
 子どもたちには、放課後あるいは休日、草野球をしたりわいわいがやがやと近所の友だちどうしで日が暮れるまで遊び呆ける場所もなければ、環境もない。大人たちは長時間労働と日常生活で蓄積された疲れを取り去るのに精一杯で、文化的な充実感や家庭生活の幸福感に浸る余裕はない。大人たちにも子どもたちにも、自由な時間がないのである。ましてヨーロッパ並みのバカンスなど望むべくもない。そんな現状下においてどうして社会教育など行いえようか。

 同条第2項には、「国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない」と書かれていたが、これまた空しかった。
 この条項は本来、大人から子どもに至る全ての人間に対して、文化的、芸術的な教養を深め、その喜びと楽しみを享受し、そうした文化的、芸術的な営みに関する経験や情報を社会的に伝播しあうことを趣意としていたはずのものだった。
 だが現実には、この条項はほぼすべて、箱ものづくりつまり建造物づくりに矮小化され、土建業界を選挙での票集めマシーンとし、同業界にカネを出させて資金源としてきた自民党権力の勢力維持のために利用されてきたのである。
 いまや日本中至る所に立派な美術館があり音楽ホールがあり、博物館がある。それらきらびやかな施設には客集めのための「目玉作品」がある。施設の職員たちはカネに糸目を付けずに買い漁ってきたものだから、日本人のために世界の美術品は値上がりした、と怨まれたりした。高いギャラを出して有名な演奏家や歌手を呼び寄せ、オペラや交響楽を上演したりして、赤字を税金で埋め合わしたりした。
 こうして図書館を造っても読書の楽しみを伝授せず、子どもたちも大人どもも本を読まなくなった。音響装置が素晴らしい音楽ホールも、常に有名な歌手や演奏家を招くわけにはいかず、閑古鳥が鳴いている。博物館を造っても、歴史や地理を教えていないために、若い見学者たちの多くは展示物の意味さえ理解できず、漠然と館内を見て歩くだけという有り様である。

    石原政治思想押付けは違法行為

 第8条(政治教育)では、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」とあった。現代日本人たちの多くは、この条文を読んで、教育の場で政治教育が許されているどころか、尊重を義務づけられていることに驚くことだろう。それほど、学校における政治教育は自民党権力や保守的輩から排撃され続けてきたのである。
 なにせ政治教育を行うのが日教組に所属している教師だったからである。政治的な問題を提起するどころか戦争について日頃勉強したり、考えていることをつい口に出したりした教師は、ただそのことだけで偏向教師だと烙印を押されて抹殺されてきたのである。
 なによりも現代の日本の教育においては、受験に役立たないと学校側が考え、そうした考えと授業で教育に臨むべきだとする学校管理職者の方針を実践することを教育委員会も黙認してきたために、政治教育で重要な位置を占め、役割を果たす歴史と地理の授業がないがしろにされてきた。特に現代史の教育は全くといってよいほど、教えられてこなかった。いわゆる名門大学受験合格率の高い高校ほどそうだった。
 歴史や地理を知らずして、いったいどうして政治的教養を身につけることができるというのであろうか。政治的判断力を養えるのであろうか。
 未だに考えられず、信じられない話だが、私が通産省記者クラブに在籍していた当時、通産省内でフランス革命を知らない東大生がいることが話題となって、役人たちが問題にしているということが、記者クラブで話題になったことがある。なんでも世界史を受験課目に選択せず、そのため高校生時代も世界史を全く勉強しなかったというのだが。

 同条第2項には、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と規定していた。現実はどうか。
 いまや、ヨーロッパ社会においては極右ナショナリストと呼ばれうる石原東京都知事の政治思想に代表される自民党権力及び「システム」の抱く特定の政治的思想が教育現場に押し付けられ、教師たちも生徒たちも日の丸掲揚や君が代斉唱に強制服従させられている。教科書は無残なまでに検閲され、国家権力にとって都合のいいように執筆・編集を強制させられている。自主規制も一般的だ。反対に憲法第9条を中心に憲法擁護や反戦を口にする教師は徹底的に弾圧され、教育界から追放される。

    金太郎飴人間量産教育の欠陥

 第9条(宗教教育)は「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」と、同条第2項の「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教活動をしてはならない」の2つの文章で構成されていた。
 ここで私が指摘し、主張しておきたいことはただ1つ。日本の教育が体制に適合する金太郎飴的な規格化した人間を大量生産するために、条件反射的な受験技術の腕上げを最大の目的として、物事を根底的に考える教育を排撃し続けてきたために、宗教と関係深い哲学の、あるいは哲学的な教育を行おうとせず、行ってこなかったという歴史的事実である。高度経済成長政策実施以降の日本の教育は、受験技術の腕上げと知識の断片的切り売りしか行ってこなかった、と断言できる。
 その結果、物事を根底的に、体系的に、主体的に、論理だてて考える人間を育てることはなかった。周囲を見回し、上司の顔色をうかがい、要領よく立ち回り、マニュアルに忠実な人間ばかりをこうして大量生産してきたのである。これが権力支配者や「システム」支配者たちにとってはなはだ都合のいいものだったことは確かである。

「横浜日記」(79)その3 06・12・19 梅本浩志

<虐殺された教育基本法>

    教育上差別されていま〜す

 第3条(教育の機会均等)の条文。「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」。
 この条文もまた、なんとも空しい。「勝ち組」を願望する親たちによって、学校教育は条件反射的受験技術修練の場に化せられてしまい、放課後は進学塾通いが常態化し、家庭教師をつけ、名門大学への進学率の高い学校に入れることに、教育委員会も親も教師も血眼だ。当然、親の所得の高い子どもがそうした利益を享受し、実際、名門大学に入れるのはいまや金持ちか社会的地位の高い親の子どもが圧倒的だという調査結果が出ている。
 岸信介の血を引く門地を誇り、社会的身分が高く経済的にも大資産家である安倍晋三など、幼稚園から大学までエスカレート式の私立校でところてん式に卒業し、それでも当時東大学生だった平沢現国会議員を家庭教師につけてもらっていたほどだ。そんな安倍晋三が公教育について云々し、遂に教育基本法を殺してしまった。

 人種差別はしないはずなのだが、日本生まれのイラン人女子生徒はせっかく短大に入学できながら国外退去処分で教育を受けられない状態に追い込まれているという。
 信条で差別されないというが、全共闘運動に共鳴した中学生は、そのことを理由として卒業式への出席を物理的に妨害された。現在、君が代斉唱や日の丸掲揚で応じない教師は懲戒処分を受けてクラス担任から外され、同じ考えの子どもたちは、踏み絵を踏まされている担任教師の人質とされていて、自ら正しいと思う信条に忠実であることを許されない。
 なによりも、1クラスに最低1人はいるといわれる不登校小中学生や、毎年10万人は出ているといわれている高校中退生たちの「ひとしく教育を受ける機会」と権利はどうなっているのであろうか。この子たちははなはだしく「教育上差別され」ているのではないか。その結果、能力をのばせず、幸せに生きる機会から遠ざけられ、社会的に差別され、就職もできない状態に押し込められ、「負け組」にされているのではないか。

    地獄となった義務教育制度

 第3条の2には、「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない」とある。
 この条項を「奨学金制度」に矮小化してはならない。「負け組」が量産化され、なにか資格を持たなければ就職もできず、たとえ職を得ても正社員として採用されず、身分や賃金で甚だしい差別を受け、こうしたワーキングプアの状態から抜け出そうとして専門学校に通おうとしても、昼間だけでは飯が喰えず、夜間も働かなければ一家心中しかなく、専門学校で勉強したくても勉強できない「能力がある」人間が多いことが、いまや大きな社会問題になっているというのに、公権力は無力、無策である。

 第4条(義務教育)では「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う」と定めてあった。
 小学校6年間、中学校3年間、合わせて9年間の義務教育を子どもたちの保護者たる者は受けさせる義務を負う、と強制してきた。だがこの「義務」が子どもたちを、むりやり学校へ押し込め、条件反射的受験技術の腕あげばかりを強要させ、国家や「システム」あるいは独占的大資本にとって都合のよい金太郎飴的な人間を大量生産する観念となり、規範となり、学校を地獄の状況に追いやってきたことに、未だに多くの人間が気付いていない。
 苛めが常態化し、不登校児や中退生徒たちが大量に生み出され、行き場を失った子どもたちは、精神を病み、リストカットをしてしまい、心的外傷に苦しめ続けられ、自殺にまで追い込められている現代の「義務教育」やその延長としての高校教育の現実。
 そもそも教育は「権利教育」であって「義務教育」であってはならないのである。それを国家権力や「システム」の都合に合わせて、親ばかりか子どもたちにまで「義務」として強制、強要しているところに問題があるのである。「義務」は公権力や社会全般が負うものであって、決して子どもが負うものではない。教育基本法のこの条項はまさに「義務」を負うのは「国民」つまり大人たちだと明確に規定しているのだが、それをいつの間にか子どもたちの義務だとすりかえ、学校を地獄に変えてしまったのである。 

 第4条の第2項には「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴集しない」と規定していたが、この条項もまた授業料やせいぜい教科書の無料化だけに矮小化されてきたと言える。
 実際ほとんどの親たちが経験していることだが、ほとんどの学校では制服、制帽、制靴の着用を義務付けられ、柔道着や運動着を買わされる。やれPTA会費、修学旅行積立金、給食費等々、出費がかさむ。母子家庭やワーキングプア家庭では、こうした費用の負担は耐えきれないものである。自民党権力政治によって、とりわけバブル経済崩壊後、こうした家庭が急増しているのであり、せっかく能力や希望がありながら高校に進学できない子どもたちが大量に生まれているのである。

 第5条(男女共学)ではこう書いてあった。「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」。
 たしかに制度としての男女共学、つまり男女同権はこの虐待され続けてきた法律の中では、例外的に存続してきたと言える。ただし、職業社会などの現実をみると、就職、賃金、身分などで明白な格差があり、性差別は厳然としてあり、また政治の世界では女性の進出が先進国中でも非常に立ち遅れている。こうした現実を見るにつけ、教育の内容において、方法において、果たして性差別解消は実現しているといえるか、疑問である。仏像造って魂いれず、とはこの「男女共学」の制度であろう。

    校舎よくなり教育滅ぶ

 第6条(学校教育)において、「法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる」と明記してあったということは、学校教育の権限と責任の所在が国家と地方公共団体と学校法人だけにあることを意味していたのであり、今日の教育の世界の荒廃の責任はこれら設置権限者のみに帰せられるべきことであったことを明証している。
 たしかにほとんどの学校は立派な建築に建て替えられ、グランドは整備された。しかし、その近代的な施設の中で行われている教育は見るも無残なものと成り果て、行われている教育は受験技術の切り売りであり、子どもたちの置かれた状況は地獄である。官庁や銀行の立派に立て直された建造物と同様、建物が立派に改築されたものほど、中味が酷くなった例として、学校を挙げることができる。
 また、この条文では学校教育の主体が公権力や法人だけのように規定されているが、いまや教育でもっとも重きをなしているのは学習塾である。そこでは「勝ち組」を熱望する親たちの需要に応じて、学校よりも受験技術や条件反射的テスト対応能力の向上を実現する供給が行われている。
 いまや学校が学習塾の講師を招いて腕前の伝授を希う時代となっているが、この点に関しては教育基本法にはなんらの記載はない。同様なことが就職のための技能を高める専門学校についても言える。大学に在学中や、卒業してから専門学校に通う学生も珍しくはなくなった。現代教育は学校外で隆盛である。

「横浜日記」(79)その2 06・12・19 梅本浩志

<虐殺された教育基本法>

    人間たるを許さず

 第1条(教育の目的)にはこう書いてあった。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」
 3点だけ指摘しておきたい。まず「個人の価値をたっとび」とあるが、子どもの世界はいうに及ばず、大人の世界においても現在の日本社会のどこに「個人の価値をたっと」ばれている場所と時間があると言えるのであろうか。戦後60年余をかけて「個人の価値」は常に削減、縮減され続けてきたのだ。
 いまや「個人」は、バラバラな存在に孤立化させられてきたしそうなってしまったと言えるが、ほぼ全ての人間は、人間として重んじられ、能力を十全に発揮して社会に寄与し、働きがいと生きがいを感じることなど全くできない状況になってしまった。それどころか簡単に殺害され、物のように扱われ管理され、大多数の者は「負け組」とされて人間として扱われず、人間としての幸福を味わうことを許されなくなった。子どもたちの置かれている非人間的な状況はそうした大人社会の反映でもある。

 「勤労と責任を重んじ」とあるが、現代日本のどこに「勤労が重んじ」られる所があろうか。真面目に働いても月収10万円にもならない極貧層が急増している一方で、「頭を使って楽すればいいのさ、真面目に働いて稼げないやつどもは馬鹿だ」とせせら笑っている六本木族や、賃金水準を発展途上国での低賃金と同等の低い状態に落としめて、「能力があるものや実績をあげたものたちが報われる日本にすべきだ」と主張してやまない、自民党権力者たちや財界人たち。教育のシステムや内容もそうした「勝ち組」絶対支配のものにすべきだと厚顔にも言い張る安倍晋三たち。
 「責任を重んじ」などというが、こんな日本にした自民党権力体制を維持し、寄生してきた人間たちの「責任」はどうなるのか。彼らの誰1人として「責任」をとろうとしなかったではないか。日本経済を崩壊に導き、大赤字を出して国民の税金をたっぷりと注いでもらい、304兆円ものマネーをシフトさせて、大儲けしながら、税金(法人税)の1円だに支払わない大銀行の「責任」はどうなっているのか。
 「自主的精神に充ちた」というが、ここ30年ほど、日本のどこに「自主的精神」が存在したのか。この最も人間的な精神が存在することが許されたのか。
 働くテクノクラートや労働者、あるいは社会を形成する市民が、自主的精神を発揮することなど、ここ日本では全く許容されることはなかった。それは特に教育現場で酷かった。教師たちは自主的に、全人格を捧げて教育にあたろうとすると、「システム」から酷い迫害を受けなければならなかった。
 子どもたちが3年B組担任の武田鉄矢演じる金八先生を求めても、官僚主義化した教育行政者たちは金八先生的な存在とやり方を許容しようとしなかった。夜間中学に一身を捧げた60年安保闘争世代の見城慶和先生が40数年間も教壇に立つことが許されたのは、その特殊な教育環境のおかげでしかなく、見城先生の教育方針と理念を一般化することは許されなかったと言うべきであろう。
 教育基本法改悪を求め続けてきた自民党政権とその体制は決して「自主的精神」を許容しなかった。それは特に石原慎太郎が支配する東京都において顕著だった。

    遊びの圧殺

 第2条(教育の方針)はこうだった。「教育の目的は、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」。
 「教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない」のだと・・・。まるで皮肉を聞いているようである。いまや地域社会はおろか、学校でさえ教育の名に値する価値ある社会的営みは行われていないのだ。
 学校は荒廃し、虐待、殺害の場となり、少数の「勝ち組」をつくり出すために、受験技術の腕あげのために偏差値教育を徹底化させてきた。そのため子どもたちはテストと宿題漬けで、学校生活の楽しさなど味わうことを許されなかった。
 大量につくり出された「負け組」は満たされない心を陰湿な苛めに求めて、より弱いターゲットを求め、つくり出しては劣等感や欲求不満のはけ口を求めた。「負け組」の中でも最も酷い「負け組」は、仲間のはずの「負け組」からさえ排除され、苛めという精神的リンチを受けて自殺に追い込まれた。弱者から金銭を巻き上げることも珍しいことでなくなった。こうした精神的土壌は校内だけに留まることなく、校外において全く抵抗力のない最貧層のホームレスや高齢者を襲い、乱暴に傷つけ、殺害し、金銭を強奪したりすることも珍しくなくなった。
 自主的な人間性を形成する上で教育上重要な役割を果たすべきスポーツ関係の部活動は、これまた学校の名誉をあげるとかで、勝つことを至上命題として非科学的な根性練習が強制され、子どもたちは全体主義的に統制されるのが普通となった。部活もまた苛めの場となった。

 部活に加わらない子どもはひたすらに塾通いやお稽古ごとで時間の全てを奪われる日常生活を過ごすようになった。「勝ち組」に入ることが絶対的に正しいのだと信じる親たちが強制するか、あるいは子どもたちがそうしなければ「負け組」に落伍してしまうと錯覚させられて、そうなったのである。
 こうして子どもたちは放課後、自宅周辺で遊びに夢中になることはなくなった。現在、街の広場(都会ではもうかつてのような空き地や広場はなくなったが)や公園で、日が暮れるまで子どもたちが遊び呆ける姿など見たくても滅多に見られない。学校の運動場も子どもたちが自由に使えず、野球なども危険な遊びとして一般的に禁じられている。野球をやりたければ野球部に入るか、少年野球チームに加わるしか、選択肢がない。遊びとして野球をやることは許されない。
 ごく少数の例外的な子どもはいるのだが、こうした社会状況により遊び友だちがおらず、家の中でテレビゲームに熱中するのが精一杯である。仮想現実の中でそうした子どもたちは育っていくのである。
 子どもたちが屋外で遊びに夢中になり、走り回り、テニスボールを使っての素手の野球に夢中になったり、鬼ごっこや、縄跳び、ドッジボールに腹の減るのも忘れて親から叱られていたのは、1980年頃までであったろうか。やがて進学率の高い私立中学・高校への進学熱が高まり、塾が全盛となり、そうした状態に比例するかのように子どもたちの世界に悲惨な事件が起こりだしていったのである。

    ご冗談を!

 「学問の自由」などと書いていたが、いまや大学には学問の自由など消滅し、観念でしかなく、幻想になってしまったとさえ言える。大学の自治を守ることによって支えられてきた、大学と学問の自由の歴史はなくなった。「学問の自由」を守る砦としての学生運動とその組織は事実上消滅した。教授や研究者たちは政府の諮問機関や行政機関に喜々として参加して顔を売り、コネ(人間関係)をつくり、多大の余得を得て、その代償として権力の悪政に手を貸して正当性の権威を与えてきた。各種業界にも関係を積極的につくって、様々な余剰利益を手にする。学問は「システム」にどっぷりと浸り、自由を叫ぶ意識と必要性などなくなったのである。
 そうした学問非在の廃虚の後に形成されたのは、利潤追求を目的とする法人資本主義と「システム」の発展に寄与することを至上とする「産官学軍」複合体としての大学教育であり、そうした資本主義社会や資本主義国家に役立つ人材を大量に教育して送りだす装置産業としての大学であり、その組織としての独立法人化した大学組織であり、機構である。真理の追求とは縁遠い大学となった。そんな大学に「学問の自由」など叫ぶものがいたとするなら、ドン・キホーテでしかない。
 「実際生活に即し」と書かれていたが、いまや「実際生活」は存在しなくなった。せいぜい経済的豊かさを誇る「勝ち組」の「実際生活」は存在するが、彼らの「実際生活」が本質的にバルザックやトルストイあるいはモーパッサンやゾラたちが暴いた空しい虚栄の生活でしかないことは確かである。バブル経済崩壊後顕著になった大多数の人間の「実際生活」は、いまや経済的にも破綻し、呻吟する「負け組」たちの喘ぎしか聞こえてこない。

 「自発的精神を養い」と書かれていたが、この官僚主義的な金太郎飴社会において自発的精神を発揮しようものならそんな人間は、徹底的に圧し潰されることは誰でも経験したり身近に見聞してきたことである。
 だから親たちは子どもにできるだけ自発的精神に目覚めてもらいたくないと思い、進学塾に通わせ、学校にも圧力をかける。自発的に君が代斉唱を拒否したり、日の丸掲揚時に起立することに抵抗しようものなら、本人の内申書は決してよくは書かれず、担任の教師までもが罰せられることは必定。PTAのボスたちもそうした自発的精神を持つ生徒を教えた教師を排除せよと学校や教育委員会、さらに地方議会にまで圧力をかける時代である。「システム」がそういう時代にしてしまったのである。
 「自他の敬愛と協力」などと言われると、ご冗談もほどほどにと誰しも言いたくなるだろう。いったい、学校現場はもとより、日本の企業社会、地域社会のどこに「自他の敬愛と協力」の姿が見られると言うのか。そんな余計なことを気にかけていると「負け組」にされてしまうぞ、とどやしつけられるのが落ちの現代資本主義社会ではないか。
 そんなとき、われわれが唯一見られる「自他の敬愛と協力」の姿は、大災害や大公害などの際に見られる、若者たちや名もなき一般市民たちのボランティアたちの貴い嬉しい姿だ。しかしこの姿が学校教育によって培われ、生まれ出たものでないことだけは確かである。学校では、あるいは家庭では、そんな暇があったらテストの成績をあげるために受験技術の腕あげをしろと言うばかりではないか。あるいは進学の際の内申書によく書いてもらうために偽善的にそうした社会奉仕のポーズをとらせているだけではないか。

「横浜日記」(79)その1 06・12・19 梅本浩志

<虐殺された教育基本法>

 教育基本法改悪法案が12月15日の参議院本会議で、自民党権力のタイムスケジュールどおり可決、成立した。ここに第2の日本国憲法である教育基本法は岸信介政権が絞殺を企図して以来、半世紀ぶりにその孫・安倍晋三の手に握られた匕首によって止めを刺されたのである。ここに憲法改悪劇の第1幕は下りた。
 明治憲法(大日本帝国憲法)と教育勅語とが1990年に一体的に施行されたことをこの際、想起しておくのも無駄ではあるまい。(注・明治憲法の公布は1989年、施行は1990年、教育勅語発布は1990年)

 ここで私が指摘しておきたいことは、この第2の憲法が改悪されたのは、同法が公布されてからちょうど60年かかって、自民党権力(自由党、民自党等前身政党を含む現在の自民党権力)の手によって、絞め殺されたという歴史的事実である。
 日本を侵略戦争に駆り立てて敗戦に導いたA級戦犯の岸信介からその孫・安倍晋三に至る自民党権力が、全体主義的な旧体制の復活を目指して、なによりもこの法律を骨抜きにし、形骸化し、実体的に改悪し続けてきたということであり、その結果として、名実ともに息の根を止めたという歴史的事実である。
 教育基本法が劣等なものだったから日本の教育がダメになったのではなく、自民党権力が60年かかって教育をめぐる状況をダメにしてきた結果として、言い換えれば教育基本法を徹底して破壊し、殺害を企て続けた結果として、教育がシステム的にも質的にもダメになり、教育を取り巻く状況が決定的に崩壊させられ、その果てに同法が改悪されたという歴史的事実である。

 いま私はこのことについて、教育基本法を逐条的に検証してそれら事実を立証したいと思う。その作業を抜きにしては、今日の教育の荒廃、人間崩壊の原因を突き止められず、責任を曖昧にしてしまい、今後、日本社会を人間的なものに立て直すことは全く不可能だと考えるからである。
 別な言い方をすれば、改悪教育基本法が施行されても、日本の教育は全く改善されないばかりか、見るも無残な結果しか招来せず、日本人は人間的にますます崩壊させられ、「負け組」に仕分けされた多数の人間は生活困窮と戦争へと駆り立てられて、悲惨な運命が待ち受けているという近未来の日本人の姿を私は見る。

    自民党権力の執念

 まず教育基本法の前文。2本の柱から構成されていた。1本は「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と高らかにうたい上げられていた。2本目は「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」と理念および戦略を開陳していた。
 いずれも教育の原点と基本は、1人1人の個人であって、国家や民族などという全体ではないことを明記していた。それはまた新憲法の基本理念でもあった。

 まず1本目の柱の、制定されたばかりの日本国憲法の理念と理想を実現する根本的戦略としての教育の位置付けについて。
 自民党権力は結党の精神と党是(党綱領)において、戦後一貫して、日本国憲法の「改正」を政策綱領の中心に据え、ひたすらに憲法改悪を目指して、国家権力と「システム」(カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』)によって、逆さグラムシ流の構造改革を追求し続けた。そして遂に小泉前政権の手によって、改憲の環境を整え、全体主義的な国家主義化にほぼ成功するに至った。

 この改憲戦略を追求するにあたって自民党権力は、憲法擁護を旗印としてきた日本社会党を骨抜きにし、力を削ぐことに全力をあげた。その具体的戦略として、社会党を支える旧民同左派系(注・「民同」=民主化同盟、敗戦後間もなく、当時労働組合運動を支配していた共産党系グループを排除するために、組合民主化を旗印に労働運動を分裂させ、上から再組織化させたグループで、このグループを中心に総評が設立されたのだが、右派と左派に分かれ、たちまちにして左派が多数派を占め、社会党を支える主力となった)の3大労組を徹底的に弱体、解体することと、小選挙区制導入による自民党支配の絶対的確立を図り、遂に成功させた。
 いま3大労組壊滅戦略だけに絞ってみると、まず最強だった炭労を三井三池闘争と石炭産業撤退政策によって物理的に潰した。次いで国労だが、国鉄民営化を名目としてあからさまな不当労働行為を働いて壊滅させた。そして日教組。
 「教え子を二度と戦場に送るな」を合い言葉として誕生した日教組こそは、自民党権力がもっとも忌み嫌い、骨抜きにし、壊滅させるべきサンジカ(組合)だった。右翼をけしかけ、警察力を動員して組合活動を弾圧し続けたが、効果なく、このため教職員に対する締め付け、管理を強化する手段を弄して、団結を弱めて、骨抜きにしていった。実に時間のかかる作業だったが、自民党権力は粘り強く追求した。

    日教組の絞殺

 それは60年安保闘争を前にした1957年の教職員に対する勤務評定制度の導入から本格的に開始されたといってよいだろう。石川達三が朝日新聞に連載したドキュメンタリーな小説『人間の壁』で描かれた時代だった。たしか既にこの頃には教育委員会は地方公権力の直轄下に置かれて形骸化し始めていて、そこへ勤評制度を導入して教職員内部に差別化による分裂を策し、やがてこれの成功に味を占めた文部省は教頭制度の強化、副校長制度の創設など、教職員に対する管理強化をいっそう促進し、教員採用の際にも思想チェックを強化し、コネ採用を常態化させた。
 当然、日教組は組織率が低下し、弱体化を余儀なくされた。こうして日教組は、まず真綿で首を閉められるかのように絞殺されていき、やがて荒縄で絞め殺されていったのである。
 日教組潰しこそは、まさに教育基本法に対する重大な意識的意図的な犯罪行為だったと言える。そして自民党権力は、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべき」としたのではなく、行政支配力(政治的ヘゲモニー)を利用して、人事権と給与決定権とを活用して教育現場の支配権を握り、経済力と公安警察力で補完し、高度経済成長によって形成された大衆社会化状況の中に巧みに日教組取り潰し戦略を織り込むことによって、時間をかけて、忍耐強く目的を達成していったのである。

    いまや空しい言葉たち

 2本目の柱。「個人の尊厳を重んじ」と掲げていたが、管理教育の徹底と偏差値重視の受験中心教育の浸潤によって、子どもたちの人間としての尊厳など、いまや見る影もない。虐め、自殺、リンチ、殺害等々のニュースが氾濫している現在の日本社会、とりわけ教育の現場において、いったいどこに「個人の尊厳」などあるというのか。資本主義の根源的な矛盾と言える資本による自己疎外と物神崇拝によって、いまや大人たちの人間性は徹底的に破壊され、子どもたちも人間崩壊させられているのである。
 「真理と平和を希求する人間の育成」とうたわれていたが、義務教育はおろか、高校、大学に至るまで、いったいどこで真理が追求されているのであろうか。
 現代の大学において重視されているのは、経済的利益に直結する学問分野の繁栄であり、そうでない分野の衰退である。大学の独立法人化がその止めを刺した。義務教育課程においても、受験技術の向上やマネー感覚の発達に役立つ教育が重視され、評価されていて、およそ真理追求の興味をかき立てる教育など見たくても見られない。
 教育基本法が制定されてから、70年全共闘運動の時代までは、そうではなかったと言えるが、いまそんな教育をしようとする教師がいれば、わが子だけは「勝ち組」にしたいと願う親たちによって、「無能教師」のレッテルを貼られて、教育現場から放逐されるのが落ちだ。まして「平和を希求」して日の丸掲揚や君が代斉唱に抵抗する教師たちは苛酷な仕打ちと迫害が待ち受けているのである。

 「普遍的にして個性豊かな文化の創造」というが、現在の教育現場のどこに、「普遍的」つまり時空を超えて世界性を持ち、歴史的に意義のある「文化の創造」と呼べる教育がなされていたのか。なされているのか。
 最近明らかになったように、現在の高校では大学受験に直接役立たない課目の授業は行われていない。「文化の創造」に欠かすことのできない歴史・地理や理科の授業が行われていないのが実態である。いわんや音楽、絵画、書道といった芸術課目の授業はないに等しい。生徒たちはそうした課目を選択したくてもそうできないシステムになっている。歴史も知らなければ、地球上の諸現象や地球環境の現状を知らずして、また音楽や美術などを味わうことすら知らない人間が、どうして「文化」に親しみ、味わい、創作の楽しみを獲得していけるのか。
 「個性豊かな」という表現はただその言葉だけで空しく、白々しい思いをしてしまう。現代教育はまさに個性を徹底的に抹殺し、否定し、破壊してきたと断言できる。偏差値教育で子どもたちを平準化し、型に押し込めて、「システム」に適合する金太郎飴ロボット人間の大量生産に血道をあげてきた。高度経済成長国家と官僚主義的社会に順応し、歯車として役立つ人間ばかりをつくってきた。およそ自分の考えや意見を持たない人間ばかりをつくってきた。
 人間的価値を大切にして、権力や「システム」に抵抗することなど、そう考えるだけで無益であるばかりでなく、自分自身を滅ぼしてしまうことになるのだと、少年少女期において既に悟り切ってしまった子どもたちは、本質的にペシミスティックであり、ニヒリスティックである。「個性」などとんでもないことであり、個性的に生きようとすること自体が、義務教育段階で否定され、許されないのである。

全17ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事