オフミのカーデザイン談義

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70年代のデザイン

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スバル1000ーなんていい響きをもつ名前であろう。

当時、1000cc車でも一般庶民にはなかなか高根の花、なかでもこのスバル1000は、今で言えばレガシィにも匹敵するプレミアム・イメージを持つモデルであった。
技術的にも前輪駆動、水平対抗エンジン、四輪独立懸架など当時の大衆車としては傑出したスペックを持っていた。

この車が1300G→レオーネ→レガシィとリレーされて行ったことを考えると、レガシィ=スバル1000と言っても、そう的外れなものではない。

しかし、この43年間で、排気量は2.5倍、車重2倍強、3ナンバー枠を大きく超える外寸など、クルマというのは放っておくとどんどん大きく、重く、高くなっていくものだなあ・・とつくづく思う(それにしても今のレガシィはちょっとデカすぎる。レガシィはジャストサイズだからこそ魅力があるのだが・・)。

スバル1000は、フロントグリルこそ1964年フォード・コルセアにクリソツなものの、全体に押さえの効いた上品さを感じさせる。
目立たない服を着た、寡黙な実力者・・そんな凄みを感じたものだ。
リアビューの写真が見つからなかったが、まあたとえば友人4人でレストランに行ったとする。3人が同じスパゲッティを注文したら、では、「私も・・」と好きでもないのに同じものを頼む人。そういう顔をしている(どんなだ)。

スバル1300Gは、この時代にすべての国産車がかかっていた「プラスティックお面病」で、オリジナルのよさを相当損ねた感もあったが、まあ決定的に改悪された訳ではなかった。このときのゼロヨンは、なんとホンダ1300クーペ9より速い。

この系譜は1972年に生まれた「レオーネ」に受け継がれる。
この車、これまでのスバルの技術市場主義的なところがなく、売れセンを追求しましたというところが見え見えであったが、デザインはちょっと格好いいなと当時思ってしまったことを白状しておこう。

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さて、ファミリア・REクーペの登場は鮮烈だった。

発売当初、父と私はN360でバイパスをドライブしていたのだが、当時はシグナルグランプリといって、信号が青になると同時に隣の車同士が加速を競うというとんでもないことが流行していた。
まるでウルトラマンの怪獣無法地帯である(知りませんか)。

REクーペの周辺には4台ほどの車が囲んでいて、この車に勝負を挑もうという奴らばかりだった。

信号が青になった。
他の車が一斉に全速力でスタートしたにもかかわらず、REクーペだけがぽつんと停止線上に残っている。

後ろで見ながら父は「あれ?エンストでもしたのかな」と言っていたのだが、その瞬間、度肝をぬく光景が広がった。

急にREクーペが、猛然と発進したかとおもうと、必死に加速し続けている4台の車を、水スマシのように車線を変えながら、あっという間に抜き去ったのである。
秒殺だった。

その後姿は、私の脳裏にいまだにこびりついたままだ。
「あれがREエンジンか、次元が違うな・・」

父もその姿がよほど印象的だったに違いない。

ルーチェREクーペが出ては憧れのため息をもらし、それを横目で見ながらホンダ1300クーペ9カスタムを2台乗り継いだ後、ついにルーチェのグランツーリスモという13Bを積んだ車に乗り換えたのだった。
よっぽどロータリーエンジンに乗りたかったに違いない。

本日はデザインの話ではなく単なる思い出話になってしまった。
そのREの威力というハロー効果があって、ファミリアのデザインは、当時なにもかも輝いて見えたものだ。

今見ても、セダンの品のいい中庸さ、クーぺの伸びやかなフォルム、そして丸型4灯のリアコンビネーションランプのデザインなど、なかなかいいなと思っている。

さてそのころ、第三勢力に、独自の存在感を放っていた車があった。
スバル1000である。 

続く。

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サニーがイタく崩れたのは3代目(1974−)からである。

こいつは本当にひどい!

ブルーバードUの悪弊がここに伝染し、やたらとボテボテして締りのない、過剰装飾の典型というべきデザインを纏う。
フロントグリルは、プラスチックの悪夢としか言いようのないものだ。
(写真1枚目)

こんなに時代を経ているのに、いまだに遠くイギリスの地において「醜い車100選」に名を連ねているのだから大したものだ。
とくにエクセレントのフロントグリルは「整形して鼻だけ倍の高さにした人」みたいでうすら気持ち悪かった。

このとき、カウンターパートをつとめるカローラ3代目(1974−)は、まあフロントグリルは不細工だし何のとりえもないが、サニーよりは、遥かに「ましな」デザインではなかったか。
(写真2枚目)

でも、この写真2枚だけを見比べると、下のほうが不恰好だという意見があっても理解できる気もする・・。

とにかくこの頃の日産はトヨタに憧れ、トヨタの悪いところに関してその上を行ってしまった時期だったのである。

このころ、第三勢力のマツダは、ファミリアで独自の戦いを繰り広げていた。
1963年登場の初代はここでは省くが、67年に現れた2代目ファミリア(写真3枚目)は、当時としてはなかなか清新なデザインを纏っていた。

ややぽっちゃり型ではあるが、どこにも贅肉というものはなく、やはり世代をひとつ超えたデザイン感覚があった。

この素性の良い基本デザインがあったから、あのファミリア・ロータリークーペ(写真4枚目)も多くの青年たちの憧れを集めることができたのだろう。

この車が当時有していたオーラは凄かった・・。(続く)

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悪夢のオーバーデコ化の波に見舞われた70年代初頭であったが、このころ、100−1300ccの大衆車は、どのような状況だったのだろうか?

まず大衆車の代表格であるカローラは、1966年のそのデビュー当時からシャープとか端正とかとは無縁な、万人受けを狙った鵺(ぬえ)のようなデザインであり、それゆえ、その後のモデルチェンジ(1970−)でもまあ、大きく落胆させることはなかった。
(写真1枚目)

小学生の頃、ちょうど私の嫌いな先生がこのカローラに乗っていたので、そのクルマまで憎かったというところもある(笑)。
キザな野郎で・・(笑)。
特に縦長のリアビューが間が抜けていてイヤだった。今見ると、そう悪くはないが・・。
フロントも、まあ悪くはないな・・。

カローラの2代目で気に入らなかったのは、、シートバックとヘッドレストを一体化するということをやったことだ。
そうそう、「ハイバックシート」とか言った。

これは豪華さを装ったコストダウンだったに違いないが、その後このテのシートデザインは10年以上も続いたのではなかったか。

一方、サニー(1966−)は日産のボトムを受け持つクルマとして、そのニートでタイトなデザインは大いに好感のもてるものであった。
就職したての体育会系の青年!のような清々しさがあった。
(写真2枚目)
サニークーペはちょっとナンパだったが、青春の代名詞だった。
そして、スタイリッシュであった。

このスタイリッシュさは、日産としては珍しく、2代目サニー(1970)まで持続する。(写真3枚目)。

というか、70年ころまでは、まだその忌まわしき病原菌が日産の体を蝕んでいなかったのだ。
しかしその萌芽は、この新型サニーのCMに見て取れる。
「隣の車が小さく見えまーす」というキャッチフレーズだ。
うんもウ、最低!
なんと浅ましい考えだろうか。
私はこのCMで、日産がちょっぴり嫌いになったのだ。
「人生、大事なことはそんなことじゃねえだろう!」
とテレビに向かって叫んだ。

ともあれ、カローラに対抗して、エンジンを大きくし、ボディも大柄になったが、まあ・・初代の軽妙なキャラを大きくスポイルするということはなかった。
クーペも清々しい美しさがあった。

サニーが大きく崩れたのは、そのあと、1973年のことであった。

(続く)

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この悪夢のオーバーデコ化の波は、本来もっともシンプルな美しさを競わねばならない軽自動車群にも転移し、多くの醜悪デザインが跋扈した。

ミニカとほとんど同時に発表されたスバルR−2は、そのミニカ70とともにいまだに絶賛するファンの絶たない、育ちのよさそうなデザインであった(写真1枚目)が、ミニカに比べ若者するインパクトに欠けるとの声もあったことは確かであった。

しかし、水冷化にともない1971年にマイナーチェンジされた結果というのが・・(写真2枚目)日本車の歴史上、もっとも醜いデザインのひとつとしてカウントしてもいいんじゃなかろうかというシロモノだった。

これは本当にプロのデザイナーの手によるものだったのだろうか?
純真無垢だった表情はヒネ媚び、目つきの信用できない裏稼業の小人物という顔だち。
くだらない図形遊び。 丸みを帯びたシェイプにまったく合わないボンネットの矩形化。

そういえば、スバルは今になってもそんなマイチェンをよくやる(土佐衛門のように改変された先代インプレッサの末期のヤツとか)。

さて、R2を小細工することでかえってドツボに嵌ってしまったスバルは、前年のレオーネの成功にあやかり、そのウエッジデザインをまとったREXを発表する。
子供がプレスリーの服を着たような派手で滑稽なデザインは、骨太で技術志向のモデルを期待するスバル・ファンをまたまた落胆させるものであった。

しかし、R−2のマイチェン版よりはまだ許せる。背伸びの極致ではあったが、まとまりはまあ、そう悪くなかったからだ(リア・ビューなどはちょっとイイ)。

これはしかし、当時の熱病のような背伸び志向に乗って、よく売れるたんだっけ。

まあ大ざっぱに概観すれば、他の日本車の醜悪化という疾病がおよそ71年ごろから4,5年かけてピークを迎えるのに対し、スバル軽の場合は、71年にいきなりその「悪さ」が致命傷すんぜんまで行って、その後少しづつ回復していくような感があった。

あとのスバル・コンビ、ヴィキなどはどれも軽の本筋を踏まえたクリーンなグッド・デザインだったからだ。

(現在も写真2枚目のR−2にお乗りの方、お許しください。R−2そのものはいいクルマですので・・。)

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